はてなキーワード: 1993年とは
2024年から活動を開始した霞ヶ浦北浦資源保護協議会という団体がある
この団体は、一見すると霞ヶ浦や北浦の漁業資源を持続可能にするために活動しているように見える
(ただし、「環境」や「生態系」という言葉は意図的に一切使っていないようだ 怪しい)
また、この団体が保護対象とする「資源」とは何なのかについても、意図的に曖昧にしている 怪しい
この団体についてwebサイトから読み取れることを書いていこうと思う
何を保護しているのか
上にも書いたが、この協議会は「資源保護」を謳っているものの、具体的に何を保護しているのかは明確にしていない
ただ、バス釣りをする人からすれば一目瞭然で、実際にはブラックバスという外来魚の保護に力を入れていることがすぐに分かる
その根拠を書き出してみよう
1.協議会のメンバーを見てみると、その多くがバス釣りに関連する業者や団体であることが分かる 具体的には、レンタルボート店、釣具店、そしてバス釣りのトーナメント運営団体が名を連ねている
2.協議会メンバーの開催するバス釣り大会のルールに言及があり、魚体保護などの呼びかけを行っている
3.霞ケ浦水系でバス釣りをする人には有名な「ブラックバスのスポーニングエリア(産卵場所)」での釣り自粛を、ブラックバスの産卵時期に合わせて呼びかけている
これだけでもう根拠としては十分だろう
どのような活動内容なのか
以下のようなことを実現するために活動していく、と書かれている
(保護対象がブラックバスであることをこの団体は建前上隠しているようだがここでは補足して書く)
・遊漁券の収入で漁協に「ベイトフィッシュ(バスの餌となる魚)」を放流してもらう
・バスの産卵期に、一般の釣り人に対して、ブラックバスの産卵エリアでの釣り自粛を呼びかける
ブラックバス保護という目的を前面に出すつもりがないのに漁協に放流してもらいたい魚を「ベイトフィッシュ」と表現してしまうあたり、残念さを隠しきれていない
問題点を書いておく
ブラックバスは生態系、漁業資源に悪影響を及ぼすため特定外来生物に指定されている
1993年に発効した世界の環境保全を目的とした国際条約「生物多様性条約」に日本は批准した
条約に基いて国は「生物多様性国家戦略」を作成し、実効性のある法として特定外来生物法が作られた
根絶を目指していくことには、国家戦略として30年前から社会的合意が得られていた
そんな生物を、目的を意図的に隠して保護活動をするなど控えめに言っても反社会的だ
密放流の横行が前提で築かれ拡大した業界にはそもそも存在の正当性がない
奴らは一部の心無い放流とか言うが、バス釣り業界の人間が組織的に放流していたことを告白した文献も多数ある
釣り具の市場規模はバス釣りが最も大きい それゆえマナーを呼びかける他魚種のプロアングラーも業界に忖度してバス釣りにモノを言えない
こんな奴らの提灯記事を書いている雑誌が釣り文化を語りだす 狂っている
そんな外来魚の漁業被害で霞ケ浦水系の漁協は困窮し、霞ケ浦の漁業文化は風前の灯火である
その困窮の原因を作ったやつらが、困窮した漁協の頬を札束でたたいてバスを増やすために「バスの餌」を放流させる
狭い趣味の業界の目先の利益のために共有財産たる自然環境を食いつぶし、それを経済効果だと言って行政や漁協を懐柔し、「餌」の放流に協力させようとしている
それは「政治と金」の問題で勝利したからだ。過去を振り返ると、「政治と金」の問題で選挙に勝利したリベラル派は、1993年の日本新党の連立政権にせよ、2009年の民主党政権にせよ、中長期的には悲惨な結果になっている。立憲民主党は、今でも民主党政権の失敗を引きずっている。
「政治と金」の問題で攻撃する側で支持を得た場合、当然ながらそれは自らにも跳ね返る。民主党政権の時も、親からの小遣いや外国人からの少額献金といった実に些細な問題が過剰に問題視された。これを真面目に大々的に報じた当時のテレビ報道も劣悪きわまりないものだったが、「税金の無駄遣いを一滴でもなくす」と豪語していて、いかに自分たちが金にクリーンであることを強調して政権を獲得したのだから、自業自得であったことも確かである。
これから立憲民主党は、それほど遠くない未来に、経費の書類不備などの些細なことが報道されて、一気に支持率を急落させることになるだろう。そもそも現在の「裏金問題」とされるものも、五輪汚職に比べればほとんど大した問題ではない。安倍政権以来の慣習で、たぶん当時の政治部記者も平然と見逃していたであろうものを、尻拭いさせられている岸田総理にも同情せざるを得ない。
衆議院で過半数をとると政権交代ができる。これは一つの党単独では無くても、いくつかの党が協力することでも可能。
参議院で過半数をとっても衆議院で過半数を取らなければ政権交代にはならない。これは衆議院の優越性が憲法で保障されていて、衆参両院が対立した場合は衆議院の決定が優越する。
日本の場合は議院内閣制なので、議員を選び、その議員が総理大臣を選ぶ。
そのままズバリ示すことはできないが、日本の歴史的に見て、戦後、政権交代が行われたのは2回あるので、それぞれ見ておこう。
いずれも「経済の失速と何らかの象徴的な事件」によって発生している。
簡単に言うと、自民党の中道保守層が自民党離れを起こし新党ができて、それが旧来の野党と合併して政権交代した。
後は興味がある人だけ読んでくれ。
自由貿易協定ウルグアイランド、リクルート事件、佐川急便事件、そしてプラザ合意→バブル崩壊などにより、政治不信となり自由民主党が大敗。自民党と当時野党第一党だった日本社会党が同時に凋落。
それを受けて、政治改革が叫ばれる。主に小選挙区制への移行、政治資金規正などを含む政治改革法案が出るものの、宮沢喜一内閣で廃案。廃案に反発した自民党議員が造反して、新党がいくつもできる。
この時点で自民党は過半数を失っており、不信任可決→解散に追い込まれ選挙。
その結果、野党が結束して政権交代が行われ、細川内閣ができた。
なお、細川内閣は政治資金疑惑で失脚。その果てに日本社会党が政権与党から離脱。その後羽田孜が予算管理内閣で急場を凌いだ後、総辞職。
その後村山富市を首相とする自由民主党、日本社会党、新党さきがけの自社さ政権が発足し、自民党が与党に復帰している。復帰時点では日本社会党の委員長である村山が首相だったが、その後の選挙で日本社会党は勢力を落とす。そして社会民主党に改名などをきっかけに社会党が変節したとして分裂(分裂した先が現在の民主党である)。結果、その次の橋本龍太郎内閣で自民党の党首が総理大臣に復帰、さらに次の小渕恵三内閣では自民党単独与党政権になっている。
簡単に言うと、小泉純一郎の人気を背景に強引に新自由主義的政策を強めたため各所に反発が燻る中景気が上向かず。ITバブルが崩壊するなどの経済情勢が見通せない中で軽度な政治的不祥事が続発。さらにリーマンショックによる急激な景気の冷え込みがトドメになって、選挙で民主党が大勝。それによって政権交代した。
後は興味がある人だけ読んでくれ。
元々、森喜朗政権では当時最悪の支持率を記録するなど、旧来の自民党政治への不信感があった。
そこで劇場型政治と言われた小泉政権ができてなんとか自民党を立て直したものの、小泉政権は敵も多く作る状態。一部の右派政治家が離反するなど、自民党の政治基盤が揺らいでいた。その中で支持率が高い首相であった小泉純一郎が政権から降りた。それを引き継ぐ形で当時若手のホープと見做されていた若き官房長官安倍晋三へと政権を交代したが、ちょうど安倍政権の後の菅政権のように噴出する問題の後始末に追われて失脚、さらに劇場型政治をやり替えされるような形で様々な問題が政争に祭り上げられ、支持率が低迷。福田→麻生と政権交代が繰り返される。
さらに、この間、衆議院解散するタイミングを逸していた。タイムリミットが近付く中、リーマンショック後の不人気麻生政権という、本来ならば解散権があるはずの自民党にとっては痛恨のタイミングで解散総選挙となった。
自民党が100議席以上失い、民主党が大勝するという結果となった。
その後、リーマンショックは比較的上手く処理できた日本だったが、2011年に東日本大震災が発生し、超円高による国内製造業の失速などから野党政権も維持できず、鳩山→菅→野田と続いた民主党政権は崩壊。再び安倍晋三が首相に登板することになる。
簡単に言うと革命期にあたるため、いろんなことがダイナミックに動きやすくなる。
そのほかにも、外交政策は特に政権交代に影響を受けやすいと言われる。日本も鳩山由紀夫による普天間基地移設合意の撤回を求める事件は、その一つだ。
外国の例では、トランプ大統領によるMAGA政策により世界の警察から降りて諸外国に軍事負担を求めると言ったものは分かりやすいし、韓国が政権交代の度に日本への政策をリセットしてきたことも分かりやすい。
また、教育政策も政権交代で変わりやすい政策の一つであると言われる。1回目の政権交代では狭義の「ゆとり教育」が導入され、2回目の政権交代ではそれが廃止されている。
また、政治の表に立つ人たちの顔ぶれも大きく変わるため、政治家にとってはまさにチャンスであると言える。
日本の場合、国会は議院内閣制で議員を選んで首相を選ぶが、地方は首長(市長や特別区の区長など)を直接選ぶと言う方式になっている。
そのため、実は政権交代みたいなどんでん返しが常に起きている場所でもあり、自分たちの暮らしに直結する。
例えば学校が統廃合されたり、水道料金が乱高下したり、若い人が出て行ってしまうようなクソ政策が繰り広げられたりする確率は地方の方が多い。
岸田内閣の支持率が低下しているが原因がよくわかっていない。個人的には前任者の菅総理やその前の安倍総理よりもはるかにまともだと思ってる。権威主義的でないし、不祥事の隠蔽しないし、外交上手い(広島サミットや今回の訪米)
一体誰が不支持に回ってるんだろうと思って、ふと思いついたのが経済的苦境による不支持率の増加だ。歴史的円安とインフレで実質賃金の目減りが続いている。自分は、円安は前任者たちが進めていたアベノミクスの副作用で岸田総理は尻拭いしてるだけだと思ってるのだが、世間的には岸田総理の失政扱いされてるんだろうなと思った。
さて、ここから本題。55年体制成立後の日本で政権交代は2回起きたわけだけど、そういや2回ともその前の不況が絡んでいるなと気が付いた。
そんなわけで、政治不信っていうのは政策の良し悪しや不祥事なんかよりも景気の良し悪しで判断される要素が大きいんじゃなかろかと思った次第である。みなさんはどうお考えだろうか?
JOHNNYS' ジュニア・スペシャルが1976年に日本語詞カバーを発表した(日本語詞:北公次)。
日本の歌劇団で女性アイドルグループとしても活動した南青山少女歌劇団は、1993年に「SATURDAY NIGHT」の曲名で日本語詞カバーを発表した(日本語詞:亜伊林)。このバージョンには「原宿に集まってお祭り騒ぎをしよう」という内容の歌詞が含まれる。
日本の女性アイドルである杉本理恵は、1994年に「恋するSATURDAY NIGHT」の曲名で日本語詞カバーを発表した(日本語詞:渡辺なつみ)。
日本のロックバンドであるHi-STANDARDは、1995年のアルバム『GROWING UP』にて、この曲をカバーした(英語詞)。
日本のDJであるAKAKAGEは、2000年のアルバム『I Love Pop Music』にて、この曲をカバーした。
日本のタレントであるゴリが扮するキャラクターの松浦ゴリエは、2005年に「Pecori♥Night」の曲名で日本語詞カバーを発表した[27]。
日本のロックバンドであるザ50回転ズは、2006年のアルバム『50回転ズのギャー!!』にて、この曲をカバーした。
日本のダンス&ボーカルグループであるE-girlsは、2015年のシングル『Anniversary!!』にて、「Saturday Night 〜ロックな夜に魔法をかけて〜」の曲名で日本語詞カバーを発表した(日本語詞:Yu Shimoji)。
日本の音楽ユニットであるチャラン・ポ・ランタンは、2016年に「ソトデナイ」の曲名で日本語詞カバーを発表した。歌詞は引きこもりを題材にしている[28]。
後の楽曲への影響
トミー・ラモーンによれば、ラモーンズの「電撃バップ」における「Hey! Ho! Let's Go」というチャントは、「サタデー・ナイト」に示唆を受けたものだったという[29]。
カナダのロック・バンドであるシンプル・プランは、2015年に発表した楽曲「Saturday」のなかで、「サタデー・ナイト」の冒頭の「S-A-T-U-R-D-A-Y Night」のチャントを数カ所に挿入している[30]。
日本の男性アイドルグループ、ロックバンドであるTOKIOが2001年に発表した「カンパイ!!」は、「サタデー・ナイト」の冒頭の「S-A-T-U-R-D-A-Y Night」のメロディを流用している(歌詞自体は変更されている)。
バブル崩壊が1991年から1993年らしいので、ちょうど高校生のときに崩壊した形。
就職氷河期が1993年から2005年らしいので、まさに就職活動を行う時期丸かぶりですね。
そんな自分からすると、当時の同級生はまじでクソみたいなやつしかいなかったよ。
偏差値低めの都内私立という受験戦争の負け組しかいないような学校だったからほかよりも傾向が強めだと思うけど、でも、それっていわゆるボリュームゾーンでしょ。
とにかく世の中舐めきってて、労働なんてバカがやるものだと本気で思ってるような奴らばかりだった。
たいして勉強もせずに、その結果定員割れしそうな郊外の大学に通って、当たり前のように就職に失敗して、実家ぐらしで楽そうなバイトばっかりして、語る夢ばかりデカくて。
本当にそんなのばっかり。
今考えればそんなのでうまくいくわけないのは当たり前だけど、当時はそういうやつらがうまくいく姿を嫌と言うほど見させられてきたからね。バブル期の先輩たちに。
だからって仕方がないとは思わないけど。
土木とか、仕事選ばなければいくらでも稼げる仕事はあったのに、どうにもそういう仕事は死ぬより辛いらしい。
肉体的にどうというより、そういう人間をしこたま見下していてそういう仕事をすること=死ぬことみたいな変なプライドがあった。
一度聞いてみたかったけど、就職氷河期世代の人間で、こういった肉体労働に携わってみた人間がどれくらいいるんだろう。
そのうちどれくらいの人間が、ブラック労働やハラスメントを理由に辞めた?
それって、そこで折れてしまうのが自分自身の弱さだったりしてない?
そりゃ金なんて稼げるわけないわな。
自分のいたところもブラック労働もハラスメントも当然のようにあったけど、自分より下にそんな思いをさせたくないからって上と戦いながらほとんどを改善したよ。
これがマッチョだと言われればそれまでだけど、指を加えて待ってれば誰かが助けてくれるものだとは絶対に思わなかった。
ただ、一つ思うのは、確かに数年前まで大学で遊び呆けてたようなやつらが大量に採用されている姿を見てきたわけだから、自分もその通りに行くと信じてたんだろうということ。
それが突然そうではないという話になって、すぐに元通りになるだろうって思っているうちに手遅れになってしまったというのが、正直なところではないかな。
そういう意味では、政府も当事者も、事態を楽観しすぎてたということはあると思うよ。
どうにかなるだろうって思ってしまったのは自分たちだから、自己責任と被害者意識が変なバランスで存在していることもあって、なかなか声高には叫びづらいんじゃないかな。
ここからは完全に蛇足だけど、自分にとって就職氷河期が全く持って他人事だった理由は、自分が在日韓国人だったから。
当時、在日韓国人、いわゆる特別永住権の人間が就職できるような大手企業はないと言われていた。(少なからず、親族で就職できた人間はいなかった。)
そもそもスタートラインが違う。就職活動前から氷河期が確定だった。
だから、進学なんてとっくに諦めて、高校を出たら当たり前に働くものだと思っていた。
いわゆる3Kと言われる業界でがむしゃらに働いて、こいつらが大学で遊んでいる間にできるだけリードしてやろうと思った。
4年後に入ってきた新卒のほうが給料も立場も上だったのは死ぬほどムカついたけど、数年後には全員辞めてて、やっぱりこいつらはダメなんだなって思った。
そいつらが言うには、君は数年早く働いてたからいいけど、らしい。
こちとらどんな思いで周りに頭下げて仕事教わってきたと思ってるんだか。
そういう奴らも基本は、他の人間と同じでどうにかなるだろうとしか考えてなくて、就職できなかった理由を他人のせいにしてるやつらばっかりだった。
そう考えると、あれからこれだけの年数が経ってるのに、周りのせいにしてばかりで手に職の一つでもつけようとしない氷河期世代はやっぱりクソだと思うよ。
今からでもプライドを捨てて何でも働けばいいのに。親が死んだらどうするつもりなのか。
全部が全部甘えだとは言わないけど、ここ一番の踏ん張りどころでケツを割ったのだとしたら、やっぱりそこは甘えだと思う。
『ルディ/涙のウイニング・ラン』(Rudy)は、1993年に製作されたアメリカ映画。実在のフットボール選手ルディ・ルティガー(英語版)の経験を元に制作されている。
ルディはフットボールチームでのトライアウトを受ける。猛烈なガッツが買われなんとか合格するが、常に優勝を狙うチームにあって、小柄なルディに出番はまったくない。練習相手を務めるだけの日々であったが、チームのためと熱心に役目をこなすルディはやがて選手たちに仲間として認められる。しかし、ベンチ入り60人のメンバーには一度も選ばれることなく、ついに大学最後となる試合を迎える。最終戦のベンチ入りメンバー発表で、ここにもルディの名前はなかった。ところが、この最終戦を前にレギュラー陣が監督室を訪れ、「自分の代わりにルディを出してほしい」と直訴が行われた。そのおかげもあって出場ユニフォームを与えられベンチ入り選手の一人となる。ノートルダムの勝利が確実な状況となり、出番のなかった四年生が次々とフィールドに送り込まれるが、それでもルディにだけは声がかからない。残り時間が1分を切り、コーチから時間稼ぎの攻撃をしろとの指示が出るも、選手たちはあえてディフェンスに出番を作るため、一発でタッチタウンを狙うプレーを選択し、成功させる。ディフェンス選手であるルディの出場機会を捻出するためのチームワークであった。ついにルディはフィールド出場を果たし、公式戦の試合記録にその名を残す資格を得た。そして試合終了間際に、ディフェンスライン最高の手柄とされる、相手QBを潰すQBサックを決め、チームはそのまま勝利。大歓声の中、仲間たちに担ぎ上げられてフィールドを去るのだった。
雑です
近年はバラけているので難しい
追記:フルーツバスケットは見たことないんだけど、アニメグランプリに入ってたんだよね
1981〜1986-14=1967〜1972年生まれ、つまり51〜56歳
1985〜1987-14=1971〜1973年生まれ、つまり50〜52歳
1986〜1988-14=1972〜1974年生まれ、つまり49〜51歳
1989〜1992-14=1975〜1978年生まれ、つまり45〜48歳
(ただし再放送が多い)
1992〜1996-14=1978〜1982年生まれ、つまり41〜45歳前後
1995〜1998-14=1981〜1983年生まれ、つまり40〜42歳前後
1998〜2000-14=1984〜1987年生まれ、つまり36〜39歳前後
2002〜2006-14=1988〜1992年生まれ、つまり31〜35歳前後
2006〜2007-14=1992〜1993年生まれ、つまり30〜31歳前後
2007〜2011-14=1993〜1997年生まれ、つまり26〜30歳前後
2007〜2008-14=1993〜1994年生まれ、つまり29〜30歳前後
2006〜2008-14=1992〜1994年生まれ、つまり29〜31歳前後
2008〜2013-14=1994〜1999年生まれ、つまり24〜29歳前後
2009〜2010-14=1995〜1996年生まれ、つまり28〜29歳前後
2010〜2012-14=1996〜1998年生まれ、つまり25〜27歳前後
2014〜2018-14=2000〜2004年生まれ、つまり19〜23歳前後
2016〜2017-14=2002〜2003年生まれ、つまり20〜21歳前後
2016〜2021-14=2002〜2007年生まれ、つまり16〜21歳前後
あと最近は数が多すぎて一個に収束しないね、五等分の花嫁あたりか?
あとどうでもいいけど、母性重視のヒロインって渚が最後なんだろうか
追記:
たぶん14歳の時にハマるキャラじゃないな〜っていうのは除外したよ
俺は綾波〜ルリルリ世代なのでその前はあやしいよ、リアタイしてないと雰囲気つかめないよね
14歳ではない〜はそれはそうだよ、俺はこの6割くらいにはハマってるからねw
あれ入ってないこれ入ってない→少しボーダー変えるだけで入れなきゃいけない作品数が5倍くらいになるんだよね、ガルパンとかごちうさとかそういう系入ってないしね、化物語とかも
俺の周りや配信者で「このキャラが自分を変えた」みたいな話を聞いたことあるキャラを入れた
今って誰なの?
禰豆子は違うよなあ??あれかな、ぺこーらかな
所感:
こういうどうでもいい一覧好きなんだよね
未だに「謎の半導体メーカー」程度の認識の方になぜNVIDIAが時価総額世界4位なのかをあれこれ説明する必要があるので短めにメモ。半導体業界のすみっこの人間なので機械学習まわりの説明は適当です
・~1993年 AI冬の時代。エージェントシステムがさほど成果を挙げられなかったり。まだ半導体やメモリの性能は現代とくらべてはるかに劣り、現代のような大規模データを用いた統計的処理など考えられなかった。2006年のディープラーニングの発明まで実質的な停滞は続く。
・1995年 NVIDIAが最初のグラフィックアクセラレータ製品NV1を発売。
・1999年 NVIDIAがGeForce 256発売。GPUという名が初めて使われる。以降、NVIDIAはGPU業界1位の座を守り続ける。
・2006年 GPGPU向け開発基盤CUDAを発表。以降、その並列計算に特化した性能を大規模コンピューティングに活用しようという動きが続く。
・2006年 ディープラーニングの発明。のちのビッグデータブームに乗り、これまでよりはるかに高性能なAIを模索する動きが始まる(第3次AIブームのおこり)
・2006年 CPU業界2位のAMDがGPU業界2位のATIを買収、チップセットにGPUを統合することで事実上自社製品をNVIDIAと切り離す戦略に出る。CPU業界1位のインテルも、同じく自社CPUに自社製GPUを統合する動きを強める。NVIDIAはこれまでの主力だったGPUチップセット製品の販売を終了し、データセンター向けGPGPUのTeslaシリーズ、ゲーム用外付けGPUのGeForceシリーズ、ARM系CPUと自社GPUを統合したTegraシリーズの3製品に整理する。このうちTeslaシリーズが性能向上やマイクロアーキテクチャ変更を経て現代のAIサーバ製品に直接つながる。GeForceシリーズはゲーマー向け需要や暗号通貨マイニング向け需要も取り込み成長。Tegraシリーズは後継品がNintendoSwitchに採用される。
・2012年 ディープラーニングが画像認識コンテストで圧倒的な成績を収め、実質的な第3次AIブームが始まる。
・2017年 Transformerモデル発表。これまでのNN・DLと異なり並列化で性能を上げるのが容易=デカい計算機を使えばAIの性能が上がる時代に突入。
・2018年 IBMがNVIDIAと開発した「Summit」がスパコン世界ランキング1位の座を5年ぶりに中国から奪還。全計算のうち96%がGPUによって処理され、HPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)におけるGPUの地位は決定的になる。NVIDIAの開発したCPU-GPU間の高速リンク「NVLink」が大規模に活用される。「Summit」は2020年に「富岳」にトップを奪われるまで1位を維持。
・2018~2021年 BERTやXLNet、GPT2など大規模言語モデルの幕開け。まだ研究者が使うレベル。
・2019年 NVIDIA CEOジェスン・ファン(革ジャンおぢ)が「ムーアの法則は終わった」と見解を表明。半導体のシングルスレッド性能の向上は限界に達し、チップレットを始めとした並列化・集積化アーキテクチャ勝負の時代に入る。
・2022年 NVIDIAがH100発表。Transformerモデルの学習・推論機能を大幅に強化したサーバ向けGPUで、もはや単体でもスパコンと呼べる性能を発揮する。H100はコアチップGH100をTSMC N4プロセスで製造、SK Hynix製HBMとともにTSMC CoWoSパッケージング技術で集積したパッケージ。※N4プロセスは最新のiPhone向けSoCで採用されたN3プロセスの1つ前の世代だが、サーバ/デスクトップ製品向けプロセスとモバイル製品向けプロセスはクロックや電流量が異なり、HPC向けはN4が最新と言ってよい。
・2022年 画像生成AIブーム。DALL-E2、Midjourney、Stable Diffusionなどが相次いで発表。
・2022年 ChatGPT発表。アクティブユーザ1億人達成に2カ月は史上最速。
・2023年 ChatGPT有料版公開。Microsoft Copilot、Google Bard(Gemini)など商用化への動きが相次ぐ。各企業がNVIDIA H100の大量調達に動く。
・2024年 NVIDIAが時価総額世界4位に到達。半導体メーカー売上ランキング世界1位達成(予定)。
こうして見るとNVIDIAにとっての転換点は「ディープラーニングの発明」「GPGPU向けプログラミング環境CUDAの発表」「チップセットの販売からコンピューティングユニットの販売に転換」という3つが同時に起こった2006年であると言えそう。以降、NVIDIAはゲーマー向け製品やモバイル向け製品を販売する裏で、CUDAによってGPGPUの独占を続け、仮装通貨マイニングやスパコンでの活躍と言ったホップステップを経て今回の大きな飛躍を成し遂げた、と綺麗にまとめられるだろう。
まぁ色々あるんだけど、お役所のまとめとしてはこんな感じ
https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/prj/sbubble/menu.html
詳しくはこの辺りをどうぞ。
雑にまとめるとこんな感じ。
これに対しては、中国はバブルの研究と言うより、その後の破綻処理に付いて研究している。
アメリカは、リーマンショックの時、超高速でリーマンブラザーズ証券をぶっ壊して解体しつつ、公的資金をぶち込むということをやった。
中国は、恒大の件等の時に、無限に先送りしつつ徐々に崩壊させるという方法をとっている。
1993年・14号 7月で27歳、ふり返ればマンガだらけの27年、これでいいのか?
その後ろでときメモ2片手に立ちつくすオレが!!ダメ人間だもの。
2001年・10号マンガ家暦13年、初めての一週間強のお休み。久米島にダイビングの免許を
2001年・24号ひと月半で外出できたのはジョナサンでメシくった2時間だけ。プチひきこもり?
2002年・7号長い間、人に会わないと口がうまくまわらなくなる。
2002年・21号2年間着信ゼロ。携帯解約しよ。まずしい人間関係が私を机に向かわせる原動力。
2004年・11号初めて仕事場と寝る場所以外のあるお家に引っ越す。
2004年・12号気がつけば一日三食カロリーメイト。体は健康でも精神的にはヤバイかも?
2004年・23号俺の休みは2か月に半日。もう4年も2日続けて休んでない。
そろそろあちこちガタがきてる。
2005年・9号過労でまた倒れた。グインの百の大典行きそこなった。うえ〜ん!
2006年・2号30代もあとわずか。マンガ以外何もないイビツな人生だが
もうとりかえしがつかないのでこのままGO!
2006年・3号今年もひきこもるぞ━━!
2006年・8号ついに30巻。最初は2〜3巻で終わるつもりだったのに・・・。
1980年代、旺文社と言えば、参考書や英語教育で業界最大手だった
ところが87年ごろから社長が建築家ノーマン・フォスターに入れ込み、センチュリータワー不動産事業を始めてしまった
赤字を抱え、「百万人の英語」などの教育ラジオ番組や雑誌をバタバタ終了させた
結論から言うと、このことには阪急グループ、日テレの関与が疑わしい
後楽園球場(東京ドーム)社長で日本ボクシングのコミッショナー、世界ボクシング協会の名誉会長の弁護士真鍋八千代は矢来町にいた。日テレの田邊宗英との共同事業者。矢来町には新潮社もあって、知る人ぞ知る地区。旺文社は1993年に本社ビルを竣工して入居したが、1998年にアディダスジャパンと入れ替わり、アディダスは2013年に転出して取り壊された。20年で建築史から消えたフォスターの歴史的なステルス建物。証拠消滅完了
誰かが旺文社社長に、著名な建築家の建物なら運用も容易だと持ち掛けたはずだ。あるいは、ドイツ企業日本進出の際には…云々。アディダスはドイツの多国籍企業でボクシング用品で有名。ちなみに社長真鍋八千代時代はナチス全盛で、戦中はアディダスも親ナチで、靴の工場が対戦車兵器パンツァーシュレックの製造に使用されたりした
テレビ局は社員・退職者に他の業種と比較して高額であると言われ[注釈 1]、
入社から退職まで手厚い福利厚生があるため放送業界に冠する既得権益(電波利権)があると批判されている[11]。
フジテレビが3468億円、
企業でいう「仕入れ」の電波利用料は1993年から導入されたが[12]、
NHKが18億7800万円、
フジテレビ系が3億9920万円、
日本テレビ系が4億3260万円で、
日本テレビ系0.18%で
NTTドコモ201億円、KDDI131億円、ソフトバンク165億円に対して、
これを見ると子供は普通に3歳にもなればキャラクターや演出のかっこよさを認識できるなるようだ
ナメック星(フリーザ)編(1990年2月 - 1991年9月)2~3歳
人造人間(セル)編(1991年11月 - 1993年7月)3~5歳 幼稚園時代 超サイヤ人かっけえ!ベジータかっけえ!
魔人ブウ編(1993年9月 - 1996年1月)5~8歳 小学生低学年 超サイヤ人3かっけえ!フュージョンごっこ楽しい!
ゲームも買ってたし、ドラゴンケースの目薬も持ってたしドラゴンボールのカードダス、ジャンボカードダスも集めてた
無印は生まれる前だから記憶があるはずがないがZの途中からは普通に記憶があって最初に認識したOPもWE GOTTA POWERじゃなくてCHA-LA HEAD-CHA-LAからだった(絵はトランクスが出てくるバージョン)
これが直撃世代じゃないと?直撃世代の定義の幅が狭すぎだろ anond:20240131030204
バラエティ番組で死人出てるウンナンが人を傷つけないはどう考えてもおかしいだろ!!!!!
1993年6月24日未明、フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となって東京女子医科大学病院に搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。
6月26日、番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組の最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送が結果的に最終回となる。
6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビの村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体が野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ(平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。
7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。
7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町のニッポン放送でウッチャンナンチャンの2人による謝罪の記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。
7月3日、ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番「あなたの心のスター大全集!!」(司会:峰竜太、中山秀征、鷲見利恵 制作:ジャパンプロデュース)が放送された。
上述の6月26日の放送で予告された7月10日にJリーグ中継[注釈 7]、7月17日に上記の「あなたの心のスター大全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社・スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。
12月、被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組のプロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。
1994年4月11日から『やるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。
さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャンの年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。
その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。
1948年 41人
1949年 76人
1951年 40人
1952年 34人
1953年 26人
1955年 19人
1956年 22人
1957年 25人
1958年 21人
1959年 14人
1960年 36人
1961年 18人
1962年 14人
1963年 16人
1965年 7人
1967年 13人
1969年 13人
1971年 7人
1972年 7人
1973年 5人
1974年 2人
1975年 2人
1976年 2人
1977年 2人
1978年 4人
1979年 4人
1980年 7人
1981年 3人
1982年 1人
1983年 1人
1984年 3人
1985年 2人
1986年 0人
1987年 7人
1989年 5人
1990年 7人
1991年 4人
1992年 5人
1993年 7人
1994年 3人
1995年 3人
1996年 3人
1997年 4人
1998年 7人
1999年 4人
2000年 6人
2001年 3人
2002年 3人
2003年 2人
2004年 14人
2006年 21人
2009年 15人
2013年 8人
2014年 7人
2015年 2人
2016年 7人
2017年 2人
2018年 2人
2019年 5人
2021年 4人
2022年 0人
2024年 1人
所感
寺田憲史さんはかなり多彩だよ
主な作品
『バビ・ストック』シリーズ(角川スニーカー文庫) 挿画:影山楙倫 OVA製作のための原作。
花のあすか組!―年端もいかず、心はヤワで(角川スニーカー文庫) 挿画:高口里純(1988年7月)
ファイナルファンタジーII 夢魔の迷宮(角川スニーカー文庫) 挿画:天野喜孝(1989年4月)
『爆裂お嬢シンディー・スー』シリーズ(富士見ファンタジア文庫) 挿画:鈴木雅久
悪党たちに投げキッス!(1988年11月) 後にドラマCD化され、こちらでも脚本を担当。出演は久川綾他。
『朱鬼シオン―魔道霊士(アガディーン)伝』シリーズ(ベストセラーズ)
『新きまぐれオレンジ☆ロード』シリーズ(JUMP j BOOKS)挿画:まつもと泉
新きまぐれオレンジ・ロード2002(集英社スーパーダッシュ文庫)リメイク
作画:鷲尾直広 壽屋の雑誌・HOBINO→HOBINOホームページにて連載中。
作画:円英智 日本ファルコムのPCゲームソフト『ロマンシア』の翻案作品。角川書店のPCゲーム情報誌・コンプティークに連載の後、単行本化(ドラゴンコミックス、全1巻)。後にドラマCD化されており、こちらでも脚本を担当。
悠久の風伝説 ファイナルファンタジーIIIより(原作)
作画:衣谷遊 角川書店のファミコン情報誌・マル勝ファミコンに連載の後、単行本化(ドラゴンコミックス、全3巻)。
作画:水縞とおる 学研の漫画雑誌・月刊NORAに連載の後、単行本化(ノーラコミックス、全1巻)。
鬼切丸(脚本)
ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?(脚本・米谷良知と共同)
ザ☆ドラえもんズ ムシムシぴょんぴょん大作戦!(脚本・米谷良知と共同)
MEREMANOID 〜マーメノイド〜(シナリオ)
テクストート・ルド〜アルカナ戦記〜(総合プロデュース・監修)
サウンドノベルツクール(収録サンプルゲーム「夏の樹に棲むニンフ」を担当)
バラエティ番組で死人出てるウンナンが見過ごされてるのはどう考えてもおかしいだろ!!!!!
Ingunial 根拠にしているヒロトがダウンタウンに救われたって話がデマ。逆に松本の学生時代のいじめとか、爆笑問題とかナイナイへの悪質ないじめは明らか。/私はウッチャンナンチャンが好きだった
1993年6月24日未明、フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となって東京女子医科大学病院に搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。
6月26日、番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組の最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送が結果的に最終回となる。
6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビの村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体が野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ(平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。
7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。
7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町のニッポン放送でウッチャンナンチャンの2人による謝罪の記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。
7月3日、ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番「あなたの心のスター大全集!!」(司会:峰竜太、中山秀征、鷲見利恵 制作:ジャパンプロデュース)が放送された。
上述の6月26日の放送で予告された7月10日にJリーグ中継[注釈 7]、7月17日に上記の「あなたの心のスター大全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社・スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。
12月、被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組のプロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。
1994年4月11日から『やるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。
さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャンの年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。
その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。
なんか、僕の記憶とは全く違うのでビックリ。この人歳いくつなんだろう?
「当時の鳩山由紀夫氏は理系の頭脳を活用した首相として割と好意的に受け入れられていたように記憶している。」
それ、バカにされてただけで、テレビで茶化されていたっていうのは、好意的とは言わないけどね。
しかも、沖縄問題だって橋本首相が沖縄と米国をまたにかけてまとめてきた問題を鳩山さんがトラストミーってぐちゃぐちゃにしたんだよ。
ずーっと反対している沖縄の人たちは違うけど、妥協から県外そして、結局辺野古、この流れに感情をアップダウンさせられた、沖縄の人たちがかわいそうだよ。
震災の時だって、後手後手に回る対応に怒っているんじゃなくて、その時のくそみたいな態度や対応の姿勢に怒っているんだよ。
だれも、自民党だったらもっとうまくいっていたなんて思ってないよ。
まぁ、それはともかく、とりあえず、戦後の政権の特徴を生成AIに聞いてみたよ
民主党のところだけ、私情が入っているような分析に笑ってしまった。
=====
回答
日本の歴代政権政党は、戦後から現在までに以下のように変遷してきました。
戦後直後の1945年から1955年までは、日本進歩党、日本民主党、日本自由党、民主自由党、自由党などの保守系政党と、日本社会党、民主党、国民協同党などの革新系政党が対立しながら政権を担当しました。
1955年に自由党と日本民主党が合同して自由民主党(自民党)が誕生し、以降は自民党が長期にわたって政権の中心となりました。
自民党は、保守本流派、改革派、中道派などの派閥に分かれていました。
1993年に自民党が分裂し、細川護煕率いる日本新党を中心とした連立政権が成立しました。
この政権は、日本社会党、公明党、民社党、新党さきがけなどの政党が参加しましたが、短期間で崩壊しました。
1994年に村山富市率いる日本社会党が自民党と連立政権を組み、以降は自民党と社会党(後に社会民主党)が中心となった政権が続きました。
この政権は、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎などの首相を輩出しました。
2009年に民主党(1998年に結成されたもの)が自民党を破って政権交代を果たし、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の首相が相次いで退陣しました。
この政権は、社会民主党、国民新党、みんなの党、新党日本などの政党と連立しましたが、内紛や政策の迷走などで支持率を低下させました。
2012年に自民党が政権に復帰し、安倍晋三が再び首相に就任しました。
この政権は、公明党と連立し、アベノミクスと呼ばれる経済政策や安全保障法制の整備などを推進しました 。
安倍晋三は、2020年に健康上の理由で辞任するまで、日本の歴代首相の中で最も長く在任しました。
2020年に菅義偉が自民党総裁に選出され、安倍晋三の後継として首相に就任しました。
この政権は、公明党と連立を継続し、新型コロナウイルスの感染拡大やオリンピックの開催などの課題に対応しましたが、支持率は低迷しました 。
2021年に岸田文雄が自民党総裁に選出され、菅義偉の後継として首相に就任しました。