はてなキーワード: 一言とは
自殺に関する増田がわさっと増えたので流行りに乗る、じゃないけど書き散らしておこうかなと。
自分は自殺を試みるとこまで行かなかったし、ふいに糸が切れたみたいに車道や線路に吸い寄せられたりしたこともない。
一言目にため息、二言目に死にたいって言い続けていたしスマホの履歴は全部死ぬ方法だった。スマホ触って死に方調べる元気はあったんだよな。フシギダネ
元々ポジティブの塊とかコミュ力お化けとか呼ばれるようなタイプの人間だったせいもあってあまりの変わりように知人に泣かれた。自殺してなくても泣いてくれる他人ているんだなーと超他人事で、申し訳ないとか嬉しいとかじゃなく、どうでもよかった。ぼんやりしてた。
薬はポチポチゲーと一緒。安定剤とか意味あったのかいまだにわからないけど一応毎日飲んでたからマシだった可能性はある。飲むのやめたりODしだすと吸い寄せられたりするのかもね。
そういうのが続いてたのがある日、「なんで死にたいって思ったんだろう」って急に、なんだろう、目が覚めた、みたいな。徐々に回復とかじゃなく、急に。やたら目覚めのいい日あるでしょ?あれ。
だから打開策なんかないんだと思う。よばれれば死ぬし、急に死ぬし、急にやめるし、急にはっとする。タイミングと運が全てだと思う。私は生きる方向に来ただけ。それが良かったかどうかは知らない。
とあることをきっかけに、母とは事務的な会話しかしなくなった。
お迎えの時間、他のお友達は皆が母親に抱き上げられたり手をつないで楽しそうに帰っていく中で、わたしはいつも黙って母の後をついていくだけだった。
幼稚園であった沢山のことを母に聞いてほしくてずっと母の後頭部を見つめていたが、母が振り返ることはなかった。
何も会話がないままに、母は黙々とわたしの世話を繰り返した。
だから身の回りのことは言われるよりも先にやったし、怒らせないように何でも完璧にやろうとした。
ある日、母が起こしに来る前に自分で目覚めて身支度を始めてみた。
絶対に褒められる自信があったが、母はわたしの存在を確認すると何も言わずに振り返って自分の身支度を始めた。
父はわたしのことをこれでもかとかわいがったが、忙しいせいか家にいることはほとんどなかった。
母のことを相談しようとしたことがなかったわけではないが、わたしが眠っているときに普段の父からは想像ができないような剣幕で母に怒鳴りつけている姿を見てしまったことがあり、それを思い出すと躊躇してしまった。
泣きながら謝る母を前に怒りが収まらない様子で手当たりしだいにものを投げつける父の姿は、鬼にでも乗り移られてしまったかのように恐ろしく、心の深いところに爪痕になって残った。
小学校に上がっても、やはり母に褒められるようにと学校のことは何でも頑張った。
幼稚園では人と比べられることは少なかったが、これならわたしは誰よりも優れていることが証明できる。
いくら母だって認めざるを得ないだろう。今までで一番ワクワクした気持ちで家に帰った。
そして溢れんばかりの笑顔でこれまでにないテンションで両手に持った満点の答案用紙を母の前に広げて見せた。
その瞬間母は、まるで道端に轢かれた小動物を見るような目でわたしを見て、声を上げてえづき出した。
しばらくして呼吸が落ち着いてきた母が、喉のそこから絞り出すような声で一言「あてつけか?」と言った。
何のことかさっぱりわからないわたしは、黙って立っていることしかできなかった。
「あてつけなのか!私が母親としてあんたに接せられないことに対するあてつけなのか!」
「わたしはあんたが嫌いだ。でも、死なれたら困るから世話を続けてきた。頼むから余計なことはしないでくれ。あんたが嬉しそうに近づいてくる度に、わたしは胸が苦しくなって死にそうになる。」
現実にまったくついていけていない自分を、視界のずっと奥から見つめているような不思議な感覚だった。
わたしというかわいそうな子を別のわたしになって頭の中から覗いているような感覚で、わたしというかわいそうな子が表情も変えずに立ちすくんだままただひたすらに涙を流している様子を、別のわたしとして頭の中からずっと眺め続けていた。
母が原因で涙を流したのは、今まで生きてきた中ではこれが最初で最後だった。
この日を堺に、わたしは母が嫌いになった。
わたしを嫌いだという母を、どうしたって好きになることはできなかった。
母が理由で道を踏み外すことも違うと思ったわたしは、思春期に湧き上がる特有の苛立ちも、母に見下されたくないという理由で自力でねじ伏せた。
母を見返したいという気持ちはなかった。
ただ、趣味や習い事に時間を使うことで、母よりも劣っていると思われることだけは嫌だった。
その結果、自分に残されていたのは誰のためでもなく黙々と勉強を続けることだけだった。
母はわたしに無関心な代わりに、わたしが持っていくお願いについては基本的に何でも聞き入れてくれた。
そうはいっても父の金であるが、予備校も受験費用も私立の学費も、渋られたことは一度もなかったおかげで、割と良い大学まで進むことができた。
大学に入ったら家を出る。
忘れることが許すことなのかも知れない。母の顔にモヤがかかるように記憶から薄れていくのと同時に母からの呪縛から解き放たれるような気がした。
年に数回、父からの連絡があるついでに思い出す以外、母のことは考えなくなった。
そんなわたしも、人並みに恋をして結婚してもいいと思える人に出会った。
しかし、そう思えたと同時に、突然心の底の方から恐怖が湧き上がってきた。
「もし娘が生まれたときに、わたしは母と違って娘を愛することができるのだろうか。」
その瞬間わたしは、あのとき頭の奥に押し込んだわたしに、再び覗き込まれているような感覚に陥った。
そんな目で見ないでくれ。
わたしだって嫌われたくて嫌われたわけではないのだから、嫌いたくて嫌うのではないかも知れないなじゃないか。
そのことを彼には相談できないでいた。それが理由で手に入れた幸せを手放さなくてはならなくなることが怖くて仕方なかったからだ。
その日からというもの、わたしはいつも頭の奥からわたしに覗かれているような感覚が消えなくなった。
不安を抱えながらも、話は順調に進んでいった。
実家への挨拶をどうしようかと父に連絡をしてみると、わたしが聞くより先に父が一人で東京に出てくると言い出してくれた。
母は今どうしているのか聞こうとも思ったが、父からも何も母の話がでない中で切り出せないままに会話は終わった。
もともと友達の少ないことを理由に親を呼ばずに数人の友達と二人だけでの挙式をしたいと彼に願い出た。
普段からこだわりのない彼は特に抵抗もなく、わたしにすべてを任せてくれた。
妊娠がわかったのは挙式の少し前だった。
その嬉しさが、今までの人生の苦しみから、ほんの少しだけ開放してくれた気がした。
相変わらず不安は大きく残っている。でも、少しでも嬉しさを実感できたことは自分にとって大きな救いになった。
式も滞り無く終わり、写真を持って彼の両親に報告に行ったときに、あわせて妊娠を報告した。
お義父さんは無神経に「絶対に男で頼む!」などと要らぬプレッシャーをかけて来たが、わたしも内心男の子を生みたいと思っていた。
娘だとわかったときに、妊娠した嬉しさごと消えてしまう恐怖が、まだ心の底の方にあったからだ。
産婦人科医も最近では聞かれるまで性別を答えないらしく、知るための選択権はわたし一人に委ねられていた。
いよいよお腹も大きくなって、もう準備を始めないと間に合わないという段階になって、意を決して聞くことにした。
断定はできないと前置きされた上で、「おそらく女の子ですね」と言われた。
心臓が大きく一度どくんと脈を打った。
喉の乾きを感じたが、うまくつばを飲み込めずに喉の入り口に痛みが走った。
遠のきそうになる意識の中で、必死の思いでお腹に手を当ててみる。
涙が溢れた。
大丈夫。わたしはこの子を愛することができる。心からそう思えた。
突然の涙に驚いたのか、何かを言おうとして喉をつまらせている夫がいた。
やがて涙目になって抱きしめてきた。わたしの気持ちも知らないで声を上げて泣き始めた夫を見て、少し冷静さを取り戻した。
後で聞いたところ、夫は娘が欲しくてたまらなかったらしい。
それが言い出せないままここまできて、わたしが嬉しそうに泣いているのをみて堪えられなくなってしまったそうだ。
彼も彼で抱えているものがあったのだ。そう思うとおかしくなってきて、バツの悪そうな彼を前に大きな声で笑ってしまった。
「そんな大きな声で笑うことがあったんだね」
驚きと喜びが混じったような不思議そうな彼の顔がおかしくて、さらに大きな声で笑いだしてしまった。
その瞬間、まさに雷に打たれたかのように、わたしは自分が母を許せたかのように思えた。
母は、何も自分から好き好んでわたしを嫌っていたのではないのかも知れない。
母がわたしを好きになる努力をしたかどうかはわからないけど、好きになれなかった自分を誰よりも責めていたのは母本人かも知れない。そう思えたのだ。
好きも嫌いも、自分の意思でありながら、自分ではどうすることもできないときがある。
わたしはたまたま自分の娘に愛情を感じることができただけで、それが当たり前かどうかなんて誰にも決めることはできないはずだ。
それならば、わたしはわたしが嫌いだという理由だけで、母を嫌う必要はなかったのではないか。
わたしを嫌いだという母を、そのままの姿で受け入れることだってできたはずではないか。
これは決して同情ではなく、そして、娘を愛することができた自分からの優越感でもない。
あのときの自分がそれに気がつけなかったことを責めるつもりはない。
今、わたしはそれに気づくことができて、許すことができた。ただそれだけの話だ。
わたしは、わたしを嫌いだと言った母を嫌いと思った日から、母を嫌ってしまったわたしを許せていなかったのだ。
娘を嫌う母以上に、母を嫌う娘が許せなかった。嫌われていることを言い訳に、嫌うことを正当化する自分が、誰よりも許せていなかったのだ。
もちろん嫌わないに越したことはない。
でも、何かの手違いや神のいたずらで嫌ってしまう可能性がゼロではない以上、それが許されない世の中ではあまりにも窮屈だ。
それと同時に、母から嫌われてしまった子供が不幸だなんて、誰一人として決めつけることはできないはずだ。
この日を堺に、わたしはわたしを嫌いである母とも、普通に接することができるようになった。
久々に見た母はただただ老けていた。でも、命あるうちに気がつくことができてよかった。
孫娘を抱く母の顔は、わたしが一度も見ることのなかった嬉しそうな顔をしていた。
その顔を見たとき、頭の奥から覗き込んでいるわたしと、今ここに立っているわたしが一緒になれたような気がした。
母を許せたことで母が許されたことを実感できたと同時に、自分自信も許されたような気がしたのだ。
何かを許さないということは、その何かから許されないことと同じなのだろう。
自民党を保守政党、右翼政党と言う人は多いが、実際のところ自民党という政党はさほど強いイデオロギーを持った政党ではない
自民党という政党を一言で表すならば「手段の為には目的を選ばない政党」だからだ
権力という手段を握り続ける為であれば、公約や政策といった目的をいくらでもすげ替えるのが自民党という政党だ
だからこそ自民党は内部に色んな派閥を飼っているし、それらを定期的に入れ替える事で世間のニーズに合わせようとする
ネトウヨに媚びた方が選挙で勝てるならそういう発言を増やすし、逆にサヨク寄りの発言が受けるならそっちに合わせようとする
自民党という政党は政治家の集まりではなく、政治業者の互助会団体といった方が近い組織だ
数年前に見つけたADHDの女性のブログに勝手に同士のような感情を持っていた。そのブログは日々の生活の愚痴やライフハックをつぶやくブログで、ブログ主は新卒で就職した会社をやめたあとは、アルバイトや単発の仕事で食べていた。収入は10万前後で食べるものにも困っていて、医療費(薬代)の高さを嘆いたり、ものをなくしたり、ミスをしたりといったこともよく書いていた。正社員は諦めているようだった。
俺がそのブログを見つけたのは自分がADHDだという診断が下り、自分の生活や生き方に困っていたときのことだった。そのときの俺は収入10万円未満で実家ぐらし、親とは衝突してばかりだった。障害や新卒で入った会社をやめたことによる親との軋轢で一人暮らしをしたいと思っていた俺は、同年代で収入は同程度だが一人暮らしゆえ苦しい生活のうちなどを書いたブログ主のことを応援していた。彼女はADHDの診断を受けてから長いらしく、投薬や暮らしの工夫などはADHD新米の自分には読んでいて勉強になった。
2年くらい前からブログの更新が途絶え、最初のうちは頻繁に更新を確認しにいっていた自分もそのうち存在そのものを忘れていた。今日、ふと思い出してブラウザのお気に入りからそのブログを訪ねてみると、ブログの記事は更新されていなかった。ブログにはツイッターアカウントが載っておりそちらを見てみると今も稼働していた。前はほとんど見ていなかったが、ブログ主は元気にしていただろうかと思い、ツイートを少しずつ読んでいくと、あるツイートで彼女が結婚したと書いていた。お相手は婚活アプリで見つけたらしかった。結婚後のツイートは惚気も愚痴もなく淡々としていてそこから結婚生活への彼女の感情は読み取れなかった。けれど一言、自分が結婚できたことが意外だと書いてあった。
30歳、障害持ちの非正規社員、既婚。きっともう、彼女は賞味期限の切れたキットカットで空腹を凌ぐことも将来の収入を気にして夜、滅入ることもないのだろうなと思った。コンサータとストラテラの高さを悩む記事も収入を増やしたいけど働く気力がでないという記事を書くこともないのだろうなと思った。
一方で、自分はあのころの念願だった一人暮らしをしている。資格を取得してなんとかオープンで仕事に就いた。けれど仕事は大変で料理をする気力もなく毎日サプリと炭水化物で腹を膨らましている。部屋は通販のダンボールとゴミで荒れて、体質ゆえADHD薬を飲めない代わりに抗うつ薬を飲みながら生活している。当然、恋人はいない。仕事を長く続けられそうはないので今も暖房代をケチってフリースにウルトラライトダウンを着てこれを書いている。
もし自分がブログ主のスペックだったら、30歳、ADHD、非正規で月収10万円だったら、恋人はできるだろうか?結婚できるだろうか?そう考えると気持ち悪くなってツイッターを閉じてブックマークを解除した。
嫉妬ではなく、ある時点において同様のステータスだったはずなのに現在ではまったく違う境遇にいることにめまいがしている。
殺すぞカスがダマっ従えないなら使うなぼけ
てめえ全部データ吹き飛ばしても俺はいいんだぞ、わかってんのかカスがなんで俺が平伏してボランティアしなきゃなんねーんだたこ殺すぞボケカス
何が
何が
何が
てめえ何様のつもりだよ。意見の一つもしたいならもっと言い方があるだろうが殺すぞカスが、
俺がどれだけ時間等労力と手間暇かけて提供してると思ってんだ殺すぞカスが、意見が出鱈目ではないのはわかるが、
殺すぞクソが
しね殺すぞクソが殺されてえのかクソが、殺すぞボケがしね、殺すぞボケがクソがしね。
殺されてえのかクソやろうが死ねボケ、俺を悪者にして気持ちいかクソが、俺が好き田こんなことしてるとでも思ってんのか殺されてえのかテメェ
てめえが管理しろやぼけ殺すぞカスがしね、殺されてえのかクソが死ね
お前らが何もしないでぬくぬくやってっから俺が手を汚さねートンアンデーンだかろうがかすがしねぼけ殺すぞ
こっちの老雨力舐めてんじゃねーぞボケが、お前ら殺すぞ。
こっちは無給で働いとんじゃ、それへのねぎらいが先だろうが死ね。殺すぞボケ
別にわざとやってるわけじゃないし何なら、労力かけてサービスの秩序を守るためにやってることなんで、
不便が出てるのはわかりますが、それに対してもこっちで対策してるんですよ。言われなくても
それに対して、無給で働いてる私のねぎらいの一言もなく、あの機能をつけろだの、この機能をつけろだの、しまいにはこういう機能は欠陥だから消せだの上から目線で、要求だけ一方的に突きつけてきて何様のつもりですか?
だからシステム修正してるじゃないですか。言われなくてもやってますよ。
それに対してユーザー側ができることはありません。
意見言うにしてももう少し、言い方があるんじゃないでしょうか。
一方的になんでサービス提供して無給で働いてる私を悪者みたいにしてるんです?
殺すぞ
追記:
みたいなことを脊髄反射で答えなくてよかった。
はぁ、いちいち切れるんだよなぁ。精神の乱高下がつらい。
大元増田への批判内容については異論ないんだが、「ボケた冴えないオッサンってやっぱなんもわかってねーよな」の一言で済むところを、30分以上かけた長文で論だてて説教する元増田の熱量が謎。
11月後半くらいにマッチングして、相手の都合もあったせいで今日会う予定でした。
今日11:30のラストナイトインソーホー見る予定で駅に10:40に待ち合わせにした。
10:30到着。
10:40来ない。
10:45来ない。
LINEを見返したら朝の9時頃に「今日11:40で会ってるよね?」って来てて、私は化粧にかまけてろくに見ずに「OK」なんて送っていた。
つまり相手を待ってたら映画に遅れるという事で、幸いチケットは私が買っていたので1人で行くことにした。
「ごめん!」と一言だけメッセージ送って即ブロックトーク消去。
映画館で2人分のチケット発券してちょっと悲しくなってしまった。
面白かったけど初対面の男と行くにはどうかなって内容でした。多分女友達と行った方がいい。あとポップコーン美味しかった。
相手に「待ち合わせ1時間間違えてるよ」っていうのが既に面倒だった。
仮に連絡しても
っていう流れになるのが予想できたらどっちにしろ謝るって流れになるなら切った方が早いと思った。
BALMUDA Phoneを取り巻く環境は傍目から見ても厳しいように思える。
と、何か導入部を書いてみたけど個人的には高価だと思うし欲しいとも思えない。
どうしてこのような状況になってしまったのかを、高専卒かつ技術職に就いたことのない自分が分析したものを残しておきたい。
多くのガジェオタがBALMUDA Phoneに関して文句を垂れるのはやはりSoCが非力なことであろう。
先述の通りハードウェアに明るい人間であれば、Snapdragon765搭載機種で10万円オーバーは「高い」の一言に限るはずだ。
だが擁護する者がいるのは確かであるし、実際に購入者もたくさんいるのはなぜか。
それはガジェット系ニュース各位が伝えるようにデザインや体験、ソフトウェアに魅力があるからであろう。
それは確かだ。
ここで主題に戻るわけだが、夢を叶えるには力が必要だ。いわゆる「力こそパワー」というヤツである。
こう言うと厳しいように思えるが、別の事例で少し例えてみよう。
これは実話なのだが、近所で立てこもり事件があり、いろいろなパトカーが集まってきている場面に遭遇したことがある。
一般的なパトカーといえばクラウンだが、ekワゴン(だったと思う)などのミニパトも多数存在した。
普通車と軽自動車のパトカーに求められるものは違うだろうから比べるものでは無いと思うのだが、問題なのはPLATZのパトカーがその中に混ざっていたことだ。
その後に調べたのだが、ミニパトとは1500cc以下のパトカーのことを言うそうだ。だからPLATZのパトカーはクラウンよりekワゴン寄りなわけであるが、当時の自分は知る由もなく。単純に普通車でセダンタイプのパトカーとしてクラウンと見比べてしまったのだ。
この日記を見ている諸兄らはいかがであろうか。1000ccエンジン。車体はトヨタでもエンジンはダイハツ。集中ドアロックを動かしているのはマブチモーター(しかも高確率で焼ききれる)。
特に犯罪に手を染めるつもりは無いとしても、『コイツになら勝てそう』という思いがよぎるのではなかろうか。
もし警視正がPLATZのパトカーに乗っていたらどうであろうか。
たとえ話としてはかなりそれてしまったが、警視正やら黒帯の警官やら機動隊員やらが仕事をするにしても、PLATZのパトカーでは捕まえるモノも捕まえられないのだ。
これをBALMUDA Phoneに当てはめるなら、どんなにお金をかけたソフトウェアやデザインを採用したとしても、Snapdragon765ではずっこけるしかないのである。
役職のある警官にはそれなりの給料を払うべきだ。払った以上は相応の仕事をしてもらうべきだし、そのために必要ならクラウンでもレガシィでもWRXでもキザシでも用意するべきだ。
話の脱線もひどくなってきたのでまとめに入ろう。
そういったモノを売りたい、選択肢を準備したい。
それは夢だ。
その夢を叶えるためにはそれなりの力が必要だ。
だがBALMUDA Phoneには根本的なマシンパワーが足りないのだ。
はっきり言おう。優秀な警官ならPLATZでも仕事はできるだろうさ。
でも舐められたら終わりなんだよ。
BALMUDA Phoneだって765で必要十分なんだろうさ。それは間違いないだろう。
でも厳つさが足りないのだ。
であればバックボーンとなるハードウェア性能が無くて、どうして安心して10万円を出せるだろうか。
買ってくれた人は、叶うかどうかわからない他人の夢でも金を出してくれる優しい人間なのだ。
夢を他人に買ってもらうために必要な安心感。それを十分に演出できなかったのが、おそらくはBALMUDA Phoneの敗因だったのではないかと、私は思うのである。
するべきはBALMUDA Phoneを沢山の人に使ってもらって、本当に使いやすいというレビューをモリモリ発信していくことであって、
→ 『ブクマカとブクマカを兼ねている増田はバカなのでは?』と疑念が生じる
→ 『ブクマカとブクマカを兼ねている増田はバカである』と確信するが、自分自身が放った強い言葉はそのまま自分自身に返ってくるので内に留める
→ 『ブクマカはスノッブですら無い化石』と確信する。バカと化石しかいないコミュニティならなんでも有りかと言葉に遠慮が無くなる
→ ブクマカとブクマカを兼ねている増田とは生物のカテゴリーが違う気がしてくる
→ とりあえずブクマカは自分自身が何を言っているのか理解出来ない生物のようである
→ Twitter の140文字も気分をつぶやく・大喜利以外には不向きだと思っているが、はてブはそれを下回る100文字である。浅慮の一言である
b:Id:aienstein 君が好きなものを「いやそれはつまらないものだ、無用なものだ、不正なものだ」とズバッと斬る人と、「へえ、それはどう面白いの?聞かせて?」と聞いてきて楽しそうに笑う相手、思い浮かべてみるといいと思う。
今年で数え年の25歳になった。
留年した挙句拾ってくれた会社である。受験期の高校生より馬鹿な私立文系のカスを何人も採用してくれる懐の深いIT系の会社だ。
それでどうやって生きてきたのかなという程処理能力が遅いカス、寿司打で一生ミスタイプのSEを響かせてそうな程タイピングはやばいカス。そんなカス達を2ヶ月程で鍛えたのち「バックアップ体制はちゃんとある」と言い、カス達にとっての未開の地(常駐)に放つ大胆さもある。安心する言葉ではある。現に自分には入社3年目のとても頼もしい先輩がついてくれることになった。「余裕余裕!」と嘘みたいに狭い喫煙所でワイワイ笑った。
おすすめの店があるんだよと言われ連れてかれた店が『安安』だったときはどう反応すれば良いか理解らなく、少し抜けたところもあるのかなと笑えた。基本的には面白く優しく仕事も出来る人だった。趣味も合った。麻雀、競馬、野球。タバコ休憩中は常に話が盛り上がった。男はギャンブルとサッカーか野球を知っていればどこでもやっていけるのだと思った。
ある日、とても頼もしい先輩が消えた。LINEはUnknownだった。どうやら退職代行を利用したらしく、本気で使う人いるんだと最後にちょっと笑っちゃった。
バックアップ体制というものは一度なくなったら整えるのは一筋縄ではいかないらしく、自分一人で全てを処理する必要があり残業につぐ残業だった。「まあ辛くなれば普通に逃げればいいしな…」と当たり前のことを常日頃考えていたし、今までの人生でもそういう辛いことあれば逃げてきた人間だったのに、そのときは何故か踏ん切りがつかず結局寝→労働→寝→労働の日々が数ヶ月続いた。
気取って立ちながら仕事できるスタンディングデスクというものが未開の地にはあったので、気取りながら仕事していたところ、急に目眩がしてきた。「ヤニクラかな?」と思いつつまあなんとか耐えていたのだが、あまり今まで自分が感じたことのない苦しさになり、トイレに駆け込んだところ酔ってもないのに初めて吐いた。なんかやばいなという焦燥感よりも「やっとこれで理由ができた」という安堵感の方が強かったのを覚えている。
翌日は日曜日で休みだったので初めて精神科に行った。理由付けを貰うのには一番ぴったりな場所だと思ったからだ。
その日の自分は素晴らしい役者だったので、演技とは思えないくらい自然に泣くことが出来た。先生と話をした後に、理由付書を4,000円で書いてもらいお薬ももらった。もう解放された気分だったので、書いてもらったあとは串カツ田中で独りで美味しい物を食べた。お薬は今も飲んでいる。
今の時代ネットで簡単に異性と知り合うことが出来る。自分はルックスもいまいちだし、高校時代クラスの女子が家庭科の授業中ワイワイ話し合ってた『クラスの中で一番付き合いたくない男子ランキング』で見事ワースト2位だった。
大学時代、初めて出来た彼女に対し「自分は顔が良くないから」とネガティブな発言をしたら「そんなことないよ!」と返され、その優しい一言が、今の自分がまだ恋愛に対して一歩踏み出せる勇気をくれていたのだと思う。
その彼女は別れた後、ゼミ内で自分の容姿を貶してきた男と付き合っていたが。
新しい彼女はとても気の良い子で、料理が得意で、オシャレで可愛い女の子だったと思う。多少ぶりっ子の感じはあったので、男にウケ、女には…なタイプだ。そして巨乳だった。好きになれば関係ないよなんて言うが、自分的にはあればあるだけプラスになるし、虜にもなる。
彼女とは色んなところに行った。転職して土日は不自由なく動けるようになったし、彼女とも予定は合った。自分は地方出身で彼女は横浜出身だった。あちらのほうが都内の地理には明るく、新しい発見を色々させてもらった。
ある日、原宿に行った。原宿駅のすぐ近くには明治神宮がある。自分は明治神宮が好きだった。あんな都会に緑がいっぱいで、歩いていてとても落ち着くところだった。テンションが上がり、じゃあ行こうかとなったところで彼女の顔色はそんなに明るくなかった。「ちょっと疲れてるからカフェでも入ろうか」と言われたのでそうした。素直に従ったが休憩後にも明治神宮には行けなかった。
それから日が空くが、デートをする約束の日に、自分は直前の予定が押してしまい遅刻してしまった。謝ったが、彼女はまったく怒らず「大丈夫だよ」「偶然街で昔の友達と会ったからお茶してていい?」と優しく返事をしてくれた。もちろんダメと言えないし、1時間程遅れてしまうのでむしろ偶然の友達に感謝をした。
駅に着きLINEをすると、まだお茶をしているみたいで一旦彼女と友達がいるカフェまで来て合流しようかという話になった。知らない人なのになという思いは多少あったが、非はこちらにあるので素直に向かった。
2人がいるカフェに入り合流をした。席に着いて2,30分くらいは普通の話をした。まだ付き合って日が浅いけど結構色んな所へ行きましたよとか、彼女の作るミートスパゲティはとても美味しいんですよとか。
そんな話をしていたが、2人が「トイレ行ってくるね」と同時に席を立った。そろそろ良い時間にもなるしここで解散かなと思っていた。
2人は戻ってくるとさっきまでと雰囲気が違っていた。
「大事な話があるんだけど聞いてくれるかな」と彼女が真面目な顔で言った。なんで初対面の人がいるこの状況なんだよと思ったし、戻ってきて顔見た時点で嫌な予感は凄くしていたけど、何故か格好つけて良いよと答えた。
「本当に信じてるものがあって、君にも理解ってもらいたいんだ」と言われた。
頭の中で最悪の選択肢が2つあったけど、難しい方だったみたいだった。マルチ商法であれば真っ向から否定できた。でも言われたことは恐らく宗教のことで、それをマルチ商法と同じように否定するのは憚った。ある意味その人の全てだろうし、真っ白になってしまった。
彼女が言った細かい話はもうあまり覚えていない。自分は「ここでこの話をするのはもうやめたいんだけど」としか言えてなかったと思う。その度に「大事な話だから」と同じ内容を繰り返された。
話は入ってこないし、平行線のままでいたが、「震災でも信じてた人は助かったの」と言われたのはずっと覚えている。
それは自分にとってとても人を馬鹿にした発言に思えた。「それ以上この話を続けるならもう出ていくね」と言っても、あっちはまだ続けようとするので5,000円をテーブルに置き、そのまま店を出た。追っては来なかった。
駅まで歩いて、最寄り駅に着いて、家までまた歩いてるときにちょっと泣いた。家に着いた時点で彼女からは何も連絡はなかった。
今までのことは全部嘘なのかなとか、セックスだって普通にしたんだけどなとか、あっちも勇気出して話した結果こうなってどうなんだろうとか、色々思うところはあったけど、考えれば考えるほど自分がキモくなってその日は終わった。何故か物凄く眠れた。
次の日に「考えは否定しないけど理解は出来ないし、今までみたいには行かないから別れよう」とLINEを送った。彼女は「納得いかない」と言っていたが、修復なんて考えられなかったので、ひたすらゴメンなさいと返し続けた。
別れることに合意はしてくれたのだが、定期的に連絡が来て怖かったので最終的にブロックした。
「久しぶりにご飯でも食べない?」
結構ウキウキで準備をしていたと思う。当時は自分がガキすぎて不細工に見合わない言動をしてしまったせいでヒビが入り別れてしまった。それ故にあちらからまた連絡をしてきてくれたのがとても嬉しかった。
ちょうどあちらの誕生日も近かったので、好きだったハンドクリームをプレゼントとして買うくらいには浮かれていた。
店は焼肉屋で、酒類提供禁止も明けていたのでお互いビールを飲み良い気分になっていた。元カノはどちらかといえば少し気が強く、思考が男寄りなのもあって、話をしていてとても楽しく感じた。あのときはくだらないことで拗ねてゴメンねとか気軽に言えたりもした。
3,4杯飲んで、じゃあ次の店でも行こうかとなった時に、「ウチに来ない?」と言われた。正直急だったし驚いたが、お酒も入っていたので断る理由はなかった。3年ぶりに手を繋いで心臓がバクバク言ってたのを覚えている。
次の日が仕事だったしもちろん着替えもなかったが、そんなことも気にならないくらい良い夜だった。
馬鹿なもので一度ヤれば「復縁かな?」と考えにもなったし、翌日の仕事中はこれからのことで頭がいっぱいだった。
また、次の日が祝日だったので「会えるかな?」とLINEを送った。
返ってきたのは「やっぱりごめん。昨日のことはなし。」という返事だった。立場が逆ならそこらへんにある話だと思うが、その文面を見た瞬間こういうパターンもあるのねと落胆した。
自分本位で上手くいくことを想像すると得てしてそうはならないと今までの経験で十分理解しているはずなのに。
打ちのめされた気分になったので、「わかった」とだけ返信をし、その日は久しぶりに独り酒をした。
2022年は最高の年にしたい。
フツーの人がフツーにできることが、発達障害の特性 or 本人のやる気の問題 で出来なくて、いっぱいいっぱいになっちゃってるだけ
どこの世界に自分よりもできるヤツを引き立てるヤツがいるってんだ
仮に上司が脳天気な放任主義だったとしたらこれ以上にないチャンスで
むしろ積極的に仕事をぶん取って再構築したり売り込んでいくべきターンだぞ
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
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恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
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超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
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今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
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お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
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君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。
訪問介護を試してみた話(前編)
8月のワクチン接種から3ヶ月。身体に異常をきたし始めた。数分以上立つ事が出来ない。
お願いするのは生活援助。どんな事かというと掃除に洗濯や料理等。
訪問美容の件でいろいろと学んでいた私は、まず準備が大切であると考えた。
まずは食事。
材料はどうか。なにがダメで、なにが良いのか指定した方がよいだろう。
そこで、食材を表計算ソフトでまとめることにした。良いとされる栄養素を調べ、それが含まれている食材を抜粋する。そして、禁忌とされる食材も調べて並べる。
しかし、これだけ食材があると「何を作ればいいのか」と戸惑ってしまうに違いない。
さっそう、作りおき料理のレシピが載っているサイトを探した。見つけた。素晴らしいぞインターネット、WWW、TCP/IP。
もしも介護士さんの方でレシピを考えるのが難しいようであれば、このサイトから抜粋する事にしよう。食材の細かなカスタマイズは表を見て対応してもらう。
次に症状説明。
主な症状を書いたペラ一枚の紙を用意した。数分しか立てない事、息切れで上手く話せない事、動悸がある時は寝込む事などなど。
ワクチン接種直後からこうなっている旨は伏せた。世間ではいろんなことが言われている。どうしてか攻撃的になる人もいるだろうし、たくさん見てきた。というか、それが怖かった。
部屋はゴミが散乱しているが、そのままにした。重要書類も散らばってたりしているが、背に腹は代えられない。
準備だけでかなり疲労した。
ケースワーカーが介入してほしいと強く思う。
まず手を洗う。そして用意した席に着いてもらう。
準備がいいですねと誉められる。悪くないだろう。
そして職員が一言漏らす「大変ですね」。社交辞令だとは思うが、胸が熱くなる。そして、気を取り直す。
質問はすごい。質問を聞けば、どんな人なのかが大体わかるからだ。どんな医者なのか、どんな役人なのか、そしてどんなシステムエンジニアなのか。
家族の状況、通院のこと、現在の生活のこと。よどみなく聞き出す。うまい、これがプロか。
調理の話題になって提案もくる。「増田さんの方でレシピを用意してもらうという手もありますが」。
いいぞ、ちゃんと予想通りに動いてくれる。馴染みの相手と将棋をしているような感覚。
ええ、難しいようなら私の方でサイトを参考にして用意しますが、と返事をする。
そうですか、そちらの方が作業時間も短くなっていいかもしれません。
その通りだと思う。
では、それでと返答した。
大体決まった。食事援助をメインに、隙間時間で掃除や洗濯をしてくれるという話にまとまる。なんと帰りには、ついでにゴミ捨てもしてくれる。
ありがたい。
話は少し横道に逸れて、私の外出の話になった。
タクシーが高額で困っていると話すと、介護タクシーの話になった。市役所や社協からは特に話はなかったが、私が使える低額の介護タクシーがあるようだ。
また、車いすを借りれる所を一か所しか知らず予約に困っていたのだが、他の場所も教えてもらった。
介護タクシーについては、後日メールでURLを教えてもらった。
こうして、面談は終わる。ちなみに面談日は料金が発生してない。
そのあと何回か利用させてもらっているが、生活がめちゃくちゃ楽になった
シルバー人材センターや家事代行でも同じだったかもしれないが、福祉資源についての話には及ばなかっただろう。
結論を言うと、訪問介護はめちゃくちゃ役に立つ。それは生活援助のみならず、社会資源を見つけるための手がかりにもなるからだ。
だが、問題点もある。
コロナ後遺症やワクチン後遺症で生活援助を必要とする人ほど、最初の動き出しが難しいという点だ。
ブレインフォグで会話をままならなかったり、倦怠感でベッドから動く事も難しいという人も少なくないはずだ。
行政からケースワーカー等の手が借りられない以上、手続きをするとしたら家族になるのだろうか。
だが、そもそも家族がいない人は? また、当事者がドアベルにすら出られないほどの日だったら?
月2回程度だとしても、事業所によっては一万円前後はかかりそうだ。これは経済的に余裕のない若者にとってはとても難しい。
難点は多い。
もし、緊急訪問介護事業などを展開している自治体があれば、それを重度のコロナ後遺症者、ワクチン後遺症者にも適用するというのはどうだろうか。
ほとんどの人が治るはずであり、財政の圧迫はし続けないはずだ。
そして、年齢制限はなぜあるのだろうか? 何か制度上の理由がありそうな気はしているのだが、それは何なのだろう。
などととりとめのない事を考えつつも、介護士さんが来た日のために作り置き料理のレシピを考える。
この白く垂れ下がった長い糸をのぼり続けるために。
「ア〜〜〜メマ!!」(困った時や追いつめられた時にとっさに放つ一言)※ 「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ…」が転じたもの、とのことである。『明日があるさ』で稲森いずみが8回連続NGを出した時にこのギャグを放ってハマりのループから救った。
「頑張っとるか〜?」(舞台に現れる時に使用、またVHSの『吉本新喜劇ギャグ100連発2〜野望編〜』のパッケージにもなっている)
「おっさ〜ん、おっさんアホか、アホかおっさん、おっさん、アホかぁ。」
「こら、犬どけ! コン キャンキャンキャン…」 舞台からハケるときに使用される
「パパパパッ、パ〜ンプキ〜ン」(アースマラソンで北米大陸を横断中に開発したと言う)
「かい〜の」(大道具の角・自分の持っている杖などに尻の割れ目をこすりつけて上下運動)
「アヘアヘアヘアヘ…」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ…」(アへ語)マネージャーの妻から5000円で購入
「なめなめくじくじなめくじくじ」(なめくじ運動で地面を這う)→「塩かけないでね、粗塩はいやよ」と付け加える。
「血ぃ吸うたろか!」
息子(間慎太郎)が中学生の頃寝ている時、なぜか自分の首ばかりをめがけて刺してくる蚊に憤慨して言い放った一言を、横で寝ていた寛平に伝えたところ、翌日にはそこそこいい感じのフリまで付けてテレビで使っていた(2013/11/10放送分 関西テレビ『お笑いワイドショー マルコポロリ!』より)
「だ〜れ〜が〜じゃ」「ど〜〜してじゃ」「な〜ぜじゃ」(おじいちゃん役のとき)
「お礼のプ〜」(「俺のプ〜」のバージョンあり)
(掴み合いになって、すぐにフラフラと倒れる)(共演者)「おっさん、骨ないんか!?」(寛平)「カルシウム足らんねん」その後、相手の股間を「ピッ、ピッ」とつつく。
「いくつになっても、甘えん坊〜」
「脳みそパ〜ン!」(アメリカでは「ブレインパ〜ン!」として使用した)
「じゅとじゅでにじゅ、あとじゅでさんじゅ」(10と10で20、あと10で30)
猿の形態模写と、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。めだか猫と一緒にボールにじゃれついたりするが、そのうちにらみ合い、大喧嘩を始める。しかしいつの間にか寛平猿がめだか猫を押さえ込み、交尾を始めてしまう。
暴れているうちにめだか猫と向き合う形となり、2人ともビックリして腰を抜かすパターンもある。
二人のモノマネがエスカレートし、特にめだかの猫マネが最高潮に達しているにも関わらず寛平の方は素に戻ってしまい、一人梯子を外された形になっためだかが恥ずかしさの余り突っ込むというパターンも存在する。
池乃めだかとの掛け合いで、果てしなく池乃めだかの言動を真似し、そのまま以下のやりとりに流れ込むパターンがある。
(めだか)「ちょっと話がある」(寛平)「誰が放し飼いやねん!」
(めだか)「重大な話やねん」(寛平)「誰が10代じゃ!わしゃ60代じゃ!」
(めだか)「えもんかけ(ハンガー)取って」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)やねん!」(orモンキー)
(めだか)「本気で言うてるんですか?」(寛平)「誰がモンキーやねん!」
(めだか)「またそんな得手勝手言うて…」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)飼ってるねん!」
(めだか)「折り入って相談がありまして…」(寛平)「誰が檻に入って相談せなあかんねん!」
(めだか)「本当はええとこの子なんですやろ?」(寛平)「誰が猿公(エテコウ)の子やねん!」
(めだか)「ええとこ連れて行ったる言うねん」(寛平)「誰がエテ公やねん!」
(めだか)「ほんま、品のない顔して。」(寛平)「誰の顔にフンがついとるんじゃ!」
(めだか)「もっと情け深い人やと思うとったで!」(寛平)「誰が毛深いんじゃ!お前、わしの見たんか!」
(めだか)「わけわからへんがな!!」(寛平)「誰がワカメスープじゃ!」
(めだか)「キリがないやろ!!」(寛平)「誰がキリンじゃ!」
(めだか)「いいかげんにせえ!!」(寛平)「誰が胃が痛いねん!!」
「月は雲間に隠れたし、雨戸も閉めたしガキも寝た」→「おまいさん今夜もかい?」→「あったぼうよ!」(以上、一人芝居)※本人曰く、中学生の頃に考えたネタ。
「かかかか堪忍な〜」
「チャッチャマンボ チャチャマンボ ヘイ パキューン・パキューン・パキュンパキュンパキュン」(パキューンに合わせて腰を前後運動)(『ファンキーモンキー寛平先生がゆく!』での定番ギャグ)
「しっかりできたらぼさっとするかいな!」(後輩芸人などから「しっかりして下さいよ〜」と言われた時)
井上竜夫も「しっかりできたらうっかりせんわい!」というギャグを使う。
アメママン(アメマバッジのモデル)通常バージョンとロックバージョンがある。
先っちょマン
ホレホレレンジャー「ホーレホレ掘れ」「おったまげったんよー」
引きずり女
十二単姿、白塗りで額に「引」の文字、髪の毛にいろんな物をヒモで結びつけて引きずっている姫。「引きずり女は福を呼ぶ」と書かれた扇子を常に持っている。娘の結婚式の余興で、娘の友人(素人)が引きずり女をやろうと用意していたのだが、寛平は本家本元の引きずり女をお色直し後の新郎新婦入場時に娘の友人より先にやってしまい、娘の友人の演し物は台無しに。本人曰く、「娘に頼まれた」とのことだが、真相は不明。
「フェー」(鼻声)
「ふひは!」(鼻声)
(突然怒り出した後に)「きつく言ってごめんね」
「○○って言った」「○○って言った、言った」→「結構言うのね」
「じいさん、ばあさん、山のぼろ〜」
「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」に近藤真彦として主演した際、これを叫びながら脚立を登り、足を踏み外して股間を強打したことがある。
「うんばらばー」
「イカルスピークサンシン」(呪文のように唐突に唱える。一瞬で空気を変える力を持つ、不思議なギャグ。大阪ほんわかテレビで登場)
(ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。いずれの発言もさんまからツッコミが入り(特に耳クソでは大説教された)、エンディングコーナーの投げ手・すくい手に採用された。
(両乳首を両手で引っ張って)「乳離れしたくなーい」
(両手を肘から前に出し、機関車のように前後して)「ぐぐかか、ぐぐかか、ぽっぽ〜」
セリフはないが、右手を頭の上に持ち上げた状態で手先だけを前に倒し、手に不規則な動きを加える。
本人曰く、アルバイトでパワーショベルを操縦していたことがあり、その動きからヒントを得たとのこと(『痛快!明石家電視台』での発言より)。
(手のひらを下にし、顎に当てがって開いたり閉じたりしながら)「ワオ、ワオ!」
吉本興業・名古屋事務所の社員の嫁から5,000円で購入したネタ(2013/11/10放送分 関西テレビ『お笑いワイドショー マルコポロリ!』より)
例の「なんで同性婚推進派って嘘ばっかつくの?」のやりとり、いろいろ錯綜しながら進んだ結果、元増田がすごいことを言い出していた。
元増田「同性婚推進派は『誰も損や不利益を被らない』と言うけど、配偶者控除と3号でMAX兆円規模の財源が必要になる。同性婚推進派はみんな嘘吐き」
https://anond.hatelabo.jp/20211208080728
↓
反論増田「配偶者控除と3号をどう計算しても兆円規模に届かない。同性カップルの多くは異性カップルのように分業しない。元記事も元増田が引用した「どーでもいい規模」「だーれも損や不利益を被ることはない」というブコメも同性婚について言及してない」
https://anond.hatelabo.jp/20211210093104
↓
元増田「(試算の内容には触れず)配偶者控除は相続税にも存在する。同性カップルは子どももいないし平均資産が多いから、給与の配偶者控除を吹き飛ばすぐらいの巨額の税収減になる。あとそいつらは同性婚に言及してなくても同性婚推進派だ、賭けてもいい」
https://anond.hatelabo.jp/20211208080728
↓
反論増田「相続税の配偶者控除は二次相続の負担軽減のための制度。子供がいなければ、結局残った配偶者の死亡時に相続税を取られる。後で亡くなる側の資産総額が増えるから、むしろ総税収が増える可能性もある」
https://anond.hatelabo.jp/20211213104345
↓イマココ
相続税の複数世代を語っている件だけれど、そもそも同性婚は世代をつなぐ事をほぼ拒絶した生き方ではないでしょうか?
同性愛は別に構いませんが、異性婚をして世代をつなぐ、あるいは繋ぎたいと願った事の有る人と同列の相続ストラテジーを適用するの、本気で身勝手だと思いますよ。
同性婚推進派は嘘つきで欺瞞を吐き、最低限の倫理も無いと自白して楽しいのかな?
そういう風に正義の実現ではなく、利権争いのレベルまで運動の意義を落としていくとですね、既存の権利者である異性婚カップルから当然反発が出ますよ。
https://anond.hatelabo.jp/20211213111327
たとえ国の税収に影響がなくても、「世代をつなぐ事をほぼ拒絶した生き方」を選んだ同性カップルの先立つ側が(異性法律婚カップルと同じように)残された側に遺産をそのまま渡したいと願うこと自体、「本気で身勝手」で「最低限の倫理も無い」のだ、と言われてしまいました。それは「正義の実現ではなく、利権争いのレベル」なんだそうです。
要は、たとえ誰も損しなくても、国の財源を圧迫しなくても、所詮子供を作れないお前らが異性愛者と同じ幸せを願ったり、自分の死後にパートナーの生活を少しでも楽にしてあげたいと望んだりするのはおこがましいのだ、と。身の程を知れと。
元増田は、最初は「正義の為とか公正の為に同性婚を認めよって話ならいいんだよ」「同性婚推進が悪いとは一言も書いてないのよ」「もちろん私も、幸福追求権の尊重には賛成しますよ」というような言い方してたけど、結局こういうことなんだよね。色々と本音がむき出しになって、話がわかりやすくなって、大変良かったと思う。