2018-11-17

ありのまま主義限界は「他者評価」の問題があるから

結局、「ありのままであることは実に素晴らしいけれど、

そうすることによって得られるかもしれない「他者評価」が得られなくなるから、という懸念が誰しもある。

ここで言う「他者評価」とは、恋人や親子供から好かれるとか、偏差値高い大学に入れるとか、会社で業績が評価されるとか、まあ色々ある…

例えるならば、

モテる努力をしなくても問題はないが、可愛い女の子と付き合えなくても文句は言うな」

勉強しなくてもお前の自由だが、その結果良い大学に入れなくても文句は言うな」

要するに『ありのままでいても良いが、他者評価が得られなくても文句は言うな』…といって具合だ。

そりゃもちろん「他人評価なんて関係ない!」という態度を取って

ありのまま自分でいれる人はとても格好良い、と私は本当に思います

でも、世の中の人間、そんなスッパリサパリキッパリ他者評価なんて関係ない」と切って切れるもんなんでしょうか?

ここで立ち上がってくる概念として「ありのまま強者いられる人間」と「ありのままだと弱者しかない人間」の2種類があると思う。

すなわち、強者とは「ありのまま」であって他者評価なぞ気にせずいられる、あるいは「ありのまま」でいられる人間であり、

ありのまま」でガンガンネルギッシュに生きていられる。

しか弱者とは「ありのまま」では弱いままで、「他者評価」を得るため、限りなく強者に近づくために「ありのまま」を折らざるを得ないのではないか

まあ結局ですよ、『「ありのまま」とは強者論理なのではないか?』ということについて、私はもっと議論されるべきじゃねーかと思うんですがねえ。

  • みんながみんな「ありのまま」に生きたら、今ある政治も経済も前提がひっくり返っちゃってぐっちゃぐちゃになっちゃいそうだな。 少数の強者が「ありまま」に生きられるのも、「あ...

  • 平和ボケした現代日本の感覚で論を建てるからそうなっちゃうんだよ。 たとえば人種でもLGBTでも服装の趣味でもなんでもいいけれど、ありのままの自分でいたら抹殺されてしまうような...

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