はてなキーワード: 国造とは
「すずめの戸締まり」観ましたけど、わからないところがたくさんあるので教えてほしい。筆者は難癖増田ではなく、不明点を解消したい増田です。こんなこと記名で書いたら叩かれるから、増田にしか書けないのです。
<<以下ネタバレ注意>>
⇒和魂として長年信仰されていた神が、信仰を忘れたことにより荒魂と転じた? 巫覡(シャーマン)のすずめを気に入り、邪魔者である男を祟った? そもそもなんでネコのかたちを取るのだろう?
⇒人身御供として捧げられたものが神と転じた可能性あり? ネコの神様はマイナーなだけで先行事例がないわけじゃないし。
・あんな自宅のカギ以下のペラペラなカギで、タタリ(みみずのことです)が漏れ出すようなヤバい扉閉められるの? 神器でもなんでもなさそうなのに。カギの救急車あたりに大金積んで、もっと立派なやつをつくってもらったほうがマシでは? カギの救急車がイヤなら伊勢神宮でもいいよ! あそこなら建物だけじゃなく道具も定期更新を行っているから、ノウハウ貯まってるよ!
あの白衣はりかけいのおことである証なの? 神主の資格が取れる國學院大學か皇學館大学であたりで修行して、もっと装備を調えたほうがよくない? 劇中でもケガしてたし、腕にシルバーでも巻いてみたらどう?
・主人公のすずめは天の岩屋戸説話に登場するアメノウズメから名前を取られたらしいけど、やってることは天手力男のほうでは? センシティブ極まりない踊りをするほうではなく、力ずくで天の岩屋戸の戸をこじ開けた天手力男のほうが主人公の名の由来にピッタリとあてはまるんじゃないかしら。
⇒このことは企画会議中に指摘がなきゃおかしいけど、そのまま通った理由がわからないし、知りたい。タイトル変わっちゃうけど。
・すずめは映画のラストで常世に行く。常世といえば大国主神と国造りを行ったスクナヒコナがお隠れになった場所でもあるけど、あんなに燃えててOKなの? スクナヒコナ死んじゃうよ?
⇒常世は映画独自の解釈かも。地名(?)が同じだけで、Apple Store 銀座があるほうの銀座と戸越銀座ぐらい違うとか。燃えてる銀座はヤダなあ。
日本の世帯年収ってさ30代の中央値は500万円~550万円の間で、20代ではは300万円~350万円くらいなわけ。
(この年代をチョイスしたのはこの年代が子供を作るか作らないか考えてるメインの世代だと考えたから)
すげえざっくりと500万から350万円でそのまんなかくらいを425万だとしてみるよね。んでもって、相対的貧困を更にその半分だとする(本当はもっと違う計算なのだけど、ここでは話を丸める。誤差が数百万なんてことはないので)。
とすると年収425万円付近が「結婚&子作り世代の普通(中央値)」で、425万未満だけど213万以上くらいが「結婚&子作り世代の下流だけど相対的貧困ではない」で、213万未満が「結婚&子作り世代の相対的貧困層」だということになる。
この辺は別に俺の気持ちや考えの話じゃなくて、今のデータだとこうですよねって話ね。もちろん細かくソースに当たれば数値は変更されると思うけれどかと言って数十万動くことはないんじゃないかな。おおよそこんな感じなのが今の日本の姿。
んでもってさ、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが、子供を作れないってのは、やっぱり国造りとしておかしいよね。おかしい話なんだけど「だから所得を上げろ」ってのがもっともっとおかしいでしょ。だって現実に俺らの収入はそうなんだからさ。
いやもちろん、国に対して「国民の所得を上げろ」って要求することそのものはおかしくないよ。でも「まともな子作りや子育てできないので上げろ」ってどう考えてもおかしいでしょ。だってその「まとも」っての基準を勝手にでっち上げてるのは国民側なんだからさ。マッチポンプないいがかりもいいところじゃない。
結論から言うと、いまの子作り&子育て収入直結論がおかしいのはここで、子作り&子育てのハードルを一方的に上げて、そのハードルを超えられないとギャーギャー喚くっていう論理の組み立てでさ。
もちろん上を見れば上があるってのは前提の上でだけど、「結婚&子作り世代の世代の普通(425万くらい)」ひとが子育てしようと思ったら、その収入にふさわしい子育てがあるでしょ。「普通の世帯収入の子育て」なんだから、それが「普通の子育て」なんだよ。習い事に複数行かせるのとか、毎年海外旅行に行くとか、お金がかかるスポーツをやらせるとか、予備校に行かせるとかは「普通じゃない」わけ。もうちょっと下を見れば、いまWebで公表すればネグレクトだと叩かれるような育児(もしくは育児放棄)――たとえば購入する衣類の数が少ないとか、昼間の間子供を放置するとか、公教育以外の教育をスキップするとかも、それが年収に基づくものであれば「当たり前」だと認識すべきなわけ。年収250万くらいでも子供を作って子育てして、その金額なりに首元がだるくなったTシャツとかで放任教育するのは「やって良いこと」なんだよ。そういうのを汚れた何かのように社会から滅却しようとすれば、子供なんて減って当然なんだよ。
それが普通ではないなんだか暴走した議論の渦中にあるのは、バブルとか少子化によって子供にかける投資が加熱して、それがマスコミやWebっていう偏った虫眼鏡で歪んで拡散されたせいで、「これくらいは子供にしてあげるのが普通だよね」みたいな風潮が蔓延したせいだよ。すげえ露悪的に言っちゃえば、意識の高いママ&パパが、うちの子自慢(に見せかけた自分自慢)をする道具として「わが家ではこんなふうに贅沢な子育てしてます」ってのをSNSで発信して、それを見てる側が真に受けちゃったみたいな話だ。SNSのグルメ自慢とおなじで、ある人が3000円のランチの写真を投稿してたとしても、その人が毎日3000円のランチを食ってるわけではない。のだけれど、なんか、「その程度の生活水準が普通」という共同幻想だけが肥大して、3000円のランチを食べられない人たちの怨嗟と劣等感だけが膨らむみたいな話だよ。
「この程度のお金はかけてあげないと子供がかわいそう」「子供の将来に禍根を残します」とかはっきり言ってほとんど全部詐欺でしょ。そらまあ、大学出たほうが生涯年収上がるとか、そういうのはあるよ。あるけれども、そうであるからといって「そうであるのが当たり前で、そうでないものは当たり前未満でマウントして良い」とはならない。夏休みなどの長期休暇で子供を旅行(特に自然の中に)連れ出してあげないと情操教育上で「問題がある」みたいな触れ込みで、昨今、キャンプスクールとかが流行ってるわけだけどさ。そういうのに申し込みしてお金かけないと子供が劣った何かになるとか、どこの寝言だろう。みんなが大好きな高度成長期をささえた日本人は別段キャンプスクールも大学も前提とはしてなかったわけでしょ。回顧ってわけじゃなく、今の時間軸に問題を限定したところで他国とそこに差は対してない。
こういうこと書くとWebでは虐待主義者みたいに言われるけれど、子供なんてほっといても育つよ。っていうか、そういう前提で、なおそこから「それでもできること」を積み上げるのが子育てでしょ。そうじゃない限り無限にハードルがあがって、失格両親狩りが繰り返されるだけだよ。まあ、いまそうだから少子化なのだとは思う。
だから少子化を解決するのに多少援助金を入れたところで意味なんて無い。マウンティング合戦が現在状況の本質なんだから、お金いれても収入上がっても、無限にハードルがあがっていくだけだよ。今までの歴史&海外の状況を見れば「海外留学に行かせるくらいがまともな教育で、それ以下の家庭は子供を作るべきではない」とかすぐにそこまで行くよ(発展途上国の富裕層の一般的発想だ)。「年収200万円以下は〜」なんてのはまさにその系譜だ。
問題なのは気の狂ったマウンティング欲求と、子育てを自己表現(で他所の家庭に自慢する道具)だと勘違いしちゃった両親と、そういうのに煽られて拡大報道しているメディアであって、もっかい「今の日本の実情に沿った、身の丈に合う子づくりと子育て」を考えない限り、何の解決もしないよ。
これを"思い込み"と表現しても良いし、他には"勘違い"だったり、過激な表現を使えば"無知"と言って良いかも知れない。
それは別にTwitterユーザやはてなユーザだけでなく、当のMastodonユーザですらMastodonというSNSの認識へ対して憶測を話してしまうことがある。
今回はその憶測を解いていこうかな?と思う。
もちろん開発がオープンで行なわれており、そういった自由さはTwitterよりもある。
しかし、言論の自由がTwitterよりもあるのか?と言われると「インスタンスによる」としか言いようがない。
なぜなら中央集権ではないMastodonのルールは、そのインスタンスの管理者が法令に背かない範囲で定めるからだ。
Mastodonでは独裁体制を築く自由すらあると考えなければならない(インスタンス登録ユーザがついてくるかは別として)。
現在はTwittetよりも圧倒的にユーザ数が少なく、そのため話題のバリエーションもTwitterよりは抑えられているという傾向はある。
しかし、もしTwitter並のユーザ数となる未来を想定した場合の心的ストレスはそこまでTwitterとは変わらないことが予想できる。
個々のユーザは自分の発言に対して責任を持たなければならないのはTwitterと全く同じで、責任の重さから来る心的ストレスは絶対にある。
Mastodonにはいわゆる"テーマ系インスタンス"と呼ばれるインスタンスが存在する。
Twitterにはないローカルタイムラインが存在し、まるでチャットのようにコミュニケーションをすることが可能なので、コミュニケーションには他のユーザのフォローが必須なTwitterよりはコミュニティを形成しやすい。
しかし、これによって一部のMastodonユーザの中でMastodonというSNSへ対して誤解が生じる原因にもなっていたりする。
これについて語っていこう。
これがMastodonを運用するにおいてイメージしやすい前述したテーマ系インスタンスである。
テーマを絞り、参加するユーザの趣味趣向を近付けることによってコミュニケーションをするローカルタイムライン派。
ローカルタイムラインによってコミュニケーションを行なう場合はユーザフォローは必須でない。
そのインスタンスへ登録しているユーザの公開書き込みはすべてローカルタイムラインへ公開されているのでフォローする理由に乏しいのだ。
しかし、Mastodonにはホームタイムライン派と呼ばれる層も居て、自分の使い方がMastodonすべてでの使い方だと勘違いしてしまうと、考え方の違いによって衝突する可能性が出て来てしまう。
例えばユーザ数が数万も居るようなインスタンスではローカルタイムラインの流速は物凄く速く、人間では読むに堪えない。
そのためユーザ数が数万も居るようなインスタンスではTwitterのように気になるユーザをフォローしてホームタイムラインをメインとして運用する手法がスタンダード。
こういう使い方では単にユーザ数の少ないTwitterでしかないので、Twitterをヘビーに使っているユーザからするとつまらない可能性が高い(面白そうなユーザの絶対数も少ないため)。
ローカルタイムライン派は基本的にフォロー機能の価値が低く、その発言は自身が所属するコミュニティーへ向けて発信されていることが多い。
逆にホームタイムライン派はフォロー機能の価値が高く、Mastodonは他のインスタンスのユーザもフォローが可能なので、ここで認識の違いが生まれる。
ホームタイムライン派はインスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れているので、インスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れていないローカルタイムライン派へ何らかのアプローチを仕掛けてしまうことがある。
その際、ローカルタイムライン派は困惑した状況へ陥ってしまう可能性が高い。相手へどのようなノリで返信して良いのか判らないからだ。
更にはより閉じたコミュニティーであれば他のインスタンスからアプローチを仕掛けられること自体が不快であると感じてしまうことすらある。
しかし、こういうローカルタイムライン派へ「そう思うのであればMastodonを使うこと自体が誤りじゃないか?」とアドバイスしても、単にそれは「お前の中ではそうなんだろ、お前の中ではな」という話にしかならないので無駄。
これはそれぞれの価値観の話でしかなく、不快かそうでないかは話し掛けられた方の主観でしかないので話し掛けられても良い気分のときもある。それは人間だから仕方ない。
想像力の逞しいはてな民であれば、ココまで説明するとココからどんな問題が発生するか?という想定はいくつも出来るだろう。
Mastodonはそういう意味ではTwitterよりもコミュニケーションが大変になる可能性はなくもない。
どんなに社会通念上の倫理観で非難すべき発言であれ、そのインスタンスが「当インスタンスでは、この系統の発言は許容されている」と非難されるべきユーザを庇う可能性がある。
その際、非難した側のユーザは身を引くか、更に広く社会へ訴え出て、庇ったインスタンスへ非難を表明するかのどちらかになる。
これはもはや現実世界の国家へ個人が非難を浴せる、もしくは国家間紛争と変わりなく、MastodonとはそういうSNSなのだ。
これを認識せず「MastodonはTwitterよりも気楽」と安易に考えてしまうのは早計である。
国であるからこそ、それぞれの思想によって自由に国造りをすることが可能。
奨学金が充実してるというけど一流大学は基本私立だし学費は年間500万円、公立でも200万円する
奨学金のこと言う人はなぜかもらえる前提だけど、みんなもらえるなら学生ローンで苦しんでるアメリカの学生の事情がニュースにならないわけで
ちょっと都合よすぎる話だと思うんだよね、知らないならアメリカ 学生ローンで検索してみたらいいと思う
参考:http://toyokeizai.net/articles/-/167691
参考:https://cdn.statista.com/chart/15235/outstanding-student-loans-in-the-us/
あと、奨学金じゃなく学生ローンに名前変えろっていう小細工系の意見もアメリカを例に考えれば意味がないってのが分かるよね
ドイツの国立大学は学費が無料だ!と思うかもしれないがその犠牲が進路選択に出る。
なんとドイツは小4で進路が決まるんだよ!小4!ドイツも義務教育は9年なんだけど、小学校は4年までで、その時の成績で進路が決まる
成績の悪い人が行く職業訓練校みたいなMittelschule(昔はHauptschuleと言われてた)
中くらいの成績の人がいく専門学校みたいなRealschule
そして大学へ行く人向けの予備校みたいなGymnasiumに振り分けられる
最近は多少緩和はされてMittelschuleやRealschuleから大学行くこともできなくもないけど、基本は小4で決まるんだよ
たしかに学費は無料かもしれないけど、言ってみれば実りが小さそうなやつを選定するという結構きついことやってるわけ。ほぼ優生学だよ
日本の奨学金の話だけど、いってみればグラミン銀行みたいなもんだよ
グラミン銀行ってしってる?はてなの人は知ってるかもしれんが、ノーベル平和賞をとるくらい世界的な評価されたバングラディッシュの銀行
この銀行が面白いのは金利の低い銀行では借りられない人に、高利で貸してあげたのよ
なんで高利貸しなのに評価されたのかというと、そもそも普通の銀行で低金利で借りれる条件は信用できる肩書でなければいけない
だから本当にお金に困ってる貧しい人はお金を借りる立場にすらなれなかった。
それを金利は高いかもしれないけど審査基準を下げる高利貸しなマイクロファイナンスを作ったら、お金に困ってる人が助かるんじゃないかってことだった。それが評価されたわけよ
女性の自立にもつながったりとか、その辺が評価されたからノーベル賞を受賞したんだと思うよ。高利貸しが弱者を救った面白い話だよねこれ
給付型の奨学金は聞こえはいいけど、それがもらえるのは限られた人で成績上位な優秀な人に集中するのが目に見えている
そりゃそうだよね、給付の奨学金なんて成績優秀な人以外にもあげたらパンクしちゃうもん
本当に助けなければいけないのはそこから漏れる、微妙なラインの人たちじゃないのかって話なのよ
だって給付型にして奨学金もらえそうな頭のいい子って、裕福な家庭だったりするんじゃないの?
たとえば東大生の親の年収は1000万超えてるのが普通だったりするわけで
たとえばそもそも働いて返せないっておかしいじゃんとか、そもそも大学多すぎない?とか、そういう方向で議論するべきだよね
ドイツの小4は極端だけど、高卒でも食っていける国造りのほうがまっとうな気がしますよ僕は
学歴別の給与差のグラフをバーンと張り付けて、大卒と高卒でこんなに違います!とか煽って、大学進学させようって躍起になるけどさ
なのにはてなは学歴エリートが多いからさ、もっと大学行けって思ってる連中の巣窟なわけで、そういう発想はできないよね。
給与格差って学歴じゃなくてある程度は相対的なもんだから、みんなが大学行ったら大学いっても食えない人出てくるよねそりゃ
最近、女性差別や男性差別のキーワードを聞くことがネット以外でもニュースや新聞で見ることが多くなったと思う。
例えば、女性は男性よりも犯罪率が低いし、女性は男性よりも弱い
社会は女性を優遇しようとするのも当然だし、女性に配慮する国造りは良いと思うしとても素晴らしい。
でも、アルバイトをし始めた頃の学生だと男女あまり収入は変わらないと思う。そこから女性を優遇し始めるのは違うと思う。
その分頑張ればいいのだ、男性のほうが出世の機会は多い。というのも自分もそう思う、その通りだ。
しかし、それでも安く美味しい外食も安く治安が良い出来たての賃貸も男性には無い。どれだけ頑張っても、女性と同じ場所には立てない。
自分は、このような配慮などではなく女性の時給のアップと就職しやすいようすることや出世する機会を与えて行くことだ。
男女平等とは、男性も女性も頑張れば頑張った分頑張りを評価されその分返ってくる社会だと。
頑張って勉強して、名門大学を卒業した者は男女関係なくいい会社に就職し、良い家庭を築くべきだ。
頑張って勉強して、名門大学を出たのに、性別の理由で能力はあるのに落とされるのはあってはいけない。
当然、怠けてしまった者は、男性であろうと女性であろうとそれだけ頑張って怠けてしまった分取り返して行かないといけない。
少し話は逸れるが、例え怠けてしまってもそこから人一倍頑張れば放浪していた事は関係なく同じようにその頑張りは評価されるべきだと思う。
最後に、女性は男性より体が弱く社会的地位も低い。しかし、今その環境をどうにかしようと女性が動き出して変えようとしている。
しかし、大体はその結果「女性が楽するための」物が出来上がっただけだ。
何度も言うが、本当の男女平等とは
トイレの数でも、体の違いでも、無いと思う。
ただ・・・これは自分が25年間生きてきた中で感じた事なので、賛否両論あると思う・・・。あとは、少し仕事が辛くイライラしていたのかもしれない・・・。とにかく、
ロイヤル肉(以下略)さんではなくて次女となのか。さらに年は離れるが、まあ無難な選択だろう。
ロイヤル肉さんは以前、問題になったエディンバラ大学留学時のmixiで、「女王としての身分がある限りお金が支給されるけど、結婚したらゼロになる」みたいな事を書いてたんだけど。
出雲国造の千家家(出雲大社世襲)だったら、女王として支給される額なんて鼻で笑えるくらいの世帯収入があるからなー。財産も凄いし家柄も古い。華族にも名を連ねてて、元男爵。
妹の方が遥かにうまくやったな。もちろん両家の意向もあるんだろうけど。
そもそも、皇族なのだから貧乏な家にはそもそも嫁ぎようがないんだし、ロイヤルさんは心配する必要のない事を書いてたんだよな。今考えると。
mixiなんてやらなければ、今頃国造家に嫁に行くのはロイヤさんだったかも知れない。
まあロイさんも十分にほとぼり冷めたらいずれは家柄のいいお金持ちのところへ嫁ぐんだろうと思うけど。
それに国造家って大社の隣に建ってる古い古い大邸宅で、当主が出勤する時はかばん持ちがついたりして、まあなんというか全然時代が違うからなああそこらへんだけ・・・。皇族から頂くお嫁様だとしても、大変は大変かも知れない。
やっぱり皇族のお嬢さんがお嫁に行くなら、成金(戦後勃興クラス)の資産家あたりにしておいた方が、一番気楽なのかも知れないな。
家や宮内庁に許されるかは別として。