はてなキーワード: 民主化とは
ストーリーを知らないという方は、検索したら出る。そんなに難しくない。
高度に進化した文明をもって、動物たちがそれぞれ共存している都市『ズートピア』。そこでノウサギのジュディが警察官に就職するんだけど、いろんな差別や偏見と闘いながら問題を解決していく、って感じ。ざっくりいうと。
さすがディズニー作品という感じで、すごくいいエンターテイメント映画でもあるんだけど、公開当初によく言われたのが、「人種差別のメタファー」とか「『ズートピア』はアメリカの比喩だ」とかだった。
たしかに、当のディズニーはそんな説教臭いメッセージを込めたとは言わないだろうけど、見ればわかる。
アメリカという社会がかかえる問題が、いろんな差異(肉食/草食、体格、生息地など)をもった動物の共存とその問題として描かれている。
しかも公開当時の2016年が、トランプが「メキシコとの国境に壁を作る」とか言ってた時期だったから、余計に刺さったわけ。
で、この間テレビ放映見てたら、もう一つ、新しく気になった点があった。
ここからは若干ネタバレになるが、劇中で肉食動物が突然凶暴化して野生化する事件が起こる。
それをジュディが上司に報告すると、水牛のいかつい警察署長がこう返す。
「おい、いまは石器時代じゃないんだぞ。我々進化した動物が、また野生化しただと?冗談はよせ」
まあうろ覚えなんだけど、こんなことを言うのね。
さっきも言った通り、『ズートピア』は主人公のジュディの姿を通して、周りの動物たちが持つステレオタイプ(そして人間がもつ偏見)をあぶり出すという構造で描かれる。
だとしたら、さっきの台詞は人間至上主義への批判なのかもしれない。
「人間はほかの生物(=野生であり、けだもの)とは違う」、さらに言えば「神から与えられた理性という特権」という信仰。
人種問題という人間同士の問題への批判だけでなく、人間そのもの(というかおもに西欧社会)がかかえてきた誤謬すらこの映画は批判しているのではないかと、そう思ったのだ。
文明化、進化、理性といったものは、不可逆で定向的だといまだに多くの人に思われている。
一度達成された工業化や民主化といった文明、サルから人間への進化、成熟した理性というのは「あるべき方向性」をもっていて逆戻りすることはない。
そしてその法則を外れた、あるいはそのレールに乗れなかったものは「野蛮」であり「けだもの」である。
そうした考え方はたしかに思想や科学の上ではすでに否定されていたことだ。
しかしそれがディズニー映画の中で意図的に行われたとしたら、これはかなわない。えげつない映画だ。
……だがそんなメッセージは物語の『主題』としては出てこない。まあ俺の勝手な思い込みである可能性は十分にある。
事態は急速に発展している。日本の革新勢力同志は、日本を取り巻く諸国と平和を実現するとの公約に忠実に精力的な活動を続けている。日本においては森友学園関連で、革命勢力の同志は大いに前進した。それは、最終的勝利への第一歩である。
他方、進歩的な外国と日本の革新勢力との間でいずれは実現すべき革命の実現を早めるため、日本の同志は、日本に国民連合政府を打ち立てて、日本の共和化にあたることになった。天皇制傀儡ファシスト政権が、このような企ては非現実的だと言ったところで無駄である。この計画が実現しつつある現実を見よと言いたい。
現在のエセ政権は現在革新勢力が置かれているこの無秩序を解決できないということが、最終的に判明したときこそ、革新勢力の同志が国外から日本社会に呼び込まれ、日本周辺諸国でとったのと同様の行動を展開してくれるだろう。
日本国民の幸福のみを願う諸国の日本国民に対する完全な保護を、今はただちに革新勢力の同志がもたらすことができなくても、それは、革新勢力の同志の誤りによるものではない。
日本国民の消極的な態度には、いらだたしいと言わざるをえない。彼らは、革新勢力に味方しないて、単にみずからを運命の手に委ねているかのごとくである。
コンデナスト・ジャパンが発行する雑誌『WIRED』日本版は、2017年12月9日発行のVOL.30を最後に、刊行を休止いたします。読者の皆さま、定期購読者の皆さまへ、編集長・若林恵から休刊と退任のご案内です。
──『WIRED』日本版のプリント版はどうなるのでしょうか?
少なくとも2018年3月発売号は刊行いたしません。その時点で定期購読も終了し、定期購読いただいている読者の皆さまにはは返金させていただきます。現時点では、プリント版の継続については白紙となっています。
──なぜ休刊するのでしょうか。
──退任されるんですね!なぜ編集長の交代ではなく、休刊なのでしょうか?
ぼくが短気を起こしました。
──短気を起こして編集長を辞めるなんて……。
ぼくは子どものころから癇癪(かんしゃく)もちで、40歳を超えたあたりから、その沸点がどんどん低くなってきて。とはいっても、クオリティについて真剣に考えると怒らないわけにはいかない。相手が誰であれ。そうしたら、なぜか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るようになりました(笑)。
この間「おっさんの話」というテーマでウェブの記事に書いたんですが、あの半分は自分の話です(笑)。
──いきなり休刊とは、急な話ですね。
外資の会社ですから、契約が切れる5営業日前に通達があって、休刊が決まりました。とはいえ、プリント版の一時休止と定期購読の停止については、なるべく早く読者の皆さんにアナウンスしなければならないので、急いでこの原稿を作ることになったんです。「最後のおつとめ」ですね。
【一周した感じ】
──最終号はちょうど30号できりがいいように感じますね。
ぼくが編集長として携わったのは、30号のうち実質28号分ですね。結果としては良い区切りだったのかもしれません。最後の特集は「アイデンティティ」で、自分の役目はおしまいです。特にこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体として存在するというよりは、「一連の流れ」のようになっていて、どんどん深みにハマっている感じはありましたし、途中からは『WIRED』のテーマであるはずのテクノロジーの話題ですらなくなってきていましたし(苦笑)。
──確かに「アイデンティティ」という特集はデッドエンドのような趣があります。
そう設計したというよりは、どんぶらこと流れに乗っていたら流れ着いてしまったという感じなんですけどね。
──次号以降の特集のラインアップなどは既に決まっていたんですか?
もちろんやりたいことはいっぱいありました。次号は「発注」というテーマでやろうとしていましたし、その後は「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」というテーマのプロットはしていました。あと、2017年に「アフリカ」特集でやったようなことを、コーカサス地方に置き換えてやれないかな、と。
──突然「コーカサス」ですか?
他にはアルメニアやジョージア、アゼルバイジャンなどですね。テクノロジー面でも進んでいると聞きますし、地政学的にも面白いエリアだから、取り上げたいと思っていました。
──雑誌としては売れ行きがよくなさそうな特集ですね(苦笑)。
そうですか? 定期購読も順調に増えてきていましたし、広告もうまく回り始めて、全体としてビジネスそのものはかなり好調になっていたんです。
2017年から本格的に始めた旅のプログラム「WIRED Real World」というものがあるんですが、これは本当に面白いんですよ。参加してくれるお客さまも面白い。お客さま同士で新たなプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事をいただくようになったり。かなりグルーヴ感がありました。それをちゃんと育て上げられずに終わるのは、残念といえば残念です。そういう面白い人たちと一緒にコーカサスに行ったらきっと面白くなると思っていたんですけどね。とはいえコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思っています。
はい。どの事業もお客さまは本当に面白い方ばかりでした。そういう方々のために、結構苦労してノウハウを積み重ねて、やっとビジネスとしても芽が出るところでしたね。毎年秋に実施していた「WIREDカンファレンス」も、年々企画の精度が上がっていて、自分で言うのもなんですが、2017年は驚くくらい面白い内容にできたんです。
──ただ、いわゆる「テックイノベーション」からは外れている感じですよね。
周りからは唐突に見えたかもしれませんね。そうはいっても、「注目のスタートアップ情報」などを最初から重点的に掲載してきたわけではありません。「死」「ことば」などの切り口は継続して存在していましたし。
──そうですね。
その上、ある時期から「スタートアップわっしょい!」のような気分も収束し始めて、面白い話も大して出てこなくなってきていたと思います。シリコンバレーはトランプ米大統領の就任以降、完全に逆風を受けてしまっているし、AIや自律走行車などの話も、いよいよ実装の段階になってくると、完全に政治と法律の話になってしまうので。
──それで飽きてしまったということでしょうか?
そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしているということだと思います。おそらく『WIRED』の発行元であるアメリカのコンデナストを見てみても、時代のフロントラインにいるのは『Teen Vogue』なんですよね。LGBTQメディア『them.』がローンチされたり、『Vogue』が『VICE』と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ」特集でも紹介した『Refinery29』のようなファッション・カルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になり始めているという、面白い状況にあります。
──なるほど。
デジタルイノベーションやデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきた中で、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどう作っていくのか、という話じゃないかと。そういう意味でいうと、結局いま面白いのってインディーズのブランド、ミュージシャンやクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするわけです。技術がどうこうという話だけではどこにも行かない、という感じが、もうここ3年くらいずっとありますね。
──AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、だいぶ前から要件は出揃っていて、それではそこからどうするのか?という感じでしょうか。
そう思いませんか?
──何かが一周した感じはあります。
2017年は、SXSWでTwitterが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目です。その間、いろいろな期待、それこそアラブの春や、日本でも東日本大震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけですが、そう簡単に世界は変わりません。むしろ、新しい困難が出てきてしまった。しかもそれは、テックでは解決できない困難だということも明らかになってきています。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきているから、哲学やアート、ファッション、音楽、文学などは、いまの時代本当に大事だと思うんです。
──『WIRED』では「テクノロジーだ」「未来だ」と取り上げていませんでしたか?
でも、そう言ってきたのと同じ分、「テクノロジー」という言葉も「未来」という言葉も好きじゃないということも言ってきたつもりです。「未来」というコンセプト自体が、いかに20世紀的なものか、ということについてもずいぶん語ってきました。
──それは冗談だと受け止められていたんじゃないでしょうか?
変な言い方になりますが、「未来」というもの捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない。それが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずだったんです。
──お疲れ様でした。
当たり前だが、ネタバレだらけだ。だが知ったことか。こんなクソ映画。
人生で一番のクソ映画だった。(いままでのナンバーワンはロボコップ3)
「ローグ・ワン」も「フォースの覚醒」も大した映画じゃないが頭には来なかった。
プロットホールは皆が話しているとおり。出て来る登場人物一人のこらずアホで感情移入を拒む。お約束を破りたいがためのめちゃくちゃな展開。
設定無視はフォースの新能力やイミフな爆撃機、一番ひどいのはハイパードライブ・アタック。あれがありなら今までの戦いはほとんど無意味になる。
だが、こんなものは平凡なクソ要素だ。べつにスクリーンを切り裂いて、なかったことにしたいほどのことじゃない。
一番頭に来たのは「差別構造」肯定だ。スター・ウォーズは世界観のなかで基本的に「人間」中心主義がある。共和国にもあったが帝国が勃興してよりそれが強固になったわけだ。だから帝国に基本的にエイリアンはいない。(例外が映画以外のメディアでいるのは知っている)
エイリアンと人間の差別、被差別関係は作品で何度も描かれる。そしてそれよりも下の被差別階級としてドロイド。この3つの種族関係はそれぞれの立場がきちんと映画で描かれ続けてきた。ジャージャーやイウォークの存在も「スター・ウォーズ」の必須の要素だった。
それが今回はじめてまったくないがしろにされている。もっともレジスタンス側で位の高いエイリアンであるアクバー提督を雑に殺し、その代わりに人間の紫おばさんをコネ抜擢する。老齢の身でありながらレジスタンスに身を捧げた大提督は人間とエイリアンの友愛の象徴だったはずなのに。
エイリアンに見えるファースト・オーダー最高指導者も、彼が受けてきた恥辱や野心もまったく描かれず、雑に殺される。
その他のエイリアンは背景に押しやられ、奴隷(または逆に低能な人間差別者)としてしか描かれない。ジェダイテンプルに仕えるエイリアン原住民を愚者のように描き、あまつさえルークはそれをあざ笑っているかのように描く。ポーグのような意識を持たない「かわいい」エイリアンしかクローズアップされない。この映画でエイリアンは全くの差別されて然るべき存在としか描かれないし、登場人物全員がそんなように行動する。(指導的なエイリアンは二体でてくるが実体として描かない狡猾さまで備えている)
ドロイドはそれにまして影が薄く、まったく雑な扱い。
この差別構造の肯定はもっとエスカレートする。有色人種と白人との分断まで肯定してくる。
黒人と白人は絶対くっつけないために、容姿の悪い愚鈍な黄色人種をわざわざ黒人主人公に割り当てる。
最後には白人女主人公と白人パイロットが出会うと今後の結びつきを予感させる、例の言葉を口にするのだ。
そしてラストシーンにはエイリアンに奴隷化された白人少年がフォースに目覚めるかのように描かれる。過去ジェダイ・ナイトとしてたくさんいたエイリアンではなく、新しいジェダイは白人少年なのだ。
馬鹿にしてんのか。別にエイリアンを主人公にしろとか有色人種を活躍させろっていってんじゃない。出すならちゃんと扱えよ。過去に敬意を払えよ。ルーカスはつたなくとも他者(エイリアン、ドロイド、有色人種)にたいして良い奴も悪いやつもいるし、バカも利口もいるように描いてきたぞ。
だから「スター」ウォーズだったんだ。主人公たちがエイリアンやドロイドに対して見せる豊かな感情に共感してきたんだ。
聖書に則ったテーマがあれば絶賛するクソ評論家の町山には心底失望した。こんな酷い、悪意の塊のような映画はまったく認めれらない。
白人の人間だけにクローズアップされた「スター」ウォーズなんてスカイウォーカーの血筋の物語の百倍クソだってわかんないのか。神話を民主化したというが、個人(家族)の話が人種の話にすり替わるほうが何倍も悪質なのがわかんないのか。
もし、ある日とつぜんぼくが金正恩になったら、核開発を止められるだろうか?北朝鮮を民主化できるだろうか?
もし、金正恩になったぼくが、とつぜん核開発を中止したら、きっと、北朝鮮のいくらかの人はそれを国家の自殺であると思うだろう。ぼくはその人たちに殺されてしまうかもしれない。
もし、金正恩になったぼくが、とつぜん北朝鮮を民主化しようとしたら。北朝鮮のえらい人たちは恐怖するだろう。ぼくはその人たちに殺されてしまうかもしれない。
もし、金正恩になったぼくが、北朝鮮をよりよい国にしたいなら、ぼくは何年もかけて改革をすることになるだろう。ぼくは、何人もの人を殺すことになるだろう。
一、まえがき
今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。
19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。
20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。
二、我々の基本理念
中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。
自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。
人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。
平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。
共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。
民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。
憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。
中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。
三、我々の基本的主張
そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。
1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。
2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。
3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。
4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。
5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。
6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。
7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。
8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。
9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。
10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。
11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。
12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。
13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。
14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。
15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。
16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。
17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。
18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。
19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。
四、結語
中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。
そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。
(括弧)内は訳注。
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40
(転載自由、出典明示)
https://newspicks.com/news/2496066/body/
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8667.php
中国崩壊について書かれた本がたくさんあるのに実際には崩壊しないし、しそうにもない。
【ネットウヨ】、【保守、右派】、【嫌中】が好みそうな情報ばかりを書き、冷静に分析しよう
そのうえ、
・現地取材なし。
このようなものが非常に多いのです。
外れるのも当然ともいえる。石平さんに関しても中国を出てから長い人です。
私の主張は以下に尽きる。
その結果、経済と軍事を別に考えて対応策を考えるなどいろいろな方法が考えられるだろう。
中国は大国となったが、独裁国家であり「自国民をも戦車でひき殺し」、「生きた人の内臓を売買」する。
アメリカのように議員団や専門家同士が話し合いをできる風土でも、政治制度でもないのだ。
日本は、右も左も国際的視点で議論するのが欠けており、国際的視点の中での国益追求というのが欠けているのが最大の問題である。
香港や台湾の本は、中国語で書かれてる。しかし、言論の統制がある中国国内と違い香港と台湾では民主活動家のまとめた本や中国で拷問を受けた人権活動家、 習近平の生い立ちや権力を手に入れるまでなどが事細かに書かれた本が存在する。
同じ中国語を使い、間近にある彼らは常に中国共産党に危機感を感じて暮らしているのである。
一部の本を紹介していこう。
いずれも日本では翻訳して、販売されていないので翻訳して販売してほしいものだ。
http://www.books.com.tw/products/0010748326
大逃港
http://www.books.com.tw/products/0010499730
いずれも、香港の民主化運動の雨傘運動や、香港人意識の高まりによる独立運動につながった背景を書いたものだ。
香港と中国の矛盾が大きくなっている現在では分析に役に立つだろう。
http://www.books.com.tw/products/0010713861
關於中國的70個問題
http://www.books.com.tw/products/0010686037
王丹.獄中回憶錄
民主活動家でノーベル賞を取り、先日亡くなった劉曉波氏の書いた本が前者。
天安門事件の学生リーダーの王丹氏が書いた本が、後者2冊である。
特に面白いのが「統一就是奴役:劉曉波論臺灣、香港及西藏」の本で、
これは【台湾、香港、チベット】の大中華統一と【中国民主化、人権】は両立できないと斬新に
指摘し、独立を認めよ。
と書いた本だ。
日本の右派のように中国をシナと呼び馬鹿にすることでもなく、左派のように中国へ媚びることでもない。
重要なことは【敵を知り、己を知れば百戦危うからず】と中国をよく知ることである。
そして、台湾と香港の言論に日本の意見や議論が食い込むことは日本の主張が一部でも中国語で広がり、とても意義のあることでもある。
勝手に続きを作った
ブリキンホテルの予約はパパがテレビに寝ぼけて行ったことなのでトランクは届く
のび太はトランクのゲートを通じてブリキンホテルに行くが、サピオには単なる小学生と思われブリキン星に行くことなく終わる
ブリキン星はナポギストラー三世によって人類は奴隷として扱われるようになるが
人間の管理がロボットより難しく奴隷としての価値もない事に気づき、ブリキン星の人々は全員処分される
感情を持たぬロボットを感情のあるロボットが支配する平和が訪れる
ドラえもんがいないので気ままに夢見る機が無く、何も始まらない
のび太は良い夢を見るためとりあえず寝る
創世セットが無いので何も始まらない
自由研究に翼と羽だけ付けたおもちゃのおまけの戦闘機を提出してのび太が笑われる
宇宙の果てではヤドリによる宇宙侵略が進行、銀河エクスプレスを通じて未来の地球にまで脅威が及ぶ
Mr.キャッシュが17世紀で時空犯罪を犯すが、タイムパトロールのルフィンが自力で基地を発見し逮捕
アンゴルモアによって洗脳されたリーベルトが独立軍による地球侵略を企むが
船団同士の内戦が勃発し、キバヤシが喜ぶような展開にはならない
アンゴルモアは船団員によって正体を暴かれ、宇宙を漂う藻屑となる
マヤナ国はティオ王子に悩まされつつも成長したティオ王に統治される
グースケはバードピアに戻る時空の穴に飛び込む事も無く国に保護され生涯を終える
のちの民主化が早まる
台風一過の後にのび太はフー子に会うが、崖の不思議な洞窟の前の広い草原で遊ぶことは無いので風の村には行かない
風の村の嵐族がマフーガを復活させて風の民は滅びる
その際に発生した大型台風が日本に向かうが、原作の話同様フー子が野比家から飛び出し台風と衝突して両方とも消滅する
マフーガが不思議な洞窟からこちらの世界に来る頃には気象コントロールセンターができており、自然の力のマフーガは力を失う
■のび太のワンニャン時空伝
のび太は川でおぼれていた犬を助けイチと名付けるが、ママに反対され家では飼えず、引き取り先を探して手放す
イチが過去に行くことが無いためそれ以上のことは起こらない
神風特別攻撃隊は、最初の敷島隊が運よく護衛空母を沈めたものの、その後は途中で撃墜されてさしたる戦果も上げられなかったというじゃないか。桜花とか回天とかは最初からだめだったんだっけ。
こんなのに事実上無理矢理志願させられて、しかも戦争にはほとんど影響も与えられずに惨敗ってんじゃ、これは完璧に、紛うことなき無駄死にだ。これほど完全に無意味な無駄死にだからこそ、後世の我々は、そんな無駄死にをさせた連中を、遠慮なく非難できるわけだ。無駄死にさせられた若者達を悼みつつ。
もし、1機2機の戦闘機の犠牲で空母や戦艦が沈められたのだとしたら、それは戦術的には大成功だろう。特攻が思いのほかうまくいって、米軍もうまいこと対策を取れず、客観的に十分以上の戦果を上げていたとしたら、後世の我々はそれを「統率の外道」とか言って非難できただろうか。
戦闘となればどうやったって一定確率で死者は出るのであって、たとえば10人の部隊で敵基地に突撃したら高確率で5人は死ぬがひとりに爆弾持たせて特攻させたらひとりの犠牲で済む、という場合、ひとりに特攻させるのは本当に悪か。トロッコ問題のような話で、簡単には結論が出せない話ではないか。
もっと言えば、事は「100%死ぬ」状況に限らない。日本では自衛隊に国を守ってもらっているが、自衛官の人たちは、いざ有事となれば、一般人よりは死ぬ確率が高いのは間違いないだろう。そういう役割を、志願した一部の人に担わせているというのは、死ぬ確率が100%でないというだけで、「少数の人に特攻させる」のと構造的には変わらないのではないか。
特攻が無駄死にだったからこそ、今の我々は、そういうことを考えず、気楽に特攻させた側を非難できるわけだ。
さらに言えばだ、現実の歴史では、特攻は効果を上げられずみんな無駄死にして日本は完膚なきまでに敗けたわけだけが、うっかり特攻がうまくいってしまって、敗戦も、GHQによる民主化も行われず、大日本帝国が継続していたらどうなっていたか。そりゃ時代が変わったのだからあの戦争の頃よりは多少の民主化はされただろうが、徴兵制ぐらいは残ってたかもしれない。特攻の成功体験を持った大日本帝国なんて、どんな国になっていたことか。考えるだに恐ろしい。
このへんの話。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2
事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。
背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼる必要があります。
1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペインは王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデターを鎮圧したことで即位直後は民主化の守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王とクーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える。
閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペインは単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語やバスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府のトップがスペインに帰国し、民主化が進展します。このとき、フランコ体制下で抑圧されてきた「スペインは多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます。
(ここでいう「民族」ってのは、英語のネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペインは単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人もバスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)
民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペイン・ナショナリストはフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペインの統一、つまりスペインが単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。
Section 2
The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.
太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインがひとつのネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティが存在することが謳われています。ナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまり、ネーションはひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。
(ところで、この憲法からもわかる通り、スペインは連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語で「自治州国家体制」といいます)
この憲法にのっとってカタルーニャは自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用が弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府は公教育にカタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語の使用に助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語とスペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています。
(助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語は経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)
ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。
Section 3
C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.
C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.
C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.
そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人やカタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります。
この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育をカタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州の言語政策も、たとえば「お店のメニューにカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルにカタルーニャ語を使う義務」「企業の広報活動でカタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。
ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペインの自治州には基本的に徴税権がありません。バスク自治州とナバラ自治州には歴史的な事情(ありていに言うとスペイン継承戦争で官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャはあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャはスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金がカタルーニャから徴収され、多額の税金がカタルーニャに還元されています。
しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャに交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしています。しかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車の老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャの高速道路整備も中央政府は拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャのインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。
こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャがネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派の社会労働党)との交渉で徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。
これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペインの統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年、憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定は違憲となり、カタルーニャをネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャの学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。
ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャは自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子孫だってカタルーニャに暮らしているわけですから独立に傾きます。
2014年、カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票の実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州は非公式の投票を決行しましたが、中央政府は憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけます。ちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後のカタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています。民主主義とは。
このような国民党政府の対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合は交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事。こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。
スペイン政府はオプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。
Section 155
1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.
2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.
ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識が必要だろうと野暮を承知で解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。
そもそもなんでカタルーニャがスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!