はてなキーワード: 月並みとは
まだ若い頃の話。天性のコミュ障に加え前職の家族経営型ブラック企業のトラウマで超絶コミュ障に陥っていた私は、なにか失敗をするとフリーズしてひたすら謝るしかできなくなっていた。少なくとも職場で大人がする態度ではないひどい振る舞いだけど、本当に会社や会社の人が怖くて仕方なかった。けれど、上司はそんな私に呆れたりキレたりすることなく、まるで子供に諭すように冷静に、ミスを責めるつもりはない、どうしてそう考えたのかを知りたい、と言った。びっくりした 会社というところでそんなに理性的なやり取りがあるものなのかと 私は一発で彼の役に立ちたいと思ってしまった。それからは必死だった。新しい仕事を覚えて、少しでも多くの量をこなそうと、ない頭をフル回転させて仕事にあたった。それなりに成果は出たと思う。上司に褒められたかったし、なんでもはできなかったとしても何か光るところのある部下だとは思われていたかった。ただ提出物にOKをもらうだけで一日中じんわりとした喜びがあった。おかしな思慕をしている自覚はあった。でも、私は不細工だ。生来の発達気味なのもあって全体的に清潔感がなくてぐちゃっとしている。このままではよくある「キモい社員に業務上必要な程度の愛想で接していたら惚れられた」ってやつになってしまう!だから極力感情を出さずに、業務上最低限の会話しかしないようにした。まあバレバレだったかもしれないけれど。それから少しの年月がたって、会社はゴチャゴチャして、上司は転職していった。それを聞いてからはほぼ病んだと言っていいぐらい落ち込んだけれど、とても月並みな感謝を伝えて見送った。最後に上司は一言だけとても嬉しい言葉をかけてくれた。その言葉は今でも心の支えになっている。いまその上司がどこで何をしているかは全然知らないけれど、幸せになっていてほしいなと思う。あなたと仕事ができて、幸せでした。ありがとうございました。
先によくある質問への回答
a.1度wais-3を受けて発達障害じゃないと言われ(知能指数は具体的には覚えてないが言語性動作性共に平均値で差もなかった。)、「一つ一つのことをゆっくりこなしましょう」と月並みなアドバイスを頂き、セカンドオピニオンへ。そこでもwais-3や性格診断諸々やったが、発達障害ではないと言われました。発達障害ではないです。
私がワーキングメモリの低さを感じる時は仕事で指示を受けた時や会話をしてる時だ。例えば、作業Aに取り掛かかりに行こうとした時に、上司から「それをしに行くなら作業B(そこそこ時間がかかる)を先にしてきて、帰りに物品Cを取ってきてもらえる?」と言われたとする。聞いた時点では「完全に理解した」状態なのだが、作業Bをやり終えだ後、作業Aも終わった時点で、物品Cの件を完璧に忘れてしまう。メモ書く余裕がある時は忘れないのだが、メモが無しで完遂した事が1度もない。最初は「平気平気」と萎縮させないように気遣ってくれた上司も、転職してから2年目となると「お前時々やる気ない時あるよな?」と釘を刺してくるようになった。なるべくメモは取るようにしているが、メモ取りが酷く遅いので「それぐらいメモとらないでいいから早く行ってきて」と急かされ忘れることが多々ある。
それと、マルチタスクが壊滅的に苦手だ。作業中に電話がくると、作業から電話への頭の切り替えが上手くいかず、電話先の声が音としては聞こえるが情報として処理できない状態になる。謝りながら再度聞き取り、上司に取り付いだりりするのだが、1つ前にやってた作業が何をしていたのか完璧に抜け落ちてしまう。これは通話に限らず、作業中に話しかけられた時にでも発生する。雑談しながら作業が壊滅的に出来ないので、上司や先輩に日常生活会話をもちかけられた時は作業の手を止めて、脳のメモリをフルに会話に使うはめになる。(話し上手ではないので、喋るだけで脳に負荷がかかりすぎてる可能性もある。)
口語でのやりとりを頭に留めておける自信が無いので、チゃットやメールが主軸で仕事が進む業種があればそこに行きたい、とよく思う。
頭が悪いと言われればそれまでだけど、脳機能が改善するなら改善させたい。口語コミュニケーションに難が出てくるので、働くことと自分の将来が酷く怖くなることがある。もしも私のような経験がある人間の改善エピソードがあれば教えていただけると嬉しい。改善の参考にしたい。
その頃自分はM1からM2に上がりたてで、HCI系の研究室に所属していたが特別ブラックというわけでもなく(直接指導にあたる教員との相性は悪かったが)、記事を読んでも筆者の境遇に思いを馳せるぐらいの月並みなことしかできなかった。
それでも、HCIは「一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ」るという主張に心から共感したことは覚えている。「おもちゃ」という表現がぴったりだと感じたのだ。「ゴミ」とか「クズ」ではなく、「おもちゃ」。自分も含めて学士・修士の研究は大半がゴミ同然なのだろうけれど、どうしてかHCI研究の一部は「おもちゃ」であるように思えてならない。当時その理由を漠然と考えてみたりもしたが、結局まとまらないうちにほとぼりが冷めてしまった。
今、自分は修士課程を修了して労働をしている……が、このご時世なのでここの所はずっと自宅待機で時間を持て余している。だから、今のうちに寝かせたままのもやもやを整理し、言語化しておきたい。そういうわけで、増田に書くことにした。
一応断っておくと、これから書くことは修士卒の人間の主観に満ちたお気持ち表明であり、HCI全体のごくごく狭い領域の事情を述べているに過ぎない。HCIの学際的な領域は多岐にわたるが、その中でも自分は記憶・感情・コミュニケーションといった人間の精神的な活動をコンピュータ技術で支援しようという趣のことをやっていたから、余計におもちゃ性の強い研究に触れる機会が多かったのかもしれない。そのあたりを踏まえた上で、読んでもらえると幸いだ。
HCIが立派な研究であるかどうかは、HCIおもちゃ問題を考える上で大きな問題にならないと自分は思う。正しく研究のフォーマットに則ってさえいればそれは研究と呼ぶ他ないはずだし、研究の質的な議論は何もHCIという分野に限られたことではない。
学問の有用性は、例えば人文学の軽視だとか、もっと次元を低くすれば三角関数を習う意味だとかで、これまたよく議論の対象となる話題である。自分としては、一般的な学問に関しては直接的な人間への有用性という観点のみで議論されるべきではないと思っている。学問による間接的な恩恵や将来への投資を無視するのはあまりに浅慮であるし、根源的な欲求の充足というのにも価値はあるはずだと考えるからだ。
しかし、HCIは例外だ。HCIは、人を対象とし、大半の場合はエンジニアリング的なアプローチによる課題解決を目指しているのだから、人の役に立たなければ意味を持たない。しょうもないHCI研究は、道具・ツールとして失格の烙印を押されたガラクタの「おもちゃ」なのだ。
自分は、ワゴンいっぱいのガラクタのおもちゃの中にあって気持ちがみるみる冷めていったし、元増田の筆者もきっと同じだったのだろう。
ここからは、自分がおもちゃだなと感じてしまうHCIの特徴について列挙していく。
遊ぶように楽しめる何かを作ること自体は結構だが、課題解決を目指す工学において繰り返しに耐えないモノを作るのは全くのナンセンスだ。
それこそ、人間にとってのお役立ち度は、縁日の射的の景品やヨーヨーと全く変わらないということになる。
HCIの研究やプロダクトが役に立つ前提として、人間というのは常に明るく元気で前向きで、人と繋がりたくってしょうがない生き物なんだと考えているんじゃないかと思わされることが何度もあった。確かに現在の社会においてそのような人々は理想的で偉いのかもしれないが、現実を見ればそのような前提を掲げられるはずもないことは火を見るより明らかだろう。
また、人々に高度な認知的能力を要求するような例も多いが、そのような人々がいくらかエンハンスされたとしてもそれに対するHCIの貢献度は、はじめからA判定の生徒を受け持つ家庭教師のような疑わしさが持たれて然るべきだ。
これは元増田にも指摘のあったことだが、他分野を無理のある形で援用してトンデモ仮説を作るようなことが見受けられた。逆ソーカル事件といえるようなことが、あちこちで起こっているんじゃないかと思う。
大いなる研究の礎として失敗した研究が存在するという考え方があるが、おもちゃHCIは礎たりえない。それは、そこに積み上げられるものが全くないか、あるいは逆にバベルの塔を建てようとしているからだ。つまるところ、未来が両極端なのだ。
当たり前のことだが、何もHCI全体を否定しているのではない。優れた研究・研究者は数多く存在しており、今後も我々の生活を豊かにしてくれるのだろう。
ただ、おもちゃHCIが存在するのも事実で、それに関わると残念ながら莫大なリソースが無駄に終わってしまうから、ちょっと口出ししておきたかったのだ。
A. 最低100万円。
理由は株取引は1単元ごとだからです。たいていは1単元100株。価格が安い1株1,000円の銘柄でも1単元10万円からしか取引できないのです。やろうと思えば50万円程度あれば始められますが選べる銘柄は1株5,000円以下の銘柄のみになります。ちなみに最近の日経平均株価は低いときで約1万2,000円台。資金50万円だと低価格(市場原理で言えば低評価)の銘柄にしか投資できなくなるわけです。
Q. 必勝法を教えて下さい。
A. 私が知りたいです。投資に必勝法なしと言われているくらいです。ただ必勝法は無いけれど王道はあります。王道とは月並みですが安いときに買い高いときに売るです。それが狙ってできたら誰も苦労しませんねw
Q. デイトレードでは何を気を付けたら良いですか?
A. デイトレードを推奨しておりません。理由は投資の王道「投資はお金・知識・時間」にあります。市場へ投資するのはお金だけでなく知識や時間も投資するべきで、3つのうち1つでも欠けると資産は増えないと言われているからです。デイトレードは投資する時間が少ない(=資産が減るリスクは高い)ので推奨していないわけです。ちなみに投資は企業が成長するお手伝いをする事業ですが、デイトレードは企業が成長する時間すらありません。当然ながら知識無くば無駄にリスクを背負うことになるのは言うまでもありません。気を付ける点があるとするならばリスクが高いという自覚でしょうか。
Q. デイトレードで儲かっている人が居るのは何故ですか?
A. 運が良い、もしくは時間をかけて知識や情報を集めているからです。これは犯罪ですのでやってはいけないことですが時間をかけて企業に内通者を立てて時期を見計らって売買すると当然ながら資産は増えます。結局インサイダー取引も時間をかけた投資であることには変わらないわけです。ちなみにインサイダー取引は利益だけ抜いていき、市場原理的にはよろしくない手法なので犯罪指定されています。
A. 基本的にはヒステリックな社会事象で価格が下がったときに買って、そこそこ値が付いたときに売って利益を出しています。直近ではリーマンショックのときに仕込んだ銘柄が大変大きく利益を出しました。ヒステリックな社会事象で価格が下がった銘柄は適正価格ではないと判断しており、落ち着けば適正価格へ値が戻るだろうと考えているわけです。つまり私は値上がりしたときに売っているわけでなく戻ったときに売っているわけです。そう、お金と知識と時間を投資しているわけです。
A. していません。理由は社会事象はヒステリックに起こることがあり、このヒステリックを完全に読み切ることは不可能だからです。どうしても信用取引したい場合は追従金の余力を持ってしましょう。
A. 私が知りたいです。ただし道路や電気・通信などインフラ関連銘柄は取引市場の影響が強いと言われてはいます。つまり日経平均株価が上がればインフラ関連銘柄も上がり、日経平均株価が下がれば下がるという値動きをしやすいということです。ある種、銀行などの金融関連銘柄も社会インフラとして考えることが可能で、金融関連銘柄も日経平均株価の影響を受けやすいです。このような銘柄は値動きが乱高下しにくいので、初心者が毎日の値動きで一喜一憂せず、どっしり構えて年単位での長期運用はしやすいです。しかし絶対ではありません。例えばインフラ関連銘柄であってもSoftbankは値動きが激しくなることがよくあります。
A. 教えません。理由は私が○○証券と発言すると○○証券と関係があるのだろう?と疑われるからです。一度疑われると何を言っても聞く耳を持たれなくなるのでオススメの証券会社を絶対に答えることはありません。敢えて言うならアナタがメインとしている預金口座の銀行の関連証券とか良いのでは。手続きもスムーズです。
A. 移動平均や回帰・モメンタム・パラボリックなどを見ることはあります。ただこれは社会事象がヒステリックな状況下にあり、本来の適正価格がどれくらいなのかをザックリ把握するために使っているだけです。テクニカルを絶対基準に売り買いすることは無いです。ただこういうチャートの見方を知るのは知識を投資をするという意味では有効なので知っておいて全く損はありません。
A. 10年間の結果だけを見ると赤字になったことがありません。当たり前の話ですが1日単位で見ると赤字だったこともあります(現金の赤字はない)。つまり底値を掴んでなかったということです。今まで買った株はすべて適正価格へ戻りましたが新型コロナウイルスの影響でまた下がってしまいました。
A. 専門家に聞いてください。ただ社会事象がヒステリックな状況へ陥っていると感じていますので日々仕込みを入れているのは確かです。リーマンショックのときと同様に利確して売るのは数年後になることでしょう。
Q. 投資には興味あるけれど失敗したくありません。
A. 株ではなく個人向け国債を買いましょう。100万円あれば現在だと最低金利が0.05%なので105万円になって返ってきます。増えないときは日本国がデフォルトしたときだけみたいなもんです。銀行普通預金金利は0.01%なので銀行普通預金よりも5倍儲かります。政権が変わっても返ってきます。投資が怖いなら日本国へ投資しましょう。元本保証もありますので不況に強いです。
A. 老後資金や子供の大学入試費用など直近では絶対に使わないと決めているお金を貯金代わりとして国債を買うのはオススメのやり方です。私大入学費用が諸経費合わせて約140万円・授業料年間約90万円(4年約360万円)・合わせて約500万円と言われているので、国債ならば子供の大学進学へ合わせ10年間運用すると525万円となるわけです。入学祝いとしてMacBookあたりはタダ同然で買い与えられますね。ちなみに1万円から国債は購入でき、1万円から解約できますので本当に貯金みたいなもの。
追記:金利計算を1桁間違っていました。申し訳ありません。国債が貯蓄に向くというのは事実ではあります。ご指摘ありがとうございました。
A. GnuCashという無料の複式簿記ソフト(パソコン)を使用しています。プラグインを導入すると保有株式の価格を日本円として資産へ加算できます。一時期は弥生を利用していましたがサポートへ問い合わせることもなく高機能がそこまで必要ないなと気付いて無料ソフトで良いやとGnuCashへ8年以上前に乗り換えました。パソコンへ詳しくなかったり株取引初心者へはまったくオススメできないです。
A. 月に1回見るか見ないかくらいの頻度では見ます。私の投資スタイルだと毎日見ても何も参考にはならないので毎日見ないです。それよりもテレビが何を言っているのか、インターネットユーザーが何を話しているのかという社会の雰囲気の方を把握するよう努めています。増田やはてブを見ますが投資の参考にすることはあっても基準にすることはないです。喧々諤々と良きも悪きも主張しあう社会の雰囲気が私の投資の基準です。
A. 知りません。専門家に聞いてください。私が年間数億円を稼ぐようなスーパートレーダーならまだしも私は平均して年間200万円です。ほそぼそと運用してきた私の能力を超えている質問です。安倍政権の評価も良くわからないです。正直に言えば私の投資スタイルだと政権なんてどうでも良い。最悪日本が共産主義国家化して東証が閉じられるとなった時には既に私は投資をやめているでしょう。私は小遣い稼ぎがちょっと上手いその辺に居るただのオッサンです。
以上、よく聞かれる質問でした。
高遠丞くんのGOD座退団の報せを受けたとき、頭が真っ白になった。月並みな表現ではあるけれど。走馬灯さえ見えた気がする。
あたしを心配してひっきりなしに鳴るLIMEの通知音がどこか遠くに聞こえた。
高遠丞くんをご存知だろうか。
といっても、ちょっと観劇が趣味の人にはきっと常識で、でもそうでない人間はすこしもピンとこないのだろうなと思う。
なんでもいいからとにかくあたしの知ってる高遠丞くんの話をさせてくれ。
最後まで読んでもなんのオチもなければまとまりもないしあたしはずっと泣いていますが、最初に言っておくとこれはちゃんとしあわせな話。結論として、高遠丞くん、大好きだ〜〜〜〜!!!!!っていう話に死ぬほど文字を割きます。よろしくな。
GOD座という劇団の名前くらいは誰しも聞いたことない?ないのかな、一般人の感覚がわからん
あるでしょ?!??!
高遠丞くんはそこのトップで、あたしの推しでご贔屓で王子様だった。
あたしが丞くんと出会ったのは、丞くんがまだ入団したばかりの頃だった。元々観劇が好きでちょこちょこGOD座にも足を運んでいたのだけど、推しやご贔屓の概念はなくて純粋にそのお話を楽しむタイプだったので、当時は役者の顔や名前も満足に覚えていなかったと思う。そんな中であたしがなんで当時新人で端役をつとめていた丞くんに目を留めていたのか実のところよくわからない。声のハリとか立ち姿が好きだった。あたしがちょっとミーハーだったのもある。いやなんでだろうな。奇跡かもしれない。世界、これを奇跡って呼ぶことにしよ。
そこからGOD座の公式インステアカウントやブログを読んで彼のひととなりを知って、どんどん好きになった。丞の劇団員ブログは正直全然面白いものではない。何十人もいる劇団員がかわりばんこに書いているブログで丞の番が回ってくるのを永遠かと思うくらい待っていたのに文章は短いし、写真も少ない。私生活もなければジョークのひとつもない。真面目さ、演劇に対する果てしない情熱。彼が書いたものは何を読んでも、いつだってそれしかわからない。そこが好きだった。
そうしてゆるくゆるく高遠丞くんを応援する日々が一変したのが、そうだ、ご存知あの舞台。
あたしはあの舞台を今後一生覚えているのだと思う。
ときたま再演もしてるからお願いだからみんな見てほしい。あっでももう丞は………………あの舞台は……………………………
虚無……………………………………………………………
丞の役は王子様。正真正銘の王子様。「GOD座の丞」と言えば王子様、のはじまりである。
GOD座のお家芸、きらびやかな舞台と華やかな役者。その中心に世界一素敵な男。凛とした姿勢が、よく通る声が、意志の強い眼差しが、あて書きかと思うほどぴったりハマった、少しシャイだけど正義感の強いとびきりやさしい王子様。夢中になった。恋をしないわけにはいかなかった。一生応援すると誓った。
そこからのあたしはバカほどGOD座に通い、丞の出てる舞台の初日と千秋楽は絶対におさえたし地方公演にだって行った。初主演をつとめてからどんどん人気が出てファンも増えていった。ちょっとさみしくて、うれしかった。役どころもだいたい主役か準主役の王子様とかなんかキラキラしたヒロイックな男。世界一似合ってしまうので仕方がない。何度あたしを恋に突き落とした?
丞とほぼ同期にあたる晴翔くんはたまにインステに丞との写真もあげてくれたので、並の晴翔推しより晴翔のインステを見た。劇団員ブログを見た。カーテンコールでファンに向ける笑顔はどんどん上手になったのに、相変わらず劇団員ブログはつまんなくて、大好きだった。
そんなストイックなブログじゃ、丞くんが如何に演劇を愛しているかくらいしかわかんないでしょ?!??
そんなしあわせな日々に飛び込んできた退団のニュースのことの重大さがよくやく伝わったでしょうか?!??!?!
よく生きてだと思う。いやほんとよく生きてたよあたし。
あれほどに舞台を愛していた丞くんが芝居をやめてしまうなんて考えられない。もともと自己発信の少ない丞だ、GOD座からのお知らせ以外に何一つ情報は出てこない。他のファンたちの余計な詮索がしんどくてツイッターのアカウントに鍵をかけた。GOD座となにかあった?と考えてみたところでわかるわけもない。ただわかるのは、GOD座のような大きな劇団を自主退団した丞はきっともうどの劇団にも入れない。GOD座と何かあったならなおのこと。いやこれいま自分で打ってて過呼吸なるわ。吐きそう。本当に何日も満足に眠れなくて、泣きながら明け方に寝て泣きながら目覚めてまた泣いた。廃人の日々。
そこにさした一筋の光明。
MANKAIカンパニーとGOD座のタイマンアクトで、高遠丞が出るらしい。GOD座じゃなく、MANKAIカンパニーとして。
このときの気持ちを形容しようにも、キャパオーバーの飽和状態でどうしようもない。わけもわからず縋るような気持ちでチケットを取った記憶だけある。いやあんまり記憶がないな。丞がまた舞台に上がれる!というぶん殴られたような衝撃的な喜びと、GOD座と対決って大丈夫?負けたら解散?MANKAIカンパニーってどんなところ?と次々に疑問符が溢れ出た。溢れ出ただけネットで調べまくったら正直全然勝ち目がなくて、また眠れない日々に逆戻り。
いやだいやだどうして!だった以前と比べて、もしかして役者続けられるかも?って期待があるぶん余計しんどかった。絶望感が期待と不安に変わっただけ。
それでも、確実にその公演は舞台で丞がまた見られる。そのあとはわからない。「最悪の場合」に向けて心の準備を整えながら、そして泣きながら、初日を待った。
初日の公演を見たとき、あたしはまあ当たり前のように爆泣きしてたんですけど、ほんとのところそれがどういう感情なのかよくわからなかった。だってそこにあたしの大好きだった王子様はいなかった。衣装だっていままで見てきたものに比べたらえらく地味に見えたし、舞台も質素。演技だって、あんまり詳しくないけどいつもの丞の大胆さは影を潜めて、シンプルな動きになっていたようにおもう。
でも、「高遠丞」がいた。
ううん、「ラファエル」がいた。
親友思いで生真面目で頑固で、心優しい男がいた。いつもより繊細な動きで、微妙な表情で。
初日のあとも何度も何度も足を運んで、やっとあたしは悟った。
わかってしまった。
丞はこのために、これがしたくてGOD座をやめてそこにいるんだね。
それに気付いて、また泣いた。いや泣きすぎじゃんって思うでしょ、あたしがいちばん思ってるよ。でもこれはなんだろう、悲しいんじゃないんだよ。純度100%のうれしいでもない。強いていうなら、GOD座の王子様へのお別れと、感謝と、あたしの大好きな人の新たな門出のお祝いの気持ちだ、これは。
しかしMANKAIカンパニーの公演は見るごとに良くなったり悪くなったり、みんなが手探りで、でもみんながきっと演劇バカで、そうやってつくってるんだろうなって思った。みんな、丞みたいな人なんだろうな。だったらいいな。ついにGOD座とのタイマンアクトのその日、あたしはあんまり不安はなかった。相変わらずMANKAIカンパニーの公演に安定感はないけれど、大丈夫だと思ったし、実際に大丈夫だった。まあアホほど泣きはしたんですけどね。そのときのカーテンコールの丞の泣きそうな顔が、いままで見てきたどんな王子様よりも素敵で魅力的で、嬉しくてほっとして結局キャパオーバーで泣いた。オタクはすぐに泣くんだよ。
ただ少し思うのは、これがもし本当に丞のやりたかった芝居なら、GOD座で丞は何を思って演じていたんだろう。あたしが好きだった丞を、丞はちゃんと好きだったのかな。あたしたちは丞に王子様の仮面を押しつけてしまっていたのかも、と思ったら途方もなくしんどくなる。もう謝ってもしかたがないけど、きらびやかな仮面じゃなくて、ありのままの「高遠丞」をあたしはちゃんと応援したい。今からでも遅くないよね?
願わくば、丞もGOD座でのたくさんの思い出を、愛しく思ってくれていますように。ワガママを言うなら、あたしが大好きだったGOD座の君も嘘や偽りじゃないって、楽しかったって、言ってよ。それだけがあたしの願いです。でももうなんでもいいや、生きててくれてありがとう、舞台に帰ってきてくれてありがとう。
ついでに。MANKAIカンパニーでの丞の劇団員ブログを見てあたしは笑ってしまった。プライベートの話も写真もない、来てくれたお客さんへの感謝と演劇の話だけが堅苦しく、しかし真摯に書かれたその短い文章に。大好きだ、あたしは一生高遠丞が大好きだ。
☆
うたの☆プリンスさまっ♪が好きだった。
19歳の夏にドはまりして、もうすぐ8年目を迎えようとしている。計算が合っとるかは知らん。
別に後悔は無いけれど、楽しい楽しい大学生活の大半をうたプリのために費やした。
それはそれで最高に楽しかった。
うたプリを通じて友だちができた。今でもプライベートで遊ぶ人たちもいる。ただ、もううたプリの話はしないけれど。
シャイニング事務所は実在、と念じていた。プリツイがそれを高めてくれた。
イチオシのアイドルを自担と呼んで、同担拒否だった。ファンレターも書いた。
こんなに2次元(当時は3次元だと思い込みたくて、そう振舞っていたけれど)にはまったのは初めてだった。
一人暮らしをいいことに、部屋にもポスターを貼ったりフィギュアを飾ったり、腕枕クッションを買ったりした。
痛チョコを作った。ケーキも焼いた。自担の喜びそうな料理を覚えて、自炊を頑張るようになった。
自担がプリツイで紹介したものと同じものを買っては自己満足に浸っていた。
みんなの生まれ年を考察したツイートに感化されて、みんなはサザエさん方式ではなく毎年一緒に年齢を重ねていってくれているのだと信じていた。
自担の誕生日は特に豪勢にお祝いした。いろいろ作りました。いろいろやりました。
完全に黒歴史だけれど、コスプレもした。いやあれはダメです。見返すことのできない黒歴史。
どこに行くにもくまプリを連れて行った。写真もいっぱい撮った。自分の写真の数倍、くまの写真がある。
自担の白い衣装は汚れやすくて、何度も一緒にお風呂に入った。洗濯ネットに入って吊るされる姿は何とも言えずかわいかった。
汚れも落ちなくなってきて、くま本体もボロボロになってきて、今は部屋でゆっくり眠ってもらっている。お疲れさまでした。今まで、本当にありがとうございました。
自担の担当!って感じの服、イメージカラーとかモチーフとか、自分には似合わんのにいっぱい買ったな。
イベントがあれば頭の先から靴まで一式「それっぽい」のを探し回って揃えるのも楽しかった。
楽しかった。
最高だった。
ただ、公式に対して不満に思うことが多すぎた。
自担は、アイドルのみんなは悪くないのに、と葛藤することが日課だった。
プリツイでのキャラ崩壊もやめてほしかった。誰ですか。誰だったんですか、あれは。
飛行機距離の茶の間なりにたくさんのイベントにも行ったつもりだけど、物販何も無くてすごすご退散することも一回二回じゃなかったよ。
それは私が大人になったのかもしれない。
大人になったから、運営に対して「社会人としてこれは無いわ」とますます思うようになったのかもしれない。
大人になったから、周りの若い子たちの勢いについていけなくなったのかもしれない。
大人になったから、猫なんて抱えて持ち歩けないと思った。別にねこママたちをディスっているわけではないけれど、自分には無理だった。
ただ、大人になったから、「彼らのために割く時間がもったいない」とは一度も思ったことがない。
7thプリライが取れなかった。
マジLOVEキングダムは、とてもよかった。最高だった。あれが見たかったのだ、私は。
だから、7thも行きたかった。過去形じゃないですね。行きたい。
なんならもう交通も宿泊も押さえてる。地方の民だから馬鹿高いんだわ。それでもキャンセルしたくないんだよね、ハハ。
けれど、私は4thの雪がドサドサ降り積もる中立ち続けた前日物販地獄や、
5thの寒空の下7時間立ち続けて何も買えなかった物販地獄や、
カルライ1stの始発で行って並んでもやっぱり買えなかった物販地獄や、
6thの入場本人確認リストバンド地獄を経験している。退場も地獄だったけれど。
スタリファンミも入退場はそれなりに地獄だったけれど、熱が落ち着いていたのでそこまで何も思わなかった。
それらを思っても、行きたいと思ってた。
ただ、あの頃のような熱はもうないのだと気がついた。
昔なら、はらわたが煮えくり返るほどに怒っていた。
4万出したって行きたい、と思ってた。買わなかったけど。
だけど、最低3万5千くらいのそれらのチケットを見て、私は何も思わなかった。
この値段を出して行きたいな、と思えなかった。
いや行きたいんですけど。
ただ、あの値段を出してまで、高額転売から買ってまで、行きたいと思えなかった。
転売に対する怒りも、あの頃ほど湧かなかった。無だった。どうでもいい、と思った。
私の熱はそんなもんになっちゃったけど、今が楽しくて燃えてる人はたくさんいるんだと思う。
それはそれでいいと思います。楽しいもんね、うたプリ。楽しかったです。
うたプリ、今まで本当にありがとうね。たくさん感謝しています。
これからもよろしくって言いたいけれど、今の心境だとちょっと難しい。
でも7thは行きたいです。両日。
へりくつかもしれんけど、マジLOVEキングダムを経てのプリライ7thなので、このライブは個人的に「これまで」なので。
別にジャンルを完全に離れるつもりはないし離れられるとも思えないので、これは砂掛けじゃないです。
別にいいけど。
ひとまず以上。
私には、もう大して好きではない推しがいる。彼の職業は俳優だ。
推し始めた当初は確かに夢中で、俳優をこんなにも好きになったのは初めてで、俳優に、映像の中だけの存在に「会いたい」と強く思うのも初めてだった。
それまで私は二次元ジャンルにしかハマったことがない漫画、アニメオタクで、中には舞台化、実写映画化しているものもあったけど、その類いには否定的な人間だった。
しかし俳優の推しは演じる役柄も私生活での言動も二次元のキャラクターなのかなと思う程に完璧で、いや、ファンではない人から見たらそうでもないのかもしれないが、計算のない失敗や、そういう人間らしい愛くるしさも含めて完璧だったのだ。
推しを好きになってからは彼の出演作以外の映画やドラマを鑑賞する時間が無駄に感じて、数ヶ月間はこの症状が治まらず、彼の出演作だけを観る日々が続いた。
それほど夢中になってから何ヶ月かが経った頃、彼の出演している最新映画が公開になった。
私の住んでいる田舎でも運良く上映が決まっていたので観に行った。
素晴らしかった。月並みなことしか言えないけれど、演技を超えて役になりきる姿に胸を打たれ、それから上映が終了するまで何度も何度もスクリーンの中の彼に会いに行った。
ツイッターで感想を呟かずにはいられず、独り言のつもりで呟いていると、同じく彼のファンであると思われる方々からRTやいいねがあり、フォローまでしてくれたのが嬉しくて感想を呟き続けた。
ここまでは純粋な気持ちで好きでいられたのに、ここからがいけなかったんだろうな。
「推しを好きになり夢中だったころ」 の日記の一部を記録として載せておく。
「最近Aが好きすぎてAが出ている作品以外は見る気がしなくなっている。Aが出ているだけでどんな内容でも好きって気持ちが上回って最高になる。」
「マジで一日中Aのこと考えててやばい。重症。知れば知るほど好きになってる。(好きなところの羅列)Aが誰かを演じているのも好きだけど、A自身が大好きになってる」
「○○(作品名)見た。好みじゃない役だったから興味がもてるか不安だったけど、話数を重ねる毎に好きになっていった。Aっぽさのある役じゃない。でも劇中の彼は彼として好き。もちろん顔も好き。」
「(自分が過去に飽きたジャンル名を挙げて)Aにもその内飽きるのかと考えたら恐ろしすぎる。こんなに好きなのに。Aを愛してる自分を信じたい。本気で好き。」
映画の公開から暫く経って、彼と監督の二人が登壇する舞台挨拶付き映画上映が東京であるとの情報を得た。
そんな経験なんて殆どしたことのない私だったが、考えるよりも先にチケットをネットで予約し、その日の予定を空けて、交通手配も済ましてしまったので行くという選択肢以外は存在しなかった。
元来飽きっぽい私は、この頃既に推しに冷め始めていたのだが、推しに熱くなっていた時の楽しさが忘れられずに「私がAに飽きるわけがない」と思いこもうとしていたのかもしれない。
舞台挨拶当日。映画の上映が終わって推しと監督が私のすぐ近くを通って行って、初めて肉眼で推しを見た。
興奮したけれど、これがあともう少し早ければという気持ちの方が強かった。
東京に行くのは疲れたし、お金もかかったし、そんなにしてまで推しに会いたかったのか、会えてよかったのか分からなかった。
ツイッターでこの日の感想を呟くといいねが沢山貰えた。ファンの人が喜ぶのを見ていると「行ってよかった」と思えた。
推しはそう頻繁に現場のある俳優ではなく、あの日から暫くは供給のない日々が続き、ツイッターで推しの過去作品の感想を呟いてばかりだったが、人気の根強い過去作品の感想を呟くと、推しのファンである人はもちろん作品ファンからもいいねを貰えた。フォロワーが増えていった。
元々は推しと同作品に出ていた共演者のファンであるCは、その共演作品を観ている内に好きになっていたと。
その共演者は推しと比べると人気が桁違いの人で、ファンの分母も大きく、故にフォロワー数の多いアカウントだった。
Cが推しのファンになったということで、推しファンの人達は大歓迎していた。私をフォローしていない古参達はみんなその人をフォローした。
Cは推しのことを好きになったと言いつつ、最推しにしか金をかけられないのであんまり追えないと公言していた。
にも関わらず古参はCが推しの話をする度にRTしたし、いいねをしたし、必死かよと乾いた笑いが出た。
私の方がよっぽど推しに貢献できる良いファンなのに、古参はフォロワー数の多さで人を判断して、その新規ファンをちやほやする。
Cがフォロワーを失いたくないが為に元々の推しのファン、私の推しのファンにも良い顔をするのが気に入らず、またそれを許している推しファンのことも気に入らず、匿名の箱でそれを指摘すると、Cは渋々アカウントを分けた。
Cはアカウントを分けてから推しのファン全員を自らフォローし始めた。私のこともフォローした。支配されているようでゾッとした。
Cは拾い画やスクショをよくあげるタイプのオタクだったので、そういうところも嫌いだった。
スクショは無断転載だからやめてって普段強く言ってる古参がCに限っては見逃すどころかRTしてたり馬鹿すぎる。
嫌がらせに近いことをやってでもCをここから追い出さなければならないと思ったのでCのやることなすことの揚げ足をとっているとその内にCのアカウントが消えた。
ほっとした。
数ヶ月間Cの動向を窺っていた癖が抜けなくて、全く推しの話をしなくなったCの新垢を今でも追っている。
これが悪意であるという自覚があるのと同時に正義だという錯覚もあった。正義だと思い込まなければ。
Cはいなくなったが、私の中の悪意はおさまらず、矛先が消えただけだった。
Cはいなくなったが、馬鹿な推しファンは蔓延っているのだ。今度はその矛先が馬鹿な推しファン達に向かって、嫌がらせじみた真似をするようになった。
一方で、馬鹿なファンしか着いていない推しが憐れになってきた私の中で私が推しの一番のファンでいなければならないという義務感が生じ、推し活に積極的になっていった。
行ける現場は全て行った。嫌がらせは全て匿名で行っていたので、嫌がらせに悩んでいる相手に現場で会って推し話で盛り上がることもあったし、ツイッター上でも仲良くしていた。今でもしているし、良い人だって言われる。
現場通いを続けているうちに推しファンの間で私の存在が認知されるようになって、仲の良いフォロワーも増えていって。供給がある度にみんなではしゃいで。
本当はフォロワーに合わせているだけで、もう推しの顔を見てもときめかない。
推しじゃない俳優を見ているときの方がときめいている。でも言えない。
「かっこいい」「かわいい」「好き」「最高」語彙力無しオタクのクソみたいな褒め言葉を羅列しておけばいいねが貰える。誰よりも早く推しの情報を提供すればいいねが貰える。現場に行ってレポを書けばいいねが貰える。
この数年間をこんなことの為に消費してきた。推しのことはもうとっくに好きじゃない。でも推しを推すことへの執着心を捨てられない。どうすればいいのか分からない。
現場に行く為に必要なお金は少なくなっていくのにまた推し出演作の円盤を購入して、ツイッターに報告して、満足感を得ている。
一人で狂っているだけなのに推しが私の人生を悪い意味で狂わせたと思う瞬間もある。憎悪が溢れる瞬間もある。どうしてこんなことになったんだろう。 本当に好きだったのに。
おそらく今日の体験を誰かに話すこともないだろうし、帰ってから妻にも事の詳細は話さないだろう。
そうすると、今日の出来事は一生自分の内だけに留めておくことになり、それはそれで何だか勿体ない?ような感覚があり、この場をお借りすることにした。
***
当方、年齢は34才。妻は2つ年上で、結婚10年目の子なし。セックスレス歴は5年目くらいになるだろうか。
毎晩一緒に晩酌するくらいには夫婦仲は良いのだが、異性としてのエロスはもう感じない。これは私が、というよりお互いにそうなのだろう。
ただ、子どもは欲しいという気持ちは双方にあり、年齢を考えると作るなら待ったなし、という状況だ。
妻は子宮内膜症という病気を患っており、2年前に一度手術をしている。
片方の卵管が詰まりやすくなっているため、妊娠するとしたらチャンスは2ヶ月に1回と当時の担当医に説明を受けている。
(排卵は基本的に毎月交互に行われるということを、この時初めて知った)
年齢による妊娠率低下に加え、チャンスは2ヶ月に一回という状況だ。
子作りという目的さえあれば一応セックスレスは解消できるとは思うが、
完全な自然妊娠に任せていては、何事も起こらず来年また1つ歳を重ねている姿が容易に想像できた。
後々になって検査をしたら実は不妊の原因は自分にあった、なんてオチは絶対に回避しなくてはならない。
尚、34年生きてきて自分の精子に何かしらの異常を感じたり、親・兄弟に遺伝的に心配するような出来事は一切ない。
そもそも、「あれ、量少なくね?」「なんか、水っぽくね?」などデリカシーのないことをいう彼女でも作らない限りは、
自分の精子を他人と比較する機会は訪れないため、基本的に自分の精子は自分基準で絶対的に正常なのだ。
男性側はそのことを念頭において、自分の精子と向き合う必要がある。
***
前置きはこれくらいにして、ここからは精子採取の詳細を語っていきたい。
病院に行ってやることはいたってシンプルだ。カップに射精して提出するだけ。
それだけの事と言えばそれだけなのだが、病院でオナニーというのはこれまでの人生で経験したことがないので、何となく朝からソワソワしていた。
入ったことはないが、繁華街にある個室ビデオ屋みたいな感じを想像して、内心ちょっとだけ楽しみな気持ちもあった。
クリニックに到着すると、受付には20代半ばくらいの若い女性スタッフが2人座っていた。
初診ということを伝えると、その場で今日の検査の流れについて簡単に説明を受けた。
検査はまずは診察からスタートした。40代前半くらいの男性医師が担当だった。
事前にWeb問診票に回答しているので、その場で回答内容をフムフムと読み進める。
問診内容には、自慰の頻度や勃起の状態、夫婦のセックス回数など、かなりプライベートな質問も多いのだが、
「夫婦関係はほとんどなし、と。なるほどね。」といった感じで、こなれた感じで読み進められていく。
一通り問診票を読み終わると、そこから男性不妊検査の説明が始まる。
2以降は保険外診療で、2が9,000円、3が11,000円、4が7,500円の全額自費負担だ。
ちなみに2以降もやる場合は混合診療となるため、1も全額自己負担となり4,000円となる。
合計すると3万ちょいだ。
一応事前に金額感は調べていて、精液検査は保険診療ができるとネットに書いてあり、
1,000〜2,000円程度を想像して来ていたので、突然3万円と言われて驚く。
ただ、色々と考えた結果、全てお願いする事にした。
理由としては、今回の検査目的は妊娠に向けて最短の選択肢を選ぶ事だからだ。
まずはライトなものから順番に試して行って、上手くいかなかったらより詳細の検査をして、
また、どうせ精子を採るなら一度に全部詳しく調べてもらった方が単に効率的だと思ったからだ。
4項目全ての検査をお願いする旨を伝えると、診察は終了した。
***
次は、いよいよ採精の説明だ。
看護室という小部屋に呼ばれ、中には20代後半くらいの女性スタッフが一人いた。
そこで、採精のやり方についてレクチャーを受ける。
・採精室に移動し、部屋に入ったら電気をつけて鍵を閉める
・まずは石鹸で手をよく洗い、その後、アルコール消毒をして手をよく乾かす
・プラスチック容器(プッチンプリンより一回りくらい小さい)の中に精液をすべて出す
注意点としてはこれくらいだったのだが、
直接的な言い回しを避けるような変な間があった。
「手を洗って消毒をしたら、よく手を乾かしてから、、、、その、、行ってください」
みたいな説明の仕方なので、
医療従事者として、毅然と「このカップに精液を全量出してください」と説明をされたら何も感じないが、
たどたどしく言うのは、こっちが変な気持ちになるのでやめてほしい。(悪くはなかった)
さて、ひと通りレクチャーが終わり、早速採精室に向かう。
ちなみに、精液検査を行うには大体3〜7日間禁欲する必要があり、
私の場合は7日間禁欲していたので多少なりともムラムラはしていた。
採精室に入ると、1.5畳くらいのスペースに、テレビとDVDデッキ、
部屋の中央には白いリクライニングチェアーがあり、ティッシュ箱とゴミ箱が置いてあった。
ゴミ箱は足で踏むと蓋が開くタイプのもので、直接手を触れないで済むのは衛生的で良かった。
テレビ台の上には、DVDが10枚ほど入ったDVDケースとエロ本が1冊置いてあった。
エロ本は何となく触れたくなかったので完全にスルーし、DVDケースをパラパラとめくった。
ジャンルはバランスよく取り揃えており、ラベルを見る限り割と新しい感じがした。
真っ白なDVDラベルに、黒マッキーで手書きでこう書かれていた。
「下と唇で感じあう、濃密ベロキス尽くし」
どことなく漂う、裏モノ感を感じた。
内容は、
というのも、この採精室、一体どれくらいの時間で出るのがベストなのか、という問題がある。
遅すぎた場合、「あの人、どんだけ満喫してんだ・・・ここ、医療機関ですよ」という目で見られるのではないか、という気持ちと、
早すぎた場合、「え、あ、もう終わったんですね。早いですね」と、口には出さねどそう思われるのではないか、という気持ちが交錯する。
自分の中で、遅すぎず、早すぎない時間を「15分」と設定し、タイムマネジメントすることにした。
それともう一つ、大きな問題がある。
先ほどのレクチャーでは、この辺りの詳しい説明までは受けていない。
部屋の中で、使えるアイテムは限られている。
それから、使い道の分からない大きなキッチンペーパーのような紙もあった。
脱出ゲームさながら、この密室で課されたミッションをクリアする必要がある。
試行錯誤の結果、最終的に以下の流れとなった。
・リクライニングチェアーの座部に大きなキッチンペーパを敷く(念のため2枚重ね)
・その上に採精カップを置く
・ズボンを下ろし、リクライニングチェアーに向かって前傾姿勢となる
・ただ、こうするとテレビに対して背を向ける形になってしまうため、DVDが見れない
何が正解だったのか、それは今もわからない。
***
無事ミッションをクリアし、あとはこれを提出すれば今日の検査は終了だ。
部屋の片づけをし、事前に渡された白い紙袋にカップを入れて部屋を後にする。
精子の提出先は、採精室から歩いて20メートルくらい先にあるガラス張りの部屋で、
ガラス張りの壁には、カップを置く小窓と中のスタッフと会話するための受話器が備え付けられていた。
ガラス窓の向こう側は無菌室のような真っ白な空間で、スタッフは白衣を着て全員マスクをし、白い帽子をかぶっている。
小窓に自分の精子が入った紙袋を置くと、ガラス窓の向こう側にいるスタッフが近づいてきて、それを受け取った。
受話器を手に取り、ガラス越しでアイコンタクトを取りながら会話をする。
という気持ちになってくる
ガサゴソガサ・・・
カップが日の目を見る。
カップを軽く振ったりしながら、観察した様子をPCに打ち込んでいく
自分が数分前に出した精子を、白衣を着た綺麗なお姉さんが繰り返し、何度も確認する
こ、これは、一体なんの時間なんだ。
なんとも言えない不思議な空間、不思議な時間、不思議な気分に包まれた。
「お待たせしました。最後に、お名前をフルネームで教えてください」
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
そう言って受話器を置き、笑顔で見送られた。
***
頼られて、相手が求めていることをしてあげたら喜ばれるし、何より自己効力感みたいなものが発生して、頼ってきた相手に対して軽くマウントが取れるような気がするし。
3年半前から仲良くなった友人がいるのですが、彼女はASD的な行動の傾向があり、人間関係の悩みが多い人でした。
彼女の人間関係の悩みを私は相談に乗りアドバイスをする、私から彼女には相談事や共感してほしいことは一切話さないで、私は聞きくこととアドバイスすることに徹するということが多い関係でした。
そもそも彼女は会話が苦手でした。こちらが世間話のような話を振っても、話が広がることはありません。嫌なな出来事があったことを聞いてもらおうとしても、共感するような素振りはなく、掘り下げてもくれることもありません。また、私の趣味の話をしても全く関心なしといった様子です。こちらが興味を持ってもらえるような話をできないという落ち度もありますが。逆に私が彼女の趣味や推しの話などを振ってあげると嬉々として話し、延々と自分の話を続けるのです。彼女は、私が話を聞いてあげているときと同じような密度と品質でもって私の話を聞いてくれることは全くありませんでした。
例えば、彼女は海外の俳優が好きなので、彼女が「最近ユアン・マクレガーにはまっている」といえば、私は「彼のどんなところが好きか、いつ好きになったか、彼の出ている作品で何が好きか」といったような質問をして話を掘り下げるのですが、私の好きなものの話、例えば鬼滅の刃の話をしても、「何がおもしろいのか、誰が一番好きか、いつから好きになったのか」といった具体的なことを聞いてくれず、「そうなんだ、ジャンプ系っていろいろあるよね」みたいな同意とも共感とも取れない、しかし掘り下げではない絶妙な相槌しかしてくれないのです。(たいていこう返されると沈黙が発生するので私が次の話を振るのですが)言葉で表現するのが難しいのですが、彼女からは私のほかの友人とは「何かが決定的に違う」感覚が会話をしていると如実に感じられるのです。
そんな彼女が自分自身に発達障害的な特性があることをカミングアウトしてきたのは知り合ってから2年目の時でした。その時彼女は「話し言葉で伝えられたことを理解するのが難しいからASD的な傾向があると医者に言われた」と言っていました。そのカミングアウトで初めて発達障害というものを知り、ADHAやASDという発達障害の特徴があることを知りました。
彼女は元ひきこもりだったので、コミュニケーションの経験が少ないから会話の機敏が分からないだけの「普通の人」だと私は思っていました。
しかしそのカミングアウト以降、私はこう考えるようになりました。「彼女に対してほかの友人と同じような、お互いが気持ちよくなれるコミュニケーションを期待するのはやめよう」と。その日を境に私は彼女を承認欲求を満たすための道具として見るようになりました。
そもそも私と彼女はほかに共通の友人がおらず、遊ぶ時はいつも二人という状況でした。そして私は彼女に何も期待していないので、遊ぶ時も彼女の悩みや話を聞くというようなことがほとんどでした。大体、月に1~2回は彼女とこのようにして会っていました。予告なしの悩み相談の電話は月に4~5度ありました。
このようにして彼女の悩みを聞くことで私自身は自己効力感を感じることができ、彼女に対しての優越感を感じられたので非常に気分がよかったです。
このようにして私は彼女から頻繁に頼られていたのですが、それが最近めっきりなくなってしまったのです。
今から五か月ほど前に、彼女は工場の仕事を辞め、住んでいる地方の町から東京に引っ越しました。彼女は自分の生活を変えるためにと言って東京へ行きました。
軽い送別会のようなものを二人だけでしました。私は「あっちでも頑張ってね」といった月並みなことを言いまいした。
私は彼女が心配でした。また彼女が人間関係で悩むのではないかと。でも、悩んでしまえとも思いました。心から彼女の成功を祈っていませんでした。
彼女が東京で暮らしてから四か月ほどは例のように相談の電話がありました。父がいかに厳しい人間だったか、父が引っ越しに対して何も興味を示さなかったといった話を四か月半の間にかかってきた電話の7回のうち5回はしました。話から聞くに就職先は決まったようで、仕事を覚えるのが大変だということも言っていました。
最後の電話があった、今から1か月まえから彼女からの電話やlineが途絶えてしまったのです。
でも私は心配にはなりませんでした。そのかわり苛立ちがありました。なぜ私を頼ってこないのだと。
私から彼女に連絡することはめったにないのですが、先週に電話をしてみました。どうせ前と同じ消耗をしているのだろうと思いながら電話をしていいかlineをして、電話をすることを彼女は了承しました。
彼女から電話で話を聞くと、消耗しているどころか新しい出会いを楽しんでいました。彼女は街コンで知り合った人と仲良くなり、その仲良くなった人のつながりでバレーボールの社会人サークルに入ったのです。彼女が言うには、サークルの人はみんないい人で、彼女は親密な人にしか呼ばせてないあだ名でそのサークルの人から呼ばれるようになった、ということやみんなでデイキャンプに行ったことなど楽しかったエピソードを言っていましたまた、彼女は私に、よかったらそのサークルに顔を出してみないかと提案してきました。
彼女は今までこんなにたくさんの人と仲良くなれたことがなかった、と言っていました。
私は「いい出会いがあって本当によかったね」とまた月並みなことを言いました。
電話を切ったとき腹が立ちました。なぜ彼女は消耗していないのだと。なぜまた同じような人間関係の悩みで私を頼ってこないのだと。なぜまた孤立していないのだと。なぜコミュニケーション能力が貧弱な人からそんな提案をされなければならないのだと。なぜ街コンに行って男性と打ち解けることができるのに、今まで私の話を聞いてくれなかったのだと。
そんな彼女を取り巻く環境の変化があっても、彼女自身は変わってませんでした。私の話を一切掘り下げて聞いてくれないことと私の近況の話をしても全く話を広げてくれないことは変わってませんでした。
そして、私自身が彼女に対して執着し過ぎていることもわかりました。
私が何のために彼女とつるみ続けているのかも考えました。彼女を見下して優越感に浸ることもできないし、彼女は私の期待に応えてくれない、そう考えると自分に嫌気がさしました。
対等でない「友人関係」のようなものを続けてることは不健全だと思ったし、相手に何も期待できないのに関係を続けても無駄だと思ったのです。
総括
私はもう彼女に対して「一般的な友人に対する期待」を持てないのは確かです。また彼女が自身のASD的な特徴のせいでサークルや職場で理解のない扱いを受け孤立しても、支援者的な立場で彼女と接することはないし、もちろん友人として接することは今後一切ないです。かつての彼女にとって私との関係が救いだったとしても、私にはそれは重荷でした。だから、頼られることによる承認欲求を得るための道具としてしか彼女を受け入れることができなかったのです。彼女自身につらいことがあって相談に乗ってあげたことは何度もありました。彼女を便利な道具として扱っていたことは確かですが、それでも彼女の悩みが解決すればいいなと少しは考えて相談に乗っていました。ですが、彼女はわたしにつらいことがあっても「わたしと同じような対応」をしてくれないのです。以前、一緒に濡れてほしいのですと言った生きづらさ系のポスターがありましたが彼女は私に傘をくれる段階すらいないのです。それは友人としてとても虚しさがあります。
傘よりも、一緒に濡れてくれる方が、うれしい。 pic.twitter.com/G2WBArXt3c— メンヘラ.jp (@menhera_jp__) 2018年11月8日
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
おそらく今後彼女からの連絡が少なくなると思います。私はそのまま疎遠になって関係が自然消滅していまえばいいなと思っています。
はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。
以前投稿した記事(https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルとイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分の人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。
というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます。自閉症と多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。
出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。
目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合は幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います。
集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものだから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別な措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断であると先生にいたく感謝をしていたようですが。
まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。
ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。
子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。
ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かに話しかけるときもこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものだからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています。
今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。
この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。
子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。
そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。
つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からないから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。
また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約の記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在に自分がなるんだという気持ちで知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。
問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。
実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。
いじめのトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります。鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます。
私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。
さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています。
まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。
学校でいかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります。
なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているからいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。
それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。
今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています。
ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪は精神的に来ます。
はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えでいじめがウヤムヤになった頃の話です(子供のいじめなんてそんなものです)。
いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生の心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。
これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生の対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。
診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手に配慮を求めることにも役立つのです。
私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分で自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事なことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師の判断の重大さは分かるはずです。
さて通院や教師の配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいたしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております。
中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。
なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまいます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。
そういうわけで私は特定のグループにいることはなく、基本的に面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味に偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント、小説、アニメにスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。
また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。
さてかなり上手いこと発達障害を個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。
とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかから始まり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。
意義が分からない限りやらないのが私でございます。自分を理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。
まず自分が失礼なことをたくさん言う人であると理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性の容姿については言うべきではないと学びましたね。
それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体も客観視の一環ですね。
しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。
月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。
ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。
やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。
前回の記事で発達障害者がストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。
高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます。
さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないかと結論付けています。20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。
記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告も無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。
ご参考になれば幸いです。