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はてなキーワード: 丁半博打とは

2020-08-10

anond:20200805010054

処女なら信じられないだろうけどSEXって「体の相性」も重要なんだよ。だからSEXなしで結婚ってのは実は丁半博打でもある。

Gカップで腰のくびれがあって肌もきれいで最高なはずなのに、SEXしたらなにか「合わない」ってことはザラにある。

気持ちいい、気持ちよくないではない、なにか目に見えないカラダの相性ってのはSEXしないとわからない。

いくら全てを満たしてても丁半博打結婚しろって言われたら俺なら断る。

もし相手が「貯金ありか、借金ありか教えないけど結婚して」って言われたら怖くないか

それと同じくらい怖い。なぜなら、男は射精しないと物理的に「溜まる」から相手との相性が悪いと地獄

こうなると、100%浮気に走る。もちろん浮気理由がこれだけってわけじゃないが、相性が悪いとSEXする気になれない。

相性の悪い相手とのSEXは、つまらない話ばかりするやつと数十分会話しろってのと同じだぞ。地獄だろ?

もちろん女側にも相手との相性があると思うから軽い気持ちで品定めしとけ。ただ、避妊しない男は相性関係なく捨てろ

2020-03-18

anond:20200318160943

ワイはチャート見ながら日経が上がるか下がるかだけで丁半博打やってるようなもんやから難しいことはわからんやで

2020-03-02

正義」はバカの決まり文句

普通の日本人」はとにかく正義が嫌いらしい

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/02/082415

これが酷い。

酷さを丁寧めに解説する。



1.まず例えが色々おかし

「イートイン脱税」の例が示しているように、本来意味での「正義マン」とは、もともと理不尽な「村の掟」レベルルールや、独りよがりな「俺様ルール」を強引に押し付け人間のことだ。彼らが無理強いするものが実際には正義などではないかこそ、「正義マン」と揶揄されているのだ。

まずなんかおかしいのが、この人の「イートイン脱税」に対する認識である

村の掟?俺様ルール

いやいや、「イートイン脱税」は文字通りのど真ん中の脱税行為であるから、許されるものではない。

そしてそれをする客以上にそれを黙認する店側が許されない。

税務署にこの件で脱税を指摘されるのも間違いなく店側だ)


店に対してそれを指摘するのは客についてのチクリと言うよりも

「店内で脱税行為が横行しているが店側はどういうつもりなのだ

確認する意義がある。

…とまあ要するにこのブログ主は話の例えに持ち出して得々と語るほど当該税制理解してはいない。

見下しているらしい世間一般有象無象以下のもの知らずである


また上記のことを理解すれば、

イートイン脱税を指摘することが断じて

理不尽な「村の掟」レベルルールや、独りよがりな「俺様ルール」を強引に押し付け

などではないこともわかるだろう。

法律違反だっつうの。

免税で買った食べ物国内で貪り食うようなものだ。

(勿論それは出来ないように免税品は専用の袋に入れて空港開封されてないかチェックされる。)




2.論理展開もがガバガバ

おわかりだろうか。

イートイン脱税の指摘は法令に忠実なものであり、

「イートイン脱税を指摘する人間」(のイメージ)が広く嫌悪される理由があるとすれば

その理由は彼等が振りかざすルールが「村の掟」や「俺様ルール」だから、ではないわけだ。

ブログ主考察は前提から成り立たない。


そんなはた迷惑な人たちと、危機的な状況の中、危険を省みず正しいと信じる行動をとった勇気ある人々を同一視してしまうのはなぜなのか。

彼らには、「村の掟」レベル理不尽ルール普遍的正義区別がついていないのではないか

さらに続くブログ主論理展開は、

・イートイン脱税指摘は「迷惑俺様ルールを掲げる人」(上記の通り無残なまでの事実誤認だ)であるからこれは嫌われても仕方ない。

・だがそれと同じ感じに「普遍的正義を掲げる人」が嫌われており、これは不当である

・この不当さと混乱の原因は、日本人に「理不尽ルール」と「普遍的正義」の区別がつけられないかである

となっていく。


脳の健常な人にはこの論理展開の怪しさがすぐピンとくるだろう。

というよりこのガバガバした文章にまさに「正義マン」が嫌われがちな理由が余すことなく現れている。


そう、ブログ主は、

どのルールが不当でどのルールが正当かという肝心な所の基準が極めて曖昧で、

明白な法律違反すら「村の掟」呼ばわりする一方、自分気持ち普遍的正義と呼んでいるのである


土台がこれではどのような論理的思考不可能だし他者との疎通も無理である

同じレベルに脳がぼんやりしつつたまたま似たような気分を持っている者と声を合わせて鳴くのが精一杯だろう。

こういうレベル現実認識思考をする人間俗語ではバカと呼ぶ。


3.正義マンが嫌われている本当の理由

イートイン脱税を注意するような人間が嫌われる理由が「俺様ルールから」は成り立たないことはすでに述べた。

法令という相当に客観的社会的コンセンサスの高い掟に基づいて注意しても嫌われることがあるのだ。


では逆恨みケース以外のどういう理由で嫌われるのか。

自分が正しさに立ったと感じたとたん興奮しだす人間

自分の方が立場がいいと感じたとたん攻撃的・侮辱的になるような下品人間

そういう連中が嫌われるのではないだろうか。

その種の人間はどこにでもいるし必ず見覚えがある筈だ。


実際にイートイン脱税の注意でトラブルが続出したと言うよりは

「そういうことで嵩にかかって張り切って攻撃する人間」のイメージが既に世間では共有されており、

イートインをきっかけに「正義マン」という名がついた、というのが実際のところではないのか。


ネット炎上だってそうだし、はてなブックマークなどはサービス自体がそれだ。

正義立場に立ったつもりの人間攻撃性の醜悪さは毎日のように見ることが出来るために

それに参加経験のある人間ですらもはや辟易としてきていると言うのが現代社会ではないのか。




4.正義のろくでもなさ

正義とは何かというと、


戦時中なら隣人のちょっとした敗北主義者性や非国民性を嬉々としてあげつらっていたようなあの性格である

己の下品さやせせこましさを正当化する理路はもちろんお国の為という絶対の「正義」なのである

戦後山小屋で仲間のちょっとした反革命性をあげつらってはいじめ殺していったようなあの性格である

己の行動の馬鹿らしさや残忍さを糊塗する理屈ももちろん世界革命という絶対の「正義」なのである


自分道徳側だとか正義の側だとか感じた時に興奮して攻撃的になる下品さは、別に特殊な異常者のものではない。

しろ人間基本的仕様であるから意識して克服の努力を重ねなければ死ぬまで下品なままなのである


自覚する、意識する、ということが重要だ。

自分思考や行動を努力して客観的検討し続けなければならない。

であるから普遍的正義などという怪しさ満点の言葉ジョーク以外で使える人間というのは

客観性論理性が極度に欠損している。


普遍的正義だの明白な使命だのいう仰々しくも内容空疎有害寝言

本来は脳の麻痺しきった宗教右翼あたりが好む語彙だったもの

現代では知能の退行しきったリベラルが喜んで使うのである


彼等はもはや宗教右翼並に頭が悪い知的底辺でありながら、自分では一般より頭が良いと思っているのだ。


5.正義の魅力は問答無用絶対

この例で言えば、そもそもコンビニのように購入した食品を持ち帰ることも店内で食べることもできる業態の店が街にあふれている中で、持ち帰るか食べるかでいちいち税率を変えるなどという馬鹿げたルールが混乱を招いているのであって、頼まれてもいないのにそんな謎ルールへの「違反」を監視して「摘発」する、独りよがりな「正義」の押し付けが笑われていたのだ。

法律であろうと自分が不合理であると思えば破ってよい、

けれども自分の独特で論理すら検討していない気持ち価値観は「普遍的正義であるから誰も破ることはまかりならん、

これはワイズガイとかマフィオーゾとか呼ばれる人種の考え方である


とはいえもちろんブログ主はそのような酷薄アウトロー覚悟人生観を持っていってるわけではない。

ひたすらぼや~~~っとした意識レベル思考何となく自分気持ちだけは正しい、他のルールは軽視してよい、

という感情があるだけなのだ


お前の言ってることこそまさに「俺ルール押し付け」に他ならない。

でも自覚はないのだ。

バカからね。


こんな奴のいう「普遍的正義」なんて怖くて仕方ないだろ。

そもそも当人の中でもぼんやりしていて「普遍的正義」のコンテンツをきちんと説明することなどできないだろうが。

まり頭が悪いのだ。


この思考力の絶望的な鈍さ、

頭の悪い人間特有自己肯定力の高さ、

これこそが「正義マン」が嫌われる理由のものである

正義とは頭の悪い人間安易自己肯定しつつ誰かを殴るためのおもちゃなのだ



6.余談

そもそも

正義」という言葉を好む人間は必ず頭が悪い

個別にきちんきちんと論理的に検討するということについて強いストレスを持っているからこそ

正義」のような問答無用の御威光に引かれていく。

心底自分の頭に自信がある人間は「正義」のような意味不明な言葉ディベートが決着することを嫌悪する。


野球星野君の件にしても、バカ好みの単純明快な答えがスパッと出る話ではない。

指示に逆らってバット振って結果的に勝てた件のデメリットなどいくらでも挙げられる。


・失敗していたらその責めが監督作戦ではなく星野くんの独断に帰してしまう。

・チーム内トラブルいじめの原因にもなりうる。

・不規則に動かれてしまえばその試合全体の作戦の出来不出来もわからなくなる。

・周りも星野君の真似をしだせばチームの統率が崩壊する。


運動部指導者の間でも「自分考える力」の養成が叫ばれるようになって数十年、しかしそれは練習生活への取り組み方の話だ。

打席星野君が「打てそうな気がしたから振りました」というのは局所直感丁半博打の話である

正義だとか自分が正しいと思える行動を貫くだとかの話ではない。

これを

星野君の二塁打」のように、自ら考えて正しいと思える行動を取るのでなく、上位者の言うことに黙って従え、という奴隷思想が「道徳教育」と称して注入されている。

とまとめてしまうやつの知能は完全にアレなのである


頭が悪い奴等は保守右翼宗教信者をやっていればよいのである

お前らは正義原理正義根本法則普遍正義に従って大勝利しながら生きていけばよろしい。


一方、リベラルだの進歩派だのを志向する人間正義伝統に頼れない。

どこまでの己の思考力頼みのウルトラマッチョ空中戦世界なのだ

お前らのように脳のスペックが足りない連中が挑むべき競技ではない。

お前らはバカなんだから右翼宗教をやっておけ。

2019-09-09

anond:20190909181904

丁半博打の方がまだ勝てると思う

ここ数年のチャート殺意が異常

両方刈り取る

 

株はわからん

日経とダウは触るけど

2019-07-05

資産運用って面白いの?

 金融審議会の「老後2000万」の話がきっかけで、投資とか資産運用にまつわる記事流行っている。

  お金の話について

  「老後2000万円必要」とリスクを煽る新聞社がセットで紹介しない、私がお勧めできるネット証券会社と投資商品

 きっかから考えても、流行っている主な理由は「将来が不安から」であって「面白そうだから」ではないだろう。それは分かっている。でも、「面白くないこと」はなるべくやりたくないものさな自分としては、やはり気になるのだ。「資産運用をやっている人のうち、どのくらいの人がそれを面白いと思ってやっているのだろうか?」ということが。

 資産運用手段は大きく二通りに分かれるようだ。自身で買うもの(株や債権不動産)を決めるか、誰かに任せて運用してもらうか。前者ではどの株や債権を買えば得かを考える必要があり、後者では「誰にどのような仕組みに基づいて任せるのが良いか」を吟味せねばならない。

 前者の資産運用はよく漫画の題材になったりする。中高生が「投資部」で学校資産運用する『インベスターZ』はなかなか面白かった。でも、漫画自体面白くても、登場人物達がやっている株の売買は面白そうには見えなかった。株価経済情勢や投資心理上下するのを予測してどっちかに張る、をただ延々と続ける丁半博打を、学年で一番優秀な生徒達がやっていてよく飽きないな、と思ってしまう。

 後者資産運用は、一般向けの資産運用としてよく紹介されているものだ。こちらは、「どの株が上がるか下がるか」などということは考えなくて良い代わりに、無数に売られている様々な金融商品について、リスク運用益と節税効果について吟味して決めなくてはならず、しかも結果がすぐには顕れてこない。

 いずれの場合も、その手間に見合う面白味はなさそうだ。そうやって手間をかけて勉強して吟味して、では利益はどのくらい出るのか。例えば1000万円を年利3%で運用できれば年30万円になる。そう考えれば確かに大きい気はするが、実際にはそこまでの利益は出なさそうだし、それどころか元本割れリスクもある。

 年30万円くらいなら、資産運用なんかよりもっと面白いことをやって浮かせられそうな気がする。例えば一人暮らしならば料理である。1食平均600円で外食している人が、全部自炊にして1食300円にしたとすると、年間なら32万円ほど浮く計算になる。料理はその場ですぐ結果が出るし、やっていてレベルアップすれば美味しいもの自分で作って食べられる。

 ただ、これはあくま自分(筆者)の感覚である。世の中には、料理より資産運用の方が面白い、という人ももちろん居るだろう。

 知り合いの自営業者で、節税を駆使することで所得税を数千円しか納めていないという人が居る。自分節税資産運用と同様に面白味を感じないので全くやっていないが、節税もそこまで極めると面白くなるのかもしれない、などと思ったりする(やらないが)。

 投資資産運用時間を割いている人に聞きたい。

 あなたは、投資資産運用面白いと思ってやっているのだろうか? それとも、面白くはないが、将来の備えのために仕方なくやっているのだろうか?

2019-04-01

anond:20190401115624

嘘乙。63/37の法則くらい知ってるだろ? 丁半博打であっても勝ち越しする奴と負け越しする奴の割合は半々ではないよ。

2018-09-13

リクエスト制度アマチュア審判員

今シーズンからNPBで始まったリクエスト制度名前のカッコ悪さもあるけれども、なんとも審判員にとっては格好悪い制度

成功率が約半分。成功率と呼べばいいのか失敗率と呼べばいいのかは立場によるね。

ただ、少なくともベンチが「ん?」と思うジャッジビデオでよくみると確率丁半博打とほぼおんなじだってこと。

ずっと審判は一番近くで見ているので正しいと習ってきた。私自身、そんな風に思ったことはないけれど。

学童野球に携わり、アマチュア審判員ライセンスも取得した。3級だけどね。なんども講習会にも出席した。

教えてくださる方によって異なる位置取りや理屈。毎年代わるフォーメーション。もう野球って100年以上行われているけど、まだそんなことも決めらんないのかと呆れていたし、よくよく聞いてみれば偉そうなことばっかり言ってるけど、肝心なところはやっぱり結局見えてない時もあるじゃん

ある講習会理事長テニス審判員のような椅子に座り、我々受講生の動きを見ていた。講習会では地元中学野球部員が協力をしてくれており、三塁のクロスプレーのケースを練習していた。

私の番が来た際、私はアウトのジャッジをした。しかし、そこでテニス審判員椅子にふんぞり返った理事長メガホンで「セーフ〜」と言ってきた。「今のはセーフ、どこみてんだ、足が入っているだろ」のおまけ付きで。

しかサードの彼は足にではなくお腹あたりにタッグをしており、ランナーの足がベースに着くのとどちらのタイミングが先かという感じであった。そこで一番近くで見ている私がタッグの方が早いという判断を下し、アウトのジャッジを下した。

私は「俺が一番近くで見てるんだ!そっから見ている方が正しいのであれば、そっから見る形に変えろ!」と怒鳴って詰め寄ってしまっていた。

その他にも納得しかねるアドバイスの数々。もちろん、良かれと思ってアドバイスをして下さっているのは分かるのだけれども。キャッチャー自分の膝より下でとったらボール。大差がついたらストライクゾーンを拡げて。

ストライクゾーンルール上、キャッチャーが取ったところでは決まらないはずだし、大差がついたらストライクゾーンが広がるというルールもない。ましてや試合が決してからチャンスをもらう選手だっているのに、そんなご都合主義的なことできないだろう。

講習を通じて守らなくてはいけないことは「審判の威厳を保つこと」「試合進行を促すこと」であり、「プレイヤーファースト」の観点が抜けているように感じました。

審判員あくまでプレーの結果をジャッジするだけで、試合進行を促すとか、試合演出するとか、ちゃんちゃらおかしい。威厳を保ちたければジャッジの公平さ正確さで尊敬を集めるしかないと思う。

プレイヤー側が審判は神だと思うのはいいと思うけど、審判員自身が思うのは奢りでしかないし、危険だと思う。ジャッジは迷うし、見えてない時は見えてないし。逆だったかなと思う時はあるし。

私は見えていないことやミスジャッジを責めているのではなく、神であるという態度や審判の威厳なんていう考え方が嫌なのよね。プレイヤーのプレーを正確に判定し、プレイヤー時間を掛けたければそのようにするというのが良い審判員だと思います

リクエスト制度によってはっきりしたのは、ジャッジの正確性など遠く(ベンチ)からみているのとそう変わらないし、むしろ見ないで判定しても、コインで判定してもそう変わらないということ。よって正確性によって威厳を保つことはもう無理。

ごめん、わかんないって言えば許すのに。人間のやることなのだから


でも、結果は半々なんだね。

2018-05-08

一億円の純資産を手に入れる方法 その7

人間本質について学ぶべきこと

ギャンブルには一切関わらなかった。賭け事は胴元のみが儲かるようにできている。宝くじも同様である還元率が五〇%未満であるあたりいっそうたちが悪い。宝くじを買うような人は十中八九お金持ちにはなれない。やればやるほど損する仕組みになっているのだから当然である。そして合理性に欠けた人は、偶然大きな金額が当たったとしてもすぐに散財して終わる。

マカオは二度訪れて、いずれもカジノ見学を楽しんだが、1パタカも賭けることはなかった。やってもいいかと思って足を踏み入れたのだがからだが賭けることを拒んでいた。カジノ運営される様を見ることができたのは有意義であった。カジノでは一つの洞察が得られた。すなわち人間とは合理的な生き物ではない。そして人間は、意識的にせよ無意識にせよ、その本性として不確実性を好む。

もし賭け事に関わらざるを得ないとなったならば、賭ける側ではなく、賭けさせる側、ギャンブル主催する側に立ちたい。それ以外の選択肢はない。

楽して儲けたいとは誰もが思うことだろうが、その欲求に流され丁半博打で儲けようとするようでは、お金が貯まるわけがない。愚かな人間お金は居つかない。

仮想通貨も同様である仮想通貨を巡る人々の様子はバブルに伴う狂騒そのものであった。

そういえばバブルについて学んだことはたいへんためになった。バブル歴史テーマにした本は数多く出ているので、これらは読んだ方が絶対に良い。そこには人間本質についての洞察がある。バブルは案外、頻発する。人が一生を生きるなかで何度も直面する事象なのだ

要するに、人間についての理解が全てといえる。人間を観察し人間とは何者なのか、どんな存在なのか、それを通じて自分自身とは何者なのかについての理解が得られる。自分自身理解が土台となって初めて、自身人生意識的に形作ることができるようになる。

(次)一億円の純資産を手に入れる方法 その8「常識を疑うべきこと」

https://anond.hatelabo.jp/20180509000814

(前)一億円の純資産を手に入れる方法 その6「精神世界をばかにしない」

https://anond.hatelabo.jp/20180506093300

2017-11-04

anond:20171103172149

ビットコイン、とうとう夏の30万円から80万円超えたけど

日によっては10万円近く動くからレバレッジなんてマジで丁半博打

では保有ならよいかというと、例えば夏から3万円持ってたら8万円になるだけだから、実はたいしたことない

パチンコナンバーズで勝ったの?みたいな額

30万円なら50万円、300万突っ込んでたら500万円儲かってるだろうが

そんな額仮想通貨に突っ込んだら、おちおち他の事やってられないやろ(30万ぐらいなら平気か?)、

寝ることもできなくて不眠症になるかもな

去年までなら良かったんやろがなあ

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130154253

だいたい寺銭がどれくらいあって、とかはまああるんだろうけど、クジの購入額と当選額が以下に離れているかけが、実は重要だったりする。

なぜなら、購入者は群れではなく個人から

これが丁半博打カジノゲームパチンコなんかだと、たとえば寺銭が1パーでも何度も勝たなければ十分に報いられない。

と、いう様なことを丁寧に説明していけばまあ、納得していただけるのだろうとは思うが、宝くじの類いで大事なのは当選額』であって『還元率』ではないのですね。

から期待値とかそういうのは違うゲーム理論なんですよ。

2016-11-16

[] パスカルの賭け

山上浩嗣パスカルパンセ」を楽しむ──名句案内40章』(講談社学術文庫2016年)を買って読んだ。

パスカルの『パンセ』(これ自体は読んだことない)から、著者の山上さんが気に入った40句を抜粋して解説した本。

抜粋部分は基本的に、パスカルキリスト教信仰する中で思いついたことや考えたことが断片的に書いてある。

脈絡のない思いつきがたらたらと書いてあるだけかと思ったら、通読すると何となく山上さんが『パンセ』をどう読んでいるかが見えてきて面白い

著者や出版社は1日1章読んでもらうことを期待しているようなのだけれど、ライトな読み物なので3時間もあれば読み終わってしまう。

中でも印象的だったのが、「パスカルの賭け」という章だ。

正確にできているかからないのだけれど、要約すると以下。

人間は、神さまが存在することを証明できないし、逆に存在しないことも証明できない。

② ここでもし神さまが存在するとすれば、人は、死後天国に行けるように、聖書に書かれた高潔な生涯を送る必要がある。

③ 逆にもし神さまが存在しないならば、高潔な生涯を送ることはムダであり、快楽を追及する人生を送るべきである

④ このことから信仰とは人生を賭けた丁半博打のようなものだと分かる。賭けの帰結は以下の4つ。

(ⅰ) 神さまが存在しない方に賭けて、実際に神さまが存在しなければ(つまり賭けに勝てば)、聖書の教えに縛られない自由な生涯を送った挙句、失うものは何もない。

(ⅱ) 神さまが存在しない方に賭けて、神さまが存在した場合(つまり賭けに負ければ)、自由な生涯は送れるものの、死後、地獄業火に焼かれ続けることになる。

(ⅲ) 神さまが存在する方に賭けて、実際に神さまが存在すれば(つまり賭けに勝てば)、聖書の教えに縛られた高潔な生涯を送らなければならないが、死後、永遠幸福を得ることができる。

(ⅳ) 神さまが存在する方に賭けて、神さまが存在しなければ(つまり賭けに負ければ)、聖書の教えに縛られた高潔な生涯を送らなければならない上に、死後、何も得られないこととなる。

⑤ なお、この世に生まれた瞬間から賭けは始まっており、どちらにも賭けないという選択肢はあり得ない。

*ちなみに以上の整理には批判多し。

その上でパスカルは、確率論を駆使して、神さまが存在する方に賭けるべきことを論証していくのだが、結構しょうもない論理おもしろい。

上と似たようなことを信仰を持ってる人は誰しも考えたことがあるんじゃないかと思うが、パスカルみたいな稀有天才が似たようなことを考えてるのがまたおもしろい。

2016-05-30

カジノで働いていた頃の思い出 第1話 池袋の地下にも3年

 今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的非合法カジノの話をしたい。

 当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノ新宿渋谷池袋横浜などの都市はいくつかあった。一般人可能な非公営賭博としてはパチンコパチスロけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームカジノブーム以前から今も続いている。「10ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノ業態ゲーム喫茶に近いと思う。

 客はチップ$100=1万円で購入する。大体10万ずつ買う人が多い。好きな台で遊んだあと、チェックすると黒服から換金場所を教えてもらって換金しに行く三店方式の店が多かった。自分が当時遊びに行った渋谷新宿の店はそうだった。Rでもそうだったと思うけど、黒服最後までディーラーには換金場所を教えなかった。摘発された時にディーラー善意第三者であるという建前を守ってくれてたんだね。まあケーサツにそれは通用しないんだけど。前にいた赤坂の小規模な店では黒服が一緒に店外までいってその辺の人目のないとこで換金してた。換金率は100%だったり90%だったり。大きな店は客が入れば儲かるのでここで渋る必要ないと思うんだけどね。

 種目はバカラルーレットブラックジャック(以下BJ)の3種。BJのお客さんはカジノ初心者が多かった。トランプルールを知ってるからかな。バカラと違って客対ディーラーになるので、バカラ疲弊した人がBJ息抜きをしたりもする。Rではルーレットの盤面は超ゆっくり回すので、ルーレット大好きな常連さんも結構いた。盤面をグルグルン回すと完全な運ゲームになってしまうが、ルーレットにはボールの落ち始める斜面に4つのピンがあり、どこに当たって落ちるのかを予想しながらやると面白い。盤面は店のオープン前に水平器を使って調整しておくんだけどどうしても日によって傾きが出てしまい、当たりやすいピンが発生する。ディーラーベル大音量で鳴らしたりこっそり空気吹きかけたりして客の裏をかこうとする。こうなってくるとただの運ではなくなって来て俄然面白くなる。バカラは要は丁半博打で昔から日本人には大人気。でかい盤面が立つのバカラ。受けてくれる相手さえいればどんどんベットできるので、俺がさばいた中では最高で1ゲーム200万かけた人もいる。元ヤクザ親分でその日は大負けでヤケになって有り金全部で450万くらい入れようとしたんだけど、受ける相手がいなくてバランス見てカットして200万、顔真っ赤にして怒鳴り散らしてたのにその勝負には勝って微妙な顔をしてた。

 普通カジノタバコアルコール簡単食事無料が多かった。これはゲーム喫茶もそう。ただRはアミューズメント気取って大々的にやってたせいか、この辺は厳しくって$10チップ一枚もらってた気がする。もちろん太い客にはタダで寿司とったりしてたけどね。

 大きなハコにはだいたいバニーガールがいた。ウェイトレスじゃなくてバニーガール。いわゆる黒いウサギの格好じゃなくて、3ヶ月おきくらいで衣装が変わってた。Rはバニーレベルが高くて、CMにでてたりグラビアに出てたりするような子が何人かいた。読モなんてこのバニーの中では平均以下レベル。あとお客さん、というかお客さんが連れてくる女の子元アイドルの子がいて、当時まだ芸能活動してて写真集とか出してたんだけど初見では本当に見とれるくらいかいかった。芸能界可愛いだけの子ならいくらでもいるんだろうけど、こんなかわいい子でも大して売れないんだなあって思った。

 ディーラーをやってるとイカサマを疑われることがよくあるんだけど、大きなハコで店ぐるみイカサマをすることはない。どのゲーム確率でいけば胴元が儲かるようにできているので、とにかく客がいっぱい入って場が立っていれば店がマイナスになることはないからだ。危険を犯してまでイカサマをする必要が無い。小さな店とか、大きな店でもディーラー個人がイカサマすることはあって、Rではとあるディーラーが客にチップ横流ししてヤクザに追われる羽目になった。SさんとN村くん、元気にしてるかなあ。

この店が摘発される数週間前、黒服に呼ばれてディーラーの大半がとある居酒屋に集まった。なんでも某月某日に警察の手が入るらしい。黒服には派閥があって別の派閥の人はこのことを知らないらしい。警察と仲がいい人に連絡とって確認したけどそんな情報はないと言われたが、まああっても俺に言うわけ無いだろうし、この事で逆に警察に「情報漏れてるから予定日を変更する」と思われたかもしれないな。

 Xデーはみんな無断欠勤すると言ってた。俺は大事をとってその週ずっと休みにしてた。Xデーの前日が給料日で、俺は休みだけど給料だけ受け取りに店に行った、というか店の上のゲーセン格ゲーしてたんだ。そしたら黒人黒服たまたま俺をみかけて「イマミセイッチャダメー、ゼッタイダメネーイ」え?彼はそのまま逃げていった。

 うーん、まあ最悪客のフリすればいっか、と思いエレベータに乗った。店の前で降りると警察に「今ダメだ、帰れ帰れ」と追い返された。しょうがないので店の外で待ってみた。護送車とパトも来てる。チーフディーラーKさん(大阪人・みんなの人気者)が出てきた。踏み込まれた瞬間に裏口から逃げてきたそうだ。内偵チーフだということがバレていたらしく警察は「KどこだKはー!」って連呼してたらしい。この人は大阪ヤクザに追われて東京出てきて「もう大阪には帰れない」って行ってたんだけど、別働隊に自宅前見てもらったら警察が張ってるし部屋にあるハッパも見つかるだろうから大阪戻るかあって言ってた。何年も経ってるし警察よりはマシだろって。

 別のディーラー今日休み給料取りに来たらしいが、裏口ももう塞がれてるとの事だった。しばらくして客が少しずつ出てきた。中で簡単質問をされたらしい。ある老人客と一緒に中国人の女ディーラーが出てきた。警察が来た瞬間に私服に着替えて客と腕を組み、愛人面してでてきたのだ。頭の回るやつだ。彼女中国国籍なので捕まって国外退去とかになると確かに面倒だ。俺のタイムカードにも「チーフ」と書いてあったが、Kと違って制服も皆と一緒だし特に探されもしなかったようだ。

 ついでバニーガールウェイトレスも出てきた。夜中になってディーラーも続々出てきた。みんな名札下げて正面と横の写真をとったらしい。いやー貴重な体験うらやましい()黒服全員と、たまたまその時大きな盤面で撒いてたディーラー護送車で連れてかれてしまった。しかもかれはまだ入店1ヶ月くらいなのに。その卓はKか俺かその彼くらいしかまかないので、タイミング次第では俺だったかもしれない。ちなみに可哀想なことに21日+α拘束されていた。

 Kは友人宅に一泊して翌日大阪に帰るってことでみんな1時頃解散した。俺の部屋は店から徒歩圏内なんだが、夜中3時ごろにチャイムがなった。警察なら俺も捕まるのか?俺は普段部屋に鍵をかけない、ドアノブ回されたら終わりだ。物音を立てないように静かに覗き窓を見たが誰もいない。エレベータはまだ俺の階で止まってる。エレベータで来て階段で帰ったのだろうか?それとも俺が出てくるのは張ってる?家に帰れなかったディーラーなら入れてあげたいがケータイ番号知ってるはずだ。ただ当時はまだケータイは普及してなくて、俺が持ってたのもPHS、大半はポケベルだったから俺の部屋に来たことがあって番号知らないやつもいたかもしれない。

 その後音沙汰はなく俺は無事で済んでよかった。給料は後日路上で支払われた。拘束した彼は拘束料上乗せされるべきだと思うんだけど、金がなかったのか逆に少なかったらしい。ひどい。

 赤坂の店でのヤリチン韓国人の純情な話とか、歌舞伎町の小さなハコでのイカサマの話とか、10年後にイカサマっぽい店に遊びに行った話とかいろいろ書きたいことがあるんだけど、今日はここまで

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増田匿名性があるから面白いこともあるとあるけど、続き読むのに不便かなと思ってカクヨミニストになりました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents

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給料を払ったのはこのメンバー集めて次にカジノを開く予定があったからかな。あとコメントリンク先に手入れ三回目で閉店って書いてあるけど一回で閉店してるしそのデイーラーをつかって数カ月後に池袋で中型のハコを開いてるので、別のハコと勘違いされてると思います

あと沼ってのはカイジすみません未読です。福本伸行さんは大好きで、特に西原理恵子に「カッコ良かったんだけどあんな頭が絶壁のキャラ書く人が売れるなんて誰も思わなかったかモテなかった」って言われてるところが好きです。

2016-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20140129000828

物価が安定した稀有時代がこのままずっと続くのはバブルが続くのと同じ思考だと思うよ。

世界中債権投資家のリターンなんてここ200年ずっと損失続きだったのに、この20年でプラス圏内に来ているからね。

 

人類史稀有な壮絶な国債バブルが起きていると思って普通だと思うが。

もっともこのまま何十年か何事もない可能性もあるけど、丁半博打するくらい危険な事だと思うがね。

インフレってのは一国で起きる場合もあるし、全世界を巻き込む場合もある。1980年台には20%くらいのインフレ世界中に吹き荒れていたし

将来的には何が起こるかわからない。もちろんその時代銀行預金していた人や国債買っていた人は大損したよ。そしてインフレが起こって

我先にインフレヘッジ商品に手を出した人々はさらに二重の損失を抱えた。

 

激しいインフレがいつ来るのかを予測出来るなら、住宅ローン組んじまうのは手だけどそれは

投機からね。

 

保守的に考えて、貯蓄が○○円あれば安心って考えはヤバイと思っている。

個人的には子供を産んでおくという逆張り保守的だと思う。

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140725195253

掛け金が大金になったらどうかわるんです?

そもそも大金になるひとはバイナリーなんていう丁半博打ではなく、Fxに移行するんじゃないの?

2014-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20140221104628

シミュレーションがなんのシミュレーションか知らんが、無料株式体験アプリなら

あれは約定概念が本取引とは違うから儲かるものであって、実際は希望する値段で売れるかどうかはタイミング次第。

やるなら、定額でもいいから本物の株式取引をやれよ。10万未満とかで。

株式取引においてのシミュレーション意味ない。

表示されている値段で100%取引できるのはシミュレーションだけ。実際は違う。その違いこそが株式相場

 

シミュレーション機械相手にやる丁半博打だが、株式相場は人を相手にして取引しているか希望する値段で希望する数量取引する相手がいて初めて成り立つ。

シミュレーションみたいに、その値段で無制限に売買できるなんてことはありえない。

 

10万未満の奴が多い安い株 取引量の小さい株とかならその辺の個人でも自分資金だけで、相場をずらすことだってできちゃう。それも全部ひっくるめて株式から

まずは自分で体験してみるのが一番。

2013-01-20

誰もトラックバックで書かない http://anond.hatelabo.jp/20121223234214 

誰もトラックバックで書かない、ブクマばっかなんだな。

この増田日記パチンコの捉え方は、悪くないと思うけど

ぐぐれば勝ち方くらいは載ってるのも事実なのに。

でも理論実践は若干違って、削りとかがあるけど。

控除率は、官営ギャンブルと違って、低いので多く還元されてるのに

一部のネットのウヨっぽい人たちからは、目の敵にされてると思う。

生活できるほど勝てる可能性がある違法じゃない遊技は、パチンコだけ!

丁半博打じゃなく、理論で勝てるのも合法遊技ではパチンコだけ!(麻雀は建て前的には換金してない事になってるので)

1円パチンコならゲーセン並みだから、そんなに細かく見ないんだろうけど、2500円分(4パチの1万円分)も打ったら、長く打ち続ける価値がある台かどうかわかるYO

ゲームとしてパチンコをすると、また違う見方目標ができて面白いかも。

打つ時期やイベント雑誌でチェックするだけでも違うよ(雑誌イベントが載ってる地方誌だから無い地域もあるかも)

2012-12-21

我慢するとき・逃げるとき

昔某所に書いた文章の転載。今の私はフリーランスwebエンジニアをやってます

「この仕事は合ってません!」と1カ月で辞める新人の“事情

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120508/23...

自分社会人1年目のころ「プログラマーなんてくだらない仕事はやってられないし、そもそも向いてないので早くやめて作家になりたい」とかアッパラパーなことを本気で思っていたので判らないでもないのだけれど、同時に「ジョブホッパーにはなりたくない」という理由で5年我慢したので今フリーで飯が食えている。

我慢する時と逃げるべき時というものがあって、20代のころはそれがよく判っていなかったのだけれど、現時点での所感をまとめるとこんな感じ。

我慢すべき時

始めたばかりの仕事がつまらない時

我慢していればそのうち裁量スキルが増えて面白くなる可能性あり。またスキルとある程度の期間の雇用経験がないと条件のいい転職が出来ないので、まあ最低3年くらいはその職場でやったほうがいいかなと思う。

明確にやりたいことがない時

もっと面白そうな仕事がしたい」とかいぼんやりしたイメージではなく、子供の頃からほっといてもコツコツ自分で取り組んでいるようなライフワークがあったり、キャリアを重ねる中で「次はこっちに行きたい」という明確なイメージがある時、ネクストステージに行くために辞めるというのはあり。ただそういうものがない場合は我慢したほうがよい。そのうちやりたいことが見えてくる。

逃げたほうが良い時

仕事の量が多すぎて心身が破壊されかねない、それが今後も延々と続く時

最悪死に至るので、それまでに逃げたほうが得策。多すぎる仕事ってマネジメント的に問題がある場合が多くて、裁量権のない現場が頑張ってもあんまり学ぶものが多くない。経験則

パワハラモラハラ、それに準ずるモンスター上司(同僚)がいて、心身を破壊されかねない時

これも逃げたほうが無難政治的にモンスター上司を追い詰めても、逆恨みされそうだし。

まあでも

ジョブホッパーになっても餓死するわけじゃないし、心の主向くままに退職届を叩きつけて自分らしく生きるというのもありかとは思う。そのうちいい仕事に巡り逢えるかも。ただそれって丁半博打なので、ギャンブルをしたくない人は上記のような感じで判断して、石橋の上をわたっていくのがいい気がする。

2012-09-04

"Hello world!"

このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。


10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。

それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。

ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというもの霧散していた。自分プログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。

それでも転機は訪れる。

勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。

はじまりはそんなもの。たいした覚悟があったわけでもない。

派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。

ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンApacheを入れてそれでよしとした。

次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。

次は言語最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。

そして業務内容を把握するため、現場あっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。

そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。

現場の人がラインからデータ入力する。サーバデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。

そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。


それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。

話を戻そう。

ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。

もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。

いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。

どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニトイレ張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさん普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。

でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタ解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。

そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。

いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。

市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転バイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである

そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。


そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。

最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。

他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。

とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事天職なのかもしれない。

システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語自分の手に馴染んだ。クロージャprototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。

仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。

そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というもの自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。

そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。

「あのシステムいいね!

この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。

そのとき僕は「カチリ」という音を聞いた。

どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。


そして契約期間満了となり、再び僕は人生の岐路に立たされる。

これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。

今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。

もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。

いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。

最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。

そう、僕は何も持っていない。家族友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。

心を決めたら後は早かった。

パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。

空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。


初めて踏みしめる異国の地。最初はいろんなものに圧倒された。

自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。

見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。

川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。

長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。

最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。

たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。

いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。

こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。

そして夢のような日々は終わる。


日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。

しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。

宿に住民票を移し、ハロワ失業保険を申請した。

前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。

いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。

スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要いかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。

それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。

結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。

ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラC言語組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。

そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。

今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。

ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。

だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活ときポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。

最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。

2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。

3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。

4ヶ月目でサーバドメインを用意し、最後の仕上げをした。

そしてベータ版リリースした。 http://planetter.com/

それが先週の話。

そして今、こうして増田投稿する文章を書いている。

だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。


10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?

家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。

西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタ解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。

世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。

初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。

それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。

だから僕は、今日ガラクタのようなコードを書き続けている。

ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ

"Hello world!"


このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。

2011-10-11

売れる漫画法則一つ発見した

それは「自分の命や人生より何かを上に置くシーンがあること」

わかりやすい例で言えばアカギ丁半博打のシーン

ここでアカギ自分の命よりサイの出目を優先した、つまり命よりギャンブラーとしての信念やプライドといったものを上に置いている

ウシジマくんだったら楽園くん編で中田が湯船に沈められるシーン

ここでも中田はキミノリを売って自分が助かることより、キミノリとの友情を選んで死ぬことを選択する

この法則自分犠牲に誰かを助けるっていうことも含まれるから陳腐表現っちゃそうだけど、これが巧く描かれている漫画ってあんまりないよね

 
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