2019-09-02

LINE、やってないんだよね

彼がそう言ったのはちょうど今日みたいな蒸し暑い雨の夜のことだった。

営業部の人との合同の飲み会。暑さとアルコールに当てられ、一息つこうと外に出たところ、彼がいた。

同期だった彼とは、部署異動ですぐに別々になり、話したのは久しぶりの事だった。

背の高い彼、爽やかな彼、笑うとえくぼのできる彼、密かに憧れていながらもなかなか話しかけられなかった彼。何度か話せたのは彼と私の好きな洋楽バンドたまたま一緒だったから。思えばいつも彼からしかけてくれていた。自分からしかけられたことは一度だったなかった。

だってはいつも素敵で、彼の周りには沢山の人がいつもいたから。

思い切って話しかけられたのはきっとさっき飲んだカシオレのせいだった。

かき集めた勇気と勢い。けれど彼の気さくな笑顔と「大好きな洋楽の話」という共通項のお陰で、あの時解けなかったぎこちなさは舌の上のかき氷のようにすんなりと溶けた。

「あのバンドのアレ、もう聞いた?」そんな焦れったいやりとりの末に言った「連絡先、聞いてもいいかな?」は営業部の爽やかな笑顔でばっさりと却下された。

あーあ、やっぱり彼みたいな素敵な人にはもう彼女、いるよね……。そう思ってすぐに彼が言った。

「でも、増田ちゃんとは連絡とりたいから……」

ここ、使おうよ

そうして彼が見せたのがこのページ

はてな匿名ダイアリー

青を基調としたすっきりとしたページだった。

「なあに?これ、フェイスブック……じゃないよね?」

ノンノン」彼はそう言って細長く優美人差し指で私の唇をそっと塞いだ。

名前を隠して楽しく日記……それがこのはてな匿名ダイアリーだよ」

唇がかぁっと熱くなった。お気に入りの赤リップの色が彼の指に移って煌めく。

増田ちゃんにだけ教えてあげる、秘密だよ」

居酒屋前の薄暗い電灯がまるでスポットライトのようだ。

「でも……匿名なんでしょ?これじゃ誰が私のエントリかわからな……ん」

今度私の唇を塞いだのは彼の唇だった。柔らかくて優しくて暑いkiss。唇についた私の赤を拭いながら彼は言った。

大丈夫増田ちゃんエントリことなら僕が必ず見つけるよ。」

「それに」低くて甘い声。こんなに綺麗な声だったっけ……。さっきkissした唇が今度は声で私を惑わす。

「僕のエントリは必ずそこにあるからすぐ見つかるさ」

「そこ、人気エントリにね」

ーーーー

約束通り、彼のエントリはそこに並び続けた。政治ライフハック大喜利……、その度に形は変わったけれど、私には誰が彼のエントリだかすぐにわかった。

だって彼の魅力は匿名の青い仮面でも隠し通せるものでは無かったから。

「2人だけの秘密……だね」

彼との約束通り、私は誰にもバレないように彼にトラバを送った。ある時はうんち、ある時は低脳、ある時はお気持ち長文……それでも彼は私のことをいつも見つけてくれた。

私と彼との秘密のやりとり。甘酸っぱいカシス味の交換日記

それももう、4年も前の話だ。もう何度リロードしても、彼のエントリは見つからない。

彼がいた頃、世界は輝いていた。雨に濡れた安居酒屋前の歩道も銀に輝く川だった。仄暗い街灯下に並ぶ街路樹も、枝葉に光を満たしていた。

彼がいない今は何もかもがすっかり色あせたガラクタだ。チープで薄汚れたつまらない街。

彼がいた頃、増田たちの語らいは七色の絵の具で描き出される夢だった。愛、理想正義に溢れていた。

彼がいない今は何もかもが、酒の席の御託だ。使い古されたくだらない正論

それでも私は日記を書く。届かないとわかっていながら。

彼がまた私を見つけてくれるのではないかと信じて「この内容を登録する」

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