2018-11-17

anond:20181117172055

平和ボケした現代日本感覚で論を建てるからうなっちゃうんだよ。

たとえば人種でもLGBTでも服装趣味でもなんでもいいけれど、ありのまま自分でいたら抹殺されてしまうような社会を想定したら、ありのままでいる自由がとても大切だということに気づくはずだ。

その社会においては「ありのままで居たら他者からプラス評価が得られない」とか、そういう生ぬるい話じゃないわけよ。「ありのままで居たら他者から生命自己存在に関わるレベルマイナス評価をされてしまう」わけ。軽くて村八分公共サービスを受けられないとか、親族から精神的肉体的な懲罰を受けるとか、歴史的に見るとそれで処刑されちゃうようなケースも実在するわけだ。

ありのまま自分でいる権利」っていうのはそういう社会念頭に置いて「せめて放っておいてくれ」ってレベルで唱えられたものであって、極論すれば「どんな人間であっても人権保証されるべきだ」のディティール部分なわけだ。そんなの当たり前だろって思うかもしれんけれど、過去「どんな人間であっても人権保証されるべきだが、黒人、お前は人間じゃねえし」みたいな時代地域があったのを考えれば深刻なのはわかるでしょ。

これに限らず欧米で発生した思想現代日本に輸入したら、発生した時点での地域背景や時代背景が喪われて、日本現代状況では歪んじゃったケース多いよなあ。ラディフェミとか。そういえば「ありのまま」もフェミ経由なんだっけ。

記事への反応 -
  • 結局、「ありのまま」であることは実に素晴らしいけれど、 そうすることによって得られるかもしれない「他者評価」が得られなくなるから、という懸念が誰しもある。 ここで言う「他...

    • 平和ボケした現代日本の感覚で論を建てるからそうなっちゃうんだよ。 たとえば人種でもLGBTでも服装の趣味でもなんでもいいけれど、ありのままの自分でいたら抹殺されてしまうような...

    • みんながみんな「ありのまま」に生きたら、今ある政治も経済も前提がひっくり返っちゃってぐっちゃぐちゃになっちゃいそうだな。 少数の強者が「ありまま」に生きられるのも、「あ...

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