はてなキーワード: 埼玉県とは
ここ数年、ブラック校則が話題になっているが毎日新聞の記事に『中学校でどのような校則があったか』の年代別グラフがある。
こちらのグラフでは特に『帰宅途中の買い食い』『スカートの長さ』などの校則について、今(正確には2018年)の20台~30台で一度は緩和されたことが見て取れる。
つまり、毎日新聞の記事にあるような『昔より今が厳しく』という一直線の構図ではなく、昭和から平成へと移った1990年頃に“管理教育”への批判とそれに後押しされた校則を巡る人権救済案件や裁判があり、
その影響で1990年代後半~2010年頃には校則の緩和が行われていて、その揺り戻しが最近になって再び出てきているというのが正しい実態なのではないか。
そして、ちょうどその頃の『1990年版ブラック校則』をめぐる案件に関わった話をたまたま本で読んだので書いてみよう。
ちなみにその本とは、伊藤芳朗(弁護士)著・『ボクが弁護士になった理由』という本だ。
著者は「この事件と前後して綾瀬女子高生コンクリート詰め殺害事件があった」と書いているから時期はだいたい想像できる。内容については少し長くなるが以下に引用する。
この事件は、当時問題になっていた管理教育の最たるものでした。まず、登下校時には、100メートル置きに教師が立って服装、髪型、歩き方などをチェックする。もちろん決められたルート以外の道を通るのは許されない。
山手線の駅に近いため、駅には教師が変装してスパイ活動をしている。髪型は三種類に決められており、おかっぱ頭可、中くらいか、長いかだけ。中くらいの時は黒のゴムで2つに縛らなければならず、長い髪は三つ編みにしなければならない。
もちろんワンレンとかポニーテールは不可。パーマや毛染め、脱色はもってのほか(即退学)。しかも、三種類の髪型を変える時は教師の許可が必要。
また、下着の色が決められていて、肌色か白でないとダメ。ピンクは不可。そのため、全校一斉の抜き打ち検査が度々あり、全校生徒が体育館に集められ、男性教師が並ぶなか、一人ひとり服をめくられてチェックされる。
もし決まった色の下着を着ていなかったり、夏の暑い時にスリップを着用していなかったりすると、壇上に上げられて教師たちから「この子たちは娼婦です」と罵倒され、笑いものにされる。(中略)
体罰は横行し、女生徒も平気で教師から下腹を膝蹴りされる。顔を殴るのは当たり前。言葉による暴力も凄まじい。(上掲書。p.224-226)
平成の初めの時期ですらこのような管理教育があったという。このケースでは、中退した元生徒を申立人として弁護士会に人権救済を申し立て、最終的には校則・制服の全面改訂で妥結したそうである。
前者のパーマ事件があり、報道されたことを受けて別の生徒が『自分もこのような理不尽な退学処分を受けた』と訴えてきたのが後者であり、著者が主に関わったのは後者であったらしい。
男子生徒はS高校在学中にバイクに興味を持ち、免許を取得してときどきバイクに乗っていました。その後、先輩が事故死したことをきっかけに男子生徒はバイクに乗るのを止め、自主的にバイクの免許証を担任に預けていたのですが、元来メカいじりが好きな男子生徒は他人のバイクの修理などを自宅で行っていました。そのような経緯から男子生徒は今でもバイクに乗っているのではないかという疑惑が持たれ、免許証を預けていたなどの態度も一切考慮されず、弁解をする機会も与えられないまま退学願いを出すよう強要され、これを断ると退学処分を行ってきたというものです。(上掲書。p.241-242)
最近は見直されつつあるというバイク関係、いわゆる「3ない運動」を厳しく実施することに関する事件だったのだろう。そして
最初は学校側と復学交渉しましたが、あまりに学校側の弁護士(元検察官)の態度が悪いので(元生徒)本人が怒りだし、ボクたちも頭に来たので、たぶん全国でも初めてだったと思いますが、裁判所に申し立てて、学校に残っていた職員会議録や元生徒の生徒指導要録を証拠保全(裁判が始まる前に相手方が持っている重要な証拠を押さえてしまうこと。医療過誤訴訟でカルテの書き換えを防止するため行うことが多い)したのです。(中略)これも全国初だと思いますが、校則を正面から争った裁判で、生徒側が勝訴したのです。
という結果となった。
ボンタンというのは幅広ズボンのことだが、制服を改造したりするのが流行っていた時期だったのかその辺の影響はわからない。
とにもかくにも、男子生徒が校則違反のボンタンを履いて登校したところ学校からブロックアウトされ授業を受けられないという事例が埼玉県と千葉県で同時期にあったという。
学校側の理屈は、「授業を受けさせないと言った覚えはない。校門のところで『履き替えてきなさい』と指導したら家に帰ってしまっただけだ」というもので、まったくお話になりませんでした。
しかも、論争していると、驚いたことに両校とも言うことは全く同じで、「それじゃあ弁護士さんたちは女生徒がトップレスで登校してもよいと仰るんですか?」もうこれには言葉もありませんでした。ホントはこいつら女生徒のトップレスが見たいんじゃないか、と思わせるほど同じ言い方だったのには呆れるばかりでした。(上掲書。p.244-246)
1つは、『ブラック校則は場合によっては弁護士会の介入や裁判を招く』ことを多くの人に伝えたいと考えたから。
もう1つは、これらの事件に関して同書に興味深い記述があるから。その興味深い記述とは以下のようなものだ。
ある体罰教師は言いました。「ボクも、本当にこんなに暴力を振るっててよいのかと自問したことは何度もあります。でも、周囲が同じようにやっていて、自分も今まで体罰を繰り返していたのに、急に体罰をやめると、自分としてもやるべきことをサボっているという錯覚に陥り、やめることができなかったのです」(中略)
さらに、校長先生のお話はもっとも印象的でした。「私は、実は何度も管理教育を見直そうと悩んだんです。でも、もしウチが突然管理教育を止めたら、生徒は一時的にも荒れるでしょう。そうすると必ず親の方から、『なぜもっと厳しく躾けてくれない』とか、『学校が甘いからウチの子がだらしなくなった』とか、必ず学校が責められるんです。でも、今回は弁護士会という外圧がかかった。だから、親からクレームがついても、『弁護士会から圧力がかかったから、仕方がないから校則を緩めたんです。文句があるなら弁護士会に言ってくれ』って言えるでしょう。助かりました」
結局、管理教育をやる側の教師たちも、何も悩んでいない訳ではないのです。むしろ、内実を知らず、やみくもに厳しくすることだけを望む親との間で苦しんでいる姿がそこにはあるのです。
埼玉の方の学校は、帰りがけに教頭先生がポツリと、「実は私つい最近までアメリカに研究留学していましてね、本当はこんな服装のチェックばかりやらされて『アホらしい』と思っているんですよ」と仰るのです。
結局のところ、『無意味だから止めろ』というのは簡単だ。だが、実際には『管理を強化』が必ずしも安全の向上には繋がっていないとしても、『安全のため』を錦の御旗にされるとなかなか反対できない。
あるいは本当に止めようとなると始めた人の責任問題になったり、互いの空気の読み合いになったりする。だからなかなか止められない。学校に限らず、企業や役所や非営利団体でもありがちな話だ。
担税力は断トツだろう。
厚労省の統計では全国約600万人の生活保護受給者の80万人が東京都だ。
2位から4位まで合計しても80万には満たない。貧乏人の数も断トツというわけだ。
金持ちが多い=財政的にゆとりがあるというわけでもない、と俺は思う。
順位 | 都道府県名 | 人数 |
1 | 東京都 | 804661 |
2 | 大阪府 | 231772 |
3 | 埼玉県 | 193746 |
4 | 北海道 | 193438 |
5 | 千葉県 | 142890 |
なお、政令指定都市と中核市は上記と別に集計されてて、大阪府+大阪市だと一気に60万ぐらいで大阪マジやばいのでは。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/hihogosya/m2017/03.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012212311000.html
こういう住みやすい街ランキングに絶対にランクインすることはないけど、住みやすい街だと私が思っている場所について話をしたい。知る人ぞ知る街である「センター南」「センター北」の港北ニュータウン中心部である。センター南とかセンター北と言っても首都圏に住んでいても横浜の北側に住む人以外でピンとくる人は殆どいないだろう。センター南とセンター北は横浜市営地下鉄の駅で新横浜・横浜へは一本で行ける。都内に出るときはあざみ野から田園都市線か日吉から東横線・目黒線を使う。都内までおよそ1時間圏内にあるのがこの2つの駅である。乗り換えがあるという点で通勤の利便性は少し落ちると思う。それもあまり注目がされないし、誰からでも人気になるとは言い難い理由である。
センター南と北の港北ニュータウン中心部は横浜市によって計画的につくられた街である。どちらの駅も駅前に巨大な広場がある。そして道路が車道と歩道が完全に分離している。子育て世代に完全に特化していると言ってもいい。この区画にある小中学校に通う子供は住んでいる場所によっては一度も横断歩道を渡る必要がない。車とすれ違うことがなく通える場所もある。また歩道が東京都など比べて考えられないほど広い。子育てをしている親にとって歩道が広いというのは完全にプラスである。実際センター北と南に住んでいる人は子供のいる家庭がほとんどである。歩道が独立しているので、ランニングにも向いている。港北ニュータウンの緑道は信号一切なしで片道12km走ることができる。どの時間でもだいたい誰かは走っている。ただ、夜は暗いのでちょっと緑道を歩くのは怖い。
あとこの2つの駅の周りではよくテレビや映画のロケでやっている。もう芸能人やエキストラを見るのは慣れた。ヒーロー物の撮影もやっていたがあまりに少人数のスタッフで回していたので驚いたこともある。道も広いし、広場もあるので街を歩くシーンを撮影するのにはもってこいなのだろう。電気グルーヴの人間大統領のインタビューシーンもここだった。
他にセンター南と北の中心部の面白いところは商業施設が充実している。ショッピングセンターは5箇所もある(港北東急、都筑阪急、ノースポート・モール、るらら港北、港北みなも)。エンターテイメントでいうなら映画館は2館(109シネマズ港北とイオンシネマ港北ニュータウン)ある。だいたいの人気先はここ2つで網羅できる。なぜか本屋は4つもある。この本屋が儲からないと言われているご時世におかしい。そして一番おかしいのはスーパーの数である。大小含めて少なくても14箇所もある、それ以上かもしれない。センター南と北からそれぞれ半径500メートル以内でそれである。センター南だけ(早渕川以南)でも8箇所もある(ロピア、あおば、相鉄ローゼン、三和、生協、まいばすけっと、オリンピック、港北マルシェ、最近できたわくわく広場)。こんなに作る必要が一体どこにあるのかわからない。だからなのかもしれないがコンビニは少ない。少ないと言っても6、7件はあると思う。あまり行かないので数えていないが。あと奇妙なのが歯医者と美容室はコンビニよりも密集している、数え切れない。美容室の2件隣が美容室である。センター南と北の住人はよほどの頻度で髪を切っているか、歯を抜いているに違いない。
あと飲食店に関して言うと家族連れか会社帰りのサラリーマンに特化している。特にチェーン店ばかりである。マクドナルドは4店舗もある。みんな大好きサイゼリアは3箇所である。居酒屋はなぜか鳥貴族とかチェーン店の居酒屋ばかりが入ったビルがあったりする。独り者やグルメな人にとってはあまり開拓しがいがない街ではあるのだが、そういう人は都内で飲んで帰ってくるのだと思う。
なぜ絶対にランクインしないと断言できるかというと新築分譲マンションが殆どないから。今年2棟マンションが作られたが、その前は4年前である。規模としては20戸ぐらいの小規模なマンションである。ここは区画上タワーマンションが作られることはないので、某武蔵小杉のような人口超過によるカオスになることはない。今後また数年間新築分譲マンションが建つことはない。今作っているマンションはすべて賃貸目的である。不動産屋は賃貸目的でマンションを作ってもすぐ入居者で埋まってしまうので、わざわざ売る必要がないのだ。賃貸で回していったほうがよほど儲かるのだろう。売る物件がないなら分譲物件を取り扱う不動産屋や金融機関に取り上げる理由はない。しかも中古物件ですらめったに売りに出ない。中古で良い条件の物件が出たら一瞬で売れてしまう。売れ残るのは間取りが悪いか北向きなど日照条件が悪いかのどちらかである。なお駅から20分ぐらい離れたところに大規模マンションが昨年作られたが、それは駅中心部から離れすぎているので今回の対象とは考えない。
あと子育て世代が多すぎて、あまり一人暮らしで住んでいる人は多くない。実際に一人暮らし用物件は駅から離れたところにしかない。商業施設的にも若者にとってあまり楽しい街ではない。どれも子供向けなのだ。だから吉祥寺みたいに若者に人気の街にもならない。実際若者が騒ぐことはあまりないので静かな街である。
他にもセンター南と北のいいところはいっぱいあるのだが、これだけでも十分うざいし満足したのでやめておく。ここは手の届くところに全て揃いすぎていて離れがたくなる。そしてなによりあまりここのいいところがあまり発見されていないので人がごちゃごちゃしていないところもいい。これからもランキングに乗ることもなく、気づいた人だけがわざわざこの場所を選んで住むことになるのだろう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012212311000.html
こういう住みやすい街ランキングに絶対にランクインすることはないけど、住みやすい街だと私が思っている場所について話をしたい。知る人ぞ知る街である「センター南」「センター北」の港北ニュータウン中心部である。センター南とかセンター北と言っても首都圏に住んでいても横浜の北側に住む人以外でピンとくる人は殆どいないだろう。センター南とセンター北は横浜市営地下鉄の駅で新横浜・横浜へは一本で行ける。都内に出るときはあざみ野から田園都市線か日吉から東横線・目黒線を使う。都内までおよそ1時間圏内にあるのがこの2つの駅である。乗り換えがあるという点で通勤の利便性は少し落ちると思う。それもあまり注目がされないし、誰からでも人気になるとは言い難い理由である。
センター南と北の港北ニュータウン中心部は横浜市によって計画的につくられた街である。どちらの駅も駅前に巨大な広場がある。そして道路が車道と歩道が完全に分離している。子育て世代に完全に特化していると言ってもいい。この区画にある小中学校に通う子供は住んでいる場所によっては一度も横断歩道を渡る必要がない。車とすれ違うことがなく通える場所もある。また歩道が東京都など比べて考えられないほど広い。子育てをしている親にとって歩道が広いというのは完全にプラスである。実際センター北と南に住んでいる人は子供のいる家庭がほとんどである。歩道が独立しているので、ランニングにも向いている。港北ニュータウンの緑道は信号一切なしで片道12km走ることができる。どの時間でもだいたい誰かは走っている。ただ、夜は暗いのでちょっと緑道を歩くのは怖い。
あとこの2つの駅の周りではよくテレビや映画のロケでやっている。もう芸能人やエキストラを見るのは慣れた。ヒーロー物の撮影もやっていたがあまりに少人数のスタッフで回していたので驚いたこともある。道も広いし、広場もあるので街を歩くシーンを撮影するのにはもってこいなのだろう。電気グルーヴの人間大統領のインタビューシーンもここだった。
他にセンター南と北の中心部の面白いところは商業施設が充実している。ショッピングセンターは5箇所もある(港北東急、都筑阪急、ノースポート・モール、るらら港北、港北みなも)。エンターテイメントでいうなら映画館は2館(109シネマズ港北とイオンシネマ港北ニュータウン)ある。だいたいの人気先はここ2つで網羅できる。なぜか本屋は4つもある。この本屋が儲からないと言われているご時世におかしい。そして一番おかしいのはスーパーの数である。大小含めて少なくても14箇所もある、それ以上かもしれない。センター南と北からそれぞれ半径500メートル以内でそれである。センター南だけ(早渕川以南)でも8箇所もある(ロピア、あおば、相鉄ローゼン、三和、生協、まいばすけっと、オリンピック、港北マルシェ、最近できたわくわく広場)。こんなに作る必要が一体どこにあるのかわからない。だからなのかもしれないがコンビニは少ない。少ないと言っても6、7件はあると思う。あまり行かないので数えていないが。あと奇妙なのが歯医者と美容室はコンビニよりも密集している、数え切れない。美容室の2件隣が美容室である。センター南と北の住人はよほどの頻度で髪を切っているか、歯を抜いているに違いない。
あと飲食店に関して言うと家族連れか会社帰りのサラリーマンに特化している。特にチェーン店ばかりである。マクドナルドは4店舗もある。みんな大好きサイゼリアは3箇所である。居酒屋はなぜか鳥貴族とかチェーン店の居酒屋ばかりが入ったビルがあったりする。独り者やグルメな人にとってはあまり開拓しがいがない街ではあるのだが、そういう人は都内で飲んで帰ってくるのだと思う。
なぜ絶対にランクインしないと断言できるかというと新築分譲マンションが殆どないから。今年2棟マンションが作られたが、その前は4年前である。規模としては20戸ぐらいの小規模なマンションである。ここは区画上タワーマンションが作られることはないので、某武蔵小杉のような人口超過によるカオスになることはない。今後また数年間新築分譲マンションが建つことはない。今作っているマンションはすべて賃貸目的である。不動産屋は賃貸目的でマンションを作ってもすぐ入居者で埋まってしまうので、わざわざ売る必要がないのだ。賃貸で回していったほうがよほど儲かるのだろう。売る物件がないなら分譲物件を取り扱う不動産屋や金融機関に取り上げる理由はない。しかも中古物件ですらめったに売りに出ない。中古で良い条件の物件が出たら一瞬で売れてしまう。売れ残るのは間取りが悪いか北向きなど日照条件が悪いかのどちらかである。なお駅から20分ぐらい離れたところに大規模マンションが昨年作られたが、それは駅中心部から離れすぎているので今回の対象とは考えない。
あと子育て世代が多すぎて、あまり一人暮らしで住んでいる人は多くない。実際に一人暮らし用物件は駅から離れたところにしかない。商業施設的にも若者にとってあまり楽しい街ではない。どれも子供向けなのだ。だから吉祥寺みたいに若者に人気の街にもならない。実際若者が騒ぐことはあまりないので静かな街である。
他にもセンター南と北のいいところはいっぱいあるのだが、これだけでも十分うざいし満足したのでやめておく。ここは手の届くところに全て揃いすぎていて離れがたくなる。そしてなによりあまりここのいいところがあまり発見されていないので人がごちゃごちゃしていないところもいい。これからもランキングに乗ることもなく、気づいた人だけがわざわざこの場所を選んで住むことになるのだろう。
差別と表現規制の話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現は
という.
この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民にエビデンスを提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいかに知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.
ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口にエビデンスといっても質の強弱がある:
I | システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
II | 1つ以上のランダム化比較試験による |
III | 非ランダム化比較試験による |
IVa | 分析疫学的研究(コホート研究) |
IVb | 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
V | 記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
VI | 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
もちろん,社会科学分野では完全なランダム化比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学の研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制の議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンスを提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である.
宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士の発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスがフェミニスト側から提示されることは現在までない.
と,有害性は明らかであるとする.自治体のガイドラインは炎上しないためのHow toであり,これに抵触したからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連のポスターですら,形式的にはガイドラインに抵触することが指摘されている:
https://togetter.com/li/1425795
こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか.
キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。
「性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実の性差別・性犯罪を助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイのイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.
https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560
ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞のサイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期の自分は、やっぱり傷ついたから。
自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがときに女性をいかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分の趣味にケチつけられたら、腹も立つだろう。
ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.
千田氏自身は,法規制を求めているわけではなく「市民的公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民の議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民の議論の補助となるエビデンスを提示してもらいたい.
今年の4月,フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字を引用し,現在の社会にある男女差別を提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想で同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンスを提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制でエビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである.
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677289746617677442/comment/doroyamada
事実誤認が広まるといけないので、増田でこのブコメが根本的に間違いである論拠を三つ提示して、誤解を解いていきたいと思います
①「湖西線を並行在来線にしないで」と主張しているのは『関西広域連合』
→沿線府県でつくる北陸新幹線建設促進同盟会が主張したわけではないのに、誤解しています
https://www.pref.nagano.lg.jp/kotsu/happyou/191108press.html
建設促進同盟会は「東京都、埼玉県、群馬県、長野県、新潟県、富山県、石川県、福井県、京都府、大阪府」で構成されています
→滋賀県が沿線府県の立場から政治的要求を通そうとしているわけではないのに、誤解しています
◆
これらの事情から、湖西線の三セク切り離しに、滋賀県や関西広域連合が反対するのは、当然のことと言えます
それをまるで(滋賀県はおいしいおもいだけして、ごねている)かのように言われるのは心外であり
不当な批判と言わざるを得ません
どうかその点、ご理解ください
乳幼児スナイパーの主戦場は主に交通機関の中だが、俺のようなプロともなると「親が身動きできない状況」は概ねすべて戦場に様変わりすることも珍しくない。まさに常在戦場。かっこいいなあ、もう一回言ってみよう「常在戦場」。
ここは埼玉県でも有数のとある歓楽街。世を忍ぶ仮の姿で底辺リーマンである俺は仕事の打ち合わせを終え、乗り慣れない黄色の電車を降り、飯でも食って帰ろうと西口から出た。俺が子供のときに観てた、略すとプロレス団体みたいだったタイトルのドラマの舞台ともなった界隈。道行く人たちも何かそんな雰囲気である。俺は身長だけ長瀬智也に似ているので自然と口を開けながら歩いてしまう。
このあたりを歩いていると、黄色い電車の中にもいたが、制服なのになぜか化粧がプロ並みにバッチリ決まったアンバランス女子高生が散見され、大人の俺としては「きみもしかしてコンプライアンスにていしょくするバイトしてない?」と素朴に尋ねたくなるのもこの地ならではである。
立ち並ぶ飲食店の中、大人の疲れを癒してくれる居酒屋を物色して俺が彷徨っていると、おおよそこの界隈に相応しくない赤ん坊の声がする。やれやれ今の俺はオフなんだけどな。常在戦場の身としては仕方ないか。
とある飲食店の前で、泣いている赤ん坊を抱いて一生懸命あやしている父親の姿が見えた。傍らには赤ん坊のお姉ちゃんとおぼしき少女もいる。父親はスーツでお姉ちゃんもちょっとよそ行きの恰好をしており、俺のプロとしての経験則が素早くプロファイルする。「おそらくお出かけ帰りである」と。そして食事中にこいつが急に泣き出して周囲に迷惑だからと父親が抱きあげて席を立ち、お姉ちゃんは「あたしもいく!」とでも言いながら父親について来たのだろう。俺は大人だから瞬時に脳内で映像付きで再現された。もちろん4Kだ。
OK、周囲に迷惑をかけないよう赤ちゃんを連れ出す気配り。さらに嫁さんに食事のゆとりを与えるその思いやり。俺は嫌いじゃないせ。この子のママであるあんたの嫁さんは、あんたの優しい心遣いに安心して今頃好物のエビチリをザトウクジラがオキアミの群れを一気食いするように貪ってるんだろう?素敵な奥方じゃないか。
プロの出番が来るかどうかはわからないが常在戦場を信条とするプロのたしなみとして俺は漠然と戦略を立てていた。もちろん彼が自力で事なきを得た場合「いや俺大人なんで初めから関心ないっす」と言う顔で通過できるようゆっくりではあるが歩みを止めず距離を詰めていると、俺と同じような動作で対象との距離を詰めている者がいた。二十歳かそれを少し過ぎたくらいの女の子だった。む!同業者か?
前述のアンバランスJKの先輩かと勝手に錯覚させる雰囲気。キノコみたいな金髪。モヘアニットのワンピースからべろーんと出ている肩、妙に光沢のあるトートバッグを持っている。俺の経験則ではこういう風貌の女が同業者だったケースはまれで、むしろ赤ちゃんの泣き声に舌打ちするタイプのはずだが人は見かけによらないのかもしれない。なお、信仰上の理由なのか眉毛がない。
(蛇足ではあるが俺が生まれた西の地には「キャンディ☆スパッツ」と言う、主に壮年のご婦人のみで編成された大規模かつ凶暴な乳幼児プレデター軍団が存在するのだが彼女たちもおおむね眉毛がない)
「びゃぁぁん!けほっけほっびゃぁぁぁん!けほっ」。この咳込みながらの泣きに、くぐり抜けてきた修羅場で培った俺の本能が危険を知らせる。これは狙撃では間に合わないかもしれない。そしてこの父親はおそらく赤ん坊を独りであやすのに慣れていない。あの毛布みたいなタオルみたいな赤ちゃん用のふわっとした布が垂れ下がっても気づいてないあたり間違いない。そろそろ来るぞ!回避は間に合わないから衝撃に備えろ!
「っびゃぁぁぁれろろろろろ」そう、泣きゲロだ。
後編へつづく
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
読んだんだけどさ。
まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。
当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。
いや、俺は「性が断片化され、人格からきりはなされたものと扱われる」っていうのが何を言ってるのかさっぱりわからんのだが。
だいいち、この人の理屈だと、公共の場に限らず、宇崎ちゃんは差別的でダメってことになると思うんだが。
なんで公共の場以外だったらOKになるの? それはそれで適当過ぎない? (挨拶)
ここから本題。
最初にさ、赤十字じゃなくて埼玉県のガイドラインの話するじゃん?
んで、宇崎ちゃんが埼玉県のガイドライン的にアウトって話をするのね。
なんでも女性を笑顔にしてるだけでダメなんだってさ。(ここよくわからないポイント1)
んで、埼玉県のガイドラインですらアウトなんだから、赤十字はもっと公共にあたるし当然だめっていうのね。(ここよくわからないポイント2)
んで、ここまでのよくわからんポイントはとりあえず飲み込むとして
「公共での広告の在り方を定めるガイドライン的にNGだから宇崎ちゃんもダメ」っていうのはとりあえず受け入れるとするじゃない?
ここまではまだモヤモヤはするけど受け入れられるのよ。
まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。
当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。
ここよんで「はあああああ?」ってならんかった?
なんでさ。
公共のガイドライン的にちょっと自重したほうがいいよっていう話を受けいれたら、
自動的に、「宇崎ちゃんの絵は、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題」
ってところに合意させられるわけ? (ここよくわからないポイント3。というか納得できないポイント)
そもそも論理が逆転してんじゃん。
今までは一応「ガイドライン」の存在が先にあって、それにひっかかるからアウトって話だったよね。
全然違う話をつなげてる上に、その違う話でNG判定が出たってとこから無理やり逆算してるのね。
「ガイドライン的にNGだった」→「女性蔑視・女性差別だから」→「宇崎ちゃんは女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われてるものだ」になってる。
これずるくね?
だって、牟田さんの記事、どこにも「宇崎ちゃんが女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」ということについて説明してないじゃん。
なんか、前のガイドラインの件の続きで、あたかもこの点については説明済み・合意済みって前提で話進めてんじゃん。
ちょっと牟田先生の知性を疑いたくなるレベルでひどいと思うんですけど。
いや牟田先生がバカだからじゃなくて、説明してないことを説明したつもりになって記事書いてるだけならまだいいよ。
でも、もっと恐ろしいのは、牟田先生がわざとこういう構成で文章を書いてるとしたら。
それはもう教授失格でしょ。
それが教育者のやることですか?
この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士や評論家と称する人たちにさえ「個人の気持ちの問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。
別に素人なら頭の痛い思いをしたとか感情的なことを書くのもいいけどあなたフェミニズム学の教授でしょ。
なに素人みたいなこといってんの?
考えてみてほしい。
物心つく前から、街頭で目にするポスター、本屋やコンビニの店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的なポーズを取り男性の欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥な言葉を浴びせられる。学校の先生や男子たちから体つきについてからかいや嘲笑を浴びる…。
日本で普通に生きていてこんな体験をしたことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方そのものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから、自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約や基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ。
そうかもしれんけど。
それと牟田先生がろくな説明もせずに「宇崎ちゃんが女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」認定したことは全く関係ないよね。
話ごまかしてるよね。
ねえ。
フェミニズムの授業っていっつもこんな非論理的な解説やってんの?
それ学問としてどうなの?
さすがに、今回の記事をまじめに書いてこれだったんだったら、教授としての資質を疑いますよ。
象牙の塔で、誰も批判する人がいないからいつの間にかこんなずさんな文章書いてもやばいと思わなくなったのかどうか知らないけど。
書き直して。どうぞ。
献血コラボウォッチャーからすると、擁護派の「献血の啓蒙のためならキャッチなやつがいい」とか「とにかく献血が集まればよかろうなのだ」って意見見るけど、本気?
いや、さ。宇崎ちゃんは1都6県だけ、冴えカノなんて神奈川県・東京都。
わた天なんて神奈川県だけだよ。とうかわた天は等身大パネルおいてたし神奈川頑張ってるな。
って話がずれた。献血コラボでもコミケの献血応援イベントなんか北は北海道から、南は沖縄までやってんのよ。
ガルパンはあたりはご当地アニメというのもあって難しいかもだけど、ガルパンは北海道や沖縄からわざわざ茨城に来た人いて1000人強。
普通に全国でやればよくね?
1都6県で4350万いるけど、普通に全国なら2倍以上になるんだよ。
まあ、おいらは献血コラボがどういうグッズやイラストなのかとかに興味があるだけでグッズにはまったく食指が動かないのでいいけど。
宇崎ちゃんコラボを応援とかより、普通に全国でやってて意見の方が献血の啓蒙にも献血集めるにもいいと思うんだけど。
艦これあたりが全国でコラボして鹿島にメンソレータム的なオールドスタイルの看護師の服きせて等身大パネルおいたら、数万リットル余裕でいけるんじゃね?(なお毎年の献血量は180から200万くらい)
まあ、そうしたら「有明の女王」以外に「ヴァンパイアロード」とか「真祖」とか呼ばれるのかな?
あ、あとコラボの期間も宇崎ちゃんは10/1から10/31で冴えカノが10/21から11/30、薬屋のひとりごとが11/16から12/31、コミケの献血応援キャンペーンはたぶん12/28から1/31、で宇崎ちゃんの第二弾が2/1から2/28みたく被ってたりで、グッズ欲しい人はいついけばいいんだ?状態なので、そういうのも3ヶ月毎基本でならしたり、次回コラボグッズ交換券をあげるとか色々やりようあると思うんだよね。
まあ要望や問い合わせするくらいならタダなの駄目元で俺はしてるけど、たぶん本気で献血のこと考えるならそっちじゃない?しらんけど。
・追記
とても勉強になるまとめをみつけたのでお知らせしたい。
どういうわけかうまくリンクを貼れないが、ここ→ www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391
以下、増田の駄文。大変不勉強で、特定の方々をディスったりして申し訳なかった。こんなものをみる無駄な時間を節約してほしい。
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実は、恥ずかしながら、治水のことなど今まではっきり考えたことはなかった。
休日で暇だったのが幸いして文献を読みまくることができた。
一部、ツイッターなどでは事実上、運転を開始した八ッ場ダムが2日間で満水にしたことで
何が税金の無駄だ…台風19号 「八ッ場ダム」賞賛の声が相次いでいる – ジャストニュース
ガンダムになぞらえるなど、まるでヒーローのような扱いだ。へー、ダムってすごいんだな、と思った。
それに対して、冷静な反論も多く見られた。いわれてみれば、
利根川水系の治水対策は、八ッ場ダムだけが頼みの綱だったわけではないし、むしろ未完成の現在では既存の利根川流域の治水計画の範囲外のはずだ。
台風接近中、いろいろ文献を読んでみた。日本の治水というのは、思ったより興味深いものだった。
数々のツイッターが注意しているように、今回の台風19号の八ッ場ダムの治水効果は技術的な検証を待ってから、というのはその通りだと思う。満水したからといって大騒ぎするのは早計。
とかね。
百歩譲って、流域全体に均一に雨が降るという前提なら成り立つんかね??定量的って、、、、全く。
そのなかでも、ちょっと気になったのは、以前より長い間、八ッ場ダムの反対運動をしてきていると思しき人たちのツイッターやブログの書きぶり。
あしたの会とかそんなやつ。以下、「彼ら」。
ひとことでいうと、彼ら、存在しない夢の総合治水像ですべての物事を語っている印象だ。しかも上記のツイッターと同レベルで科学を装っているから始末にわるい。
具体的にもっとも違和感を覚えたのは、堤防管理では越水耐性を強化すべきとしている点。
堤防で水際の越水対策をきちんとやっていればダムなど必要ないというわけだ。
一方、国交省は、堤防の耐越水技術は確立されていないとして、導入にすら消極的だ。
それに対して、彼らは、いやそれはダム偏重の治水だケシカラン!安価で確実なものができるはずだ!ダム派の陰謀だ!と主張。
おおむね、こんな感じ。
応答する論理がぶっ飛んでしまって、彼らは自分だけ左翼っぽい政治闘争のレールに勝手に乗っかってしゃべっていて、
話がかみ合わなくなっている印象だ。
ダム反対派ってこういう感じなのか、、と実感した。今後はそっ閉じかな、と。
少し時間をさかのぼって、昨日の未明のことを話す。読売新聞が、「利根川決壊の恐れ」とのニュースを報道した。
国土交通省関東地方整備局によると、埼玉県久喜市栗橋の利根川で氾濫危険水位を超え、13日午前3時以降、同県加須市の利根川と渡良瀬川の合流点で越水し、堤防が決壊する恐れもあるという。このため、両市は防災行政無線などで近隣住民の避難を呼びかけている。
すでに、昨日の時点で、いろいろ文献をあさってて、関東平野の治水にちょっとは詳しくなった気になっていたころだった。
決壊すれば、近隣住民の避難どころの話ではなく、下流域の春日部市から江戸川区に至るまで広範囲に水没し、カスリーン台風の二の舞になる恐れがある、ということがとっさに分かった。
水位情報を確認すると、確かに、栗橋の観測地点において、氾濫危険水位を超えてじわじわ水位上昇中だった。堤頂から2mくらい下まで水位が来ており、台風の強風によるうねりを考慮すると、越水が気が気でない状況。
そこで同地点の洪水対策をググってみたら、彼らのウェブサイトがヒットした。
NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーション | 八ッ場(やんば)あしたの会
彼らは、2017年当時、NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーションを批判し、次のように主張する。
今回のシミュレーションは、利根川の栗橋付近(埼玉県久喜市)の決壊で溢れた洪水が、中川(農業用水の排水河川)を通して東京都内まで短時間で到達するとしたものです。利根川の氾濫洪水が流下するバイパスに中川がなることはあり得ることだとは思いますが、そもそも、利根川の栗橋付近の堤防が決壊する危険性がどの程度あるかが問題です。
栗橋付近から上流の利根川中流部右岸および江戸川上流部右岸では、土地を買収して堤防の裾を大きく拡げる首都圏氾濫区域堤防強化対策事業が国交省関東地方整備局によって進められています。
へー、そうなんだ!やるじゃん、国交省!と安心したのが、彼らの主張を見た最初だった。
ところが、このページの締めくくりに書いてあった文章に違和感を覚えた。次のように彼らは締めている。
この事業は浸透に対する堤防の安全性を確保することを目的とし、国交省は超過洪水対策ではないとしていますが、これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らかです。その点で、今回のシミュレーションは前提が現実と遊離した仮想計算といえます。
NHKの報道は、利根川の栗橋付近で行われてきた首都圏氾濫区域堤防強化対策事業や堤防の現況などには触れませんでした。洪水への備えは必要ですが、利根川決壊の恐怖を必要以上に強調する報道は、果たして防災の役に立つのでしょうか。
まず第一に引っ掛かったのは、国交省が同地点で実施した堤防強化事業を"超過洪水対策”ではない、としている点。
超過洪水対策?なんのことを指しているのかわからなかったので、検索してみたら、例の耐越水堤防をめぐるダム反対派と国交省のやり取りがヒットしたというわけだ。
次に疑問を持ったのは、
と結論づけていることだ。国交省が超過洪水対策じゃないっていってるじゃん??根拠がわからない。
しかも、この記事を読んだのは、国交省がまさに台風19号により栗橋付近での決壊の恐れを警告したニュースをみているときだ。
つまり、彼らは国交省の堤防強化事業について、越水対策の下駄を勝手に履かせて、その効果を信じているが、国交省は昨日時点で、すでに堤防強化された箇所において、なおも越水の危険を警告した、という構図。
現実と遊離しているのは一体どちらなのか??
さらに、たった今気が付いたのだけど、
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00552.html
によれば、栗橋付近の工事、まだ終わってないか、ほぼ終わったばかりじゃねーか!
2017年に終わってるとか嘘じゃねーか、騙されたぜ。
もうひとつ違和感が残った彼らの主張に、カスリーン台風の評価がある。
カスリーン台風襲来時、たまたま運よく吾妻川流域の降雨が少なかったというのが俺の理解だ。
それに対して彼らは、国交省はカスリーン台風同程度の台風が来たら被害が大きくなるというが、それは妄想だ、カスリーン台風時でも吾妻川流域は持ちこたえたんだよ、と主張。おおまかにいうと。
これもさっきのツイッターと似て、彼らのお花畑では、流域全体に常に均一に雨が降ってんだろう。
それにしても、彼らは、なぜ、それほどまでに堤防事業を全力で信頼しているのか。その答えは、彼らの思い描く理想の総合治水像にあった。詳細は彼らのサイト。
大まかにいうと、ダムに過度に依存せず河川改修やソフト対策を中心とした総合治水モデル。へー、脱ダムの主張ってこんな感じなんだと感心。
確かに、流域によっては、河川改修の方が費用は少ないという試算を出せる場合もあるだろう。雨水対策や遊水地効果を狙って水を河道から逃がす発想も大切だ。
従来の治水の思想は、「貯めて、流す」という言葉で表現されるように、「水を河道に封じ込めて人間が流量をコントロールする」というもの。
近年は、彼らになびいたわけではないだろうけれど、ダムを大きな治水の柱としつつも、特に首都圏では雨水対策はかなり充実してきているように思える。
しかし、問題は、近年の気象現象の変化によって増大する大規模水害。この発想でどこまでいけるのか?
一体、どこまでのハザードを国や広域自治体(県)が想定すべきかどうかにも関わってくる。
財政的な現実性を踏まえれば、100年確率で検討するよりも、50年、30年確率で検討したほうが安価だ。
人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水は我慢してもらうといった発想だ。
例えば、2010年に当時の橋下大阪府知事が決定した槙尾川ダム建設中止はそうした費用対効果の分析に基づいている。
流域を個別にみていけば、最適解はそれぞれ異なるだろう。
比較的規模の小さな流域では、高いコストでダムを作って「貯める」中心の治水を行うよりも、むしろ頻度の高い少々の洪水には我慢してもらう、という発想はありうるかもしれない。
なんでもかんでも山河をコンクリートで固める時代は確かに終わったと思う。
だからこそ土砂災害防止法が2001年制定され、避難などのソフト対策へのシフトも謳われた(土砂災害はちょっと別ジャンルだが)。
しかし、政治的意思決定は、自治体の財政的なインセンティブに左右されてしまう可能性もあるかもしれない、というのが当時の橋下府政に関する文献をみた印象だった。
そうすると、広域自治体によっては、経済的に安価なよりコンパクトな治水事業が知らず知らずに選択されかねない。
住民の目からすれば「ちょっと床下浸水くらい我慢してね、あとは自助だよ、自助、逃げろ走れ、だよ」と広域自治体から言われ、
基礎自治体からは、市町村合併して公務員縮小してるところなんで、避難体制整備まで人回せません。。みたいな、ね。
正直、日本の中山間地域含む地方は、そんな風に途上国化してもやむを得ない状況だと思っている。
しかし、首都圏を洪水から守るという発想は正直、次元が違うというのが、ここ二日間、暇に任せて学んだ印象だ。
総合治水の在り方は、守るべき価値の大きさとのバランスだと思う。栗橋付近決壊で、東京ダウンタウン住民数百万人に、一斉に逃げろ、みたいな構図は、正直ありえない、あってはならない。
国のシナリオでは100兆円34兆円(*訂正)をこえる被害想定も算出されている。
百歩譲って、首都圏を守るための治水事業においても、脱ダムして、河川改修を中心とした対策にシフトすべきだ、としても
彼らのように、現実にありもしない堤防の越水対策などを謳って独自の想定シナリオを提案し、脱ダムの必要性を訴えるのは、行政サイドからは話がズレているとしか思われず、空回りするだけだろうと思われた。
河川改修の重要性、これに異論があるわけではない。例えば新潟三条を流れる五十嵐川とか、拡幅工事がなかったら終わってたわけだし。だけどダムを否定する論理にはならない。
しかし、議論するなら説得力は相当に必要だ。相手にされなかったときに、やっぱりダム利権が絡んでいるからだ!と政治闘争路線に走るのも彼らのお決まりのコースなのが残念なところ。
ドラえもんの道具を謳いたいなら、それは科学論文で証明してもらわないと。
科学技術的な論文で勝負してもらいたい話を政治の話にすり替えるのは卑怯だし、見苦しい。
そんなことを思いながら、貴重な休日が終盤に差し掛かりつつある。。
+++++
追記その1訂正
首都圏大規模水害の被害想定は34兆円が正解。土木学会が取りまとめた高潮被害と混同してました。。
追記その2
長くなりすぎるので割愛したけど、調べている途中で見つけた新潟県及び三条市の過去15年年にわたる五十嵐川の治水の取り組み、見附市の刈谷田川の田んぼダム、ソフト・ハードの絶妙な組み合わせ。素晴らしいものがあると思った。
市町村合併云々のくだりは倉敷市真備町の事例を参考にした。雨水対策は、中堅都市では岡崎市の住民参加型の取り組みも興味深く拝見した。
本来このような話を本文で書くべきだったのかもしれないがあしからず。
追記その3
「彼ら」含めた原告団が最高裁まで争って敗訴決定したのは2015年こと。住民の疑問点は一顧だにされなかったと憤慨されている記事もある。しかし、そのあとにも引き続き、いろいろと従前の主張を繰り返しご発言なさってるという状況は留意しておいてもいいことだと思ってる。治水の話かと思いきや、左翼レッテル張りの記事に見える(個人の感想です - fn7のコメント / はてなブックマークに対するコメントとして。→ええ、そうだよ、思いっきりディスってるよ。
負けたなら黙れっていってるわけじゃないが、高裁判決に対してろくに反論もしてない時点で、キャッチボールになってないんだよ。そういうものを無視して同じ主張を繰り返すくらいなら、主戦場を変えたら?って思う。
NHKから国民を守る党の立花が埼玉の参院選補選に立候補した。これがとにかく面白い、と増田は思うのでその内容を解説したいと思う。
まず自分の立ち位置から。今年の参院選でN国が一議席を獲得するまでは単なる泡沫だと思っていた。参院選終了後から立花チャンネルを研究して、今では準支持者である(まだ投票したことはない)。
前埼玉知事の上田氏が大野現参院議員とのバーターでやめたのが先々月。大野は無事知事に当選し、今回上田が補選に出馬した。上田は元衆院議員でその後埼玉県知事を4期!務め、任期満了で大野と交代。
最も馬鹿だと思うのは、参院選に完全無所属で出馬するということである。上田は国家議員の最後は民主党に所属していたものの自民党の二階が支持しているという情報もあり思想は完全に不透明である。
国政に進出するのであれば、消費税や改憲、あるいは韓国との外交課題などについて一定の見解を示すべきであるが、開示されていない。自民も公明も民主も維新も社民も共産もある意味支持できてしまう状態である。投票したら国政にどのような影響があるのか全くわからない。これ程有権者を馬鹿にした候補者が本当に国会議員に相応しいのか?
そもそも立花の目的はNHKのスクランブル化である。その目的に対して手段を選ばないところが、普段ビジネスをやっている増田から見ると無茶苦茶参考になる。ビジョンを持って組織を作り、アジャイルなプロジェクトの進め方をする。増田がこの点で衝撃を受けたのはマツコ糾弾の時である。あの時、なぜマツコを選んだのか。同時期に東国原や太田など立花批判者がいた。これらのテレビに出ている有名人として一見同じ枠に入っていると思われる人物には違いがあったのである。それは文字通り数字(Youtubeの再生回数)が取れるかどうかだった。なんと、立花はこれらの人物への反論を通じてABテストをしていたとのことである。そして最も数字が取れる人物がマツコデラックスだったと。
今回の補選も計算ずくだ。たとえ立花が辞めたとしても、比例区なので二位の浜田が繰り上がる。ここのところ選挙に出まくっていた浜田は体調も崩していたし、心配だったので一度身分が落ち着いて仕事ができる環境になったのは本当に良かったと思う。
また、N国は選挙にお金を使わない。今回も供託金は必ず返ってくるだろうし、限りなく安い費用で選挙をするだろう。これは寄付金等で既得権益の代表である組織から資金をもらわないということであり、クリーンな政治が可能になるということでもある。
にわかN国ウォッチャーである増田は昨日重大な発表があるというのを動画で確認していた。しかし、立花自身が出馬するというのを全く予想出来なかった。立花曰く先週金曜日の夜に思いついたとのことである。最初に相談された幹事長の上杉ですら反対したということで誰もが思いつかなかった裏技だ。しかし、一度聞くとこれは合理的な理由があるしなにより埼玉の補選で勝てる可能性が十分にあると直感した。はてなのインテリたちはこんな泡沫が当選するなんて、と思うだろう。その気持ちはよくわかる。しかし、このような右派ポピュリズムが台頭するのは世界の潮流でもある。トランプやジョンソンが当選したように、立花が当選する確率はかなり高いと増田はみている。共産やれいわの候補が出ていれば難しかったかもしれないが、上田との一騎討ちになった時点で確率はかなり上がった。
もし自分が埼玉県民だったとして、投票所に行って上田の名前を書きたいだろうか?良識あるはてなの皆さんにとってこれはかなり葛藤があるはずだ。71歳、再選しないと言っていた知事を4選もして、しかも大野と参院選をバーターで交代。所属を明らかにせず完全無所属。こんな既得権益まみれのお爺さんの名前を自分の大切な投票用紙に書くのか?
まず、誰がそれぞれの候補の応援にくるかは見ものだろう。立花側は渡辺喜美、丸山穂高、青汁王子、上杉などは決定だろうが、あと誰がくるか。ホリエモンはポスターの掲示責任者になったそうなので、ポスターも大注目だ。
一方で上田側は誰がくるのか?枝野と二階はくるのかもしれない。地元の組織の有力者も来るだろう。しかしこの情勢でほかに来たい人はいるのだろうか?応援したらそれはつまり既得権益の代表だと宣言していると立花に批判されるだろう。それでもくる国会議員は誰なのか?注目である。
アンチの人はどうするべきか
もし自分がN国アンチだったら今回どういう戦略をとるかを考えてみた。一つは既存政党の中に入って上田を応援することである。しかしここを読んでいるような人は上田を積極的に応援したいとは思わないだろう。そうすると今回は詰んでいる。どちらの候補者も嫌だからだ。
とすると相対的に立花を引きずり落とすしかない。ただし、生半可なやり方では立花に通用しない。
増田が考えたN国攻撃の方法はいくつかあるが、どれも警察沙汰になる覚悟がないとできなさそうだ。そういう先鋭的なアンチが出てくるのではないかと心配している。立花の立場はあくまでも話し合いで解決である(ここがコミュ障には厳しいところなのだが)。これらの手法で立花を攻撃しても結局は立花に利することになるのではないかと思う。
まとめ
増田は現時点で立花の当選可能性は高いと考えている。残念ながら埼玉の補選は上田vs立花という、N国アンチの人にとっては最悪の選挙になってしまった。クソの中からクソを選ぶことになったと感じる人も多いだろう。どっちのクソがよりマシなのか、きちんと考えた方がいい。まずはインターネットで両者の主張を調べてみよう。