はてなキーワード: 悪戯とは
プーチン大統領 軍事作戦実施表明 “ウクライナ東部住民保護” | NHKニュース
モーリー・ロバートソン on Twitter: "先ほど「スッキリ」をご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。以下、ウクライナ情勢に関する一問一答を列記します>>"
だめだからねこの人の言うこと信じちゃ。軽々しく次は日本ていって危機煽るやつはみんなバカ/追記:危機時に根拠のない仮説を立ててばらまくと必ず間違った判断下します。冷静にならなくてはいけない。
侵略でなくアジア解放だと主張し、それを「歴史戦」とやらで一生懸命に広め、この主張のアシストに長年努めてきた方々が本邦にも多数いらっしゃいますよね。彼らの根本思想に大きな違いはない。
だから台湾を殴るぞと。これ、プーチンに、9条否定論を仮託して調子乗ってるウヨと発想が全く同じでなあ・・・。便利だよな。「攻めれる前に攻めろ」と、「自衛のための戦争」論を一度に口にできる。
このブコメ欄含め"ほら国際社会はこうなんだ!早く改憲してフルスペックの戦争準備を!"みたく国際問題を国内の左派を叩く好機としか見ない連中が沸いてるが、改憲しても中国の軍拡加速のいい口実にしかならんでしょ
で、これを賛美している日本の愛国ウヨども。外交なんて無意味だ、武力で脅せ!といきり立ってる人たちには、他人の戦争はさぞかし美味しいイベントなんだろうな
これ調べたらソースのOVD Infoってアメリカから資金供与を受けてる組織なんだよな。アメリカ系組織「ロシア各地で反戦デモやってる人たちが拘束された!」→流石に嘘くさい
アメリカの核の傘に入ってるうちは自国で核兵器持つ必要はないかな。中国に侵略されて米軍がさっさと逃げ出す状況なら日本も下手に抵抗しないでさっさと降伏した方がダメージ少ない
志位和夫 on Twitter: "憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮にプーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです。"
まぁ9条無い状況で通算9年もアベ氏に首相やらせてたら、国内のウヨを煽りすぎて引っ込みがつかなくなり隣国とドンパチ始めてても全くおかしくないからな。
そのとおり!日本は安倍のような無法者がトップに立ったことがある歴史を直視しろ!9条がなかったら自衛の名のもとに中国を攻撃した可能性は十分にある!
【動画】これ、全部フェイクです。ロシアのウクライナ侵攻めぐる誤情報にご注意を! | BuzzFeed Japan
youtubeでキエフ市街地のライブカメラ生放送やってるけど、今の所中心部は自動車も走ってるし、大きな被害もない。ただし、チャットが9条憎しでプーチン支持してるアレの棲家になってる
ロシアって国家かと思ったらテロリストだったんだ。最初から交渉しちゃいけない相手だった。1.4億人のテロ組織って半端ねえな。ところで、ロシアが風下なんじゃないの?
松井一郎(大阪市長) on Twitter: "志位さん、共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは? https://t.co/WMqoGYkZuj"
相手の言ってないことを藁人形にして叩く定番の右派ムーブ。ウクライナに9条はないし、有ったらむしろ攻め難かったのでは。コロナ+紛争のW参事でやることが政敵への難癖…せこい汚い。
「現代では戦争なんてやるだけ損だから誰もやる訳がない」って皆思ってたよね
弁護士しのだ奈保子🕊️(立憲民主党道7区総支部長) on Twitter: "世界的にみれば、日本は過去には、今のロシアのように加害者であったし、今はいわゆる前科者です。その国が、日本も侵略されたらと被害者的立場で、過去の侵略者に逆戻りするかのような軍事力増強や核武装を今声高に主張することは方向が違う。憲法9条を世界に広めることこそが日本の役割です。"
これに反発している連中は、何に反発しているのか理解しているのだろうか? まぁ、兵器軍隊というおもちゃで遊べない鬱憤があることだけは、見て分かるわけだが(自分は兵隊にならない前提でね)
日本の右翼に「反省」の二文字が有ればまだ違った世界になってたろうに、これについてるリプ見る限りはお寒い状況は変わらずか…
中国総領事がツイート「強い人に喧嘩を売るな」 台湾や日本を牽制か(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
中国総領事のこのツイート、憲法9条Disりたくてたまらん自称リアリスト君が今回の事態を前にSNSに嬉ション垂れ流してるのと同レベルなんだよなあ。権威主義を刷り込まれた木偶共の行き着くところは変わらんねえ。
ロシア大使、日本に対抗措置 ウクライナ大使は中国に期待:時事ドットコム
いや、それなりに武装しているウクライナが、抗戦しても全く歯が立たずに悪戯に国民を死なせてる現状を右翼はどう思ってるの? 靖国に逝けてよかったね、みたいな感覚なの?キモっ。
昨日から「ほら見ろ、ロシアが攻めて来るぞ。護憲派は退場しろ」な人が元気だ。軍備増強、核軍備のためには、むしろ北方領土ぐらいには侵攻してきてほしいのかもしれない。「ほら見ろ」って言えるし。
今回の件は簡単で、ロシアはウクライナがNATOに加盟するのを嫌がったのだから、軍隊を持たない状況なら侵攻はしてこなかった。たぶん政権の買収を延々続けていただろう。
9条を守って無条件降伏に賛成。弱者男性は戦争が無くても性淘汰されるし、女性は侵略者へ股を開けば生きられる。戦争で命を賭けて戦う意味って、強者男性にしかないのでは。
「プーチンありがとう。戦争始めてくれたおかげで憲法9条攻撃出来る!」みたいな醜いクズが予想以上に沢山湧いてて昨日からめちゃくちゃ引いてる。
CDB on Twitter: "もうなんかまるでウクライナが平和憲法を持つ非武装国家だから侵略されたみたいな空気で論じてるにゃんね。徴兵制復活させて対ロシアにバリバリ軍拡したのにそれでもやられたにゃんね https://t.co/Uq4XXl48KA"
武力を用いた侵略をしないというのは、無駄に戦争・死地に駆り出さないということにつながり十二分に国民のためであるな。細野は視野が極めて狭く、政治家の見識として不適当。
いや、これは違う。日本の安全保障を考えるわけでもなく、サヨク叩きに邁進したいだけよ。そういうのは右翼ですらなく、反サヨクっていうんだけどね。細野氏はその程度の人材だったというだけだ
状況的に見ればどちらかと言えばむしろ平和憲法持たずに軍拡してNATOに参加しようとした結果戦争になったんだから、彼らが妄想する世界とは真逆だよね。NATOを無視していればこうはならなかったというのが基本的な見解
(再)ウクライナ侵攻で和リベが終わる
「国内の左派を皆殺しにしたい」という願望以外何もない糞エントリー。国内から左派がいなくなれば好き放題弱者を攻撃できるからな
もういいんじゃねえの。どうにでもなればいいよ。改憲して20代全員徴兵しろ。日本人なんて戦争大好きなのが本質で、その痛みが忘れられたらどうなるか、繰り返す歴史が教えてくれる。俺は逃げる。
ロシアの反戦デモ参加者とウクライナで逃げ惑う市民と連帯します。両国政府はともに命の簒奪者。正義に狂って殺戮大好きな本性を丸出している日本人は頭を冷やせ。
サンモニ「ウクライナは一方的な被害者でもない」「コメディアンが大統領に選ばれる民主主義の末路」 : 痛いニュース(ノ∀`)
政治は結果責任というなら、西側諸国の出方を見誤ったゼレンスキーの失政の責任は大きいよ。でもロシアが先制したことで善悪二元論にハマって思考停止するから、当たり前の話が通じない。
仕事ができないと言われたくなかった。
「俺、コミュ障だし」「俺、アスペだし」とは笑って言えるのに、「俺、仕事できないし」とは言えなかったのである。
現代社会においてコミュ障であることは、仕事ができないことに等しいのは明白なのにだ。
俺はコミュ障だが勉強だけはそこそこ出来た文系という、最も潰しの効かないタイプのゴミである。
まず俺は締め切りが億劫で守れない。
それに叱られるのが怖くて問題を先延ばしにする上、報連相が不能な典型的な使えない新人だった。
取引先相手につい嘘をついてしまい、会社にあらぬ損失を与えたことも何度もある。
こういう時、職場はこいつは排除しよう、という正当な動作をする。ということで俺は孤立した。
さっさと辞めちまえ、という周囲の心の声が聞こえてくるようだった。「仕事ができない」ことを認めたくない俺のプライドはズタズタである。
病院をググるのが面倒なので病院にはいかなかったが、当時は掃除と洗濯、風呂に入るという行為が1週間に一度くらいしかできなかったので、多分適応障害かプチ鬱病だったのだと思う。飯も録に食えなかった。
そんな俺の転機は、同じ社の、俺の尊敬する穀潰しの先輩にアドバイスをもらった時に訪れた。
彼は始末書のレコード記録と横領じみた行為の数々による犯罪者スレスレの経歴を持ち、
「議事録を社内サーバーに上げておく」というだけの仕事を振られていた伝説的カス社員だった。
しかもその仕事すらサボり、散歩とコーヒーブレイクだけをしに会社に来ていたという偉人である。
だが、そんな先輩の栄光の日々も、ついに終わる時は来たのだ。社が新たなビルに移転する際に、更なる完全窓際部署へと追いやられることになっていた。
使えない新人として名を馳せていた俺は、その人の溜め込んだタコ焼き器だとか、やたら派手な扇風機だとか、そういうガラクタを含めた机回りの移動という雑用を振られた。
あらかた俺に荷物を運ばせた先輩は、俺の買ったコーヒーを飲みながら言ってくれたのだ。
「君なら、僕みたいになれる」、と。
その時、俺は目が覚めた。
「そうか、自分は、仕事ができないサイドの人間だったんだ!」と、ストンと胸になにかが落ちた。
それから、俺は使えないサイドの人間として、積極的に会社を使い潰してやろうという意識が生まれた。
その時、ようやくわかったのだと思う。俺は、他人というものが、集団というものが、ルールというものが、嫌いだったのだ。
なぜ生まれた時から法律なんてものを強制されるのかわからず、法律科に行った時の、初心を思い出したような気分だった。
俺は社会人であり、社会の恩恵を受けながら、社会というものが嫌いでたまらなかったのだ。
楽しそうな人間は楽しそうだから嫌いだし、つまらなそうな人間はつまらなそうだから嫌いだった。
この世の、ありとあらゆるコミュニケーションが嫌いだった。好きになる理由がなかった。
おそらく、先輩は俺にそういうことを伝えたかったのでは全くないと思うが、彼の言葉が俺の頭の中のスイッチを押して、回路が上手く繋がったのである。
社会が嫌いなのに、社会に報いようだとか、社会のルールを守ろうだとか考えていた方がおかしかったのだ。
ということで、「仕事ができない男ですが?」という、ある種の開き直りをした俺の快進撃が始まった。
まず、俺は意図的に締め切りを守らないことにした。
あと、挨拶はしない、電話は取らない、メールは気分が乗った時だけ返す、といった自分ルールを設けるようにした。
さらに、積極的に会社になるべく損失を与えるギリギリのラインをつく仕事をするよう心がけた。
するとどうだろうか。
そもそも、俺はルールが嫌いで、ルールを守れない。その病気を上手く利用した形になる。
「意図的に締め切りを守らない」という自分のルールが守れず、そこそこ締め切りを守るようになったのだ。
さらに、締め切りを守らないぞ!という意思は逆に締め切りを意識させることに繋がった。締め切りを完全に忘却していなければ、締め切りを破ってもどうとでもなった。
さらに、会社になるべくダメージを加えようという姿勢は、逆に業務を知ることに繋がったのだ。
例えば、うちの会社はマニュアルをPDF化すらしてなかったので、そのマニュアルを悪戯で勝手に改竄する計画なんかを練ったわけだが、
どこを改竄すれば訴えられず、かつそこそこのダメージを社に与えられるか、というような遊びをしているうちに俺はすっかりマニュアルを暗記していた。
情報に捕まらないように、ITの知識や自分の会社のセキュリティの脆弱性に滅茶苦茶に詳しくなった。
勿論俺はそもそも仕事が出来なかったので、ミスは起きたし、会社に損害も与えた。
始末書や顛末書も幾度も書いた。だが、左遷されるようなことはなかったし、懲戒や減給もなかった。上手く綱を渡れたのだ。
「どれだけ叱られても会社に残る根性のあるやつ」という評価になったのである。大丈夫かよこの会社、と思ったがとりあえず人間関係もまともになった。
仲良くなると、個人情報も結構教えてもらえるようになったので、それも利用できるようになってまさにギブ&ギブの素晴らしい関係だったと言えるだろう。
人間は1人で生きるのではない。俺ような人間のミスをカバーしてくれるアホ共がいるから世の中は回るんだな、と心が温かくなったのを覚えている。
あと、ニュースで報道される、不正を行った人達も優しい目で見られるようになった。人は罪を許し、助け合うことが大事なのだ。
しかし、いよいよ俺の薄汚いリーマン生命でもって罪を償わなければならない時がきてしまった。
うっかり、社に億に近い額の損失を与え、しかも太い取引先を激怒させてしまったのだ。
今回ばかりはヤバい、という空気をヒシヒシと感じた俺は、世話になった会社に報いるべく、何とか多くの人間を巻き込んでメガンテを撃てないか考えた。
だが、告発書をしたためたり、転職サイトに悪評を流そうとか、上司の名刺のコピーを色街にバラ撒こうとか考えていた折、
なんと俺を救ってくれる人間が現れたのである。それは、例の左遷されたはずの、穀潰しの先輩だったのだ。
彼は役員になっていた。
俺はビビった。この会社大丈夫かと思ったが、カラクリは簡単な話で、その先輩は創業者から直接の血が流れる男だったのだ。
仕事なんてしてなくても、していても関係なくいつか役員になる、そういう運命の元に生まれていた人だった。だからこそ大出を振ってサボれていたというわけだ。
とにかく、彼のおかげで俺はクビにはならずに済んだ。
それどころか、俺は業務改善や社内法規を決める部署に転属になったのだ。会社的には出世である。
顔に小じわの増えた、クズの先輩はこう語った。
ルールを破らない人間が作るルールほど穴だらけになるものはない、と。なるほど、と思うと同時に、その時、俺は先輩の隠れたメッセージを受け取ったのだ。
「俺達のような人間を出世させる、こんな会社に復讐してやれ」と。
俺は密命を果たすべく努力しまくった。明文化されていないが仕事を円滑にするためにあえて定まっていないルールというものが会社には多い。
だからこそ法や業務効率の名の元に、仕事がものすごくやりにくくなるやろうなあ、という社内ルールを通すべく俺はあらゆる手を使った。
会社がどんどんギスギスしていく姿に、きっと役員の先輩も喜んでいてくれているに違いなかった。
そういう日々が続くうちに、俺にもいつの間にか妻と子供が出来た。(こればかりは本当に相性のいい人とたまたま出会った)。
基本的に残業は一切しないので、子供の世話もしているが、仕事と違って楽しいものだ。手当も出て給料も上がり、順風満帆な人生を送っている。
何故幸せになれたのかというと、やはり「仕事ができない人間である」というのを認められたからだと思う。
自分が正しい人間だとか、優れた人間だとか、そういうところから脱却するのが肝要だ。
子供が1人いる。
子供の赤ちゃんの写真を見ながら夫と「また赤ちゃんに会いたいねぇ」と2人目の話をすることがある。
でも1人目ちゃんが、世に言う「とても育てやすい系」だから言えることだと分かってるので2人目に踏み出せない。
1人目ちゃんは幼稚園児。ダメだと言われたことは基本やらない。もちろん悪戯はするが、生命の危機に関することはめっちゃ強く言っている。キッチンで火をつけないこと、とか勝手に1人で外に出ない、とかそういうレベルは言っておくと『わかったよー』といってやらないでいてくれる。もちろん5分そこらしか目を離さないのだが、それでも助かる。
そりゃはねた以上は「全員を」受け入れたとは言ってはいけないと思うけど
そう言う話ではなくて、特定の人の名前を機械的に弾くのと、「悪戯かどうか」という動機の部分をしっかり評価するってのは難易度がことなるのではないかと言うこと。
対してこの名前があったらそれは敵対してる人なので無条件で除外する、は署名者の意図を正確に考えることに比べたら客観的なことだけで判断できるし、まだハードルが低いと思うけどなあ
例のオープンレターにはこんな一節がある(以下、引用者による省略は[ ]でくくって示す)。
これって、発端の先生が熱心に「高い倫理」について論じてらした宇崎ちゃんの献血ポスターへのバッシングのことでしょ。もちろん他にもあるのかもしれないけど、メンツ見たら「あ、あの件」ってわかる人にはわかるよね。
これまで赤十字が(女性向けゲームも含む)色々なコンテンツとコラボしてきて『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボはその一環だったという経緯、「売血」を問題視しておきながら10回献血すればおしゃれな杯がもらえたりモーターショーで献血すると限定トミカがもらえたりすることには一切言及せずオタク向けコンテンツとのコラボだけをことさらにあげつらう偏り、ポスター擁護派へのバーレスクやらを持ち出した煽り、このあたりにめちゃめちゃ腹が立ったので今でも献血ポスターバッシングに加担した人たちのことは許せてないんだけど、こういうふうにさらっと書かれたらこういった経緯を全然知らない人はスルーしてそのまま署名しちゃうでしょ。
このオープンレターに賛同したらあの献血ポスターバッシングに賛同することになる以上、当たり前だがポスター擁護派の増田は署名なんてできようはずがなかった。
オープンレターの発起人の中には、「金田淳子 やおい・ボーイズラブ研究家」という方がいらっしゃる。普通の賛同署名ではなく発起人の欄に書かれているので、お名前を勝手に使われたのではなく紛れもないご本人だろう。
そうすると、ご自分の過去の言動についてはどう思っていらっしゃるのかなというのは気になるところだ。では、ここで2019年に金田氏が自著の出版に際してなした発言を見てみよう。
なるほど、「ケツの穴が小さい」という慣用句にかけた性的なジョークを披露なさっている。ところで、板垣恵介氏は金田氏の以前からの親しい友人というわけではなく、『刃牙』を元ネタにした書籍の発刊にあたって許諾を取ったという関係の、いわば仕事相手であろう。ということは、金田氏は「仕事相手に対してオンラインメディアで多少性的なジョークを言うのくらいは別に構わない」という立場を採っていらっしゃるわけだ。それ自体はひとつの見識であろうと思う。人には表現の自由というものがある。しかしそのような立場の方が、オンラインでの「遊び」に対してNOを突きつけるオープンレターの発起人に名を連ねていらっしゃるというのは、なかなかに興味深い事態ではないだろうか。
なお、マイノリティということで言うなら、男性同性愛者が苛烈な差別にさらされているマイノリティであることに異論はなかろうと思う。ところで、BLややおいという文化は、彼らを性的に客体化し、消費するものであり、もしも女性を「性的消費」することが女性差別的な文化であるなら、男性同性愛者のセクシュアリティを消費しているBL/やおい文化もまた、男性同性愛者への差別にあたるはずだ。個人的には性的客体化も性的消費も好きにすればいいしそんなのは差別ではないと思うので、女性を性的客体化した表象が問題ないのと同様に、男性同性愛者を性的客体化することを楽しむジャンルであるBLも問題ないと考える。しかし「性差別的な表現」を批判するオープンレターにBLを肯定的に捉える立場のBL研究者が参加しているというのは、「もしかしてBLのことを性的客体化だと認識してないんですか?」という深刻な問題を惹起するだろう。
【追記】金田氏の過去の発言について、『ユリイカ』での荒木飛呂彦氏への発言が取り沙汰されることがある。荒木氏本人に向けて「ディオは[……]何百人もの男たちに慰みものにされてきた」という発言を行った箇所だ。しかしこれはある作品の解釈を論じているという文脈であり、作品解釈を著者に向けて披露することが直ちにハラスメントということにはならないはずである。板垣氏へのアナル発言のように著者本人の身体部位をからかいの種にしたわけではない(なお、アナル云々について「謝罪はされている」という指摘はあるが、「『アナル』の多用」についての謝罪であったので、「仕事相手に向けて性的なジョークを言う」ことそのものへの謝罪ではないように思われる。もちろん氏には「仕事相手に向けて性的なジョークを言ってなにが悪い」と主張する自由がある)。漫画作品にはいくつもの解釈があり得、その中には性的な解釈も当然あるだろう。もしも金田氏が本気でそのような解釈も成り立つと考えているのなら、それを著者の前で論じたとしてもなんの問題もない。男性研究者がある少女漫画――そう、忘れられがちだが『ジョジョの奇妙な冒険』は少年漫画なのである――について「このキャラは男とヤりまくっていると思う」と女性の作者に向けて発言するようなものだろう。仮にそのような解釈が成り立つなら、そういった発言も許されてしかるべきである、と、ゴリゴリの人文系である増田は考える(文学作品の解釈において「作者の気持ち」には何の意味もないことはもはや常識であろう。作者本人にとっていかに不愉快な解釈であってもそれが成り立つことはあり得るはずだ)。
問題発生当初から、周囲の研究者があれはアカハラだと言っていたことに非常に大きな違和感があった。なるほど中傷した人もされた人もどちらも博士号を持っていて、大学に職を得ているアカデミアの住人ではある。しかしそれは「アカハラ」か? 中傷された人は、中傷した人と何らの面識もなく、大学や学会等での関わりもなく、そもそも専門分野がまったく違っていた(日本中世史と英文学って、分野も対象地域も違うから出身大学院や勤務先が同じでもない限り基本的には接点がない)。さらに中傷した人は、大学准教授以外にも作家や弁護士といったアカデミアとは無縁の人に対しても中傷を行っていたことが明らかになっている。
そうすると、これは単に「リベラルやフェミが嫌いなネット民が、リベラル派やフェミニストの言論人に対して中傷を行っていた」という案件ではないだろうか。たまたまネット民と言論人の双方が博士号とアカポスを持っていただけで、本質的にはアカデミアの問題とは思えない。だから問題がないと言っているわけではない。例のオープンレターは増田には「帰宅途中の銀行員が夜道で財布を奪われた事件を『銀行強盗』と呼んで行員の組合が抗議声明を出している」ように見える。いや、確かに銀行員が強盗の被害に遭ってはいるけど、それを銀行強盗とは呼ばんやろ……
そう、発端の先生は学者であると同時に言論人でもある。いくつかのオンラインメディアに社会評論的な記事を書いておられる。そのこと自体にはなんの問題もない。学者が自分の専門知識を活かして言論人として活躍するというのは表現の自由であり、なんら制約を受けるべきではない(呉座勇一氏も似たような立ち位置だったといえる)。
しかし言論人というものは、しばしば見ず知らずの人から口汚く罵られたりあてこすられたりするものだ。たとえば百田尚樹氏は、ご自分の社会評論を発表したことで、非常に大きなバッシングに遭っている。当然それにはなんの問題もない。百田氏の思想や彼の著作を気に食わない人は、たとえ百田氏となんの面識がなくとも、彼のことを痛烈に批判したり、事あるごとに彼の名前を出してあてこすったりするだろうし、それは表現の自由に属する(「百田尚樹はクソッタレの極右だ」「ウィキペディアを参考にして本を書くとか、百田尚樹かよw」「コピペは許されないだって? 百田先生への悪口を言うのはやめてさしあげろ」etc...)。もちろん、性差別や容姿差別はたとえ相手が百田氏だろうと許されるべきではないが、出版された著作に基づくこの種の批判を浴びるのは仕方ない。
これらの罵倒や当てこすりになんの問題もないと思うなら、同じ判断基準を他の言論人にも適用すべきだろうと増田は考える。増田は、百田氏に対するその種の批判は表現の自由の範疇に属するものだと思う。したがって、件のオープンレターには賛同できなかった。
昨今騒がれている署名の偽造については、もちろんオープンレター発起人に悪意があったわけではなく、悪意を持った何者かによる悪戯であろう。そこは同意するし、悪戯の被害に遭って気の毒に思う。
しかし、研究者同士のメーリスで回覧するとかではなくグーグルフォームで広く署名を募った以上は、そういう愉快犯が紛れ込んでくることはどうしたって避けられない。これはネットでの署名活動にまつわる常識であろう。したがって普通は、ネットの署名は「○○筆の署名が集まりました!」とだけ広報し、第三者はそれを1割から2割ほど差っ引いた数字で捉えるものだろう(たとえば、7万筆ほど集まった署名なら、まあ6万人くらいが署名したのかな、と捉える)。
アカデミアに関する抗議声明がしばしば組織(大学や学会)の名の下で行われる理由のひとつは、その声明に信憑性を持たせるためだ。信憑性を持たせるためにはある程度の権威主義が必要になってくる。今回の場合、たとえば大学などの組織が発行したメールアドレスから送信された署名のみ受け付けて、フリーメールアドレスからの署名は弾く、というような手法も考えられた。ところが「マイノリティの声を拾い上げる」というのを信条にしている研究者諸氏は権威主義が嫌いなので、アカポスを得られていない研究者はどうするんだ、とか、在野で活動している人はどうするんだ、といった配慮をしてしまったのだろう。その優しい配慮は学会の運営などでは必要なものだが、今回はそれが裏目に出てしまった。不幸な出来事だったと思うが、しかし信憑性を確保できない以上、ここは個々人の名前を出すべきではなかったのではないか。「○○筆の署名が集まりました」で十分だろう。次からの教訓にしてほしい。
件のオープンレターのページに、他人に氏名を勝手に使われた場合は削除対応する旨が記載されています。
https://sites.google.com/view/againstm/home
また主催者(と思われる)KOMIYA Tomone氏は、上記ページへの案内と、他人の氏名を勝手に使って署名することへの抗議をツイートしています。
https://twitter.com/frroots/status/1483741646277599235
少なくとも後者のツイートはanond:20220119201838の公開より早い、2022/01/19 19:02に成されています。
オープンレター関係者は北村氏のツイート通り悪戯署名について対処しているので
北村紗衣先生の発言は、どうやら事実と異なるようですね。オープンレター発起人の誰かが、北村紗衣先生に対して「きちんと対応しているから」と嘘を吐いていて、北村紗衣先生は騙されているだけの被害者なのかもしれませんが、確認はした方が良いと思います。
この部分は事実誤認・嘘です。
直近でWeb署名というと、某Vtuber関連の抗議署名が連想されます。7万もの署名が集まったそうです。
https://www.change.org/p/全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状
こちらの署名を基にフェミニスト議連に対して抗議が行われ、ニュースでも、はてなでも話題になっていました。覚えている方も多いと思います。
こちらもオープンレターと同種のWeb署名ですが、7万の署名すべてが真正か、といったことははてなでは全く問題とされていませんでしたし、あなたも特段批判していなかったはずです。
Web署名はその性質上、誰でも偽名や他人の名前で何度も署名できてしまいます。従って、Web署名に真正性を求めるほうがナンセンスと考えます。
もし悪質な形で他人に名前を騙られた場合は、プロバイダへ発信者情報開示請求のうえ、騙られた当事者と騙った当事者とで法的な手続きを踏めばよいのであって、署名の主催者に責任を求める理路が不明です。
前述の通り、不正に名前を騙られた場合は名前を削除する旨を主催者?のKOMIYA氏も表明しているので、対応としてはそれで十分です。
【質問2】上記を踏まえた上で、主催者側の対応に不備があると思いますか?あるとして、どういった不備ですか?また、その根拠(法律上の義務を怠っているなど)は何ですか?
【質問3】本件に限らず、Web署名で真正性を担保することは不可能に近い困難が伴いますが、主催者側はどういった対処をすべきと考えますか?
【質問4】『オープンレター関係者もまた「確認・管理を怠った過失による加害者」』とのことですが、意味がわかりません。Web署名中に悪戯で署名した人が1人でもいると、当該Web署名発起人に重過失が認められ、加害者として刑事罰ないし民事上の責任が発生するということですか?
「高須クリニックの人と同レベル」というのは、リコールの署名を水増しする目的で多数のアルバイトを用いて署名を偽造し地方自治法違反での逮捕者を出した愛知県知事リコール不正署名事件を指していると推察します。
誰でも自由に署名できるWebサイトで(おそらく第三者の悪質な悪戯で)他人の名前を騙って署名した人が数名いたという問題と、運営側がアルバイトを動員して不正署名を主体的に行い、結果逮捕に至った愛知県知事リコール不正署名事件とを同一視するのは、余りにも粗雑な論だと思います。
【質問5】上記引用箇所は「"北村紗衣先生と仲間"は、愛知県知事リコール不正署名事件と同様に、悪意を持ってアルバイトなどを動員して不正に署名を水増しした。何らかの罪に問われるはずだ」という意味ですか?違うとして、どのような意味ですか?
毎朝、通勤時の満員電車(コロナの影響か以前より人は減ったが)でほぼ必ず、99%の確率で障害のある方や、薬でもやってんじゃないか?という人に遭遇する。
・大声で何かに怒鳴り続ける
・陽気に歌いながら車両を走り回る
・意味不明な言葉を発しながら人に絡む(ほとんどの人が関わらないように無視している)
…など、書ききれないほどの奇行を見かける。
独り言を呟いているだけや軽く歌っている程度なら構わないし気にしない。
人に絡んだり、くっついてきたり、もしや何かされるんじゃないか?と不安になる。
今朝は電車の狛犬ポジション(ドア横のハマれるスポットのこと)に立っていたら、フードを被り下を向き何かの動画を再生しながらブツブツと何か呟いている50歳くらいのおじさんが急接近してきてギュッと壁に押し寄せられた。
怖くなりその場を離れたが見事場所を取られてしまった。そしてドアのど真ん中という一番居心地が悪い場所で30分間揺られることになる。
電車を乗り換えると今度は何故か半ギレで歌いながらウロチョロしている男性と遭遇し、同車している人達も怪訝な様子。
そしてこんなことを書くと、
「障がい者を差別するな!」「障害のある人の気持ちを考えろ!」「少しくらい我慢したらどうだ」
などと批判されるのが目に見えている。
その男の子は女の子のスカートをめくったりパンツを脱がしたりとエッチな悪戯を頻繁にしていた。実際、私は女だが、1時間近く胸に顔をグリグリと押し付けられたことがある。大変不愉快で先生に助けを求めたが、半笑いで「我慢してくれ」と言われた。
周りの大人たちはパンツを脱がされ号泣していた女の子に「彼には障害があるから仕方ない」となだめていた。
それは本当に正しいのか??
本人が気をつけるということは出来ない。
それならば周りの健常者達が女の子に近づけないようにするなどの配慮をすべきではなかったのか?
このように、例えば出勤で電車に乗る必要があるのであれば会社が比較的人の少ない昼から出勤させるなどの配慮をすべきだ。
出かける用事があるのなら朝ではなく昼に予定を組むべきだ。
本人がただ電車に乗りたいだけなら親族が迷惑行為をしないよう同行し見張るべきだ。
全員が全員そうしろ、社会を変えろ、とは言わない。そんな大人が周りにいない人だっている。それは理解している。ただあまりにも遭遇率が高すぎるのだ。
この意見について批判されるのは当然だと思うし、懐が非常に狭い人間なことも自負している。
本当に「仕方ない」で済まして良いのだろうか?
仮に学校内で厳格な法的措置が可能になったとしても、訴える側である学校サイドに訴訟にかかる労力の現実的な限界が来るだろうから結局本当にどうしようもない生徒以外は訴えられることはないだろう。
仮に子供の悪戯一つで少年院に収監されるような世の中になったとして、そこまで皆が皆、犯罪者になるリスクのある社会なら、軽犯罪者に対する風当たりは今ほど強くはならないだろうから、犯罪歴も今ほど重い枷にはならないだろう。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
消されてたんでサルベージ
ウイグル・チベット・モンゴル・香港・アフリカで人道的・肉体的に虐殺されている人々を救う必要がある
https://anond.hatelabo.jp/20211212015526
文系学問の学問を貴重な時間とお金を使ってやったけれども、分かったことは考えたところで何も変わらないということだった。
偏差値が低い頭が良くない人間が学問ごっこをできただけ感謝しないといけないのかもしれない。
ただ、楽しくもなかったし、意義も感じられなくなっている。
本を読むよりもセックスがしたかったけど、不細工でどうにもならなかった。美男美女になりたかった。
それを言葉をこねくり回せば何か変わると思ってたけど、何も変わらず不細工で悪戯に歳をとってしまった。
整形なら変わるのだろうか。変わるかもしれないが、自分の外見では焼け石に水かなと。
おんなじ言葉でも不細工な自分ならハラスメントで、イケメンなら愛情とかになったりする。
そんなのを感じた今は、頭が良かったら医学部とか行きたかったなぁと二十代の後半に思ってしまう。
大した意味がない。
少し前に温泉娘が炎上した。もう過去のものになった感はあるが色々モヤモヤしたものがあってとりあえずここにまとめて書こうと思う。電車に乗ってる間暇なんでな。
あれをオタクを呼ぶオタクに媚びてるみたいな批判と反論があったが、正直あれを魅力に感じてあれを目的に温泉に行くオタクって本当に存在したのか?(ここでのオタクはおそらく批判者が想定したと思われるアニメ・二次元オタクと定義する。一口にオタクと言ってもそのスタンスは多種多様である)
オタクが可愛い女の子のイラストが描かれたグッズや本を集めるのはその絵自体が魅力だからではなくその絵に描かれたキャラの背後にある物語があったうえでなんだよね。それは2次創作でもそうで元になった物語がある。オリジナルの作品で評価される人もいるが稀であったり一枚絵の画力で評価されており全体から行くと少数派であろう。
オタクに温泉娘を見せても「可愛いね」とは思っても「魅力がある」と答える人は少ないだろう。温泉オタクが温泉を巡るついでの楽しみとして温泉娘のコンプリートをするのはあるかもしれないが、アニメ・二次元を主戦場にしているオタクがバックとなる物語のないキャラに惹かれて温泉に向かうとは思えない。これが例えばガールズアンドパンツァーコラボならわかる。茨城の温泉、熊本の温泉が大洗高校、黒森峰高校とコラボする。他の地域の温泉もそれぞれの土地を母校にする高校とコラボするならコンプリートを目指すオタクもいるだろうがそうではない。オタクが温泉に行ってあれを見たらちょっと喜ぶかもしれんが「ちょっと喜ぶコンテンツ」程度で集客にプラスになるとは思えない。
女の子で集客をするとして、昭和の発想だとその土地の若女将を看板にすると思う。各温泉地の若女将を集めて美人コンテストを大々的にやって話題にする。なんなら婿探しなんてのもやったと思う。そういう生身の女性を使い客を呼び込むことを考えると絵になるというのはまだ時代がマイルドになったととることができるのではないだろうか。
いや、本当に女性を扱うことへの見方が変わっただけだろうか?金の問題もあるんじゃないだろうか。
さっきは昭和ならと書いたが、一昔前ならご当地アイドルブームがあった。各温泉地でアイドルを作って盛り上げようとなったかもしれない。じゃあそれもやらないのは何故が。
金がかかるからだ。
有名曲のカラオケというわけにはいかない。衣装を作り曲を作り、振り付けを依頼して温泉地だけでなく温泉のアピールのために各地に遠征をする。
運営にコストがかかりすぎる。この点がご当地アイドルがさっさと終わった理由だろう。
ご当地アイドルが珍しい時代ならそれに興味を持つアイドルオタクも捕まえられたろうが、ご当地アイドルブームがさり地下アイドルは全く別のものとしてシーンに定着した今地方の素人がプロデュースするアイドルに入る隙はない。金と労力がかかるだけだ。
これらのことから、金はないけど何か人を呼ぶコンテンツが欲しい。そこで、『イラストならそこまで金はかからない」と選ばれたのが温泉娘であるというところではないか。そして「温泉を盛り上げるため温泉娘という看板娘のようなキャラをつくってほしい」と依頼したところ、アニメ風ととられるものになってしまった。
設定に関しては依頼側の要求が緩かったので製作者の悪い悪戯心も入ったかもしれないがそれを放置されたのだからそんなに気合いの入った企画ではなく、客を呼び込むためにやるいくつかのことのうち一つで大した思い入れもプライオリティもない企画だった。
そんなところじゃないかな。
ぼちぼち駅に着くからこれで終わりにする。
まさかホッテントリに入るとは思わなかったのでびっくりしている。
今まで何度かはてなやTwitterで炎上してることについて自分なりに考えたこと、思ったこと書いたことがあるけどずっとスルーだったしこれも旬が過ぎてるからスルーするだろうしとりあえず吐き出そうみたいな感じだったんだわ。
>すっごく関係のない外野からゴロ寝しながら考えたような実のない話。
いやほんとそう。電車に乗ってるとき暇だからつらつら書いただけ。マジ正解。
たしかに御朱印的にコンプリートしたい人は現れるよね。バックグラウンドへの妄想もむしろ古のオタク仕草っぽい。
何より声優まで関わってるのは知らなかった。これは本当に申し訳ない。
冒頭でフェミニストへの批判じゃないと書いたけどもちろん擁護でもないのよ。
言いたかったのは
誰もいいアイデアが出せず、誰も熱い気持ちや責任を持たずにやっていて中途半端に終わる町おこしあるあると、それにかけられる予算が昔より格段に落ちちゃってるんじゃないかなぁっていうやらせなさなんだよね。俺も寂れる一方の田舎出身だからなんかそういうふうに思っちゃったの。
いやーほんと言いたいこともわからないし読みにくい長文の駄文でごめんね。
とりあえず色々ありがとう!
少し前に温泉娘が炎上した。もう過去のものになった感はあるが色々モヤモヤしたものがあってとりあえずここにまとめて書こうと思う。電車に乗ってる間暇なんでな。
あれをオタクを呼ぶオタクに媚びてるみたいな批判と反論があったが、正直あれを魅力に感じてあれを目的に温泉に行くオタクって本当に存在したのか?(ここでのオタクはおそらく批判者が想定したと思われるアニメ・二次元オタクと定義する。一口にオタクと言ってもそのスタンスは多種多様である)
オタクが可愛い女の子のイラストが描かれたグッズや本を集めるのはその絵自体が魅力だからではなくその絵に描かれたキャラの背後にある物語があったうえでなんだよね。それは2次創作でもそうで元になった物語がある。オリジナルの作品で評価される人もいるが稀であったり一枚絵の画力で評価されており全体から行くと少数派であろう。
オタクに温泉娘を見せても「可愛いね」とは思っても「魅力がある」と答える人は少ないだろう。温泉オタクが温泉を巡るついでの楽しみとして温泉娘のコンプリートをするのはあるかもしれないが、アニメ・二次元を主戦場にしているオタクがバックとなる物語のないキャラに惹かれて温泉に向かうとは思えない。これが例えばガールズアンドパンツァーコラボならわかる。茨城の温泉、熊本の温泉が大洗高校、黒森峰高校とコラボする。他の地域の温泉もそれぞれの土地を母校にする高校とコラボするならコンプリートを目指すオタクもいるだろうがそうではない。オタクが温泉に行ってあれを見たらちょっと喜ぶかもしれんが「ちょっと喜ぶコンテンツ」程度で集客にプラスになるとは思えない。
女の子で集客をするとして、昭和の発想だとその土地の若女将を看板にすると思う。各温泉地の若女将を集めて美人コンテストを大々的にやって話題にする。なんなら婿探しなんてのもやったと思う。そういう生身の女性を使い客を呼び込むことを考えると絵になるというのはまだ時代がマイルドになったととることができるのではないだろうか。
いや、本当に女性を扱うことへの見方が変わっただけだろうか?金の問題もあるんじゃないだろうか。
さっきは昭和ならと書いたが、一昔前ならご当地アイドルブームがあった。各温泉地でアイドルを作って盛り上げようとなったかもしれない。じゃあそれもやらないのは何故が。
金がかかるからだ。
有名曲のカラオケというわけにはいかない。衣装を作り曲を作り、振り付けを依頼して温泉地だけでなく温泉のアピールのために各地に遠征をする。
運営にコストがかかりすぎる。この点がご当地アイドルがさっさと終わった理由だろう。
ご当地アイドルが珍しい時代ならそれに興味を持つアイドルオタクも捕まえられたろうが、ご当地アイドルブームがさり地下アイドルは全く別のものとしてシーンに定着した今地方の素人がプロデュースするアイドルに入る隙はない。金と労力がかかるだけだ。
これらのことから、金はないけど何か人を呼ぶコンテンツが欲しい。そこで、『イラストならそこまで金はかからない」と選ばれたのが温泉娘であるというところではないか。そして「温泉を盛り上げるため温泉娘という看板娘のようなキャラをつくってほしい」と依頼したところ、アニメ風ととられるものになってしまった。
設定に関しては依頼側の要求が緩かったので製作者の悪い悪戯心も入ったかもしれないがそれを放置されたのだからそんなに気合いの入った企画ではなく、客を呼び込むためにやるいくつかのことのうち一つで大した思い入れもプライオリティもない企画だった。
そんなところじゃないかな。
ぼちぼち駅に着くからこれで終わりにする。
まさかホッテントリに入るとは思わなかったのでびっくりしている。
今まで何度かはてなやTwitterで炎上してることについて自分なりに考えたこと、思ったこと書いたことがあるけどずっとスルーだったしこれも旬が過ぎてるからスルーするだろうしとりあえず吐き出そうみたいな感じだったんだわ。
>すっごく関係のない外野からゴロ寝しながら考えたような実のない話。
いやほんとそう。電車に乗ってるとき暇だからつらつら書いただけ。マジ正解。
たしかに御朱印的にコンプリートしたい人は現れるよね。バックグラウンドへの妄想もむしろ古のオタク仕草っぽい。
何より声優まで関わってるのは知らなかった。これは本当に申し訳ない。
冒頭でフェミニストへの批判じゃないと書いたけどもちろん擁護でもないのよ。
言いたかったのは
誰もいいアイデアが出せず、誰も熱い気持ちや責任を持たずにやっていて中途半端に終わる町おこしあるあると、それにかけられる予算が昔より格段に落ちちゃってるんじゃないかなぁっていうやらせなさなんだよね。俺も寂れる一方の田舎出身だからなんかそういうふうに思っちゃったの。
いやーほんと言いたいこともわからないし読みにくい長文の駄文でごめんね。
とりあえず色々ありがとう!
ちょっと違う
これの入り口は言ってる内容を信じるなら「温泉地でパネルを見てなんでこんなものを置いているのと思って調べたら」だ
本来、絵の方に嫌悪感を感じていて、普段だったら背景なんて関係なく燃やしに来ていたはず
ところが、絵自体はへその位置だとか、シワの形だとかで難癖をつけられない無難な構成だった
で、わざわざ「調べたら」燃やすに足る情報を拾えたわけなんだよ
夜這いにしても、スカートめくりにしても、「げへへ」なんてものじゃないのに、字面だけで勝負に出た
キャラクターの背景に夜這いだスカートめくりだと言葉が使われてるキャラは公共にふさわしくないという燃やし方をした
この理路だと、片言キャラを海外の大使館職員などが「kawaii」と紹介したら、人種差別を肯定するのかと噛みつかなきゃいけないが、賭けても良いが絶対にそんなことはしない
今後、スカートめくりを悪戯でするような女の子が登場する作品がコラボしたら、性暴力を肯定するのかと噛みつくべきだろうが、多分それもしない
(いたずらでスカートめくりしちゃうプリキュアイベントとか、そこそこ批判の声もあるが、彼女らが燃やしたりはしないだろう)
この事象は、これまで見逃されてきたセクハラが許されなくなった、のではないよ
「公共に出すキャラにはいかなる瑕疵もあってはならい、そう夜這いなんて言葉を使うなどもっての外」という燃やすための理由になっただけ
少し前に温泉娘が炎上した。もう過去のものになった感はあるが色々モヤモヤしたものがあってとりあえずここにまとめて書こうと思う。電車に乗ってる間暇なんでな。
あれをオタクを呼ぶオタクに媚びてるみたいな批判と反論があったが、正直あれを魅力に感じてあれを目的に温泉に行くオタクって本当に存在したのか?(ここでのオタクはおそらく批判者が想定したと思われるアニメ・二次元オタクと定義する。一口にオタクと言ってもそのスタンスは多種多様である)
オタクが可愛い女の子のイラストが描かれたグッズや本を集めるのはその絵自体が魅力だからではなくその絵に描かれたキャラの背後にある物語があったうえでなんだよね。それは2次創作でもそうで元になった物語がある。オリジナルの作品で評価される人もいるが稀であったり一枚絵の画力で評価されており全体から行くと少数派であろう。
オタクに温泉娘を見せても「可愛いね」とは思っても「魅力がある」と答える人は少ないだろう。温泉オタクが温泉を巡るついでの楽しみとして温泉娘のコンプリートをするのはあるかもしれないが、アニメ・二次元を主戦場にしているオタクがバックとなる物語のないキャラに惹かれて温泉に向かうとは思えない。これが例えばガールズアンドパンツァーコラボならわかる。茨城の温泉、熊本の温泉が大洗高校、黒森峰高校とコラボする。他の地域の温泉もそれぞれの土地を母校にする高校とコラボするならコンプリートを目指すオタクもいるだろうがそうではない。オタクが温泉に行ってあれを見たらちょっと喜ぶかもしれんが「ちょっと喜ぶコンテンツ」程度で集客にプラスになるとは思えない。
女の子で集客をするとして、昭和の発想だとその土地の若女将を看板にすると思う。各温泉地の若女将を集めて美人コンテストを大々的にやって話題にする。なんなら婿探しなんてのもやったと思う。そういう生身の女性を使い客を呼び込むことを考えると絵になるというのはまだ時代がマイルドになったととることができるのではないだろうか。
いや、本当に女性を扱うことへの見方が変わっただけだろうか?金の問題もあるんじゃないだろうか。
さっきは昭和ならと書いたが、一昔前ならご当地アイドルブームがあった。各温泉地でアイドルを作って盛り上げようとなったかもしれない。じゃあそれもやらないのは何故が。
金がかかるからだ。
有名曲のカラオケというわけにはいかない。衣装を作り曲を作り、振り付けを依頼して温泉地だけでなく温泉のアピールのために各地に遠征をする。
運営にコストがかかりすぎる。この点がご当地アイドルがさっさと終わった理由だろう。
ご当地アイドルが珍しい時代ならそれに興味を持つアイドルオタクも捕まえられたろうが、ご当地アイドルブームがさり地下アイドルは全く別のものとしてシーンに定着した今地方の素人がプロデュースするアイドルに入る隙はない。金と労力がかかるだけだ。
これらのことから、金はないけど何か人を呼ぶコンテンツが欲しい。そこで、『イラストならそこまで金はかからない」と選ばれたのが温泉娘であるというところではないか。そして「温泉を盛り上げるため温泉娘という看板娘のようなキャラをつくってほしい」と依頼したところ、アニメ風ととられるものになってしまった。
設定に関しては依頼側の要求が緩かったので製作者の悪い悪戯心も入ったかもしれないがそれを放置されたのだからそんなに気合いの入った企画ではなく、客を呼び込むためにやるいくつかのことのうち一つで大した思い入れもプライオリティもない企画だった。
そんなところじゃないかな。
ぼちぼち駅に着くからこれで終わりにする。
善悪には、生まれた国家や家庭環境、教育により人それぞれ違いがあって当然である。
そして国には法があり、その縦分けの善悪とは別に、個人の持つ善悪の境界線がある。
今の中国や韓国等は教育により、日本に対しての善悪は我々日本人には理解できないくらい善悪の境界線の差がある。
かつて軍艦島の世界遺産認定のニュースで韓国民の軍艦島をアウシュビッツと例えたのには全日本国民は驚いた事であろう。
日本人も嘘はつくだろうが、ここまでの嘘を真顔で言ってくる外国人が居るわけだ。
最近は多くの外国人が日本に入って来ているが、感じている方も多いと思いだろう。
個人個人においても同じ国に生まれ、教育を受け住んでいて同一の法律を守って生きていても、更に細やかに部分での善悪の差別がある。
一方はこれをしたら自身の心の神仏に申し訳ないと思う者と、そのくらい何でもないと思う者の差がある。
モラルハザードとも呼ばれるものだが、人によっては関係無いと感じる事でも、すごく罪悪感や悪と決め付ける事柄があるだろうし、その時々のケースによっても差がある。
まず最初に己達が犯罪を始めておき個人情報を不正に入手しているにも関わらず、そのターゲットの特性にイチャモンを付けてくるやり方だ。
ターゲットの特性、人格に合わせて勝手に想定し犯罪予備軍と決め付けるのだ。
それは万引きの常習者、頭が可笑しい、酒に溺れやすい、ギャンブル依存症、女性と見れば誰彼無く等、その程度の事は監視にも価しないし、監視している当人も同じ穴の狢と言えよう。
探偵の浮気調査程度なら分かる辺もあるし、お金のある人はそう言う事をしたがるそうだ。
そして大きな仮想犯罪予備軍としてのレッテルに加え、日常のクセ等を善悪で捉え仮想の犯罪者として、こじつけを行う。
ここがこの者達の汚いやり口で、被害者を悪と決めつける処から始める犯罪だ。
その犯罪とは、不法侵入、住居侵入、器物損壊、泥棒、窃盗、のぞき、通信傍受、盗聴、盗撮、つきまとい、尾行、待ち伏せ、悪戯電話、悪戯FAX、
個人情報漏洩、個人公文書不正入手、薬物混入、薬物投与、プライバシー侵害、肖像権の侵害、ハッキング遠隔操作通信妨害、通行妨害、車の幅寄せ、
電磁波による暴力暴行、輸送物開封、クラクションやスピーカーによる音声の迷惑行、超音波音声送信、これらの個人情報を利用し圧迫感を与えるあらゆる行為、
これら全ての犯罪を以て自殺を強要していく行為、これは殺人罪である。
まだまだあるが大体この位の事はしている。
これを初めから周到に練られた計画によって組織的に行なって来た理由である。
己の方がここまでの極悪犯罪をしつつ、被害者の行動を一々悪と決めつけて
間断なく上記の犯罪を繰り返し24時間365日何年にもわたり、犯罪者の如く扱って行く。
盗人猛々しいという言葉があるが、ストーカー犯罪者猛々しいも程がある!
これは武士道の国日本の昔からの犯罪の価値観とも大きく異なる気がする。
この法律以外の善悪の差別は、人の受け取り方一つであり、育った環境や教育により差があり、
自分の善悪正邪を人に押し付けられるものでもないが、どんな品行方正な方でも、無理やり犯罪者もしくは病気、統合失調症に仕立てていくであろう。
ましてや100%の人間等いるはずも無いので、あらゆる隙間を突いてこの犯罪予備軍としての決めつけ行為をして来る。
それをも拒否し無視を続けると、家族や親族、友人等、ターゲットの重要で大切な人達に類を及ぼすぞ、と言った脅しをかけてくる。
「云う事を聞かぬと、お前の大切な人の命がないぞ」みたいな事だ。
こんなものもういったい何ですかと言いたい。
自分が犯罪を犯し、人を勝手に犯罪者に決めつけ、それを受け入れなければ、人質の命は無いぞ!
殺人罪が発覚し、逃げ果せなくなった犯人は人質を取り立こもり、という籠城事件があるが、その部類の犯罪心理ではないか?
さて、法律以外の善悪、秩序、モラルに関していちいち干渉し指摘し悪と決め付けて来るのだが、
ここに前提というものが必要であると考える、日本国のように自由主義の国に生まれ育った場合、一定の価値観ではなく多くの価値観がある。
ヨーロッパ等の自由主義の国々には日本とはまた違う多くの価値観が存在する。
民主主義の多数決の国とは言え多数の価値観が善ではなく、少数の価値観が悪では無い。正邪もおのずと同じである。
それ故から我々自由主義の国においては、前提として色々の人様々な人がいて当たり前、と言う考えも必要であるし、居て当然なのだ。
昔人生いろいろと言った総理大臣がいたが、だから面白いのではないだろうか?
被害者の方は一方的な仮想犯罪者にされ、こじつけられる筋合いは無いのである。
日本人のように小さい島国で育った人々は、まず対面を気にするし、大陸の国々とは違い、外へ外へと言うよりは内へ内へと考えがちで自虐的な方も多いはずだ。
この追い込み形の自殺強要、殺人組織監視システムで本当に自殺させられた方が何人いるのか知らないが、そうなる理由は良く分かる。
また鬱病や統合失調症、引きこもり等も、こういう犯罪が無くても多いだが、何でも無い人まで、そこに至らしめる犯行と言わなければならない。
この犯行に耐え、自己バランスを保っている者が、それぞれ自分なりの活動を行っている事が分かりる。
絶対改めざる集スト犯の首謀者は資金力、法の不備、公権力を使い完全犯罪の如くやっているが、裏を返せば絶対バレてはマズイ犯罪なのだ。
どんな事をしても隠さねばならないと言う事があるだろうし、既に何人もの方が被害者として知っている人も知らないまま殺された方もいるわけであるし、それを知っている者だ。
後戻りは出来ない、一人殺すも二人殺すも百人殺すも自殺させるも同じであるし決して悔い改める事の無い、出来ない者になっているのであろう。
この記事と前の記事を書いている時の加害の肌で感じるモノは、ズハリその通り、もうそれ以上ではないと言いたげな感覚を身に受ける。
毎々増田応援で駆けつけてくれる被害者がいる事を知っての、他エントリでぬくぬくと犯行を繰り返していた安心感が揺らいできたか?
とうとうそこまで気づいたか!バレたかという意味合いが伝わる加害である。