はてなキーワード: 自発的とは
やあ、みんな元気?ただいま、増田です。
厚労省からも労働者ではないと言われてムカついたので晒します。
埼玉県ワクチン接種センターで働いていたら労働者ではないといわれた。(詳しくはこちらhttps://anond.hatelabo.jp/20211014160920)
残業代の未払いや労働条件の切り下げに当たるかという問題だと思っていたが、どうやらそもそも労働者ではなかったらしい。でも実態が労働者であれば、契約内容にかかわらず労働者であるはず・・・と素人が悶々と長々とまとまりのない文章を書いたところ多くの反響をいただいた。
電話相談では実際のメール内容や給与明細を見てもらうことができないため窓口で「労働者ではないので八時間労働制に該当しないから時間外労働の概念もないし割増賃金を支払う必要はない」と言われて残業代が未払いだと相談員に訴えたところ、詳細を知る必要があるとして監督官に代わった。
監督官「労働者性を判断するのはこちらで、使用者が決めるものではない」Fu〜かっこいい・・・
勤務場所や時間が指定されシフトもあり拘束されていることから労働に当たる可能性があるとして、調査が入ることになった。(県センターは四箇所あり、別センターに勤務する看護師も同様の扱いを受けていると伝えた)
鍵は埼玉県が取ってつけたように提示した保政法第569-1 (※県からのメールには「保政法第569-1通知に基づく業務応援(スポットで応援を依頼しています)」とあった)というものの中身になるだろうとのことで、全文を確認したいとその場でセンターに電話をしてくれた・・・が担当者は本文はおろか何を根拠に発出されたかっていうかそれってなに?おいちいの?と理解していなかった。
偉い人によると、「保政法第569-1は厚労省から労働者として扱わなくてもいいですよと言われているのでそのように扱うけど大丈夫だよね?と聞いて埼玉県労働局から承認を得ました!」という免罪符的なもののようだったが、監督官は「実態を判断するのはこちらですので」と伝えてくれた。(かっこいい・・・)
県センター担当者からのメール文面や当初配られた条件が記載された紙ぺらなどと共に、本来であればもらえていた賃金(残業代・シフトが削られた分)を計算し、資料として提出した。
さて、その頃センター内でも、シフト減に対して同意はしていないこと、接種者の減少を見越した運営ができていなかった埼玉県により労働の機会を一方的に奪われたのは解せぬと県職員と話し合いをしていた。
「ワクチン接種業務に関する謝金支払い求人の対応について」という資料2(後述)と記載された紙を一枚渡され、「埼玉県としても初日に丁寧に説明するべきであったのはごめんだけど、そもそもこれは雇用締結する”労働者”としては扱わない謝金支払いの求人であることを明示しなかった看護協会が悪いから文句ならそちらに(意訳)」という説明。(ちなみに明示はされており、割増賃金や補償がないことを書いていなかったのは埼玉県)
しかしそもそも資料2というものの出典が記載されていないし(非公式なのではと思った)ここまで来て引き下がるかよという気持ちにもなっていたし、大本である厚労省の文書を確認する必要があったので、この謎を解明すべく、我々はアマゾンの奥地へと向かった・・・
資料2の大本は【新型コロナウイルス感染症に係るワクチン接種人材確保】が目的であることが分かった。これは政府が21年7月末までに高齢者のワクチン接種完了を目指したものの、看護師不足が叫ばれており、それを解消するための切り札となる潜在看護師の就業支援として、支給要件を満たした看護師に就業準備金を支給すると厚労省が決めたもの。
資料が添付できず分かりづらくてすまんだけど。
都道府県ナースセンター以外の職業紹介や直接申し込みにより雇用された場合や、自治体において謝金対応としている募集への就業も就業準備金支給の対象に含めるとした。(そして本来謝金支払い求人は無料職業紹介事業の対象ではないが、緊急だから掲載してよいとなった)
ワクチン接種のための潜在看護職等のさらなる活用について(厚生労働省医政局看護課):準備金支給の対象についてはeナースセンター(都道府県看護協会が運営する無料職業紹介サイト)への登録及び必要な研修の受講を要件としているが、それ以外の職業紹介や直接申し込みによる雇用の場合、自治体において謝金対応している募集も対象とする。謝金対応は本来無料職業紹介事業の対象外だが緊急的なので、看護師確保事業として必要な情報提供の支援をしてねという文書
ワクチン接種業務に関する看護職確保のさらなる推進について(交易社団法人日本看護協会):厚労省からの通知を受けて、自治体からの求人では謝金支払い求人を希望するところが多かったことから、厚生労働省医政局看護課との検討の結果、無料職業紹介事業とは別の扱いとして対応することとなったのでそれぞれうまくやってねという文書
資料2は、緊急的な看護師不足を解消しワクチン接種を完了させるために潜在看護師に就業準備金を支払うことを決め、広く看護師を集めるためにeナースセンターでは労働契約ではない求人であっても扱うことになったからこのように対応しようねという資料だった。
ちなみに資料2と合わせて上記関連資料も追加で労働基準監督署へ提出した。
資料2ってあくまでも準備金支給(ワクチン接種の看護師確保)のためなら謝金支払い求人を取り扱ってもよいということのみであって、実態として労働者に見える環境であっても労働者として取り扱わなくてよいとは一言も言ってない。((特大フォント))
埼玉県の言い分はこうであった「これは給与ではなく謝金だし、命令ではなくあくまでも依頼で、依頼したら来てくれただけ(意訳)」ま、そりゃあそう言うしかないだろうよ。
ではそもそも有償ボランティアとはなんぞやということでまたしても我々はアマゾンの奥地へと向かった。
こういうものを見つけた。ちょっと脱線しているので、経過が見たい方は読み飛ばして欲しい。
「有償ボランティア」 は労働者か?ー活動実態と意識の分析から
労働政策レポート No.3「有償ボランティア」という働き方─その考え方と実態─(第2章 有償ボランティアをめぐる研究と議論の整理)
『有給職員と仕事内容が近づいてくると, 内在的意識が有給職員に近くなる可能性がある。 このように外形的にも内在的な意識においても有償ボランティアが有給職員に近い場合には, 労働者として扱うことが望まれよう。』(小野,「有償ボランティア」は労働者か?ー活動実態と意識の分析から,日本労働研究雑誌,2007)ですよ、聞こえますか。
『ボランティアについて明確な定義を行うことは難しいが、一般的には「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる。(厚生労働省社会・援護局地域福祉課)s1203-5e_0001.pdf (mhlw.go.jp)』
そもそも求人サイトを介して求人募集していたんだし、お金欲しさに応募しているところから利他的でないことは明白であり利己的でしかないです。(特大フォント)
給与ではないと言うが所得は所得だし、こちとら「給与所得者の扶養控除等申告書」を提出して所得税が引かれており、税務署には「給与」として扱われる。
「流山裁判」の話も読んでみたが、時給自体も一般的なワクチン求人と遜色なく、単純なありがとう代というには高時給で対価としての性格が強く、専門性の高さからも請け負って働いていたと言えるだろうと考えている。
また、看護師の他に医師や案内スタッフもいたが看護師を除く全員が労働者扱い(みんなは派遣)されていて、看護師だけがこれだけの給与を貰っていて同様にシフト制で働いていて有償ボランティアと言い張るには無理があるのではないかと感じる(賠償責任保険に加入しており、何かあれば埼玉県が対応することになっていた)
長くなりそうなのでアマゾン話はこの辺で。
監督官「県職員との話し合いで(ワイが)言っていたという回答と同じ内容だった」
1度目の聴取で書類を請求していたようでそれを提出してもらったとのことで、それを元に改めて上に照会して法違反があるかどうかを調べる。
監察官「柱は労働者性が認められるか・割増賃金の適用となるか(変形労働時間制の概念が埼玉県に存在するか)・休業手当の対象となるか(労働者性があるなら)になる」
埼玉県「会計年度任用職員制度を適用すると行政職の中で一番給与安くなるけどいいの?」という話も出たらしい。
良い訳ねえだろうよ遡って労働条件の切り下げをするの?すごくない?まじアクロバティックなんだけど・・・
監督官曰く「遡及して返還するというのは聞いたことがないし、それこそ最初の求人情報と異なるだろうってトラブルになるのは明白なのであり得ないとは思うけど」「埼玉県には埼玉県の決まりがあるんだろうけど、そんなことこっちは知らんし・・・労務管理を徹底してとしか(意訳)」と仰ってました。
ちなみに会計年度任用職員でも同額くらいで出てた自治体はあったので、給与自体は設定できるはずですね。
○野澤企画官 看護師派遣を行う派遣事業者に聞き取りをしたところ、時給で大体2,000円から2,500円が相場でした。~中略~ 接種会場の設営等にかかる費用については、菅総理も申し上げている通り、国で100%措置することにしているため、自治体は、相場と比べて遜色ない水準で雇っているのではないかと考えています。以上です。
○松本委員 遜色ないのではなくて、やはり、もう少し手当を考えたほうがよろしいかと思います。と申しますのが、普段の仕事の時給と比較しても、2,200円は決してそんなにいいわけではないのです。非常に短時間の仕事だと思うので、やはりある程度の手当は、危険手当的な意味も含めて、もう少しお考えになったほうがいいのではないかと、私は思います。
声に出して読みたい日本語〜!私もそう思うよ!??!?松本委員に同意同意!!!
案内スタッフ1500円/h、会場ディレクターで30000円/dとかで出てたんですよ?それでどうして実働が多い看護師が2000円台?割に合わない。
医師が20000円/h出ていたことも考えて、準備して打って観察する看護師の4000円/hは妥当だろう、じゃなかったら何のために頑張って資格取ったんや・・・
はじめに、厚労省や自治体とのやり取りになるのでめちゃくちゃ時間かかってしまってごめんやでとのことだった。本来企業とのやり取りならこんなに時間は要さないのだとか。
以前に柱になると伝えられていた①労働者性が認められるか、②割増賃金の適用となるか、③休業手当の対象となるかの報告。
③については難しいだろうと思っていたのでふむふむやはりという感じ。時短勤務は本意ではないので悔しいけど。
これらの違反点をまとめて労務管理しっかりしてね的な感じで埼玉県宛へ交付する予定と。
一般的には、違反を認め是正してもらうという流れになるそうなのだが、そんなに素直に動くのだろうか、ちゃんと更生してくれよな・・・と祈っていた。
県で協議中との連絡。期間中どういう働き方だったのかという聞き取りだった。
業務に関して具体的な指示があったのかとか、シフトはどういった決め方だったのかとか。上からの指示があって働いていたかどうかとかを見極めるためかなと。
監督官「クッソ時間かかったのにごめんだけど(n回目)、厚生省の労働局とも話し合いをして労働者にあたるかを検討してきたし指導できそうって方向でやってきたけど、結論労働者に当たらなかった(意訳)」
は?どゆこと?イケそうみたいな方向はどうした。
アクロバティックに大技決めたかと思いきや着地失敗かよ。驚きで複雑骨折。
驚きで詳しい理由を問い詰められなかったが、、一般の仕事とは異なり特殊だからゴニョゴニョみたいな感じの言い分。厚労省パワープレイすぎ。
労基言いくるめた厚労省の担当者、俺たちの前に出てきて説明して。
誰があの時期に12人で1300人(接種者は5人)打ったと思ってんの???段々呂律回らなくなるんだぞ・・・
労基の担当者は大仕事した結果がこれでマジ時間返せよ〜と思ってるかもしれないが、それはこっちも同じだし期待した分ショックもでかい。
まさに今回の発端がここ。契約書や労働条件通知書は自分が労働者だと認めてくれる紙切れ(pdf)を大切に保管。書いてあることと違ったらその都度確認!それはあなたが持つ権利です。
選挙行こう(飛躍)
マジで大切。今回のように力になってくれない、メールも読んでくれない都道府県議会議員があなたの町にもいます。弁護士でホームページに労働者の味方とか書いておきながら労働者のメールをシカトするおじさん。労働者の権利を守る委員会みたいなのに入っているのにその手のことは分からんので力になれませんと返信してきたおばさん。自分が持つ権利は全部使おう。風が吹けば桶屋が儲かる的なあれで、回り回って自分に影響があるかもしれないぞ。
なるほど
話のわかる方とお見受けしてお願いするのだけれど、「女性が胸のサイズを自発的にコンプレックスに思うことはない」ということを理解してほしい
現実で胸をコンプレックスに思う女性は、「胸が小さいと男の人に女と思ってもらえない、と社会から理解させられる」のが理由なのがほとんどだ
言い換えれば、胸がどうであれ男性が本人を見てくれるならコンプレックスになどならない
それこそVtuberなんかが胸を「自分自身がコンプレックスに思ったり自慢する」ことをネタにしたりするから「じゃあ胸大きくすれば解決じゃん」って誤解するかもしれないけど、そうではなくて本質的には「胸がどうであれ人間は愛され得る」と思えなくてはなんの解決にもなってないのよ
西日本の地方都市在住。JRの在来線乗るとき最近はぜんぜんマスク着けてないけど、他の乗客からも駅員からも何も言われたことないよ。数十分にわたってボックス席とかにも乗ってるけど、別に、それで困ったこととかない。普通に対面に座ってくる人いるし。
大型書店? いや、別にいちいち着けてないけど。スーパー? 着けたり着けなかったり、気分で決めてる。映画館では映画泥棒が出たあたりで外してる。アニメイトでも割と平気になってきたよ。何度もノーマスクで入店して買い物してる。
ユニバーサルマスキング? 知らんがな。俺の生活様式をくつ王先生だか誰かに指図される理由はどこにもないんでね。そういう「全員で同じことをやりましょう」的な同調圧力というか全体主義が大嫌いなんだよ。これまでの人生で花粉が飛んでるとか埃っぽいとかで自発的にマスクを着けたことは何度もあるけど、それとマスク着用を強いられるのは全然別の話なんで。自発的にセックスすることと無理やりセックスさせられることは全然違う、って誰でもわかる話だよなぁ?
着けていたいという人は好きで着けていればいいけど、俺に着用を強制するな。俺がいつマスクを着けるかは俺が決める。新しい生活様式クソ喰らえ。俺の生活様式は俺が決める。
まあ、くしゃみが出るようになったり、花粉が飛び始めたり、埃っぽい部屋を掃除するときはマスク着けるけど、それは俺が判断することなんで。実際支障はそれほど出てないよ。なんだかんだで日本って自由の国だよな。マスク着用を法で強制するようなおファッキン人権侵害国家の住民じゃなくてよかったわ。
ウクライナ戦争がウクライナ優勢で進んでいる現在、戦争終結には次の可能性がある
プーチンは自発的に戦争を辞める気がなさそうなので、戦争終結の可能性が高いのが、最初にあげた核戦争だろう
陸続きの国は核攻撃を嫌がるかもだが、海を隔てたイギリスやアメリカは核攻撃をあまり気にしていないような気がする
ロシア在住アメリカ人に帰国を呼びかけたのも核戦争への布石に思える
なのでプーチンが局地的にせよ核を使用したら最後、NATOは核攻撃をするだろう
ロシア壊滅後、ロシアはモスクワ周辺のみになり、サンクトペテルブルク、シベリア、カスピ海周辺は独立し、カスピ海油田の利益でウクライナを復興させる
いわゆるロシア系住民は強制的にモスクワ国に集められヒャッハーな世界で生きていく
ロシア沿海州はシベリアとともに独立するが、ウラジオストックにはアメリカ軍の基地が置かれる
ここ何日か表題のことをしばらく考えていて、自分なりに納得できた気がしたので残しておきます。
……というのは建前で、本音は何も知ろうとしていなかったのに食わず嫌いをしていた自分の愚かさへの悔恨と懺悔でもあります。あらかじめご了承ください。
学生時代からカーストの最下層に位置して、テレビゲームに視線をずらして現実から逃げて、流行りのテレビ番組を忌避していた系統の人間です。
学生時代に抱いていた『ジャニーズ』に対する印象はと言うと……あろうことか敵愾心でした。
何も知らない、ましてやファンですらない部外者の人間が思い込みだけで抱く印象が敵愾心と聞くと、いかに幼稚か分かる人には分かると思います。
学生時代の『私』が恐ろしく幼稚で狭量だったのは全く否定の余地がありません。
強いて言い訳をするなら、当時の『私』はカースト上位の男女問わずそれなりに過度ないじりをされていた、ということです。
坊主憎けりゃ……のあれです。
キャラソンを聞いて妄想して1人でニコニコしていた過去の『私』と、ジャニーズのかっこいいアイドルを見てときめいていた人達に優劣などありはしないのに。
こんな簡単なことも気づかず、気づくチャンスもなくアイドルとは無縁の世界で生きた『私』は順調に年齢だけを重ねていきました。
『私』は突如としてアイドル、しかもよりにもよってかつて嫌悪に近い感情を抱いていたジャニーズの沼に全身突っ込むことになります。
友人がいつもカラオケで歌ってるから歌詞はどんなものか見てみよう——
どうあれ『私』は生まれて初めて彼ら、ジャニーズに興味を持ち、自発的に近づいたのです。
こちらから距離を縮めようと努力し始めたら、あとは簡単に転がり落ちていくだけです。
熾烈な競争の中で、彼らは1人でも多くの人の目に留まろうと努力していると知りました。そしてより強く光り輝こうと、勝ち抜いてやるという強い生命力のようなものを感じられたのです。
歌に目を向けても、聞いてる人間が容易に感情移入出来るように計算され尽くしたキャッチーかつ明瞭なものばかり。
ありがちで陳腐だと感じるときもあるかもしれないけれど、『私』は三十路の、社会の荒波で心がすり減ったちっぽけなオタク。
ありがちでも、それを嗤う反骨心はどこにも無く、むしろその陳腐さに有難みすら感じてしまいました。
だって社会は、同僚は、誰もすり減った『私』をよく頑張ったとは労わってくれないのだから。
家族は、友人は、画面の向こうのあなたも、『私』の息苦しさの全容は分かりっこないのだから。
理想の『私』と、現実で苦しむ『私』を比較して萎えて、それでも頑張ることが出来ずに不完全燃焼だった『私』にとって、高みを目指す彼はとてもかっこいいと思いました。
ジャニーズの歌は、頑張る姿は、こんなちっぽけで狭量な『私』すらも、許してくれているような……そんな気すらしました。
プーチンは自発的に戦争を辞める気がなさそうなので、戦争終結の可能性が高いのが、最初にあげた核戦争だろう
陸続きの国は核攻撃を嫌がるかもだが、海を隔てたイギリスやアメリカは核攻撃をあまり気にしていないような気がする
ロシア在住アメリカ人に帰国を呼びかけたのも核戦争への布石に思える
なのでプーチンが局地的にせよ核を使用したら最後、NATOは核攻撃をするだろう
ロシア壊滅後、ロシアはモスクワ周辺のみになり、サンクトペテルブルク、シベリア、カスピ海周辺は独立し、カスピ海油田の利益でウクライナを復興させる
いわゆるロシア系住民は強制的にモスクワ国に集められヒャッハーな世界で生きていく
ロシア沿海州はシベリアとともに独立するが、ウラジオストックにはアメリカ軍の基地が置かれる
理由:
みんなが論拠にしている「強制的説得」による「財産の略取」だけど、裁判所はこれまで一度も「マインドコントロール(強制的説得)を法の立場で一度も審判していない」んだよね。
例:
裁かれなかったマインドコントロール オウム公判終結: 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1804S_Y1A111C1000000/
「マインド・コントロール」論争と裁判 : 「強制的説得」と「不法行為責任」をめぐって
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34042/1/109_PL59-175.pdf
特に障害を持たない成年が、他者の説得を受け入れて、財産を生活破綻するまで差し出すような自体は想定し得ない、ってことなのよ。
つまり裁判所の理屈としては「抵抗できるのにしなかった」「説得(マインドコントロール)は言葉だけで、そこに直接の危害(散々出てくるでしょ、障害関連事件でも)は認められない」。
よって「お布施は自発的な寄付として行われているので、何ら違法性は“無い”」ってことよ。
(霊感商法は「詐欺商品を売った!」「売った後もしつこく金を請求した!」から裁かれたわけ。無価値な商品を買わせ、無意味な理由で更に金銭を要求したからね)
で。前例主義の裁判所が、これまでマインドコントロールに関して一切の法的な判断を下していないのは、これまでの「個人が自分を防衛するために発せられる抵抗は必ずある」っていう前提な。
また裁判所の「自我の喪失」は「気絶」と「死を確実視した状況」以外承認していないわけ(※ここはフカシてます。他に判例あるかも※)。
逆にここを「みんなが望んでいる」ような形で「承認」したら、これまでの全判例に反旗を翻すことになるよ。
様々な詐欺・暴力事件で「抵抗不能な精神状態が、気絶と死を確実視した状況」以外を承認したら、容疑者の罪状はドンと跳ね上がるね。
今までの判例という積み重ねを否定することになる。それは裁判所も法務省も絶対に承認しない。
「法改正」は別よ。彼らも喜んで「時代に応じた法律」に準拠する。でも、これまでの判断や価値観を変えることは絶対にない。
まぁ、筋悪だけど「組織犯罪」で攻めるしか無いが、既に霊感商法はやっていない。
お布施を裁くのはさっきの通り「障害をもたない成年が、強制的説得程度で、家族の生活、当人の生活が破綻するような行為に及ぶとは考え難い」になる。
つまり「お布施は自覚して払ったものであり、生活破綻したのは個人の資質や価値観の問題であって、旧統一教会組織の違法性を問うものではない」って結論になるわけよ。
なので。粛々と、延々と、「旧統一教会は悪!」とメディアで連呼し続けたり、被害者を登場させたり、し続ける以外はないと思うよ。
裁判になるし、多分国が負けるだろうけど、ガラポン必殺・与党が「旧統一教会の全組織は反社!」って認定して、国策強制捜査とかすれば別。
でも、それは法治国家の在り方じゃないよね。
とまぁ、法律素人のワイでもここぐらいまでは想定できているので、政府の法務関連は「なんとかできんのか!」と法務省をぶん殴ってるだろうけど……。
あるのかねぇ、合法的に旧統一教会組織全てを「反社会的な詐欺集団、と認定した上、他宗教法人に一切影響を及ぼさない」ウルトラCって。
ザイオンス効果という言葉を初めて知った。wikiによると以下のことなんだそうだ。
単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか、英: mere exposure effect)は、(閾下であっても)繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文 Zajonc (1968) にまとめ、知られるようになった[1]。
ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則、ザイアンス効果などとも呼ばれる。対人関係については熟知性の原則と呼ばれる[2]。
はじめのうちは興味がなかったものも何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる、という効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。また、潜在学習や概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。
図形や、漢字、衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。広告の効果も、単純接触効果によるところが大きい。CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである。
Z世代に顕著と元増田はいうのだが、上記定義をみると、広く言えば、むしろ日本の集団主義的な組織風土をドライブするメカニズムに関係しているように思えるね。単純接触効果を組織内でうまくつかって「うちわ」の安心感を醸成してゆく、というか。
従来の日本の組織というのは、年配者が半ば強引に、単純接触の機会(パワハラ的指導、飲みにケーションが最たる例)をつくり、すでに組織内で支配している層に居心地のいい「うちわ」感を若者に覚えさせてゆくプロセスを通じて、世代間の組織風土の持続性が図られてきた。80年代、上司の室田日出男が新人部下の中井貴一をオルグして毎晩カラオケについていったように(ふぞろい世代)。
そういう見方をしてみると、要するに、ザイオンス効果をとらえて、Z世代の特徴かというと、よくわからない。
恐らく、ザイオンス効果自体は変わらないけれども、変わったのは環境なんじゃないかな。Z世代以前以後で。
Z世代以前と以後では、世の中の居場所、選択肢が急速変化している。
80年代のティーンの居場所は、学校かゲーセンか、盛り場、塾だったし、学校が嫌になった場合の逃げ場が限られていた。
通信手段も、携帯電話は存在しなかったから、友達からきた電話を親が先にとる時代だった。娯楽も限られていた。
消費者の選択肢が少ないから、メーカーもプロダクトアウトな発想で、繰り返しCMを流し、消費者に刷り込みをかけてマスな製品を作ってしまえば市場を席捲できた。ソニーのウォークマンが典型。これもザイオンス効果のひとつといえる。
マスな動きに取り込まれる(流行に乗る)ことが取り残されない条件だったし、会社でも上司に従うしか、居場所を見つけられない時代だった。
政治選好的にも、当時の自民党VS社会党というのは、絶対的な安心感を与えていて、とにかくうちは自民党、うちは問答無用で、昔っからおたかさんみたいな時代。
そして、学生から社会人など、環境が変わるたびに、通過儀礼的に「その空間での安心感はこれだ、こういうやり方してりゃいいんだよ」と新参者は叩き込まれる。
しかし、90年代以降の動きというのは、情報革新によって、ニッチな居場所、環境が急激に増えた時代。あるいは気が付くことができるようになった。
ニッチな環境がどんどん増えて、自分で居場所を選べるようになった。
政治も細川政権以降、離合を繰り返した。会社組織も働き方や仕事の仕方に、多様性を認めるようになってゆく。その最初のきっかけは80年代、転職というムーブメントだった(リクルート)。
しかし、自分で転職したり、ニッチな空間をみつけて得られる安心感というのは、自分の欲求ニーズにジャストミートをするという意味では安心だが、例えば自民党を疑いもしない時代に比べると、寄る辺のなさを感じるものであり、かつてほど盤石ではなく流動的で、大きくもない。
そしてかつてのような大きな主体に取り込まれることの安心感が少なくなっているんだろうと思う。
昔だったら、そういう大主体は自分から探すものではなく、人生のステージがあがると、会社の上司が象徴するように、待ち構えているものであって、
飲みにケーションの洗礼をあびて、数年で組織に同化していった。同化の過程は最初は激烈でキツイんだけど、集団に慣れると逆に居心地がよくなるのだ。
ザイオンス効果という言葉をあえてつかって、前世代の特徴をいえば、オルグする、という意味で、プッシュ型のザイオンス効果。紙の新聞メディアもその典型で、世の中の標準的な考え方というものをテレビや新聞などのメディアを通じて受け入れるプロセスが存在した。
しかし、情報通信革命がもたらしたニッチな空間、居場所への気づき、というのは、自分から自発的に、その時々で感じている不安・ニーズを解消する場所へ向かえるようになった、という意味。
自分から安心を探し出す、という意味ではプル型のザイオンス効果。簡単に答えがみつかるからSNS依存を深めてしまう。自分の疑問や不安は自分からググればなんとなしに答えが見つかる、という。Togetherは都合のいいようにあたかも大勢の人が考えを共有しているかのような細工をして答えを提供してくれる。電子掲示板やSNSの、自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場で、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、いわゆるエコチェンバー効果が議論されるようになったのも2000年代初頭。
こういう時代には、何が標準的な考え方で、支配的な考え方なのか、それを新聞などマスなものを通じて確認する、ということが難しくなっている。
SNSなどを通じて自分の求めている何かを見つけてしまえる安心感と引き換えに、いろいろな人がいろいろな場所に安心を見出すようになって、マスなものにピントが合いにくくなってしまった。
だけれど、恐らくザイオンス効果がプッシュ型であれプル型であれ、本質的に、よりマスなものを求めて安心する、という傾向は変わってないんじゃないか。
一方で、プッシュ型のオルグからうけるストレスに、自分で答えを探すことによってすぐにすり抜けてしまう、ここにZ世代の特徴があるかもしれない。
昔だったらほかに選択肢もないことから、ちょっと我慢して順応せざるを得なかった組織も、今ではそのストレスから逃れる手段も選択肢も豊富。
ストレスから逃れた先に、当面の安心感はあるかもしれないが、マスなものに比べれば脆弱だ。
それはパーツパーツでちょっとした安心感を消費するものであって、全体として組織が自分を傘のようにかばってくれるような安心感ではない。
それはむしろ、自分で集めた安心、時代のキーワードを寄せ集め、組み合わせてコンセプトを自分なりに構成していかなければならない。
上司の説教など、プッシュ型を避けてしまえた結果というのは、つまりそういうことだ。しかし、そういう構成力というのは、若者の経験、能力、資質にどうしても依存してしまう。
自分自身をふりかえってみても、そういう試みというのは、一時しのぎになりがちだ。安心をみつけるのはほんとに安易になった時代だ。
しかし、だんだんわかってくる。マスなものも慣れてくる。経験を重ねるとみえてくるものが増えてくる。その経験値の差が今の時代に、なんとなく世代間の差のように映じているんじゃないだろうか。一昔前だったら、そんな個人的な経験値など全くどうでもいいものだったと思う。
若年層の政治的な保守性というのは、保守の理念への信頼ではなく、
寄る辺のなさからなんとなしに選択されているんだろうと思える。
もう一度繰り返すと、ザイオンス効果自体は、安心を求める日本社会において、Z世代を特徴づけるものというよりは、全世代に通底するものかもしれない。
ご出席の皆様。
UPFの主催のもと、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のために、およそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で、世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説する機会をいただいたことを光栄に思います。
特に、この度出帆した「シンクタンク2022」の果たす役割は大きなものがあると期待しております。
こんにちに至るまで、UPFとともに、世界各地の紛争の解決、とりわけ、朝鮮半島の平和的統一に向けて、努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ皆様に敬意を表します。
さて、いまだ終息の見えないコロナ禍のなかではありますが、特別な歴史的意味を持つこととなった東京オリンピック・パラリンピック大会を、多くの感動とともに無事閉幕することができました。ご支援いただいた世界中の人々に感謝したいと思います。
史上初の一年延期、選手村以外外出禁止、無観客等、数々の困難を越え開催できたアスリートの姿は、世界中の人々に勇気と感動を与え、未来へのあかりをともすことができたと思います。そして、イデオロギー、宗教、民族、国家、人種の違いを越えて感動を共有できたことは、世界中の人々が人間としての絆を再認識する契機となったと信じます。
コロナ禍に覆われる世界で、不安が人々の心を覆いつつあります。
全体主義国家と民主主義国家の優位性が比較される異常事態となっております。
人間としての絆は強制されて作られるべきではありません、感動と共感は自発的なものでなければありません。人と人との絆は、自由と民主主義の原則によって支えられなければならないと信じます。
一部の国が、全体主義、覇権主義国家が、力による現状変更を行おうとする策動を阻止しなければなりません。
私は自由で開かれたインド太平洋の実現を継続的に訴え続けました。そして今や、米国の戦略となり、欧州を含めた世界の戦略となりました。
自由で開かれたインド太平洋戦略にとって、台湾海峡の平和と安定の維持は必須要件です。日本、米国、台湾、韓国など、自由と民主主義の価値を共有する国々のさらなる結束が求められています。
UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします。
世界人権宣言にあるように、家庭は、社会の自然かつ基礎的集団単位としての普遍的価値をもっております。偏った価値観を、社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう。
いつの時代も、理想に向かう情熱が歴史を動かしてきました。理想の前には、常に壁があります。よって、戦いがあるのです。情熱をもって戦う人が歴史を動かしてきました。
自由と民主主義を共有する国々の団結、台湾海峡の平和と安定の維持、そして、朝鮮半島の平和的統一の実現を成し遂げるためには、とてつもない情熱を持った人々によるリーダーシップが必要です。この希望前進大会が、大きな力を与えてくれると確信いたします。
ありがとうございました。
7th Rally of Hope(神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会)
UPF公式サイトより
7th Rally of Hope - World Leaders Renew Call for Peace
文字起こしには次の出どころ不明の日本語字幕付きYoutube動画を参考にしました。
https://www.youtube.com/watch?v=qtzkP2Pi9tY
安倍元首相銃撃事件の、犯行動機の一因と言われている、安倍氏が統一教会系団体に向けて送った「ビデオメッセージ」をテキストに起こしたものです。
ひょんなことから、安倍さんのビデオメッセージ動画をYoutubeで見たのですが、思いのほかシッカリと書かれたスピーチだった(きっとスピーチライター使ってる)ので、テキスト化された全文がネットにあってもいいのに、と思ったからです。
(書き起こしたあとでhttps://note.com/makeheavenlab/n/n3cabd07f7dc0 みつけてしまいましたが、なんか段落が読みづらい)
「お客様は神様です」について
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物や物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生の第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。
また、三波春夫の舞台をお客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命に舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。
そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
その後、漫才トリオのレツゴー三匹さんが「三波春夫でございます。お客様は神様です」という表現を流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。
また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。
このようなフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有りましたが、言葉や文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前の三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫のライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。
“雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。
16歳で初舞台を踏んだ浪曲の世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様が舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。
20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリアで捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。
抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身が希望を持って生きるためにも、時間を見つけては一所懸命に浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。
戦後は浪曲の世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服の歌手であり、歌手が座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。
永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞やエッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。
笑顔がトレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。
これらは、若い時に先輩から「普段の暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。
三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。
最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます。
三波春夫著『歌藝の天地』
(1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より
「お客様は神様です」の発端
お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「!?」
「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
すると、宮尾君はたたみかけて、
ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。
追記:
“翌日から、毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様を神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいね。お客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。
物の本質について
www.amazon.co.jp/dp/4003360516
昔の人ってどう考えても賢いと思う。今の知識人と比べても知性のレベルが高い。
上の本は、ニコニコ動画の奇書紹介で取り上げられてたから読んでみたけど、驚愕したわ。
原子の存在を、当時の学問水準で完全に予見してしまっている。ほかにも、万物の総量は常に変化しないとか、物には意思は宿らないとか、音や匂いや色は目に見える物質と比べて丸くて軽いから早く飛ぶんだとか、なんかもう色々と驚きだった。
※我々は物質から常に飛び出ている原子を観ているとか、太陽や月が地上からの見た目とほぼ同じ大きさだと主張していたり、ツッコミどころもあるにはある。
で、そういう生活に密着した科学や、人間とは世界とは何かを考える哲学も当然そうなんだけど、ここでは恋愛や結婚のシステムを語ってみたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20210918-00258826
先日このヤフーの記事を読んだ。「なるほどなるほどー!」となった。要約すると、大昔から自発的に恋愛できる男は全体の3割しかおらず、残りの7割は自分から女に声をかけにくいというものだ。
何百年以上前の昔の人って、どう考えてもわかってたよな。恋愛強者3割理論を。だから、お見合いというシステムを作って、特に村落なんかでは性的な繋がりについて、子どもや若者がフツーに生きてるだけでも学べる(若者の中の年長組が年少組に指南する。江戸時代の若者組)仕組みを作ったんだよな。
で、ヘテロの人もアセクシャルの人も同性愛者の人も関係なく皆結婚して、子どもを産みまくって、農業従事者を増やしていった。これが自由恋愛だったら、7割の人は自発的に恋愛しないので農業生産力は衰えてしまう。
今よりずっと厳しい時代だったから、ここまでの知恵や工夫がないと生き残れないわけだ。お見合いって、少年時代の自分は「ダサー!!!」としか思ってなかったけど、普通にいいじゃん、これ。復活させた方がいいって。
何なら、日本政府がマッチングアプリとかやったらどうだ。参考例として『恋と嘘』みたいな感じでさ。政府しか持ってない情報によって効率的なマッチングを図るのだ。
というか、結婚とか子どもの数がその時代の社会的経済的な情勢によって決まるのだとしたら、少子化を止めるのは不可能だってすぐにわかるじゃん。
今の時代は豊かだ。子どもを産む意義は薄い。特に情報革命が起きてからは、狩猟や農業や建築や土木仕事みたいな人月による労働積算という考え方は嘘みたいに軽くなってるし、はてなブログの人気記事を読んだ限りでは、優秀エンジニア1人≧普通エンジニア100人みたいな感じがする。
今のは残酷な話だが、いい点もある。とある才ある人間が超努力した場合、文字通りの100人力以上になってしまえるということだ。そんな人達によって、これからの社会はますます豊かになっていくだろう。それで、ますます子どもがいらなくなる。
子どもができたらがお金かかるし、子育ては面倒だし、何より遊べないだろう。こないだだって、子どもを置いて遊びに出かけて幼児を殺した夫婦が逮捕されてた。無理に子どもを作らせたって、ああいうケースが増えるんだよ。
少子化を防ごうとしたら、時代を逆行するしかない。例として、大昔だったら生まれた子どもを間引きしたり、頭が残念な子を村の奴隷にしたり、娘を売春宿に売る権利が親にはあったわけだろう。現代でもそれに似た仕組みを作れば、安心して子どもを産むことができる。はずれを引いても捨てればいいんだから。
人類は進歩しすぎた感がある。例えば100年後、世界経済の成長が頭打ちになって、フェルミ漫画大学が超積極的に進めるところのインデックス投資が通用しない時代がやってきたとしよう。子どもが生まれなくなって追い詰められた世界は、どんな対応をするのだろう。人権意識が今よりずっと進歩した時代だとは思う。だとしたら、近世以前のような結婚や出産の強制はできまい。
やれることといえば、人工人間しかないんじゃないのか。その世界ではきっと、科学の進歩によって男性は今よりもたくさん自慰行為をしているのだろう。もちろん女性も。
ベッドやソファの上で何かを観たり読んだりしてるのかもしれないし、電脳空間でセックスしてるのかもしれない。もしくは、風俗店の価格が安上がりになっているとか(機械娼婦。マジェスティックドールとか呼ばれてそう)。
時代は違えど男性は射精したいと考えているはずだ。ということは、精子は取れる。あとは子宮や卵子さえ揃えることができれば……今から100年後なら、まあ余裕だろうと信じたい。
身も蓋もないけど、今の社会制度のまま出生率を改善させようと思ったら貧乏になるしかない。日本国内だったら沖縄とか、外国だったら東南アジアの貧しい国とか、アフリカ大陸の国々とか出生率高いじゃん。ひとえにいって、貧乏だからだ。子どもが経済生産力としてカウントされて、産むだけの投資的価値が増える。娯楽がなくてセックスの地位が上がってるとか、倫理観が薄くて強姦するのも犯られるのにも抵抗が薄いとか、理由はほかにもありそうだが。
脱線したけど、やっぱり昔の人って賢いよ。今よりもベリーハードな時代を数万年以上も生き残ってきたんだから。素直に尊敬しかない。ありていな結論ですまんな。
親が怒ろうがやりたくない子はそれなりにしかやらない。
そうだよね…押したり引いたりしてみてもてんで響かず。すぐに開き直ってしまう…
習慣つけたくて色々試したけど、何にも釣られずすぐに開き直るしでお互いストレスで諦めた…最低限の宿題は促してやる程度…いつか必要を感じて自発的にやるのを期待して待つしかないかな…
自分も国語と算数だけは落ちこぼれないよう死守してあとは見守るしかないかと思ってる。読書はできる子になってくれたからあとちょっとの小学校はこのまま乗り切れるかな…
性格や資質はある程度決まっちゃってるから、あとは環境、、と思うと焦っちゃうんだよね…
大人になってから楽しく生きてほしいだけではあるんだけどね…自由を行使したり社会の理不尽さに負けないためには、、なんて思ったり…