はてなキーワード: とんねるずのみなさんのおかげですとは
深い興味はないながらも、やはり同じ日本人が活躍しているのは嬉しいものだ。
加えて、松岡修造の暑苦しいともいえる応援が画面を盛り立てる。
インターネットができて、我々は多種多様な情報を「取りに行ける」ようになった。
ネットはさらに発展し、最近では私が好きなものを「教えてくれる」ようにもなった。
私の冷蔵庫の中のペットボトルのお茶がなくなるタイミングも知っているし、
少年時代を思い返してみる。
教室の中では昨日の夜に放送された「とんねるずのみなさんのおかげです」がどれだけ
楽しかったかを談義し、また週刊少年ジャンプを裏ルートで発売日よりも先に手に入れる事に
大きな価値があった。
オリンピックの話に戻る。
私は水泳の日本代表がメダルを獲得する瞬間を目の当たりにした。
そしてその感動を誰かと共有したいと思った。
そもそもテレビを見ていない人もいれば、テレビは見ているがオリンピックに
興味がない人も多い。(私を含め)
インターネットの切り取られた動画でその瞬間を見た人とは、残念ながら松岡修造の
その時私はどういう行動をとったかというとTwitterやFacebookでオリンピックを
話題にしている人を探し、つぶやきを見たりコメントしたりするのである。
それはそれでまぁ、いいのだが、どちらかというと私は普段から仲の良い
鈴木君や田中君とオリンピックの話題について盛り上がりたかったのだ。
別の視点で考えてみる。
最近大きくなった息子は食事中もスマホを手放さない。彼が最近どんなことに
たまに食事に誘うと喜んでついてきてくれるが、共通の話題は仕事の話くらいだ。
かろうじて彼がダイビングを趣味としている事くらいは知っている。
ここまでの長い前置きで、何が言いたいのかというと
世代、趣味趣向を超えた爆発的コンテンツが社会全体のコミュニケーションの活性化、ひいては
そこには、同じコンテンツを消費するというだけではなく視聴の同時性(同じ時間に見る)という事も含まれる。
同じ時間に同時に見るという形でないと、瞬発的なバイラルが生まれないからだ。
3,000万人くらいが、ほとんど同じタイミングで同じコンテンツを消費するとき、
我々は幸運にもその瞬間を目の当たりにすることができた。
東京ドームとかいう謎単位(http://anond.hatelabo.jp/20150510091631)という記事にはてブがたくさんついており、
そういえば、「<単位>としての東京ドームの誕生」とかいう謎卒論で、単位をもらって大卒の肩書を得たことを思い出し、
おぼろげな記憶ながら内容を抜粋し、Q&Aの形でエントリを書いてみようと思いついた。
A1. 違う。東京ドームの前は、霞が関ビルディングが単位として使われていた。ちなみに、1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル。
Q2. いつから単位が、霞が関ビルから東京ドームになったのか?
A2. 次第にとしか言いようがないが、確認できる限りで初出なのは、東京ドームがオープンした1988年3月18日の翌日の読売新聞のコラム
『東京ドームの大きさは、 霞ヶ関ビル何杯分?』。ここでは、約2.5倍と紹介されているが、ほかにも上野動物園と比較されており、
明確に読売グループが新単位を創出し定着させる意図を持っていたことが分かる。
A3 結果的に単位としての東京ドームは、日本国内で受け入れられている以上、ある程度、単位としてのふさわしさを持っているのは事実。
しかし、日本テレビ「ズームイン!!朝!」のテレビ番組表欄を、1985年から2001年までみると、オープン後1年経った1989年でも東京ドームについての
特集が3か月に1度程度ある。そして、1990年には『東京ドームは○○の何個分!?』という特集コーナーが設けられており、
この特集コーナーは毎年1度はあった。また、めざましテレビでも、1995年、1997~2002年に、同種の特集コーナー(おそらくめざまし調査隊)
でこれが取り上げられている。東京ドームは、阪急東宝グループとも因縁浅からぬものがあり、フジテレビは阪急東宝グループと関係が深く…
というのもあるかもしれない。もっとも、関西だと甲子園という単位が通用しているところから考えると、
単に関東のテレビでは、そのころには、東京ドームという単位が定着していたのかもしれない(少なくともメディアの中では)。
また、副都心開発にのってお台場に移転しようとしたフジテレビの社屋を表すのにも、東京ドームという単位が一番適切であったはずである。
Q4 やっぱりそれでも東京ドームは単位として不適切。大きさが分からない
A4 1989年にすでにそれを言った芸能人がおり、石橋貴明が、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコーナーの一部で、東京ドーム何杯分とたとえるアシスタントに、
「わからねーよ」と襲い掛かっている(youtubeに昔あったのだけれども消えた)。このように、東京ドームという謎単位は生まれて間もなくから、
その単位のふさわしさを疑問視され続けてきた。もっとも、石橋の発言の後、東京ドームの広さの説明が番組中に挟まれたのは言うまでもない。
いわば、東京ドームという謎単位は、常に疑問がさしはさまれるがゆえに、コンテンツとして消費され続け、<単位>としてメディアに使用され続ける側面も持つ。