「氷河期」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 氷河期とは

2023-09-27

anond:20230927013350

しばらくトラバしないことで相手が「もうトラバしてこないだろう」と安心したタイミングを狙ってトラバぶつける手法もあるし、俺もすることあるんだけど、「気にならない」か。そうかそうか。

あと相手レベルを合わせて返してると言ってるけど、思い上がり甚だしいね自分よりレベル高いのが相手じゃ、近づけることはできても合わせようがないよな。

以下お前がそこまでのレベルに達してないことが読み取れる事例をお前の今までの投稿から挙げていく。

まず「お前社会人やったこあんの?」みたいなこと言ってるトラバしたすぐ後のトラバで、増田ボリューム層は40代無職大卒と言ってるところ。

これが60代無職だったらまだ定年年齢なので理解できるが、40代無職なら氷河期の影響もあるかもしれんが、だいたいは本人に致命的な問題があって一度も雇用されずに今に至ってる人たちと読み取るよね。

まりお前は「社会経験がない」とレッテル貼りする貶め方をしたすぐ後で「社会経験がないやつ」がボリューム層であってそいつらが俺より優っていると言ってるわけだ。支離滅裂だろう。

多分出まかせで適当言ってるからこうやって書き込み間の整合性が疑わしい状態になっていくんだろう。今俺がこう書いた後で「実はお前の言った通りのことを考えていた上であえてそうした投稿をしていた」と書いてもクソダサ後出しじゃんけんしかいからな〜。

しか無職ボリューム層と言ってる一方で「職は見つかった?」とさも無職が劣ったものであると言う前提の指摘をするのもちぐはぐしてるね。

そもそもはてな統計を参考・準用にしてるんだとしても、もし「無職」がボリューム層なら、年収統計所得0で最大になってなきゃおかしいだろっていう…。

焦点を合わせてるのはお前しかいないってのも何言ってるんだって話よ。

相手レベルに合わせて返す」を要素分解して「投稿は返す」かつ「投稿相手レベルに返す」と解釈したとき、前者に焦点を当てればお前は必ずトラバを返す人間なんだなって解釈できると言ってるだけの話なんだが。つまり相手レベルに合わせて」という修飾語句がついてようがなかろうが、「返す」という文言だけ見ればお前の執拗性が読み取れるって意味だよ。焦点を当てても当てなくても結局は「お前は投稿を返す」ということが読み取れるのは論理的に同じなのに(焦点を当てるという手法の有無の差でしかない)、俺以外の誰かが焦点を当ててるかどうかになんの意味があるんだって話になる。揚げ足取りにすらなってない。

ガソリンスタンド店員クーラーオイル補充するなんて整備まがいなことはしないのに適当言っちゃうのもスタンド店員エアプがでしゃばったバカ発言しかない。車体を拭くのを整備に含めるなら整備まがいと言うと語弊が出るけどその辺がせいぜいだよ。

法学生の尻馬に乗ってる」もなかなか支離滅裂レッテル貼りだったなあ。

これって法律談義を素人がすると悪影響とトラバしてる増田と、著作権保護させられて可哀想と言ってる増田が同一人物という前提がなきゃ成立し得ないことなんだが過去にも俺はそこ突いたのにお前はスルーしてるんだから今に至るまでのトラバ役割的に「逃げ口上」と解釈できる状態なっちゃってるというね。

保護させられて」と書いてあるだけで法律わかってないと勝手に察するのも意味不明だったな。

たとえば「ごりらがりんごを食べる」と「ゴリラりんごが食べられる」は、文法的構造は違っても、その指し示す物理的・現象的な在り方としては同一の事態を指している。書き手視点が違うだけ。

となれば「著作権保護する」「著作権保護させられる」も物理的というのは語弊が出るが現象としては同じだ。お前の言ったなんちゃら法理を理解してようがしてなからろうが、ものをいう時の視点が独特なせいで「させられる」って言い回しになってる可能性は否定できないよねって話。

ひじきのたとえも、確かにひじきのような食べ物に関しては一生断続的には食べ続けることが前提だから次いつ食べるかなど予測がつかないけど、増田場合どのぐらいの期間までツリー書き込みした後その後は見てもいないってことはある(俺でもある)からそうした過去の事例からぼんやりとでも自分が同一ツリーにどれだけ飽きずに入れ込めるかって予測が立てられるものだろ。なのにひじきをいつ食べるかと同列にして常識が無いって発想になる方が頓珍漢だ。

無意味投稿をすることがあるのもライフワークとしてこういうことを続けるのにいつでも意味にある投稿をする意味がないからだな。俺にとってはとりあえず相手が黙るまで投稿できたら自分の中で勝ちすなわち満足なので、投稿の内容にそこまでこだわる意味価値観上ないんだよ。だったら無意味投稿の方が手間がかからないしライフワークとして続けやすいってことはわかるだろ

しろ馬鹿馬鹿のふりしてるみたいな可能性よりこっちの方がよほど自然シンプル心理なのに、この心理に思い至らないってのは常識がないとか以前に根本的に頭悪いよね。

から、俺の投稿AIみたいとお前はいったが、なんなら言及を検知するたたびにAI自動投稿するようにしても別にいいわけよ。

でもAIだと警察が動くこと書きかねないことかんがえつと現時点で運用は難しいよねって話。

小女子の事例みたいになりうる文章人間だったらそれそのものじゃなくてもそうなりうるか判断ができるが、AI投稿を任せっきりにするってことはこうした判断まで任せっきりにしてしまうってことだからな。

まあそういうわけで俺も大した頭じゃないと思うけど少なくともこんな粗だらけののこと言ってるお前ごときが俺より頭いいなんてのは天地がひっくり返る可能性よりも低いかなと。

納得したら言い返さない?お前レベル発言には納得する要素がないってだけしゃん。(納得してても言い返すこと自体はするけどね。そういう意味自己紹介ってのはその通りだが俺の紹介になってるからお前の紹介になってないとは限らないので反論になってない。だから、お前はどうなの?)

2023-09-26

anond:20230926145004

初代とΖを同世代扱いするのは、バブル氷河期を同世代扱いしてるようなもんだよ

若い人にとっては違いがないように見えてるだけ

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

2023-09-22

円安日本雇用が増えたっていうけど

中身見たら非正規だらけじゃねぇか

しかもそのせいでワープア増えたか結婚する奴ら激減して予想異常に出生率悪化してんじゃねぇか

バブル弾けた時に派遣規制緩和してほらね雇用増えたでしょって氷河期作り上げたのと全く同じじゃねぇか

やっぱ自民党とその支持者ってクソだわ

2023-09-21

anond:20230921215411

氷河期ど真ん中、こんな世の中だけどこれからも一緒に楽しくやっていこう!

経営者サイコパス。なんていうけれども。

冷酷だなんだといわれるしそうなんだろうなーみたいな感じで昔は思っていた。

氷河期で色々あって社長になって9年。

この度、使えない社員をこの度悩みに悩んでくびきったが、

使えないやつほど良く吠えるし、ここでなあなあにした会社は潰れて残ってないんだなーという事が分かった。

2023-09-20

氷河期自己責任というくらいなんだから

ガソリン値上げ程度に文句言わないよなあ?

配られたカード勝負するんだろ?w

2023-09-18

氷河期世代は正しい歴史を発信し続けた方がいい

ほっとくと10年後とかに氷河期世代のせいでこんな経済状態に!こいつらがすべて悪い!みたいな事になるから

バブル崩壊とその後の中高年の雇用の維持の為に氷河期が座れる席全部奪われて、そのせいで経済全部が衰退するしかなかった

氷河期はWW2末期の特攻隊に行かされる新兵みたいな立場しかなかった

という流れだったことを発信し続けないと、未来フェミみたいな頭の悪い層が間違った言説を信じ込むようになるので

2023-09-17

anond:20230903090959

氷河期ゆとり結婚できてないだけで、Z世代婚姻率高いんだっけか

バイトするだけの行動力ある

anond:20230917090506

下の世代コスパ重視と諦めが蔓延してるから、これからサクッと妥当相手結婚するようになるぞ。結果、独身氷河期老人は頭の悪いゴミのように扱われて終了。

2023-09-15

anond:20230915222405

若者には氷河期を支える義務があるって言ったら若者切れそうだよな

氷河期世代は頑張って死ぬまで団塊世代を支えるけど

anond:20230915221739

まあ若者を食い物にする老人の自業自得よな。今の老人が作った悪評のツケを払わされる氷河期不憫だが、まあいものことよな。

2023-09-11

少子化対策若者結婚観なんて1年2年でパッと変わったり効果が出るもんでもないし、国も社会1020単位の長期スパンで考えてるだろ

今の20代30代はもう少子化対策にはあまり期待されてない捨て駒世代だよ氷河期と変わらん

今の10代とかが生きやすく産みやす社会にして次世代に期待しようぜ

2023-09-09

anond:20230909143149

まあでも少子化が見えてきた頃から老人世代が逃げ切るために氷河期までの世代をクソバカ楽観主義腑抜け政治に無関心になるように全メディアでそういう思想を刷り込んでいくっていう陰謀成就したと思う

2023-09-05

今の小学生って学校で予防注射しないんだな。

打たれ損 by氷河期

2023-09-04

anond:20230903222603

人付き合いが苦手なのと怠惰性格2011年氷河期卒で一度も就職したことがなく

いや、元増田はまず、バイトで良いから働けよ……。子供部屋おばさんじゃねーか……。性癖の解析も婚活もそれはそれで大事だが、あなたはまず仕事を通じて社会とつながるべきだろ……。

それに2011新卒はまだリーマンの影響残ってたとは言え氷河期とは言わねえよ……。

人付き合いが苦手なのも就職してないのも全部「怠惰」なことが悪いと思われるが、それで生きていけてんだから良いのかもだけど、ご両親の代わりの寄生先を見つける前にまずお前は自分自分を養えよ……。

2023-09-03

自分の性欲と性癖について聞いてほしい。【追記

30代女性

セクシャリティがよくわからないので性欲と性癖について聞いてほしい。

  

【幼少期】

小さい頃から性欲が強くよく父親の持っている週刊誌グラビアページを見てニヤニヤしていた。

セーラームーンアニメが大好きで戦闘シーンのパンチラレオタードなので正確にはパンチラではない)をコマ送りにしてもらって喜んでいた。

幼稚園親友女の子が用を足しているのをドアの上から覗いたり(ごめんなさい)公衆トイレ母親が用を足しているのをドアの下から覗いたり(ごめんなさい)公園母親スカートをめくって死ぬほど怒られたり(ごめんなさい)母親実家帰省したとき叔母の風呂を覗いたりした。(ごめんなさい)

ただその後ふつうに叔母に風呂に入れてもらったときは恥ずかしくてずっと下を向いていたので、単に裸が好きというより相手の意に反して隠されているところを晒したいという加害欲込みだったんだと思う。

  

女体に興奮するのとは別に手のひらサイズの小さくてかわいい生き物を狭い所に閉じ込めてつついたりしたいという欲求もあった。ディズニーの「不思議の国のアリス」で牡蠣赤ちゃんたちがまとめてセイウチに食べられるシーンの顔と悲鳴はたまらなかった。よく妖精のような生き物をいじめ妄想をしたけど自分はその対象が好きなのにいじめるとその対象に嫌われちゃうな…というジレンマがあった。

  

小学生時代

夕方再放送していた水戸黄門大岡越前で町娘が悪いおっさんに手籠めにされそうになるシーンにものすごく興奮した。ただ子供なので裸に剝いたあとどうするのかはわからなかった。

病院の待合室のテレビでそういうシーンが流れたとき明らかにいつもより人が見入っていてなぁんだみんな好きなんだとちょっと安心した。この頃まで性的対象女性だった。(本当に女性が好きなのかショタ男の娘みたいに性的客体化されていれば男性でもよかったのかはわからない)

  

中学生時代

オタク女性向けサブカル雑誌ぱふ」を読む。記事投稿コーナーで腐女子男性キャラに「美人」とか「エロい」と言って盛り上がっている様子を読んで「男の人をそういう目で見ていいんだ…!」「男性女性と同じようにオカズ要員として扱う界隈がこの世にあるんだ…!」という人生最大のカルチャーショックを受ける。ここらへんで主な性欲の対象男性に移り変わる。

リアル恋愛には興味がなく周りの女の子たちがどうしてアイドルや恋バナに夢中になっているのか理解できなかった(今でもどんな人がタイプ?とか嵐だと誰が好き?と聞かれてもわからないので困る)

  

高校生時代

テニプリBLEACH銀魂リボーンなど腐女子に人気のあるジャンプ漫画の全盛期で毎日起きた瞬間から寝る直前まで推しキャラ推しカプのことを考えていた。一番好きなのはけがモブおじさんや攻めにレイプされる展開でそういう二次創作を読んだり妄想したりした。

メインで好きなのはBLだったけど平行して女体に興奮するヘキも残っていたので、ドラマ漫画女性登場人物ヌード写真集を見て嫌がるシーンを見て「これが一般的女性の反応で見入ってしま自分は異常なのではないか…」と不安になる。

  

大学生時代

ゆっくり虐待にハマる。ウザいゆっくり制裁を加えるよりキュートアグレッションの文脈性的虐待する展開の方が好きだった。これは自分でもさすがにヤバい趣味だと思うので誰にも話したことはないし記憶に蓋をして努めて考えないようにしている。

  

この頃から刀剣乱舞など女性向けキャラカタログコンテンツ流行し、少年漫画には存在しなかった自分アバター作品内に登場したこと男性キャラ×自分にも萌えるようになる。(メインは男性キャラ×男性キャラ活動してたけど)

思春期のころは自分の全てにコンプレックスがあって(今もあるけど)自分がかっこいい男性キャラ特別関係になるのが厚かましいようで苦手だったんだけど、普段性的客体化している男性キャラへ向ける攻撃性を自分へ反転すれば夢妄想もイケることに気付く。かっこよくて悪い攻めキャラレイプされたり利用されて捨てられる妄想が好きになる。

  

現在

性欲が減退したのか妄想二次創作自体以前より楽しめなくなった。BLはそこまで興味なくて男性キャラ×自分妄想してる。(内容は催眠とかレイプとか)

フィクションより現実世界のことに興味が出てくる。

  

ここから悩み相談になるんですが

女性なのに女体に興奮するのはなぜなのか?バイなのか?

②幼少期から現在に至るまでレイプものが一番好きなのは異常か?

キュートアグレッションがあるのはヤバいか?

  

①について

以前朝日新聞人生相談コーナーに「私は男性が好きで結婚もしているけれどAV鑑賞が好きで、若い頃は女友達と観てゲラゲラ笑ったりしていた。これはどういう心理なのか?女優感情移入しているのか?」という相談があって、上野千鶴子が「女体=エロい 男体=エロくない という社会ジェンダー規範内面化していれば女性女性性的興奮するのは何もおかしなことじゃない」的な回答をしていて長年の疑問が解けた…!と思ったんだけど、その理屈だと私が社会経験の乏しい幼少期から女体の秘匿された部分に強い関心を持っていたのが説明できないのでは…?やっぱり本能なのか?と気になっている。

②について

DLsite乙女向けランキングでは無理矢理凌辱系が常連なのでそんなことはないと思いたい。

ただレイプものが好きと言ってもポルノあるいは自分ポルノ認定した作品レイプ展開が好きなのであって、普通に楽しんでいた作品キャラクターがレイプされるとショックで何年も引きずったりする。「日出処の天子」の刀自古と「ダウントンアビー」のアンナの件はトラウマになっている。

③について

最近セイレーン味噌漬けにされるモブいかわ族に加害欲を喚起されて困っている。(嫌いだからいじめたいんじゃなくて可愛いからいじめたいという気持ち

  

なんでこんなことを聞いてほしいのかというと自分性癖がはっきりしないまま婚活とかしていいのかな…?と気になったから。

人付き合いが苦手なのと怠惰性格2011年氷河期卒で一度も就職したことがなくて婚活市場スタートラインにすら立てないのと中学から大学卒業までぼっちで一時期いじめられたり学校生活にろくな思い出がなくてもし子供なんかできたら自分黒歴史再放送を見る羽目になりそうなのが不安で今まで一度も人とお付き合いしたことがない。そもそも人に恋をしたことがない。

一人の方が気楽だけど「二次元キャラじゃない生きてる人間恋愛する」「セックスする」という人生の実績解除をしたい気持ちもあって…めちゃくちゃ自分本位で申し訳ないですが…。

そこで自分セクシャリティとか性癖に引っかかるところがあるのにそれを隠したまま恋愛とか婚活するのは不誠実かな?というのが気になって行動に移せないでいる。あと男性は慣れてない分自分性的客体化されるのは嫌じゃないか?とか。

  

まとめると

女性なのに学生時代勉強に集中できない程エロいことで頭がいっぱい

・ドハマりしたキャラの8割は男性だけど視覚的にエロいと思うのは男体より女体

男性を好きになるのにも腐視点と夢視点で二種類ある

リアル人間に恋をしたことがない。テレビで見てかっこいいなと思うことはあっても熱が持続しない

性的妄想は好きだけど自己肯定感が低いからか自分リアル当事者になるのは嫌悪感や恥ずかしさがある

・性欲と加害欲が結び付きがち

  

アラサーあたりから下の二項目が結びついて「自分性的客体化されることが地雷な私が犯されるのを客観的に見て可哀想だと思って興奮する自分」みたいなよくわからないことになってる。まあSとMは表裏一体とも聞くし…。

「性欲と加害欲をぶつける愛しい他者」が「性欲と加害欲をぶつける愛しい自分」にチェンジしたのかな?そう思うと人生の主役が30代半ばにしてやっと二次元から本人になった気がするけどもう手遅れな気がする。

  

追記

長いのでそもそも読んでもらえないんじゃないかと思っていたのですが皆さん意外と真面目に読んでくださって体験談アドバイスなどもいただけててうれしいです。特に同じ女性と思しきユーザーから共感AV男性向けアダルトコンテンツ好きな女性も多いのがわかってほっとしました。

もっとボロクソに言われても仕方ないと思っていたら意外と「ごく普通、実行に移さなければ問題ない。婚活でもわざわざ言う必要はない」というブコメが多くて驚いています

性癖」の誤用についてめちゃくちゃ指摘されてた。日常的に誤用の方で使っていたのでつい…以後気を付けます

あと「一度も就職したことがない」と書いたので「子供部屋おばさんニートなのか?」とのコメントが多かったですがバイトはしてます。(パートアルバイト場合就職という言葉は使わないそうなので)子供部屋おばさんなのはその通りです お恥ずかしい…。

以下答えられそうな範囲で返信。

  

女性女性に対しての欲望を持つって言うのはラカンかなんかで読んだ気がするな。ほぼ忘れてるから説明できんけど笑

"女は存在しない"だっけ。

男のホモセクシャルというのは存在するが女のレズビアンはない、女を愛するのは(身体)男にとっても(身体)女にとっても正常。

なぜなら(身体女は存在するが)精神が女は存在しないから、

みたいなこと書いてあった希ガス。」

  

「女は不死である」って本ですかね?すごく興味を惹かれました。読んでみたいです。

  

「なにが元増田に対して言いたいかって言うと、自分性癖に怖がらずに、むしろ色々取り入れたらいいんじゃないかってこと。あとレイプ陵辱暴力は確かに興奮するけど、例えるならばめっちゃ味の濃い料理なので、そればっか食ってたら舌が鈍くなるんじゃないかってこと。まあ鈍くなってもいいと思うけどね、自分人生だし。」

  

味の濃い料理めちゃくちゃわかります…!どんどん強い刺激に慣れてしまってふつう萌えに不感症になるのよくないですよね…。

  

「②については仕事してた身から言うと、受ける側が積極性を持たない極限がレものだ。マグロフィクション版というか…。ただそこに首絞められとか腹パンされ嘔吐、腹ボコなどが入ってくると別の願望になるよ」

レイプって自分から何かする事ないし、なんならセックスするかどうかの決定自体も「されてしまった」にする完全なる受動的性行為なんだよ。」

  

めちゃくちゃ納得しました。よく「令嬢が政略結婚させられるけど実は両想いで…」みたいなTL漫画広告が流れてきますがそういう「良好な人間関係を築く手間をすっ飛ばして素敵な相手と一緒になりたい」みたいな需要もっと極端なやつってことか。

    

婚活理由が「恋愛」と「セックス」だけど、婚活とはそこ意外と関係いから気を付けて。

婚活は「これから人生を共に生きるパートナー」を見つけるところであって

恋愛したことない人を恋愛させる機関じゃないぞ。セックスの可否ももちろん夫婦生活に影響でるけど…』

「それよりも、自分結婚が本当に必要かどうか、掘り下げた方が良いのでは。」

婚活は時期尚早ではないかな まず出会いの場に行って自分が人を好きになる感覚があるのかトライしつつ、自分の食い扶持を自分で稼ぐ経済的自立をするのがまず大前提では」

  

それは本当にそうですね…。言われてからよく考えたら「結婚したい」じゃなくて「結婚したいと思えるほどリアル世界好きな人が欲しい」だったかもしれません…。

  

『「女性エロいことに興味がないもの」みたいな社会通念が女性の生きづらさに繋がっている気もする。性別関係なく性欲の多様性はある』

  

実際最近女性の性欲について解説した増田の内容が非常に理性的だったのと、「俺のイメージする女性の性欲に近い」というブコメが上位に来ていたので「そうじゃない奴もいるよー」と知ってほしくて書いたところはあります。(ただ私の文章読んで女だって性欲まみれじゃないか!と思われるのも世の女性迷惑かけないか心配になってきた…)

  

「言っちゃ悪いけどクソしょうもない凡庸な悩み。長文書いていいのはやかんが沸騰するの見て興奮するとかそんなレベル。」

「正直どうでもいい凡庸自分語りだけど一度も就職したことなくて今何してるんだ?婚活してる場合だろうか。たぶんその前に友達作るとこから始めた方が良さそう。性癖以前にコミュニケーション問題ありそう。」

  

そう言われましてもアンケートとか取ったことないし本当にわからなかったので…。みんな普通に友人と何に勃つかとか何に萎えるとか会話するものなんですか?羨ましいです…。

  

「こういう長文を書くのは最も増田らしい増田の使い方のひとつだと思うしみんなどんどん書いてほしい。」

  

優しい。

  

性癖や嗜好よりも学生時代いじめコミュニケーション不全の方が問題現実逃避からやっと今に目が配れるようになったと。あなたに告げたいのは「これからよくなるから大丈夫」てこと。』

  

優しい。泣く。

  

「性欲が強いと豪語するなら、自分自慰行為や性行為について語らなければそれは性欲として見做すことは間違っている。同性が性的に辱められている不様さを愉悦する悪趣味なだけだ。同性の友人の不幸にも興奮してそう」

  

それは全然違います男性キャラレイプされると女性キャラと同じくらいかそれ以上に興奮するので「同性が性的に辱められている不様さを愉悦する」には当てはまらないし、本文にも書いてありますが「好きor可愛い」と思っているキャラがひどい目に遭う展開に興奮するのでむしろ制裁されてスカッとするようなキャラレイプされも全く嬉しくありません。

「同性の友人の不幸にも興奮してそう」←尊敬するフォロイーの痴漢され報告ツイートを見てその人の良さを何も理解していない知らない男に雑に消費されたのが悲しくて未だにふっと思い出して嫌な気持ちになるのでそういうことを言われると腹が立ちます侮辱された気分です。

ゆとり世代ってバカにされてたけどよく考えたら日本最後希望だよな

上は氷河期バカ

下はZのキチガイ

こいつらに挟まれてる事を考えればよくやってるだろ

こいつらが潰れたら日本は終わりだよ

anond:20230903144945

そいつ2010年代以前にはネトウヨやってた連中だと思うよ。

攻撃欲が強い奴は外敵認定した相手を叩いて気持ちよくなる。

派遣切り流行ってた頃に非正規差別してた連中は自己責任を旗印に「負け組み」を叩いてた訳だけど、それが弱者男性スライドしただけ。

氷河期の頃の自己責任棒をポリコレ棒に持ち替えた。

2023-09-02

anond:20230830203626

JTC時代に、新入社員として、Bさんのような社員サポートにつけられたことがある。

「A山学院大学英文学を専攻していました」

自己紹介したBさんはホラン千秋に似た、いかにも海外営業といった容姿独身女性であった。

しかし、Bさんに質問をしても

「私も異動してきたばかりで何も分からないの」

と困ったように微笑むばかりであった。

事実彼女自身仕事についても何も知らなかった。

どんなにつまらない社内向けの書類でも、OSアップデートでも、Bさんは胸にメモを押し頂くようにして、別の社員に教えを請いにいった。

わたし能力は人並み以下だが、危機察知能力の高さには自信がある。

初日、Bさんから一日半かかると聞いたパソコンセットアップが1時間弱で完了した時、

(この人の言うことは本当に信用できるのか?)

という疑問が生まれた。

Bさんと担当するプロジェクトについては、Bさんから

「開催はだいぶ先だから今することはないの。

何もすることがないのはつらいかもしれないけど、緩急のある仕事から仕方ないわ」

もっともらしい話を聞いていた。

しかし、念のため、わたし自身の予習を兼ねて過去メールを読み返すことにした。

すると、Bさんが回答する必要があるメールが何通も月単位放置されていることに気付いた。

JTC風にいうと、「ボールはこっちにある」というやつである

プロジェクトはとっくに動き出していたのだが、Bさんが返信を怠ったせいで数か月ストップしてしまっていた。

相手方から数度にわたって催促のメールが届いているメールさえあった。

なぜ返信しないのか聞くと

「私に返信を求めているとは思わなかったわ。解釈の違いね

と会話を打ち切られてしまった。

わたしは数日目にして、まずい状況に身を置いていることに気付いた。

そこでチームに「状況の」やばさをアピールしつつ、彼女の顔を立てながら、プロジェクトの遅れを取り戻そうと必死になった。

Bさんはとくに焦るでもなく、

増田さんは配属されて一か月なのに、もう何年も働いているみたいね

とまんざらでもなさそうだった。

わたしはBさんに仕事を教わっているという体であったので、成果物はすべて彼女個人フォルダに保存することになっていた。

自動で保存される更新履歴を見るかぎり、彼女はもう自身フォルダを開いていなかった。

おもな作業者わたしを筆頭としたBさん「以外」の社員であり、作業の進捗を管理し、遅れや不足に気付くのもわたしたちだった。

Bさんは仕事優先順位をつけることができないという点で、会社員として絶望的だった。

期日等は考えずに自分がこなせる単純な仕事だけ片付け、それ以外は放置して忘れてしまう癖があった。

わたし彼女タスクに気付くと、その背景と彼女がとるべきアクション説明して、例えばメールならわたしが背後で文章を読み上げてタイプしてもらった。

わたし時間がとれなくなると、メールの本文を代筆して送り、名前だけBさんのものに変えてもらった。

簡単タスクを与えずに放っておくと、気まぐれに取引先のメール

「〇日ですね。承知いたしました」

などと返信してしまうことがあった。

それに気づくたびに

「Bの部下の増田です。その日程は別件の立ち合いのため厳しいです。

×日、または△日でいかがでしょうか」

などと真逆の内容の訂正メールを送ることになった。

取引先の担当者たちは察しがよく、Bさんのメールに返信することをやめ、わたしと直接やりとりするようになった。

Bさんは「契約書」や「議事録」といった基本的ビジネス用語、また「アダプタ」や「URL」といったPC関連の固有名詞をまったく知らなかった。

クラウド」や「AI」といった近年の技術をすべて「システム」と呼び、

学校で習わなかった」

と不満そうにしていた。

「やりたいか説明して」

マニュアル作成して」

と言うのでその通りにすると感謝されるが、知識ノウハウよりも、自身の向学心を表現することに満足してしまうようで、マニュアルは一度も開かれないままだった。

実際、目の前にあることに対する好奇心は強いかただったと思う。

会議などに出席する機会があると

「聞いてるとなかなか面白いわ。オススメよ」

などとうれしそうにしていた。

なお、わたしはその時、彼女の代わりに翌日提出予定の議事録報告書を起草していた。

ある昼下がり、顧客との打ち合わせに向かう前に急ぎの仕事を片付けていると、彼女が言いにくそうに話しかけてきた。

「あのね、増田さん、気付いてるかもしれないけど、わたし、実は…」

(またわたしの知らない熟成案件が?まさかから会う会社関連のなのか?)

青ざめるわたしをよそに彼女はこう打ち明けた。

わたし、実はキティちゃんが好きなの!このポーチキティちゃんだし、定期入れもキティちゃんなの!」

(え?今、その話するの?私、あと15分で打ち合わせに入るんだけど?というか、Bさんもですよね?)

彼女は放心状態わたしに対して、キティちゃんとの出会いからご当地キティちゃんを追いかけて京都沖縄を旅したことについて語ってくれた。

彼女お気に入り旅行先は南国で、「何もしないでぼうっとするのが好き」とのことであった。

ある日、彼女口内炎になった。

わたしは何の医学知識もないのに、彼女口内炎の経過を毎日30分近く聞かされることになった。

口内炎が完治する頃には、チームの全員が彼女口内炎について直接聞いて知っていた。

数分後に経営会議を控えた幹部を呼び止めてブリーフィングすることすらあった。 

季節は真夏となり、わたし名実ともにBさんの業務を代行していた。

その頃にはBさんは社内外で完全に孤立しており、話の長いBさんに話しかける人はいなくなっていた。

Bさんは自身の行いを省みることなく、

「みんなオトコだから若い女性が好きなのね。だからわたしに冷たいんだ」

「この会社は古いから、新しい仕事のやり方が受け入れられないんだ」

といったとんちんかん愚痴を言っていた。

彼女とて社内外の担当者が彼女スルーしていることに気付いていたはずで、無理やりでも責任転嫁することで自分プライドを守っていたのだと思う。

同時期に私は驚くような事実を知った。

口癖のように「わたしも配属されたばかり」と言っていたBさんは、実は私に1年前に異動してきていた。

しかも、だいぶ若々しく見えるが、新卒入社して勤続30年近い管理世代社員だったのである

このあたりでわたしの中の何かが決壊してしまった。

当時、わたしがBさんに感じていたのは、自分理解できない存在に対する本能的な恐怖であった。

私が英日ネイティブだという話をすると

「私も英語は得意なの。英語力をキープする方法はある?」

時期的に就職活動が難しかったという話をすると、

「私の年も氷河期で一番入りたい企業に入れなかった友人がいたわ」

共通点アピールしてきた。

わたしがBさんの英語能力を目にする機会はなかったし、彼女の同期(管理職)によれば彼女バブル世代である

彼女はそういった意味のない嘘をつく癖があった。)

しかし、わたしたちの間に横たわっていたのは、世代学力の差といったレベルでは片付けられない、まったくの断絶であった。

彼女瀟洒スーツを着て滑らかな日本語を話す、かぎりなく会社員に近く、(わたしの考える)会社員ではないものだった。

わたしは早朝のランニングをやめて、仕事の整理をする時間を作った。

毎朝「今日自分がすること」と「今日Bさんにさせること」の二つのリストを作って、スマホスキャンし、会社メールアドレスに送信した。

わたしの体は謎の存在対峙することに疲れ果てていた。

とにかく甘いものが食べたかった。

趣味を楽しむ心の余裕はなくなっていた。

書店に行って本を選ぼうとしたが、何を選んだらよいのか分からなかった。

口座には毎月自動的に振り込まれ給料が貯まっていた。

学生時代図書館で借りるしかなかった学芸文庫だって買えるのに、何を手にとってもときめかなかった。

本を選ぶことができず、例のメモ用のフリクションペンを買った時、自分が変質してしまったように感じた。

会社の最寄り駅に近づくと、吐き気めまいに悩まされるようになった。

自分が同期の中でも期待されていないから、Bさんのお守りを押し付けられたのかもしれない」

という疑念を振り払うことができなかった。

わたし同級生から海外労働事情について聞いていたので、日本終身雇用制について好意的にとらえていた。

しかし、何かの予算で1000万円という金額を見た時に、Bさんが

「1000万円なんて私ももらったことないのに」

と不満げに漏らしたことがあった。

それを聞いた瞬間、数々の疑問が湧いてきた。

年功序列とはいえど、新卒一括採用という一発勝負で、何もできない社員に1000万円が現実的に思える額の給与を与えるのはどうなの?

子供のような年の社員にお世話係をさせてまで引き止める必要があるの?

それ宝くじとどう違うの?わたしオポチュニティはどうなるの?

仕事が極端にできない社員には引導を渡して、パソコン契約もない、指示が一行で完結するような仕事に就かせた方が本人も周囲も楽なんじゃないの?

とくに出来がいいわけでもないのに、そんなことを考えてしま自分嫌悪した。

結局、わたしは冬頃には会社に対する信頼を失っており、1年を待たずに外資系企業転職した。

会社の育成計画的にはわたしも失敗作なので、その点に関して言い訳をする気はない。

しかし、Bさんは給与について文句を言いつつも、おそらく転職機会がないという消極的理由から、今も会社に居残っている。

災厄のような社員解雇できず、中途半端な高給を与えて飼い殺すシステムは疑問だし、そのつけを他の人に払わせるのはもっと疑問。

2023-08-30

anond:20230830203626

ブコメで「学歴だけ立派な詐欺師」みたいに叩かれているけどさ、生まれつきの人間力ボロボロな人が学歴だけは必死に身に着けて社会に食い込んだ話普段は皆大好きなのにおかしいよね。

「僕はアスペで何も取り柄がないから頑張って勉強して何とか正社員になりました」って増田に対しては「よくやったね」「増田は立派」「俺も頑張って勉強すればよかった」「出来る努力をしないで甘えてばかりいる氷河期はこれを見習え」みたいなコメントが雨霰のようについてエヴァ最終話みたいに褒められるのに。

いざ社会でそういう人が働きだしたら「生まれてきたのが間違い」「モンスターから近づいちゃ駄目」「人間だと思うな」「終身雇用悪夢」みたいに言われるんだよね。

本当、ネット人間って身勝手だよ。

簡単想像できる裏表さえ無視して上っ面だけなぞってその場限りの好き放題なことを言うんだから

チョコが実質値上げしているとか許せねえ!」と「カカオ農園待遇人権侵害!」を同じ口で言う奴らばかりでウンザリする。

他人のことに想像力を働かせようなんて気持ちは1ミリもなく、インパクトのある上辺だけをチェリーピックしておいて「人の気持ちに隅々まで共感できるワテクシって凄い」とコメントしまくるんだからマジでキモいよ。

マジでキツいよ。

なんでこんな想像力と共感能力が欠如した奴らだらけなんだろう。

他人の状況」に対してまともに考えを巡らせることが超絶レアスキルになってて怖い。

皆が皆その場限りのポジショントークを喋りまくって、自分が同じ立場になったら対岸の頃に喋ってたこと全部忘れて今の立場自分のためだけのポジショントークを平気で繰り返して、それが自分本位だってことにさえ気付かねえ。

マジで頭悪すぎて気持ち悪いよ皆。

ケーキが切れないラインIQ70とか言うけどさ、俺たちが期待する人間らしい思考能力ってIQ170ぐらいの代物なんじゃねえかな。

ぶっちゃけ言ってる俺もしょっちゅう出来てなくて、思い出す度にこの程度のことも出来ねえで勝手なことを正義ぶってほざいてた自分が嫌いになる。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん