2016-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20160706114709

幻に終わった「経世会200人構想」ってのはそういうものだった。

当時の衆院中選挙区制選挙区が130あったので、全部で1人ずつ当選させれば衆院だけで130人。

あと経世会参院が強かったのでそっちで70人調達

合計200人の大派閥になったところで自民党割って、当時仲良かった公明と合流して二大政党制樹立、というのが金丸信小沢一郎が考えていた青写真

そこまで進む前に、経世会分裂と金丸巨額脱税(離党後の新党に備えるための資金を貯め込んでいたのだが脱税脱税だ)によって挫折したが、小沢一郎らが離党して一応政権交代は起きた。

ここから2,3回は非自民政権下で予算編成して、自民系の地元利益誘導予算を止めて自民党を日干しにして勢力を削る、というのがベストストラテジーだった。当時の自民党100人規模で離党予備軍がいたので、兵糧攻めした上で何らかの名分が立てば切り取れたはずだった。

が、迂闊にも、統一会派形成社会党に諮らずに進めたら政権基盤がガタガタになって最後は自社さきがけ政権という奇策に敗北。


本題に戻ると、与党しか人材がいないのは、日本の政治家は官僚機構を操縦する必要があるのに、霞ヶ関経験値は原則として与党議員しか積めないせい。

民主党時代小沢一郎が「大連立」を構想したのはそうやって一度政権に入って霞ヶ関経験値を民主党議員に積ませないと政権交代したら詰むと分かっていたから。

急に政権が来たので

http://anond.hatelabo.jp/20160706112930

で、その通りになりましたね、というのが民主党政権結論

小選挙区制で党本部の統制力が上がった今では、中選挙区制時代にありえたような自民党分裂は期待薄である。先は遠い。

記事への反応 -
  • 鳩山も小沢も岡田も元自民でしょ。 ある程度まともな野党を作るのに手っ取り早いのは与党の分割なんだって。

    • 幻に終わった「経世会200人構想」ってのはそういうものだった。 当時の衆院は中選挙区制で選挙区が130あったので、全部で1人ずつ当選させれば衆院だけで130人。 あと経世会は参院が...

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