はてなキーワード: 氷河期とは
ブコメで「学歴だけ立派な詐欺師」みたいに叩かれているけどさ、生まれつきの人間力ボロボロな人が学歴だけは必死に身に着けて社会に食い込んだ話普段は皆大好きなのにおかしいよね。
「僕はアスペで何も取り柄がないから頑張って勉強して何とか正社員になりました」って増田に対しては「よくやったね」「増田は立派」「俺も頑張って勉強すればよかった」「出来る努力をしないで甘えてばかりいる氷河期はこれを見習え」みたいなコメントが雨霰のようについてエヴァ最終話みたいに褒められるのに。
いざ社会でそういう人が働きだしたら「生まれてきたのが間違い」「モンスターだから近づいちゃ駄目」「人間だと思うな」「終身雇用の悪夢」みたいに言われるんだよね。
簡単に想像できる裏表さえ無視して上っ面だけなぞってその場限りの好き放題なことを言うんだから。
「チョコが実質値上げしているとか許せねえ!」と「カカオ農園の待遇は人権侵害!」を同じ口で言う奴らばかりでウンザリする。
他人のことに想像力を働かせようなんて気持ちは1ミリもなく、インパクトのある上辺だけをチェリーピックしておいて「人の気持ちに隅々まで共感できるワテクシって凄い」とコメントしまくるんだからマジでキモいよ。
マジでキツいよ。
なんでこんな想像力と共感能力が欠如した奴らだらけなんだろう。
「他人の状況」に対してまともに考えを巡らせることが超絶レアスキルになってて怖い。
皆が皆その場限りのポジショントークを喋りまくって、自分が同じ立場になったら対岸の頃に喋ってたこと全部忘れて今の立場の自分のためだけのポジショントークを平気で繰り返して、それが自分本位だってことにさえ気付かねえ。
ケーキが切れないラインがIQ70とか言うけどさ、俺たちが期待する人間らしい思考能力ってIQ170ぐらいの代物なんじゃねえかな。
ぶっちゃけ言ってる俺もしょっちゅう出来てなくて、思い出す度にこの程度のことも出来ねえで勝手なことを正義ぶってほざいてた自分が嫌いになる。
私は1966年生まれの還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。
こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議な現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。
しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年生まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。
ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球大医学部でボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。
そして1989年に就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業の採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定者接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界のトップティア企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰な学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。
入社後も新人時代は飲み会後タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員がビジネスクラスで出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブルは崩壊します...
こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身の幸運と迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。
と同時に、おそらく今の出生年80万人世代は受験や就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供に感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。
なんか、この増田 そもそも女性の言う「男らしさから降りる」って何? とか「男らしさから降りる」ってことについて話題になってるので、弱者男性の当事者から見た「男らしさから降りる」の定義を考えたい。
なお、増田の当事者性を示すと、独身、低収入、氷河期、障害者、交際経験無しなので、十分と言えると考える。
いわゆるレディファースト、重い荷物を持つ、デートの費用を負担するなど、父権主義的、騎士道精神的な行動を行わない。
これは、SNSで「フェミ騎士」とか「チン騎士」と言われるような、フェミニストの主張を擁護し、他の男性を(時に過剰に)批判するような姿勢を含む。
「宇崎ちゃん」や「月曜日のたわわ」といった、フェミニストとオタクの利害が鋭く対立する問題がある。このようなときに、妥当な交換条件や、譲歩を得られないままに、一方的に譲歩しない。
相手が、一方的な譲歩を求め、政治的な力で圧力をかけてきた場合は、弱者なりに反撃する。それは、例えば暇空茜にカンパするといった手段などが考えられる。
ただでさえ、弱者男性の分け前は少ない。だから、私たちから奪うことは許さない。
これは、「男女共同参画」に大きな予算がつき、貧困女性の支援から、エリート女性のクォータ制まで政策課題として推進されるのに対して、男性の自殺問題など「ガラスの地下室」が一向に顧みられない状況も含む。
しかし、そもそも弱者男性は女性と異なり顧みられない存在、どうでもいい存在、社会のゴミ、お荷物なので、助けてくれと言っても無駄だ。だから、社会に対する非協力、拡大自殺と呼ばれるような暴力で無理やりにでも「社会問題」にするしかない。
だから、まず、例えば家族を養うなどの男らしさを放棄することが考えられる。一家の大黒柱が、いきなり仕事をやめるのは、男らしさの否定である。あるいは、別居に伴う婚費の支払い、婚費の負担に耐えかね調停で不利な条件を飲む、その後の養育費の支払い負わされるといった例が珍しくないが、資産の処分や退職、自殺といった焦土作戦は非常に男らしくないだろう。
結婚していない弱者男性の場合は、社会の中でただでさえ少ない分け前しかもらえない中で、責任を負うことなどできない。むしろ、そもそも責任を負わせてくれることもない。だから、非社会的に振舞い、責任を回避し「お荷物」になり続けるしかない。