はてなキーワード: 説明責任とは
内容によるけど、サービスの説明だなんだかんだと事細かに全て言うわけがない。
言われなかったって、聞かなかったじゃんとも
逆に言えるわけでもあるので、
聞かないってことは感心が低いとも言えるだろうでしょ。
まあその場合「こっちはプロじゃないからそんなの普通知らないという」逃げ口上をお客さんは持っているので
説明責任だけを追求されることになる。
となると説明するわけだがお客さんの方に感心がなければ大抵意味がない。
説明不足というのはだいたい得てして難しいのだ。
簡略化したところにクレームが発生しがちなので詰む。
これはサービスという自身の構造的な欠陥なのではないかと思う。
(なぜなら同じ説明しようとすると知識がイコールになる必要があるので、
結局のところ、この手のクレームはだいたい詰むようになっている。
なんか上手な返し方とかないのかな。知りたい。
具体的な業務でいうと、
普段なら美容院や理容院、病院とか、オーダーメイドなサービスのところ、あとはサービスセンター窓口か。
もちろんはこれは一例でどんな業務でもあることだと思う。
もう少し互いに寄り添えばいいだけなのになと思う。
全ては忙しい日本がいけないんだと思う。
肉体だけで考えようとするからそうなるんだよ。
頻繁にベストプラクティスが変わっちゃうような、たとえばReactやらVueみたいなやつの情報だったら、古い本などを参考するよりは、コミュニティの評価やソースコードを追ってったほうがいいし、
マーケティングのフレームワークを学びたいなら、断片的なweb記事をみるよりはそこそこ売れている本を読むほうがいいし
あるいは誰それがなんと言ったみたいな情報であれば、Twitterでも実名の人を信頼するし
アカデミックな理論を業務に取り込みたいなーと思ったら査読付きでそこそこ引用されている論文をやはり信頼して読んでみる気になるし
一回だけ使うワンライナーみたいなどうでもいい話ですぐ試せて副作用がないならgoogleで一番上にでてきた情報で試してみるのもいいし。
人文系は研究対象として地理的にローカルかつ繰り返しはあるかもしれないけど一過性の現象を主に扱う以上、
研究内容自体がごくごく限られた人にしか興味を与えずほとんどは歴史的資料の価値すらなく消え去っていくものが大半だと思う。
ここが人文系が宇宙共通の普遍的真理を研究対象とする積み上げ塗り替え式の自然科学や数学と大きく違う点だけど、
国際的な基準による客観的な研究評価が難しいとなると、目的と効果について国民に対する明確な説明責任が求められる、
科研費などの税金ベースの競争的研究資金の枠組みに組み込んでいいものなのかは正直疑問なところではある。
政府(主に財務省)が文系学部の縮小の方向に動いているのも、こういうこういう見方をされている側面が強いんじゃないだろうか。
ではなかった。
「めんどくさいな」、「いやだな」、「理不尽だな」、「早く終わらないかな」
だった。
怒られている最中、泣きもした。泣くのは罪悪感の表明ではなかった。
むしろ相手に罪悪感をなすりつけ、叱られを早めに打ち切るためのテクニックであり、
効果の如何にかかわらずよく使った。頭ではっきりそこまで打算してはいなかったが、意識化ではぬけめなく計算していたはずだ。
ずるかった。ずるい子どもだった。でも当時はずるいのは高所大所から反撃の余地なく子どもを詰められる大人のほうだと感じていた。
現在の己をかんがみるに、最低でも九割くらいは自分に非があったのではないかと思う。
上は政治家から下は会社の同僚に至るまで、やらかし事例をそれなりに見聞きした。日本の近現代史、特に旧日本軍の「失敗」をつまみ読んだりもした。
それでなんとなく感得したことがある。
謝っているときも謝っていない。
謝り方を知らない。
ネットとかでよく見かける文言だ。ネットでよく見かける主語の大きい言葉はうそだったり不正確だったりするものが大半だけれど、これに関してだけは肌で真実だとわかる。なぜなら自分もそうだから。おそらく、人生を通じて本当に心底相手に対してお詫び申し上げたことがないから。謝るにしろ謝らないにしろ、我が身のかわいさしか考えたことがないから。
日本人は、謝れないとして、責任を取りたがらないとして、なぜそうなのか。
人災には因果があり、理由がある、ということをしんじつ認識できていない。
百万歩ゆずって因果があったとしても、それは前世の業めいたもので、自分の手では届かないどうしようもないことであり、どうしようもなかったのだから、私個人は悪くない。そういう責任逃れの前提があらかじめ内面化されている。
私は関係ない。
私は意図していない。
機序は知らないがその面倒ごととしての「結果」は私とは関係ないところで発生した災害なのだから、私を怒らないでくれ、叱らないでくれ。
そういう意識がある。
そういう意識が怒られの前触れを察知したときに怒られ者にどういう感情を引き起こすか。
「めんどくさい」だ。
だから避けようとするし、早く打ち切ろうとする。それが空虚な謝罪や姑息な謝罪逃れにつながる。
そうすることで失敗を原因を直視しないままうやむやに過ぎ、次なる大災害の種を育んでしまう。人災だったものを天災に変えてしまう。
新潮45の件もそれなんだろうな、と思う。
最悪なのは、謝られる側も「ちゃんと謝れなさ」に最適化されてしまっている風土だ。
原因やプロセスに向き合わないままうやむやに終わらせることに慣れてしまっている。
口では「原因究明を」「まだ終わっていない」「説明責任」などと欧米から輸入したような言葉を吐くが、結局一歩も進めず忘れてしまう。
ちゃんと謝れないでいい空気を保存しておいたほうが後々自分も謝る立場になったときに都合がいいのだ。
そうやって多分、日本人はこれからも同じ小規模な失敗を積み重ねていき、いくらか貯まったところで大惨事を引き起こすのだろう。
そういうことをえんえんと繰り返すのだろう。
「独り言にて(ツイッターID:@hitorigoto4me)」です。
先日こんなエントリーを書きました。
PCデポの記事についてヨッピーさんにあれこれ聞いた話(前編)
https://anond.hatelabo.jp/20180902034231
で、わざわざ書くような事ではないかもしれませんが、ツイッターでヨッピーさんにブロックされました。
ただ、これは私がPCデポに関するツイートをやめる意思はなく(止められる筋合いもないですが)、ブロックしない限りそれがヨッピーさんに届く可能性はあるよ、という内容のツイートをした結果です(誰にもメンションを付けていませんが、エゴサの鬼であるヨッピーさんには当然補足されていると思います)。
そのため、単純にヨッピーさんは私のツイートをもう見たくないというだけの事で、それ以上の意味はないと理解しています。
ちょっと無粋かな、とも思ったのですが、書き留めておこうと思った事があります。
先般、ヨッピーさんとのやり取りを終えたのですが、最後ちょっとドタバタがありました。
(きちんと終了宣言をしており、ブロックで逃げられたという話ではありません、一応。)
そこでずいぶんヨッピーさんに悪者にされたような気がするのですが、当のヨッピーさんが書いたブログはなかなか酷い出来でした。
私の発言は古いものを使用しているし、相変わらず一番のポイントだった8/20の背景は都合の悪い事をカットしてあるし、私とのやり取りはなんだったのかな、と。
なんなんだよもう、と言いたいのはこっちです。
(ブログへの反論の一部は「追記」のエントリーに書きました。)
私にミスがあったのは事実で、そこを責められる事に反論はありません。
ただ、それでも全体として、私はそんなに文句を言われる筋合いはないと思うんですよね。
大原則として、私が私の文責(匿名ですが)で書く文章に対してヨッピーさんの検閲を受けるいわれはないからです。
下書きを見せたのは100%善意であって、私の誠実さ、公平さを証明するためのものでした。
と言っても私とヨッピーさん以外はこの経緯を知らないので、ここでざっと紹介しておこうと思います。
しかしツイッターは長文に向かず、私は長文を書く傾向にあるので、ヨッピーさんからメールでやり取りしようと提案がありました。
私はそれを了承し、以降メールでのやり取りになりました。
最終的に、ヨッピーさんが「T部長に確認してるんだから間違いはないと考えている。違うというのなら当事者の証言をもってこい」というような返答しかしなくなったため、それ以上続ける意味がないと判断してやり取りを終えました。
当事者の証言を求める割に、まさに当事者であるケンヂさんのツイートを提示しても「それはよく分かりませんが」と流してしまうので、それ以上何も答える気はないんだな、と判断しました。
その時私はPCデポに対して問い合わせをしていたので、その回答があり次第まとめの文章をどこかに公開し、それで終了とすると伝えました。
つまり、やり取りを終了するのは私から切り出した事で、文章を公開する前から終える事は決まっていました。
私がヨッピーさんを怒らせて、そのせいでやり取りが終わったという事はありません。
メールでのやり取りを始める前、ヨッピーさんからはメールの内容を公開してもいいとの話を受けていました。
そのため、私はまとめの文章を書くにあたって、メールの内容を引用するとしてもヨッピーさんの了承を得る必要はなかったと言えます。
それは、ヨッピーさんがメールでケンヂさんからのメールを一部引用していたからです。
ヨッピーさんのメール内容を引用するのは問題ないとしても、ケンヂさんのメールに言及した場合、どこまでOKかというのを確認する意味がありました。
なので最初は引用可能な範囲を尋ねたのですが、ヨッピーさんからは下書きを見せるよう求められました。
それで確認すると。
断る事もできましたが、それはそれで手段の1つなので、私は了承しました。
そして下書きを送った際、私は事実関係に明らかな間違いがない限り訂正には応じないと伝えました。
そして帰ってきたメールで、注釈を入れるよう求められたわけです。
注釈を入れるという了解は取ってないので、本来応じる必要はありません。
ヨッピーさんの言い方を借りるなら、そんな事は事前に言ってなかったのに、下書きを見せたらいきなり言い出したわけです。
しかし、ここは私のミスなんですが、「後編」で引用した部分しか見えていなかったので「このくらいならいいか」と応じてしまいました。
あの分量が来ていたのを知っていたら、断っていました。
そして見えていた分の注釈を追記して公開したところ、ヨッピーさんの抗議を受けた、というのが流れです。
メールの後半が省略して表示されていたのを見落として、入れる事を了承していた注釈を全部は入れていなかったのは事実です。
これは私のミスです。
なので、指摘を受けてメールを全文見ていなかった事が示された時点で「出先なので戻り次第確認して対応する」と返信しました。
ところが、ヨッピーさんはそれに対し「もう遅いし自分で書いたから対応しなくていい」と言ってきたわけです。
私はその必要もないのに下書きを見せ、事前に話のなかった注釈の挿入にも応じています。
注釈も当初確認できていた分については盛り込んでいるわけで、そこだけ見ても私が悪意を持って注釈を入れなかったと判断するのは無理筋です。
悪意があったのであれば注釈なんて全部無視しますし、そもそも下書きを見せたりしません。
ミスはあったとしても、私はやり取りを通じて、ヨッピーさんからの求めには誠実に対応してきました。
それを、たった1つ、しかもこんなミスでそこまで責めるの?と思うわけです。
しかも、自分で書いたというブログを読んだら、これがまた酷いわけです。
私の発言は過去のツイートから引っ張ってきており、メールでやり取りした内容、まとめで公開した文章もほとんど反映されていません。
私が対応した部分には触れず、「約束したはずの、僕の注釈が入ってない」と全く対応していないような書き方をしています。
2回に渡る解約ではケンヂさんが怒鳴って明らかにおかしな手続きに導いた事はスルーですし、8/19のアポ取りでは揉めた事までカットしています。
挙げ句の果てに、新しく出てきた背景を無視して「PCデポの要望だった」と主張しているんですね。
それで私には「反応を見る限り多くの人にはご理解頂いたみたいですし自分の説明責任は果たしたと思ってる」と伝えてきました。
そりゃあ、ヨッピーさんの都合のいいように事情を取捨選択して書いたら、ヨッピーさんのファンは納得するでしょう。
でも、背景を大分カットしているのもさる事ながら、今回のやり取りで新しい事実関係が出てきた事をスルーしているのは何なんでしょう。
しかも、ケンヂさんが不当な要求をして口論になったという話です。
8/20に店頭へ行く話に直結しているのに、そこを書かないで説明責任は果たしたとか、何の冗談でしょうか。
また、当時そう信じるのが妥当だったとしても、出てきた新事実を踏まえて「今」どう思ってるんでしょうか。
メールで尋ねた時も答えてもらえませんでした。
T部長は最初ケンヂさんが来る事を前提に身分証の提示を求めました。
これは私の憶測でもなんでもなく、ケンヂさん本人の語った事実です。
それを受けてPCデポ(T部長)がお父さんを連れてくるよう求めたのですから、この一連の流れをPCデポの責任だとするのは無理があります。
背景を無視してはいけないと私が繰り返し書いているのは、そういう事です。
身分証を持ってくるよう伝えなかった、としていますが、最初にケンヂさんに求めているじゃないですか。
対象がお父さんに変わっただけで、なんで不要になると思ったんでしょうか。
私の主張を憶測だと切り捨てる前に、新たに明らかになった事実を元にきちんと経緯を再検証してほしいと思います。
ヨッピーさんのブログは事情を知っていると「何言ってんの?」というレベルなのですが、さっき書いた「ファンは納得するでしょう」というのに思い至った時、疑問が解けた気がしました。
要するに、ヨッピーさんのブログは私の文章への反論ではなく、ヨッピーさんのファンに向けた文章なんです。
というのも、ヨッピーさんにとってはファンを抱えている状態が最も大切だからです。
ヨッピーさんはライターですが、フリーランスで、かつ専門分野を持っていません。
ここで言う専門分野とは、科学や技術、歴史、政治等、特定のジャンルについて凄く詳しいという意味です。
文章力は非常に高いですが、専門性のある内容を語る事はできないのです。
もちろんそれを責めているわけではありません。
ネットメディアは広告収入に大きく依存しており、広告収入にはPV(ページビュー、広告の入っているページの表示回数)が必要です。
そしてヨッピーさんはそのPVを集める能力がとても高いです(あと話を聞くタイプの取材も)。
だから専門がなくてもやっていけるのです。
ヨッピーさんの持つPVを支えているのはヨッピーさん自身の人気です。
忘れられないために発信をし続けないといけませんし、同時に自分の価値を毀損させてはいけないのです。
なので、自分の知名度を上げた記事について、情報の切り取りやおためごかしを使ってでも、誤りを認めるわけには行かなかったのだと思います。
このスタンスは、少し前にあった「広告記事のタイトルにPRの文字を入れるか問題」にも現れています。
ヨッピーさんは(その後入れるようにしたんだったと思いますが)入れなくてもいいという立場でした。
タイトルにPR表記を入れないで読んでもらうというのは、要するに読者を騙しているわけなので、筋論としては入れる方が正しいです。
しかしヨッピーさんはPVの量が武器なので、それを受け入れたくなかったんですね。
筋よりもPV、となってしまったのは、先ほど触れた専門性にも起因していると思います。
広告記事は通常の記事よりギャラが高い事が多いのでやりたいわけですが、ヨッピーさんの広告記事は、割とアレなんです。
ちょっと古い記憶で語っているかもしれず、そこは恐縮ですし全部がそうだと言うつもりはないんですが、アレというのは、広告する対象について知識もないし興味もないという事です。
頭皮エステ機器の記事だったと思うんですが、全く関係のない知り合いの引っ越しの話を延々として、最後に「あっそうだ」と使っているところの写真を数点載せ、製品の特性も売りも何も紹介しない、というのがありました。
ただ、ろくに使いもしない記事でその商品を魅力的だと思う人がいるでしょうか。
それって広告なんでしょうか。
レビューには勘所というものがあり、ある機能がどういいのか、過去の製品からどう進化したのか等、業界を長くウォッチしていないと書けないものが多いです。
ただ、それでも先ほどの記事が成り立ったのは、ヨッピーさんがPVを集められるからです。
数年前の記事なので、当時はいかにターゲット層に届くかではなく、どれだけのPVが見込めるかで広告を取れた時代だっただけかもしれませんが。
ともかく、知識量で勝る他のライターに競争で勝つため、PVを減らす施策は認めたくなかったのだと思います。
だから、あのブログにおいては物事の正しさや正確さなんてどうでもよく、ファンに向けて「俺は正しい」と説明し、ファンを繋ぎ留めておければよかったんですね。
一応フォローしておくと、詳しい内容は忘れましたが、どこか場所、地域(自治体?)を紹介するという広告記事がありました。
「行ってみた」という体験型の記事で、これはヨッピーさんの特性に非常にマッチしており、良記事でした。
特定方向に振った知識量を求められる記事でなければ、ヨッピーさんはとても良い仕事をされます。
単純に、得手不得手、向き不向きがあるというだけの話です。
ヨッピーさんは多分、ずっと私との対話を切り上げるタイミングを見計らっていたのだと思います。
私に落ち度があったら徹底的にそこを責めて私を悪者にし、自分の正しさをファンに見せる、そういうタイミングです。
都合よく私がメールの確認をミスったため、ここがチャンスと思ったのでしょう、徹底的にマウントを取りに来ました。
なんでこんなに怒ってるんだろう、と思ったのですが、ファンに向けて怒っていると見せる事が大事だったんですね。
ヨッピーさんはツイッターで「もういいです」等、私との対話を切り捨てるような内容のメッセージを送ってきました。
しかし、繰り返しますが、私は既にやり取りを終える事を伝えていました。
何も言わなくてもやり取りは終わるんです。
しかも、私がそれまできちんと対応してきたプロセスを無視し、私がミスに対応すると言っているのにそれまで断ったわけです。
そしてブログでは相変わらず時系列無視、事情を都合よく切り貼りとやりたい放題です。
ヨッピーさんとしては、ファンが読んで納得し、ファンとして残ればOKなのでしょう。
それが「多くの人にはご理解頂いたみたいですし」という発言につながっているわけです。
ただ、それって「信者ビジネス」と言われるイケダハヤト氏と同じ道ではないですか。
ぶっちゃけた話、私のような第三者が調べた程度で疑義が見つかり、突っついたら新しい事実(しかも展開に大きく関わっている)が出てきたという時点で、この件に関してヨッピーさんの発揮した取材力は知れているわけです。
協力を依頼したのはケンヂさんなのに、当のケンヂさんから事情を全部話すほど信用されていなかったという事です。
T部長からも話してもらえていなかったという事は、両者に取材したのにどちらからも重要な話を聞けていなかったわけです。
それで胸を張って取材したと言えるんでしょうか。
これはヨッピーさんのライターとしての特性だと思うんですが、相手が好意的に話をしてくれている時は素晴らしい記事を書けても、複雑な事情を深掘りするのには慣れておらず、何か隠している人から事情を聞き出すという事はできないんじゃないでしょうか。
認知症で老人ホームに入っている父親を連れてくるよう要請されたなんて、本来は秒で断る話です。
そこをケンヂさんがそう話したというだけで信じ、経緯を確認しなかったし重要だと思わなかったというのは、その程度の取材力しか発揮しなかったという事です。
ただ、それでも私を責めれば人気を維持できると考え、機を逃さず、私に対応する暇を与えずにブログを書き上げた、その嗅覚と手腕は見事です。
新聞が間違った事を書いて、SNSで叩かれるというのは日常的に見られる光景です。
それをおろそかにした時点で、ヨッピーさんは信者ビジネスに堕ちたと私は感じました。
オモシロ記事を書く能力はずば抜けて高いので、そっちに注力していれば良かったのに、と思わずにはいられません。
冒頭で無粋かも、と書いたのは、私は別にヨッピーさんの商売の邪魔をしたいわけではないのです。
直接ファンからお金を集め始めない限り、実害はほぼないとも言えます。
ただ、信者ビジネスのダシに使われたのかと思うと、これくらい書いてもいいんじゃないのかな、と思った次第です。
以上です。
するとタケモトさんは容赦なく、露骨にきな臭いバイトを紹介してきた。
「じゃあ、これだな。近くに『スペースハウス』ってマンションあるだろ? そこに一定期間住むだけでいい、簡単な仕事だ」
タケモトさんの言うとおりなら確かに簡単なバイトだが、さすがに鵜呑みにはできない。
人を住まわせた上に賃金まで出すなんて、雇う側にメリットがないからだ。
どう考えても“裏”がある。
「部屋内の不備とか、使い心地とかのアンケートを書く、とかですか?」
俺はあえてバカっぽく質問をして、タケモトさんから答えを引き出そうとする。
「うーん……まあ、そうだな」
歯切れの悪い返答。
この時点で、何か裏があることはほぼ確定だ。
今度はやや強気に出てみよう。
「タケモトさん。俺は多くを要求するつもりはありませんが、説明責任は果たすべきだと思いますよ」
「そうは言ってもなあ、オレが説明できるのはそこまでなんだよ。そこの管理人が具体的な説明をしなくてなあ」
どうやらタケモトさんも、このバイトを怪しんでいたようだ。
だが、それが何かは分からないらしい。
「さすがに、そんなものを紹介するのはどうかと思いますよ……」
「普段はこんなの絶対に紹介しねえよ。お前がテキトーに余ってるもんでいいと言ったから、ダメもとで出してみただけだ」
今後、職業斡旋所で働くことがあったとしても絶対にやめておこう。
俺はタケモトさんを見て、そう思った。
「まあ、いいや。やりますよ、それ」
何はともあれ、俺はそのバイトをやることにした。
それに、このバイトが意味する“裏の目的”、その見当はついていた。
「え!? マジか、お前……」
「おいおい……もしかして、“それ”狙いで請け負ったとか言わないよな?」
「違いますって」
俺が生まれる前からある程度には古いマンションなので警戒していたが、意外にも中は小奇麗だ。
むしろ、実家では兄弟で一部屋を使っている状態だったので広いとすら感じる。
“裏の目的”よりも、住みやすさの方が俺にとっては問題だったので、これで安心だ。
まあ、あからさまに怪しいから、俺じゃなくても勘付いたと思うが。
そこは恐らく「事故物件」ってやつだと俺は見当をつけた。
バイト仲間にオサカってのがいるんだが、そいつから聞いたことがある。
事故物件に住み、そこで何の問題も起きなかった場合には事故物件扱いじゃなくなるらしい。
そうすれば、他の部屋と同じ家賃にできる。
雇う側が仕事の内容について最低限しか説明しなかったのも、雇われた側がウソをつく可能性を恐れたからと考えるなら辻褄は合わなくもない。
というわけで、タケモトさんが言ったとおりこれは簡単な仕事ってわけだ。
俺はオカルトだとか、そういった類のモノは信じちゃいないからな。
LGBT当事者の中には「LGBT運動」なるものに批判的な人もいるので...
尾辻かな子 @otsujikanako 衆議院議員(立憲民主党) https://twitter.com/otsujikanako/status/1021812961478828033
自民党がLGBTの理解増進をめざすならば、杉田議員から事情聴取、本人、党、両者で対応を協議し、党として処分を検討すべきだ。 さらに杉田議員自身は会見もされておらず、説明責任を果たしていない。
僕はゲイですが、尾辻さん、僕はあなたに色々言われたくありません。代表者ヅラされたくありません。 多様性を認めるべきだ!ただし異論は許さん!LGBTに否定的な意見は悪だ! ってこれおかしいんですよ。 多様性を認めるのなら、杉田さんの意見も尊重されるべきです。 処分?あなた何様ですか?
杉田議員の発言を全て読んだ?? 読んだ上での批判なら 差別主義者は杉田議員ではなく 無責任野党のこの人でしょ 少なくとも、僕の周りの同性愛者の方々は杉田議員が批判されてる事に違和感を感じてる
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ブロックしたり、返答が無いなら 彼女自身同性愛者として、同性愛者を差別している事になりますよね? 僕は二丁目で飲食店を経営してたんで、尾辻議員の政治利用にはハラワタ煮えくり返ってるんです そもそも杉田議員の発言は税制面に対する優遇措置などに関してですから 歪曲するのはやめて欲しいです
ゲイの一人の意見として、杉田議員の発言に異論はない。 おれはLGBTなどという奇怪なグループの一員ではないから、LGBTという人たちだけで事情聴取したらどうですか? オレは尾辻かな子議員の政治活動全般に賛同することはできません。
貴方はLGBTの代表でもなんでもない。 杉田議員を個人的に攻撃しているだけ。理解を深めるために我々は行動しているのではないですか?排除でなにがどう変わるのですか? 私もゲイですが、貴方の行動、ツイートには全く賛同できません。LGBTは虐げられてきた側です。他を虐げてもよい理由にはならない!
あんたさぁ、まだ言ってんの⁉ じゃあ、立憲民主党の中でセクハラ、不倫、二重国籍、獣医師会からの献金受けた斡旋利得罪容疑… この中で説明責任果たした人はいますか⁇ 教えてください、#尾辻かな子 さん あんたのLGBTを担いでる身勝手な行動で、俺たちは大迷惑してるんだよ やめてくれ‼
杉田議員の会見は必要ない。 自分はGですが税金を投入してほしいと思っていません。今回の杉田議員の論考も概ね理解できます。LGB-Tにも様々な考え方の人がいるのです。そもそもこの論争の出発点は尾辻議員です。LGB-Tの代弁者という態度と錯覚は慎むべきです。政治利用されていることが甚だ遺憾です。
そもそも説明責任はないと思います。LGBT当事者として言わせてもらえば、杉田議員の発言は間違ってないし特別な支援なんか望んでません。
どうしてアベ政権はこうも続くのか?
よく言われる言説が、「積極的自民党支持の人間はいないが、他党が弱すぎる」だ。言い換えると「自民党から変わってほしいけど、自民党以外がヤバすぎて他の選択肢がない」ということだ。
しかしこれこそがアベ内閣が長く続く理由、恐ろしいプロパガンダの正体なのだ。
以下にその理由を述べる!
「アベが指示した人工地震」「オウムサリン事件の真相を隠蔽したアベ」「災害を祝うように酒盛りをするアベ内閣」
自称反アベの発言に違和感を覚える者は少なくないだろう。そう、どれもこれも論理性の欠片もないこじつけばかりなのだ。
このような小学校の夏休みの読書感想文でも書かないような支離滅裂な文章は、日本で9年間の義務教育を修了している常人ならばタイピングの途中で正気を取り戻し、手を止める。しかし自称反アベは惜しみもなく毎日のように妄想を垂れ流している。これは悪夢なのか?戦後教育の敗北なのか?
否!いずれも否である。
「常人ならば書かない」「それでも反アベは書いている」「よって反アベは常人ではないヤベーやつ」というアベ政権が仕掛けた三段論法にあなたは嵌っている!これはまともな思考能力がある者ならば誰でも嵌まるように仕向けられた罠なのだ!
(2) 「しかし反アベの意見がヤバすぎる。こいつら常人とは思えない」
(3) 「安倍政権じゃなくなると、こんなヤバイ思考しかできない奴らが支持する政党が当選するかも」
(4) 「現状維持でいいや」
こうして「反安倍」になりそうな人を「安倍支持」に維持することができた。
安倍政権を維持させるには、安倍の支持者を作る必要はない。「反・反安倍」を作れば良いのだ。
安倍の積極支持者を作るには公明正大・清廉潔白な政治を行う必要があるが、「反・反安倍」を作るにはTwitterやnoteでヤベー妄想を垂れ流すだけで良い。こちらの方が断然コスパが良いし楽だ。
ヤバイ妄言をするのは安倍政権に雇われた暇な一般人だけなのか?
他党に所属する国会議員もヤベー妄言を垂れ流す奴はいる。実はそういうやつらは自民党から派遣された、反自民党を演じるスパイだったのだ。
国会でクイズ大会を開くのも、一年中モリカケ問題に取り組むのも、議員秘書給与詐欺事件で有罪判決を受けても議員を続けられるのも、全ては自民党から派遣され、自民党の指示のもと動いているスパイ活動だからなのだ。
クイズ大会を開いて時間を稼げば自民党に不利な話題を出さずに済む。
成果の出せない院生のように一年中モリカケ問題に取り組めば、他党の議員を無為な時間に巻き込める。
スキャンダルを起こしても議員を続けている人間が党にいれば、その党は信用を失う。
いつからだろうか。安倍のことをアベ、森友学園加計学園問題のことをモリカケと呼ぶようになったのは。
これは暗号なのだ。自民党のスパイ同士でどれがスパイ活動なのかがわかるよう、スパイ活動に関わるものはカタカナで表記するのだ。
たとえば以下の例を見てほしい。
A「今日もアベは辞職せず。いつになったら責任を取るのか。疑惑のモリカケ問題の真相が暴かれる日は近い」
B「なぜ安倍首相は災害時に外遊をするのか。外遊が外せない用事でも災害対策本部を設置してからでは駄目だったのか。」
AとB、どちらがスパイでどちらが一般人の発言かは、もうおかわりであろう。もちろんAがスパイで、Bが一般人である。
Aは安倍のことをアベと呼んでいる。これによりスパイは「ああ、スパイ活動の発言だな」と理解できるし、一般人は「また反アベがなんか言ってるよ」となる。
対してBは安倍のことを漢字で表記している。これによりスパイの発言でないことが明白なので、スパイはこの人に対してクソリプを飛ばすことができる。
スパイ「その通り。アベは人工地震の件も含めて説明責任を果たすべき」
B「そんなことは言ってません」
こうしてBは「反・反安倍」になる。Bにとって仮想敵は「安倍派」と「反アベ派」の2派であるため、見かけの構造上「自分以外は全て敵」となりその精神的負担は大きい。そのような人が最終的につくのはより理性的な方であるので、つまり安倍指示側であり現状維持となる。
理性的な安倍批判はスパイの格好の的となる。理性的な反安倍派は反アベと一緒にされたくないので自身の主張に補足を入れる必要がある。そのせいでどっちつかずの主張になりがちであり、時間も余計に奪われ安倍政権の批判に疲弊する。疲弊した論者はついぞ、反安倍活動を諦めてしまうという寸法である。
以上が恐ろしいアベ政権(自民党)のプロパガンダの正体である。
ここまで読んだあなたは荒唐無稽な話だと笑っただろうか。もしそうならば平和ボケしていると言わざるを得ない。
高度な情報戦は既に始まっているのだ!
子供ほしくない派だけど、その話になるとほぼ100%「なんで!?」って言われて一方的な尋問が始まり、はては「わかんねーかわいそー」みたいな顔されるのがなんか不公平だなーと思い始めた。
ほしくない人には説明責任があるらしいのに、欲しい人は当たり前のことだから説明は省略、みたいな思考停止はよくなくない?こちらに理由を尋ねるなら、そちらも同程度には言語化して提示して欲しい。あとわかんねーと思ってるのはこっちも同じだ。
・赤ん坊がぜんぜん可愛くない
・夫が激務なので育児の協力に限界がある、でもワンオペ育児とか絶対嫌
・育休復帰ママの働き方見てると辛そう、同じことやる自信ない
・将来に渡って子供の人生にそれなりの責任を感じなきゃいけないのに耐えられない
・この辛い世の中に生まれてくるとか私なら嫌なので、自分が嫌なことは人(子供)にもしない
・子供とかいたら好きな時に離婚したり死んだりできなくなりそうで嫌
はてブを見ていて表題の記事(https://this.kiji.is/351524475332084833)を見つけた訳だけど、
昼間にTVニュースで見た答弁とは随分印象が違うな、と思って動画を探して該当部分を書き起こしてみた。
昨日の佐川前国税庁長官の証言では、森友学園の決裁文書についての書き換えや国有地の貸し付け、売り払いの取引に関して安倍総理や総理夫人の指示や関与、また総理官邸関係者の指示や関与、圧力がなかったということが明らかにされました。
また、佐川前国税庁長官は安倍総理や総理夫人の影響が一切無かったと断言をし、安倍総理の昨年2月17日の答弁についても、その後の佐川前長官の答弁に影響を与えなかったということも明言をしました。夫人が名誉校長であることの影響もなかった、とのことでありました。
この委員会の皆様そしてテレビを御覧の皆様とも共有をしたいのは、昨日の佐川前国税庁長官の証言は虚偽であれば懲役刑に処されることもある大変重いものだということであります。この証言の重さを証人に出頭を求めたこの委員会において、まずしっかりと受け止めるべきだと思います。
総理には佐川前長官のこの重い証言を受け止め、その上でなお、国民の皆様に対して丁寧に、かつ真摯に向き合い、真相の究明に力を尽くして頂きたいと存じますがいかかでしょうか。
証人喚問のやりとりについては政府としてはコメントしないというのが政府の立場でございます。
これまでも私は決裁文書の書き換えについて、私は全く指示もしていないということは申し上げてきたとおりであります。
また、私や妻がこの国有地払い下げや学校の認可に、もちろん事務所も含めて一切関わっていない、忖度、例えば私の2月17日の答弁を役所の人がどのように受け止めたかは答えようがないということを申し上げてきたとおりであります。
今後ともしっかりと我々説明責任を果たしていきたいと思います。
ただ、今般の書き換え問題により政府、行政全体の信頼が損なわれ、行政の長として責任を痛感しております。
行政の最終的な責任は、内閣総理大臣たる私にあるわけでありまして、改めて国民の皆様に深くお詫びを申し上げたいと思います。
国民の皆様から厳しい目が向けられていることを真摯に受け止めながら、何故このようなことが起こったのか、全てを明らかにするために徹底的に調査を行い全容を解明していかなければならないと考えております。
その上において、二度とこうしたことが起こらないように組織を立て直していく必要があると考えておりますし、私も内閣総理大臣としてその責任を果たしていく決意でございます。
財務省の調査に対しては麻生大臣はもちろんのことでございますが、総理にも強い指導力を是非発揮をしていただきたいと存じます。
(以下略)
おはようございます。民進党の川合孝典です。森友学園問題についてご質問させていただきたいと思います。
冒頭あらためて予算委員各位に申し上げたいと思いますが、今回の改竄文書の本委員会及び会計検査院に対する提出は、憲法に基づく国政調査権を妨害し、国権の最高機関たる立法府を欺き、更には議会制民主主義を否定し、本予算委員会を冒涜する言語道断の暴挙であるということは言うまでもない事実であります。
こうした認識に基づきまして、度重なる私達野党からの要求に応える形で、昨日ようやく佐川前理財局長の証人喚問が行われましたが、肝心の決裁文書の改竄に関しては全て証言を拒否されました。また、関連する質問にも全く証言が得られなかったのが実情でございます。
今回の証人喚問によって真相究明に一歩近づくのではないのかと国民の皆様が期待をされた訳でありますが、逆にむしろ疑惑が深まったのではないのかと言わざるを得ない、これが率直な思いでございます。また、文書改竄をテーマにした証人喚問を今回開いたにも関わらず、文書改竄に関わる証言は一切なさいませんでした。
何のために証人の宣誓まで行って証人喚問に出てこられたのか、ただのアリバイ作りじゃないのかと言わざるを得ない。このことを指摘させていただきたいと思います。
総理も昨日証人喚問の内容についてご覧になられたと思いますが、一連の佐川証人の証言についてどのようにお感じになられたのか、このことをお伺いしたいと思います。
私も衆参で行われた証人喚問、全て拝見をさせていただきました。
その上で申し上げますと、証人喚問におけるやりとりはですね、政府側としてはコメントしないというのが今までの証人喚問についての政府の一貫した立場であります。
これまでも私は決裁文書の書き換えについては私は全く指示もしていないということを申し上げてまいりましたし、私や妻がこの国有地払い下げや学校の認可に、もちろん事務所も含めて一切関わっていないと、忖度、例えば私の2月17日の答弁を役所の人がどのように受け止めたのかは答えようがないと、こう申し上げてきたところでございます。
このことについてですね、どのような、この今私が述べたことについて昨日の証人喚問を通じてどのような答えが出たか、あるいは私がどのような印象を持ったかについてはですね、これは先程申し上げましたように政府の立場は一貫してコメントを述べないということでございまして、国民の皆様のご判断に任せたいと、このように思っているところでございます。
ちょっと質問の仕方変えましょう。今回の佐川氏の証人喚問によって疑惑は晴れたと思われるでしょうか。
私は別に先入観を持って聞いている訳ではないんです。疑惑を解明する、真相を究明して再発防止につなげると、総理も与党の皆さんもおっしゃっている訳でありますから、それに資する証人喚問であったのかということを、そのことに、疑惑が晴れることに今回繋がったのかということをどうお感じになられたのか。
大変申し訳無いんですが、証人喚問の評価、論評についてはですね、これは従来からの証人喚問のときもそうなんですが、政府はそれについて、まさに議会の皆さまがですね、全会一致で証人喚問を行われた訳でありまして、それについて論評をすることは控えなければいけないということで、ずっと論評を控えさせていただいたところでございます。そして今、私がどういう答弁をしてきたかということについて申し上げたところでございますが、その私が答弁したことについてとの関わり、あるいは何故書き換えられたかということについてのですね、証言との関係等については、まさにこれは国民の皆様のご判断に任せたい、また、委員の皆様のご判断に任せたいと、このように思っております。
今回の佐川氏の一連の証人喚問における証言でありますけれども、判例によりますと、このいわゆる証人喚問において証言拒否が認められるのは、犯罪事実の構成要件と密接に結びつく場合にのみ証言拒否が認められる、となっておるわけであります。
実は昨日、共産党小池議員の質問で、改竄前の文書で安倍昭恵さんの名前が載っているが見たことがあるかという、こういう質問がございましたけど、そのことについてすら実は証言を拒否されてるということでありまして、これは今後どういう結果が出てくるのか、佐川さんがどうなるのかということは分かりませんけれども、これ議員証言法に違反している疑いが極めて強い、そういう内容だということを改めてこの場で確認をさせていただきたいと思います。
(以下略)
これらの答弁についてどう考えるか、ということは個人それぞれあると思うけれど、
少なくともこれらが、
安倍晋三首相は28日の参院予算委員会で、森友学園との土地取引に関し、首相や昭恵首相夫人からの影響を否定した佐川宣寿前国税庁長官の証言について「一切関わっていないと申し上げてきた。あとは国民が判断することだ」と述べた。
になるのはさすがにどうかと思うんだよね。
記事の配信時間的に速報という位置づけで答弁を要約したということだと思われるけど、この記事についてるブクマを見る限り要約になってるとは思えないな。
大好きな作家がいた 私はその人を傷つけた気がする その人はコミケにはしばらく来ていない プロとしての仕事が忙しいだけかもしれない 確かにアレやコレで時々名前は見る しかし自分の存在があるからこそコミケに来ないのかもしれない このアカウントでツイートされないのかもしれない 全て自分のせいではないか、そんなことをここしばらく考えていた 今考えるとその人に対してずいぶん気持ち悪い行動をしたと思う その人がかつて運営していたサイトでイラストをかき集めた それから数年後にコミケまでその人に会いに行った その人のイラストを使って作ったものをプレゼントした 失礼なこともしたと思う メールでその人に対する熱い思いを語ったつもりだった DMで感想を伝えたつもりだった 返信がない以上その人は自分のことをうっとおしく思っていたのではないか 私は明るく振る舞うその人のツイートが眩しかったのだろう、だんだん敬愛すべき作家なのか昔の思い出にすがってるだけなのかわからなくなってきた 気がついたらミュートしていた もっと交流すればよかったのに、出来なかった ただその人の絵は美しい 漫画だってとても上手く、面白い それだけは私の心に確かに焼き付いている もう15年ほど前のことになるだろうか パソコンを買ってもらって1、2年ほど経過した頃、私は例によってオタクだったのでアレやらナニやらいろんな作品の同人サイトを巡っていた 当時は年齢が年齢なので18歳以上は云々のサイトに入れないはずだが、ギンギラギンの性欲を持つ厨房がそんな文言にたじろぐはずはない まぁどうせ作者も厨房工房である 悪影響といえばファックしたりされたりしているキャラクターが原作漫画やアニメで見るのが恥ずかしくなった程度である まぁとにかくいろんなサイトを巡った 掲示板やメールでの交流はしなかった 長ったらしい文章を書くのがクソ面倒だったしネットに疎い親がメールを教えるなだのなんのかんのうるさかったためである まぁ私自信もメールアドレスで住所割られたらどうしようとか考える程度にネットに疎かった イラストサイトの閲覧はダイヤルアップというのだろうか、パソコンの横にぶっ刺すカードのおかげでクソ遅かったのもあるし恥ずかしいのもあってあまりしなかった 代わりに様々なテキストサイトを巡っていた 私が当時手にとっていた紙の本とは違い、拙いながらも熱を感じるめくるめく官能の世界が繰り広げられていた それはそれはすごかった 今読むと素人もええところだなオイと思うだろうが当時はそれで興奮していた 正直今も興奮する そんな中、当時あるゲームに夢中になっていた私はいわゆるリンクだかリングだか同盟だかでとあるサイトに出会った イラスト・漫画サイトだった そのサイトでは少しマイナーなキャラを中心に取り扱っていた 見る 絵がめっちゃきれい 線、構図、色使い、その他諸々、私は絵に詳しくないが非常に美しいと思えた 漫画もこれまた面白い ギャグからシリアスまでなんでもありのストーリーセンス! 遅い回線の中、イラストのダウンロードさえ待つのが楽しみだった 後でわかったことだが当時そのサイトの作者は高校生だったようである 私はあっという間にそのキャラが大好きになった そして当時はそういうのが流行りだったため、裏ページなんてのもあった 見た 更にすごかった SMから四肢切断に女体化まであらゆる責め苦がそのキャラクターを襲っていた しかしそれでも崩れることなくその人の筆使いや話の運び方には熱が入っていることがありありとわかった 掲示板には感想などは書かなかった 今考えると一言二言書いといたほうが良かったと思う その人は同人活動もしていた 本の中ではWeb上を超えた更なる甘美で耽美な世界が繰り広げられていることは間違いないだろう しかしその人は主に東京国際展示場辺りで開かれるイベントに参加しているようだった 当時の私はどうにか親をごまかしまくって年に1回か2回、御茶ノ水あたりの損保会館とかいうところまで行くのがギリギリだったので会うことは叶わない それ以前に厨房の肉体でエロ本下さい☆なんて言えるほど豪気ではない なら通販はどうだろうか 親に何を買ったかの説明責任が存在する 住所を知らん人に教えてこれまたあーだこーだ言われるのも嫌だ 仕方ないから諦めた 少し後に秋葉原のどっかの同人誌取り扱い書店で年齢を聞かれずにエロ同人誌を買えたことをここに告白する 店員が悪い そのうちサイトは更新されなくなった 日記を読む限り専門でいろいろやったとかどっかの会社に就職したとかそんな感じだったと思う 後にインターネットアーカイブで読んでみたところとあるゲーム会社に就職したようである もう潰れたけど そして私は堪え性がないのでまた別のゲームや漫画に飛んだりしていった たまにその人のことは思い出していたがその後の動向がわからないのでどうしようもない でもある日サイトを見に行ったらエンターページは残っていたもののトップページは消え去りブログになっていた 記事はあまりなかった 例のゲームの同人誌出すとか書いてあった気もするけどもうよく覚えていない 気づいたときにはかなり前の日付で、もはやその作家の本を買う方法は存在しなかった 書店委託もしてないし通販を頼む方法だってあったはずだが親が親なのでやめた 結局その作家への愛なんてその程度なんだと思ったよ その辺りだろうか、せめてその人のサイトのイラストを出来る限りアーカイブしようと決めたのは 今考えると気持ち悪いことをしたもんである こんなもん作家に見せたら卒倒するわ サイトアドレスを残してたりイラストを上げっぱなしにしてた作家もインターネットアーカイブも悪い 改めて見てみるとこれが本当に美しい HTMLとか文章とかはもうめんどくさかったのでひたすらイラストのみを保存していった そしてCD-Rに焼いた 今はHDDにはなぜか残っておらずロムもどっか行った それでいいんだろう そして2011年である 私には地獄のような苦しみが絶えず襲ってきた 正直思い出したくもない 書くけど まぁなんやかんやあって熱は冷めてきたものの例のゲームのオンリーイベントがあったので行ってみた 秋頃だっただろうか 会場内でうろうろしていたところ、上記の作家が入れ込んでいたであろうキャラクターのアンソロジーが発行されていた こいつも大きく取り上げられるようになったなぁ、なんてすこしほっこりした ふとその作家を思い出し、主催者っぽい人に冗談半分でその作家のことを聞いてみた 「この本に描いてますよ」 「そちらの方のスペースに合同誌がありますよ」 耳を疑った すぐさま私はそのアンソロジーを買った そしてすぐ横のスペースでテーブルに並べてある本をすべて購入した 読む 見つけた! この人だ! 絵柄は多少変わってはいたがキレッキレのギャグセンスは間違いなくその人のものだった 合同誌も同様だ えらいものを手にしてしまった もはやあの日々から長い年月が経ったというのに この辺からおかしくなってきた アンソロジーにサイトURLや現在のペンネームが載っていた 早速アクセスする 極彩色のイラストが私の眼前に広がった 相変わらずその人の絵はすごかった 仕事内容を見て更にびっくり、詳細は省くがとにかく驚いた あんたこんなデカい仕事してたのか、と 冬の祭典コミックマーケットの季節が近づいてきた頃、その人のサイトが更新された コミケには当然サークル参加するという 絶対行こう、あわよくば色紙も描いてもらおう、差し入れも持ってこう、いろいろ考えながら当日を楽しみにしていた とはいえいろいろ回るところはあったのでその人のサークルに着いたのは昼も大きく回った辺りだった スペースに人がいる あの人だろうか、ドキドキする、本を買う、〇〇さんはいらっしゃいますか? 「あぁ、今買い物に出てます」 まぁそんなもんである 他のところをうろついて数十分後、再びサークル前に戻る 別の人が座っている 先程買った本を見せ、〇〇さんですか? ビンゴだった 差し入れを渡す そして、 「先日☓☓のアンソロを買ったんですけど、数年前に☓☓のサイトを運営されてた〇〇さんですか?」 その人はひどく驚いた顔をしていた ビンゴだったのだ 本人に会うことは予定事項だった しかし私は固まった 敬愛するその作家が目の前に現れたのだ 正直何を話したかもはや思い出せない ただガチガチに緊張し、どうにか色紙を頼み、受け取ったときそこには美しい筆致で例のキャラクターが存在しており、最後に握手をした それだけだった そのコミケでは他に、自分を勇気づけてくれた漫画を描いたある作家に会いに行ってサインもらったり握手したり、また別のある作家に大好きなキャラの色紙を頼んだところ、ものの2、3分で色紙を仕上げるというような曲芸じみたことをやってもらえたりもした 地獄のような2011年は奇跡のような思い出で締めくくられた 当然のように次の夏コミに行った 思い切ってその人に当時発行していた本の在庫があったら売ってくれないか聞いてみた 了承してくれた 震える字でメモに自分の住所と名前を書いた もはや親はいないので通販など自由だ ひと月くらい経ち、郵便物が届いた 可愛らしいテープで封がされており、漫画で使われているものと変わらない字がそこにあった 数冊の同人誌が入っていた メッセージも添えられていた 何が書いてあったか忘れたが、嬉しさで床をのたうち回ったことを覚えている その日のうちにメールを送った その人に出会ったきっかけや応援メッセージを書いた 今見たらゲロみてぇなこと書いてあんだろうなと思ったが思ったほどではなく安心している とはいえヘッタクソな文であることは間違いない 返信は来なかったからだ しかしどうやって料金を支払えばいいのか? 郵便小為替とかそういったものが頭から抜け落ちていた自分は次の冬に会った時に支払いをしよう、ついでに冬で悪くなりにくいだろうしちょっといい菓子でも持っていこうか、なんて思っていた 念のため言っておくが封筒にはその作家の当時のものであろう住所と本名が書かれていたものの、突撃するとか年賀状を送るとか、そんな恐れ多いことはとてもじゃないが出来なかった 以前ワンフェスでガレキ買ったとき部品が一個足りなくてディーラーにメールを送ったが、送られてきた封筒には一つのパーツとディーラー名以外何も書かれてなかった 私ごときに自分の名前も住所も書く必要ないんだよ、今になって思う 次の冬コミ、例によってその作家のサークルへ向かう もはや優先順位はトップクラスになっていた 差し入れの菓子を渡し、その人に同人誌送付のお礼と感想を述べ、料金について尋ねた 昔のものだし別にいい、そんなことを言われた なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった 絵も漫画も良ければ人間性もいいのか まさに「神」だった この辺から記憶が曖昧になっている 毎度のようにコミケではその人のサークルに行き、本を買う それだけである その程度の距離感のほうが良かったのではないか、今になって思う その人は別名義でこれまた別のジャンルでも活動していた 当人のPixivかなんかに書いてあった 本のほかにグッズかなんかも頒布するらしい 初めてその人に出会った冬コミの一ヶ月後くらいのオンリーに参加するとのことだった コミケでは「必ず行きます!」みたいなことを言っていた しかし後から見直すとこのグッズ類が結構いい値段している まぁどうせ相手も自分の顔なんか覚えてないだろう、そもそも自分はこのジャンルに触れたての人間なんだからそこまで深いところに行く必要はなかろうよ、なんて思っていた クズである 正直今は後悔している 実際にオンリーに行ったところ、確かにその人は来ていた こっちからその人を伺う形になってなんか申し訳ない気がした 結局その人のところには行かなかった とはいえ向こうだって約束した人が病気かなんかで来られなくなることがあることだってわかるだろう その人が私の姿を見ていない限りは 心にそんなしこりを残したまま、その後のオンリーに赴き、その人の新刊を買う日々が続いた まぁこれがエグい 当時サイトで見た性癖と変わらないものがそこにあって感動した それでも美しいんだこれが スペース前で軽くおしゃべりする程度で茶を飲みに行ったりだとかそんなことはない 自分自身コミュ障を患ってるのでそんなことはしないほうが正解だとは思っていた しかしその沈黙は破られた あるオンリーの日、例によって新刊を買った私は何を思ったのか 「ツイッターのアカウントフォローしていいですか?」 なんて抜かしていた 「いいですよー」 当然ながらフォローするもしないも当人の自由ではあるがなんかその人に対しては遠慮していた 鍵垢だからどんなことが書かれているかわからない、いつも来やがるあの野郎また来やがった畜生め、みたいなこと書かれていたらどうしよう、などと考えていたが、了承するということは相手にすべてのツイートを見せるというわけで、そんなこと書いてたらそもそも「え…ちょっと…」という話になるじゃないですか だから問題はない 帰ってその人に申請する 許可が来た アカウントの中には太陽のように眩しい世界が広がっていた ネガティブなものなど一つもない、生きとし生けるものに愛を注ぐようなツイートが溢れていた なんかもう自分がみじめになってきた この文を書いている今も まぁでもさ、人間、現実世界では悲しくとも、せめて電子の世界では気を確かに持って元気よく行こうよ、なんてことをする人もいるじゃないですか だから気に病む必要なんてなかったんだよ 話を戻すが、さっそく交流を図った ポップでキュートで元気なリプライな送られてきた 自分はなんと返信したらいいのかわからず、当たり障りのないことしか書けなかった なんて自分は愚かしいのだろう、不器用なのだろう、申し訳なくなった 漫画と同じくらいその人のツイートは面白かった 追随して自分もなんかリプライ送ってみようってなった しかし恥ずかしくなってすぐに消すこともあった 別の人へのリプライはさっさと返してるのに自分だけ遅いこともあった この辺は相手が交流が深い人だから距離感もわかってるのだろうが、自分なんて最近話し始めた人間だからどんな感じで返したらいいのかわからないんだろう、少し考えればわかることである だいたい親しき仲にも礼儀ありとはいえ、ツイッターなんてある程度適当な交流でも許されると、今になって私は理解している 当時の自分はそれが出来なかった 相手が相手だからというのもあるだろうが だからサークルにいつも行くだけの人、という立場になっておけば良かったのだ その翌年辺り、あることを思いついた その人が描いた好きだというキャラのイラストを使って何か作って、それをプレゼントしてみよう、と 詳細は伏せるがまぁいい感じに出来たんじゃないかと当時は思った 本人の誕生日から数ヶ月過ぎていたが、オンリーが少なかったり仕事が忙しいのか本人に会う機会がなかなかなかった そしてオンリー当日、その人にプレゼントを渡した ついでにそのうちお茶しましょうとか調子乗ったこと言った 夜、リプライが届いた 来客用に使うと喜んでいたようで嬉しかった また、ツイート上ではその日にもらったプレゼントなんかも紹介していた 私のものはなかったがまぁ私以外と繋がっている人などその人のフォロワーの中にはいないだろうし仕方ないだろう 正直この辺りから不安になってきた この人私のこと嫌ってんじゃないだろうかと 私自身も現実世界でいろいろあり頭がおかしくなってたので余計に不安感が増して妄想が激しくなっていったのかもしれない お茶しようと数カ月かけてようやく決めた日の少し前、その人に会うのが急に怖くなり、私は腰をやったと嘘をついて約束をフイにした 今考えてもまともじゃないよ、こんなこと 気がつけばその人は別ジャンルに移行し、新しくアカウントを作ってそっちでわいわいやっているようだった ファンとして私はその人のアカウントを追いかけるべきだったのかもしれない しかし自分では触れようとも思わないジャンルだし、もしその人が本当に私のことを鬱陶しく思って私が今もフォローし続けているジャンルのアカウントから姿を消したのだとすれば、その人の健康上に良くない 私はそれ以上追いかけることをやめた とはいえPixivは定期的に見て本は買いに行っていた キャラのこととかよくわからないがその人の絵が見られるだけで満足だった しかし本を買いに行ったときのその人の反応はどうもよそよそしく思えた これやっぱ来ないほうが良かったんじゃないか、そう思わざるを得なかった オンリーではなくコミケの、その作家にとっての表ジャンルとでもいうんだろうか、そちらでも引き続き新刊は出し続けていたが、私は遠くからその人の存在を確認し、買い物に行っているときなど、その人がスペースにいないときに本を買うようになっていった とはいえいつも来ているし、売り子と作家が「あの人また来てたよ」「マジかよ…」なんて会話を繰り広げている可能性だってある それでも私はそんな妄想上の反応を振り切って、その人に会いに行くことはあった 本を買って「いつも応援してます! じゃあまた!」それだけである 気がつけばその人がコミケに出る機会は少なくなっていった やはり私が来るからだろうか? でも、表でのツイッターアカウントを覗いてみると、ちょこちょこと様々な仕事をしているようだった 就職したという会社は潰れる前に抜けてフリーになっていたようだった つまるところ仕事が忙しいのか、あるいは病気でもしたのか、ならばコミケに来るのは難しくなる 私はそうやって自分を納得させ続けていた もうリプライでもDMでも「お誕生日おめでとうございます!」というメッセージは送っていない 私のアカウントを目にすることがなくたっていい だがそれでも私はその人の活躍を祈り続けている 表に名前が出ない仕事をしている可能性だってあるし、病気などをしているのかもしれない しかしその人は素晴らしい作家であることは間違いない 15年に渡って自分の心にその人の存在が刻まれ続けているのだ 絵で食べていくという選択をしたのだから、苦労だってあるのだろう ツイッター上で明るく振る舞うのはいわゆる空元気なのかもしれない だが、せめて、祈らせてくれ あなたに幸あらんことを、と
朝日が報じて、今日になって毎日も別の文書について報道しはじめて、一体何がなんやらわからなくなっているひとも多いと思うので「今問題になっている決裁文書ってそもそもなんなの」という話からまとめてみた。学生だったのは随分昔だし知識がうろ覚えな部分も多く、わかりやすくする、自分の知識が不足しているなどの理由から説明を簡略化している部分が結構ある。わかりづらい部分、間違っている部分があったら指摘してほしい。
「森友学園への国有地売買、こんな感じで進めますよ」というのを、財務省近畿財務局の担当者が上長に報告・承認を得ていた際の記録文書。
半分は進捗報告も兼ねてるので決裁文書も複数存在する(後述)。
決裁文書の「原本」は普通財務省近畿財務局にしか存在しない。何かの必要性があって文書を外部に公開する必要があるときはコピーを取ってそれを公開する。それが「写し」。
2018年3月8日に毎日新聞が報道したのは1。また、和田政宗議院の指摘する文書は「予定価格の決定の決裁文書」らしいので、1と推定する。
その他、森ゆうこ参議院議員が持っているとされる決裁書のコピーもあるが、どれのことかわからないので2018年3月8日段階では無視してよい。
2-1の中身が2-2と異なるのを根拠とした「公開時に、決裁文書が書き換えられたのでは。表に出ていない本当の決裁文書が別に存在するのでは」という問題。2-1と2-2には以下の相違がある。
文書主義に明確に反している(文書主義が何なのかはググって)。また、情報公開で公開される情報の信用性を著しく損なう。行政の信用性を担保するための情報公開なのに、それが信用できないのがやばいのは想像に難くない。
※正確には「原本が書き換えられた」場合と「原本はそのままで、原本の写しを書き換えた」場合の二つがあって、どっちなのかでも重要性が異なるんだけど、BLOGOSの記事がよくまとめてるのでそっちを読んでほしい。
森友問題の性質如何ではなく、「行政文書が安倍首相への批判をかわしやすくなる方向性に向けて書き換えられていた」というのがよくない。これは、「安倍首相が森友問題に積極的に関与しているのを想像させるから」というものではないことに注意してほしい。
関わっていないのを前提にしたとして、そしてそれが役人の忖度によって勝手におこなわれたとして、「誰に命令されなくてもみんなが現政権の有利になるかたちで不正をおこなうなら、現政権を一旦総辞職させた方がいいんじゃないの?」という思考になるのは、まあわかる。
もちろん、それは行政省庁で長年おこなわれてきた問題である可能性を否定できないし、安倍政権を交代させたからといって行政省庁の体質が改善されるかどうかもわからない。
ただ、行政省庁の出してくる文書やデータがおかしいのではという話はこれに端を発したものではない。自衛隊南スーダン派遣における日報問題、財務省における公用メール60日廃棄問題、厚生労働省の裁量労働制データ問題と、省庁をまたいだかたちで再三問題視されてきた。それにも関わらず、自民党政権下で改善されないということから「行政省庁のガバナンスを行政の長たる内閣がしっかりおこなっていない」という批判が出るのは、まあ的外れとも言いがたいところはあるかと思う。
わからん。
明確な証拠はないのでわからん。なので、考えうる可能性を列挙してみる。
朝日新聞が飛ばし記事を書いた可能性が否定できないし、飛ばし記事であっても決裁文書が書き換えられた可能性も否定できないのもおもしろい(傍証2はむしろ書き換えの可能性を示唆するものなので)。
仮に飛ばし記事だったとした場合、推測を1面スクープにして行政責任を求めようとする朝日新聞の報道姿勢は責められるべきであろう(この辺報道倫理とかに詳しくないのでわからん)。
後者は言うまでもないとして、前者でも理屈は通る。公文書偽造が焦点である問題なので、資料を出したらそれにあわせた偽造がされるかもしれない。公文書偽造が焦点なので、戦略として出さないのは正しい。
言い出した方が説明責任を果たすべき、というのは私人間であれば成り立つのだけれど、行政学・政治学の視点から言うと、「公権力たる行政は国民に対して強い権力を持つため、私人間における均等な説明責任の原則が成り立たない。行政は私企業よりも強い説明責任が課される」とは言えそう。
「政党政治における野党の役割は与党の監視なので、公文書偽造問題における与党のガバナンス不足を追求することは審議時間を削ってでもおこなうべき重要な仕事」とは言えると思う。また、実証政治学でもある程度証明されているのだが(ごめんすぐに具体的な事例の論文が出てこない)、国会で審議時間が減ると困るのは与党だけでなく、ただでさえ審議時間が減っている野党も同じ(むしろわずかに与えられたパイを更に削る、リスクのともなう行為)であることも留意しておきたい。
知らん。
指摘あったら追加するので各位指摘お願いします。
「元検事の落合洋司弁護士は検察庁に頼んで借りたりコピーをもらうとか迅速にやればいい、捜査に支障がでるとは考えられないと指摘した。」
(https://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/753/1144154/)
●渡辺輝人氏によれば
『内閣は、国会を通じて、国民に対して無限の説明責任を負っている』
(https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20180306-00082397/)
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「改竄なんてない。証拠はこれだ。検察に任意提出してある書類も借りてきた。ほら見ろ。イチャモン付けんな」
そもそも、改竄はないとただちに断言できない時点で既に異常事態。即答できないってことは改竄の可能性があるかも、ってことだから。
で、以上のように証拠そろえて否定すれば、「朝日は何を言っているんだ?報道の根拠を出せ」と朝日側にボールが返る。朝日の報道が真正のものなのか私も知りたい。今のままじゃあいまい。
なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。
そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田は数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋に教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系の書籍事情に無知だったのはすまない。
追記で書いたけどシビリアンの戦争が博論の書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。
指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしまう論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップの問題が除けていない(オーサーの定義は理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦はダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメでちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田は責任を持たないし、自分がテレビで解説する学者としての能力があると示すのは三浦の説明責任。
文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分が日本の文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。
文学や外国研究に関しては各国の大学で自国語で教える意義も大きいし、各国が独自のコミュニティで多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学は理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。
「国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語で論文を書くべきかを決めるのは理系か文系かじゃなくて、グローバルな一つの学会を形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化は効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学の世界は一つでなければならない。日本とアメリカで物理法則が違ったら困る。日本語研究の重要性を説く文系増田だって、理系でもっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。
テーマにもよるが経済学や国際関係は世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語に固執してはいけないと思う。
あと単純な利便性。これは日本の学会が世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本が常任理事国を目指すことには世界にメリットもあるだろうが、日本語が国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑だから止めろというべきだろう。
中学校の頃、みんなでワイワイ出来るとと思ってオンラインチャットルーム作って教室の友達に共有して遊んでた。
スマートフォンが普及してなかった当時はそれで割りと盛り上がった。
しかし、学校側がそれを見つけて、ルームを閉鎖するよう言ってきた。
何が悪いのかがわからないのは僕だけでなく、コンピュータに理解のあった父親も反論した。
翌日、友達から楽しんでたのに突然使えなくなった~的なのを色々と言われた。
どうしようもなかった。
表沙汰になった事実は異常だけども、このエピソードは色々と考えることが有ると思う。
・現在普及しているスマートフォンによるLINEが厳密に規制されていないこと。
・今も昔も説明責任を果たさずに命令するだけの人間が居ること。
とりあえず、大学を卒業してもこの活動の何が悪かったかは説明できない。
ただ、今も昔も「説明を要求しないで言うことを聞く無能」と「説明しないで命令する無能」を大人と呼ぶ社会が有ることはわかった。
今は「説明要求すると納得するまで議論してくれる人」と「納得出来ないと説明要求してくれる人」に囲まれて生きている。
無能の皆さん、元気ですか。