はてなキーワード: 侮蔑とは
漫画家が平成の価値観で「めっちゃ酷い状況」を描いて、それより酷い地獄が令和の時代に広がってる。
日本人は外国人に対する無自覚な侮蔑感情すら通り越して、人間扱いすることを完全にやめてしまった。
これは南北戦争の頃に、黒人奴隷が使い倒されていくのを見て「家畜が消費されていく」風景としか感じていなかった時代に逆戻りしてる。
日本人はなまじ自分たちが権利を着々と獲得したもんだから、もはや技能実習生のような奴隷扱いは無関係のものとして「明日は我が身」と感じなくなったんだろうね。
完成されたモラルの死だ。
中国では今も黒孩子が技能実習生と同じような「消費され方」をしているが、多くの中国人は自分とは完全に無関係な彼らの人生には何も感じていない。
大企業は下請けが勝手に使う技能実習生についてなんの責任も取らず、そうして作られた汚い利益を搾り取れる余裕と見做して下請けいじめを続ける。
上級国民が下級国民にすることを、下級国民は更に自分より下に対して行う。
そしてソレに対して自分たちにはなんの責任もないと言い張り「ベトナム人って本当に糞だな」とテレビを見ながら呟くんだ。
酷いもんだぜ。
平成の時代をかけて下級国民が少しずつ勝ち取った権利を自分より下に適用しようなんて思っちゃいないのさ。
「だってベトナム人は努力してないから」「嫌なら日本に来なければいい」「騙されないように努力しないのが悪いんだもの」
いやー本当日本って凄いな。
COVITー19のパンデミックによって世界の大部分は一変したし、当然ただの一市民でオタクの私の生活も一変した。二月に推しのコンサートに行った帰りに、いつものライブ友達と美味しいイワシの刺身を食べながら「新型コロナって春には落ち着いてるといいね」と話していた。春から推しのカバー曲ツアーが始まることになっていたのだ。当然春のコンサートツアーは飛んだし、私は他の大勢と同じく早春のころからほぼ生活圏から出ていない。会社も元々自転車通勤圏にあるから、繁華街にもいってない。
高齢の家族がいて、気管支炎喘息をずっと治療しているから感染リスクは出来るだけ減らしたい、となると出かけないが最適解となる。夏に昔懐かしい映画のリバイバル上映があり、秋になると鬼滅やTENETや羅小黒戦記がオタクの話題を席巻しても、上野や六本木で特設展が開催されても、繁華街に出てウィルスを家に持ち帰るリスクと自分のストレスを少しでも解消したいという欲望を比べると常に「リスクを考慮して出かけない」となる。なにより息抜きをしたいと思う自分が浅ましいし情けないと思っいた、正確に言えばいまも思っている。寄付もしているが私の収入では雀の涙で、するとコロナの感染拡大を極力抑える行動をすることが、医療関係者含む最前線の人たちに向けて出来る精一杯のアクションだから。
これで会社が電車に乗っていく距離にあれば「通勤出来るのだから映画館にぐらいいける」と推し量ることも出来たのだろうけど、実際はずっと家から会社まで自転車を漕いで往復するだけだからなにもつかめない。ツイッターを見ると映画に行く人、たまに外食をする人、ハンドメイドグッズや鉱石のイベントに行く人たちがいて、適度に好きなものに触れて息抜きをして、あるいは興奮気味に映画の感想を述べたり久しぶりの舞台の空気を満喫したりしてるが、私はそれを見ながら皆息抜きが上手いし、罹患しないという判断が出来るだけのなにかがあったんだな…と思っていた。そんな感じで半年以上TLの文字だけでたまに人とやりとりし、たまの散歩以外で外には行かず、そのころ推しは秋から改めてツアーを開始して、ありがたいことに配信があったから、仕事と家事をすべて終えた真夜中に見ては「これがあるだけで十分に贅沢だ」と拝んでいた。
そうしたら、ある日突然、ガス欠とエンストとパンクが一変に来たように、エネルギーが尽きて、壊れた。
初めて生々しく希死概念というものを抱いた。推しのライブだろうがまだ発刊されていなかった鬼滅の最終刊だろうがすべて価値がなくなり、ただ、明日がないということがどれほど魅惑的て楽になる唯一の解決法に見えるか、ということを身をもって知って、私は幸い数日で落ち着いたときすぐ心療内科に電話をして、あとは診察日まで泣きながら耐えることでどうにかなったが、波のようにあの感情に襲われて、それと戦っている方は本当に頭が下がる。とにかく、日常の認知が壊れ、TL越しの人が何を考えているかが全くわからなくなり、人とのコミュニケーションはすべて恐怖と不安を増幅させるものとなり、「これがコロナ鬱か…」と推測しながら初診のその日を待っていた。
そうしたら、コロナでの環境変化が大きな要因だけど、おそらくそのストレスはASDの傾向によって生まれたもの、ときたもんだ。高めのIQのアスペルガー障害、っていうのはオタクがキャラクターを作るときに一回ぐらい適当な夢を込めるか、5ch文化どっぷりなら侮蔑する存在だが、自分がその存在になるとは先月までは思っても無かったよ。
グレーゾーンとはいえASDと言われて思い至ることは山ほどある。なにより上で書いたようステイホーム時代の思考があまり柔軟じゃないように見えるし、オフ会で直に顔を合わせても人の情感を読み取るのは苦労していたのだからましてやツイッターなどでのみ、となったときのコミュニケーションの難しさといったら。しかしなにより驚いたのは、これまで世間の人も同じように苦労しながら人とコミュニケーションを取っているのだから、それが出来ない私が劣っている、というわけではなく、世間の大抵の人は言語、非言語、空気というのもを普通に読み取り、普通に処理し、普通に適度なコミュニケーションを取れる、ということだった。なんならいまも信じられない、うそでしょ。
でも嘘じゃなさそうなのだ、世間の人は突然歌い出したくもならないし踊りたくもならないし買い物で数が3つか5つ以上になるように数を調整しないし気になったことをどこまでも調べたりしないしトラウマもフラッシュバックも起こりにくいし出来事はそんなに覚えてないようなのだ。本当にびっくりだよ。
お医者さんいわく、私は、「言語で論理的に理解する」ことに特化している脳らしく、確かにASDのグレーゾーンと言われて、自分で厚生労働省やNHKや心療内科医による解説などと読んだら、自分のいまの状態がどういうことが納得出来て心がストンと落ち着いたので、なるほど私にとっての言語で論理的に理解出来ることの重要さはこれか。余談だけどNHKによる発達障害のトリセツは便利なので、ASDやADHDじゃないかと疑っている人は検索して読む価値はあるし、自分で思い込んでるだけなら早めに心療内科に予約を取って調べてもらうほうがいい。当事者になってまだ一ヶ月経ってないけど、発達障害、私の場合アスペルガーは自分と切り離せないものだし、唯の特性で素敵なものじゃないぞ。あとASD当事者や周辺の人の苦労を他人事として処理して、楽しい罵倒として「アスペか?」とか書き込むやつらは全員スマホとPC壊れろ。
そしていま困っていることは「ASDの傾向があることをカミングアウトしたほうがいいのか、黙っているほうがいいのかわからないので誰かに相談をしたいが、もともと空気を読みにくいな…と思っていたら本当に空気を読む能力があまりなかったため。誰が相談に乗ってくれるか、そもそも誰が自分に対して好意的かがわからない、ということを人に相談して、話を聞いてくれると嬉しいがそもそも誰が相談に乗ってくれるのかがわからない、ということを」という円環に完全にはまっていることで、友達に話してみてもいいのかどうかすらわからないので、今日はとりあえずはてぶに書き散らして気持ちを落ち着かせた。
本当にどうしたらいいんだろうね
昨日開封した、Amazonで19980円のクロスバイクが、今朝みるとブラックフライデーとやらで16980円になっていた。
体感24時間もたたないうちに、15%引き、3000円の損である。
悶絶のあまり、風呂に1時間以上つかり、この感情の激しさを抑えるべく増田に吐き出すことを決めた。
近くのイオンでその名のセールを知り、「金曜日に安売りセールするのかな。リキ入っているなあ」などとイオン特売セールだと思っていた。
その後商店街の靴屋でもロゴを見かけ「もうちょっと広範囲なキャンペーンかなと」ぼんやり意識したのが昨日。
ブラックフライデーが、アメリカでの感謝祭にむけた年一の大大的なお祭りセールであることを数分前にwikipediaで知った。
amazonのブラックフライデーが2020年は11月27日、つまり今日始まることは前から決まっていたことも、1分前に知った。
ダイエットのために2か月近く毎日自転車で1、2時間ほど走っている。だが所有しているのは14インチの折り畳み自転車のみ。
軽いのはいいのだが、シフトギアもないので速度は普通に漕いでママチャリに劣る。電動なら前後に子供二人のっけた状態でも抜かれる。
ましてやサイクリングロードではロードバイクやクロスバイク、20インチの折り畳みバイクにも抜かれる。
最弱である。
気にしないつもりでも、鬱積は弱く静かに淀みとなって残る。
検討の末、20インチの9段ギア付きの軽量(8.9kg)折り畳み自転車をネットで7万で注文した。10月頭のことだ。
しかし取り寄せということで11月に入っても入荷せず、ついには12月の中旬以降というお知らせまで来た。
同じ製品がamazonでも販売されていることは知っていたが、ポイント割引など踏まえると1万円ほど高い。
この差は大きい。その時はそう思っていた。
入手まで一か月以上この状態に耐えることはもはや苦痛であった。
今の注文をキャンセルし、割高でもamazonで買う選択肢もあった。
しかし安ければ700Cホイールのクロスバイクを別に買うのもよいなと考え始めていた。
通りすがりのスポーツサイクリング車の店でパンク修理をお願いした際、後輪の外のタイヤが破れていると指摘された。
最安の品で、あまりの固さに交換に手間取ったが、その際の、タイヤを外したり調整した経験が自転車欲を高めた。
もともと学生時代はクロスバイクで休みにはテントを担いで数週間ツーリングをしていたぐらいには自転車が好きだ。
そのころのものは手放して久しい。安いクロスバイクを買っていろいろいじってみるのも楽しそうだ。
1万円高いものを慌ててamazonで購入するぐらいなら、1万円のクロスバイクをメンテ能力をあげる踏み台として使おう。
そもそも5万以下の製品は自転車好き視点では見かけだけがクロスバイクの「ルック車」と呼ばれる。
すぐ壊れて危険、重い、パーツが独自で修理できない、実質ママチャリ、ロードバイク乗りからはすれ違い様侮蔑される、など散々な扱いである。
まあだが、だからこそ安いほどいい。
極端に評価が低くなく、購買者が多いもので、できれば1万円台。
そして注文したのがamazonで19980円の3x7段シフト、13.5kgの格安クロスバイク(ルック車)であった。
5日前のことである。
到着した日は仕事で開封できず、翌日、つまり昨日の午後に開封した。
想像よりでかい、重い、ブレーキハンドル・グリップ・サドルが安っぽい。
タイヤの細さもロードっぽいというより軽さと安さのためではとうがってしまう。
空気バルブはママチャリと同じ英式の虫ゴム形式。試しに抜いてみると臭いガスのにおいが漏れる。
前輪はクイックレバーで自力でつなげる必要がある。後輪にはクイックレバーはなく接続済。
同封のマニュアルは汎用らしく、無いパーツや折り畳み自転車用の詳細なメンテ情報が記載してある。
室内でビニールシートを引き、前輪・サドル・ハンドル・ペダル・ライト・チェーンロックをつける。
泥除けは面倒なので今はつけない。ボルトのカバーキャップは一応つける。
もう日も暮れかけのころ、表で数十メートルだけ回ってみる。
前の3段ギアが2段しか動かない。ブレーキの利きは遊びが弱く固い。ライトは見た目がダサい。
でも走れないことはない。
大き目な公園まで行ってみようと車道で坂を下りギアチェンジしたとたん、後輪のタイヤが止まった。
後輪が左に傾いており車体に完全に押し当てられている。もはや前にも後ろにも動かない。
後輪をあげ、前輪だけで運ぶ。
すれ違う下校中の女子学生の群れを抜け、街灯の下、夜道を10分かけて帰る。
「君」を部屋に再びあげる。
後輪をまず外そう。
ボルトキャップを外し、レンチをあてると明らかに、一脚スタンドがついている側が緩い。
力を入れるまでもなくすぐに回転する。
おそらく最後の工程でスタンドをつけるとき、手抜きして締めたのだろう。
両方のボルトを緩め、タイヤを一度外し気味にして差し込みなおす。
車体をさかさまにして、タイヤを回転させながら、フレームの中央で回るようにタイヤを調整する。
ずれがないようにボルトを左右、少しずつ締める。
そもそも後輪については説明書にも記載がない。補助輪のつけかたの説明はあるのに。
2)ワイヤーの張り直し
3)ギア調整ネジでの調整
1では治らず、3で調整。本当は2を先にやるほうがいいようだ。
説明書にも「1速に入れらない症状の5割以上はワイヤーの張りが原因です」と記載がある。
ワイヤーの初期伸びとして最初から調整が必要なことが織り込み済なのだろう。
ネットの評価コメントでも自転車屋での調整必須という声が散見された。
説明書の記載も、別の個所だがボルトの強度(トルク目安)の記載がある。百円均一の工具ではわかりようもない。
ブレーキは効いている分には問題はなさそうなので、再び外に出る。
折り畳み自転車と比べると車体は重く、振動時に足とグリップへの緊張が高くなる。
そのグリップもカバーが薄く、すぐ手が痛くなる。これは要交換だ。
足が伸び切らないからか膝が痛くなる。
サドルの高さも少しずつあげてゆく。
速度は折り畳み自転車の倍、とまではいかないが1.5倍は出る。
その分、脚への負担は大きい。サドルで尻が痛い。そしてやはり車体が重い。
だが、2万円だし、こんなものだろう。
そして朝を迎えて、ブラックフライデーによる値引きを知る。
amazonの返品は条件つきで30日以内にできる。クーリングオフでも7日以内なら可能だ。防犯登録もまだしていない。
返却して買いなおしという選択肢もある。
自由がかえって心を悩ませる。
自由からの逃走、はエーリッヒ・フロムの言葉だったかと、風呂場で苦悩しているときに思い出す。
お年玉をあげる立場として、1000円だと子供も渋い顔をするだろう。5000円なら喜ぶだろう。1万円なら親が恐縮するかもしれない。
だが3000円だった場合。ぽち袋も微妙に膨らみ、もらいがいもあるだろう。小学校中学年までなら喜ぶかもしれない。
Uber Eatsは一件あたり500円、ドライバーは得るという。6件分である。
時給980円で3時間分。
先日、本屋で、間違えてすでにもっている「クトゥルフ神話TRPGサプリメント クトゥルフ2010(3800円)」を再購入したこともあった。
返却してすべてなかったこともできる。合理的とはそういうことだ。いや経験の分だけ得したかもしれない。
梱包して、コンビニで集荷して、amazon返却手続きすればいい。
自らの愚かさはそれで証拠もなく消える。
だがそれを今、自分は信じ切れていない。
このまま事態を受け入れることもできる。
3000円で動揺した自分の小物ぶりはすでに強く味わった。
合理的な行動により何かを得たようで、その合理性に過ちがあり、何かを失った。
とにかく、もう一度だけ、あれに乗って、それから考えようと思う。
「痛い思いさせればいなくなると思った」路上生活女性殺害事件 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
ていうかはてブってこういう卑劣な犯罪のブコメ欄こそが見ものよね。
うっかり差別心むき出しのコメントする人とそういうのに☆つける人が沢山出てくるから。
人間は自分が正義の味方になった気持ちの時ほど差別心を剥き出しにしちゃうってのがよくわかる。
(卑劣な46歳の男がホームレス女殴る時の気持ちよくわかるんじゃない?このブクマカたちは。)
tobalno1 こないだ話題になってたマジモンの人生無理な人そのものって感じだ。周辺住人には大人しく接する一方、自分より弱くて抵抗しなそうな人には平気で暴力を振るう…こういうタイプは本当に扱いが難しい。
2020/11/21
これさあ
こないだの「限界発達障害オス」みたいな話のnoteや増田の記事のこと言ってるんだよね。
うーん、いや本当にそうなの?
この46歳が発達障害なのかとかまだ何もわかってないよね?
それで厄介な発達障碍者がみんなこういうことするわけでもないよね?
私はこれもう完全に剛速球ストレートの差別だと思うけど違うのかな。
「ああーはいはい、こいつチョ〇でしょ」「こいつ部落だぜ」って前提で話を進めるのと全く変わらないよね?
そして仮に犯人がその属性であっても、その犯行内容と在日や部落のような属性を安易に結び付ける言説は完全にアウトだよね?
このあいだのnoteや増田での一連の「限界発達障害オス」の話は確かに迫真のリアリティがあったよ。
でもその行動や特徴本当に発達障碍者の特有のものなの?ってツッコミはブコメにもあったよね。無視されがちだったけど。
増田なんてもっと酷くて、書いてる人の身元すら証明されてない与太話で、
仮に自称通りの経歴の人であっても彼の体験談や心証は、科学的医学的に証明された何かでは全くないわけじゃん。
個人的にはあのレベルの「証言」はヨットスクールの校長が得々と自分の業績や教育論ぶってるのと何も変わらない怪文書だと思うんだけど
あれを与太話より意味のあるのものとして受け取ってる人達本気でヤバくない?
普段のネットリテラシーとかニセ科学的言説へのリテラシーどこ行っちゃったの?
「なんとなく目にしてきて不快感を持ってきた不快な男性がやはりそういう有害な障碍持ちの診断書付き劣等であった」
というストーリーが気持ちいいからあんまり正確性疑わずに信じ込んじゃったとこあるよね?
卑劣な犯行の報道を見たらもう「ああ、アレね。あの種類の奴等ね。」
これもう完全に勢いがついてるよね。
HIMOTE_no_MATSURO 46歳にもなってママに連れられて出頭、というあたりにはてなで時々噴き上がる「非モテ男性様にも“平等に”女をあてがえ!」の背景が推察されてしまうのが哀しい。受刑施設での更生がよい公助になるといいのだが… 男性
2020/11/21
これももう滅茶苦茶だよね。
まず、マザコンでも何の犯罪もやらずにまっとうに生きてるマザコンはごまんといるよね。
そこからのはてなで噴き上がる非モテ~というのは更に繋がりが意味不明で
これはもうよくある差別主義者の頭の中だけで繋がりがある事柄がパズルのピースのようにはまっちゃうって言うアレだよね。
☆付けてる人達も、単に普段から自分が憎んでるもの見下してるものの全部盛りセットだから気持ちいい!っていう快感だけで☆付けてるでしょ。
「ホームレス殴る卑劣な犯人」と「マザコン」と「はてなで噴きあがる非モテ」の論理的なつながりが全く分からないもん。
いや私の中では自明なこととして繋がってるんだ!っていうかもしれないけどそれは単なる差別感情のセットです。
あとちょっと話それるんだけど、一緒に暮らしてる家族の付き添いで出頭なんてざらにあるのよね。
家族に相談して「出頭して!」ってなったら一人で行かせないから付いていくよねそりゃ。逃げたり自殺したりする心配あるから。
奥さんが付いていったり夫が付いていったり交際相手が付き添っていったりってよくある。
父親が死んでるから残る身内の母親が付き添ったら「○○歳にもなってママに~」っていうのどうなんだろうね?
親と同居してるとかマザコン(というのも決め付けだけど仮にマザコン)とかには
こうやって「○○歳にもなってママに~」という侮蔑のコメントに☆つけちゃうんだから、
あなたたちの言うサベツハンタイ多様性ソンチョウってなんなのよ。
特にこのhttps://b.hatena.ne.jp/HIMOTE_no_MATSURO/っていうブクマカはアイコンやidでもわかるように
強烈なミサンドリーの為に作られたアカウントで「差別されるべき劣等生物中年童貞」を侮蔑するコメントしかしていないという強烈なヘイト垢で
卑劣な殺人事件を好機として這い出してきたこれにまんまと☆付けちゃう人達は本当に、どうなんだろうね?
今回この発達障害差別・中年童貞差別・マザコン差別に与したこの人達はもう
差別とかヘイトとかについて批判的な声を上げる資格はないよね。
あれっ
2020/11/22
上のちんちん丸出しの差別野郎全員足しても足下にも及ばないまともな知性の持ち主です。
正義のイキドオリで差別心丸出しにする何の役にも立たない憎悪駆動のバカの人達とこの落ち着いたコメントの人
知性や人格で言ってノミVSダイダラボッチぐらいのスケール差があるわけです。
Q_saku 嬉々として女差別してる人々が自分に向けられた差別にだけ「(俺たちだけへの)差別はいけないだろうが!」とヒステリックに文句言ったところで「で?」としか。自分の身振りを変えないなら死ぬまで堂々巡りですね。 鏡見てろ
えっ
「嬉々として女差別してる人」って誰のこと?
1.これを書いてる私?
2.発達障害の人?
4.マザコン?
5.親と同居してる人?
まず1の、増田である私はここで女性差別的なことを書いたつもりは1ミリもないんですけど、
もしも「ここが女性差別だ!」っていうのがあるなら具体的に抜き書きで提示してね。
誤字脱字以外書き換えたりしませんので(ていうか誤字脱字すらめんどいのであんま直さない)。待ってます。
もしもさあ、
ここに書いてあることどうこうじゃなく「私の楽しいクソオス差別を注意してくるなんてミソジニー人間に違いない!」とかいう話なのであれば、
もう即刻はてなやtwitterのアカウント消して病院かお寺行く方がいいと思うよ。
してる人もいるししてない人もいるよね。
もしもあなたが女性で発達障害の人から直接女性差別的な扱いを受けたことがあったとしても
(これはかなり疑うけど。ネトウヨの「在日から被害を受けた」エピソードぐらいには証言者の動機や認知が信用できない。)
あなたが復讐していいのはあなたに嫌なことした当該発達障碍者のみ。
それ以前にさあ、だっせえ八つ当たりはやめよう?
ネトウヨ「俺は在日から危害加えられたことある(うそくさ―)から在日は全部認めてないしあいつらゴミ。在日差別されたくなかったら在日が改めろ。」
Q_sakuさんが言ってるのは↑これとどう違うの?
シリコンバレーは世界の最先端をいっている。シリコンバレーには進歩的な価値観を持った人々が多く集まっている。みんな本気で世界をよくしたいと思っている。シリコンバレーの人はBLMに心を痛めた。13thを観て衝撃を受けた。黒人差別はいけない。排除しなければならない。シリコンバレーの人は進歩的で世界をよくする人達だ。黒人さん達のために何かをしなければならない。そこでシリコンバレーの人達は声を大にして黒人さんたちを差別から救う運動を始めた。blacklistという単語を排除することから始めた。blacklistは拒絶すべき人のリストという意味があり、blackという黒人という意味でも使われる単語が入っている。黒人リストが拒絶リスト?それは正義ではない。黒人さん達を助けなければならない。blacklistという単語は悪だ。黒が悪くて白が善いという価値観は捨てなければならない。blacklist/whitelistという単語を排除することはその価値観からの脱却に貢献する。黒が悪で白が善なのは間違えている。blacklistは排除しなければならない。シリコンバレーの人々は世の中のコードベースからblacklist/whitelistという単語を排除することを世界に要請した。またmasterブランチはよくないということも思いついた。masterなんて奴隷の主人に決まっている。masterという言葉を見ただけで黒人さん達は息が苦しくなる。単語置き換えのプルリクエストを作ることは正義への貢献である。語源からして黒人差別や侮蔑の意味がないという反論が世界から多くあがった。このような価値観の人々が黒人さん達の差別を固定しているんだ。ジョージ・オーウェルがなんだ。誰だ。言論弾圧こそ世界をよくするものだ。ポリティカル・コレクトネスこそが正義だ。シリコンバレーの人々は正義の下に戦った。そして黒人は今日も貧乏であった。
何かを称賛したときにその逆が侮蔑されていると捉える思考をするのはよくない癖だぞ。
いい年したおっさんやお兄さんが小学生のキャラクターに愛着を抱いてしまうのは、普通にリアルに当てはめれば事案になりそうな地獄絵図なんだが、そんなものは超越したベリベリキュートで溺愛したくなるエモーションというのが二次元にはあるわけだよ。
利益のもととなるのが、情報の非対称性であることもあるし、権力?というかスケールメリットのような事業であるがゆえの構造的非対称性由来であることもある。
後者はすごくフィジカルなものを積み重ねた結果だから感覚的に納得できる人が多いだろう。
でも前者の、情報の非対称性って、そんなに悪いことなのか? 情報をもってないからイコール愚だとは俺は思わない。
情報をもっていないからこそ、その商材まわりのことに煩わされずに生活できているメリットがあるわけだよ。
情報から利益を生み出す人々は、日々それを追って知識を吸収して蓄積していくことに人生を費やしている。
たとえその取引の肝となる情報がやり方さえ分かればネットで一瞬で分かるものだったとしても、素人がそれを真似たものと並べて考えちゃいけない。
ピカソが30秒で描いた絵を「100万ドルです」と言った理屈と同じように考えれば分かる。
だから情報の非対称性を、誰でも簡単にその対称側に行ける簡単なものだと錯覚するのは、ビジネスの根幹に対する侮りがあると思ってる。
もっというと、IT系の仕事を虚業だと言うような人たちと同類の誤解と侮蔑があると思う。
悪意的に都合よく隠された情報の非対称性はたしかに市場の失敗を引き起こすとは思うし、槍玉に挙げられる業界は是正の余地があると思う。
だが情報の非対称性がすべて悪だと言わんがごとき人々があふれることは、ビジネス自体が発生しなくなる経済の失敗につながると思う。閉じて完成された自給自足社会の域までもう到達してるなら、それでもいいんだが。
トラバもブコメも「なんだ偉そうに」的な反応が目立つけど、増田はこういう職種の従事者を劣った人間だとは言っていない。
世間から軽んじられている人々を憐れみ、それに気疲れしてるということが増田からは読み取れる。
もし今後増田自身がそういった生活を余儀なくされても同じトーンで「模範的な”一般市民”からうっすら侮蔑を向けられているのがつらい」と愚痴るんだろう。
おそらく地位や名声、収入の格差、QOL、交友関係といった格差にまつわる事柄が、
生い立ちや個人の資質、今までかけてきた労力の差といったパーソナリティに集約されるのが、増田にとって不快なのだと思う。
僕は小売店でずるずるバイトを続けている身分だけど、誰と話しても「こんなとこでフリーターに甘んじてるような奴は思慮も複雑な感情もないただのでくの坊だろう」という前提で会話は進む。
大学院に通うバイト仲間もパートのおばちゃんも毎日午後8時に同じものを買って帰るリーマンも子連れの主婦も徘徊する老人も毎日へとへとな店長も近所に住むが疎遠になってしまった幼馴染も、
みんな自分の生活はだれにでも代替えできるものではないと思っている。
みんな「まああなたにはわからないでしょうけど」というものがアイデンティティに組み込まれている。
でも実質的には障碍者でもないなら人間社会なんていくらでも配置転換は可能だろう。
教育さえ施して周囲がそれ相応の扱いをするならば、
パートのおばちゃんが大学院で研究漬けになって若妻が企業戦士になりしなびたおっさんが子どもを連れた主夫になり俺がへとへとな店長で幼馴染が孤独に惨めにずっとフリーターってこともあり得るはずなんだ。
各々人間の間に蔑みが生まれるほどの能力差なんてあるのだろうか。
でも今の生活が崩れるはずがないという安心を得るため、自尊心を埋めるために、人はそれを人間としての程度の違いとして扱っているんじゃないのか。
公権として格差を規定して人を縛れば、それを個人のパーソナリティと紐付ける余地はなくなる。
魚屋の息子だから魚屋になるしかないような社会なら、あんたは馬鹿だから東大に進学できないのだというような発想はどこからも生まれない。
人として程度が低いからコンビニでバイトしてるしかないのかと打ちひしがれるか、コンビニでバイトするような身分じゃなければあれができたと空しく妄想してるか、
一世を風靡した「おそ松さん」というアニメをご存じだろうか。赤塚不二夫のおそ松くんがベースだが、キャラ設定等はほぼアニオリだ。
個性的なむつごのキャラと不条理ギャグ、そこはかとなくインモラルで下品、だがどこかおしゃれな作風(個人的な意見です)に人気が爆発した。
深夜アニメにも関わらず子供にも人気で、放送が始まった2015~2016年ころは社会現象とまで呼ばれるくらいの人気だった。同人界隈も盛り上がった。
しかし、現在第3期が放送されているのにいまいち盛り上がりにかけているように感じる。
5年も経てばこんなもんかと思うが、2年前の二期、昨年放映した映画のときはまだ、もうちょっと盛り上がっていたように思う。
Twitterの検索欄に「おそ松さん」と打つとサジェストに「つまらない」と出てくる始末。
何が原因なのだろうか、他の人の感想や意見を見ながらまとめてみた。
これはしょうがない。
そして今季はダイ大や金カム2期、ヒプマイ、呪術廻戦、ひぐらし、夜叉姫等、同時期に期待値が高く話題をさらうアニメが多すぎるのも原因だ。
ネームバリューではおそ松さんもそれらの作品に負けていないのだが、
世間では鬼滅映画で賑わい、pixivはツイステ創作で溢れているので時期もちょっと悪かったかもしれない。
一期、二期、映画とずっと務めていたキャラクターデザインの人が降板し新しい人になった。
急な絵柄の変化に戸惑いを隠せない人も多かったはずだ。松ファンなら、明らかに違うのが分かる。新しい人が悪いとは言わない。しかし顔も体系も違うのだ。
でもまあ、その人がすべて本編作画の指揮をとっているわけではないし、その人はベテランなのでアニメーションがうまい。本編にはさほど影響はないように見える。
そもそも松のフォルムは難しく、アニメーターによって作画のブレがひどいのだ。
コマ送りして見ると作画崩壊なんてこともしょっちゅうある。4~5頭身でムーミンのようなフォルムなので他のアニメと比べると多少の作画崩壊は目立たない。というか、動けば問題はない。
なんか全体的に暗い。
・新キャラ登場でこれまで当たり前だったギャグ要素にケチがついていく。(チビ太のチビは蔑称とか、デカパンの格好はわいせつ物陳列だとか何とか…。そもそもチビが蔑称ならシコ松も蔑称だしトト子に対するうんこ評価も侮蔑なのになぜつっこまない。ガバガバAIか?)AIに対してはむつごの誰かが面白くツッコめばギャグになるが、誰もツッコまないので放置されている。多分伏線だからこの不穏さは最後までとっておくんだろうがこれがいつまでも続くとなると……。
・スタバァでうんこしたりチンコぶるんぶるんさせて弟に迫ったりしていた一松が三期は打って変わって折り紙折ってラジオごっこする陰キャなだけの人に。
・一期で結婚したサブキャラ・橋本にゃーが突如離婚してシングルマザー化。アイドルであるトト子ちゃんももう後がないと言われ自身の年齢を気にしている様子。生活費稼がなきゃいけないにゃーと後がないトト子は一期からやってきたアイドルをやめて女子プロレスラーに…。(オチでギャグにしているがすごく重いです…)
・友人の結婚式に出て落ち込む等、むつごの年齢を感じさせる会話。
三期は、「パロデギャグ+本編軸ギャグ+シリアス本編軸(AI絡み)」の構成でやっていくのだろうか。
4話の「カップ麺を食べたいがために奮闘するむつごの話」のように、明るく楽しい話もあるが、正直見ていて陰鬱な話の方が多い。
三期の新しい取り組みとして、1話完結ではなく続き物を試みているのだが、それが今のところシリアスで楽しくない。
このシリアス風味のAI日常パートや妙にリアルを感じさせる重い設定がずっと続くと思うとなかなかしんどいものがある。たぶん1期2期と同じく24話で特大シリアスをやって最終話で大爆破オチなのだろうが……。
リアルで考えれば6人全員ハタチ過ぎてニートなのはもともとキツい設定なんだから、アニメの中くらい楽しく明るく馬鹿やってるニートでいてほしい。(そもそも赤塚不二夫のむつごを「将来はバカでニート」という設定にしたのはおそ松さん公式なのに、今更むつごに自虐させていかにダメかを描くのは正直言ってよくわからない。1期は20代前半だが3期は20代後半になっているので、そういう時間の経過を書きたいのだろうか)
まだ序盤なので今後に期待したいが、5話まですべてこうなので不安が拭えない人もいるのだろう。
1期にも2期にもシリアス回はあってそのたび良い意味でも悪い意味でも話題にはなってきたが、それはたまにあるから良いものではないだろうか。
「また笑おう」がキャッチコピーのはずなのに、シリアスとのバランスがおかしいので笑えないことになっている。
ギャグアニメを見ている人がギャグアニメへ期待することは、安心して笑えるということだ。笑いたいときに妙にリアルなキツさを突きつけられると視聴者の心も疲弊する。
どこかで見たような話が多い。
既視感。これは単純に、二期以降ひとりの脚本家がすべてひとりで書いているのでネタ切れなのではないだろうか。
一期は他の脚本家もいて、交代で書いていたが二期から何故かひとりで書いている。
ドラマCDやフェス松さんを合わせれば現在の脚本家が作った話はゆうに40話を超えるので、ネタ切れも仕方ないのかもしれない。
個人的には助っ人脚本家を雇うか、ネタ出しのアドバイザーみたいな人を入れるかした方が良い気がする。そして監督や脚本家に意見を言える人物も必要なのではないだろうか。
制作チームを気の合う人だけで固めるとどうしても内輪ウケになってしまい、視聴者との壁ができることがある。特に二期は視聴者が不快になるような下ネタが多めで賛否両論だった。(もちろん二期も面白い話はある)
衝突しない程度のストッパーはある程度重要だし、「ひとりで決め過ぎない」ということも、続編物語を作るうえでは大切だと思う。
「むつごを使ったコントを見ている気分になる」といった意見を見た。
むつごじゃなければできないギャグ、そのキャラじゃなければできないネタがもっとあれば盛り上がるのかもしれない。
※追記 6話はついに過去に出したドラマCDをそのまま映像化してしまった。本当にネタ切れなのかもしれない。
出番の差、扱いの差がわりと露骨でうんざりしている人が多いようだ。
そういえばイヤミも1話以降出てないな…。
不憫なのはトド松とカラ松、たまにチョロ松で、全体的に空気なおそ松。暴れん坊フィジカルな一松と十四松の構図は二期から同じだ。
一松と十四松はあまり痛い目に遭わない代わりに下品な下ネタ担当な気もしたが、三期はそれすらなくなってしまった気がする。(一話で食糞する十四松は面白かったけど)
一期二期は大ボケ担当だった十四松だが、映画と三期ではわりとまともなツッコミキャラとなってきたのではないだろうか。十四松の新しいキャラクターを模索しているような気もする。
一松に関しては前述したように唐突な下ネタやキレ芸、カラ松に対する理不尽な暴力等のトリッキーさがなくなり、出番は多いのになんとなく影の薄いキャラになってしまった。
ひとりだけAIに靡かず不信感を募らせたり不穏な空気を出したりと、わざとキーキャラとして置いているように見えるが、そろそろ一松の持ち味であるヤバい奴感を出してほしいところだ。
十四松をツッコミキャラ・チョロ松をボケキャラとしてギャップをつけて昇華したように、ポジショニングの変化も多少はあった方が飽きがこず面白いかもしれない。
あとコンビの差(このキャラはあのキャラとばかり絡んでるな…というもの)。二期以降、そういう格差に気を使っているのは感じるが三期はどうなるのだろうか。一ファン的には、推しはいろんなキャラと絡んでほしいのだ。
これはアニメ本編と関係ないことだが、A推しの人が、「最近A+Bのコンビグッズばかり出て萎える」と言っていた。相手を固定されるよりは、さまざまなキャラとの版権、グッズが見たいのだろう。
おそ松さん公式ツイッターによる広報の変化。三期からは、ファンを意識した企画が多い気がする。
放送が決まってから放送3話目くらいまでの企画やコラボについて調べてみた。
【二期】
おそま通信
カウントダウン(一人ずつ)
日替わり松(一人ずつ)
新衣装むつご紹介(一人ずつ)
松セレクション発売
しま松開始(おそ松さんの牧場ゲーム、しかし1年持たずに終了した)
東京ガールズコレクション 2017
6つ子がアプリにおじゃましま〜つ(さまざまなアプリとコラボ)
【三期】
絵描き歌
救出作戦(イヤミにむつごが攫われたというていで、救出を呟くとキャラクターのボイス付きのリプライが貰える)
新衣装公開(全員ひとまとめ)
キャラクター紹介(一人ずつ)
また笑おうハッシュタグ感想キャンペーン(ツイで再放送の感想を呟いてもらうキャンペーン)
クラウドファンディングで新聞に公告を掲載(これは松公式が企画したというよりもクラファン会社が持ち掛けたらしいが)
集えよ同胞!NEET応援プロジェクト!(ファンから歌声を募って主題歌のCDに収録する企画)
2期も別にそこまですごい企画を出しているというわけではないが、3期は明らかに、「こうじゃないだろ感」がぬぐえない企画が多い。すごくお金をかけているのは感じる。
塗り絵や絵描き歌は幼児用(?)なのに、肝心のアニメの中身は暗くて子供ウケするような話ではない。そもそも今でも松を見ている層は大人の女のオタクが大半だ。
そして、むつごが結婚式を祝ってくれるブライダルコラボをしているのに、5話のアレ(知り合いの結婚式帰りのむつごが将来を憂いながらトボトボと歩いて帰るだけの話)はまずいのでは……? あれを見て呼ぼうと思う人がはたしているのだろうか?
ツイッターでも荒れていた4コマ大募集企画、通称コンテ松さんについても話そう。
ファンが4コマ形式のコンテを書いて応募すると、その中から採用された作品がショートアニメになってDVDの特典につくという。
素人の作品がアニメ化する夢のような企画だが、裏を返せばファンの妄想が公式になるということだ。しかも円盤の特典なので、これによって「円盤買えない」と嘆く人もわりといた。
さらに応募は匿名ではなく、応募した人のツイッターIDがサイトに掲載される仕組みなので、過去に何を描いているのか、どのキャラの腐女子なのか等を掘られる人も出た。地獄絵図。
Twitterでも賛否両論だが、円盤特典が賛否両論な時点で商法としては失敗しているような気がする。
個人的には今までにない取り組みなので期待をしたいが、否定的な人の意見も分かる。
今まではファンを意識したようなネタはあまりなく、むしろ2期1話ではファンを小馬鹿にしている始末だが、今期からはファンに寄っているような気がする。その姿勢に戸惑いを隠せない松ファンもちらほら見えた。
三期が始まる前、制作陣が雑誌で言っていた「新しい試み」はことごとく効果を得ていないように感じる。
1期第1巻の円盤(BD、DVD)の初動売上は79,108枚。
深夜アニメなら1万を超えれば大成功の部類だ。1期1巻の売上が化け物だったため2期の落ち込みっぷりは各場所で揶揄われるが、数字だけ見れば十分成功している。
ちなみに映画の興行収入は6億~7億円くらい(127スクリーンで、二期から1年の月日を経てのこの数字はまずまずではないだろうか)
しかし公式サイトで行われた「666666人に届け!キャンペーン」も、動員数は535269人でストップし、最後のトド松にだけ色がつかず終わった。(10万人達成ごとにキャラクターに色がついていく仕組みだった)
別にアニメは売上がすべてではないが、売上が著しくないと4期はない。
通常アニメは1巻で5000枚売れれば続編の可能性が見えてくると聞く。「おそ松さん」はわりと金がかかるアニメなので、4期を期待するなら7000~1万枚の売上は欲しいところだ。
北朝鮮の政治体制が羨ましくてたまらない奴らはあまり北朝鮮の批判や非難は行わないが、
韓国への憎悪や非難、侮蔑の態度の激しさはとてもわかりやすい。
韓国は日本の国民一人あたりGDPを間もなく追い越そうとしているし、労働生産性の指標について既に追い抜き、年々日本の国際的な地位を脅かしているし、健全な民主主義が(100点とは程遠いにしても)日本とは雲泥のレベルで国民と国家に根付いているので、奴らは絶対にそれを認めるわけにはいかない。
対抗して日本をもっとよよくしようと改善を進めるのならよいが、残念ながらそうはいかず、このような事実はなかったこととして悪い情報を収拾選択拡散することで印象操作を行い、金と力で弱い者を締め上げ、黙らせる。そんなことを続けていれば、さらなる没落と破滅は当然の成り行きだ!
最近、国内外問わず実写で同性愛を題材にした作品が増えてきている、と感じる。
日本国内では「おっさんずラブ」が非常に高い人気を博した事は記憶に新しいし、タイBLこと「2gether」は世界中で大反響を得ているらしい。
ネットで感想に触れるとそれらの作品は主に女性、それも男性同士の同性愛を嗜好する所謂「腐女子」と呼ばれる女性達に好まれているように思う。勿論全く男性が居ない訳では無いとも思う。
男性同士の恋愛を扱った所謂「BL」だからというだけではなく、性別は関係なく愛し合う二人の恋愛ドラマ物として内容も面白いらしい。ドラマが面白くて人気があるならそれに越した事は無い。
それらのドラマは現実ではマイノリティー故に生きづらい思いをしているLGBT、その中の「ゲイ」の人々を描いている事もあって現実のLGBTの方達からも好評らしい。
「おっさんずラブ」も「2gether」も出演されている俳優さん達がカッコ良く魅力的である。お話が面白いだけでなく、そういう意味でも女性やゲイの人達に人気が出ただろう事はそちらの方面に疎い自分でも理解出来た。
腐女子とは男性同士の恋愛に萌える嗜好がある女性達を指す呼称である。男性の同性愛者、所謂ゲイは性的少数派であるため、彼らの恋愛を許容する腐女子はLGBTに理解がある人達である、とも言われている。
その定義自体はあまり間違っていないと思う。腐女子の人達はゲイの人達を見ても「え?何で同性同士で?」とは言わず、「同性同士の恋愛いいよね!」と応援する傾向があるのは、ネット上で彼女達を見ていると思う。
だが、彼女達が全ての愛し合う人達に大らかであるかと言われればそうでも無いと思う。男性同士の同性愛、所謂「BL」には確かに寛容だと思う。だが、異性同士の異性愛、所謂「NL」には強い嫌悪を持っている人も多く見られる。
勿論全ての腐女子が異性愛を嫌悪している訳では無い。異性同士の恋愛物も同性同士の恋愛物も並行して楽しんでいる人も多いし、「男性同士だから良い」のではなく、たまたま好きになった二人組が同性だった人も居る。
それはそれとして、やはり異性の恋人同士に強い敵意を持っている腐女子が多い事も真実だと思う。何故彼女達が異性愛を嫌うのか、本当のところは自分には分かっていないと思う。腐女子の正確な数さえよく分からない。
ただ、「異性同士の恋愛は性欲ありきで気持ち悪い」「女性が一方的に男性に消費されているのが嫌」「自分が女性であるから女性が出てくるのは生々しい」みたいな意見はよく目にした。
古くから「BLはファンタジー」という言葉は存在した。男性の妊娠など、現実では起こりえないだろう描写がBLの中に存在する事を指してそういう言葉が生まれたんだろうなぁ、と自分はこれまで思っていた。
そういう意味もあるのだろうけど、本質的にはもっと大きな意味を含めているんじゃないだろうか?と最近思い始めてきた。BLはファンタジーというのは、もしかして「女性が存在しない世界での恋愛物」という事ではないのだろうか。
自分はBL作品に詳しくないのできっと間違っているかもしれない。BL作品でも全ての男性が子供を産めるようなファンタジーな世界で無ければ女性は存在する筈だし、設定も現実に沿った物の方がずっと多い筈だ。
「女性が存在しない」というより、「男性の恋愛対象となる女性が存在しない」の方が正しいのだろうか。BLに登場する女性は、同性愛に理解があり温かく見守ったり、BLを崇める腐女子である事が多く、自分は恋愛に加わらない。
BLでは「女性はキャラの恋愛対象として出て来ない」「女性が男性に性的搾取される事が無い」「女性が男性同士の恋愛を引き裂くような事は無い」事が多いんじゃないだろうか。
同性同士の恋愛を扱った作品がBLで、そういう作品だからこそ好んで嗜んでいる人達が腐女子なのだから、もし女性キャラが登場してその人も交えた三角関係が展開されるならそれはBLではないだろうし腐女子も怒る気がする。
男性同士の尊くて美しい真実の愛が繰り広げられる中、彼らを引き裂くような真似をする無粋な女性が存在する事が無い世界。それこそが「BLはファンタジー」と呼ばれる理由なのだろうか。何か違う気もするけどそこは保留する。
腐女子の中に男性同士の同性愛を尊び、異性同士の恋愛を嫌う人が理由はもしかしてこういう事なんじゃないだろうか…?と自分は考えている。
「異性愛と違って同性愛は禁忌とされているため障害が多い。それでもお互いを愛し合い結ばれようとする姿は、世間で当たり前の事として受け入れられている異性愛よりよほど真実の愛に近い」という人も居る。
ロミオとジュリエットなどもそうだけど、障害があり誰に認められなくてもそれでも愛し合う二人が映えるという考え方は自分にも分かる。そういう視点から見れば、周囲から理解されず苦しむ人が多い同性愛は心を惹く題材だと思う。
しかしこの前どうも気になる事があった。禁忌であり障害が多いからこそ同性愛・BLを嗜好する腐女子の人達が、同じ禁忌であり障害が多い恋愛を繰り広げるのが異性愛者だと今度は「気持ち悪い」と言う所を自分は見た。
最近ある漫画に登場した双子の兄弟が一部の腐女子に人気を博している。優れた弟に強い嫉妬と憎悪と兄としての愛情を併せ持つ兄と、親に迫害されて育つも兄が自分に見せてくれた優しさに心を救われた弟という二人だった。
この二人はお互いがお互いに強い感情を向け合っているという事で、同性愛を愛する腐女子にはとても好意的に受け入れられた。二人とも家庭があり妻子も居たけど、二人ともそれぞれの理由でその妻子から離れる事になった。
二次創作ではこの二人は何か違えば恋仲になっていたのではないか、というifの設定が盛り上がっているし、もし二人のどちらかが女性として生まれていれば間違いなく恋人になっていただろうなとも冗談半分に語られてもいる。
BLというジャンルの中には女体化というシチュエーションが存在する。もしあのキャラクターが女性として生まれていれば…というifであり、セックスの際に挿入される側である受けが女体化される事が多いらしい。
勿論全ての女体化がBLや女性向けである訳では無い。腐女子の中には「BLでまで女を見たくない」と女体化を忌み嫌う人も居るし、そもそも女体化やTSは男性向けのジャンルであるという声も大きい。
女体化は厳密にはBLではないかもしれないけど、腐女子の中には自分の好きなコンビの一人を女体化する人もそこそこ居る。全ての女体化物がBLという訳では無いけど、BLの延長線として女体化を楽しんでる人も居ると思う。
先述した最近人気のある双子の兄弟も、もしどちらかが女体化したら…というシチュエーションでの二次創作が一部で盛んになっている。自分が見たところだと、もし兄上が姉上だったら?というシチュエーションが多い気がする。
二人とも重度なブラコンであるためか「もし兄上が姉上だったら弟は抜きまくってる」「姉上の方から弟を襲う」「弟の方から姉上を襲う」など結構下品な話をしている人も見られる。R-18ネタ界隈は全体的にそういう物だけど。
元々兄弟BLというのは昔から根強い人気があるジャンルという印象がある。同性同士という禁忌に血縁である兄弟という禁忌も加わるのだから、障害のある恋愛を好む腐女子の人には堪らないのだろうな、と理解出来る。
その双子の兄弟が登場する漫画には兄弟の女体化ではなく、原作から異性同士の兄妹も登場する。その二人は作品の顔となる主人公とヒロインで、短く言うと妹想いの優しいお兄ちゃんとお兄ちゃん想いの優しい妹である。
作品が始まった当初この二人には恋愛的な意味で特定のパートナーが居らず、恋愛的な意味ではないけどお互い強い感情を持ち合っていたため、極々一部でこの兄妹を恋仲にした二次創作を創る人達も居た。
この二人は最終的にお互いの伴侶を見つけ家庭を持った事が示唆されていて、兄妹同士で恋仲になるのは一般的に不道徳であるとされている事もあって、この二人が恋仲になる二次創作は作品のファンからは嫌われがちである。
ここからが自分が腐女子に対して違和感を持った出来事の話なのだけど、前述の△△のBL妄想は同性愛と近親相姦という二つ世間からは受け入れられ難い要素があった。片方を女体化した場合でも近親相姦は残る。
○○兄妹の二次創作も原作では異性同士ではあるけど、近親相姦という要素がある点では△△兄弟と変わらない。そこで△△兄弟BLを嗜む人に何故○○兄妹の組み合わせは嫌われるんだろう?と尋ねた所、こう返ってきた。
○○はあんな良い子達に近親相姦の業を背負わせちゃダメでしょ…ってなるけど△△だと特に兄上が兄上なのでまあいいかぁ!よろしくなァ!となると思われる
小動物的な○○○をあの家族想いな長男が犯すとか見たくねえし…
その点兄上が犯されるのは見たい
姉上は兄上だから良いんだ
分かりやすく言ってやる
他にもあったけど、特に印象が残った感想はこんな感じだった。短く纏めると「BLや女体化は一種のネタだから良い」「原作からの兄妹は生々しいから無理」という事だと思う。
言いたい事は分かる。BLはファンタジーとして現実と一線を画しているのでファンタジーとして割り切って楽しめる。一方異性同士、それも兄妹というのは生々しいから無理。確かに感覚として分かる。
しかし自分の中でどうしても腑に落ちないところはある。BLはファンタジーなので割り切って楽しめる。BLが生々しい恋愛に嫌気がさした女性に愛されるのはそういう事なんだと思う。では現実に存在するLGBTの人はどうなのだろう?
腐女子の人がBLを愛好するのは「現実の異性愛を連想させないファンタジーだから」「女性が性的搾取されない世界だから」「性別の壁を乗り越えて愛し合う同性愛こそが真実の愛だと思うから」が主な理由だからだと思う。
ゲイの人達にとって同性愛とは現実の事だし、ただ好きな人と愛し合いたいだけなのに障害なんて欲しくなかったんじゃないだろうか。また、彼らの中には女性を「何もしなくても自然と男性に好かれる」と嫌っている人も居る。
BLを愛する女性にとってゲイは「女性を性的対象と見ない」「男性のみを性的対象として見る」存在だからこそ、好ましく思う所もあると思う。本当に極々少数派だと思うけど、女性を嫌うゲイの事を「所詮女になりたくてもなれなかった男がミソジニーを拗らせているだけ」と侮蔑する腐女子もネットで見た事がある。本当に極々一部だと思うけど、これが普段BLを嗜みLGBTを擁護する腐女子の本心なんだろうか…と衝撃を受けてしまった事は忘れられない。
長くなったけど最後に…腐女子という人達は、性的マイノリティーの人「にも」優しい博愛主義者ではなく、マイノリティーに寛容な分だけマジョリティーには厳しい人達なんじゃないだろうか…?と最近思い始めている。
※https://dev.ftbucket.info/scrapshot/ftb/cont/img.2chan.net_b_res_741641553/index.htm
人の怒りというものは往々にして誰かに利用されることにしかならない。誠実な戦争というものが存在しないのと同じで、この世界には誠実な怒りというものは存在しない。それは通貨に似ている。うらぶれた通貨だ。誰かが、誰かの何かが、へばりついた通貨だ。そういうものと一緒なんだな。
とにかく、俺は怒りというものがあんまり得意じゃない。大体において、怒りというものには何の価値も無いし、いわばそれは何かに対するアレルギー反応と一緒なんだな。
それをエネルギーに換えている人もいるって? 人糞から電力を作り出す装置を作った人間の方がずっと優れてるよそんなの。怒りというものが何なのか全然分かってねえなお前らは。
何でお前らはそんなにも馬鹿なんだ?
いいかい、感情においては多くの場合同一律とか矛盾律とか排中律というものは通用しないんだ。感情の世界において怒りは怒りじゃないし、悲しみは悲しみではない。時に好意は好意ではない。執着は執着ではない。何でそんな簡単な理屈がお前らには分からないんだ? お前らは何を考えて普段生きてるんだ? 何も考えていないんだろうな。分かるよ。
これは怒りじゃない、侮蔑だ。
侮蔑は侮蔑じゃない。感情の世界においては、同一律が機能することはない。だから俺はお前らを侮蔑しているけれど、これは侮蔑じゃないんだ。
世の中の本当の感情はそれほど多くなくて、それは愛情と憎しみなんだよ。
分かるかな。
分かんねえだろうな。分かるよ。
三段活用だよ。お前らに対しては俺は年中こう思ってるんだよ。「分かるかな。分かんねえだろうな。分かるよ」って。分かるよ。俺はずっと色んなことを考えてるからな。だから分かっちゃうんだよ。お前らが分かってねえってことが。そして、お前らが何も考えてねえってことが。なあ。分かっちゃうんだよなあ。
ドストエフスキーはお前らみたいな人間を愛していたよ。ドストエフスキーの書いた小説を読んだかい?
『悪霊』を読んだかい? 『悪霊』に登場する人物には一人として理知的な人間は存在しない。ヴェルホーヴェンスキーも、スタヴローギンも、ステファン先生も、皆々馬鹿ばっかりだ。何も見えてねえ。メクラだよ。盲。でもなあああああああああ、ドストエフスキーの愛が伝わってくるんだよあの物語からはなあ。お前ら分かるか? 分かんねえだろうな。分かるよ。
大小説家の共通点はなあ、一つだよ。その資質は一つだよ。それはね、取るに足りないものを愛するということなんだよ。
分かるかな?
わかんねえだろうなあ。分かるよ。でもね、ドストエフスキーは多分お前らみたいなやつのことを愛していたと思うよ。いいかい。これは『悪霊』を読まないとお前らには絶対分からないと思うし、あるいは読んだとしても全然分からないかもしれないんだけど(その可能性の方が高い)。とにかく、ドストエフスキーはお前らみたいなカス野郎達のことを愛していたと思うよ。何故かって?
『悪霊』には二十名程の登場人物が出てくるんだけど、そのどの人物を取っても皆愚か者しかいないんだよ。面白いだろ? そして、そのどの人物に対しても緻密な描写が施されている。人間性の掘り起こしがかなりの深度まで及んでいる。
とにかく、『悪霊』。これは面白い。何故って、あんな愚か者しかいない小説を1200ページくらいぶっ続けで書けるモチベーションがどこから湧いてくるか余人には想像もつかないからなんだよ。そしてそれはね、ドストエフスキーが愚か者のことを、取るに足りない者達のことを、愛しているからなんだよ。
ドストエフスキーは貧困街の医者の息子として生まれて、貧困故にありとあらゆる不幸によって苛まれる人々と幼い頃から接してきた。特に、強姦された少女との交流の話は有名だな。
幼い内から、ドストエフスキーは、この世界にいる人々の多くは愚か者で、取るに足りない存在で、そしてそれ故に愛おしく美しく描くに足る存在であることを直観してたに違いない。馬鹿野郎どもが。つまりそれはお前らのことを愛していたってことなんだな。分かるか? わかんねえだろうなあ。
俺が読んだことのあるドストエフスキーの小説はそんなに多くなくて、罪と罰と、カラマーゾフの兄弟と、悪霊と、それから何だったかな。死の家の記録と、賭博者。多分これくらいだと思う。
まあとにかく、ああ、怒りが尽きてきてしまった。でも、本当は誰にも怒ってないんだ。これは同一律の存在しない世界なんだよ。感情の世界には、同一律は存在しないんだ。
怒りは怒りじゃないんだ。悲しみは悲しみじゃないんだ。
でも、唯一、いや唯二つ存在しているものがあって、それは憎しみと愛情なんだよ。でも、憎しみって結構簡単に消えちゃう気がするなあ。俺は忘れっぽいのかしらん。分からん。いや、あるいは気付かないだけで憎しみは存在し続けているのかもしれない。分からない。まあいいや、愛情もかなり長く存在し続ける。あるいは消えるかもしれないけれど、その消えた後に残った穴ぼこみたいなものもまた、愛情なんだな。
リーダビリティと同様の概念として、メモラビリティーという概念を導入したい。人の頭の中には、記憶しやすい情報と記憶しにくい情報がある。忘れやすい情報と忘れにくい情報がある。そして、そのような情報の中から、記憶しやすい情報と、忘れにくい情報を選り分けていく。すると大体二つのものが残る。それは、愛情と憎しみなんだね。それが人間のアーキタイプなんだ。多分皆こういうことは考えないんだろうなあ。ねえ、「覚えやすさ」っていうものとか「忘れにくさ」っていうものは、多分人間の構造というものと一直線に繋がっている。人間の、多分原型といっていい枠組みと、ダイレクトに繋がっている。何故って、人間の心を作っているものはたった二つだからだよ。それは、覚えやすいものと、忘れにくいものだよ。ねえ。考えてみたことはあるかな? それ以外のもので人間の心は作られていないということについて。
分かるよ。
分かる。
だから答えなくていい。お前らはそんなことを考えたことはないだろうからね。分かる。
まあ人間が人間たりうるには色んなことが必要で、そして、その色んなことの内で我々がもっとも普段から必要としているのは、「考えているフリをすること」なんだ。
考える。でも考えていない。怒る。でも怒っていない。好む。でも好んでいない。嫌う。でも嫌っていない。楽しむ。でも楽しんでいない。悲しむ。でも悲しんでいない。
それがないと人間の生活は成り立たない。例え怒っていなくても人間は怒ったフリをしないと生きていけない。じゃないと生活は成り立たないからね。