はてなキーワード: 霞ヶ関とは
高校生の時、自称進学校の授業についていけなかった俺はこんな妄想ばかりしていた。
政治や行政の腐敗。資本主義による金が金を生む現実。みんな触れたがらないが明らかにある階級や格差。過剰な対米従属。
現代日本の現状を憂いた俺はこの国を変えるために立ち上がることを決意する。
そしてネットで反体制活動をしているうちに憂国の同志達と繋がり彼らと革命軍を結成。発足時メンバーは86人。
闇市場から武器を買い集めるなど着々と準備を進め結成2年後ついに実力行使に出る。
2001年2月20日。革命軍は東京六本木にある米軍施設赤坂プレスセンターに攻撃を加え一時占領することに成功。
多くの同志が殺害または逮捕され革命軍は解散の危機に瀕するかに思えたがその勇敢さに感動した憂国の同志が日本中から集まることによりむしろ兵力は増強された。
その後、警察や公安、軍による掃討作戦に抵抗しながら蜂起の時を待ち続ける。
そして2008年1月16日、新宿、渋谷、池袋などで革命軍は一斉に蜂起。永田町や霞ヶ関へも侵攻。
革命軍はゲリラ戦で抵抗するが相手の圧倒的な火力と人数、練度の差により次々と駆逐されついに一時解散を決定。
以下、高校受験を控えた中学生が正月に勉強サボって書いた妄想文のようなもの。
誤情報・誤認識に基づいた記述が多々想定されるので、くれぐれも「その通りだ」などとは思われぬよう。
1、ノーベル賞を受賞しても国家予算は決められない
大隅良典先生は、オートファジーなる現象の発見で2016年のノーベル賞を受賞された。
その後、いくつかのメディアなどを見ていると、大隅先生は
・独創的な発想に基づく研究の推進
・若手研究者の支援など人材育成の充実
などを提言されている。
しかし、この影響は極めて部分的なものにとどまると思う。
つまり、今後も独創的な研究の支援は増えないし、
若手研究者の研究環境・生活環境は悪劣なまま維持される。
なぜなら、「科学技術振興予算は今後、増えない」からだ
(ごまめの歯ぎしり:河野太郎代議士のブログ参照)
https://www.taro.org/2017/01/%e8%ac%b9%e8%b3%80%e6%96%b0%e5%b9%b4%e7%a0%94%e7%a9%b6%e8%80%85%e3%81%ae%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php
科学技術振興予算の内訳を組み替えるにしても、
すでに奪い合いの激しい中で、目に見えた結果の出にくい
上の二つをどこまで拡充できるかには疑問がある。
もしも予算を増やそうなどと思ったら、公民の教科書ではないが
概算要求→政府案→予算審議→予算成立
という国家予算のプロセスの中で、負債の返済や、
増え続ける社会保障費などとともに俎上に載せた上で、
予算成立までこぎつける必要がある。
どちらにしても、研究者という存在の限界は
大きく超えているように思い、いくらか愚考してみることにした。
具体的には、
「研究者が国会議員になることで科学技術振興予算を増やせないか」
ということだ。
多分、ノーベル賞学者の知名度なら参議院議員になれると思ったので、
2019年の選挙もそう遠くないし、勝手に考えてみた。
2、象牙の塔からの発信ではなく議員として予算委員会へ
いきなり乱暴な議論だが、上記の予算プロセスを経て、
「平成29年度予算は政府案どおり成立した」らしいので、
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2017/
政府=研究者ならば問題は解決する気がする。お手盛りで決められるかもしれない。
当然そうはならないが。
では立法、つまり国会から研究支援法のようなものを提案することは可能だろうか。
これもなかなかハードルが高く、参院ならば10名
(予算がらみなので20名以上?)集めないといけない。
おそらく、まず初めにできることと思われるのは、
予算委員会で発言する事のように思う。できれば議員として。
予算審議の公聴会における公述人でも良いではないかと言う考えもある。
しかし、それでは足りないと考えている。
五年前くらいに災害対策特別委員会で京都大学教授・
内閣官房参与の方が日本の災害対策・インフラ問題について、
公述人として熱く語っていた。
しかし、地方のインフラの悲惨さが変わる気配はない。
つまり、考えの正しさだけでは足りない。
国民の理解を得られている、という事を示さないといけない。
やはり選挙を経て、国民の信任を受ける必要がある。
しかし、わざわざ著名な学者でなければならないのだろうか。
3、果実をもぎ取った人の説得力が必要だ
結論としては、著名であることは何より必要であろうと思われる。
国民に対し研究の重要性を訴える事は、誰でもできる。
しかし信頼を得るには、担保となる実績が必要だろう。
研究の種が花開き、果実をもぎ取る季節までは、
気が遠くなるような時間がかかる。
蝉の一生ではないが、ほとんどの時間は日の当たらない
地中生活といっても過言ではない。研究者にとっては、
その生活も楽しいのだが、たぶん理解されない。
広い人々に訴え、信頼を得るには、
その手に確かに、たわわに実った果実が必要だろう。
現状、日本は科学・技術の振興をやめつつある。
他の先進国との競争に負けつつあり、新しい研究の芽吹くことのない、
研究の土壌として貧しい国になりつつある。
Nature Indexについての記事が話題になったのは記憶に新しい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622
これでいいのか、このままでいいのか、
ということについて述べるのは、あまり意味がない。
悲しいことだが、国民が選び議論した結果だからだ。
それでも保険会社が子供に夢を聞けば、
「学者」は高い人気がある。
彼らが果実をもぎ取ることができる未来は
このままだと日本という国からは着実になくなっていく。
衰退しつつあることが現状である以上、
現状維持は衰退の維持である。
わかりやすいところでいうと、
大学院の博士課程には、もう学生がいない。
愚考とはいえ、著名な研究者の国政進出を願いたくなるほどに、
現状は深刻で、喫緊に対応を要すると思う。
4、別に大隅先生でなくてもいい
非現実的なところでいくと
・政府・内閣・国会が突如科学振興に目覚めて予算方針や法律が変わる
・法律や閣議決定された予算の基本方針などに逆らって
勇敢な予算編成が組める官僚が出現する
もう少し現実的には
・研究者が大挙して霞ヶ関に大々的に陳情に行く
(パブリックコメントって効果あったのだろうか)
・国会議員に積極的に働きかけ理解を求める
しかしこれらの効果も限界があるように思われるので、
・研究者が国会議員になる
が短期的には最も有効である気がしてしまう。
中期的には研究者が中心となって小さくても良いので政党化すると良いと思う。
長期的には
・科学振興が選挙における関心事になる
ことが良いように思うので、
少しずつでも科学者は象牙の塔から出て、
地域のイベントや飲み屋に繰り出すべきではなかろうか。
研究者という生き物が国民に、さらには国会議員にきちんと理解されるようになれば、
研究者は象牙の塔ならぬ地中暮らしで満足なのだから。
大隅先生など著名な先生を国政に引っ張り出す必要もなくなる。
以下の文などを読むと、すでに飲み屋には
大隅先生をはじめとした研究者がたむろっている気がしてならないが。
http://www.jscb.gr.jp/jscb/contribution/contribution.html?vol_id=223&no=9&id=28
以上、あまりの散文に目眩を覚えつつ、間違って投稿ボタンを押すことにする。
沿線によっても人柄とかかわるよね。
この間、ラッシュ時の丸ノ内線乗ったけど、臭いおじさんがひとりもいないのが衝撃的だった。加齢臭を、歯磨き粉とかの匂いできちんとカバーしているし、上着とかもいい匂いするの。
「流石、霞ヶ関やら大手町駅あたりに勤務する人たち!!」って感動したわ。
そして今日、都外に向かって電車に揺られてたら、ずっとテレビの音みたいなのが聞こえてきてて、音源探したら太った中年女性がなぜかイヤホンしてiPhoneに指してるのに、そのiPhoneから音がだだ漏れてたのね。
何人かの人がイヤホンちゃんとささってないですよって言ってるんだけどなぜか改善されず一向に聞こえてきてて、それが声優かなにかのトーク動画なの。
愛おしそうに見てて、ときどきはにかんで、ときどき指を口でしゃぶって(咥えるとかレベルじゃなくて赤ちゃんがしゃぶるみたいな)
しまいには中年男性に大きな声で叱られて音消してたけど、そのときも何も話さなくてうさぎみたいな悲しい顔してるだけで。
コミュニケーションとるのが苦手なんだろうけど、イヤホンはしてるのになぜわざわざ?ってひたすら疑問で、なんか自分の生活にはいない人だなぁと思って眺めてた。(眺めてたっていうか単純に視界に入ってきた)
帰りの電車では、私は平均的な肩幅で普通に座席に収まってるのに、隣のおばさんがなぜかダイナミックな動きで肘でビシビシ私を突いてくるわイヤホンの扱いが激しすぎてバシバシ叩かれるわで「なんだこれ」だったわ。
あとさ、電車に乗れば、F1層の第一人者である高校生とか普通に見られるし、彼らが何に興味を持ってどんな言葉を使ってるのかも知ることができるのもすごいよね。
くたびれたおじさんの会話、赤ちゃんとお母さんの会話、熟年夫婦の会話、席を譲る微笑ましい光景にもでくわせる。
終電間際の山手線に乗れば、いきなり吐く人、家と勘違いしてるのか脱ぐ人寝る人、今にもおっぱじめそうなカップルとかこれまた刺激的な光景が見られる。
自分の生活は、どうしても類友というか似たような水準の人と過ごすことが多くなる。
電車に乗れば、その水準をひょいと潜り抜けた先の世界に住む人たちと、いきなり自分の父親でもこんなに近づかねーよって距離で出会える。すごい空間だよ。
駅名 | よみ | 距離(km) | 県1 | 県2 | |
---|---|---|---|---|---|
守山 | もりやま | 104 | 愛知県 | 滋賀県 | |
渚 | なぎさ | 100 | 長野県 | 岐阜県 | |
大谷 | おおたに | 99.5 | 滋賀県 | 和歌山県 | |
関 | せき | 98.2 | 岐阜県 | 三重県 | |
平岸 | ひらぎし | 96.6 | 北海道赤平市 | 北海道札幌市 | |
小野 | おの | 96.6 | 京都府 | 兵庫県 | |
船津 | ふなつ | 94.9 | 三重県紀北町 | 三重県志摩市 | |
赤坂 | あかさか | 91.9 | 東京都 | 山梨県 | |
大久保 | おおくぼ | 91.1 | 京都府 | 兵庫県 | |
桜川 | さくらがわ | 90.7 | 滋賀県 | 大阪府 | |
立野 | たての | 89.9 | 佐賀県 | 熊本県 | |
追分 | おいわけ | 83 | 三重県 | 滋賀県 | |
古市 | ふるいち | 79.4 | 大阪府 | 兵庫県 | |
五条 | ごじょう | 79.1 | 京都府 | 奈良県 | |
木津 | きづ | 78.1 | 京都府 | 兵庫県 | |
曽根 | そね | 73.8 | 大阪府 | 兵庫県 | |
十日市場 | とおかいちば | 73.2 | 神奈川県 | 山梨県 | |
赤池 | あかいけ | 72.6 | 岐阜県 | 愛知県 | |
卸町 | おろしまち | 72 | 宮城県 | 福島県 | |
霞ヶ丘 | かすみがおか | 69.5 | 兵庫県 | 奈良県 | |
橋本 | はしもと | 69 | 京都府 | 和歌山県 | |
小川町 | おがわまち | 67 | 埼玉県 | 東京都 | |
黒沢 | くろさわ | 64.4 | 秋田県横手市 | 秋田県由利本荘市 | |
桜井 | さくらい | 58.7 | 大阪府 | 奈良県 | |
下島 | しもじま | 52 | 長野県伊那市 | 長野県松本市 | |
入谷 | いりや | 48.9 | 東京都 | 神奈川県 | |
九条 | くじょう | 46 | 京都府 | 大阪府 | |
東山 | ひがしやま | 45.2 | 京都府 | 奈良県 | |
長田 | ながた | 44.7 | 大阪府 | 兵庫県 | |
霞ヶ関 | かすみがせき | 43.5 | 埼玉県 | 東京都 | |
桜 | さくら | 42.2 | 愛知県 | 三重県 | |
栄町 | さかえちょう | 40.8 | 千葉県 | 東京都 | |
九条 | くじょう | 39.2 | 京都府 | 奈良県 | |
明智 | あけち | 38.6 | 岐阜県可児市 | 岐阜県恵那市 | |
平野 | ひらの | 32.8 | 大阪府 | 兵庫県 | |
柚木 | ゆのき | 31.6 | 静岡県富士市 | 静岡県静岡市 | |
九条 | くじょう | 31.4 | 大阪府 | 奈良県 | |
住吉 | すみよし | 30.5 | 兵庫県 | 大阪府 | |
平和台 | へいわだい | 27.1 | 千葉県 | 東京都 | |
足柄 | あしがら | 24.6 | 神奈川県 | 静岡県 | |
小野 | おの | 24.2 | 滋賀県 | 京都府 | 県境を越えるもので最短 |
日比野 | ひびの | 17 | 愛知県愛西市 | 愛知県名古屋市 | |
小杉 | こすぎ | 16.9 | 富山県富山市 | 富山県射水市 | |
高井田 | たかいだ | 14.5 | 大阪府柏原市 | 大阪府東大阪市 |
駅名 | よみ | 距離(km) | 会社名1 | 会社名2 |
---|---|---|---|---|
春日井 | かすがい | 5.3 | JR東海 | 名鉄 |
志井 | しい | 2.8 | JR九州 | 北九州高速鉄道 |
野々市 | ののいち | 2.7 | JR西日本 | 北陸鉄道 |
尼崎 | あまがさき | 2.5 | JR西日本 | 阪神 |
白石 | しろいし | 2.2 | JR北海道 | 札幌市営地下鉄 |
長田 | ながた | 1.8 | 神戸電鉄 | 神戸市営地下鉄 |
市場 | いちば | 1.6 | JR西日本 | 神戸電鉄 |
西宮 | にしのみや | 1.3 | JR西日本 | 阪神 |
御影 | みかげ | 1.3 | 阪神 | 阪急 |
平野 | ひらの | 1.3 | JR西日本 | 大阪市営地下鉄 |
石川 | いしかわ | 1.2 | JR東日本 | 弘南鉄道 |
芦屋 | あしや | 1.1 | JR西日本 | 阪神 |
早稲田 | わせだ | 1 | 東京メトロ | 都電 |
塚口 | つかぐち | 1 | JR西日本 | 阪急 |
白島 | はくしま | 1 | 広島高速交通 | 広島電鉄 |
味美 | あじよし | 1 | 名鉄 | 東海交通事業 |
伊丹 | いたみ | 0.9 | JR西日本 | 阪急 |
宇治 | うじ | 0.9 | JR西日本 | 京阪 |
城野 | じょうの | 0.9 | JR九州 | 北九州高速鉄道 |
嵐山 | あらしやま | 0.9 | 阪急 | 京福電気鉄道 |
十条 | じゅうじょう | 0.9 | 近鉄 | 京都市営地下鉄 |
住吉 | すみよし | 0.9 | JR西日本・神戸新交通 | 阪神 |
琴似 | ことに | 0.85 | JR北海道 | 札幌市営地下鉄 |
郡元 | こおりもと | 0.85 | JR九州 | 鹿児島市電 |
今里 | いまざと | 0.85 | 近鉄 | 大阪市営地下鉄 |
浅草 | あさくさ | 0.8 | 東武・地下鉄 | つくばエクスプレス |
吹田 | すいた | 0.75 | JR西日本 | 阪急 |
野田 | のだ | 0.75 | JR西日本 | 阪神 |
春日野道 | かすがのみち | 0.7 | 阪急 | 阪神 |
谷山 | たにやま | 0.7 | JR九州 | 鹿児島市電 |
弘明寺 | ぐみょうじ | 0.5 | 京急 | 横浜市営地下鉄 |
中津 | なかつ | 0.5 | 阪急 | 大阪市営地下鉄 |
堀田 | ほりた | 0.45 | 名鉄 | 名古屋市営地下鉄 |
福島 | ふくしま | 0.35 | JR西日本 | 阪神 |
黄檗 | おうばく | 0.3 | JR西日本 | 京阪 |
朝倉 | あさくら | 0.3 | JR四国 | とさでん交通 |
甘木 | あまぎ | 0.25 | 西鉄 | 甘木 |
草薙 | くさなぎ | 0.25 | JR東海 | 静岡鉄道 |
伊野 | いの | 0.23 | JR四国 | とさでん交通 |
https://www.j-cast.com/2017/06/08300108.html?p=all
http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/kake-academy-issue_b_17447858.html
(1)告示
そもそも国民には学問の自由があって、何らかの学問を修めるのを国が妨げてはならない。
仮に何らかの学部に学生が大挙して押し寄せ、その資格を持つ人材が世に溢れてもそれは市場原理であり国が介入すべきではない。というのが今の政府の大筋の方向性。
しかし大学への補助金も財源が有限であり既得権益層も競争相手が増えることを望まない為か、文科省が「歯学部・獣医学部・船舶職員養成学部の新設申請を受け付けない」という告示を出している。(告示とは一般名詞だが、この件の議事録で登場する「告示」は暗黙のうちにこの新設却下の告示の事を指している場合が割とある)
ここで暗に問題となっているのは、日本の教育の管轄を任されている立場であるに過ぎない文科省が獣医師市場の需給バランス調整弁という市場介入をするのは越権行為であるという点だ。
(2)挙証責任その1
上で挙げた対立の内容に対して政府から文科省に対して「その新設却下告示に合理的理由がないなら取り下げよ」と命じた。
これがよく言われる「挙証責任」であり、文科省はこの告示に付いてまさか「私が獣医師市場の需給バランスを調整したいという合理的理由があります」などと答えるわけにはいかない。
2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録によると
文科省の牧野課長補佐は「関係者も納得するような、これは新しい構想だというようなものを具体的な需要の数までも示した上でお示しいただければ、こちらとしても一緒に検討していきたい(=獣医学科を新設する必要があるとあなたが立証できるなら検討する)」と言っている。
これに対しWGの原委員が「挙証責任がひっくり返っている」と評した
整理すると、文科省がそもそも「新設を認めない正当性を立証せよ」と命じられている状態で「新設する正当性を立証してくれたら検討します」と反論した形になっているので「挙証責任がひっくり返っている」という表現がされた。
ここの問答が論点であり
・文科省は結局「新設を認めない正当性」を立証できなかったので、そもそも条件を付けれる立場にない。よって「新設する正当性の立証」を求める事はできない。
・文科省は「新設する正当性の立証」を求める事ができるので後続の閣議決定内容で立証に関わる条件を詰める必要がある。
(3)閣議決定
1. 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し
2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり
3. かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ
という旨の閣議決定がなされた。これは(2)での「新設する正当性を立証」を求める際にその正当性の根拠として何を求めるかという定義を行った形になっている。
これが世に言う「石破4条件」であり、獣医師会が石破さんに頼んで作らせたものであるというのは獣医師会が公開している資料からも分かる。
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06809/a2.pdf
『石破担当大臣と相談をした結果,最終的に,「既存の大学・学部で対応が困難な場合」という文言を入れていただきました』
これは獣医師会が行政を歪めていると言えなくもないが、そこの論点はさておくとしてここに続いて興味深い記述がある。
『ただし,今後もこの問題は尾を引いてくると思います.つまり,日本の最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組みになっておりますので,こういう文言を無視して作ることは可能です.内閣がもしこれを行うのであれば私たちは現在の内閣に対して敵に回らざるを得ないのですが,獣医師会としては抵抗勢力にはなりたくない.抵抗勢力としてマスメディア等々で取り上げられ,獣医師会は抵抗勢力である,訳の分からないことを言っている団体だということになりますと,世論の風当たりは強いものになります.』
つまり獣医師会はこの4条件に関する危うさを初めから認知しており、下手に抵抗すると世間を敵に回すものであると自覚している。
(4)挙証責任その2
加計学園は獣医学部新設の提案の資料を提出(挙証)し、結果として認可が通ったので今治市での建設工事に着工して現在に至る。
ここにも論点があり
・加計学園は4条件を正しく満たしている(感染症や化学兵器などは既存の大学で対応できない)為、認可が通って当然である
・加計学園は4条件を満たせていないので通らなかったが安倍が行政を歪めたから認可が通った
後者に関していうと、7/10の閉会中審査において前川喜平氏は「文部科学省として、そのワーキンググループで満たしていないという主張はしていることは、お読みになれば分かります」と主張しているが、ワーキンググループの議事録の残る資料を探っても
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf
ぐらいしか見当たらず、この議事録の中には前川氏の主張を裏付けるような記述は見当たらない。
実際に文科省が丁寧に4条件に基づいて却下したかどうかの真偽は別にして、医師会も認めるように特区は『日本の最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組み』であるため4条件はそもそも無視する事が可能である。
もちろん総理大臣としては穏便に済ませるため4条件に合致している上で認可を出すのが理想だろうが、わざわざ行政を歪めなくても仕組み上無視可能であるので何か別の要因で急かされてパスするという事はありうる。
民進党などは主にここを争点にして特区制度そのものを批判するに至っている。
「総理大臣が合法的に閣議決定を無視して決定してしまえるならこの制度自体が政府のオモチャじゃないか」という論法であり、一定の理はあるように見える。
文科省内の対立等もあり、認可すべきだと考えた文科省内の人が例の「総理の意向」文書の中で「我々が抵抗しても総理がGoサインを出したら仕組み上通るし、多分Goサイン出す(忖度)んだから大人しく従おう」と説得しておりそれが行政を歪めたとする主張に関しては当たっているところもある。総理が自分の責任で反対を押し切ってGoサインを出すか、文科省がそもそも反対しないで進めるかで結果としては同じでも過程が異なるからだ。
実際安倍首相は国民のご機嫌取りに必死なので「学ぶ権利」の最大化の方向へ進めようとするだろう事は「お友達」云々関係なくわかりきっている。
だがそもそも(2)にあるように『文科省が「新設を認めない正当性」を立証できない時点で、「新設の正当性が立証できるなら認める」という文科省側の反論は無効であり(3)(4)はまるっと無意味である』という主張もそれなりに理はある。
「国民の学ぶ権利」vs「獣医師会の抵抗」という構図で前者に正義がある以上は、決着は国民のリテラシにかかっている。
「国民の学ぶ権利」という題目を大上段に構えるなら、この対立はいずれ前者(政府)が勝って然るべきである。
本来は需給バランスに国が介入するべきではないし、どうしても獣医師の需給バランスを調整したいなら学部入学ではなく国家試験合格のハードルを上げる事で獣医師の質も上がるし国民の学ぶ権利も阻害しないため合理的だからだ。
今回の一件がどう決着するにせよ、仮に政権交代が起きようと「国民の権利を広げる」という方向で同じ議論が繰り返されるだろう事は想像に難くない(市場原理に任せる原則は小泉政権の頃から変わらない)。
├─立証できないから加計学園の獣医学部新設を認めるべき ← 安倍内閣の落ち度なし
└─(3)立証する義務はなく、逆に4条件に照らし合わせて認めるか否かを判断する権利があり、加計学園は4条件を満たして…
├─いるから現在開学に向けて建設中である ← 安倍内閣の落ち度なし
└─いないにも関わらず認可が通ってしまった。安倍内閣は直接何もしていないがどのみち安倍内閣は認可を押し通すだろうという忖度によって文科省は認可を通してしまった ← 安倍内閣によって行政が歪められた(?)
となる。
そりゃ当然犯罪を起こさなければ犯罪者じゃない。当たり前の話だ。でも、暴力でしか性を処理できない人間をそのまま社会の一員としては認められない。暴力は反社会的な行為だからだ。だからそれは隠して当たり前だし、隠してもらうために非難する。それだけの話。
「暴力」と「暴力を妄想すること」を一緒くたにされても(困惑)
どんだけ心中で暴力革命や武装ジハードや性暴力を妄想していようが、心中に留まっている限り「妄想すること」それ自体は反社会的な行為じゃないでしょ。
いつかこの気に食わない政府を爆破してやる……と思いながら霞ヶ関を歩いていたって、実際にテロを準備とかしたわけじゃなくただ妄想してただけなら何の問題もないわけで。
5年ほど某省庁に出向していたものです。
基本、議員は官僚に向かって「忖度しろ!」と言ってくるのが常識です。
ああしろ、こうしろ、議員会館に呼びつけたり、秘書を乗り込ませてきたりして、
種々雑多な忖度圧力をかけるのが、自分の仕事だと思っています。
「~議員が言っていたんだが俺は信用できない」とか言ってきて、
教科書レベルの質問をわざわざしてきた例のゲス不倫議員とか(←こいつは本当に吐き気がするレベルの馬鹿だった)、
「そうですよね!大臣のおっしゃるとおりです!」と言ってもらえないと不機嫌になる某大臣とか、
「国家公務員が激務だからそれを見直そう!」という国会質問を、
午前4時ぐらいに提出してくる馬鹿議員とか(ちなみに、その時間まで俺たちゃ全員待機してんだぞ)、
もっとも、その議員にへつらって出世の足がかりにしようとしている元上司にも反吐が出たけど。
戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
西村智奈美議員は、福田康夫、上川陽子、枝野幸男議員らとともに、公文書管理法の修正協議に尽力された方です。山本幸三行革大臣の名誉のために言っておきますが、この人は質疑は結構うまいですよ。でも答弁はザル守備です。正直見てられないレベルでグダグダになること多々です。ただいつも炎上するわけでなく、2回目に同じようなこと聞かれるとまぁまぁマシにはなります。私の中では、加計学園関係の3大臣合意文書関連でのグダグダ(まぁ私見では嘘)と、先般の学芸員発言、今回の公文書管理問題への対処姿勢で、もう結構ですというところですが、以下決算行政監視委員会。
「今回の森友学園の問題、それからそのずっと前から問題になっている、南スーダンの日報の問題、共通点があると思います。大臣、何だと思いますか」
「えーただちにどういうことか、わかりません」
「わかるでしょう。何かって言うと、森友学園のものは、交渉の内容は、1年未満のものだから廃棄をしましたということ。南スーダンの日報も1年未満のものだから廃棄しましたということ。結局ありましたけどもね、電子データは。それくらい、この部屋にいる誰が考えてもわかるはずなのに、なんで公文書管理担当大臣がそのことをわからないんですか?おかしいじゃないですか。この2つ問題を言うまでもなく、私は役所は自分たちに都合の悪い文書は、まずは、残さない、また廃棄をしてしまう。行政文書は廃棄の際には内閣総理大臣の同意が必要になるんですが、1年未満のものはその対象外になっています。この抜け穴をついて、ルールを悪用して、行政文書がありませんということを盾に、森友隠し、南スーダンの日報問題が浮かび上がってきたんだと思っている。1年未満の行政文書が廃棄されていたということについて、これは単純な事実ですけど、それは認識していたということでよろしいですよね。」
「これほど大きな問題、2つの問題、だけをみても、やはりここは法の抜け穴がある。私、実は公文書管理法が制定されるときに、修正協議に臨みました。当時民主党の責任者の1人として。そのときにもですね、ずいぶんいろんな工夫を盛り込んだつもりだったんですが、実際運用が始まってみると、これは情報公開法とこの法律が車の両輪になって、民主主義が前に進んでいくために、役所は公文書をしっかり管理してくれるだろうと、淡い期待を持って、スタートさせたんですけども、実際にこれ抜け穴があるということが、明らかになって、非常にショックを受けています。先ほど大臣、施行5年後の検討見直しの報告書、これを踏まえてやっていきたいとのことでしたが、これは法改正していかないと、これは、役所の文化をこれ以上野放しにしてはいけないと思います。なんでもかんでも1年未満にしてしまう。(法律では)本当であれば1から10までプロセスをたどって、意思決定過程を1つのファイルにまとめて保存していかなければならないのに、同じ期間のものに限るということを盾にして、曲解をして同じ期間のものだけ集めてファイルにする、期間が短いものをドンと捨てる。こういう変なノウハウのようなものが霞ヶ関の中に残念ながらある。ここは法改正、きっちりとやって、こういった問題を起こさないという意志を示さなければならないと思う、大臣いかがですか。」
注)法文では「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)を一の集合物にまとめなければならない」となっています。これの意味は、要は保存期間が一番長いものを検証するときに必要になる可能性のあるものを一緒にしろよ、という意味ですが、霞ヶ関は、これを「保存期間を同じものに限って一つのファイルにまとめる」と解釈しとるわけですね。
「ご指摘のように、歴史的公文書に当たるかどうかの基準が少しあいまいであるということは私どもも認識していますので、ガイドラインの見直しを進める中で、しっかり前進させていきたい。各省庁での文書管理をしっかりしていきたい。その中でまずはその成果を見極めたいとこう思っています。その見極めた上で、更なる見直しの必要があれば、法改正も含めて検討していきたい」(この危機感のなさ、腹立つわー。せめてそのガイドラインの見直しの概要ぐらい言えや。)
「そうこうするうちに、霞ヶ関ではどんどん、文書が捨てられてんですよ。今、この時点も。いいんですか。公文書管理担当の大臣として。具体的に私、法改正のこういった検討はいかがでしょうか、という提案をしたいと思います。たとえば、1年未満という保存期間は原則禁止にする。実は、公文書管理法上も政令でも、ガイドラインでも規則でも1年未満という保存期間はどこにも書かれていない。1年未満の保存文書は実体がわからないんです。なぜなら保存期間1年未満の文書は、行政文書管理簿に登録しなくてもいいルール。登録されると廃棄の記録が残るが、1年未満の行政文書は廃棄の記録も残らない、これは完全に法律の欠陥です。なので1年未満の保存期間は原則禁止すべきでしょう。大臣、いかがですか。」
「現在もルールに則ってやっているわけでありましてーえーガイドラインの見直しもやってございますので、それらの成果を見極めたうえで検討していきたい」(ルールが間違ってると思わないかと聞かれてルールに則ってやっているってアンタどこの佐川だよ、役人か。政治家だろ)
「そのルールに抜け穴がありますね、ということを申し上げております」
中略
「行政文書ファイル作成規定の見直しも提案いたします。「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)は拡大解釈されている、森友の問題でも、ファイルにまとめるともっとも保存期間の長いファイルにあわせて保存しなければいけないため、短期間のものだけを集めて、簡単に捨ててしまっている、だから、意志決定過程が後追いできるように構成すべきだとこう改正しなければならないと思いますが、大臣の見解をうかがいたい」
「まずはガイドラインの見直しをやって、その成果を見極めたい。ご意見はご意見として承る。」(だからどういう見直しをするかぐらい言え)
中略
「公文書管理法ができるときに、有識者会議を運営していたのは、当時上川陽子(自民)大臣でした。当時、上川大臣は、この結論ができるまで、霞ヶ関で文書を捨てないようにと閣僚懇談会で全大臣に要請をされ、全省庁を視察され、文書管理の実態を書庫まで視察にいかれました。そのぐらいのことをやっていただかないと、今ももう捨てられてますよ。多くの文書が。そのぐらいの仕事はしていただきたい。いかがですか大臣。」
「当時は公文書のルールがなかった。現在はルールがきちんと整備されており、当時と同じような対応を取る必要はないと考える」(無責任にもほどがある)
「1年未満の行政文書が合法的に捨てられているという意味においては、公文書法ができる前よりも事態は深刻ですよ。そのことを自覚してください。そういった答弁に終始されるのであれば、大臣には公文書管理に関する責任も熱意もないと断じざるをえません。これからしっかりと職務を果たすんだとおっしゃるならせめてそのぐらいのことはおっしゃってくれないと困る。」
3月だからというのは関係ないが、本当のことを話すと狩られるのがジャップクオリティなので、増田なのである。
さて、栄養の塊なのにきょうびなかなか食われていないものに、豆腐というものがある。豆腐の味は大豆でほぼ決まるが、食感は凝固剤の種別、消泡剤(乳化剤、界面活性剤)の有無に左右される。近年は、人日を削るために、凝固剤を花王かどっかから買おうとしたり買ったりしているようだし(乳化剤を混ぜたにがりだと高温で固まるので早いため)、消泡剤を入れたり(待たないでも泡抜ける)、凝固剤を大量に入れて輸送中に固まるようにした相模屋とかが得意げな充填豆腐というエセ絹ごし豆腐もある。(ちなみに、ヨーグルトにしても同様で、輸送中に発酵させるものがほとんどで、出荷前に真面目に発酵させたもののほうがプレミアムである。)
それで、にがり(海水産の塩化マグネシウム)で固めたものが、元来普通であるのにもかかわらず、プレミアム価格である。ちなみに、人間が手寄せした豆腐は人件費が掛かるのに売れないから、豆腐屋の多くは潰れた。
しかし、この「にがり」というやつも、どうせ棄てるゴミであった。つまり、製塩で出るゴミ。
塩というのはそもそも、ミネラルのことだ。だが、海水から塩をつくったときに、塩化マグネシウムは食味が酷い。だから、塩化マグネシウムの殆どを採って棄てる。
だから、豆腐というのは、このゴミを活用して少しばかりは食べ、必要なミネラルを多少は摂れるようにした、アイデア商品である。この豆腐はなにせ、江戸時代なんて最近からのものではなく、古代からある。和人は、昔はいくばくかまともであったのだろう。
塩である。きょうびの日本人と称するファッキンジャップは、塩の摂り過ぎが健康を害すると妄信している。
しかし、塩というのは本当はミネラルのことである。ヒトは、ナトリウムやカリウムやマグネシウムやカルシウムなどのミネラル(塩)が生きていくために必須だ。
しかし、霞ヶ関か誰か、おかみが、立釜と称するプラントで精製し乾燥させた工業製品の、いわば無水塩化ナトリウムを「食塩」と定義してしまった。そうしてながきに亘って、無水塩化ナトリウムが食塩のマジョリティとして君臨し続けた。「国産塩」はこの無水塩化ナトリウムでなければならぬ年月がずっと続いていたから、御存じのとおり、「伯方の塩」は輸入塩からつくられているし、(平釜でつくった普通の塩である)「沖縄の塩シママース」(青い海)でさえも今でも輸入塩が原料の大半を占める。和人が無水塩化ナトリウムを信奉するようになったのに対して、沖縄人は、味が変わるのをきらったのか、民族の伝統だからか、平釜焚きの塩にこだわりつづけた。そしてその沖縄人が「日本人」の平均寿命を押し上げている。(たぶん普段から「ヨネマース」でも摂っている。ヨネマースは「内地」(笑)ではなかなか手に入らない。)
さて、未だに、塩化ナトリウムを「食塩」として、外食産業であれ、加工食品であれ、そして多くの「家庭」の料理でさえも、用いられているだろう。
身体を害して当然である。ナトリウムばかり摂るから、身体が壊れる。
同様のことが、例えばコレステロールのバランスとかでもいえるだろう。善玉悪玉とかいうのがあるわけではなく、バランスがおかしいあんたらが悪いのである。
みなさんは、「塩の摂り過ぎは身体に悪い」とデマにつられて洗脳されて妄信して、減塩だのなんだのといってみたりもするが、実際に減塩なんかしたらきっと、カリウムやマグネシウムの摂取不足になる。つまりどうすればいいかというと、単に、「毎日使うからシンプルがいい」をやめて、「沖縄の塩シママース」でも「石垣の塩」でも摂る。とにかく、無水塩化ナトリウムをやめればよいのである。
日本と自称するものは、どうせ棄てるものがむしろ価値をもつような、顛倒した国家である。実に実に不可解で滑稽だ(笑)。
塩化マグネシウムが高く市販されていたりするし、おからも市販されている。同じように、どうせ棄てるものであった米ぬかが、いまどきは漬物が漬かる米ぬかのほうがレアで、高価で売られている。ちなみに、漬物用の塩は、「まいにちつか(略)では勿論いけない、うまく漬からない。
天かすがなぜか、市販されているのも不可解だ(笑)。どうせ棄てるものである。何故か江戸では天かすを入れると「きつね」とかいうらしいが、天かすはどうせ棄てるゴミなんで、それでカネを取るほうがおかしい。天かすというのは、具を天ぷらにしたときに出る、ゴミである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170327-00069178/
中央省庁の役人をしてましたが、いまは外にいるので、傍観者的に批評できます。
役人からすると、政治家や業者とのやりとりは、行政文書として保存・公開対象としておくのが、自分の身を守るためにも、過去の経緯を後任に伝達するためにも、役立つに決まっています。でも実際には、それをされると、世間の批判を受けやすくなる、さらには「調整力」を発揮できなくなってしまう政治家のセンセイたちのことを考え、行政文書として保存するような野暮な真似はせず、「個人的メモ」という名の書類が、個人の机の中には保存されるようになります。
おそらくこのFAXのコピーは、総理夫人付き部屋の机の中にある「政務案件 その○」というファイルに綴られていたのでしょう。本件が怪しい案件だというのは、官邸スタッフなら容易に嗅覚が聞くでしょうから、総理や総理夫人に泥が被らないうちに事務方だけで対処することを、おそらく、総理夫人付と、総理政務秘書官、総理財務秘書官の間で相談し、夫人には事後報告ですませていたのかなぁと推察いたします。
こんな話は、官邸のみならず、霞ヶ関さらには日本中の公務員職場にあふれかえっているはずです。役人が自発的にやるのは不可能なので、「やりとりをすべて文章化して保管せよ」という政治家が最もいやがる制度を政治家が作らない限り、改善されることはないと思います。
日本のお役所がPDF大好きなのは、知っている。霞ヶ関から吐き出される有効な資料は、ほぼpdf!
一方で、e-statなどでは、ネ申エクセルや方眼エクセルとは、別の方向でcsvデータを公開している。
今、株価が上昇しているIT企業様は、PDFとhtmlとを比べるような使い方はしていないのでは?
世界は、IT企業、htmlとPDFとを比べたらどちらを重用しているのか?
googleがjava script 推しのJQueryを良く使ってるし、これからは、人工知能の時代だから、xml形式とか、マークアップ言語は、良く出てくると思うよ。
Facebookはphpなんでしょう?リア充御用達で、Twitterよりも株価も資本も安定している。
これからは、you tubeとかLINEみたいなツールがどんどん出てくるから、先のことは分からないよね。
美味しいのよ!
まさに霞を食う!!!
なーんてね。
でも、マジおすすめ!
食べる前に飲むでお馴染みの季節。
まあ、冴えなかったから
お酒飲まなかったのつまんなかったし
終わったらすぐ帰ろうと思ったしね。
シラフで周り観察してると
酔っ払ってる人面白いわよねーって思ったわ。
しかし、忘年会って本当にみんな面白いと思ってやってるのかしらね?
こういうのを打ち破るのは難しいわよね。
やめちゃえばいいのにって。
それに、食べ物とかもみんな出し物の準備とかで席にいないこと多いから、
たくさん余っちゃうよのね~。
それかき込んできたわっ!
ついにスィーティー使ってみました。
今日は即席よ。
たまにはこれもいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だって、「国境に壁を造る。費用はメキシコ持ちだ」とか「炭鉱の町を昔のように繁栄させる」とか「偉大なアメリカを取り戻す」って
霞ヶ関から埋蔵金掘り出したり、最低でも県外に移転したり、コンクリートから人へお金の流れを変えたりするより、
もっと難しそうじゃん?
そりゃ、どうせテキトーなことを言ってるだけなのはわかっているけど、とにかくヒラリーは嫌だし、アイツならなにかを変えてくれそう、程度の考えで
投票した人も多いんだろうけど、
どう考えても、他人を出し抜いて不動産で大金持ちウハウハなオヤジが、本気でビンボーな労働者の生活を改善してくれるわけないじゃん。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。
幻に終わった「経世会200人構想」ってのはそういうものだった。
当時の衆院は中選挙区制で選挙区が130あったので、全部で1人ずつ当選させれば衆院だけで130人。
合計200人の大派閥になったところで自民党割って、当時仲良かった公明と合流して二大政党制を樹立、というのが金丸信と小沢一郎が考えていた青写真。
そこまで進む前に、経世会分裂と金丸巨額脱税(離党後の新党に備えるための資金を貯め込んでいたのだが脱税は脱税だ)によって挫折したが、小沢一郎らが離党して一応政権交代は起きた。
ここから2,3回は非自民政権下で予算編成して、自民系の地元利益誘導予算を止めて自民党を日干しにして勢力を削る、というのがベストストラテジーだった。当時の自民党は100人規模で離党予備軍がいたので、兵糧攻めした上で何らかの名分が立てば切り取れたはずだった。
が、迂闊にも、統一会派形成を社会党に諮らずに進めたら政権基盤がガタガタになって最後は自社さきがけ政権という奇策に敗北。
本題に戻ると、与党にしか人材がいないのは、日本の政治家は官僚機構を操縦する必要があるのに、霞ヶ関経験値は原則として与党議員しか積めないせい。
民主党時代の小沢一郎が「大連立」を構想したのはそうやって一度政権に入って霞ヶ関経験値を民主党議員に積ませないと政権交代したら詰むと分かっていたから。
急に政権が来たので