はてなキーワード: 歴史的とは
春月庵を出てしばらく歩き、大橋駅から大牟田線線に揺られて暫くすると太宰府に到着した。
太宰府では参道にある隈研吾設計のスターバックスも見たかったが、あまり寄り道をしていると日が暮れてしまう。
入り口前で既に多くの外国人の興味を集めているそれを通り過ぎ、天満宮に向かう。
何だろうと覗いてみると、天満宮の象徴の一つ、御神牛が石座の上に蹲っていた。
一枚撮ろうと並んでみる事にする。
待ってる間に御神牛について調べてみると、頭をなでれば頭が良く、疾患のあるところを撫でれば快癒するらしい。
良く見れば御神牛の頭は磨かれてピカピカだ。
自分の番が来てファインダーに収めたのち、折りたたんでいる前足をさすった。肘の痛みが治れば良いのだけれど。
鳥居を潜った太宰府天満宮は、その隅々までが美しく、息を呑んだ。
島の自然の中、雄大で幻想的な美しさを湛えていた厳島神社とは全く違う、配色まで計算して端整に造り込まれた様な美しさだ。
店内を撮り、店員のお姉さんと香港名物 鴛鴦茶風の仕上がりを再現できるカスタマイズについて話し合った後に一休み。
行きに通り過ぎた時に入り口で写真を撮っていたのもおそらくは中国人だったが、店内にも中国、韓国、香港、或いは台湾から来たと思しき人は多い。
残りの滞在時間に福岡でできることは多くないが、博多駅から驚異的な近さの国際空港、福岡空港国際線ターミナルは見てみたい。
降り始めた小雨に、折り畳み傘を広げ、スタバを出た。
大牟田線を天神まで引き返して、案内カウンターのご婦人に福岡空港までの行き方を尋ねると、バスが出ているという。
天神駅3階のバスターミナルに向かい国際線ターミナル乗車の列に並ぶ。
一緒に並んでいるのは当然だが外国人で、言葉を聞けば韓国の人だった。
あっという間に着くと思われた空港行きバスは遅々として進まず、結局国際線ターミナルまでは1時間30分程の乗車。
しかし、その大半は駅前の渋滞に巻き込まれていて、渋滞しない時間帯なら天神バスターミナルからは30分足らずで着きそうな距離だ。
降り立ったターミナルは思いの外落ち着いた雰囲気で、ややコンパクトな印象だったが、綺麗で近代的だった。
到着便の出発元は
桃園
全てアジアだった。
どうやら時間帯によってアムステルダムやグァムの便もある様だが、21:00過ぎには閉まってしまう福岡空港国際線ターミナルにあって、19:00過ぎのこの時間帯ではほぼアジアの到着便しかない様だ。
何れにしても全ての時間帯で東アジアからの到着便が一番多いのだろう。
歴史的な経緯からか、外国人の中で意外と欧米人の比率が多かった広島と違い、福岡は日本におけるアジアの空の玄関口である様だった。
行きの天神で、バスは渋滞に巻き込まれて正確な時間を計れないので、今度は国際線から国内線の短距離送迎バスを経由して、地下鉄を利用する。
このルートで戻ると、国際線ターミナルから博多駅はわずか20分だった。
これは、仁川から国際線に乗れば、出入国手続きやチェックインに1時間30分ほどかかったとして、フライトが1時間30分、諸々の待ち時間が30分あまりあっても、4時間あれば博多市内にやって来られる事になる。
韓国のLCC エバー航空で1週間後の往復便の価格を見れば、1万円余り。
韓国人にとって一番身近な外国の大都会が、北京、上海と、この福岡だった。
ネットで韓国の芸能人がナショナリズムめいた騒動に巻き込まれると、すぐに「Kの法則」だの「縁を切れ」だのと言った意見が書き込まれるが、そういう人はどうやって韓国人を御断りする気だろう。
日本旅行記を書く韓国人に「放射能まみれの汚染食品で死ね」「塩分過多で成人病まっしぐらだね御愁傷様」と海を挟んだ半島側で書き込む人々と、こちら側で「本当に…気持ち悪い…来なくていいです。」「チョウセンヒトモドキ」と書き込む人々はお互い相手の国に行った事があって書き込んでいるのだろうか。
そんな人々にきっと目も向けることなく、たくさんの韓国人、日本人がお互いの国を訪れ、ソウルや福岡の食べ物を食べ、街を見て、お土産を手に、思い出を胸に祖国に帰っていく。
この目で見てこの身体で感じない事を「知っている」ということは出来ない。
5日目
ほんとにひと玉でよかと?
「リラックスできる」と「グッスリ眠れる」の間にはまだ少し超えなければいけない壁がある様で、4泊目の夜の睡眠は途切れ途切れだった。
携行している睡眠導入剤を使えばよく眠れるのだろうが、あまり連用はしたくない。
7時頃には完全に目が覚めてしまったので、洗濯をすることにした。
旅行では日を重ねるごとに使用済みの下着や2回袖を通す服などが増えてくるし、なんとなく薄汚れてくる気がするので、気軽に洗濯ができるのは本当に有難い。
うっかり肌着も全て洗濯機に突っ込んでしまったが、素肌にシャツでも問題ないだろう、本来シャツとはそう着るように作られているものだ。
一先ず最寄り駅前のモスバーガーで朝食をとった後、宿に戻って身支度を整える。
朝のワイドショーによると、今日の福岡は時よりにわか雨が降るらしい。
折り畳み傘を持って宿を出た。
宿から天神の駅を経由し、博多まで歩くことにすると、行きすがら美術館を発見した。
常設展は200円なので入ってみることにした。
タイの芸術家、キエン・イムスィリ作「音楽のリズム」など、普段触れることの少ない東・東南アジアの近現代美術は興味深い。
広島も瀬戸内の海洋交通の要衝ではあったのだが、福岡の場合は港が東シナ海に面しており、南に降れば上海・台湾・フィリピン、西を見れば壱岐対馬を挟んで韓国が目と鼻の先。
そういえば博多の街では他の国の人より有意に多くの韓国人をよく見る。
美術館を出て博多の駅に着き、太宰府までの経路をチェックする。
行きすがら途中下車して、名物の博多うどんで腹ごしらえをする事にした。
竹下の駅を下車してやや歩くと、博多うどんの名店と紹介される「春月庵」が見えてきた。
河川敷脇の道路沿いに建つ店舗は外から見るとポツンとしているが、中に入ると30席ほどありそうな店内は満席に近い状態、みな賑やかにうどんを啜っていた。
と、「うどんのお代わりは自由です。ひと玉でよろしいですか?」と店員さんが念を押してくる。
いや、おむすびも食うんで、ひと玉で充分ですよ。
やがてそのおむすびに続いて、顔どころか頭蓋骨が丸ごと隠れそうな大椀に浮かんだ浮かんだうどんがやって来た。
食べてみた博多うどんは、麺の食感に特徴があり、程よいコシと柔らかな食感。強いコシと弾力が信条の讃岐うどんとは別モノだ。
ゴボ天も肉厚に切られているのに柔らかい。
優しい美味しさで、讃岐うどんばかり溢れる東京にもこのうどんがあれば良いのにと思える味だった。
と、啜っていると、さっきとは別の店員さんが勘定伝票をめくって
「ご注文揃いました?うどんはひと玉で大丈夫ですか?」と再び念を押してくる。
でも聞いてくる理由はすぐ分かった。
耳を疑うような注文内容が何度も聞こえてくるのだ。
そう言えば広島ではスリムな人が多かったが、博多の街ではふくよかな人やがっしりした人をよく見みた。
福岡の人は本当によく食う。
こんだけ食えば、そりゃ大きくもなる筈だよ。
平和ボケした現代日本の感覚で論を建てるからそうなっちゃうんだよ。
たとえば人種でもLGBTでも服装の趣味でもなんでもいいけれど、ありのままの自分でいたら抹殺されてしまうような社会を想定したら、ありのままでいる自由がとても大切だということに気づくはずだ。
その社会においては「ありのままで居たら他者からのプラス評価が得られない」とか、そういう生ぬるい話じゃないわけよ。「ありのままで居たら他者から生命や自己存在に関わるレベルでマイナス評価をされてしまう」わけ。軽くて村八分、公共サービスを受けられないとか、親族からの精神的肉体的な懲罰を受けるとか、歴史的に見るとそれで処刑されちゃうようなケースも実在するわけだ。
「ありのままの自分でいる権利」っていうのはそういう社会を念頭に置いて「せめて放っておいてくれ」ってレベルで唱えられたものであって、極論すれば「どんな人間であっても人権は保証されるべきだ」のディティール部分なわけだ。そんなの当たり前だろって思うかもしれんけれど、過去「どんな人間であっても人権は保証されるべきだが、黒人、お前は人間じゃねえし」みたいな時代地域があったのを考えれば深刻なのはわかるでしょ。
これに限らず欧米で発生した思想を現代日本に輸入したら、発生した時点での地域背景や時代背景が喪われて、日本の現代状況では歪んじゃったケース多いよなあ。ラディフェミとか。そういえば「ありのまま」もフェミ経由なんだっけ。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
だって知らねーもん
そりゃ経験者に取っては辛い思い出だろうけど
このことでマウントとって熱くなってる奴はマジでどうかしてると思う
知識として歴史的な悪事を二度と起こさないように教訓を語り継ぐべきとか偉そうに言う奴は
ほとんどの服着れなくなる気がするんだけど
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 87 | 15509 | 178.3 | 48 |
01 | 61 | 8025 | 131.6 | 52 |
02 | 19 | 4033 | 212.3 | 46 |
03 | 12 | 1136 | 94.7 | 27 |
04 | 17 | 2667 | 156.9 | 47 |
05 | 11 | 1487 | 135.2 | 96 |
06 | 20 | 2223 | 111.2 | 50 |
07 | 45 | 3578 | 79.5 | 45 |
08 | 59 | 5609 | 95.1 | 54 |
09 | 98 | 7415 | 75.7 | 43 |
10 | 107 | 7808 | 73.0 | 47 |
11 | 129 | 13450 | 104.3 | 51 |
12 | 126 | 14688 | 116.6 | 56 |
13 | 138 | 16798 | 121.7 | 45.5 |
14 | 134 | 12738 | 95.1 | 50 |
15 | 179 | 13473 | 75.3 | 46 |
16 | 147 | 11792 | 80.2 | 50 |
17 | 185 | 12707 | 68.7 | 49 |
18 | 149 | 14401 | 96.7 | 47 |
19 | 109 | 13646 | 125.2 | 50 |
20 | 117 | 10874 | 92.9 | 46 |
21 | 155 | 12035 | 77.6 | 48 |
22 | 184 | 13021 | 70.8 | 28 |
23 | 100 | 9506 | 95.1 | 43.5 |
1日 | 2388 | 228619 | 95.7 | 47 |
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・俺は暴論も極論も言ってないですが。
そういう意味で言ってない
増田は暴論極論を書こうが特に問題ないうんちプラットフォームだと言っている
お前が敵視するフェミは団結していて、とてもではないがお前一人では勝てない事は明白
それに勝てる策はあるのか?と聞いている
・暴徒と同じ土俵に立ってどうする?
思慮なくこの一文を書けるのはどうなんだろう・・・
お前の活動によって少しでも理解の輪が広がってるなら、それはいい事だと思う
だがおっさんで、オタでもある俺からは厳しい言葉も送っておきたい
いくら理念や理想が崇高であってもネットで吠えてるだけなのは駄目だし、暴論極論御免が通用するのは増田内だけだ
憲法が保障する表現の自由とお前の主張は社会の上では完全には一致していない
だからこそ、そのギャップを埋める為には社会へ声を届ける為の運動というものがどうしても必要となる
さっきも書いたがフェミは顕名で活動し、各所に抗議も出来るし署名活動などもでき、規模の問題はあろうが言論の力を駆使してはいる
それだって天から降ってきたわけではなく、歴史的に闘争をしてきて今日勝ち取った彼女らの団結権なんだよ
それに対抗するなら、同じく表現の自由を擁護する団体を設立して同じ土俵に入らないとまず話にもならんし、お前の声も届かん
言論の力を行使する為には団体が必要だ、それもとびきりクリーンなやつがな
分かったらさっさと動け
『ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。
ただその一方で実はこの映画の感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分がクイーンをリアルタイムで応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人で普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲でクイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。
でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。
んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです
やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線の設計上エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。
本国広報やプロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在の人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。
オタクがオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーンの映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。
気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこの映画の後ろに行ったカップル男性が「あいつクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情は彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。
だからこのレビューでは物語(フィクション)としてこの映画をおすすめします。
若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。
映画はフレディがクイーンの前身バンドであるスマイルのメンバーに声をかけるあたりから始まります。デビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審の青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。
何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます。
それがすごく良かった。
それは、この映画がロック界のスーパースターで伝説の偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。
野心を持った若者っていうモチーフは映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。
作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初のデビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。
確かに伝説のバンドクイーンはメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年の普遍的な鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。
だから無駄に見栄を張り無駄に喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。
生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用し成功する。
だからこそフレディは問題を解決する手法として去勢と音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサーと揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。
でもその問題解決手法もアーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人の内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。
溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフで相手を確認するとか昭和の少女漫画クラスやぞ)。
バンドメンバーとの関係も傲慢&ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こちら解決は傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。
自分の性自認がヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ&乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。
そもそも音楽&虚勢という生存戦略はアーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活が崩壊していく。仕事(音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。
バンドは危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。
フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。
この映画でふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンドの精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリム・リー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。
喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストのライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバーと音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。
朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。
もうひとりはジム“マイアミ”ハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドにプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。
出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディから「ジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりはコメディキャラの位置づけです。
でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジム“マイアミ”ハーバーに押し付けちゃうわけっすよ。
そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの。
でも、ジム“マイアミ”ハーバーはスタジオで演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。
だってさ、たしかにクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。
ジム“マイアミ”ハーバーは弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンのマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーにもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。
立派な大の男の人生を進路変更させてしまう、クイーンの音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンのこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。
(あとで調べて、彼ジム“マイアミ”ハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画の制作にも関わったことを知って二度泣けました)
フレディは前述の通り、性自認の問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。
でもそういう最悪の時期を、元恋人のメアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。
そこから映画はクライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分がHIVに罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生を音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。
それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。
でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときわクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。
おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。
この曲は確か公開当時「傲慢な歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞そのものは「俺たちはチャンピオン(勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界的アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。
でも、そういうふうには聞こえなかった。
むしろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分と友達を鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。
たしかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在の環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。
人間は人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。
苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。
そんな気持ちは世界的アーティストであろうともそこらに兄ちゃんやおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分を応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面の祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。
だから"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンのメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。
それがとても良かった。この映画を自分に関する物語として見れることが、とても良かった。
これらのことは別段クイーンの情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます。
この映画は、伝説的バンドのクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的な事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年がプライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。
そういうビルドゥングスロマンの映画であって、あるいは中途半端に知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います。
韓国が日本のことを意識し過ぎで、いろいろ事態を悪化させるような余計なことごちゃこちゃ言ってくるのはいつものことなんだけど、無視すればいいのに日本も韓国にだけ過剰に反発し過ぎなんだよ。
原爆バンザイがテレビに出れなくなるレベルの問題行為だと思うのなら(不謹慎だとは思うが)、水着の「ビキニ」の呼称にも疑問を呈しろよ。奴らが韓国人被爆者を忘れてるのと同じで日本人も第五福竜丸のことなんて忘れてるんだろ。
アメリカなんていつも原爆で戦争を終わらせた(歴史的には間違いなのに)、原爆投下は正義って言ってるけどアメリカ様のやることには「おっしゃる通りです」って答えるだけなんだろうな。
解決したはずの賠償金を蒸し返すのは国際社会から非難されるべき異常な国家だって言うならイタリア、ギリシャ、ポーランドについても何か言えよ。そのへんの国の首脳にはヘラヘラ握手して訪問国数を競うのが「外交の安倍」や河野なんだろ。いやその外交自体は国益にとって正しい。でもだったらほかの国も韓国について何も言わないし日本以外には信頼度も落ちないだろってことくらい察しろよ。
互いに頭下げなきゃいけない大国とアレな国(北朝鮮)に囲まれてるせいで隣にヘイトぶつけ合っているのが客観的に見るとほんとゴミ。
「ゾーニング無ければ死ぬのはお前らって、それ「言うこと聞かなきゃしなきゃ殺す」って言ってるんだが?」
言ってねーし
基地かよ
歴史的にゾーニングがなかった時オタクは大変で、ゾーニングにより人権を得ました、もう一度ゾーニングなしって言うならおそらく大変な目にあいますよって言ってるだけだろーが
久々に夢のある話が入ってきた
ヒップホップシーンに詳しい人なら既知かもしれないが、今88risingっていうアジア系アーティストをまとめたレーベルがシーンを席巻している。
そこにJojiっていう関西出身の日本人の兄ちゃんが所属しているんだけど、昨日ビルボードR&Bランキングで1位を取った。
あの宇多田ヒカルでさえ無理だったことのはずで、歴史的快挙といって間違いない。
で、Jojiは元々ローソンで夜勤やってたらしく、シフト中に曲を書いてたらしい。
再現性は低いけど、めちゃくちゃ夢あるよね。
https://www.youtube.com/watch?v=trYO4XkjSjw
日本人として誇りに思うとか、そういう気持ち悪い話ではなく、ただすごいと思ったから皆に知ってほしかった。
おめでとう!!!
普段の何気ない説明の場合はこれ軸を通しているか否かだと思うんだよな
これって名前付いてないのかな?
「私がAと思うんだから皆Aにするべき」とか
「このグループでは皆Aで揃えましょう」みたいな、差を許容しない同質化の考え方と
「私はAだけど、隣の人はBで構わない」とか、基本個人の自由で不干渉みたいな異質許容の考え方
世の中にある用語はどうにも歴史的に要らない意味が拡張されてて当てはまりづらい
どちらが良いかと言えば、正直どっちもメリット・デメリット出てくると思うんだけど
どちらをより好むかで、その人の性格が分かれる印象がある
規律・規範・ルールで縛る なのが同質化側、真面目で保守的でお硬い印象、和を大事にする、最たる例は学校や軍隊
自由で最低限のルールにするのが異質許容側、行き過ぎるとアウトロー、他人とは別の行動するタイプ
世界的には異質許容が主流なように見えてるがそうでもない
「『一部の異質なこと』を許容する」ことを同質化しようとする動きも多くて、あれは同質化側だと思ってる
これ厄介で、自分は異質許容だと思ってるようでいて、実はよりマイノリティーを許さない同質化側がいる
社会的に認められた「異質」は「許容を同質化」するが
社会的に認められていない「異質」は「排除を同質化」するタイプ
あれはやっぱり同質化
社会的に認められているかどうかってのは個人の観測になるから、ややグラデーションが存在するし、年齢によって下手すると真逆の答えを出す
だから一瞬その人がどっち側の性格なのか分かりづらくなるが、何個か話を聞いてみるとやはりどっちかに偏る
もちろん両方をバランスよく使ってる人も居ると思うんだけど、有能な経営者とか
___
我ながら説明がわかりにくい
言いたいことは「同質化タイプと、異質許容タイプの人が分かれているのでは?(名前付いてないのかな)」って主張
そして色んなラベリングをされながらお互い殴り合ってるけど、一個のルールで説明つくのではないかと
例えば
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」が同質化
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」は、同質化
に見えるけど、①が異質許容、②が同質化であるとすれば、それぞれ矛盾したことになり一貫性がない
主体が考えて決めたのか、社会のコンセンサスで決まったのか、誰かに影響されたのか、あるいはそれ以外なのか(感情的など)
もし、主体が考えて決めたのではないのであれば、「主張」はまだ成り立つのではないかと思った
例えば同性愛の話をすると
それをベースに考えれば
これを最近にすると、「同性愛は許容すべき」が社会的に主流だから
主張が逆転してるんだけど、考え方の根っこはお互い変わってないんだよ
最近は「◯◯の人たちが以前と逆のこと言ってる。彼らは本当に◯◯なのか?」みたいなことを言われるが、こういうからくりなんだと思ってる
そういう風なラベリングがされたら、話がスムーズなんじゃなかろうか
ていうか、同じ結論の中でも同質化/異質許容が混ざってると思う
どうしても「同じ結論」「同じ思想」でグループは分かれちゃうからしょうがないけど、内部でお互い仲悪い印象
__
こんな分かりづらい意見聞いてもらえて嬉しいのでもう少し書かせてくれ
差別なんかで
みたいな話がたまに出るんだが、あれの考え方もこの話に似てる
異質許容タイプってのはおそらく、世界を一貫性を持った小さいルールベースで理解したいタイプで
「差別はいけない」を「グループを作って排除する行為」と捉えている
そのため「差別するものを差別する」という行為が頭の中で矛盾してバグる
差別をもっと深掘りすれば「肌の色で差別してはいけない」「性別で差別してはいけない」みたいな社会共通認識があるが
何故それが特別化を理解できないので、異質許容タイプは受け入れられない
一方同質化側は、「差別」を特別ななにか(例外)だと脳内で定義できている
(ただ、「それは差別だ/差別じゃない」に揺れがあるのでボーダーラインで矛盾を起こす)
(どちらが良いという話ではなく、会話がぶっ壊れる理由の話)
2.同質化が嫌いで、異質許容を同質化したいタイプ(不寛容排除タイプ=寛容同質化タイプ)
3.同質化が嫌いだが、異質許容を異質許容するタイプ(関わりたくないタイプ)
それをもとに3タイプの人が嫌韓になったが、結局別々の道を辿っている
実は1は少なく、その後攻撃的になったのが2だと思う
最近の所謂フェミニストへの反発や、何か立法で制限を加えるといったときに反発するのが2だ
(これについては名前ついてそう)
よくそういう一群を指して「あいつら」とか言われるのは、思考タイプが同じだからではないだろうか
「ルール vs 定義は話が平行線になる」と言ったほうが説明しやすいかもしれない