私には、もう大して好きではない推しがいる。彼の職業は俳優だ。
推し始めた当初は確かに夢中で、俳優をこんなにも好きになったのは初めてで、俳優に、映像の中だけの存在に「会いたい」と強く思うのも初めてだった。
それまで私は二次元ジャンルにしかハマったことがない漫画、アニメオタクで、中には舞台化、実写映画化しているものもあったけど、その類いには否定的な人間だった。
しかし俳優の推しは演じる役柄も私生活での言動も二次元のキャラクターなのかなと思う程に完璧で、いや、ファンではない人から見たらそうでもないのかもしれないが、計算のない失敗や、そういう人間らしい愛くるしさも含めて完璧だったのだ。
推しを好きになってからは彼の出演作以外の映画やドラマを鑑賞する時間が無駄に感じて、数ヶ月間はこの症状が治まらず、彼の出演作だけを観る日々が続いた。
それほど夢中になってから何ヶ月かが経った頃、彼の出演している最新映画が公開になった。
私の住んでいる田舎でも運良く上映が決まっていたので観に行った。
素晴らしかった。月並みなことしか言えないけれど、演技を超えて役になりきる姿に胸を打たれ、それから上映が終了するまで何度も何度もスクリーンの中の彼に会いに行った。
ツイッターで感想を呟かずにはいられず、独り言のつもりで呟いていると、同じく彼のファンであると思われる方々からRTやいいねがあり、フォローまでしてくれたのが嬉しくて感想を呟き続けた。
ここまでは純粋な気持ちで好きでいられたのに、ここからがいけなかったんだろうな。
「推しを好きになり夢中だったころ」 の日記の一部を記録として載せておく。
「最近Aが好きすぎてAが出ている作品以外は見る気がしなくなっている。Aが出ているだけでどんな内容でも好きって気持ちが上回って最高になる。」
「マジで一日中Aのこと考えててやばい。重症。知れば知るほど好きになってる。(好きなところの羅列)Aが誰かを演じているのも好きだけど、A自身が大好きになってる」
「○○(作品名)見た。好みじゃない役だったから興味がもてるか不安だったけど、話数を重ねる毎に好きになっていった。Aっぽさのある役じゃない。でも劇中の彼は彼として好き。もちろん顔も好き。」
「(自分が過去に飽きたジャンル名を挙げて)Aにもその内飽きるのかと考えたら恐ろしすぎる。こんなに好きなのに。Aを愛してる自分を信じたい。本気で好き。」
映画の公開から暫く経って、彼と監督の二人が登壇する舞台挨拶付き映画上映が東京であるとの情報を得た。
そんな経験なんて殆どしたことのない私だったが、考えるよりも先にチケットをネットで予約し、その日の予定を空けて、交通手配も済ましてしまったので行くという選択肢以外は存在しなかった。
元来飽きっぽい私は、この頃既に推しに冷め始めていたのだが、推しに熱くなっていた時の楽しさが忘れられずに「私がAに飽きるわけがない」と思いこもうとしていたのかもしれない。
舞台挨拶当日。映画の上映が終わって推しと監督が私のすぐ近くを通って行って、初めて肉眼で推しを見た。
興奮したけれど、これがあともう少し早ければという気持ちの方が強かった。
東京に行くのは疲れたし、お金もかかったし、そんなにしてまで推しに会いたかったのか、会えてよかったのか分からなかった。
ツイッターでこの日の感想を呟くといいねが沢山貰えた。ファンの人が喜ぶのを見ていると「行ってよかった」と思えた。
推しはそう頻繁に現場のある俳優ではなく、あの日から暫くは供給のない日々が続き、ツイッターで推しの過去作品の感想を呟いてばかりだったが、人気の根強い過去作品の感想を呟くと、推しのファンである人はもちろん作品ファンからもいいねを貰えた。フォロワーが増えていった。
元々は推しと同作品に出ていた共演者のファンであるCは、その共演作品を観ている内に好きになっていたと。
その共演者は推しと比べると人気が桁違いの人で、ファンの分母も大きく、故にフォロワー数の多いアカウントだった。
Cが推しのファンになったということで、推しファンの人達は大歓迎していた。私をフォローしていない古参達はみんなその人をフォローした。
Cは推しのことを好きになったと言いつつ、最推しにしか金をかけられないのであんまり追えないと公言していた。
にも関わらず古参はCが推しの話をする度にRTしたし、いいねをしたし、必死かよと乾いた笑いが出た。
私の方がよっぽど推しに貢献できる良いファンなのに、古参はフォロワー数の多さで人を判断して、その新規ファンをちやほやする。
Cがフォロワーを失いたくないが為に元々の推しのファン、私の推しのファンにも良い顔をするのが気に入らず、またそれを許している推しファンのことも気に入らず、匿名の箱でそれを指摘すると、Cは渋々アカウントを分けた。
Cはアカウントを分けてから推しのファン全員を自らフォローし始めた。私のこともフォローした。支配されているようでゾッとした。
Cは拾い画やスクショをよくあげるタイプのオタクだったので、そういうところも嫌いだった。
スクショは無断転載だからやめてって普段強く言ってる古参がCに限っては見逃すどころかRTしてたり馬鹿すぎる。
嫌がらせに近いことをやってでもCをここから追い出さなければならないと思ったのでCのやることなすことの揚げ足をとっているとその内にCのアカウントが消えた。
ほっとした。
数ヶ月間Cの動向を窺っていた癖が抜けなくて、全く推しの話をしなくなったCの新垢を今でも追っている。
これが悪意であるという自覚があるのと同時に正義だという錯覚もあった。正義だと思い込まなければ。
Cはいなくなったが、私の中の悪意はおさまらず、矛先が消えただけだった。
Cはいなくなったが、馬鹿な推しファンは蔓延っているのだ。今度はその矛先が馬鹿な推しファン達に向かって、嫌がらせじみた真似をするようになった。
一方で、馬鹿なファンしか着いていない推しが憐れになってきた私の中で私が推しの一番のファンでいなければならないという義務感が生じ、推し活に積極的になっていった。
行ける現場は全て行った。嫌がらせは全て匿名で行っていたので、嫌がらせに悩んでいる相手に現場で会って推し話で盛り上がることもあったし、ツイッター上でも仲良くしていた。今でもしているし、良い人だって言われる。
現場通いを続けているうちに推しファンの間で私の存在が認知されるようになって、仲の良いフォロワーも増えていって。供給がある度にみんなではしゃいで。
本当はフォロワーに合わせているだけで、もう推しの顔を見てもときめかない。
推しじゃない俳優を見ているときの方がときめいている。でも言えない。
「かっこいい」「かわいい」「好き」「最高」語彙力無しオタクのクソみたいな褒め言葉を羅列しておけばいいねが貰える。誰よりも早く推しの情報を提供すればいいねが貰える。現場に行ってレポを書けばいいねが貰える。
この数年間をこんなことの為に消費してきた。推しのことはもうとっくに好きじゃない。でも推しを推すことへの執着心を捨てられない。どうすればいいのか分からない。
現場に行く為に必要なお金は少なくなっていくのにまた推し出演作の円盤を購入して、ツイッターに報告して、満足感を得ている。
一人で狂っているだけなのに推しが私の人生を悪い意味で狂わせたと思う瞬間もある。憎悪が溢れる瞬間もある。どうしてこんなことになったんだろう。 本当に好きだったのに。
本当に「推し」とか言う人種って気持ち悪いね
はいレイシズム
Cは現地になったんじゃないwww