はてなキーワード: 有効とは
やっぱり感染拡大のサイクルを飲食店(やホームパーティーなど)での会食が回しているから。
会食で感染した人が持ち帰ってきたウイルスで、職場や家庭内で感染が起きたあとに、
その同僚や家族がまた別の会食に行ってウイルスを感染させていく、そしてそこで感染した人が
こういったサイクルの結節点になっているような業種は少ない。だから連鎖を断ち切れる場所
として飲食店が槍玉にあがるのは仕方がなく、またそれは政治的に弱くていじめやすいからなどの
理由ではない。むしろ、個人経営の飲食店は与党自民党の票田の一つで、これまで対応が
後手後手になるくらいには政治的に手を出しにくいものだった。飲食店規制が一番有効だったであろう
クリスマスから忘年会のイベントシーズンを結局たなあげのまま過ぎさせたように。
さらに、職場での感染が増えているのに、というところで見逃してはならないのは、職場での感染が
業務中に起きたものではなく、懇親会などの会食で起きているようなケースも多いという点。
同じフロアで働いている同僚が感染しておらず、別の階で働いているが懇親会に出た同僚が感染した
結局、飲食店が公害産業になった(これは誰が悪いという話ではなく、現実としてそう変わってしまったということ)
から、鉱山や工場のように種々の規制がかけられるのは仕方がない。公害対策の規制が実質的に廃業宣告
となった企業はこれまでも多くあった。飲食店だけ大目に見ては、そういった企業で働いてた人たちは何で俺たちと
対応が違うのだと思うことだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/github.blog/jp/2021-01-06-commits-are-snapshots-not-diffs/
複数の差分からスナップショットを取り出すことは必ず成功するが、
複数のスナップショットから差分を取り出すことは失敗する場合がある。
gitでファイル名変更とファイル内容変更を同時に行ったときに、
つまり、コミットをスナップショットとして保存する設計には実害がある。
確かにスナップショット方式であればバグによっって特定のコミット内容が失われた時に、
しかしバージョン管理システムは通常そのようなバグが発生しえないほど安定した状態で使われるため
その上gitでもレポジトリ容量削減のために、記憶媒体上に保存されるデータは差分なので
初期のプロトタイプ版開発のためにはスナップショット方式は有効だったかもしれないが、
リリース版でもその方式を利用し続けたのはgitの設計上の欠陥であり、
1まず相手の真意を理解した上で、部屋の狭さ、状況を説明して理解を得る(後のことを考えると低リスク)
2親戚、家族が金銭的な理由でしばらく家に滞在すると嘘を付く(うまくいくかも知れないが高リスク)
1は相手の真意を理解しようという姿勢を示すことで、理解されなかったという不満を解消できる。うまくいけばその後の状況への理解を得やすくなるかも知れないし、嘘をつかないからリスクも低い。ただ機嫌が悪くなる可能性は完全には否定できない。
キッツ
理想を捨てられない上に自分の価値が下がるとこまできちゃったわけやろ
付き合いたいわけ?とか30に聞かれたらそりゃ引くわ。寧ろ女側は経験値積み終わって妻として向いてるアピールするべき年齢やのに
世間の男が決める“自分の価値”とやらにどうして合わせなければならない? 理想を捨てなければいけない理由は何?
“経験値積み終わって妻として向いてるアピールするべき”————なぜそんなことをするべきと考えるのか。
「まともさ」は同調圧力だ。
理屈を説明して他人の行動を変える見込みがないとき、同調圧力は有効に働く。
市井の多くの人は、飛沫感染を防ぐため…のような科学的理由で付けているのでなく、「周りのヒトが付けているから」という理由でマスクをつけている。そういうアンケート結果があった。
そんな生き苦しさが本当に必要なの?
https://twitter.com/AGSTEGKaQKw0iMk/status/1346087363252895744
上記の医療従事者の方の連続ツイートを、おもにド素人の自分用として雑に翻訳しました。多分研究者の方だけがわかればいいような感じの単語のところはそのままにしています。
自分が大体意味わかればいい精神なので元ツイートと比較して記述に誤りがあるかもしれません。医療従事者の方が見たらひどすぎてお茶を噴くレベルだと思いますがあまりにやばい間違いのところは直しますのでご指摘ください。
投与の記述があるDex、FAV、RDVの3つの薬と思われるものがググっても全然出てこないので、それぞれ新コロ治療薬として名乗りの上がっていたデキサメタゾン、ファビピラピル(アビガン)、レムデシビルをツイート元の方が略語にしたものだろうとアタリをつけて訳しています。
↓↓↓↓↓↓以下翻訳↓↓↓↓↓↓
Case seriesを出す前に東京が大騒ぎなので、ここにout lineを書いておく。報告が幸運にもどこかに載せられたら消す。札幌の某病院の成績である。一応全国有数のCOVID診療実績のはず。内容は全く一般向けではない。
10月31日までで290例あまり。これは全例治療終了。危険因子については従来言われている通り、高齢が一番悪い、慢性閉塞性肺疾患(COPD)・糖尿・高血圧は悪い、重症度ごとに平均肥満度(BMI)を計算するときれいに並ぶ(※注:おそらく肥満度が高いほど重症度/死亡率も高い)。特徴は男女比が1:1だったこと。これは地方では施設感染の比重が高く、そこの入居者の男女比が(※注:女性に多く)偏っているから。
6/18よりステロイド薬投与が基本治療化。それまでは挿管後の使用のみだった。またこの時期以後挿管管理に見切りをつけ挿管をしない方向に移行。その前後で比較すると全年齢で見ても、高齢者に絞って見ても死亡率は著しく低下。
ここまでが第一報。完成した部分。以下は第二報の予定部分。
その後患者数の著しい増加があり、12月31日までで570例あまりに増加。進行中症例も一部含む解析。挿管例の死亡21/58、非挿管酸素10L以上使用例(リザーバorNPPV(※注:非挿管人工呼吸器))での死亡19/57。基本的な患者のADL(自立度?)は当然非挿管の方が悪い。
10月末より感染症病棟が内科全体の当番制となり治療が多様化。また施設現地や療養病院での介入などもあり中等症I(※注:酸素飽和度93%〜96%未満、息切れ・肺炎の所見)の症例にステロイド投与例が出現、こうした症例の成績が不良。結論としては中等症でのデキサメタゾン(ステロイド薬)投与は有害な可能性。
現地での投与開始も多いためcohort(注:臨床研究対象みたいな感じ)になっていないが、少なくとも当院収容例では中等症Iでのデキサメタゾン開始例は死亡例が有意に増加。投与しても40%が中等症II(※注:酸素飽和度93%以下、呼吸不全が見られる)に移行。重症化阻止効果もなし。recovery trialの結論を
ファビピラピル(アビガン)投与例とレムデシビル投与例の成績には全く差なし。興味深いのは中等症II例においてアビガン+デキサメタゾンとデキサメタゾン単独では、アビガン+デキサメタゾンの方が死亡率が半分。アビガンを服用できるだけ状態がましというバイアスの可能性はあり。レムデシビルはほぼ全例デキサメタゾンが投与されていたのでこの比較は不能。
高齢施設例中心に発症後18日より前にステロイドを中止した場合中止後3日以内に発熱・酸素化低下が急速に出現し死亡する例が多数。こうした例においてはCOVID単独の悪化、細菌感染併発、副腎不全などが死因として考えられた。
結論として挿管管理の意義は低い、多臓器不全例以外は原則不要。高齢施設例におけるステロイド早期投与の意義は低い可能性が高い。呼吸不全移行後のステロイド投与は若年例では有効、高齢施設例ではステロイド中止方法の工夫をしないと効果は低い可能性あり。
NCGM(国立国際医療研究センター)と比較すると死亡率が3倍ぐらいある。思い当たるところはあるが、基礎患者データはどこかにあるだろうか。case seriesでは大した業績にもならないから後回しなのかな。英語苦手でさぼっていた私が言うことではないが。
文中の重症度分類は中国のもの。cohort作成開始時の重症度をそのまま使用、現在の日本の分類ではmoderate=中等症I、severe=中等症IIにほぼ相当。
大切なことを書くのを忘れていた。11か月間COVID診療を続けているが感染症病棟関連の院内感染の発生はない。
↑↑↑↑↑↑↑以上翻訳↑↑↑↑↑↑↑
https://anond.hatelabo.jp/20210104173827
これの続というか、リアクション。
予想外に多くのコメントがついてちょっとひるんだけど、ホントどっかへの批判というより、モヤモヤする引っかかりがあったから、ちょっと落ち着いてほしくて書いただけなんだ。
もらったコメントでなるほどと思ったものや言葉足らずに気付いたものも多かったので、気になったものに返信させてほしい。
→これに関してはタイトルとか書き方が完全に悪かった。ごめん。
追記で書いたとおり、別に国民がプランBを考えるべきだとも与野党どちらかが考えるべきとも思ってないよ。「B案」という言葉を使ったのは、五輪の話題とかGoToの話題で失敗した時のB案を考えないのかよ!というコメントが印象強かったから。
あと、トラバでも指摘してくれている人がいるけど、今の緊急事態宣言をA案としたときに対案となる選択肢②のことではなくて、緊急事態宣言が失敗した時に備えておくべき別の案、という意味で使ってるよ!
だから、別に緊急事態宣言出さずに~とも思わないし、並行して考えるのがベストだと思う。
→これについても追記で念押ししてるとおり、強制力を強めても却ってクラスターが追いづらくなったりすると思うし、なにより縛るだけを終息まで続けるのに耐えられる人ってあんまりいないと思う。。
その結果が鬱なのかどうなのか人によると思うけど、少なくとも終息を目標にした未確定かつ長い期間、家に篭っても平気な人&職業はそんなに多くないよ。
→これはそうだなと気づけたのでありがとう。
ただ一部ブコメでもある通り、春の緊急事態宣言の時って実は宣言出したタイミングより前にピークが来たりしていて、実際どう影響したのかまで明確に読めてないんだよね。
気候の問題かもしれないし、気付かない間に流行してた説の免疫の問題かもしれない。
何より春とはウイルスのタイプも違うし、今の欧米の状況を見ていたら 緊急事態宣言=ひとまず感染者数が収まる というのは完全に油断だと思う。
そう思うとやっぱりメディアも含め緊急事態宣言をゴールに議論しちゃダメだと思うし、一人ひとりができることとしては長期戦の覚悟を持つことだと思う。国がやんないとどうしようもねーじゃん、みたいな意識の人多いけど、個人の工夫でも選べる選択肢は増えていくよ!
→まだ色々調査中だからわかんないところも多いけど、ワクチンを信用しすぎると絶対痛い目見る。これは確実にそう思う。
アンチワクチンとかじゃなくて、インフルエンザだって毎年違うワクチンを打つわけで、それより感染力も致死率も高い、変異だって今年だけでたくさん出てきているようなウイルスを毎年ワクチンだけでどうにか抑え込めるのは、正直あんまり期待してない。
もちろん欧米でワクチンの有効な報告とか、今後別の有効なワクチンor特効薬が出てくれば万々歳だけど、長期戦のB案を考えなくていい理由にはやっぱりならないと思う。
→わざわざ最後に
「これでダメだった時、あの時法改正をサボったからだ!とか、GoToが失策だった!とか過去への文句に切り替えて何も進まなくなる未来しか見えない」
って書いてるやろがい!!!過去を振り返って文句言ってもウイルスいなくなんないから!!!緊急事態宣言始まる前からそんなんじゃダメだぞ!!!!!!
マジでそうやって党派性で頭がいっぱいになって盲目になっている間に自分の足元から立つ場所がなくなっていくぞ!!!与党のグダグダにうんざりするのはわかるけど、それにグダグダ文句言っても何も進まないよ!!!!
→ホントは全部あの四角で囲う引用がしたいくらいうれしかったけど、引用の方法がわからなかったりするのでまとめてありがとう!!!!
なんか頭の良し悪しとか、専門家やら政党の派閥でギスギスするんじゃなくて、春みたいにいろんな立場の人からいろんなアイディアが出てくればいいと思う。
常に考えておくべきなのだろうが、あまり悲観的になる必要もないと思う。
というのは、大阪や北海道が制御に舵を切ったとたんにそれなりに制御が
効いたから。東京・神奈川・埼玉の首都圏で感染拡大が続いているから
どうしても悲観的になるのは分かるけど、ちょっとした自粛でも会食を
減らせた場合の効果が覿面なことは変わっていない。特に寒い北海道でも
まだ有効なことは心強い。
都民はそのちょっとしたレベルの自粛さえもう出来なくなっているわけだけど、
これは緊急事態宣言で店の方を締め付けることでどうにか実効再生産数1未満
までは可能ではないか。自粛嫌いの都民では大きく1を下回らないので
数が十分に減るには時間は掛かるだろうが。
また、変異種の感染力を考えればそれで済まないという危惧も分かる。
しかし、目下イギリスで猛威をふるっている変異種は、短期間に、
見つかるのが変異種ばかりになるくらい他を圧倒しているものの、変異種が直接に
新型コロナ感染者の増加そのものはそう増やしているわけではない。
その他の増加が多くて紛れているだけかも知れないが。
気を抜くことは出来ないが、恐れすぎる必要もないと思う。
しかし戦力の逐次投入が批判されるのはまとまった戦力を動かす事で、敵の戦力を撃滅できる算段がある場合だけだ
新型コロナ対策で言うならば、ワクチンや特効薬の有効性が確認された段階がリソースぶっぱすべきタイミングだと思う
小出しの対策の質や情報公開の速度と精度については批判があって然るべきだと思うが、今の段階では国のリソースを吐き出す様な対策こそが愚策だと思う
あるいみロックダウンという名前だけ聞いて、なんとなくコロナに有効そうでうごいていないか?という心配
一方、政府は1都3県に対し、午後8時以降の外出自粛を要請。飲食店への営業時間短縮要請を午後8時閉店に早め、酒類の提供も午後7時までとすることなども求めている。
むちゃくちゃだな。
外出の時間を8時から8時までにすると 24時間外出よりは、密度が上がる24時間なら分散するが12時間なら密集する
分散してほしいのか 密集してほしいのか?
買い物は12時から13時までとすれば 超密集するよな?普通は密集をふやしたいなら、できるひとは、深夜などでお願いしますというのだが
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
おそらく多くの人はそんなことはわかっているが
しかしネットは匿名で発言できるので有効活用すべきではないだろうか
数百万人いる観光・外食産業の人がTwitterなどのSNSやネット掲示板に以下のように毎日書き込み続ければネット世論は圧倒できる
#GOTOイートよかったです#GOTOトラベルよかったです
では仮に現在の感染対策を春先まで続けた場合にどのくらいの死者が出るのかを試算しよう。
直近1週間の全国コロナ死者数が353人。
現状の感染症対策下での新規感染者増加率は1週間で約1.2倍。
これを掛け合わせて、春先までの16週間、死者が1.2倍ずつ増えていくとすると、累積の死者数は30,867人になる。
そう、たったの3万人だ。
平時でも毎年100万人超が亡くなるこの国で3万人は誤差だ。
さらに言えばこれは今の対策を春まで続けたケースの推計であり、実際にはワクチンの接種が2月から始まる。
となればもう少し下回ると考えられるだろう。
以上のように現対策下でも十分コロナは抑えられているといえる。
一方でもし緊急事態宣言を発令し、それが有効に機能した場合、社会にどのような影響が出るか。
昨年春の宣言では、4-6月のGDPが年率28%マイナスとなった。
円で言えば50兆円ほどのマイナスだ。
50兆円と3万人を天秤にかければ答えは明らかだろう。
正月はだらだらやってるバラエティーや映画を見ながらまったりするに限る。
いつもと変わらないじゃないかと言われればその通りなのだが、放送内容がお祭りモードなので、いつもより数段楽しい。
しかしだ、そのスペシャルなムードで楽しむはずの正月映画の吹き替えがクソだった。
いや知ってたよ、前にアマプラかネトフリで見たから、あータレント起用の聞くの辛いやつだったよなーとうっすら覚えてた。
もうね、何度この悲劇を繰り返すの?
誰が悪いの?
作品と関わった人に対する冒涜ってレベルじゃねえぞ、物売るってレベルじゃねえぞっていういうか売り物ってレベルじゃねえんだよ……
そのタレントの事務所がスポンサーとして入らないと興行が成り立たないとかそういう何か揺るがし難い事情でもあるのか?
それにしたってさあ……声の仕事ってやつは努力でどうにかなるものなのか分からないが、なんとなく、その起用された芸能人自身を責め立てるのは違うんだろうな……ということさえ読み取れるくらいあり得ないキャスティングだ。
漫画のキャラの口だけ素人が描いた様な、小説の「」内だけ素人が書いたような違和感が作中ずっと続く。バカなのか?実は見せる気がないのか?
他人の仕事を台無しにするのが生き甲斐みたいなやつが映画業界人に多すぎるのか?
この種のクレームがいつからあると思っておるの?改善する気がまるでないのは明らか。幸運な例も多数あるし、ジブリに違和感は感じない。CV庵野でさえも良かった。俳優ですらないのに!?
なんなんだこれは……
どんなに好きな芸能人でもクソ吹き替えに手を染めた奴は毎分ツイッターで晒し続けるか?
所属事務所もそこに所属する他の芸能人も芸能の敵と腐し続けるか?
偽計業務妨害なのか?
炎上になったら死人が出るのか?
だがもう監督脚本家あたりが自殺しててもおかしくないくらいの所業を日本映画業界は日々行っているのではなくて?
それにもう、この底知れぬ巨悪に立ち向かうには、己も悪に手を染めるしか……
常々、ネットに溢れるどうしてもサンドバッグが必要な人らの有効な活用法は無いものかと考えていたが、『有用な悪口』という可能性が見いだせたのは良かった。
自分には人を操れるような、ましてやマスで動かせるような才能も熱意もないので、もしそういうのが得意な奴がいればどうか頼むと思って記しておく。ここに綺麗めな正義があるぞ。
【追記 1/2 16:30】コメントありがとうございます。今一人虚しいのでめちゃくちゃ返事してます
タップルを入れた。4ヶ月間ほどで50人くらいに会っていい感じの子がやっと1人見つかったという状況。50人と会うことが目的だったわけじゃなく、自分がいい年していまだに外見で恋人にしたいかどうかを判断しているので結果ここまでもたついているのだと思う。この見つけた1人との今後はともかく以下マッチングアプリの感想。誰かの参考になってほしい。
付き合わずにセックスするという事についてはタップルをやる前にも数回経験があって、それがアプリによって効率的にブーストしただけだと思う。一方で意識的に書いてないが、チャットで返事が返ってこないこと、実際に会っても相手がスマホをずっと見てて相手にもされないことなどは、もちろん無数にあった。アプリの良いところ(悪いところでもある)は1人に執着できないのでその無数の失敗をすぐ忘れる。それでも残る屈辱や寂しさを紛らわせるために自分は会う人数で補完を試みたのだと思う。その数が増えれば人に会うことさえルーティン化していって、初対面の女性に緊張はしなくなるので徐々に自信や余裕も出てくる。オシャレになったし若返ったとも思う。逆にその代償はどこまでいっても全てが虚無でしかないと思ってしまうこと。自分はただの恋に恋してたいセックス依存症なのかもしれない。不倫や裁判沙汰に巻き込まれてないだけ奇跡だ。
その結果、初対面の相手となんやかんやあってその日のうちにセックスまでいくのが結局一番アドレナリンは出るイベントとなり、それが閾値のベースとなって普通の段階的な恋愛がもうよく分からなくなってしまっている。だからこそ本当に彼女にしたい子ができてからは、逆に何をどうしたら良いのか何も分からないし他事例での大胆さも発揮できてない。何度かデートしてもらっているがずっと悪手ばかり踏んでいる気がする。今までの女性の連絡先を全部消してでも彼女と付き合いたい。タップルは大晦日にアンインストールした。
去年
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
を書いた増田です。
去年は散々な一年でしたね。
私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りでタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。
まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。
以下つらつらと書いていますが、まとめると
「100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」
それでいて、
それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業で必要な知識の深化も出来たと思っています。
これが何故出来たかと言うと、一昨年本業と関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。
以下詳細。
いきなり自分語りスイマセン。
去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています。
レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。
が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。
長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。
の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います。
健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。
振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産的アクションが読書でした。
結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。
春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます。
気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産的活動がある安心感があるという感じです。
100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書の方向性を広げる方向として去年はNHK出版のテキストを中心に選びました。
本の物理的サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所、時間、等々がそのまま続けられるということです。)
あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります。
結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。
NHKは番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います。
前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教の時間シリーズです。
最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、
これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。
この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています。
逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。
去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。
そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。
また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルールを作りました。
これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外の効果としてある程度親しくなった人とさらに距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います。
一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。
今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。
何かについて知りたいと考えた時、ネットで検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクションが自然に追加されました。
また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。
・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。
・積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます。
・読書履歴・読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます。
これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。
一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います。
百分で名著シリーズ:12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)
で、個人的に出色なのは教養系の読書がたっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。
去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。
ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。
本を読むという行為自体がスムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味・教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います。
はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語の社会学的なバックボーンについて理解できました。
はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要な学問だと捉えなおすいい機会になりました。
面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。
逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。
年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。
解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいうレスポンス返せる人間になりたい。
能楽師の安田登氏解説の古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、
漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています。
これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。
安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。
タイトルのとおり、経典や歴史的事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人の人物に迫ろうという趣旨の本です。
上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。
ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、
観無量寿経をベースに、浄土系の教えが中国~日本で花開いていった過程を追った本です。
私が読んだ中では最も単独で理解しやすく、去年おすすめした「集中講義・大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。
宗教の時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。
著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!
単純に、日々の話題の元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。
独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います。
子供向けに実施された19世紀の科学講義を書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。
当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、
ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。
去年は西欧文明というか西欧社会の限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモンの指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います。
100分で名著の解説本を読んでから、絶対に読もうと思っていた原典の一つ。
下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。
内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います。
あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作の比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。
恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐりも趣味なもので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。
声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章がうまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。
今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲もちょっとずつ読んでいます。
タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。
日米は軍事同盟を結んでいるし、経緯はどうあれ日本人は裏切りを嫌う
米国の状況 ピーク時の81%・減少傾向 一時期日本の第3波に巻き込まれたが、それもすでに終息してきている
日本を見習うことに切り替えたアメリカが、日本が第3波の対応を誤れば、そりゃ、米国も誤るがこんどは日本がアメリカを参考にして第3波を終息に向かわせはじめている
正直 ロックダウンをやってみたいという一部政治家に巻き込まれて被害が拡大したのではないか?
つまり日本が見習う国はない どこもみならわず日本のいままでのやり方を死守していくしか無い
世界がロックダウンしても日本は それまでのやり方をやるほうが有効な可能性すらある
死者の数が日本の10倍位以上の国を日本は参考にできない むしろ 世界が日本を見習えといいたいぐらい とはいえ 民族性がちがうからな