はてなキーワード: 夏休みとは
これは足を踏み入れるまでは本当に得体の知れない世界だったのですが、知人にふんわりとすすめられかなり前に該当コンテンツの楽曲を拝聴いたしました。(夏休み前か夏休み中だったと記憶しています)
韻踏み音楽は荒々しく勇ましい男達の物であると認識していましたので、韻踏み音楽で戦闘というテーマは私の認識とバチコイはまり、各楽曲の方向性にもバチコイはまり、今も気分をバチコイ高揚させながら聴いています。
私は乱暴な言葉遣いばかりする架空のキャラクターがとても好きなので、楽曲も物語音声も非常に好感触かつ癖になるものです。
物語音声の言い争いを聴いている気分は、まるで駅などで目もあてられないほどの口喧嘩をするオッサン方や、そのほか関わりたくはないけれどなぜか目を向けたくなってしまう揉め事を直に耳へぶち込まれているような気分です。恍惚。
そして、楽曲を聴いていて心から思います。この世の揉め事、言い争い、喧嘩から暴力が消えて韻踏み音楽で埋め尽くされればいいのに、と…。
韻踏み音楽は、邦楽や洋楽とは全く違う音楽であると考えています。(優劣ではありません)
ましてや、韻踏み音楽で戦闘するのなら尚更違います。言えば、韻踏みは攻撃なのです。戦闘相手を全力で潰すという感情が荒々しい言葉(韻踏み)になり、精神干渉拡声器を通して拳や剣や弓矢、剥き出しの暴力へ変わるのです。これほど興奮するものはありません!!ヤバいです。
とは言っても、物語音声の中で語られている通り、人物皆が韻踏み音楽を攻撃として扱う訳ではありません。攻撃や防御や回復、色々な風に韻踏み音楽を扱うのです。ほとんどの人物が攻撃手段としていますが。
精神干渉拡声器というものが人々をなぜ熱狂させ、時に狂わせ、溺れさせてゆくのか。そもそも、この世に存在するあらゆる架空コンテンツすべてはなぜ人々を夢中にさせるのか…。
いやもうこの際そんな事はどうでもいいです。韻踏み音楽で敵を次から次へ潰し自分たちの信念を貫くための戦闘を続ける。そんな彼らを本気で応援したい。むしろ精神干渉拡声器による効果さえ受けたい。
見世物と認識し彼らを見るのも良いです。そうやって何度もわたしは思いを馳せました。ですが、最近は「軟弱な癖に口は達者な殿方になり彼らにちょっかいをかけ韻踏み音楽で生きることが困難になるまで攻撃をされたい」という感情がより強いのです。
もちろん楽しみ方は人それぞれ。私のような方もいれば真逆の人もいるでしょうし、まだ楽しみ方が見つからない方もいるでしょう。大丈夫です。音の前では皆同じです。
地域別韻踏み音楽戦闘の最終戦闘の告知もあったと聞きました。燃えます。灰になるまで韻踏み音楽を楽しもうと思います。
この日記、書いていてとてもたのしかったです。チラシの裏そのものではありますが自分の「好き」を言葉にするだけでもその「好き」は何倍にも何十倍にも何百倍にもなるものです。
刺激の足りない日々のなか希死念慮に追われるばかりでしたので、本当にこのコンテンツに出会えてよかったです。楽しいです。私はこれらがとても好きです。
ありがとうございました。
なんとなくの目標で、なんとなく遊びながら勉強やってたら、なんとなく最高峰の大学に入ってしまった。
別に地頭がよいわけではなく、むしろ悪い方だと思う。でも、ひたすらの傾向と対策で受かってしまった。受かってしまう。おい◯大!こんなやつ受からせていいのかよ!と叫びたくなる。
んで、当然立派な目標などあるはずもなく、だらだら過ごしていた前期の単位はぼろぼろだった。
夏休みに入って、これじゃ不味い、最高の機会を逃すのはもったいない、親にも申し訳が立たない、と思い直して、色々動いて多少はましな意識になった。
でも結局何がやりたいんだろう。分からないが、再履修で挽回できる単位は挽回して、各所に参加して、精一杯やろう、という後期の抱負。
作者の死がきっかけになるのもどうかと思うけど
どうしても懐かしくなってしまってアニメ見返したりまんが読み返したりしている
まる子がちょっと日常を飛び出したり身近な人の普段見ない側面を発見したりする回が楽しい
いつでもあの一編を読めばいやな日常から離れてキラキラした甘い南の島を味わえる感じがする
A Jolly Dayっていうまるちゃんがもっと小さい時の小さい(本人には大きな)冒険譚も楽しくかわいい
先生の家に遊びに行く回もいい おばあちゃんの家に行く回も楽しい
フランス料理食べに行く回も花輪くんちに行く回もヨッちゃんの彼女が来る回もいいな
まるちゃんとおねえちゃんが留守番して二人でカレー作る回も好き
おねえちゃんとは母の日にもグラタンとサンドイッチを作っててそれらがやけにおいしそうで
なんか懐かしくてほんとどんどん思い出してしまう
SCHOOL OF LOCKとは「ラジオの中の学校」という設定の中高生をターゲットにしたラジオ番組で、平日22:00~24:00に放送している。
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[高3男子]
自分は中2の一学期からいじめられるようになった。(おそらくハブられるとか聞こえるように悪口言われるとかいう類のいじめ)
そこで夏休みの間、「いじめているやつらと距離を詰める」作成を立てた。
具体的には、遠くで自分の悪口をしていたら敢えて「何はなしてんの?」と積極的に話しかけていく。
彼らが自分と距離をとって、それでいじめを成立させているのであれば、
夏休み明け、登校に恐怖はあったが、失敗してもいいから考えたことを実行しようと思っていた。
この一歩を踏み出さなければ自分は何も変わらない、間違っても何言われてもいいからやってやろう、という気持ちだった。
話しかけてみるとまず相手はびっくりして、自分から離れていく。急に話かけられてやはり相手は驚いていた。
だから何回も何回も繰り返した。何回も話しかけるようにした。いつの間にかだんだん距離が縮まっていった。
[パーソナリティ]
[高3男子]
いじめられて孤独になったときは、自分はいらないんだと感じていた。
でも死ぬのはダメだと思った。自分が亡くなっても喜ぶ人間は一人もいない。
いじめた人たちですら自分が死んだことで、喜ぶことはできないと思った。
むしろ自分がもし死んだら、いじめていた人達は「人ひとりを殺した」という罪悪感で、この後の人生が壊れるのでは?と思った。
自分がいなくなったことを想像した。いじめによる自殺のニュースを見た。
自分が死んで取り返しのつかないことをしたら、いじめた人間が罪を償えるチャンスもなくなる、更生するチャンスもなくなる。
死なないで、自分がいる中で、この問題を解決していこうと思った。
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聞いてたら目頭熱くなってしまった。
「聞こえるように悪口を言われる」ことに、「敢えて話かけにいく」って絶対できないやつだよね。
頭の中でそういう行動とれる自分を想像して、でも実際にはそんな勇気のない自分に絶望するやつだよね。
そもそも上記の話は、別の子のいじめ相談の中で出てきた話なんだけど、
その子のぐちゃぐちゃなメンタルとか(ナイフを持って家飛出し、ナイフを地面に叩き付け、自分が怖くなった、という話が聞いてて本当につらかった)
もとても印象的だった。
中学生に「音楽がきらいな人っているんですか?」という純粋な質問されたときのサカナクション山口一郎の話とか、
とにかく全体的に色々考えさせられる回だったので是非聞いてみてほしい。
小6男子母。
上の子達から振り返ると、10年以上続いた小学生母としての夏休みが、ついに終わる。
18年続いた100shiki.comの更新終了が記憶に新しい、平成最後の夏休み・最終日。
ストレスetc、色々溜まってくる時期なのが可視化されてる感あり。
我ながらある意味安定しているな、と(苦笑
テーマはバラバラだけど、愚痴っぽくて大爆発しているのも当然あったし、
過去の大きなトラウマを書いてみたら意外に反響があってビックリ、というのも。
子どもネタで相談してみて、めちゃくちゃいい知見が集まって、これこそ書いて良かった!と思うのもあった。
長期休みは、気分の落ち込みがかなりあって、弱い自分にイラッとする。
今年は特にヒドかった。
どう考えても、フルタイム勤務のお母さんたちと比較すると、労働環境はマシ。
なんだけど、
いっそのこと「子どもと一緒に仕事休みます!」と宣言した方が潔いぐらいなんだけど、レギュラー仕事もあり、そうもいかず。
明日から、上の子達向けのお弁当作りが本格再開するから早朝起床も復活するけど、末っ子の小学校が再開すると思うと、ものっすごく嬉しい。
育児でスローペースにならざる得なかった20代後半から30代も終わって、40代に突入した今、自分の仕事スピードがあまりに落ちている事に愕然とさせられる事も増えてきたけど、細く長く続けてきた事が、40代後半や、50代以降で思い描いている方向できちんと形になることを願うばかり。
後日、俺はマンションで起きた怪奇現象を、大家に包み隠さず話す。
大家は疑うわけでもなく、あっさりと話を信じた。
そして、確認のために俺の部屋である104号室を見に行くことになった。
「まあ、同意の上でとはいえ、仕事を紹介したことに負い目はあったからな」
その場には、証人としてタケモトさんと弟も来ていた。
「じゃあ、104号室。入りますね」
大家が104号室の扉をあけようとした、その時ーー
「その前に、103号室を見てもいいですか?」
「え、そっちは空き家ですよ」
だが、驚きはしない。
「ええ、でもそこから内線がかかってきたのが気がかりなので、確認のために」
「はあ、分かりました。でも何もないと思いますけどねえ」
「ほら、何もないでしょ」
当然、そんなことは承知の上だ。
「俺は心霊現象だとか、そういうのを信じないタイプなんですよね。でも案外そうじゃなかった」
俺は唐突にそう語り始める。
「はあ、そうなんですか」
「心のどこかではまだそういうのを信じていたから、そういう考えになってしまった。そんなものに気を取られず、もっと冷静に考えればいいだけだったのに」
勿体つけるように、迂遠な言い回しをしながら室内をグルグルと回る。
「えーと、つまり何が言いたいので?」
「とどのつまり“前提”なんですよ。今まで起きた出来事を“どういう前提”で考えるかが重要なんです。これまでの出来事は“心霊現象という前提”などではなく、“初めから人為的なものによって起きたという前提”で考えるべきだった」
俺がそう言った時、大家の顔が一瞬だけ引きつった。
「例えば、エレベーターの窓から人が見え続けていたのは、そういう形をした、裏表で絵柄の違うステッカーなどを貼っていたからでしょう。その後は見かけなかったので、すぐに剥がされたのでしょうけど」
「103号室から来た内線は何てことはありません。実際にここ103号室からかけてきただけです。この部屋に堂々と入ってね」
その他、俺の身に起きた心霊体験も全て否定することは可能だが、長くなるのでこの辺で本題に入ろう。
揺さぶるなら今だ。
「そんなことが出来る人間、そんなことをしても咎められない立場の人間……そうなると答えは自然と導かれます」
俺は大家の方を強く睨みつける。
「な、何を……なぜわたしがそんなことをしないといけないんですか」
「それはこっちが聞きたい」
「そんな推測で疑われても困りますよ。わたしがここに入った証拠もないのに」
「証拠ならありますよ。この部屋にあった青い布の切れ端。あなたが今着ているのと同じだ。つまり、あなたは最近ここに入ったということ」
「ち、違う! それは自分のじゃない。昨日だって赤い服で……あっ!」
当然、これはブラフだ。
俺が長々と喋っている間に、弟にこっそりと服を切らせた。
「語るに落ちたな」
相手が自白してくれるよう他にも証拠をたくさん作っておいたのに、まさかここまで早く落ちるとは。
こんな間抜けなヤツに今まで踊らされていたかと思うと、我ながら情けない。
「まあ、とりあえず……社会的な制裁は勘弁してやるから、俺の個人的な制裁に付き合ってもらおう」
こうして俺の一人暮らしのバイトは夏休みの終わりと共に終結した。
夏休みボケを治す一環のバイトとしてはビミョーだったが、上等だと思い込もう。
後にタケモトさんから聞いたことだが、どうやら俺の住んでいた部屋はかなり状態が悪かったらしい。
大家はリフォーム代をケチりたかったが、このままだと誰も借りてくれない。
案外そういうところに住みたがる物好きがいるらしい。
その自作自演に、俺は付き合わされたってわけだ。
「このテのパターンだと、怪奇現象の中の一つは本当の幽霊の仕業だったとかいうオチが鉄板だけど、ことごとく大家の仕業だったなあ」
「いや、そのパターンにしても今回のはくだらなさすぎるだろ」
とはいえ、怪奇現象、心霊現象なんて冷静に見れば大体くだらないものなのかもしれない。
「あ、ひょっとして、よくよく考えてみたら怖い話ってパターン?」
「お前は一体なにを期待しているんだ」
基本的には何をやっても良く、時折とんでもない研究作品が出る事も多々あるが
そもそもまともに自分で考えて出来る子供など殆どいないため、大体は親がその大半を担わなければならない
はっきり言って、何の意味があるのだろうと子供の頃は考えていた
大人になり社会人となり、様々経験を得た今、個人的に夏休みの自由研究の目的とは何かを考えて、至った結論を持論としてまとめようと思う
まず最初に結論を書くが、夏休みの自由研究の在り方や目的は『結果』よりも『過程』が最も重視されるものであると考えている
時折凄まじく、大人でも唸るような自由研究が生まれてくるが、それはよほどの熱意を持ち元々の蓄積が無ければ出来得るものでは到底無いし、普通の小学生に求めるのは酷な話だ
そもそも大学生であっても、そんなものは卒業レポートとして提出レベルになってくる
そして『過程』を重視するのであるのならば、テーマは何でもいいのではないかと思う様に至った
正直、ここから先はかなり個人的な意見にはなるので、一般の感覚とは少し離れるだろうしこうしたものは認めないという人も多いだろう
だがしかし、飽く迄も『自由』な『研究』という名目なので、悪いことをしないのならば基本は何をしても良いと私は解釈する
さて、前置きをした所で
何を調べるのか、これが定まらないのであれば自由研究など進まない
そもそも子供の主体性を伸ばしたいという様な思惑も含まれるだろう事は自由研究という名前からして感じるのだ
ならば私は『その子が、今最も好きな事、好きな物に対して調べさせる』のはどうかと思う
そんなことは言われなくても、誰もが分かっているだろう
だが、好きなことが分からない子が大体だろう
だから、なんでもいいのだ
その子が、今一番ハマっている事を言わせて見ると良い
スポーツでも良い、料理でも良い、TV番組でも、youtuberの作品でも、ゲームでもアニメでも良い
その好きな事に対して、なんでもいいから調べてみるのだ
例えばスポーツで、野球が好きならば、変化球の投げ方を研究したとして毎日ボールを投げてみて、どうすればどう動くのか書きだしてみれば良い
最後に自分の感想を入れて締め括ればそれで立派な自由研究ではないだろうか
やるのが好きではなく見るのが好きなであるなら、甲子園などの試合を見て、試合ごとに自分の解釈を乗せて書いていけば面白いだろう
本を読むのが好きなら、作品ごとに考察を入れて、この時登場人物がどんなことを考えていたのか考えてまとめてみたらどうだろう
読書感想文と似ているが、形式に囚われず好き勝手に考えて書き出すのだ
いっそ自分で小説や漫画を1つ書いて完成させるくらいしても良いだろう
アニメも同様だ、1つの作品を一通り見て、それについて感想を述べるというのも面白いのではないか
今アニメで放送されている『はたらく細胞』を見て、各細胞の働きをまとめるという発展だってあり得る
だが私はそれでもいいと思える
例えばだ、対戦型ゲームなどで、それぞれのキャラクターの戦法を調べるなど面白いと自分は感じる
wikiに乗っていたとしても、自分で調べてまとめるというのは、十分に研究の1つだろう
実際にそれを自分でプレイして、思ったことを感想として書き込む
全部は無理ならば、いくつか絞ってそこに焦点を当てるなどすれば良い、そしてやりこむのだ
RPGであっても、どうすれば効率よく進められるか、レベル上げに適したところはどこか、この敵はどんな戦法が効くのか
wikiで調べてまとめるなり、逆にwikiに一切頼らずクリアしてみるなり、要は何をやったか一々書き出すのだ
wikiではこう書いてあった、でも自分でやってみてどう思ったか書いてみれば凄く頑張ってる感じもする
自分が調べたいと思った事柄を、自分がやりたいように調べる、あるいは作る
それをまとめて1つの成果として完成させる、十分ではなかろうか
このように、自分の好きなことを1つ、なんでもいいから言わせて見て、それに対して何か調べさせるといのが大事なのではいか
対象が何であれ、調べる、実際にやってみる、形にしてみるという『成果』が得られる
というのも社会に出て大事なのは、トライアンドエラーなど実際にやってみる、そして自分なりに考える、だと思うのだ
現状を分析し、あらゆる角度からアプローチをし、少しずつ条件をかえて進める
興味がある事柄に関してまず調べる、調べたうえで考える、立派な研究ではないか
そうやって改善していくのだ
冒頭でも語ったが、小学生などが出来る自由研究なぞたかが知れている
しかしそれを毎年繰り返していけば、年齢が上がるにつれ質は上がっていくのではと私は思う
これが私が夏休みの自由研究というものについて考えて至った持論だ
正直、実際に行うにはかなり反発があるだろう
特にゲームに関して調べましたと言えば、中身も見ずに激高する教師が多数いるのはまず間違いない
これらの研究結果という代物を受け止め、そのうえでアドバイスが出来る教師の度量なども必須になってくる
やり方も分からずテーマも決まらず、ただ自由研究をやれと言われてぶん投げられるより、好きな物に関して調べてこいと言った方が確実にやる気が高まる
ゲームだから駄目だ、などと言われず、ゲームでも良いとすれば視野も広がる
可能であれば、夏休み前などに教師などの大人がある程度誘導してやるのが好ましいのだが
好きなことを聞き出し、そのうえでどんなことをやらせればいいか、など
勿論全く興味がない物を押し付けたのでは、まず子供は絶対にやらないと断言できる
結果、夏休み終了直前に嘆くのだ
まあ、子供の興味などコロコロ変わるので、始まる頃には飽きて結局終了直後に嘆く子も多いだろうが
もちろん、既存の自由研究の様なテーマを行うのもそれはそれで良いだろう
自由研究キットを買ってやってみるというのも否定はしないし、実際にやってみるという成果が得られるのだ
だが、結局やらされてる感がある物よりは、自分の好きな物としてやらせる方が記憶にも残るしやる気も出ると私は考えている
……因みに、今の私がこれらの前提で自由研究を行うとするのなら
元々銃器類が好きなのもあるので、この際だからと各国の銃器の歴史を年代別に書き出して、どう進化していったのか表にまとめていくのも面白いなと感じている
大半がwikiなどに乗っているが、それを年代別に並べて見やすくするのだ
これはこれで中々いい自由研究になるのではないだろうか
夏休み明けは自ら命を絶つ子が多いという。
ここ数年、そんなわけで夏の終わりにいじめられている子へのメッセージを著名人が流している。
響かない。
どれも響かない。
その理由はいくつか思いつくのだが、最大のものをひとつだけ書いておく。
受験なら内申書もからむ。内申点には通学実績やテストの評価も加味される。
登校→授業&テスト→評価で進学先、ひいては就職先が見えてくる。
有名人は割と簡単に「辛いなら学校に行かなくてもいいよ」と言う。
しかし前述のシステムがある限り、学校に行かない選択をした方はかなりの不利益を被る。
学校に行けなくなった原因を作ったいじめっ子たちはウェーイと騒ぎながら学校生活を謳歌し社会の波にも乗っていくのに。
自分自身もひどいいじめに遭って登校をためらった。何度も死のうとした。
両親はまさに「学校になんて行かなくてもいい」と言ってくれた。それには感謝もしている。
しかし子供の自分でも思ったのだ。何でいじめ被害者が折れなきゃならないんだと。学歴につながる手段を絶たれてたまるかと。
(これには両親が中卒で苦労していたのを察していたから自分は絶対に学歴をつけようと思っていたのもある)
進学先で人間関係リセットできる幸運に恵まれていま生き永らえている。でもこれもたまさかだと思う。生きていることが絶対に尊いかは断言できない。死にたくはないが生きていたいわけでもない。
#8月31日の夜に。タグで「学校に行かなくても卒業できる」と書いている人はものすごい高学歴の有名人だ。
「長い人生から見ればたった3年、頑張ろう」で炎上している人も一般人から見たら超勝ち組だ。
なぜ休ませようとしないんだ
自由研究?ああ、やりたい子はやればいいよ
強制に ならないことが 望ましい
陛下もそうおっしゃっていたよ
って仕事渡されたらどう思う?
私が小学生の頃、親が両方器用で夏休みの自由研究など全力で手伝ってくれ、いつも私の提出物はハイクオリティになり凄いねぇと褒められていた。
しかし自分の実力じゃない物を褒められる経験は私の自主性や自尊心を傷つけていたので、私の子供の宿題は手伝わず下手でも全部実力で勝負させようと思っていた。
ドリル数冊に自由研究に絵日記にコンクールの絵に、読書感想文原稿用紙4枚。
無理だろ。
子供は平仮名とカタカナを習ったばかりでまだそれすら間違えている。
作文の書き方はまともに習ってない。
読書感想文が何なのかまだ知らない。
『きょうはうみにいきました、うみはたのしかったです。』が彼が自分で書ける精一杯だ。
どうやって読書感想文を書けと言うのだ。
子供に本を選ばせようとしたらやはり迷路ブックを選んだ、どうしてもこれと言うので試しに書かせてみたが辿々しく各ページの迷路の説明をしているだけだ。
当たり前だ、これが限界だ。
夏休み中の懇談で担任に会った時に「夏休みの宿題の読書感想文はなかなか厳しいですね」と言ったら「お母さん頑張ってくださいね」と言われた。
妹に「読書感想文を書かせるのは厳しすぎる」と愚痴ったら「去年私の息子は私が大半書いた読書感想文で賞貰ってた」と言った。
学校は子供達の力量を理解しているだろうに、何で現時点の実力で無理がある宿題を出すんだ、私は子供に自力でやらせたいのに、お前の選択だめだから私の選んだもんで私がまとめた作文を無難に書けと言いたくないのに。