はてなキーワード: 夏休みとは
原作でも、休みや連休の繁忙期には手伝ってる。関家は今でこそ東京ぐらしだが夫妻共に花の湯温泉出身(小3から同じクラスだった)のため、もともと春の屋出身だったおっこ母はもとより、それをみていたおっこ父もそれなりに忙しい時期の忙しさは把握していた模様。
おっこも小さいときから旅館に連れられて遊びにきているから、エツコさん康さんとは映画の「蜘蛛が落ちてくるところ」が初対面ではない。ただし旅館の食事は「新メニューの試作」くらいでしか食べさせてもらえなかった(それでもとても美味しかった)模様。
A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいからしかたないよ」
そのうえで「遅くなると帰りが渋滞となる」とのおっこの言葉から、神楽を見ていたのは連休最終日のような、休みがひと区切りつく日のことだったことがわかる。おっこ父母はおそらく手伝いはせいぜい最終日朝までだったのだろう。その日チェックアウトする客関連の手伝いまではしないで、最後に神楽を見ていた。帰りに挨拶しようと春の屋に寄ったら、レイトチェックアウトのお客さんがいて、特に言葉での挨拶はしないで帰ってきた、といったところか。
原作でも客が少ないとき(1巻につき1回くらいはある)とか、ピークを越えたあたりでおっこも開放されてるので、翌晩の予約が少ないなどで急ぎの用事が発生しない場合は手伝わずとも旅館仕事は回っている模様。
原作ではエツコさんにはリカコさんという大学生の娘がいて、おっこのプライベートと繁忙期が重なったとき(クリスマスとか、秋の連休でのTAIWAN旅行とか)にはバイトしてもらえるので、実はおっこは春の屋旅館の若おかみと言われつつ"おみそ"状態だったりする。風呂掃除などの仕事も夏休み終わり段階の時期で皆から"荒い"(あとから来た居候の男子小学生の方が仕事が丁寧と褒められている)と言われていて、あまり戦力として期待されていない。ここを踏まえないと「児童労働がー」みたいな話になる。
この話にはあんまり関係ないが、エツコさん康さんはどちらも住み込みではない。深夜仕事が発生したときに泊まれる部屋は用意してあるが、基本的には夜は家に帰っている。家が近所にあるかは不明。エツコさんは車で国道沿いのショッピングセンターにひとっ走りして、おもてなし用の食器を買ってくるくらいには車に乗り慣れてる。
さらに余談だが、春の屋旅館でも秋好旅館でもないリアル温泉旅館の御曹司が先輩にいて、格安で泊めてもらったことがあったのだが、旅館仕事で一番人手がかかるのは「布団の上げ下ろし」だったそうだ。これを省けると(もちろん他のいろいろも省いているのだと思うが)、1泊ウン万円の宿が数千円でも赤字にならないとのこと。以上の話を踏まえると、おっこはマスコット要員としての要素を除くとおそらく布団の上げ下ろし要員として期待されてる。
私は大学受験に失敗した。第一志望校に受からなかったとかそんなことではない。受けた大学全て、そう、全落ちしたのだ。
話は高3の4月からになる。同い年の友人が急死した。他の共通の友人は皆悲しんでいる様子だった(当然だ)が、私はその時ひどく冷静でいた。友人たちに対し適度に元気付けるように行動したり、死んだ彼女の分精一杯努力して生きようと意気込んでいた。今思い返せば自分は無意識に空元気の状態だったのかもしれない。
そんな前向きな状態は長続きしなかった。夏休み明けから登校拒否になった。原因は分からないが、自己分析すると高校受験の時からの溜まり溜まったストレスが、友人の死をきっかけに爆発したのではないかと思う。それに部活での人間関係、受験への不安etc、私の高校生活はかなりストレスフルだったと今改めて思い返す。母親に泣きつかれ父親に蹴られても学校には行けなかった。早期の時点で大学受験は諦め、とにかく卒業を目指すことになった。なんとか出席日数ギリギリで高校を卒業することができた。
卒業後、私は学習塾に通い(予備校ではない、この時点でやる気のなさが伺える)大学を目指すことになった。周りに流されるままに。そう、私は一浪の末全落ちしたのだ。理由は簡単、全く努力をしていなかったのだ。4月5月は毎日ドラクエ7をやっていた。ドラクエを全クリすると今度はひたすらネット動画を観ていた。誰も叱る者はいなかった。親も塾講師も腫れ物に触るように私を扱った。志望校はたった2校だった。どっちも私立だったのでセンター試験すら受けなかった。当時私は大学に行きたい気ではあまりなかった。どうせ行っても上手くいかず中退する未来しか見えなかったからだ。私は幼稚園の頃からずっとしくじり続けた。対人面でも勉強面でも。だからまた失敗するんだという固定観念に縛られていた。結果は一方は即不合格、もう一方は補欠候補に入った後不合格。当然の結果である。
そして今年の4月からはバイトを始めた。週4、5回4.5時間〜7時間働いている。だが仕事中色々思い詰めてしまって集中できない。何を考えているのかというと、何故頑張れなかったのか、底辺でも大学に入っていた方が良かったのではないか、もっと早くストレスへの対策を出来たのではないのか、人生この先どうなるのか、などということだ。それから10月から通信制大学をはじめたがもう溜まっている。子供の時から何も変わってない。進〇ゼミや〇会や公〇、全部溜めて辞めていった。無駄にした親の金は一体いくらなのだろうか。
世の中の悩める人たち、安心したまえ。私よりクズな人間はいない。自信を持ってくれ。それしか私に出来ることはない。今日も私は全人類の引き立て役をする。
ウミウ「この日記は、その辺にいる適当な大学生が『けものフレンズ』に出てくるウミウの口調を借りて愚痴る日記だう」
ウミウ「一応、ウミウはデザイナーとかいう職業も副業でやってるう」
ウミウ「てことで、まあその辺のことを踏まえながら読んで欲しいう」
ウミウ「……」
ウミウ「…………」
ウミウ「……そうだう、生きるのがつらいってことう」
ウミウ「ウミウがこうなったのは、たぶん高校卒業間際の冬のことだったと思うう」
ウミウ「母はアルコールとニコチンに溺れ、父は神経過敏で物音一つにも激怒し、モノに八つ当たりしてたう」
ウミウ「それを力で押さえつけてしまってはご飯も食べさせてもらえなくなるう。住む場所もなくなるう」
ウミウ「そんな中、ウミウの唯一の救いだった高校というモノが卒業を間近にしたのだう」
ウミウ「ウミウの高校は良かったう。絵を描ける人がいたう。文章を書ける人がいたう。音楽を作れる人がいたう。いろんな学問で全国トップレベルの人がいたう。いろんな趣味を極めてる人がいたう」
ウミウ「彼らはみんな、ウミウにいろんな刺激を与えてくれたう」
ウミウ「ウミウは、そんな日常が大好きだったう。そんな日常があったから、人生に生きる意味があると思っていたう」
ウミウ「でも、高校3年生も終わりに差し掛かりつつあった頃、だんだんと授業も減り、周囲はみんな受験モードへと切り替わっていって」
ウミウ「一番落ち着けるはずの我が家が一番落ち着けない、というのは案外つらいものう」
ウミウ「毎晩、家のベランダから空を見上げて、コーヒーを飲みながら死後の世界について考えていたう」
ウミウ「宗教や科学がウミウを救ってくれるのか、考えたこともあったう」
ウミウ「ウミウの浅薄な知識片手に、ウミウはいろんな文献を漁って、いろんな人に話を聞いたう」
ウミウ「どうしてこの世界は生まれたのか? どうしてウミウは生まれたのか? どうしてウミウはこんな境遇にあるのか?」
ウミウ「当然受験には失敗したう。だって勉強なんて全くしてなかったう」
ウミウ「そうやって悶々としてるとき、ウミウは『けものフレンズ』というアニメに出会ったう」
ウミウ「こんなクソッタレな世界のどこかにも、ジャパリパークみたいな世界がある」
ウミウ「それから、ウミウはいろいろと頑張ったう。この世界には何か答えがあるはずだ、そう思って」
ウミウ「生の意味を知るために生物系の大学を目指したう。将来どうやって生きるか考えて、一番自分に合ってると思ったデザイナーのまねごとを始めたう」
ウミウ「あと、少しだけけものフレンズの二次創作をやったりもしたうね」
ウミウ「勉強と仕事の両立は、案外大変だったう。けど、つらくはなかったう」
ウミウ「何かに打ち込める、何かを目標にできる、人から必要とされる」
ウミウ「どうにか第一志望の大学には受かって、ウミウは期待に胸を膨らませたう」
ウミウ「大学ではどんなすごい人がいるんだろう? どんな風に自分は成長できるんだろう? どんなことが学べるんだろう?」
ウミウ「そう思っていたう」
ウミウ「誰一人、『ついていきたい』と思える人がいなかったんだう」
ウミウ「もちろん、人間として素晴らしい人はたくさんいるう。とっても精力的に活動している同級生、研究やサークル活動に没頭して成果を出している先輩たち、世界的に有名な教授陣」
ウミウ「だけど、ウミウが求めていたのはそういう人たちじゃなかったんだう」
ウミウ「ウミウは、圧倒的な実力で凡人を殴るような天才、世界や生命や意識や……そういうふわっとしたものたちを大真面目に考えて頭を狂わせるような奇才」
ウミウ「そういう人を、求めていたんだう」
ウミウ「大学というのは日本における最高学府だう。そんな素晴らしい機関の中にだったら、きっとそういう人もいるんだ、答えを貰えるんだ、いや貰えなくても論じ合えるんだ……と思っていたのに」
ウミウ「せっかく浪人期間中頑張って勉強して入った大学がこんなんだったんだと」
ウミウ「自分が全力で頑張っていれば、きっといつか答えは見つかるって」
ウミウ「そう思ったんだう」
ウミウ「頑張っていれば、いつか何かが起こるだろうって」
ウミウ「ウミウは今までの仕事のほかに、いくつかバイトをかけもちしたう。サークルは4つ入って、ほぼ毎日大学に寝泊まりするような状態になったう。同人活動ももっと本格的に始めていって、夏コミにも出たう。講義も真面目に受けて、まあまあいい感じの成績を取ることも出来たう」
ウミウ「最初は血の流れが悪いだけかな?と思ったう。だけど痺れはなかなか取れなくて、ウミウは病院に行ったう」
ウミウ「ウミウは、神経系の病気と頸椎ヘルニアを患っていたんだう」
ウミウ「このまま頑張ってたら、いつか半身不随になるぞって、お医者さんに言われたう」
ウミウ「結局、バイトはほとんど全部やめたし、サークルは1つを残して全部やめたう。しかも、ちょうどその頃は大学の夏休み期間中で、講義もなかったう」
ウミウ「てことで、ウミウはヒマになったう。そしたら、そこに生まれたのはただの虚無だったう」
ウミウ「また、何も拠り所がなくなった……そう思ったう」
ウミウ「ウミウは、けものフレンズの同人活動をやっていて、その中で1つ出来た、少し大きめのグループがあって」
ウミウ「そこはすごいんだう。たくさんのクリエイターがいて、たくさんの賢い人がいて」
ウミウ「ウミウは心機一転、そこで頑張ろうって思ったう。もちろんもうムチャは出来ないから、出来る範囲で、だう」
ウミウ「ウミウは……まあがんばった、んだと思うう。一応、なんとなーくリーダーっぽい感じのポジションに収まったりもしたう」
ウミウ「『フレンズにはどんな死生観があると思う?』って。『何か、そういうものを訴えかけた創作物が作れないかな?』って」
ウミウ「さあ、どんな答えが返ってくるんだろう、どんな議論が出来るんだろう……ウミウは楽しみに思ったう」
ウミウ「だけど、返ってきた答えはみんな、『けものフレンズはそういうのじゃない』『求められているものは違う』『グロとか暗い展開とか無理』みたいな答えばっかりだったう」
ウミウ「ウミウは……ウミウは、いったいどうすればいいんだう」
ウミウ「『けものフレンズはそうじゃない』? けものフレンズはそんな浅薄なコンテンツじゃないと思うう。少なくとも、そこを議論しなきゃ深みのあるモノなんて出来ないと思うう」
ウミウ「『求められているものは違う』? ユーザーのニーズ分析なんて仕事で腐るほどやってるう。二次創作って、そういうニッチなところを攻められるものなんじゃないんだう?」
ウミウ「『グロとか暗い展開とか無理』……。まあ、死生観を語らせる上で、フレンズの1人や2人死ぬのは仕方ないだろうし、暗い展開になるのは致し方ないう」
ウミウ「普段お前たちが食べている食べ物は動物の死体だう。お前たちが着ている服も動物の死体だう。お前たちが生きている環境には、動物の死がごまんとあるう」
ウミウ「けど、動物は何も語らないう。ただ静かに生まれ、静かに死んでいくのみだう」
ウミウ「それが、言葉を発し、意識を持って動き回るようになった。それがあの世界の意味であり、意義であって」
ウミウ「当然、フレンズたちもそこは疑問に思ってしかるべきだと思うんだう」
ウミウ「……ウミウは、どこに行けばいいんだう。ウミウは、どこを拠り所にすればいいんだう?」
ウミウ「ウミウは、今月か来月くらいでそのグループを抜けることにしたう。ウミウがそこにいることへ、意義を見出せなくなったんだう」
ウミウ「ウミウは本格的にひとりぼっちだう。何もすがるものはなく、何も生きる意味はなく」
ウミウ「たぶん、少し前だったら『ジャパリパークに行きたい』って切に願いながら、きっとどこかにある桃源郷を夢見て首を吊っていたんだと思うう」
ウミウ「だけど、それすら出来ないほどウミウは世界に絶望したんだう」
ウミウ「最近ウミウは、ジャパリパークが動物から人間に対する壮大な仕返しにしか思えなくなってきたんだう」
ウミウ「動物は、きっとジャパリパークを通して、そういったものを際立たせて。人を絶望させているんだう」
ウミウ「もちろん、それは正当なことだう。人は今まで、どれだけの動物を苦しめてきたんだう?」
ウミウ「ウミウには、もう何もない……いや、少なくとも心はからっぽだう」
ウミウ「きっと、ウミウは恵まれてるんだう。こうやって、生きる意味について考えられるほどには」
ウミウ「ふと空を見上げたら、お月様がこっちを見て嗤ってるう」
ウミウ「悔しいほどに、綺麗だう」
大4女、実家暮らし。就職はしなくて進学したいけど準備が間に合わない。
金がないからこんな時期でもバイトを入れなきゃならんが、夏休みから単発の説明会に出かけたり登録するのはいいものの、家がちょっと郊外でどこに出るにも遠くて困る。よって夏休みから探し出して、ようやく11月上旬の採点バイトにありつけた。もちろんその間卒論なんて進みやしない。
あとしんどいのがカウンセリング。知り合い(社会人)の勧めだから経済的にしんどくて~なんて断れないのがつらい。バイトにありつけない状態で月7500円かかるのはそこそこきつくて、今年は行きたい美術展を泣く泣く何度も見送った。
こういうの親に言えたら楽なんだろうけど、親のせいでカウンセリング行ってる節もあるからおちおち言えない。かれこれ半年間だから7500×6だろ? 外出られないのにカウンセリング代のために働かなきゃいけないっていう矛盾。なによりこれがきつい……
今月は余裕出るかと思ったけど、月末に12000円の出費がどかっとあるせいで全然余裕がない。ポイントサイトやってるからかろうじて3000円くらい換金できてるけど、いわゆる「初月無料」で解約がしちめんどくさい地雷の詐欺サイト踏んだせいで精神的にもってかれてる。
と無能がよく匿名掲示板などで声高々に叫んでいるようだが、こいつらは何か勘違いしてないか?
経団連ガー成果主義ガー育てる環境ガーって甘えんなよゴミども。
世の中そんなに厳しくない。
オレだって小学校の頃から自分の環境を理解してそれなりに頑張ってきた。
周りは好きな服着てお菓子も食べれて、夜には美味しいご飯が待ってて夏休みにはディズニーランドや海外にも行ける。
他方、オレはそれを横目に、給食しか食べれない、たまの贅沢はサッポロ一番の塩ラーメンっていう日々。もちろんディズニーや海外なんて知らない。トラウマになる程貧乏で恥もかいてきたし、心中されそうにもなった。
そんなオレでも、歯を食いしばってそれなりの大学に行き、なんやかんや世界的にも一流と呼ばれる会社に入れた。
そこで待っていたのは、上記の無能が足りない頭で絞った妄想よりも、遥かに居心地のいい場所だった。
仕事は教えてもらえる。成果は仕事を覚えてから。残業も言うほど。給与ボーナスもしっかり。ご飯も食べれるし、服も買えるし、何より明日の命を心配しなくていい。
オレは正直、中途半端を知らない。明日死ぬか、それとも金なんか考えないほど余裕な生活かしか知らない。でもそれは、ある程度頑張ってきたからだと思う。だからこそ言えるけど、人生はちょろい。無能が努力もしないでピーピー叫んでるから、相対的に能力を認められる。
おまえらもなんかしろよ。おまえだよ、いつもネットにかじりつき、いらんニュース見て文句言ってるおまえだよ。一日1時間でいいよ。勉強しろ。それかドラゴン桜のドラマ見ろ。とりあえずなんかしろよ。おまえの人生なんて1円の価値もねーんだから。
何かしたやつが勝ちだよ。運とかじゃねーよ。おまえらがいつも見下してる大衆に勝てば勝ちなんだよ。それは、そんなに難しいことじゃないから。
もう一回言うけど、人生はちょろい。
以下、感想でも何でも無い、個人的な体験について話す。ネタバレもあるからまだの人は読まないで。
タイトルの通り、若おかみは小学生!を見てきた。ツイッターであれだけバズってるんだしさぞいいんだろうと思って見に行ったんだけど。
まず、結論、とても良い。想像していた何倍も。綺麗に話がまとまっているし、ほろっとくる部分もたくさん。成長物語としてとびきりの映画。
だったんだけど、正直見ていて不快に感じてしまった。全部「若おかみ」という部分に関して。
主人公のおっこが若おかみになる部分が本当に辛くて胸が苦しくなった。
周りの大人に翻弄され、自分のやりたいことを見つけないうちに仕事をすることになり、夜遅くまで働くみたいなのがすげーキツくて。
いろんな人間の要望を小学生が押し付けられて仕事をすることになるって普通は異常なんじゃ。
話の根本部分であるここに違和感を覚えてしまったせいで最初から最後までずっとキツかった。
一番最後の自分のことを「若おかみです!」って言っちゃうあたりとか、本当は感動的なんだろうけど見てて辛かった。
あと、夏休みは家業を手伝うのが当たり前みたいな描写もキツかった。まぁ、わかるんだけど、さぁ。
これはフィクションなんだしそれはOKだよね、と考えようともしたんだけど(てか普通の人はそうだと思えると思うんだけど)、
個人的に両親のことが大嫌いで、両親の指図に従って生きてた小中学生時代を思い出しちゃってどうしてもそうできなかったんだよね。
社会人になって、両親と連絡を完全に断ってそれなりに経っているんだけど今すげー楽なのよ。
いちいち生き方とかやり方とかに従わずにやりたいことを自分の責任でやれることの楽しさを痛感しているときにこの映画見ちゃったから、
だから素直に受け入れられなくて。
フィクションにIFを考えるなんて、変な話なんだけどさ。
東京タワー水族館がなくなるというので二人で遊びにいったあと丸の内のバーで彼に距離を置こう、と言われて4週間くらい経った。彼から連絡はないがからあげクンの抽選に応募しているところを見ると元気なんだと思う。お世話になっている同僚に贈りたいらしい。ふーん
わたしも悪かったと思う。わたしはわたしでいっぱいいっぱいになっていて、迷惑をかけたと思う。だからわたしは夢を追うのをやめた。いつのまにか追っていたはずの夢に追われて疲れ果てちゃう生き方は自分らしくないと思ったから。夢じゃなくてもふたりで生きていけたらそれでいいんだと思った。でももう遅かったんだと思う。問題はわたしと同時に彼も疲れ果てていたことだった。彼はわたしの発する些細な言葉たちにストレスを感じていたらしい。俺のこと否定するようなこと言うじゃん。あまりにも心当たりがなかったので具体例を聞いた。その日東京タワーに出発するとき、券売機の前での会話。TXは高いからわたしたちは駅近くの格安券売機で切符を買う。
どこ行きの切符買えばいいんだっけ
秋葉原じゃない?
詳しい文言は覚えていないがこんなようなことを言ったと思う。これが嫌だったと言う。自分が否定されたように感じたと言う。それを聞いてああこの人は疲れているんだなと思った。同時にこんなことにさえストレスを感じてしまうようになるほどわたしは無意識のうちにひどい仕打ちをしてきてしまったのだなと反省した。考えさせてほしいし、考えてほしい。彼がそう言うのでわたしたちは無期限で距離を置くことにした。
最近院生やら研究者やらの夫がどうのこうのという増田をよく目にする。タイムリーなことに彼は大学院生だ。研究室に彼以外に学生はおらず、全員社会人として研究をしている人たちだという。他の人たちは学生ではないので夏休みはない。だから彼にもないらしい。他の人が働いてるのに自分だけ休むわけにはいかない。それは分かるがその人たちは社会人でお前は学生じゃんと思ったがそういうことではないのだろう。彼は夏休みの間も毎日研究室に行っては教授に雑用を無茶振りされ泊まり込んで片付けていた。隣の研究室の教授に君毎日いるよね?少しは休んだ方がいいよと言われたと誇らしげだった。わたしは教授もそう言ってるんだから休んだ方がいいんじゃないのと言った。今思えばこの言葉も彼を否定していたのかもしれない。彼が休むことはなかった。
わたしと距離を置いたところで彼が休まることはないのだろう。わたしとデートをしていた時間で少しくらい休んでいてくれたらいいと思うがおそらく無理だろう。わたしはあれから毎日彼のことを考えているが、彼の方はどうなのだろう。夏休みも終わってますます忙しくなっていることだろう。わたしのことを思い出している暇なんてあるのだろうか。一瞬思い出したとしてもわたしとの関係を考えている暇なんてないだろう。このままわたしだけが彼からの連絡を待ち続けて彼は抽選で当たったからあげクンをお世話になっている同僚に贈る。地獄絵図だ
いつになったら終わるのだろう。つらい
自分も少し似た感じの状況の4年生です。
細かいところは省くけど、中学生くらいからうまく学校に行けなくて、とうとう今年の前期は単位ゼロだった。あと15コマは取らないといけないし、卒論もあるのに。一応まだ今年卒業できなくはないんだけど、これまでのことを考えるとまあ無理そうだと思った。
さすがにわりとやばいので、親に全部話して(まだちゃんとわかってもらえた感じではないけど)夏休みから精神科に通い始めた。発達障害も疑ってたので、その辺も診てもらえるところです。その結果としては、鬱っぽかったのはけっこうマシになってきたし、後期は始まったところだけど朝ちゃんと起きて学校行けてるよ。
もしこのまま今年卒業できても、就活マジでしてないからとりあえずはフリーターになるだけだけど(今年卒業する努力をすると逆に就活してる暇がない)、まあそれでいいかなーと。親には悪いけど、一応オーケーももらったし、来年度就活しようかなって気も湧いてきてるところ。
たぶんこんな話をしても逆に落ち込むだけかもしれないけど、親に話すことと、病院に行くことは本当にした方がいいよ。一緒に頑張ろう。頑張れとか言われたくないと思うけど、ほかに言葉が見つからない。ごめん。
日本の世帯年収ってさ30代の中央値は500万円~550万円の間で、20代ではは300万円~350万円くらいなわけ。
(この年代をチョイスしたのはこの年代が子供を作るか作らないか考えてるメインの世代だと考えたから)
すげえざっくりと500万から350万円でそのまんなかくらいを425万だとしてみるよね。んでもって、相対的貧困を更にその半分だとする(本当はもっと違う計算なのだけど、ここでは話を丸める。誤差が数百万なんてことはないので)。
とすると年収425万円付近が「結婚&子作り世代の普通(中央値)」で、425万未満だけど213万以上くらいが「結婚&子作り世代の下流だけど相対的貧困ではない」で、213万未満が「結婚&子作り世代の相対的貧困層」だということになる。
この辺は別に俺の気持ちや考えの話じゃなくて、今のデータだとこうですよねって話ね。もちろん細かくソースに当たれば数値は変更されると思うけれどかと言って数十万動くことはないんじゃないかな。おおよそこんな感じなのが今の日本の姿。
んでもってさ、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが、子供を作れないってのは、やっぱり国造りとしておかしいよね。おかしい話なんだけど「だから所得を上げろ」ってのがもっともっとおかしいでしょ。だって現実に俺らの収入はそうなんだからさ。
いやもちろん、国に対して「国民の所得を上げろ」って要求することそのものはおかしくないよ。でも「まともな子作りや子育てできないので上げろ」ってどう考えてもおかしいでしょ。だってその「まとも」っての基準を勝手にでっち上げてるのは国民側なんだからさ。マッチポンプないいがかりもいいところじゃない。
結論から言うと、いまの子作り&子育て収入直結論がおかしいのはここで、子作り&子育てのハードルを一方的に上げて、そのハードルを超えられないとギャーギャー喚くっていう論理の組み立てでさ。
もちろん上を見れば上があるってのは前提の上でだけど、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが子育てしようと思ったら、その収入にふさわしい子育てがあるでしょ。「普通の世帯収入の子育て」なんだから、それが「普通の子育て」なんだよ。習い事に複数行かせるのとか、毎年海外旅行に行くとか、お金がかかるスポーツをやらせるとか、予備校に行かせるとかは「普通じゃない」わけ。もうちょっと下を見れば、いまWebで公表すればネグレクトだと叩かれるような育児(もしくは育児放棄)――たとえば購入する衣類の数が少ないとか、昼間の間子供を放置するとか、公教育以外の教育をスキップするとかも、それが年収に基づくものであれば「当たり前」だと認識すべきなわけ。年収250万くらいでも子供を作って子育てして、その金額なりに首元がだるくなったTシャツとかで放任教育するのは「やって良いこと」なんだよ。そういうのを汚れた何かのように社会から滅却しようとすれば、子供なんて減って当然なんだよ。
それが普通ではないなんだか暴走した議論の渦中にあるのは、バブルとか少子化によって子供にかける投資が加熱して、それがマスコミやWebっていう偏った虫眼鏡で歪んで拡散されたせいで、「これくらいは子供にしてあげるのが普通だよね」みたいな風潮が蔓延したせいだよ。すげえ露悪的に言っちゃえば、意識の高いママ&パパが、うちの子自慢(に見せかけた自分自慢)をする道具として「わが家ではこんなふうに贅沢な子育てしてます」ってのをSNSで発信して、それを見てる側が真に受けちゃったみたいな話だ。SNSのグルメ自慢とおなじで、ある人が3000円のランチの写真を投稿してたとしても、その人が毎日3000円のランチを食ってるわけではない。のだけれど、なんか、「その程度の生活水準が普通」という共同幻想だけが肥大して、3000円のランチを食べられない人たちの怨嗟と劣等感だけが膨らむみたいな話だよ。
「この程度のお金はかけてあげないと子供がかわいそう」「子供の将来に禍根を残します」とかはっきり言ってほとんど全部詐欺でしょ。そらまあ、大学出たほうが生涯年収上がるとか、そういうのはあるよ。あるけれども、そうであるからといって「そうであるのが当たり前で、そうでないものは当たり前未満でマウントして良い」とはならない。夏休みなどの長期休暇で子供を旅行(特に自然の中に)連れ出してあげないと情操教育上で「問題がある」みたいな触れ込みで、昨今、キャンプスクールとかが流行ってるわけだけどさ。そういうのに申し込みしてお金かけないと子供が劣った何かになるとか、どこの寝言だろう。みんなが大好きな高度成長期をささえた日本人は別段キャンプスクールも大学も前提とはしてなかったわけでしょ。回顧ってわけじゃなく、今の時間軸に問題を限定したところで他国とそこに差は対してない。
こういうこと書くとWebでは虐待主義者みたいに言われるけれど、子供なんてほっといても育つよ。っていうか、そういう前提で、なおそこから「それでもできること」を積み上げるのが子育てでしょ。そうじゃない限り無限にハードルがあがって、失格両親狩りが繰り返されるだけだよ。まあ、いまそうだから少子化なのだとは思う。
だから少子化を解決するのに多少援助金を入れたところで意味なんて無い。マウンティング合戦が現在状況の本質なんだから、お金いれても収入上がっても、無限にハードルがあがっていくだけだよ。今までの歴史&海外の状況を見れば「海外留学に行かせるくらいがまともな教育で、それ以下の家庭は子供を作るべきではない」とかすぐにそこまで行くよ(発展途上国の富裕層の一般的発想だ)。「年収200万円以下は〜」なんてのはまさにその系譜だ。
問題なのは気の狂ったマウンティング欲求と、子育てを自己表現(で他所の家庭に自慢する道具)だと勘違いしちゃった両親と、そういうのに煽られて拡大報道しているメディアであって、もっかい「今の日本の実情に沿った、身の丈に合う子づくりと子育て」を考えない限り、何の解決もしないよ。
・私が高校生時代の時に『ヒカルの碁』の漫画連載が始まり、瞬く間に空前の囲碁ブームが巻き起こった。
・けど私はあまりヒカ碁には興味がなくてスルー。友達が毎日佐為の話ばっかりするのを聴くだけの日々。
・大学時代、独り暮らしを始めて、暇な時間を潰す為にPS2を購入。ついでに気まぐれを起こして入門者向けの囲碁ソフトも購入。だがさっぱりルールがわからず。
・なぜかというと、近眼なのでゲーム画面の文字が全然見えなかったから。あと思うほど自分はゲーム好きではないと悟り、PS2と囲碁ソフトは部屋の片隅で埃を被る事に。
・当時はヒカ碁ブーム最高潮で、大学のサークルの先輩が伊角さん激LOVEだったので、何となく毎日伊角さんの話を聴くだけの日々。
・少年ジャンプを毎週講読してたから一応ヒカ碁は興味無いなりに読み続けた。
・そのうちバイトと卒論と就活に追われて囲碁の事は綺麗さっぱり忘れる。
・数年後、色々あって現実逃避にパソコンを購入。はじめてインターネットに触れるが、ネットに関して無知すぎて何をしたらいいのかわからず、PS同様部屋の片隅で埃を被るだけに終わるかもという時、ふとヒカ碁に出てきた「ネット碁」を思い出す。
・が、検索下手なのでcosumi(無料でコンピュータと対局出来るサイト)しか見つからず。cosumiの9路で悪戦苦闘したが訳がわからぬまま飽きる。
・携帯で日本棋院の「碁バイルセンター」という携帯サイトを発見。ここではじめて囲碁のルールを覚える。地の概念と超基本の手筋(ウッテガエシ、シチョウ、コウ、オイオトシ)を覚えたが本当にただ覚えただけだし、シチョウにいたっては石を追う方向を理解していなかった。
・同時期に携帯版『銀星囲碁』をやりはじめる。月額何百円だったか。ちなみに、銀星囲碁はスマホ版もあるのだが、たぶん携帯版の方が強かった。
・銀星囲碁で自分では打たずにヒントを見てその通りに打って勝ち、正しい打ち方を習得しようと試みる。
・しかし(当時の)銀星囲碁は超変な打ち方をしたので全然参考にならず。
・三年ほど育児にかまけている間に放置していたパソコンが壊れていた事に気づいて、うちひしがれる。
・産後のホルモンの変化か疲労のせいか痴呆状態になってしまい、物忘れは酷いし吃音にはなるし本は読めなくなるしで、囲碁以前に自分の知能に自信をなくす。
・今から4年ほど前、ガラケーからスマホに機種変。3日後にGoogle playストアで『囲碁クエスト』に出会う。深夜、当時赤ちゃんだった次女に授乳をしながら囲碁クエストで遊ぶだけの囲碁ライフ。
・4ヶ月で囲碁クエスト6級までいって伸び悩む。囲碁をちゃんと勉強したい熱が高まる。
・図書館で『ヒカルの囲碁入門』を借りて9路盤の部分だけ読む。すぐに囲碁クエスト4級に昇格。ヒカルの囲碁入門すげえ!
・同時期くらいに『チェスをする女』という小説を読み、元気付けられる。お母さんだって囲碁をプレーしていいんじゃないかという気になる(チェスには興味が向かなかった)。
・時々『ヒカルの囲碁入門』を図書館で借りてきては読み返し、囲碁クエストは停滞し続けるだけの囲碁ライフ。
・去年の夏、ひょんな事から長女が将棋を始めるとか言い出す。将棋にはトラウマのある私だったが、図書館で将棋の入門書を借りて来て、長女に将棋の基本中の基本だけを教えたら、長女は将棋を覚えてしまった。
・10月、地元の文化祭に将棋クラブが出展するというのを広報で知り、長女を連れていく。そこで将棋クラブのおじいさんと知り合い、長女は将棋クラブに入る事に。
・次女がやっと碁石を食わないだけの知性を身につけたので、長女を言い訳にしつつ念願の囲碁セット6・(9路のミニボードと13・19路盤の塩ビ盤とプラ碁石)を購入。合わせてヒカルの囲碁入門3冊セットも購入。
・長女に教えつつ、ヒカルの囲碁入門を読み込み19路の打ち方を学び囲碁クエストをするだけの囲碁ライフ。
・囲碁クエストの9路で2級に昇格。13路盤はやっと勝負出来るレベルになり、急に6級に昇格。
・ヒカルの囲碁入門で、基本定石や布石を学ぶ。また基本死活と詰碁を学習。リアル碁盤を手に入れたことで、やっとシチョウの追い方をマスターする。
・ふと思い立ってTwitterで囲碁垢を作る。すぐに囲碁友が出来、学びあい喜びあい励ましあう生き生き囲碁民ライフ。
・年末の『碁ワールド』特別誌上認定に挑戦したらいきなり2級認定される。
・4月、医療保険がおりたので、『GO・碁・ドリル』シリーズと『基本がわかる囲碁トレーニング』シリーズを購入。
・子供達の入学入園により、平日昼間に囲碁の勉強をする暇が出来る。
・購入した問題集を全部三回解く。
・囲碁クエストは9路2級で停滞。対戦相手が段持ちばかりになり、勝てない。13路盤は3級に昇格。19路は6級に昇格。囲碁クエストの19路は強者しかいないので全然歯が立たない。
・コンビニでアルバイトを始める。専業育児で鈍っていた脳と身体が復活する。
・『ひと目の詰碁』『ひと目の手筋』購入。4、5回読む。
・古碁の棋譜並べにハマるが、棋力には反映されず。棋譜並べ単体が趣味の一つとなり、人生に疲れると取り合えず棋譜並べするようになる。
・定石の知識が必要と感じるも、すぐに挫折する。変化が多すぎるんや……。
・というわけで、定石はいまだにヒカルの囲碁入門に登場するものしか覚えていない。
・シチョウとコウは単に石を取るだけでなく駆け引きの道具なのだと、棋譜並べしてる最中に悟るが、悟る前に誰か教えてくれよ!とも思った。
・『やさしい布石特訓200』購入。序盤戦の力が飛躍的にupした。
・『依田ノート』購入して読む。定石を最後まできめるよりも盤全体を見て最大の手を打つ、利き筋を残す、ということを知る。
・スマホアプリ『みんなの碁』を始める。依田ノート効果でみん碁19路はめきめき上達し、黒番で2級、白番で3級に勝てるようになった。
・相変わらず囲碁クエスト19路ではボコボコにされる。しかし以前のように100目以上も差がついて負かされることはなくなった。
・恐怖の夏休み到来。碁石を触れる時間がなくなるばかりか、家事すら子供達に邪魔されてままならなくなる。
・夏休み明け、積み残した家事と相次ぐ学校と幼稚園行事に忙殺される。バイトは学生さんのドタキャンにより出勤が増える。長女の宿題を見るのに手一杯になる。
・私がバイトをはじめて以来、日に日に子供達のワガママが増す。
・ちっとも碁石に触れない日々。←イマココ
ランキングが広告で動くようになって、あーこれはオワコンまっしぐらかなぁと思ったけど、なぜか耐えていた
でもそれが、最近ようやく(?)顕著に落ち込んできた気がする
と言っても体感だけど
広告回避のために、24時間以内に投稿された動画の再生数順をよく見てるんだけど
ここ2ヶ月くらいほんとうに再生数が伸びてない
気のせいかもしれないが
もともとランキングという仕組みで再生数を集中させていたわけだから当たり前だよね
むしろ何で今まで持ちこたえったんだろう?
それでもまだ気のせいかもしれない
大学生が夏休み終わるところだからね、一時的に落ち込んでるだけかも
これまで何十回と「ニコ動は終わる、オワコン」なんて言われてきたけど、それでも10年ずっと楽しく見てきた
まだ死なないで欲しい
未だに代替案がない
ニコ動ってのはただの動画サイトじゃなくて、界隈のトレンドを見つけるサイトなわけですよ
去年けものフレンズを発見したのも、今年Vtuberを発見したのもニコ動のランキングだった
___
ちゃんと調べた
https://i.imgur.com/K8rVdCn.png
http://www.nicochart.jp/total/
ここ2ヶ月で目立った変化はなかった
もちろんピークの2016年からみたら半減くらいしてるが、2013年くらいの勢いはあるから定期的に起こる勘違いだったのかもしれない
(むしろかわんごが引いてから下げ止まってる。コメント数減ってるのはスマホ化の影響かな?)
全くの気のせいか、ランキングが死んでいるのか、投稿後の初速が伸びてないのかもしれないが、そこら変は調べようがないが
そもそも1日の再生数が1800万ってことは、ランキングなんて極一部なんだな
4歳の息子がウルトラマンにはまってきた。
お友達の影響でフィギュアでの戦いごっこから始まり、ウルトラマン本を読んだり。
夏休みに帰省した時のお祭りでは中古のフィギュアや本が売ってたので買ってあげると喜んだ。
それを持って歩いてると私の同級生(もうおっさん)達は「お!セブンか。かっこいいねー」とか「ゼットン強いもんなー」とか声をかけてくれた。
バルタン星人くらいしか知識がない私(母親です)にとって、やっぱり男子はウルトラマンを皆見てたのだなあと感心したものだった。
帰ってきてからそろそろテレビも見せてあげようかと、Netflixにあったジードを適当に見せてみた。
けど、やっぱ古典からだよなあと初代ウルトラマンも見せるようにした。
そんなある日、息子が「最後にゼットン勝つんだよね。」と言い出した。
「え?なんで知ってるの?」(私はwikipediaで予習してた)
「パパが教えてくれたよ」
憤懣やるかたない私は夫に詰め寄った。
私「じゃあ、あなたはポートピアをやり始めた時にヤスって教えられてもポートピアやるわけ?」
常識だから言っても構わない。自分はネタバレされても構わない。と主張する夫。
「なんなら同級生とかにも聞いてみろ」とまで言われたので増田で聞いてみることにしました。
そんな暴挙が許されるわけない。助けてブックマーカーの皆さん!夫を断罪してほしい!
余談
初代ウルトラマンは相当怖いらしく、小学生の娘が半べそかきながらガチで「消してー消してー」と頼んでくる時があります。
息子も大人と一緒じゃないと見なくなりました。
ジードとかNetflixにあるような新しいウルトラマンだと全然大丈夫なのだけど。
そんなわけでゼットンが出てくるまでは程遠く、たどり着けるかどうか見込めない状況です。
【追記】
追記したいのは"ネタバレの相手が子ども"ってこと。妻である私ではない。
子どもは今後、ガンダムだって見るだろうしドラゴンボール・エヴァンゲリオン・仮面ライダーなど・・・
興味がある方面の古典を与えるのは親の仕事ってもんだろう。(ここまでは夫にも異論はないはず)
でも、それぞれのコンテンツに対してネタバレ無しにしたいってのは親の共通認識として話し合う必要があると思うんだ。
いつからか「何者かになりたい」という思いを漠然と抱いていた。もしかしたら思春期特有かもしれない。
「自分がいつか輝ける場所」を探して、あれでもないこれでもないと数々の場所を渡り歩き、拾っては捨ててを繰り返してきた
そして周りと自分を比較し、自分の才能の無さに呆れ、傷ついていた。どうせ何者にもなれなくて無駄に長生きするくらいなら、さっさと死んでしまいたいと思っていた
「何者かになりたい」という思いはいつしか強迫観念になっていた。毎晩寝る前になると様々な思いが浮かぶ
「今日一日、一体お前は何を成し遂げたんだ?」「何も成し遂げられないならさっさと死ねよ」
自分の言葉に自分で傷ついていた。まるで自傷行為。ずっとそれを繰り返していた
夏休み、ゼミの研修旅行である地方に行って、その地域特有の問題に関わっている人たちを取材して回った。研究発表のために真面目に聞いていこう。最初はそれだけだった。でも話を聞いていくとそれどころではなくなった
彼ら一人一人のかっこよさに心を打たれてしまった。真剣に考え、悩む彼らの姿を見て、「やべぇ、うわぁ、やべぇ」という思いが止まらなくなった
説明されなかったらどこにでもいる普通の人としか思えない人たちだった。彼らは「何かを成し遂げる」なんて考えてなくて、「自分にできること」を考えて、それを一つ一つこなしているだけだった
「ああ、これが正しい生き方なんだな」
深い実感が心に染み渡った
彼らは有名人じゃなかった。フォロワーが大勢いるわけでもなかった。誰もが憧れる仕事をしているわけでもなかった。存在もその人の思いも、直接会うまではハッキリ分からなかった
でも彼らは確実に「何者か」だった。キラキラしてなくても、泥臭くても、輝いていた
確かに社会で生きていくためには何かしらの能力とかスキルは必要だし、そのためには学びも止めちゃいけないんだけど、その根幹の「生きる力」は「物事に真剣に向き合うこと」、つまり「どれだけ多くのことを自分と地続きで考えられるか」なんだなって、やっと気づいた。「何者か」になるためには、才能よりも思いが大切なんだなって気づいた
私たちは当たり前のように線を引く。「男だから、女だから」「理系だから、文系だから」「ウェイだから、陰キャだから」なんて色々と。何が怖いかって、それを意識せずに、無意識にやっちゃうこと。だからどれだけ意識していても確実に何かと線を引いてしまう。人間の行うあらゆる判断は恣意的にならざるを得ない。それが人間の原罪。だからこそ「一つでも多くのことを自分と地続きで考えられるか」って重要なことなんだなって思う
だからたとえどんな仕事をしても、どんな状況になっても、「目の前のことに真剣に向き合うこと」だけは絶対に忘れないでおこう。たとえそれが社会問題みたいな大きなことじゃなくても、仕事のこととか、友達のこととか、家族のこととか、「自分には関係ないから」と思わず、一つ一つ真剣に向き合おう。そして焦らずに一個一個でいいから少しずつ学んでいこう
そうしたらいつか「何者か」になれるはずだから
今年の春、僕はM2になった。同期たちも全員、進級した。
そんな中で友人の1人が、昨年度の後期からあまり所属研究室のゼミに来ないという話を聞いた。
僕とは違う研究室なので「授業は来ていたのに?」と不思議に思った。
今年度から別の友人の希望で始めた自主ゼミにも来ていたから、さらに不思議だった。
しかしどうやらゼミの、自分の発表の順番が来る日、だけ来ないらしい。
なるほど、進捗が無いのだな。そう思った。
お互いの研究の話をしていても、うまくいっていない事しか聞いたことがなかったからだ。
友人は真面目で、成績も僕などより優秀で、性格も良い。怒らないし、愚痴も言わない。
そして行き詰まったときに誰にも頼らない。
僕はすぐに友人や先生に助けを求めてしまうので、それもあまり褒められたことではないが先生にはたまに「考えよう」と追い返される。
まるで質問しないのもよくないと思う。真面目なんだろうけれど。
「これくらい、1人でできなくてはいけない」と思っているのかもしれないし、先生が怖くて質問に行けないのかもしれない。
なんにせよ、想像に過ぎないが。
それまでに彼は自分の順番が来る日は全て休んでいるのを聞いていたので、きっと来ないだろうと思った。
案の定、来なかった。
教授陣の方でも、大学に来ないことが話題になり始めたようだった。
後期が始まったが、ゼミの初回も来なかったようだ。
それは仕方のないことなのだろうか。
(2018/6/7)
Apple、Safari v12でsafariextz形式の機能拡張を非推奨へ。2018年12月にはGalleryへの登録も終了。
https://applech2.com/archives/20180607-deprecated-safariextz-style-safari-extensions.html
記事のタイトルは「非推奨」となっているが本文および原文では「非推奨/廃止予定(Deprecated)」
なので使えなくなることは決まっていたと言うことだね。
ブックマークレットは健在みたいなのでブクマ自体は困らないけど、コメントだけ確かめたい時が地味に困る。
そして本件で最も大事な問題は、はてなブックマーク開発ブログでまったく言及がないと言うこと。
私は20代半ば手前の者です。
昨年仕事(第一次産業)を辞めてしまい、学歴もスキルもないのに何やってんだろ...と引きこもりかけたところ、
ハローワークで長期の職業訓練を見つけたので応募してみました。
それは専門学校に委託される2年間の訓練でした。その間失業保険の支給は、期限が過ぎても延長してもらえます。
要するに入学料・授業料タダ、お金をもらいながら勉強でき、専門卒になれるチャンスというわけです。
(本当に有難い制度です。就職したら、きちん税金を納めて世の中にお返しするつもりです)
どうやら希望者は少なかったようで、筆記(中学レベルの知識で大丈夫でした)と面接はすんなり通りました。
同じ訓練生は1割程度です。(30~40代の方が2人おられます)
ワイワイやる人が3割、静かな人が7割ぐらい? といった印象です。
男子100%ですが、ホームルームだけは女子100%のコースと一緒にやります。
悪い人はいない感じで、授業が荒れて成り立たないとか、そういうのはなくてよかったです。
ただ、バイトが忙しいのか授業中イビキかいて寝ちゃう人や、全然授業について行けなくて辞めちゃう人はいます。
○Office(前期のみ)
word,excel,powerpointを一通りやりました。PC操作に慣れていない人も多いので、
手取り足取りゆっくりやる感じでした。自分は仕事で使ったことがあったので、課題を早く終わらせて
○C言語
terapadとコマンドプロンプトを使っての授業です。(コンパイラはborlandです)
元SEの先生(本人曰くCOBOLer)の説明聞いてから、課題をこなしていく感じです。
入学前に、RubyやらJavaの参考書を一周してみたり、ドットインストールでC言語の動画を見たりしていたので、
授業にはついていけています。
ただ授業だけだと完全に足りなさそうなので自学を頑張ってます。
分野ごとに授業があります。教科書を読んで先生が板書・たまに問題集やプリントを生徒にやらせるといったスタイルです。
ただ試験対策なので、問題演習を重視した方が良いと思いました。
授業を聴きながら(たまに当てられるので)、ひたすら過去問をやっています。
ちなみに学校は12月の修了試験(合格すると本試験の午前問題免除)→来年4月の本試験 を前提にカリキュラムを組んでいますが、
私は年も食っているし、合格が就職活動に間に合わないので、来月受験します。
就職指導の先生は応用情報技術者も取っておけ、と言われましたが、必要ですかね...?
勿論取らないに越したことはありませんが、Railsチュートリアルとか他の技術書に時間をさいたほうがいいかな、と思いました。
○アルゴリズム(前期のみ)
フローチャートや疑似言語を使って、バブルソートや基本選択法など初歩的なアルゴリズムの勉強です。
実際のプログラムのコードの方がわかりやすい気がしますが、基本情報技術者試験対策なので仕方ないですね。
今も現場ではフローチャートや疑似言語は使われているのですかね?
そんなの古い現場でしか使ってないよ、という意見はよく聞きますが...
先生の意向でなぜかメモ帳推奨。(他のエディタを使っていたら嫌な顔をされた)
素人がいうのも何ですけど、ミスに気づきにくいし、使いづらくないですかね...
案の定何でもないところでハマる人がいて、授業はよく止まってしまいます。
ブラウザの開発者ツールの使い方を隣の子に教えてあげたら、喜んで使ってくれていましたが、
やっぱり変なもん教えるなという目を先生から向けられちゃいました...
○データベース実習(後期〜)
Accessを使った授業です。テキスト通りにやっていきます。
Accessは初めて使いましたが、Mysqlをちょこっと触ったことがあるので、要領はなんとなく掴めました。
これも授業は遅いので、先に教科書の内容は家で一通りやってしまいました。
グループワークとかやめてください死んでしまいます、と思ったけど、意外と楽しめました。
ただ、喋らない人たちしか居ないグループだと、何を話しかけても反応が薄かったので、ちょっと辛かったです。
・授業で使うPCはメモリ4GBでもうちょっと欲しいなあと思いました。
エディタはAtomをUSBに入れて使っていましたが、カクカクでよくフリーズしました...
モニタも19インチの正方形で、ウィンドウをたくさん出したい時は不便ですね。
どんな職場に行ってもどんな環境でも何とかやれ、という訓練ということなんでしょうかね。
1年生後半にRubyの基礎、インターンシップ(強制)、就職活動の開始
2年生からは、Java,Rails,サーバ構築, データベース構築あたりの授業、という流れで進んでいきます。
年齢が20後半になるので、周りの若い人たちと何かしら差をつけないといけないので大変ですが、
地元企業のSE(Web系を希望しています)で採ってもらえるよう頑張ります。
アドバイスがありましたら、いただけると嬉しいです。
拙い感想文にいろいろと反応いただきありがとうございます。
ごもっともです。私は皆様の雇用保険から学校に通わさせていただいているので、文句言う立場じゃないですね...
ただ、年100万近く払っている一般生徒の方は、不満に思っているかもしれませんね。
>>田舎で数年間無職してるけどIT系の就職訓練無くて最悪 羨ましい 田舎はゴミ
そうですか... 私の住んでいるところも地方都市ではない田舎なのですが、
近隣にIT企業が進出してきていることもあってか、今年からIT系が訓練の対象となりました。
都市部ではない地域も、もっとIT系の訓練が拡充されると良いですね。
>>otihateten3510 基本情報さえ取ればどっかに潜り込めるだろうから、そこで3年くらい真面目にやれば結構いけるとおもう。
>>コード書けると良い。/授業はまあそんなもんだよね。現役の人に聞いたほうが正しい。/東京のほうがイージー
ちょっと精神的に病んで前の仕事をやめてしまったので、家族のサポートを得て、地元に就職しようという情けない有様でございます。
ほとんどナンパにすらなっていないけど、自分のなかでナンパをしたつもりの件について意味もなく書いておきます。
(1)普通に地図読めるんで人に道を聞く必要もないんだが、すれ違った女性が気になったので声を掛けて道を訪ねた。その女性も目的地を知らなかったようで、いっしょにスマホの地図をみながらとても丁寧に教えてくれた。別れ際に「暑いのでお気をつけて」みたいに言ってくれたいい人だった。
(2)ある地方国立大学を訪れた帰りの電車。まだ夏休み中でとても長閑だった。たしか手でドアを開け締めするかんじの電車。乗り込んだ車両には自分とその大学の学生と思われる女の子の2人だけが乗っていた。座る前に意を決してその子に話しかけた「これって新潟駅いきます?」と聞くと「いきますよー就活ですか?」とその子。「いえ出張です」と俺。礼を言って顔は見えるけど少しだけ間をおいた席に座る。途中からほかの客が乗ってきた。
目的地で降りるとその子もおりた。改札をでて少しさきまで歩いてたんだけど、ずっと隣をあるき続けていて、意を決してもういちど話しかけた。「さっきはありがとうございます、もし時間あったらお茶でも飲みつつお話ししませんか。このへん詳しくないのでいろいろ教えてくれたら嬉しいです」てきなことを言った。「これから隣県の実家へむかうので時間無いんですー」とその子は応えてバイバイした。
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。