平和ボケした現代日本の感覚で論を建てるからそうなっちゃうんだよ。
たとえば人種でもLGBTでも服装の趣味でもなんでもいいけれど、ありのままの自分でいたら抹殺されてしまうような社会を想定したら、ありのままでいる自由がとても大切だということに気づくはずだ。
その社会においては「ありのままで居たら他者からのプラス評価が得られない」とか、そういう生ぬるい話じゃないわけよ。「ありのままで居たら他者から生命や自己存在に関わるレベルでマイナス評価をされてしまう」わけ。軽くて村八分、公共サービスを受けられないとか、親族からの精神的肉体的な懲罰を受けるとか、歴史的に見るとそれで処刑されちゃうようなケースも実在するわけだ。
「ありのままの自分でいる権利」っていうのはそういう社会を念頭に置いて「せめて放っておいてくれ」ってレベルで唱えられたものであって、極論すれば「どんな人間であっても人権は保証されるべきだ」のディティール部分なわけだ。そんなの当たり前だろって思うかもしれんけれど、過去「どんな人間であっても人権は保証されるべきだが、黒人、お前は人間じゃねえし」みたいな時代地域があったのを考えれば深刻なのはわかるでしょ。
これに限らず欧米で発生した思想を現代日本に輸入したら、発生した時点での地域背景や時代背景が喪われて、日本の現代状況では歪んじゃったケース多いよなあ。ラディフェミとか。そういえば「ありのまま」もフェミ経由なんだっけ。
結局、「ありのまま」であることは実に素晴らしいけれど、 そうすることによって得られるかもしれない「他者評価」が得られなくなるから、という懸念が誰しもある。 ここで言う「他...
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みんながみんな「ありのまま」に生きたら、今ある政治も経済も前提がひっくり返っちゃってぐっちゃぐちゃになっちゃいそうだな。 少数の強者が「ありまま」に生きられるのも、「あ...