http://anond.hatelabo.jp/touch/20130809115823
上記URLと民主主義における多元論などに影響されいろいろ考えた(考えている)
世の中には様々な「常識」が存在する。その多くは所属するコミュニティによって形成される。
デービッド・R・キャメロンによるとコーポラティズム度が世界的に低い日本は多元主義国家と言っても過言ではない。つまり世界的に見て個人の自由度が高く多種多様なコミュニティ(「常識」)が存在するということだ。
国民の多くは生涯生まれ育ったコミュニティと同じまたは似通ったコミュニティに属するため形成された「常識」が揺るぐことはない。いや、なかった。
現在ではスマホの普及により知ろうと思えば自分がいままで関わることのなかったようなコミュニティにアクセスすることができる。
このような状況のなか未だ人々は「常識」に囚われ時には他人を否定するのだ。
日本では価値観が違って当然、考え方が違って当然であるから、それを肯定する優しい国になってほしい。文明の進歩とはそういうことだ。
僕はいまのいままで人を見下しているクズだった。国を動かす存在になって国を自分の考えでいい方向に導こうと考えていた。しかし自分が考えるいい方向とは必ずしも他人にとっていい方向ではないということを理解した。
そもそも国というシステム自体も必要ないんじゃないかとすら考えている。自らの選択で後悔したとしても勉強が足りなかったという自己責任で生きればいいと思っている。
すべての人々をコミュニティから解放しコミュニティやらなにやらを自由に選択できる社会というのが世にとっていい方向なのではないかと思う。何世紀先になるかわからないが人は分かり合えるようになると信じている。でも結局人は分かり合えないよ!というのがガンダムの作者富野由悠季氏の主張なのかもしれないが文明の進歩はそのためにあると考えたい。そのために僕は少しでも力になれればと思う