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2024-01-16

松本人志ダウンタウン)の功

M-1グランプリでの漫才歴史松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウン漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケ披露した2分間漫才初見所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味コントでより発揮される。「半笑い」という言葉代表される日常エアポケット、気まずい空気言語化表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家一般人ものまね新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなもの全国ネット通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんま中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃん爆笑させていたという。初見独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人上沼恵美子初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。

ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマン猿岩石霜降り明星トゥナイト存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本お笑い歴史松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。

最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。

増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHK東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント浜田トラックドライバー松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまり漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方ライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。

とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡流行る)あたりが解説言語化してくれたらなあと思う。

2024-01-13

anond:20240112162157

逆に聞きたいんだけど、技術系や勉強系の普通YoutuberYoutubeチャンネル

あるいは大学などの公開授業なども、到底見切れないほどアーカイブあると思うんだけど

エンタメ中心のVtuberの中にそれを求めるのはなぜ?

Vtuberゲーム配信雑談歌ってみたほとんどなので

バイきんぐ小峠がMCの「ガリベンガーV」というVtuber番組でも

「へー、増田魔界/妖精出身悪魔/妖精なのね。で、普段配信で何してんの?どうせゲームだろ?」

みたいな自己紹介いじりが定番になってるぞ。

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2024-01-09

平将門祟りを信じる=幽霊を信じる、なのかどうか

別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学説明の外にある現象……思念怨念呪い妖怪

死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか

祟りは信じていない。しか祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる

祟りは信じていない。しかし何か起きたとき祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる

幽霊非実在を完全には証明できない?

では龍であればどうか

「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか

タブーを侵さない=龍神(の実在)を信じる、なのかどうか

実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう

いや、これは本当に自信が無い

ルールから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし

シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう

これは例えば江戸時代明治時代史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかい記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話

「野暮と化け物は箱根から西」という江戸時代ことわざがある

箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎バカにする言い回し

これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか

それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか

また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回し存在する

この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……

南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい

そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ

こういう言い回しがある時点で当時既にお化け実在は信じられていなかったのでは?と感じる

でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ

お化け妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?

当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい

江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査

しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?

竜巻あたりも同じ話だ

明治時代錦絵竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある

貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室

その絵には

怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり

という文も添えられている

「これぞ謂る龍の昇ならん」というのはどう解釈したものか?

この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか

「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか

あるいは「あれこそ龍が昇天するとき現象だ」という文意なのか

「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文によると、

明治維新以後も、龍の実在を信じていた人が少なくなかったことがうかがわれる。

大正初期ごろまでに、龍はほぼ消滅したと考えられる。

との記述がある

「怪雲現る」が明治23年なので矛盾はしない……

妖怪の話は西洋だと妖精の話と近いように感じる

コティングリー妖精事件」についても調べるべきか……

ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に

なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。

というフレーズがあるようだ

テンペスト』の最古の上演記録は1611年11月1日

だいぶ古い!

やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで

ユニコーン聖書に登場するのが話を厄介にしているんだよな~

キリスト教知識が無いとよくわからない箇所が多くある

グリフィンなんかはこれより少し後の時代実在否定する人が出てきたようだ(しか実在から反論を受けている)

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

グリフィン実在否定した作家トーマスブラウン反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。

グリフィン想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物存在するからであるアコスタスペインイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランス探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である

そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ

なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ

こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果

日記

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大鯰信仰について調べたが、今「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文について再考すべきかもしれない

明治時代の人が何にリアリティを感じていたか」という視点で串刺しにして考えをまとめることが出来るかもしれない

2024-01-07

anond:20231226205351

14歳少年ニルス・ホルガション少年がトムテ(妖精)によって小人にされ、ガチョウのモルテンやガンの群れと一緒にスウェーデン中を旅する。この物語は、スウェーデンの子供たちが自国地理を楽しく学べるようにスウェーデン国民学校教員協会読本作成委員会セルマ・ラーゲルレーヴ執筆を依頼したものである[1]。

1955年以降2回、アニメーション作品制作された他、1962年スウェーデンにて実写映像作品が、2011年スウェーデンドイツにて、実写およびCGによる映像作品製作された。

スウェーデン20クローナ紙幣の表面には、作者セルマ・ラーゲルレーヴ肖像が、裏面にはモルテンに乗っているニルスの絵が印刷されている[2]。またスウェーデン地図制作会社Tele Atlas英語版)社(2007年、世界三大メーカーの一つでもあるオランダトムトム傘下になった)のロゴマークモチーフにもなっている。

あらすじ

スウェーデン南部・西ヴェンメンヘーイに住むわんぱくでいたずら好きの少年ニルスは、いつも家畜いじめてばかりだった。

ある日曜日の朝、両親が教会に行って留守の間にニルスは妖精を見つけて捕まえるが、妖精魔法をかけられ、小人にされてしまう。小さくなったニルスは動物言葉理解できるようになるが、普段いじめられていた家畜たちはニルスの小さな姿を見てここぞとばかりに復讐しにかかる。

シャム踊り子

ショーが始まる。

今まで踊っていたダンサーたちが降壇し、そして6人の踊り子が黒い衣装を身に纏いスタンバイした。6本あるポールの内、アイスは僕から見て右前のポールに立っている。先程まで見せていた無邪気で明るい笑顔とは違い、どこかこちらを挑発的に伺う様なそんな顔だ。そして世界的に有名な洋楽ダンスミュージックアレンジにしたものが流される。

6人の踊り子はそれぞれ目の前の客と、意中の客に目線を向けてポールを回り踊る。ふとすると他の踊り子視線に被さってくるがアイスのしなやかな踊りだけに集中する。

隣の席で2人の女性を侍らせた老人が何かを叫びつつ盛り上がっている。他の席でもそれぞれが思い思いにステージの踊りを見続ける。アイスはそのまま踊り続けた。彼女の夢の為、この瞬間の為、そしてつい都合良く僕の為という言葉が頭をよぎるがおそらく彼女家族の為に彼女は踊り続ける。彼女視線笑顔の半分はその他の客に向けられている。しかし、もう半分は僕だけに向けてくれている。心のうちまで奪おうと思わず、この贅沢な瞬間を享受すべきだ。ダンスは続くが曲の合間に彼女に1人の男性から声がかかったらしく、店の従業員彼女に耳打ちをする。しか彼女は首を横に振って断り、従業員怪訝な顔をする。後で聞いたがこんなに早い段階で声がかかる日は稀とのことで不思議がっていた。しかし、その日の彼女の踊りには魅力があり、また人を惹きつける力があったのだと僕は不思議に思わなかった。曲が変わる。

とあるファン狂気に陥り独善的犯罪に身を任せて悲しい結末を迎える曲だ。踊り子たちはただでさえ露出度の高い衣装の上のパーツを外し、上半身をあらわにする。しかし、その姿は決して欲情を誘うだけではなく心を惑わす芸術的な力を持っている。

また1人の男性から彼女に声がかかり、ダンスが終わったら隣に来て一緒に話したいと申し出があった。しかし、彼女はそれを再び断りダンスは続く。ポールに対して体を預けた踊り子たちは思い思いの方法で目の前の客の心を奪う為に踊り続ける。2時間前に彼女の近況と夢の話を聞いた。

彼女に会うのはこれで2回目だが、会っていない間にも定期的に連絡を取っていた。彼女実家のこと、彼女家族のこと、彼女の体調のことを教えてくれたが、夢の話を聞いたのは今日が初めてだった。ちょうど年末彼女帰省し、彼女田舎に買った土地を見に行っていた。彼女田舎シャムの中でも貧しいイサーン地方にあり、近代化が進んでいるこのバンコクとの貧富の差は激しい。実家に大きな財産も頼れる稼ぎ手もいない中で彼女選択したのが、ここで踊り子になることだ。そして彼女はその夢を叶えつつある。僕は彼女にとっていく人かいる客の1人であるし、それ以上に進む覚悟資格も無い。それでも彼女の夢を応援し、そしてこの時を共有する。それだけで良い。ショーも終盤に差し掛かり、踊り子たちは全ての衣装をはだけて曲に合わせて踊り続ける。アイスのしなやかな肢体がポール上下し、時折こちらに微笑む。この贅沢な時間は何にも代え難い。フェミニズムもLGBTQも今は邪魔をしないで欲しい、そこに確かにある美しさを思想思考で誤魔化したくない。もちろん彼女家族の置かれた苦境には社会的課題や、改善すべき問題があるし彼女を"可哀想"と謗ることもできる。しかし、それとは別に彼女は確かに美しく、人の心に感動を与えているのだ。今この時、そんな彼女のことを尊敬こそすれ蔑む必要が無い。

ショーが終わり、アイスにまた1人の男性から声がかかる。彼女笑顔従業員に断りを入れると、僕の方を指差し説明している様だ。そしてアイスゆっくりと僕のソファの後ろに周り、着替えたら戻るねと囁く。僕はソファを後にして飲み物の代金を支払い、彼女を待った。途中他の女性から一緒に飲まないかと誘いがあったが先約があるのでと断り、離れた。

しばらくして彼女が黒い妖精の様にフワフワした衣服で現れた。そして腕を組むと2人で階段を降りてバーを出た。

2024-01-02

山の妖精山の神の他には何がありますか?

新年、二日目から宜しくお願い申し上げます

2023-12-30

Yahoo!きっず不思議ないきもの

小学校の高学年になった頃だろうか、家族共用のPCに触らせてもらえるようになった。

しかし、見ていいのはyahoo!きっずから行けるページだけだった。

それでゲームカテゴリからいろんなページに行ってみたけれど、どれもルールが難しくていまいちハマらなかった。

ただ、あるゲームに併設されていたチャットルームだけは同年代の子どもが多くて楽しく、あっという間にハマってしまった。

そのルームにいるのは小中学生が7割、残りは高校生大学生社会人が1割ずつぐらいだったと思う。

私は毎日のようにログインし、「こん」「何歳?」「アニメなにみてる」「私もそれすき」と一生懸命キーを打って会話を楽しんだ。

結構にぎわっているところだったので曜日時間帯によってもメンツが違い、常に新しい出会いがあるのが嬉しかった。

そんな中、いつ行っても同じ名前を見かけることに気がついた。

近い音で表現すると、そのメンバーは「もちとろん」のような名前だったと思う。

彼は他の小中学生のように誰かと会話することはなく、時々思い出したように「もちもち……ぺたん」「ころころ……もち」のように擬音だけを投稿していた。

それで興味を惹かれた子どもが話しかけると「もちとろんは◯◯だよ」のように答え、答えられない質問には「もちもち……」と擬音でごまかして会話を終わらせた。

[※追記 botではなかったと思う。というのも、彼は相手によって話す内容を変えたり、以前に話した内容を覚えていたり、直近の会話に反応して転がり方のバリエーションを変えたりしていたからだ。何より、生身の人間の気配がそこにはあった]

幼かった私はそれを見て、「なんかかわいい生き物がいる!!」と思った。

それからの日々、私はもちとろんを見つけては果敢に話しかけに行った。

「男なの?女なの?」と聞いたら「もちとろんは男でも女でもないよ、ころころ」と言われた。でも、なんとなく男のひとなんだろうなぁという気がした。

「もちとろんはいくつなの?」とも聞いた。そうしたら、「りんごちゃんよりはずっと大人だよ」と返ってきた。

「おしごとは何をしているの?」と聞いたら「ころころ……ぺたん」としか返ってこなかった。

私はもちとろんをとても気に入った。

それで、少しでももちとろんと長く話していたくて擬音にもいちいち返事をするようになった。

たとえば、「ころころぺたん」と言われたら「もちとろんは丸いんだね」「丸いからころがっちゃうんだね」、「もちもちころん」と言われたら「もちとろんは柔らかいんだね」「もちもち」のように毎度律儀に返していた。

の子どもがもちとろんに話しかけた時には、自分の方がもちとろんに詳しいことをアピールしたくて「あのね、もちとろんは男でも女でもないんだよ!」と先回りして答えたりもしていた。

そんなもちとろんとの蜜月だったが、中学に入った頃に部活や塾で家に帰るのが遅くなり、チャットルームから自然に足が遠のいたことで終わりを迎えた。

高校に入ればYahoo!きっずのページに入り浸っていたことすらも忘れ、そのまま大学を出るまでほとんど思い出すこともなかった。

けれど社会人になってから、ふと「あのページは今もまだあるだろうか」と気になった。

そうして、私は再びYahoo!きっずからあのチャットルームを訪れた。

チャットルームにはほとんどアップデートがかかっておらず、自分がいた時と同じ背景、同じ文字の色のままで当時とは違う小中学生たちが会話していた。

いい大人子どもたちのチャットルームに入ってしまった後ろめたさから私はROMに徹することにして、しばらくの間ルームの動向を見守った。

そうしてある程度の懐かしさを消化して満足したあと、私はふと子どもたちの会話の間にひどく懐かしい文字列を見つけたのだった。

「ころころ…………ぺたん」

発言者は「もちとろん」だった。

わず「もちとろん、久しぶり!」まで打って、送信ボタンの直前で手が止まった。

このままもちとろんと会話したら彼が10年以上このチャットルームにいることを他の子どもたちが知ってしまう。彼らはそれをどう思うだろう。

そして、私が小学生だった頃に「ずっと大人」だったもちとろんは今年何歳になったのだろう。それを彼に自覚させるのもなんだか気が引けた。

結局私は一言も声をかけないまま、そっとルームを退室した。

子どもときには見えていて、大人になると見えなくなる妖精というのがいる。

けれど、彼は大人になると見えすぎてしま妖精だったのだと思う。

最後に彼を見てからまた何年か経って、そのチャットルームにも行けなくなってしまった。

しかし、彼は今もきっと場所を変えてどこかにいるのだろう。柔らかく、ゆったりと、転がりながら。

2023-12-26

宗教必然性がなくなったので「趣味」に格下げすべき

二世なので言う資格はあると思う(10代で疑問を感じ始めて抜けた)。

そもそも宗教って必要か?(天国の確率)

宗教はかつては人類の拠り所だった。

それはわかる。

不思議現象理不尽災害や辛い現実に人々は目に見えない力で説明をつけてくれるものを求めた。

統治教育のためという側面もあった。

でも科学医学が発展して全て解明される時代になった。

神様妖精幽霊存在しないと分かってしまった。

今まだ分かってないこともこのまま行けばいずれ解き明かせる。

こうなるともはや神様を信じることの方が難しい。

昔は必要だったけどもう違う。

今の宗教はただの趣味

下げる意味で言ってるのではない。

高尚なものでも特別ものでもないということ。

繰り返すが二世なので実感を込めて言ってる。

あれは好きな対象があって同好の士と集まってみんなでわいわいやるサークル活動

アイドル推し活や生け花教室や車好きの人が集まってるのと何も変わらない

(唯一違うのは本人たちは高尚で特別ものだと思い込んでいて「上」に位置付けてるところ)。

かつてはみんなが参加していたけど減ってきた。

多くの人が長年信じてきたものからそこには敬意を払いたいとは思う。

まだ信じている人もいる。

もも斜陽

宗教は役目を終えた。

これから社会から特別視も宗教法人の優遇措置なども一切やめるべきだと思ってる。

2023-12-19

ゼルダリニア回帰否定に関する海外の声7

@moonchild3606

面白いことに、私が初めて「ティアーズ オブ ザ キングダム」をプレイしていたときは、楽しんではいものの、リニア ゼルダファンとして、現在ゼルダにはもう自分の居場所はないという沈んだ気持ちから逃れることができませんでした。 だから青沼がこれほどのことを言うのを聞くのは、正直少し胸が張り裂けるような思いだ

@schl0ck

右? 物事永遠に同じであるべきではないことはわかっていますが、私がゼルダの伝説のゲームに夢中になったのには特別理由があり、それらの理由ほとんどは最近の 2 つのゲームには存在しないか、あまり焦点が当てられていません。

@starscythe2099

伝統拒否する。 変化を受け入れましょう。 いい感じだよ、男。

@boughtinbloodendless7813

@starscythe2099 間違った伝統がそうなるのには、それが機能する理由がある

@Malorak

@starscythe2099 ...これはアートには当てはまりませんが、爆笑ロック音楽好きな人に、「2023 年になったので、音楽も変わります。新しい音楽を聴いてください」と言うところを想像してみてください。 確かにそれを好む人もいるでしょうし、オープンマインドでいることは素晴らしいことですが、おそらく 2023 年の音楽は彼らにとって合わず、後でもう一度試してみて、新しいロックが何をしているのかを見たいと思うかもしれません。 それは100%大丈夫です。 ジャンルには理由があって存在します。 どちらも存在する可能性があります。 非常に奇妙なテイクNGL。

@dericandkhristy

@schl0ck ところで、OoT とムジュラの仮面を「同じ」だと考える人はいますか? 風のタクトトワイライトプリンセスどうでしょうか?

ゲームは、ストーリーと一部の進行の直線性、妖精が優れた回復アイテムであること、宝箱を開けたときの「DA NA NA」などの核となる側面を維持しながら、常に異なっています

なぜ任天堂伝統的なゼルダの要素をすべて(まあ、ほとんど)捨てなければならないと決めたのか理解できません。

自由を増やすためだけに、公式全体を破壊することなく変化を起こすことができます

人々が問うべき質問は、どんな順序であれ寺院を建てることに、私たちが失ったものすべてに本当に価値があるのかということです。

答えは簡単です、ノーです。

@dericandkhristy

@SirMalorak 素晴らしい投稿です。 👍

@LinkMountaine

@dericandkhristy ただし、実際には何も失いませんでした。 いくつかのことは単に異なって処理されますゼルダシリーズは常にこのスタイルに合わせてデザインされています

@cyd_hunter99

@LinkMountaineer いや、全然違う気がする

@LinkMountaine

@cyd_hunter99 まあ、間違っているかどうかはあなた選択です。

@thatnerdygaywerewolf9559

@LinkMountaineer ただし、物は失いました。 失われたものの 1 つは、能力進歩の仕組みでした。 古いゲームプレイしていくうちに、徐々に新しい力や能力を獲得し、パズルを解き、環境対話するための新しい方法提供します。

BotW にはこの要素がほぼ完全に欠けていました。環境対話する新しい方法提供する新しい能力はゾーラ アーマーとおそらくラヴァリのゲイルだけでしたが、どちらもパズルでは使用されませんでした。 残りの能力は単なる戦闘補助者でした。

TotK は、すべての賢者能力環境効果パズル解決の応用があったため、この点では少し優れていましたが、初期能力に比べればまだマイナーであり、過去ゲームで新しいアイテムを入手するほどゲームプレイに影響を与えません ( さらに、その使用方法によっては多少の手直しが必要になる可能性があります)。 さらに 2 つの隠された能力がありますが、1 つは主な能力の退屈さを取り除くだけ (オートビルド)、もう 1 つは小規模で戦闘のみです (地震テクニック)。

編集: 新しいアイテムやパワーが戦闘に影響を与える方法もあります。一部の敵は事実上「パズル」の一部であり、対処するには多様化する兵器のさまざまな部分が必要です。 BotW には再びこの要素が欠けていました。新しい能力は、面白いというよりも、単に退屈を軽減するだけ (ウルボザの怒りはダメージ スポンジの敵に対して役立ち、ミファーの恩寵料理必要性を軽減します) か、アクション自動化する (ダルク保護自動完璧なガードです) ためです。 TotKは、時間の経過とともにより多くの「パーティーメンバー」を提供し、ランダム武器では戦えない一部の敵(特定ダメージタイプ必要とする鎧を着た敵やギブド)、および大きく異なると感じられる他の敵の間で、再びBotWよりも優れていました。 あなたが見る他人(暗い手)から。 そして、TotK がこの面でどれだけ改善たかについては実際に満足していますが、あなた能力セットは依然としてほぼ一定のままです。

@Buttertruemu

それをどう説明したらいいのかわかりませんでしたが、あなたは私が表現できるよりもずっと上手に表現してくれました。 楽しかったけど、もっとリニアゲームが恋しい

@ausgod538

@SirMalorak 会社が両方をやりたくない場合、両方は存在できません。

@therealpskilla502

古い LOZ ゲーム説明するときに「リニア」という言葉軽蔑的ではない方法使用でき、それによって嘲笑されることがないのは素晴らしいことだと思いますシリーズ時間の経過とともに進化するのは問題ありません。私は新しいコントロールラッシュラッシュ、新しいアーマーセットなどが好きですが、LttP に遡る数十年にわたるシリーズアイデンティティが何であったのかを忘れないようにしましょう。 SSが嫌いでオープンワールド流行に乗って、同じ年に発売されたスカイリムに夢中になった人がいたような気がします。 SS には問題がありましたが、それはモーション コントロールと反復性によるものであり、直線性そのものではありませんでした。 当時の一般的コンセンサスは「リニア = 悪い」となり、結果として LOZ のファン層は分断されました。 これで 2 つのオープンワールド LOZ ゲームができました。どちらもそれ自体は優れていますが、オープンワールドと非直線的な進行があるというだけで、ロック付きの没入型で直線的なダンジョンが少なくとも 7 つ手に入らないというわけではありません。 アンドキーまたはパズルボックスゲームプレイは、ベテランファンにとても愛されています。 (マップサイズに基づいて、ダンジョン10 ~ 13 個程度が望ましいです)。 シリーズの中核となるゲームプレイ要素を完全に削除して、反復的な神社アクティベート 5 ターミナル スタイルの「ダンジョン」に置き換えても、ファンの半分を疎外しないと期待することはできません。

@dpackerman4203

正直に言うと少し侮辱的でもあります。 長年のファンとして私たちは古いゲームが大好きですが、彼は基本的に、それらは時代遅れであり、もう重要ではないと言いました。 そしてイライラするのは、Botw からやってきた新規ファンが同じようなことを言う人がたくさんいるということで、それが本当に気になります

@saxor96

@ausgod538 それが問題です。 私たちは彼らがBS理由でそれを望んでいないことを批判しています

彼らが単純に「オープンワールドダイナミックさをもう少し探求したい」と言ったのなら、古いシステム自体時代遅れでもう良いものではないことをあからさまにほのめかすよりも、もっと耐えられるでしょう。

@therealpskilla502

@dpackerman4203 先代からシリーズベテランということで、本当に老けたなと感じます(笑)

@vanyadolly

オリジナルゼルダファンとして、私は新しいコンセプトを本当に楽しみにしていましたが、正直に言うと、NESゼルダ機能させる要素はまったく組み込まれていませんでした。 これらのゲームは、新しいアイテムを獲得するたびにさらに探索することを促す直線的な進行を持っていました。 世界空虚目的のないものではありませんでした。 現在、彼らはオープン性を重視するあまりゲームプレイだけでなくストーリーもそのせいで損なわれています個人的には、ゼルダ ゲームの魅力を満たすものほとんどありません。

@vanyadolly

@LinkMountaineer絶対に違います。 私は基本的古典的ゼルダファンなので、そのような話は聞き飽きていますオリジナルゲームは直線的に進行するオープンワールドを持っていたため、リニア ゲームとの共通点が多かったです。 それがこのゲームを素晴らしいものにした理由であり、現在ゲームに欠けているものでもあります

@gamgee3393

@starscythe2099 それはひどい哲学です。もし変更がより悪いものであれば(ゼルダの話ではなく、一般的に)、私たちはそれを受け入れるべきです。 私たちリーダーや、お気に入りフランチャイズ支配する人々に挑戦するのをやめたら、私たちは結局、ずさんな消費と生活をすることになるでしょう。

@LinkMountaine

@vanyadolly あなたの聞き飽きたことは本当に気にしません。 現実現実だ。 また、直線的に進行するオープンワールドを実現することは物理的に不可能です。 オーバーワールドに後で開かなければならない場所がある場合、それはもはやオープンワールドではありません。 この 2 つは相互排他的です。

@therealpskilla502

@vanyadolly よく喋ります。 他のすべてを犠牲にして「無限自由」を追求することは、直線的な物語の進行に基づいて構築されたシリーズとは相容れません。 私が「物語の進行」と言ったのは、これにはストーリーゲームプレイの両方が本当にユニーク方法で含まれいるからです。

@kylemccrory8509

@starscythe2099 そのようなものを単に理由として拒否するのは十分な理由ではありません。

@vanyadolly

@LinkMountaineer 不可能ですが、なんとか 1986 年にそれを実現できました。Elder Scroll はそれを何度か行いました。 BotW と TotK がオリジナルゼルダ ゲームに似ているというのは完全な誤りです。 オリジナルゲームには、リニア ゲームやその 2D 後継ゲームとの共通点が多くあります

オープンワールドとは、すべてのエリア100% アクセスできることを意味するものではありません。 もしそうなら、現在ゲームは、進行の背後にいくつかの制限ロックされていたオリジナルとの共通点があるとは言えません。

@LinkMountaine

@vanyadolly 私は、過去ゼルダ ゲーム範囲の点で BotW や TotK に似ているとほのめかしたことはありません。 実は注意してください。

実際、オープンワールドとはその定義のもの意味するものです。 いつでもどこでも制限なく行くことができます。つまり世界は真にオープンです。 したがって、オープンワールド。 私は本当にそれは自明のことだと思いました。

2023-12-09

anond:20231209172326

ノームの原語読みでは

ニンジン牛乳クッキーなどを枕元に置いとくと代償に願いを叶えてくれる妖精

2023-12-07

オトナプリキュアにおけるスプラッシュスターの扱いがしんどすぎる

オトナプリキュア9話、咲舞の変身回まで視聴。

ここまでもしんどかったけど、今回が決定打になった。

SNS(主に旧Twitter)でも9話放送からスプラッシュスターの扱い、これどうなん?」

みたいな話題はちょくちょく見たけど、正直それ以上に

「咲舞変身キタ!」

「満と薫はプリキュア!」

「4人揃ってくれてありがとう!」

といった好意的意見が見られた。

これに結構ビックリしたんだけど、かといって自分の考えをツイートすると超連投になってとっ散らかるし、ツイート数ばかり増えて検索汚しアンチ野郎になりかねないので全部まとめて書けるスペースに書くことにした。

結論から言うと、スプラッシュスター好きなイチ視聴者としては信じられないところをいくつもスルーしている作品

同じ作品内に比較対象として5GoGoがいるからなおさら強く感じる。

ここから咲舞以外のスプラッシュスター登場人物を踏まえつつ、その理由を書いていく。

何話で何があったとかって話もするので、よくわからんところは公式の全話リストで補完してほしい。

https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure_SS/episode/list/



フラッピチョッピ

変身時におけるフラッピチョッピ(以下フラチョピ)の扱いについて色々とSNSでも意見が挙がっているけど、特に引っかかったのがフラチョピに対する咲と舞の反応。

どんな反応かと言えば、無。まったく何もなし。これにはマジで納得できない。

フラチョピの扱いについて亡くなった声優さんの件を挙げて英断だったとか仕方がないとかって意見も見たけど、それらは咲舞の無反応の理由になってない。

咲舞にとってフラチョピは大切な友達にしてパートナーだったでしょ。

スプラッシュスターを視聴した人がそれを忘れるはずがないし、仮に未視聴だとしても「プリキュアと変身を共にするパートナー妖精」と聞けば、そこに浅からぬ絆があることは想像に難くないはず。

そんな大事パートナーとの、いつぶりかの突然の再会だった。

なのに咲も舞も無反応ってどういうこと?

5GoGoのキュアモみたいな、ただの変身に必要ツールじゃないんだよ。

11話のフラッピ看病回に12話のチョッピホームシック回と、序盤からしっかり見せてくれてたでしょうが

まだ全話終わってないから明言はできないけど「あれは本当のフラチョピではない」として、それをあの時点の咲と舞は知らないでしょ?

仮にその情報が事前にあったとして、突然現れた旧友の姿に終始無反応を突き通せるか?

変身前のネガティブすぎる咲(これも納得できないけど今は割愛)とそれを鼓舞する舞も変身できるできないの問答になっていてフラチョピの話題は挙げないし、急に出てきたコミューン普通に手に取るし、バトルが終わって変身が解けたら「変身できたね…」で感慨にふけって終わり。

なんだこりゃ…って思いながら見てた。

あのスプラッシュスターで積み重ねた物語の先に、こんな未来存在してしまうんかと。

オトナプリキュアにおけるスプラッシュスター存在は「恋愛結婚に関わる大人の悩み」を課せられており、それが最優先なんだろうなあ。

変身バンクなしでいきなりプリキュアの姿になっていたら少しはマシに感じられたかも?

それでも一切言及しないのは相当変だと思うけど。



<美翔和也

フラチョピと同様に、本編にしっかり関わっていながら存在を消された人。

咲と良い影響を与え合っており、日常寄りのカップリングとしてかなり良い感じに描かれていたと思う。

まず咲と和也は5話で初めて出会うんだけど、その時に舞は不在なので特にきっかけにはなっていない。

それ以降も16話では「大切なのは諦めない事、諦めたら夢は絶対に叶わない」とプリキュアみたいなメッセージを残したり、27話の夏祭りや34話の学園祭実行委員の話、最後は45話のクリスマスと、あまり舞が関わることなく咲と和也の間で進む話が定期的に挟まれる。

クリスマス回なんて『 ケーキ和也クリスマス! 』とかタイトルにまで名前が出てくるし。

プリキュア関係者以外の中では咲とのイベント結構多かったし、それぞれの成長にも繋がっていて、最初こそガチガチ咲ちゃんいまいち読めない和也さん…って雰囲気だったのが終盤はちゃん自然体の交流になっていた。

しかしオトナプリキュアで咲舞に課せられたノルマを考えると、消されて然るべき人物だった。

何故なら、4話=舞が恋人と別れる回で「カレと結婚を控えていて、仕事も充実した幸せな咲」と「カレと上手くいかず、仕事も充実とは言えない舞」の対比をする上で、和也存在してしまうと咲舞をポジティブに繋げてしま可能性がある。

舞の「上手く行ってない感」の表現を阻害してしまうし、和也を出演させてしまとある程度説明必要になる。

そして9話=咲の悩みとスプラッシュスター変身回。

ここで相手和也だと、咲を葛藤させづらい。

和也自身、小さい頃から宇宙飛行士になるという大きな夢を抱いて過ごしてきて、咲とお互いに良い影響を与え合ってきたことは本編の通り。

そんな和也が、仮に宇宙飛行士になれなかったとしても「夢のためにフランス留学して自分を高めたい」という咲の気持ち尊重してくれることは疑いようがない。

いや突然ネガティブ人格を植え付けられたら分からないな。

それこそ9話変身前の咲みたいに。

仮に咲が憧れの和也さん(人格そのまま)と共に何年も歩み続けていたとして。

目の前にシャドウが現れて、親友にしてパートナーの舞が手を伸ばしてくれている、そんな状況で「あの頃とは違う!もう子供じゃない!」と自虐する人間だったかと考えると、全然そうは思えない。これは願望です。

以上から、美翔和也という存在はオトナプリキュアにおける咲舞に課せられた役割に対して強いノイズになってしまうため消されたのだろうと受け取った。



<満と薫>

咲舞とはそんなに疎遠だったのか…っていうのが一番効いた。

それと、二人とも作劇的に便利なポジションだよね。

異変を察知できて、一般の方々が認識できないシャドウ存在を周知できるインフルエンサー

話を進める上でとても便利。

あの様子だとPANPAKAパンにも何年も顔を出してないでしょ。

偶然咲と顔を合わせないタイミングでばかりパンを買いに行ってたかも…みたいな、うっすい可能性を手繰り寄せるしかない。

PANPAKAパンパンみのりちゃん、これらって満と薫の新たな人生を形作った大きな要素だと思ってたんだけどな~。

パン買いにも行ってないんか…。

5のメンバーでも「そんなに会ってなかったの!?」はあったので、スプラッシュスター固有の話ではないかもしれないけど。

最終話で満はパン作ってみたい、薫は絵を描いてみたい、と言ってたけどそれと将来は別の話だったか…。

5GoGoの面々は本編でこれと宣言していた道から外れてないから満と薫はどうなるかと思ってたけど、二人とも外してきたな…。

満はパン屋に来たお客さんの「ありがとう」から、薫はみのりちゃんと一緒に絵を描いた経験から出た言葉だと感じられたからこそ最終話発言は良かったんだけどなあ。

一応配信者になったという結果については、そういう道も無しではないと思ってる。

閉じた世界から羽ばたいて、より多くの人と通じ合おうとする姿勢がこの道を歩ませた…ということならば。

ただ配信者としてここまで広く周知されていることを咲も舞も知らず、声を聴いてもピンと来なくて、満と薫からそれを伝えられることもなくここまで来た、くらいまで疎遠になるとは想像していなかった。

でもちゃんと登場時に咲舞に声をかけてもらえたのは良かったんじゃない?

同じく突然登場した友達であるはずのフラチョピには無反応だったし。



星野健太

最終的に優子とくっつくのは本編の繋がりで納得できるんだけど、健太コメディアンの夢についてノータッチ

本編中でも結構触れられていた話題なんだけど。

16話では親に家業を継ぐことを望まれても諦めたくないという意思を見せて(親のことは勘違いオチだったけど)、

31話では最高の相方候補である宮迫君をひたすら勧誘しまくり、

37話の文化祭では健太宮迫タッグの話がほぼメインになっていた。

コメディアンとして花開くのは大変っていうのはよく分かる。

これはその他様々な「オトナプリキュアにおけるスプラッシュスター」に不信を抱いているから余計に気になっているだけかも。

当方たまに見るバラエティ番組年末M1グランプリくらいでしか漫才を見ないので何とも言いきれない。

個人的には「現実ってこんなもんだよね」をスプラッシュスターに背負わせたように思えてしまう。

さよなら俺の初恋…とかいうノンデリ発言奥さんの隣で飛び出したことについては「そんなことわざわざ言わせるなよ…」と「まあ健太ならギリギリ言うか…?」といったことを思いつつ、最近は「咲の初恋の人には触れてないな…あっ存在が消えたんだっけ、良かったなお前消えなくて」ってなってる。



太田優子>

25話の海の家回の繋がりでお店を切り盛りする未来に繋がった?

そこに健太がセットで運用されている、と考えるとコメディアンの夢について一切言及がなくてもまあ…いいのかな…?



以上。

とにかく「課せられた役目」が最初にあって、そこに咲と舞があてがわれた結果こうなったというのを強く感じる。

大人の悩みを描くなら、結婚をはじめとした将来を踏まえた恋愛要素は鉄板

けどこれは5GoGoキャラには任せられない。

異世界王族相手という時点で現実的な悩みに持っていくのが難しいし、そもそも5GoGoのキャラを本編外のキャラ恋愛させたら爆発炎上してしまう。

から咲と舞に大人恋愛担当させて、ついでに対比もさせた。

ステレオタイプ幸せを掴んでいるもの自分の夢と天秤にかけて悩む咲、自分の本当にやりたいこととは何なのかで迷う舞。

最終的には、私はこの道を進むと決めた!→咲舞並び立つ→変身ヤッター→満と薫も来て万々歳…という話。

絵面のエモさでなんとかしようとしてない?

作品自体が5GoGoがメインだからとか、本筋の進行に影響が…みたいな「尺の関係で仕方がない」といった意見、これこそ全然理解できない。

尺が厳しければパートナー妖精との再会について一切言及せずにバトルして良いか

そんなわけなくない?

他にもオトナプリキュアについては、美々野さん悩みにぶつかってなくない?いや悩みがないのが悪いわけではないけどさ…とか、シロップとうらら会ってなさすぎじゃない?とか、初代とスプラッシュと5の舞台位置関係どうなってんの?とかいろいろ言いたいことはあるけど、まだ放送中だしどう転ぶか分からないよな…と堪えてる。

ここまで書いてきたスプラッシュスターの扱いについては、ここから巻き返しようもないだろうしガッカリ度が桁違いだったので書き残した次第。



最後に。

オトナプリキュアシリーズの続編が発表されたら、絶対思い入れの強いプリキュアは出てほしくない。

何年か振りに姿を見せたメップルミップル、シプレコフレ、モフルンなどなどのパートナー妖精に何も言及せず変身するプリキュアの姿は見たくない。

2023-11-28

テレビとかでよく見る適材適所に配置された発達障害の人は妖精神童かみたいな感じで扱われるけど、

普通現代社会と一緒で、中にはなんの才能もない発達障害もいるわけで。

ひと握りほか多数の何者にもなれなかった発達障害の人はだいたい傷の舐め合いがしたくなって発達障害名刺代わりにして新興政治団体宗教マルチに手を出すようになって食い物にされる。

職場にも前に発達障害の人がいたけど、会社PCを使ってコロナ禍でのマスク着用が子供の成長に悪影響を及ぼす論文(笑)を刷りまくっていたり、営業時間中に有給も取らず参○党の街宣活動の手伝いをしに行ったりしていた。

そういうことをし始めると発達障害あるなしに関係なく仕事をサボってるもんだから色んな人からヘイトを買い始めてしまうんだよね。

ものにもなれないながら発達障害でそういう活動に手を染めてない人、自分に負けてなくて偉いと思う。

2023-11-25

1985年デビュー女性アイドルキャッチフレーズ

斉藤由貴 時代だって、由貴に染まる。

南野陽子 純だね。陽子

浅香唯 フェニックスから来た少女

中山美穂 「C」から始まる未来少女

本田美奈子 好きといいなさい!

芳本美代子 輝けミッチョン!

河合その子 フランス中国ハーフ女の子

いしのようこ スキッピンエンジェル

大西結花 不思議チック少女

網浜直子 ちょっと変な女の子

松本典子 とどくかな、笑顔

森川美穂 涙ひとつ、おいてきます

藤原理恵 エピックソニーファーストキス

岡本舞子 今、とってもJUICY(14) AGE

森下恵理 齧じってごらん、エキゾチックフルーツERI

森田まゆみ しぼりたて好きです

若林加奈 45%妖精

セイントフォー 100%女の子のままデビュー

橋本美加子 『まつ毛ちゃん』に逢ったらよろしくと。

石丸奈津子 なんなんだ、なつこ。感じる、異星。

江原由希子YOU) カシミヤタッチ一人っ子

森口博子 よかった、君がいて

井森美幸 井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません

1985年デビューではなく1985年デビュー1985年新人賞レースに参加できるかどうかが基準。なので1984年11月デビューセイントフォーも含まれる。

森川美穂キャッチフレーズは「涙ひとつ、おいてきます。」「多感世代ヴォーカルヒロイン」「振り向いて、MIHO」の3パターン

キャッチフレーズが分からなかった人たち(おニャン子クラブ佐野量子志村香奥田圭子ツインキーベリーズ村田恵里など)は断念

2023-11-24

anond:20231124004914

例えば、古代ギリシャ神話には、英雄ヘラクレスが地上と冥界を行き来する物語があります

また、中世ヨーロッパ騎士道物語には、騎士妖精の国や異界へ旅立つ話が数多く存在します。

2023-11-14

もともとお金で繋がる人間関係ばっかだよねこの国

推し活云々

 

有名人と一緒に写真撮るのとか昔から伝統だし、そのために会費募るのも伝統だし

政治家政治資金パーティー基本的チェキ会だし。会費3000円からはじまって、朝食会とかだんだんお値段の高い会費に誘われてく

 

お茶にお花に踊りにの稽古事も謝礼で繋がる人間関係だし

ステータス高い奥様方とおともだちに、みたいな触れ込みで、月謝からはじまって免状やらなんやら払う上納金システム

 

ホストクラブの仕組みにしたって方法自体別に発明でもなんでもなく、夜の店の昔からのやり方を男女入れ替えてシステマティックにやってるだけ

 

水商売に限った話じゃなく、どんな仕事でも、何かあるとすぐ親睦団体作って囲いこみたがる

仕事の付き合いだと思って会費払っても、会費に見合う見返りはまず期待できない

高度成長期なら期待値高かったかもしれないけど、成長分野でもない業界ではよくてプラマイゼロ、悪くすりゃマイナス

しろ名刺交換から詐欺に巻き込まれリスクがあるぐらい

(先日増田に書いた親父が40万のネックレス買わされたトラブルは、その手の金持ち付き合いに付いて行って知り合った相手に誘われ口頭で頷いた結果です)

金払った上に人づきあいの心労を抱え込むの当たり前

 

そっちに金吸われるぐらいならソシャゲに吸われたほうがはるかにマシだね

他人競争させるといったって、直接会って付き合う心労ほどじゃないし、すぐ飽きて手放しても誰も文句言わないし

サイゲならアニメ業界にしこたまバラまいて良作アニメ量産してくれるし

神バハ、グラブル、プリコネアニメ化、ゾンビランドサガ、ウマ娘アキバ冥途戦争

サイゲコミック発でならバ美肉おじさんやシートン学園も良かった

FGOはあんま見返りいい気はしないがラストアンコール出してくれたから許す

ラスピリも稀有アニメだったしラブライブも初期しか見てないが良作

見返りに足るものはくれたサービスだったよ

今年はあんま盛り上がらなくて水着モルガン以下妖精水着組に10万入れたぐらいしか使ってないけど

2023-11-06

好きなのはいいけど

剣と魔法世界が好きなのはいいけど、40すぎのおっさんコース料理食べながらその話するのは同席しててちょっと恥ずかしいわ

「この間読んだ小説がさあ、転生モノなんだけど主人公が飛ばされた世界ゴブリン妖精がいる世界で、魔法を使うための剣を鍛えるのが妖精なんだよー!そんでその魔法には陰と陽を土台に地水火風の属性があって云々、魔法を使う時は必ずゴブリンから賢者の石をもらってかんぬん…」

これを40すぎのおじさんが話してんの。

これは今即席で考えた内容だけど、正直ゴブリンとか妖精とか、魔法とか剣とか、陰と陽と地水火風とか、賢者の石とか…ナイフフォーク使って食べる席で出てくる単語として恥ずかしいんだよね

声も大きいし早口だし

自分が興味ないからっていうのもあるけどさ

ア○パンマ○か、がらがらど○みたいな子供向けの話を大人目線で語る方がまだマシだよ

あと、誰でも知ってる作品でもいいと思うんだ

漫画だけどそれこそ鬼滅とか呪術とかハガレンとか、オタクじゃない人も聞いたことがある率高い作品の話ならともかく、なろう系の隠れた名作とか出されてもちょっと厳しい

ていうか、なろう系ランキング1位でも厳しいんではないかな…でもそういうのを語りたい!ってひとほど鬼滅も呪術ハガレンも読んでないんだよね

からフルコース料理が出される場所で誰も知らん作品をわあわあ語るんだよね

ハガレン読んでたらもうちょっとファンタジー単語なく話せてたんじゃないの?ニーナ可愛そうとか、アルの貨物扱いはどうなんだとか

鬼滅読んでたら、貶したり皮肉を言わない限り、多分どんな話をしても周りの人は「うわ…オタクやん…出よ」じゃなくて「あ、鬼滅の話ししてる。私猗窩座好きだったなあ…」ってなったんじゃないかと思ってしま

あと個人的に、もうちょっとハードカバー読んだほうがいいと思うんだ…

2023-11-04

anond:20231104142727

妖精とか精霊の部類だった記憶が…

何か聖なる樹木からまれる的な

なんの作品だったかな…

2023-10-29

anond:20231028225213

お前は冗談で言っているんだろうが、本場米国にはガチの「フェアリージェンダー」がいるからな。

呼びかける時に「妖精ちゃん(Fae/Faer)」と呼ばずに「彼女(She/Her)」と読んだらミスジェンダリングを行った差別主義者として職を追われることになるぞ。

これは冗談に聞こえるだろうが、こと代名詞にかけては米国では洒落で済まないマジで

https://www.youtube.com/watch?v=An6zabtgMrI

2023-10-25

anond:20231025095310

子供の頃に不思議存在出会う話」だよ

子供」という曖昧存在がふらりと異界に迷い込んで妖精怪物と仲良くなる

異界訪問譚とか言われるもの一種児童文学にはよくある類型

なんなら千と千尋なんかもこの類型に近い

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