はてなキーワード: 食卓とは
オーシャンゼリゼ~
ここは花の都パリ!
フランスで言うところの紙袋からフランスパンがカッコよくはみ出していてもカッコいいような風景。
日本でもそんな同じような光景をネギで見たことあるかも知れない。
その時たまたま、
私が目にしたのは
それは会計を済ませレジを通過したところに存在するお買い物したものを袋に詰めるエリアで繰り広げられていた。
その時の光景は今でも私の目に焼き付いているの。
その一瞬の隙に
全てが終わったあと、
高く空中に放り上げられたレジ袋が彼女の手にふわりと商品が入れやすいように口が広がって舞い降り戻ってくる。
そうカッコよく長ネギは見えるみたい。
でもその時のその人はそれが許せなかったらしい。
それからは手早く本当にまた瞬く間に
私はそんな光景を初めて見たのよ。
それこそネギの汁が出ていたらそこはネギの血で染まっていたかも知れない。
と言うべきだったかも知れない。
少なくとも買い物を詰め込んだ袋の中がネギの汁で他の商品がベタベタになってないことを祈ったわ。
その様子を見ていた私とその人とで目が合ってしまって
圧倒されていた私は
その葱を膝で一瞬でへし折る鮮やかな技をみてグッドジョブとサムズアップをしたの。
ここでは勝者こそが正義!
でもやっぱり、
やはり私はそう忠告すべきだったのかも知れない。
いや今からでも間に合う!伝えよう!
すでに彼女はもう去っていた、
じゃあなと背中で言わんばかりのあだち去りをしながら。
私は彼女の買い物袋の中がネギの汁でベタベタになっているのかは定かではない。
彼女の今晩の食卓のメニューが長ネギをふんだんに使った鍋だということを願うしかなかった。
包丁のような鋭利な切り口じゃない断面積が最大に大きくなるネギの膝折だから。
きっと美味しい鍋になるだろうと思う。
少なくともネギまるごとをそのまま1本のお箸替わりとして使う、
この日、
しかし
大根はそのまま折られずに1本まるまるの長さでレジ袋に入っている姿を見て
うふふ。
最近納豆巻き率高しで人気急上昇中の私の中の納豆巻きは朝の元気の源をいただく黄色い元気な色のタマゴに加えて色は茶色いけれどとってもセクシーヤミーなのよ!
これは手軽に食べられるから最強外出時ニューヨークスタイルで片手で持って食べ歩ける街でも恥ずかしくない姿よね。
この手軽さがいいのよ。
外出時にはネバネバを敬遠して食べないがちだけど
手巻きとなると話が変わってくるのよ。
美味しい納豆巻きいいわね。
元気の源よ!
ちょっとお味噌加えたらそれはもはやお味噌汁ってなるかも知れないけど
この濃さの限度の境目ってどこなのかしら?
この境目を研究するのもホッツなことかも知れないわ。
さすがにそれは今朝はしなかったけれど
ネバネバ系を得たいのなら
そんな色々なことを考えながら飲む朝のホッツ白湯ストレートウォーラー!
しかも飲み頃70℃!
ペキカンよ!
いい朝ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お前、何してんだよ。コンビーフと玉ねぎを炒めて、麺つゆで煮て、卵かけて…これが一体、何の料理だと思ってんだ?「玉子をトゥルルってかけて」って、まるで料理のプロがやるような気軽さで言うな。そんな手間かけて、あのコンビーフの油っぽさと甘辛さを出してどうすんだよ。
歴史的に見ても、料理に「シャッと炒めて」なんて手順、無駄にするだけだろ。江戸時代の料理人たちが、どれだけ手間をかけて味を調整してたか知らないのか?「煮る」「焼く」「蒸す」これらの技術を駆使して、味に深みを出すのが料理の本来の姿だろ。
そもそも、麺つゆだのコンビーフだの、安易に「時短料理」を求めるのが甘いんだよ。こんなことで満足してると、江戸時代の名料理人・村田吉三郎がどんな目でお前を見ていたことか。料理は手間をかけてこそ、魂が込められるんだぞ。
それと、「ホカホカの炊きたてごはん」って、いいわけじゃないんだよ。白ごはんを使うのは大事だが、それだけで満足してんじゃねぇよ。歴史上、米を食べることの重要性を理解していた者たちを見習え。天皇や大名の食卓でも、米一粒を無駄にしないよう、心を込めて食べてたんだぞ。
「甘めにクタクタになったのを」って、あれはただの味付けの問題じゃない。自分の手間や時間を無駄にするような食べ方をして、料理をおろそかにしているってことだ。
(追記)今Kindleのランキングを見てみたら無料カテゴリ総合で1位になっていた。初めての増田の投稿でこんなことになるなんて夢にも思わず、ほんと皆んなには感謝している。嬉しすぎてコメント全部読んだので、鬱陶しくならない程度に文末に追加する。
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自分としては「これは面白いものを作ったぞ!」と自信満々だったのだが、思ってたほどダウンロードされてないのでぜひ見てみてほしい。はてブではカレーの話題がちょくちょく上がるから、もしかしたらここに書けば俺らが届けたい人に届くんじゃないかと思った。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DJX32B2G
416種類のスパイスレシピを載せていて、1700ページを超える分量を無料配信している。といっても、著者は俺じゃなくて近所の友達なんだけども。
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言いたいことはこれだけだったんだけど、ついでに、ここにいたるまでの自分語りさせてほしい。
7年前ぐらいに友達の紹介で、インド人と出会った。今回の本の著者だ。インド人と言っても、お母さんが日本人で、日本でずっと育っているので中身はほぼ日本人だ。彼の実家は日本で70年続くスパイス問屋をしていて、彼はその3代目として色んなミックススパイスを作ったり、料理教室をしたり、カレー業界ではそこそこ名が知れている人らしかった。
当時の俺はマンネリ化した会社員生活にうっすらと嫌気がさしていて、何か人生に刺激が欲しかった。登山を趣味にしようとしてみたり、哲学の本を読み漁ろうとしてみたりしていたが予想通りどれも長続きしなかった。そんな時に渋谷の中華料理屋で彼とその友達と飲んでいて、全くの思いつきで「お前んちのスパイスをインターネットで売るから、俺に手伝わせてくれよ」とお願いしたのだった。
というのも、彼のスパイスは主にデパートやレストランに卸していて、一般の人が気軽に手に入るところには流通していなかったし、Webサイトもあるにはあるが、なんというか阿部寛のHPみたいなかんじで、商品ページに飛んでも「注文はFAXか電話で」と記載されている化石のようなものだったからだ。
俺はエンジニアではないが、学生時代にHTMLでホームページは作ったことあったし、ちょっとしたECサイトなら今どき簡単に作れるんじゃないかと思って彼に提案した。(実際は作るのめちゃくちゃ大変で、後で後悔した。)
で、その中華料理屋にいた別の友達3人とチームを組んで、完全に飲み会のノリのまま、彼の家業をサポートすることになった。
後日、Webサイトの商品撮影を兼ねて彼の実家に遊びに行った。当時俺は全くのカレー素人だったのだが、そこで彼はせっかくだからといって手際よくスパイスカレーをつくり、「さわやかチキンカレー」と名付けたカレーを振る舞ってくれた。
正直、めちゃくちゃ驚いた。まず作り方が全然イメージと違った。カレーって玉ねぎをできるだけ長い時間で炒め続けるのが良いものだと思っていた(そういうレシピももちろんあるらしい)が、彼はガンガン強火で炒めて、20分ぐらいで完成させてしまったし、なんか煮詰め方?というか水を入れる順番も普通のルーで作るカレーと全然違う。
あと味も、確かにインド料理屋で食べるようなカレーの香りがするんだが、レモンの酸味がビシッと効いていて、チキンや油のコクと調和していた。酸っぱいカレーって食べたことなかったし、これならむしろライスなしでもルーだけでも食べ続けたいぐらいだ、と思ったのを強く覚えている。
以来、すっかりスパイスカレーにハマってしまい、Webサイトも商品を売るのだけではなくて、スパイスを使ったレシピを紹介するのを主軸にしよう、と彼を説得した。毎月7〜8レシピを一度に撮影し、それを毎週一つずつ公開していく。そうすれば、彼にとっては自分のスパイスの使い方をお客さんに教えるコンテンツになるし、俺にとっては毎月彼のスパイスカレーを食うことができる。WinーWinだ。
実は、今回のスパイスレシピ本はこれまで7年かけて毎週ウェブで公開し続けてきたレシピを電子書籍にまとめなおしただけだ。これだけの量のレシピ本を無料で公開する、というアイデアを周りの人に自慢げに話した時に「なんか裏がありそうで気味が悪い」と言われて若干凹んだのだが、我々からしたら元々Webで公開しているレシピなんだから、無料が当たり前だっただけだ。
Webサイトを見てくれたお客さんからは、Webは検索できて便利だけど手元におけるものが欲しい、と言われていたし、我々としても創業70年の節目で何か形になるものを作ってみたかった。(多分、手元におきたいと言った人は物理的な本で出版して欲しいという意味だったと思うんだけど、総ページ数が1700ページで、ペーパーバック版のページ上限を超えたので断念した。上下巻に分けたりして物理的な本もオーダーできるようにしてみたいとは思ってる。)
ちなみに、どうしても無料で出したかったから本の編集は自分たちでやった。Wordpress上でテキストベタ打ちされているレシピを構造化して、InDesignのデータ結合(Wordでいうところの差し込み印刷みたいなやつ)で流し込んだのだが、大量のレシピデータを校閲して、さらに構造化する作業にチーム3人で2ヶ月かかった・・・。
デザインだけは近所に住んでいたプロのエディトリアルデザイナーにちゃんとお金を払ってお願いした。これは大正解だったと思う。俺らが作ったらこんな旨そうな表紙は作れない。
正直、本としての完成度はまだまだだと思っている。InDesignも初めて使ったし、プラットフォームごとの電子書籍のフォーマットの違いにもウンザリするぐらいハマったし、今から作り直せばもっといいものも作れると思う。でも本の中身自体は割と自信がある。なぜなら俺はこの416レシピを全部喰っていて、大体の料理がおいしいことを知っているから。
なお一部自社商品のミックススパイスやキットがないと作れないレシピがあるが、そこは目を瞑って欲しい。ただ単純にそういうレシピを除外するのがめんどくさかっただけで、特定の商品を販促したいわけではない。
当然彼のビジネスがうまくいけばいいなと思っているし、俺がスパイスに驚いた体験を色んな人に知ってもらいたいとは純粋に思うけど、俺個人の儲けはあんまりどうでもいいというか、この文化祭の準備のワクワク感みたいなのを友達同士で楽しめればそれで十分だと思っている。(公平を期すために言うと、一応Webサイト経由でスパイスが売れると俺らに手数料が入るようになっているが、いまんとこ副業にもならないぐらいのレベルだ。)
この本が誰かにダウンロードされて、どこかの食卓をちょっとした非日常に変えることができていたら、とリアルに想像するとニヤニヤしてしまう。(なのでダウンロードしてください!w)
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(追記)
>Webのほうは各レシピに「4人分」と書いてるけど、Kindle版は何人前か書かれてないように見える。まあ全部Webと同じで4人前だと思うが
これは完全に見落としていた、、、!はい、4人前です。改訂します。
>サイトでも買おうと思ったんだけど,カレーパウダーのストロングが何かの説明がなかったり,フォントが細くて読みにくいなど,気になったので改善してもらえると,より買いやすいかも!
サイトの商品情報とかデザインがイケてないのは自覚している。ここ数ヶ月は電子書籍にかかりきりだったので、これから手をつけたい。たしかに、外部のデザイナーにお願いするのは良いアイデアかもな。アテも金もないけど検討してみます。
>PR TIMES にもガッツリ出稿してるし、なんか「増田にだけこっそり教えるヨ!」みたいな雰囲気気に食わないな
そんなつもりは無かったんだが、気分を害してしまったならすまない。俺としては、これのリリースを打ったらTVとか新聞の取材が殺到しちゃうんじゃないの??!とか勝手にテンション上がって出稿したんだが、そんなことはなくてちょっと落ち込んでたんだ。
でも1件だけWebメディアから詳しく話教えてほしいと言われてて、明日インタビューを受けるので出して良かったと思ってる。
ちなみにPR Timesは1件3万円の出稿料で、だいぶ悩んだんだけど、xやinstagramの広告出稿と見比べてコスパ的に良さそうだったから採用した。でもなぜか請求が来てないっぽいので謎。スタートアップ支援プログラムみたいなのに元々登録してて、それが延長されているのかな。(創業間もない会社は期間限定でリリースが打ち放題って言うアツいプラン。そのためだけにわざわざ法人格まで取得した)
>増田が初めてそのインド人の彼の実家で食べたカレーはどのレシピ?
>416レシピ食べた中で特に気に入ってるものとか印象に残っているものを教えて欲しい
初めて食べたのは「さわやかチキンカレー(P.410)」。
個人的には「チキンニハリ(P.142)」「牡蠣のアチャール(P.1090)」「チャナチャット(P.1458)」「ポークヴィンダルー(P.418)」「ダブルオニオンチキンカレー(ドピアザ)(P.470)」「秋刀魚のビリヤニ(P.962)」あたりが好きかな。
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実は明日、バラッツとデザイナーの人と俺らのチームで打ち上げをする予定なんだよね。鎌倉の予約の取れない(そしてちょっとお高めの)スペイン料理屋で2時間のランチコースを2ヶ月前から予約してて、だいぶ楽しみにしてたんだ。
というのも、デザイナーの人は本当にすごい仕事をしてくれたので、対価の支払い以外にもせめてメシぐらい奢りかたかったし、バラッツとも出版祝いをちゃんとやりたかった。
俺らとしては満足行くクオリティの本が作れただけで充分打ち上げするに値するなとは思ってたんだけど、ブクマカの皆んなのおかげで、さらに最高の華を添えることができそうだ。本当に本当にありがとう。
私には五歳年上の兄がいる。
私は彼氏との結婚を見据えて同棲することになり、近々実家を出る予定だ。
そうなると実家には兄と母の二人だけが残ることになるが、この兄と母のこれからの生活が心配で仕方ない。
兄は特に粗暴な性格ではないけれど、ナチュラルに優しくないところがある。自分本位で周囲への配慮が薄く、やりたくないことは絶対にやらない、そんな兄なのだ。
ある日の夕食後、ふと兄に言ってみた。
「たまには兄さんも料理してみたら?」
「嫌だよ。今更めんどくさいし、興味もない」と、兄は無関心に答えた。
その瞬間、兄が常に母や私に「めんどくさいこと」を押し付けていることについてどう思っているのか、疑問に思った。
また別の日、母が怪我をして、私が車で病院に連れて行ったときのこと。
「お母さんを連れて行けて良かった。前に免許を取らないって言って教習所をキャンセルしてたけど、まだ30代のうちに免許取ってみたら?」と提案してみた。
すると兄は、「え、いいよ。運転興味ないし。もし事故ったら嫌だし。妹が免許取ってくれてて助かった。ありがとう」とあっさり返した。
「でも私がいなかったらどうするの?」と問うと、兄は「タクシーか救急車でいいでしょ」と言った。
その時、私は母が気を使うタイプだから、タクシーや救急車を使うことを躊躇うだろうと思ったが、兄はそんなことを考えもしない様子だった。
兄が一人暮らしをしようとしたこともあった。それは2019年末頃のことだ。
社会人になって数年、金銭的に余裕も出てきて、一人暮らしを始める友人も増えてきたためだろう。現実的に通勤時間を短くしたいという思いもあったようだ。
しかし、コロナの流行によりそのきっかけを逃し、それ以降兄が再び一人暮らしを計画している素振りは全くない。
もし一人暮らしをしていたら、もう少し母や日常の家事に対する想像力が育まれていただろうか?
我が家では基本的に母か私が食料品の買い出しをしている。私が実家を出た後は、母だけが買い物をすることになるだろう。それに対して兄が特に何も感じていない様子に、内心呆れることがある。
神奈川の田舎で、車があった方が便利だけれども、電車も発達している地域に住んでいることもあり、兄にとっては免許を取る理由が全くないようだ。
兄の社会性が薄れていったこととコロナは無関係ではないと思う。
以前は嫌々ながらも上司や会社の人と飲み会をして、そのときの話題を食卓で披露することがあった。コロナで在宅勤務が定着し、通勤や社交の機会がなくなったことで、兄の外出は本当に減った。
コロナが明けてから会社の飲み会が再開されたようだが、今や皆が参加するわけではなく、兄は全く出席しなくなった。
もともと友達が多いタイプではなかったため、休日は部屋にこもってゲームをするか、Vtuberの配信を見るかしている。平日も夕食のときだけ顔を出し、その後は自室に戻る。
私が出て行った後に兄と母が食卓を共にするだろうか?兄はゲームやネット配信を見ることを優先し、食事のタイミングをずらしてしまうのではないか?母は兄がそうしても何も言わず、一人で食事を取るだろう。
ゲームをして配信を見ているだけでも、人間は歳を取る。兄は今後どんな中年になっていくのだろうか。
来月中旬には私はもう実家にはいない。実家には年に一度か二度顔を出す程度だろう。そのたびに、少しずつ老いていく母と、少しずつ社会性を失っていく兄を見ることになるのだろうかと思うと、少し憂鬱になる。
正直、かなり迷った。買うか買うまいか。スーパーの佃煮売り場に立ち寄ると、不意に「イナゴ」という文字が目に入る。イナゴ。もちろんその名前は知っている。食べられることも知っている。ぴょんぴょん飛び跳ねている姿を目の当たりにしたことはないけれど、小さなバッタのような容姿は、何度か写真で見たことがある。興味本位で恐る恐る目を凝らしてみる。緑色の体躯は影を潜め、味付けされて茶色くなってはいるものの、見た目はどこからどう見ても、あのイナゴのままである。確かに佃煮になっているようだ。いったいどんな味がするのだろう。このスーパーは、私の家からは少し離れた所にあって、滅多に来ることはないのだから、今買わなければ、次にいつチャンスが巡ってくるか分からない。値段は300円ほど。試しに買うにはちょっと高い気がする。私は実際臆病な人間だ。いちど売り場を離れて、また戻ってを繰り返しながら、カゴに入れる勇気はついに出なかった。私はイナゴに申し訳ないというよりも、自身の情けなさが身に沁みて仕方なかった。
それから数か月経った。以来忘れようとしてもイナゴは私の脳裏からどうしても離れてはくれなかった。いつかは、という野心に似た気概がいつも私を突き動かそうとした。が、さすがに家から離れたスーパーに、イナゴ目当てに足を伸ばすほど、時間が有り余っているわけでもない。と、書いてみて、ちょっとそれは違ったと思った。真実私はまさにイナゴを求めるためにそのスーパーを訪れたのだから。他人からすれば阿呆らしく感じられるかもしれないが、どんなに些細な物事であっても、自分の前に聳える壁にチャレンジするのは、それなりに意義のあることではあるまいか。私はイナゴという壁を乗り越えようと、決然あの佃煮売り場へ向かい、今度は一瞬も躊躇することなく、「イナゴ」と大きく書かれたパックをカゴの中へ入れたのである。
茶碗にご飯を盛る。箸を用意して食卓の前に腰を下ろす。パックの包装を静かにはがし、いよいよ相対する。じろりとこちらを見たような気がした。いただきます。茶色く固まったイナゴたちに丁寧に声をかけた私は、意を決し、一口目を口の中へ放り込んだ。うむ。食感は予想通り。エビフライの尻尾は食べないタイプではあるけれど、あの感触によく似ていると思う。味もエビを想起させるものだ。うん、うん、まずくはない。食べられる。イナゴだと知らずにいたら、毎日のご飯の友としてぴったりな食材を見つけたと意外な発見を喜んだかも知れない。しかしイナゴの気持になってみると、彼ら彼女らは、鳥やカエルに食べられることはあっても、まさか人間に佃煮にされるとは想像もしていなかったことだろう。いや、あるいは彼ら彼女らの先祖から、人間は私たちを佃煮にしてしまう悪魔だ、なんて代々伝承されてきたのだろうか。ありもしない妄想まで浮かんできてなかなか面白い。人間の世界に戻って、田園の中を飛び回るイナゴを貴重なタンパク源としていた人々の生活に思いを馳せてみる。また、食糧不足の問題を解決するよすがとして、昆虫食が注目されている昨今の世界にも、思いを寄せてみる。イナゴは古から未来へかけての人類の希望にほかならない。イナゴたちにとっては迷惑千万な話にちがいないが。分かり合える日は永久に来なくても、人間とイナゴは切っても切り離せない関係でありつづけるのだろう。
二口目、三口目と、だんだん抵抗がなくなった私は、イナゴを数匹次々に口へ放っていった。たまに足が舌に刺さってちょっと痛い。当たり前だろう。私はエビではなくてイナゴを食べているのだ。目の前の壁を乗り越えた満足に浸りながら、どうにも得意な気分を抑えることができなかった。今日のお昼はイナゴの佃煮。誰かに自慢したくなった。ごちそうさまでした。
箸の持ち方にとやかく言う事はないが、茶碗をこの状態にして「ごちそうさまでした」という奴は許せない→米粒を残すと目が潰れると教わった - Togetter [トゥギャッター]
で、こういう意見をもてはやす奴は、「ドカ食いダイスキ! もちづきさん」のような暴食マンガや、飲食店やコンビニ弁当のデカ盛りをどう思ってるんだろうか?
自分の快楽や欲望、利益の為に、必要以上に食う、提供するのは、OKなのか?茶碗の米粒は許せないのに?
ダンジョン飯のライオスも「過剰に食い過ぎるものは滅びる定めだ」って言ってるぞ。
それはともかく、給食を完食できなかった児童に吐くまで食わせた教師も、まさに「引っ叩きたく」なったんだろうね。食育とかではなく。
危険だと思うよ、こういう教えは。
元ケーキ屋バイトが個人的にアドバイスするよ!たかがバイトかつ本当に個人的な意見だから参考程度にね!
味は絶対譲れない!というのであればケーキ屋や洋菓子屋のもののほうが外れにくい
ただクリスマスケーキは気合の入った見た目も特徴なので、そこを重視するなら余計なこと考えずインスピレーションを大事に
もちろん味と見た目どっちも極上!みたいなのもたくさんあるよ!(その逆もあるかも?そうですね…)
ただ見た目普通だけど味が極上とかもある、そもそもクリスマスの食卓にクリスマスのためのケーキがあるという体験自体が一番のデコレーションであることも添えておこう
あとケーキはお店で食べる以外は誰か素人(自分や家族、運送の人)が運ばなければいけないので、気にするならいかにも崩れやすそう…というのは避けたほうが安全かも
お店の味が一番出やすいのはショートケーキだと思っているので、生クリーム・フルーツ・スポンジを気に入っているお気に入りのケーキ屋で買うなら個人的にはショートケーキ一択。見た目も好き
誤魔化しにくいとも言い換えられるので、味重視かつ確信がないなら外す(あるいは今後リピするかどうかの品定めとして挑む)のもありかも
ブッシュ・ド・ノエルはその名のとおりクリスマスのためのケーキなのでおすすめ!どこのお店も出してるから色々迷えるのと、土台がロールケーキなのでお値段控えめが多いのもありがたい
関係ないけどたまーに「クリスマスノエル」という名前で出しているケーキ屋を見かけて大変もやもやする
その他は、自分の好物があれば優先するのがいい、やっぱり好きなもので季節限定の特別となるとめちゃくちゃ特別なのである
あとはそのお店の得意(キルフェボンならタルト、ブールミッシュならシブーストみたいな)は基本外さないので信じて選んでいい
選ぶ時間も楽しんで!自分はお店の前でニコニコしながらあれがいいこれも食べたいって迷う家族とかカップルとかを見るのが大好きでクリスマスのケーキ屋バイトが好きだった(超忙しいけど)
あと、ケーキ屋目線でクリスマスはよくも悪くも特別で、ケーキの値段が上がったり、ホールケーキ以外では手の込んだ品が出せなかったり、一人一人にかけられる接客の時間が短くなったり…というネガティブな側面も否定できない
もしケーキ自体が好きなら、世間的には何でもない日でも個人的にちょっと特別な日とかに、普段のケーキを食べるのもおすすめ
良いクリスマスを!
ある夜、静かな部屋で、あなたはいつものようにリラックスタイムを楽しんでいた。テーブルにはサントリーの赤ワイン、湯気の立つ春雨のスープ、そしてピリ辛の暴君ハバネロが並んでいる。まさに至福のひととき…そう、戦争が起こるまでは。
突然、春雨のスープが立ち上がり、声を張り上げた。「おい、暴君ハバネロ!お前のその辛さが、全ての食卓を支配しようとしているのは知っているぞ!」
暴君ハバネロはニヤリと笑い返し、「何言うてんねん、春雨。お前こそ、ぬるいスープで俺の存在感を薄めようとしとるやんか!」
ここから始まる激しい口論。赤ワインはグラスの中で静かに揺れながら、「まぁまぁ、落ち着きましょうよ。お二人とも、それぞれの個性があってこその料理じゃないですか」と諭すが、効果はなかった。
春雨のスープが「俺は誰にでも優しく溶け込む、そんな存在だ。でもお前は、辛すぎるんだよ!」と叫ぶと、暴君ハバネロは「だからこそ、俺は特別なんや!その個性を潰そうなんて許されへん!」と怒りの炎を燃やした。
次の瞬間、暴君ハバネロはピリピリと辛味を漂わせながら攻撃を仕掛けた。春雨のスープも、すかさず反撃し、優しいダシの香りで空間を包み込もうとする。
赤ワインは必死に仲裁を試みるも、その芳醇な香りが逆に戦争を激化させてしまい、辛味と旨味と芳醇が入り混じるカオスな状況に。
最終的に、あなたはそんな激戦の場を呆然と見つめるしかなかった。
こうして、テーブルの上で繰り広げられた壮絶な戦いは夜遅くまで続いたという。そして、それぞれが自己主張の激しさを誇る限り、この戦争は終わらないのかもしれない…。
中学生になっても留守番も「できるの?」とか聞かれたし、ご飯はいつまで経っても子供用のおかずが別に作られた(大人は煮物、子供はカツ丼的な)
社会人になって一人暮らしを始めるまで、ゴミを出したこともなかった(ゴミ捨て場の位置も知らん)。
元増田に書かれた女性たちと大きく違うのは家族仲が最悪だったことだと思う(現在絶縁済)。
家事は「親がやってくれる」というより、「こんな奴らに協力してたまるか、使えるだけ使ってやる」という気持ちで一切手を出さなかった感じ。
だから社会人になって全部一人でやらなくてはいけなくなったときに、ものすごい解放感があった。もう誰にも恩を売らずに苦労を自分で背負えるんだと。
それに今は家事のやり方は検索すればいくらでも出てくる。その中で実家の連中の家事が相当間違っていたこともわかった。料理は何を作っても実家のクソな食卓の料理より美味しい。
無限地獄の底の底。天より堕ちて咽び泣く赤子よ。その身体を貫いた鉄柵は、ナパームの火の海にて捻じ曲がり、狂った音を立てて崩れる。燃え盛る火炎でオーガズム。キャタピラの拍手喝采。切れた手、飛んだ手、俯く手。手が舞い、手が語る。切られたペニスと破られたヴァギナが、恍惚とした都市の裏側を今日も染め上げる。ジャーナリズムの威勢の良い軍靴もなお遠く、正義を語る瞳なし。否、瞳はあれど誰もそれを見はしないのだ。都合よく切り取られた悲劇の形が、誇張されたテロップの前で股を開く。「Lick my ass!」。劇薬は食卓に並ばないが、中和されることもない。だがそこにある。
地獄の魔王の説教。悔恨は懺悔室の爪痕に代わり、神の名は空虚に響く無意味な雑音となった。あるいは精神性の崩壊か。正義も不正もない世界。倫理なんて意味の無い世界。頭がおかしくなりそうだ。すべてを忘れて籠ればいい。そうすると後ろ指。ツァラトゥストラは何も語らないまま、結局はユダとなる。今度はアイコン、象徴だ。麻袋に入れられた銀貨で、ロサンゼルスの一等地を買い、首をくくって「価値は創造される」と言うのだ。自分で鋳造して、自分で破棄して、自分で投げ捨てて、自分で拾う。リサイクル装置と不満足な豚に違いなどない。だがそれは、満足な賢人も同じだ。
結局のところ、賢い女はあの半島のモスクで何人の人が殺されたのかを知らないし、知ろうともしないだろう。(言い訳無用。僕もそうなのだ。だから僕は今から死ぬよ)。その女はしかし、一方で派手な衣装に身を包んで大出を歩き、貧しそうな人を見つけて助けの手を差し伸べる慈悲の神を体現する一方で、夜には見た目で人を切り、蹴り、嘲る。その人と同じように、そして男はもっとそうであるように、自らの過ちを過ちと感ずることすらもできないほどに弱り切った人間を殺すのはいとも簡単で、それを皆子供の頃に実践する。アリを潰すのと同じくあっさりとやってしまうのだ。
一つのシステムの、どうでもいいところ、見る必要のない所、関心のない所、意味の無いと思うところを堂々と切り捨てる。それを見て腹を立てた教師が説教台に立って、愛と平和を謳いながら、夜中に誰かのペニスを切り取っている。「ここはあたしの部屋で、あんたは道具」。するとペニスの持ち主が言う「そうよ、だからあたしはあんたに使われたくなんかないの」。互いにペニスを噛みちぎり、互いのヴァギナにナイフを突き立てる。血まみれのサラマンダーが吠えて、快楽を謳う。血まみれの享楽に溺れながら腰を振り、ナイフに己を貫かせつつ、相手を侮辱し嬲る。その一部始終を切り取って値段をつけてスーパーに届けると、客は皆喜んだ。「ああ、助かる。何せ全く別物に変わってしまったのだから。もう元々の姿を見る必要はないのだから!」
信仰に支えられたエレナの聖釘に貫かれて、毎日多くの死んだ魚が砂浜に撃ちあがる。そう、死んだのだ、あの心は。だれがしたか覚えているか。
出張から帰ってきた夫は赤ちゃんになってしまう。赤ちゃん言葉を多様する。夜よしよししながら寝るまで側にいないとぐずって寝てくれない。服や荷物やおもちゃは使ったら放置。別室で何かしようとすると後ろを追いかけてきて何をするわけでもなく立ってる。食事を作ってもいざ食卓に並ぶとあれがイヤこれがイヤとイヤイヤ期になっちゃう。トイレでは大量に尿をこぼしウンコがついたパンツを平気で着て、そのまま洗濯機へ入れる。
夫が帰ってきたらしつけやトイレトレーニングをして成人男性に戻すんだけど、やっと年相応のふるまいになったらまた出張がやってくる。ここ数年はそれの繰り返し。
精神に何らかの異常をきたしているから病院へ行けと言っているけれど、イヤイヤ期の状態ではイヤイヤ言うだけで、成人男性になった頃にはまた出張だから病院にも連れていけない。
せめて出張は断ってと言っても、自分しか行けないからとか、妻にお金で苦労させないためにとか言い訳して断らない。
妻に楽させたいなら赤ちゃんになるのをやめてほしい。自由時間が夫の育児で消えるのがつらい。
どうしても赤ちゃんになってしまうなら、成人男性になったときは赤ちゃんだった自分を恥じてほしい。何事もなかったかのように過ごせるのは何でなの?
ベジファーストは、リアルタイム血糖値モニタリング(CGM、リブレ)で、個人でも簡単に効果を確かめられる。
15分~30分前に食べると効果があるのはすぐわかる。
だが、食卓で、野菜サラダを食べて、15分~30分も待つのは現実的には困難だ。
ということは、食前30分前に、食卓以外の場所で簡単に食べられるものを食べたほうがやりやすい。
30分前に、難消化性デキストリンを服用するとか、
もう良い歳だしリアルで話をする場もないので匿名日記に吐き出してみる。
物心ついた頃から両親は仲が悪く毎日喧嘩→そのストレスを子供(俺)に当たり散らす、という環境だった。
小学校低学年までは八つ当たりと気付かず自分が悪いと思って怒鳴られたり引っ叩かれる度に泣いて謝っていた。
両親とも世間からは真面目で良い人と見られていた。が、家庭内では真逆というアレ。
父は親父(俺の祖父)が家庭内暴力を振るっていて嫌だったから自分は絶対にやらないと誓っていて母にも直接手を上げたことは多分無い。その代わり暴言がひどく超えてはいけないライン(母を罵倒する際にその血筋まで否定するとか)を簡単に超えてくるのである意味暴力以上だったと思う。
母はヒステリーがすごく、普段からドアをものすごい音で閉めたり粗暴さが目立った。すぐ激昂し、物を叩きつけたり皿を投げたり、俺は何かあるとすぐ引っ叩かれた。暴力は手っ取り早く子供を黙らせることができる上に自分のストレスも解消できるということに気付いてしまったんだろうね。癖になってたと思う。母は口も悪くて本当に性格が悪いなと子供ながらに思っていたが、今にして思えば何かの病気だったんだと思う。ノイローゼというか。感情を抑えられなくなるやつ。
友達が食事中にふざけたとき、自分は反射的にビクっとなった。友達の親がブチギレると思ったから。
しかしコラっと注意されるだけでさして怒られず、お父さん・お母さん・妹さんも皆笑顔で食卓を囲んでいるのを目の当たりにして衝撃を受けた。
うちだったら許されない。食事中に会話自体NGだ。「今日こんなことがあって〜」なんて話をすれば父から「うるせえ!」と怒鳴られるか母から無言で睨まれるかの二択。子供は黙って食え、親に感謝しろ、これがルール。食卓の光景と言えば父が聞く野球中継ラジオの音、それに対する父の罵声、それを見下すような目で横目に見る母。緊張感の中でコメを噛んでると砂みたいな味がするんだよな。味がしないというのかな。また食事中に水を飲むことも禁止されていがのが地味にきつかった。禁止する理由は「料理を水で流し込むのは作った人(母)に失礼だから」(母談)。意味がわからねえ。どんだけ性悪説なのか。
そんなわけで友人宅の食卓の明るい感じに驚き、同時に自分の家に疑問が生じ始めた。
後日その友達がうちに遊びにきた。
両親共働きで不在だったので子供のみ。二人で座ってゲームをしていたが、そこに母が帰ってきた。
友達が若干緊張気味にお邪魔してますと言った側を「どけ!!」と罵声を浴びせて通り過ぎる母。
申し訳なさと恥ずかしさで居てもたってもいられず外にいこうと言う俺。
その後もその友達とは親交が続いたが二度と俺の家にくることはなかった。
この件から俺は母に反抗しはじめた。おかしいと思ったらおかしいと言ったし、いつも食らってたビンタも落ち着いて見れば避けられることに気付き躱すようになった。ビンタを食らったときの頬骨の振動音とか目の前がブラックアウトする感じに耐えていたのがアホらしい。自分が悪いと思ってたからね。最初から避けてればよかった。
俺が生意気になったということで母の怒りゲージは数段上がって毎日さらに不機嫌に。
そして母があることないこと父に吹き込みそれを信じた父は問答無用で俺に「出ていけ!」ばかり言うように。それを無視していたら友達の親を悪く言い始め俺がブチ切れ。
そんな毎日の中、近所の人が通報したのか警官が来たこともあった。母がブチ切れて俺を警官の自転車に無理やり乗せて「捕まえてもらう!!」とギャオった結果、警官のお兄さんがドン引き。あのひきつった顔は忘れられない。以降警官はこなくなった。
毎日これではさすがに身がもたない。
家庭の中で生きる術として、感情を無にすることに行き着いた。
怒鳴られても詰られても怒りで返さないし凹みもしない。とにかく反応しないこと。空気になること。
でも心の奥底に毒は溜まっていたんだろうね。
学校でいじめっ子に標的にされ小突かれ始めたとき、毒の放出でとんでもないキレ方をしてその子をドン引きさせたりした。
日々蓄積した怒りを一瞬で解放するとすごい。向こうは子供のおふざけだがこっちは殺し合いスタートの覚悟だから。対・大人用の怒りだから。しかしこの件が教師に問題視され、親子面談→母が俺の悪口をあることないこと言う→教師「お前を叩き直す(使命感)」となり、俺の言うことは担任教師に信用されなくなった。いじめっ子も調子に乗ってくるし中々しんどかったが、給食が食えるから良いか...と開き直った。
中学生になり一転勉強するようになった。勉強は覚えたこと・考えたことを平等に評価されるのが良かった。合ってるか間違ってるかが焦点で「お前の◯◯が気に入らないから減点」「今日は気分が良く無いからバツ」とかないのが良い。
父から中学を出たら働け、調子に乗るな、自分で稼げとよく言われていた。
正直家を出たかったが何とか大学まで行った方がその後の人生にプラスだと思った。
奨学金の存在を知らなかったので親に金を出してもらうしか無いと思っていた。
しかしこれまでの経験上なにかをお願いすると調子にのるなと拒否られる。
そこで閃いたのが「普通の家はみんな子供が高校に行っている」と言うことだった。
両親は世間体を何より気にするので普通という言葉に弱いことを知っていた。
それを利用するのは下衆、そしてさすがに小賢しいよな...と思ったがこれは両親にめちゃくちゃ効いた。
以降いっさい中学出たら働けを言われなくなった。
それから多少賢いとこに進学し社会に出て一人暮らしをはじめた。
周りは「親のありがたみがわかった」と言っていた。
俺は「一人のありがたみがわかった」と思った。
いきなり怒鳴られたり威嚇されることもない。自分のことを自分でやるだけで生活が成り立つ。こんな楽なことある?
両親には産んでもらったこと、経済的な面で支えてもらったことを感謝している。
両親の不仲、子供への当たり方も悪気ではなく、そうしたくないのにそうなってしまっていたのかもしれない。
でもあの子供時代はもう二度とやりたくないよ。大人の自分でもメンタルがもたないと思う。
仕事で同僚の子供時代を聞くと皆温かい時代を過ごしているんだよね。
それに何の疑いも持っていない。
俺も結婚はして普通人ぽく振る舞ってるけど心の奥底に毒が残ってるのを感じる。
ふとしたときに父のような度を越した暴言を吐きそうになったり、母のような感情のタガが壊れた言動に走りそうになって意識的に抑えてる。結構強烈な衝動。これをどう昇華させるか。
ネットで自分と同じような経験をしている人は親への恨みつらみにかられ、介護の段階でやりかえしてやるなんて意見が少なくなかった。自分もその気持ちはとてもよくわかる。が子供時代に"子供"をやれなかったこと、他人を信用できなくなったこと、寂しいという感情がなくなったこと(これは利点もある)...それって親のせいも結構な割合あるだろう?と言ってやりたいのだけど、俺は恩で反すことにした。
両親が憧れていたであろう、でも手が届かずぶつくさ言っていたものをプレゼントした。
とても驚かれた。
両親の態度は一変した。
子供の頃、毎日いるだけで苦痛だった実家。毎朝親の顔を見るだけで心臓がキュッとなった。自分が家にいて親が帰ってくるときドアの鍵音でビクっとなる感じ。
あれらが嘘のように過去になった。
正直心の毒はまだ残ってはいるが、恨みつらみのやり返しを選ばなくて本当に良かったと思う。
ここでどちらが普通であったり、相手側に同情する人の意見を聞きたい。
増田は「生活しやすい空間を作ることが大事。日々使うものを身近に置いて、使わないものは奥へ片づける。例えば、リモコンやティッシュが食卓において手に届くところにあるべきだし、衣類の衣替え等はある程度する」という考え。
相手は「めったに掃除はしない。掃除するときは頑張って見栄えをきれいにしたい。例えばリモコンやティッシュも食卓からどけて片づける。季節の衣替えなんかも見栄えに関係しないからしない。洗濯後の衣類も畳んでその辺に積み上げる」というタイプ。
相手は「近い将来、これを使うかどうか」を考えられないタイプなのだと思う。
だから増田はともかく雑でもいいから、生活圏をある程度きれいにすることを優先してる。
常に70~80点を狙うイメージ。
殆どの場合、来客があるときや、増田に文句を言われて掃除をする。
普段は、食卓や廊下に郵便物を積み上げたり、椅子に洗濯後の乾いた衣類を平気で一日以上放置することもある。
ひとつひとつはキレるほどではないのだが、他のイライラと重なると爆発してしまう。
そのため、常習的にこのことで揉める。
増田としては、「いくらズボラといえど、生活で使うスペースを汚したら、自分の首を絞めるだけじゃないか」と理解が出来ない。
助けてほしい。
完全に染まりきってないから今ならまだ引き返せるかもしれない。
母は今話題のレプリコンワクチンについて、Xでネガティブな意見をたくさん読んでいる。
昔から自然派っぽいところがあり、私が風邪を引いたときはキャベツの葉をかぶらされたし、食品添加物とかをものすごく気にしていた。味の素、ヤマザキの食パン、マーガリンは食卓に並んだことがない。
HPVワクチンも私が打つというとずっと反対していた。一回本気でケンカになって「もういい、勝手にしろ」と言われた。来週1回目打ってくる。キャッチアップ、短縮日程になってしまったが仕方ない。
母は今までのコロナのワクチンは4回目くらいまで打っているし、今もわりとコロナを気にしていてあまり遠出もしていない。
なぜ今になってこんなふうになってしまったんだろう。
美容院とか大手のヨガ教室とか札幌大谷とかが声明を出してるのを間に受けてて、打った人の呼気や汗からシェディングで〜と毎日私に話してくる。
そんなものは非科学的だ、といっても信じてくれない。私もあんたも理系じゃないから、理系のえらい人が言ってるなら信じる、だそうだ。とてもつらい。
私が受験生のときは勉強を軽視していたし女は家に入ればいいんだ、とか言ってたのになあ…
抗がん剤では曝露があるから、ワクチンのシェディングも絶対ある、という。抗がん剤の曝露は正直私も初めて知ったので、うまく反論できなかった。こういうとき知識がないのと、ディベートが下手なことを心から悔やむ。
私の前ではシェディングを信じてもフラットアーサーになっても構わないけど、父とか友達とか親戚とかの前では絶対に言わないでほしい。
どうしたらいいんだろうなあ…
40代も半ばになろうと言うのに自分は何故か未だに飽きていない。
ちなみに見ていた夏アニメは以下の通り。
天穂のサクナヒメ
杖と剣のウィストリア
グレンダイザーU
俺は全てを【パリイ】 する
☆悪役令嬢の意外な能力
☆悪役令嬢の矜持
☆義姉の代わりに、余命一年と言われる侯爵子息様と婚約することになりました
☆王太子に婚約破棄されたので、もうバカのふりはやめようと思います
俺だけレベルアップな件
空っぽ聖女として捨てられたはずが、嫁ぎ先の皇帝陛下に溺愛されています
☆99回断罪されたループ令嬢ですが今世は「超絶愛されモード」ですって!
☆「死霊術師など穢らわしい」と処刑されたので、魔族に転身致します
☆死に戻り令嬢の仮初め結婚
実は私が本物だった
捨て悪役令嬢は怪物にお伽噺を語る
聖女のはずが、どうやら乗っ取られました
☆できるメイド様
☆手札が多めのビクトリア
☆転生したら才能があった件
転生した悪役令嬢は復讐を望まない
二番手の女 歌姫としての誇りを胸に、最後のご奉公をいたします
念願の悪役令嬢の身体を手に入れたぞ!
宝石姫は、砕けない
未亡人アンネの閨の手ほどき
森の中で公爵が拾ったのは
ルリドラゴン
月が導く異世界道中
魔術師クノンは見えている
☆義姉の代わりに、余命一年と言われる侯爵子息様と婚約することになりました
☆目的は生き延びること
☆は9月初見。ちなみに9月初見で個人的に一番良かったものは「TS衛生兵さんの戦場日記」
漫画で1~2巻見て面白かったら、「なろう」で続きを見ると言う流れが多い。
アニメ1~2話見て面白かったら、原作を見ると言う流れも多い。
いつか飽きることはあるのだろうか・・・
砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。
三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。
「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。
美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
「もう宅へ帰るんですか」
女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
「どこかへ行くんですか」
「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
「なんにもないです」
「そう」と疑いを残したように言った。
「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
「いいからいらっしゃいよ」
よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
やがて女二人のあいだに用談が始まった。
「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
「ええ。あなたは」とよし子が言う。
「どうしましょう」
「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
「そうね」
なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「知りません」
「そう」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。