深い興味はないながらも、やはり同じ日本人が活躍しているのは嬉しいものだ。
加えて、松岡修造の暑苦しいともいえる応援が画面を盛り立てる。
インターネットができて、我々は多種多様な情報を「取りに行ける」ようになった。
ネットはさらに発展し、最近では私が好きなものを「教えてくれる」ようにもなった。
私の冷蔵庫の中のペットボトルのお茶がなくなるタイミングも知っているし、
少年時代を思い返してみる。
教室の中では昨日の夜に放送された「とんねるずのみなさんのおかげです」がどれだけ
楽しかったかを談義し、また週刊少年ジャンプを裏ルートで発売日よりも先に手に入れる事に
大きな価値があった。
オリンピックの話に戻る。
私は水泳の日本代表がメダルを獲得する瞬間を目の当たりにした。
そしてその感動を誰かと共有したいと思った。
そもそもテレビを見ていない人もいれば、テレビは見ているがオリンピックに
興味がない人も多い。(私を含め)
インターネットの切り取られた動画でその瞬間を見た人とは、残念ながら松岡修造の
その時私はどういう行動をとったかというとTwitterやFacebookでオリンピックを
話題にしている人を探し、つぶやきを見たりコメントしたりするのである。
それはそれでまぁ、いいのだが、どちらかというと私は普段から仲の良い
鈴木君や田中君とオリンピックの話題について盛り上がりたかったのだ。
別の視点で考えてみる。
最近大きくなった息子は食事中もスマホを手放さない。彼が最近どんなことに
たまに食事に誘うと喜んでついてきてくれるが、共通の話題は仕事の話くらいだ。
かろうじて彼がダイビングを趣味としている事くらいは知っている。
ここまでの長い前置きで、何が言いたいのかというと
世代、趣味趣向を超えた爆発的コンテンツが社会全体のコミュニケーションの活性化、ひいては
そこには、同じコンテンツを消費するというだけではなく視聴の同時性(同じ時間に見る)という事も含まれる。
同じ時間に同時に見るという形でないと、瞬発的なバイラルが生まれないからだ。
3,000万人くらいが、ほとんど同じタイミングで同じコンテンツを消費するとき、
我々は幸運にもその瞬間を目の当たりにすることができた。