はてなキーワード: 前兆とは
トイレに座ってなかなかうんち出ないなと思ったらカチカチのうんちがつまっていた。
腹圧をかけてどうにかなるもんじゃなくてその場で自分で摘便した(腸壁を傷つけるおそれがあるのでマネしないでください。セルフ摘便する場合は手袋やオイルを用意してください)
表面の固い便をけずってもけずってもきりがない。
家にあるかんちょうが子供用のいちじくかんちょう60mlしかなくて(自分は成人女性です)
肛門につきさしてみたが肛門で固い便が出口付近にミリミリせまっている状態なので、いちじく浣腸が固い便に突き刺さるだけで液体を注入しても本来のいちじく浣腸の効果があらわれなかった
オリーブオイルと綿棒を用意してみたが細い綿棒が固い便に突き刺さっただけで意味はなかった。
固い便を崩してだしてもだしても排便が進まないのでどうなってんのこれはと思った。
それでも必死になんとか摘便を進めてけっこう出したな、減らしたな、そろそろ腹圧をかけてみようと思って
腹に力を入れた。
50センチくらいの一本糞がでた。腹圧を思いっきりかけた影響で目眩がした。
そのあとも残便感があったので、さらに排泄した。それは最初のほうのほとんど水分がない表面が乾いた便をだすときよりもマシだった
こんなひどい便秘をしたのは久しぶりだったし、自分のなかにこんなに便がたまっていたことにも驚きだった。
タイトルの1メートルは盛りすぎだったと思う。実際は80センチか70センチかくらい
修羅場は乗り越えたものの、私は今妊娠中で春には出産をひかえているので、便秘でこんなにつらいんだから出産はもっとつらいぞ。一人目産むときいきむのとても大変だったもんとげんなりしてしまった
まぁ胎児は表面カラカラ便秘うんちと違って表面血まみれだよね……50~60センチくらい??
便秘ってこんなに人を弱らせるんだなあ。肛門がひろがってうんちがみちみちに顔をだしているのに全然でてこないのは本当に地獄すぎる。硬い便が肛門を塞いでるといちじく浣腸も効果微妙か。けっきょくオイルをつけた指先でちょいちょいして硬い便を解体していくしかない
今日、何気なく確認した精液がほんのり朱色に染まっていて、とてもびっくりした。
痛みは全くなかった。
念のためもう一度出してみたが、やっぱり1回目と変わらず、白濁の中に朱色のような茶色のような色がうっすらと混ざっていた。
痛みは全くなかった。寧ろあと2回くらい出せるんじゃないかというくらい興奮していた。
これは病気の前兆なのかもしれないと思って、少しだけ不安になりつつ調べたが、どうやら鮮血でもなければ大したことはないらしかった。日本泌尿器科学会が言うのだったら間違いないと思った。
自分は鼻水でも痰でも出したものは必ずチェックする主義なのだが、今日ばかりはチェックしていてよかったなと思った。
ちなみに今日が初抜きだった。運が良いのか悪いのか。
「鼠」は「風の歌を聴け」に始まる「鼠四部作」に登場する。主人公の友人であるが、ある日突然行方をくらまし、「羊をめぐる冒険」では自ら死を選ぶ。語り手と主人公の仲は深く、あたかも語り手の半身のようである。己の半身が半ば死の世界にいるというモチーフはこの後に何度も繰り返される。
この半身のように親しい友人は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のなかでは幻想パートの「影」に姿を変える。彼は語り手の半身であり、語り手の記憶を保持している。壁の中に閉じ込められた世界を脱出するためには二人がそろっていなければならないが、土壇場で語り手は壁の内側にとどまることを選び、影は死ぬことになる。
「ノルウェイの森」では彼は「キズキ」になる。物語の序盤で排気ガスによる死を選んだことが語られ、交際相手であった直子の死の遠因となる。
また、直接の半身ではないにせよ親しい友人で自ら死を選ぶ点で共通しているのは、「ダンス・ダンス・ダンス」の「五反田君」だ。彼は連続殺人犯であったことを明かして死ぬ。このあたりのくだりは恐らくチャンドラーの影響が深い。
このように、半身はしばらくのあいだ無力な存在だったが、「海辺のカフカ」以降では様子が変わる。「カラスと呼ばれる少年」は、「カフカ少年」のもう一つの人格のように見えるが、彼は「カフカ少年」を客観視し、適切なアドバイスを与える。一貫してサポートしてくれる存在だ。半身が異界の住人であるというモチーフであり、「鼠」の系譜に属しているが、そこに自ら死を選ぶような面は見られない。「海辺のカフカ」は主人公がとても若い点でも特異だ。
ただし、佐伯さんが現実感を失った生活をするきっかけとなった、東京の大学紛争で殺された友人は、佐伯さんがノルウェイの森の「直子」の系譜に属するとすれば、「キズキ」のもう一人の子孫だ。
キズキと直子が、そして佐伯さんとその恋人は幼い頃から自然に性交をしていたが、まるで思春期の完璧さを求める性向が現実によって打ち砕かれるかのように、その関係が死によって断たれる点でも、この二つのカップルは類似している。
村上春樹の小説には一貫して何らかの精神疾患を患った、少なくとも感情的に不安的な女性が出てくる。
デビュー作の「風の歌を聴け」の時点から、「小指のない女の子」として出てくる。彼女は話している途中に突然泣き出してしまう。また、周囲の人々がひどいことを言うとも語るが、これが事実なのか、精神疾患ゆえの妄想なのかどうかは判然としない。
この系譜が「1973年のピンボール」の中ですでに亡くなっているかつての恋人「直子」につながり、さらに「羊をめぐる冒険」の「誰とでも寝る女の子」につながっているかどうかはわからない。ただ、「ノルウェイの森」の「直子」には直接つながっているだろう。語り手の過ちによって感情を失った「国境の南、太陽の西」の「大原イズミ」も、彼女の裏面だ。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」もその子孫だ。
また、恋人または妻の一つのアーキタイプとして、「ねじまき鳥クロニクル」の「クミコ」「加納クレタ」や「スプートニクの恋人」の「にんじん」の母にも発展しているようにも思える。
より明確な形としては、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」が子孫のようだ。前述のように恋人の死をきっかけに精神を病む、少なくともある種の現実感を失ってしまう点が共通している。ただし、佐伯さんは後述の老女の系譜にもつながっている。ピアノができたことを考えると、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」も「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」も同じカテゴリに入れていい。
そもそもこのキャラクターの流れについての記述は、誰が後の作品の誰に直接発展したかを明確に追うことではない。おそらくはいくつも混ざり合っている。むしろ、これは村上春樹の作品を解釈するための補助線として見るのが適切だろう。
彼女がやたらとタフになったのが「1Q84」の「青豆」かもしれない。あるいは、生命力にあふれている点では後述の「ミドリ」だろうか。
直子とは対照的な心身が比較的健康なタイプの女性の系譜もある。
性に対する好奇心の強い「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「太った娘」もそうだが、彼女は後述する「少女」の系譜につながる面もある。
同じく制に対して罪悪感を持たない「ノルウェイの森」の「ミドリ」、「国境の南、太陽の西」の「島本さん」、「スプートニクの恋人」の「すみれ」、「海辺のカフカ」の「さくら」(どうでもいいがこのキャラのせいでおねショタに目覚めた)、「1Q84」の安田恭子へとつながっている。
村上春樹の作品を時系列順に読み返すと、ある時点で突然新しい属性を持ったキャラクター群が登場する。それは、どことなく巫女的な力を持った若い女性である。
前兆としてあらわれるのが、「羊をめぐる冒険」では耳専門のモデルをしている21歳の女性だ。彼女は不思議な力で主人公を羊へと導くが、物語の終盤を前に姿を消してしまうので、いくばくか影が薄い。しかし、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる肥満の17歳の女の子は語り手を「やみくろ」の支配する東京の地下世界にいざなう。
より少女性が強まるというか、単純に年齢が幼くなるのが「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する13歳のユキで、彼女は五反田君の殺人の痕跡を巫女のように感じ取ることができた。
「ねじまき鳥クロニクル」での「笠原メイ」は、映画「ロリータ」を思わせる登場の仕方をするし、終盤では主人公を救う力の源であるかのように描写されている。月光の下で裸身をさらす姿は、今までの村上春樹にはなかった描写である。確かに「ノルウェイの森」で「直子」がそうするシーンはあるが、彼女は成人した女性だ。
「海辺のカフカ」では夢の中に現れる十五歳の佐伯さんの姿を取る、ここでは少女との性交が初めて描かれる。
巫女的な少女の系譜がより明確になるのが「1Q84」に出てくる17歳のカルト教団育ちである「ふかえり」だ。彼女は何らかの学習障害を患っていて独特の話し方をするが、彼女との性交は異世界との経路となる。
村上春樹が歳を重ねて少女との性交を書くのをためらわなくなっていったのは面白い(【追記】「ふかえり」にいたっては巨乳の文学少女という属性!)。というのも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では肥満の女の子から私と寝ないかと誘われて断っているからだ。
大学の先輩がこう述べていた。ある種の作家は自分が生まれる十年ほど前の出来事をテーマにすることがある。なぜなら、自分が参加できなかった「祭り」だからだ。これが事実かどうかはわからないが、村上春樹は古くから第二次世界大戦と中国がテーマに含まれている。「鼠」の父親も戦争とその後の混乱で金持ちになった人間だ。興味深いことに村上春樹の父は中国に従軍している。
(余談だけれどもこの先輩は村上春樹作品にしばしば出てくる井戸は「イド」つまり無意識を示唆しているのではないかと言っていた)
さて、老人がキャラクターとして物語の信仰に深くかかわるようになったのは、「羊をめぐる冒険」の「羊博士」からだろう。彼はいるかホテルにこもったきりで、外に出ようとしない。しかし、探し求めている羊がどこにいるかという重大な情報を指し示す。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でも、現実パートには「老博士」が出てくるし、幻想パートには退役した「大佐」がいる。
軍人という属性が前面に出てくるのが「ねじまき鳥クロニクル」の間宮老人だ。彼はノモンハンにて過酷な体験をするし、そこである種の悪しき力に取りつかれる。
「海辺のカフカ」には「中田老人」が出てくる。彼もまたある種の不可解な力(後述の闇の力?)の犠牲になり、記憶や知性の多くを奪われてしまう。一方で、彼は「カフカ少年」に代わって父殺しを遂行する半身でもある。
「1Q84」では少し特殊で、これは近過去SFであり、戦争の経験者やその前後に生まれた人々が相対的に若い。それゆえ今までのパターンを単純に当てはめるのが適切かはわからない。
天吾の父がこの系譜に属するだろうか。「1Q84」では善悪が入れ替わることが多い。幼い天吾を無理やりNHKの集金に連れまわす点でネガティブに描かれていたにもかかわらず(村上春樹はこうした巨大組織を一般に「システム」と呼んであまり肯定的に扱わない)、後半では声だけの存在になった彼が助けに来るのだ。
なお、戦場に行っていたという点を考慮すると、これらの老人たちは村上春樹の父親の世代に当たるだろう。
米軍基地にいたという点でジェイもここに属しているかもしれない。
一世代上の女性が出てきたのは「ノルウェイの森」の「レイコさん」だ。彼女は心を病んではいるものの、主人公たちを導いてくれる。「直子」のルームメイトとして、彼女の心身の安定に寄与している。
それがおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の「赤坂ナツメグ」になるし、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」を経て「1Q84」の「緒方静恵」になる。
彼女たちの多くは戦争をはじめとした暴力の中で深く傷つき、その中でもある種のコミュニティ・安全地帯を運営し続けている。「レイコさん」は精神病院の患者たちのまとめ役だし、「赤坂ナツメグ」は女性向け風俗(?)で女性の性的空想を現実にし、「佐伯さん」は図書館という静謐な環境を守護し、「緒形静恵」は性暴力を受けた女性の避難所を運営して、しばしば法を破ってでも報復を行う。年齢的にはかけ離れるが、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」もこの老女の系譜に属するか。
彼女の息子たち(血縁があるかどうかはともかく)の系譜は、「赤坂ナツメグ」の息子「シナモン」、「佐伯さん」の図書館で司書を務める「大島さん」、それから「緒方静恵」の柳屋敷でセキュリティを担当するタマルだ。セクマイであることが多い。
「1973年のピンボール」の双子の女の子を除いて、概して二人組の登場人物は不吉な前兆だ。体格は対照的なことが多い。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では「大男」・「ちび」の二人組が語り手に刺客を差し向け、第三勢力になって儲けようとだましに来る。「ダンス・ダンス・ダンス」ではまるで「長いお別れ」みたいな嫌がらせをしてくる「文学」「漁師」と語り手があだ名をつけた警官が出てくる。「海辺のカフカ」に出てくる二人組は、軽率な発言から「大島さん」を傷つけてしまう自称フェミニスト二人組だ。「1Q84」には「さきがけ」のリーダーの警備をする坊主頭とポニーテールの二人組がいる。
ただし、何度か繰り返すが善悪のシンボルを意図的に逆転させることが多いのが村上春樹の作品で、おなじ「海辺のカフカ」でも「カフカ少年」を森の奥に導くのは同じように体格が対照的な二人組の日本兵だ。
また、よくよく考えてみれば、「風の歌を聴け」の時点でも、「小指のない女の子」には双子の妹がいたのである。直接姿を見せず言及されるだけだが、このモチーフの萌芽とみていいだろう。
村上春樹はある時点で純粋な悪の起源はなんであるかについて語ろうとしている。
それは悪しき登場人物の姿だけでなく、クトゥルフ神話的な怪物としても姿を見せる。
現に「風の歌を聴け」に出てくるデレク・ハートフィールドの伝記は、ラブクラフトやバロウズをはじめとしたパルプフィクションの作家たちを混ぜ合わせたものだ。
「鼠四部作」のなかでは「羊」がそれに該当する。不可解な暴力や権力の中心に存在し、人間に憑りつくことで現実的な力をふるう。あるいは、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の現実パートの「やみくろ」たち、幻想パートの「門番」。「ねじまき鳥クロニクル」の「ねじまき鳥」や、綿谷昇の属する政治の世界。そして「海辺のカフカ」に登場する「ジョニー・ウォーカー」や、「中田老人」の口の中から出てくる不可解な物体。
非人間的な力ではないが、「ノルウェイの森」の「レイコさん」の精神を悪化させる原因となった少女も、この系譜に属していると見なしていいかもしれない。
だが、「1Q84」のリトルピープルの存在は解釈が難しい。今までとは異なり、単純な悪ではないようだ。初読時には「これは人が複雑な現実を物語化する能力の具現化で、善にも悪にもなりうる、ある種の単純化する力ではないか」と思ったが、再読したら違う印象を受けるやも知れない。また、「牛河」も悪しき力の手先のように見えるが、離婚した妻子がおり、生きた人間であって化け物ではない。
善悪が曖昧と言えば、「海辺のカフカ」では「圧倒的な偏見でもって強固に抹殺するんだ」が主人公サイドと敵役サイドのいずれでも使われる。
こんな風に、村上春樹はある時期から善悪を意図的にぼかし、単純化を避けるようになった。
【追記】アフターダークの暴力を振るった深夜残業してたサラリーマンもここにいれていいかも。
村上春樹後半期のテーマの一つをまとめるとしたら「どれほど不適切な養育環境で育ったとしても、その現実を受け入れてスタートするしかないし、ときとしてそこで学んだことに結果的に心が支えられてしまうケースがある」だろう。言い換えると「歴史・過去を消し去ることはできない」だ。
あと、「国境の南、太陽の西」の「にんじん」はうまくしゃべれないけど、「海辺のカフカ」の「カフカ少年」の造形に影響を与えたかもしれない。
別に結論はない。ただ、こういう順で発展していったのだなと考えながら読むと楽しいだけである。
もう一つ興味深いのは、親が亡くなるかそれくらいの年齢に近づくと、ちゃんと親と向き合ったような小説を、みんな書き始めることだなあ。
新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。
この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。
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この文章は現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。
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本作のあらすじを簡潔に書く。
九州に住む主人公の少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中の廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズが地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)
抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程で東北の被災地を訪れることになる。
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これは2011年3月11日、日本列島を襲った未曾有の災害、東日本大震災を主軸に据えた映画だ。
いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。
「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」
一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨の言葉が語られる。
「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。
後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。
この映画は我々が体験してきた被災の記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。
映画館に足を運んだとき、自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズが地震を起こし、物語の舞台が神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカーが首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。
忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送、津波で一掃された土地、そういったものの映画の中での情報の感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベルで自分の記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフの美術や演出の面々に感服させられた。
だからこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。
その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。
これが少しでも YouTube の予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。
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この作品について語る上で、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。
こんな話だ。
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東京で働くうだつの上がらない銀行員の中年男性が、ある日かえると出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトとミミズが現れ、男性の身体がミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。
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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。
この小説は1995年に日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本の安全神話が崩れた年だ。
作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件の関係者・被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会、他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。
氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉で表現している。光の一切届かない暗闇、自身の身体と周囲の空気、現実と非現実の境界が曖昧になる。死に近い場所だ。
人の日常生活では感知し得ない深い場所・心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。
翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身のルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実と霊界の境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。
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「神の子どもたちはみな踊る」は善悪の二元論ではなく陰陽論の物語集だ。
太極図、という白と黒の勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。
こんなのだ☯
善悪、明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。
太極図について、ちょうど三角関数を学んだときに単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。
日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。
「かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公がミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。
この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。
宗教二世を描いた表題作「神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクのホテルで神戸に住む男の存在を思う研究者の女性にせよ、海辺で焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないものが存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ。
その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分は勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。
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我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはらむ危険性をつい忘れてしまう。
東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズの描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震の前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。
そこの描写が本当に良かった。地震とはいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。
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東日本大震災の発災当時、自分は東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。
2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。
インターネットに張り付いて、東北地方や東京の情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。
当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。
日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリーは被災地に飲料水を発送し、ソフトバンクは公衆 Wi-Fi を無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本の若者が NHK による被災状況の中継をカメラで撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者が自身の責任と判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote は有償の容量無制限サービスを日本人に向け一時無償提供を行った。
今ではウクライナと戦争真っ只中のロシアはプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍は作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。
悔しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅、避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。
あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。
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働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事ももう若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。
10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの、体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。
あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場で唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。
そこに前述の草太のセリフだ。2011年に東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。
あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。
新海誠の新作となれば中高生も大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代が災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。
もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。
この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。
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これで最後だ。
東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災者であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。
遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。
やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこの文章を不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。
またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。
もちろん、海の妖怪が人間の王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊と人間の騎士との恋愛物語を描いた先行作品が存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。
フーケの作品『ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公の人魚姫が人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである。
この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写の元ネタと考えられているものの一つに、アイルランドの海浜に近い場所に存在する某村に関する民間伝承がある。
周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである。
この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」が禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーンの歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてから、セイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。
日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪の発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し、奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。
ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間の人面魚タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたものが付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れの現場で発見されたことも有るようである。
してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である。
さて、アイルランドの某村に関する民間伝承と比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。
「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら」
根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称である。しかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。
岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的な必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ、約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?
菅原道真の家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏=菅原氏との関わりが存在するということである。
この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土の採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈の採掘にも関連・発展したことであろう。
鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林の樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土の採掘や金属の採掘・精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川で生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害や環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパが河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである。
山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏=菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害の発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパの親分であったであろう土師氏=菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか。
ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しかも角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属の精錬を象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属の職能に携わる部民」であろうと考えられる。
脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏=菅原氏という職能集団的な氏族がカッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである。
本筋に戻ると、アイルランドの海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識や能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。
上で粘土採掘や金属の採掘・精錬を行う職能集団とカッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部からは理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間は尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカの伝統的な音楽・歌唱の職能者グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せな気持ちにしたり、戦の前に闘争心を鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬と差別の心理がアンビバレントに同居している。
日本の人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身が言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。
西洋人が日本に渡来するようになると、剥製・ミイラ製造の技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパや人魚のミイラが製造されたことは、現在も日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚の形態傾向が、人面魚タイプや四脚タイプから、現代人にも親しみのある上半身人間・下半身魚タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触を果たしていた中国を通じて、もっと早い時代にミイラ製造の技術が日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚のイメージも一緒に、早期から日本に流入したという可能性は無いのだろうか。大陸や西洋からの人魚伝承の流入によって、前触れや予言というイメージが形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。
まだまだ考察すべきことは多く残る。
人頭獣身の妖怪、しかも不吉の前兆や予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実の世界と、非日常・非現実の世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れや予言なのであろう。
また古来、予言や神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠・出産が可能であることから、男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実・日常の世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたからである。セイレーンや人魚に限らず妖怪や怪物たち(例えば、エデンの園でアダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教・キリスト教・仏教などが地位を確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬と差別というアンビバレントな感情が反映された名残であろう。
最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクトの悲劇の物語とは言えるのかもしれない。
乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。
CINCはたぶん失敗。
今日の大引けで私はセルソースを買い増ししていた。CINCは雀の涙ほどしか持ってないので問題ない。
セルソースは業績予想の上方修正が最近あったばかり。チャートはカップウィズハンドルの取っ手部分でもみ合っていて、決算発表日の今日は下げていた。発表された決算内容は良好だった。決算発表日、決算発表予定時刻ぴったりに発表する場合、決算内容は良い。予定時刻より遅れて発表する場合、予定時刻から遅れるほど決算内容は冴えない。なんとなくだが、そんな傾向もある気がしている。セルソースは15時ぴたりには株探に速報が出るほどだった。期待してる。
CINCもカップウィズハンドルを形成していた。しかし一度取っ手上抜けに失敗気味となり、取っ手が下がり切らずに横這うような形となっていた(あまりよくない現象だと思う)。昨日、今日と大きな出来高で急騰したが、どちらも日足は長い上ヒゲをつけた陽線。決算日直前のこういう動きはアヤシイ。急上昇の前兆のこともあるが、大口の投資家が弱小投資家を引っ掛けようとしている場合もよくある。CINCは日々の出来高がかなり小さい銘柄なので仕手が狙いやすい。だからなおさらだ。発表された決算発表は可もなく不可もなく、驚きは無かった。この3Qの進捗なら本決算の際のEPSは会社予想をしっかり上回りそうだが、その辺はどうなるのか、市場にどう受け止められるのかは今の私の脳みそではよく分からない。
歳をとると昔の恨みって強くなるのかな?
どんどん強くなっていってて自分でも戸惑ってる。
自分が小学生の頃、父親が会社から帰宅して早々激しい腹痛を訴えて、救急車で病院へ運ばれ、その日のうちに入院することになった。
父親は救急車で運ばれた日に消化器系か腎臓か(10年以上前なので忘れた)の検査を受けたけど、腹痛の原因は不明だった。
でも、時間が経つごとに痛みが激しくなっていったみたいで、血圧も上昇、吐き気、嘔吐の症状があったから母親が主治医に全身検査してほしいとお願いした。
でも主治医はただの腹痛、と言って苦しむ父親の姿を見てもくれなかった。
後から調べたんだけど、この症状って脳卒中の前兆らしいんだよね。
この主治医のこと許せなくて、未だに恨んでるし思い出しては泣きそうになる。
主治医が何科の医者かは忘れたけど、大きめの病院だったから検査してくれれば担当の科に連携するとかできたんじゃないかなって。
しかも気を失った時、母親が側にいたからナースコールしたり看護師さんに知らせに行ったけど、主治医全然来ない。なんで?
結局きたのが15〜20分後らしくて笑っちゃうんだけど、そういうことってあり得るの?
医者も人間だしミスはするってわかってるけど、何のための高いお給料なのか、何のための国家資格なのか、何のための社会的地位なのか。命の責任を負う尊い職業で、大変なのは自分でも何となく想像できる。
命は助かったけど、寝たきり・話せない・意思疎通できてるかわからない状態になって、12年くらい家で介護したけど、自分が22歳くらいで亡くなった。
あの時死んだわけじゃないし、命だけでも助けてもらったことは感謝しないといけないのはわかってる。
わかっててもどうしても受け入れられなくて、今拗らせてるって感じかな。(介護の期間が大変すぎたってのもある)
みんな恨んでる人とかどうやって忘れてるんだろ。
たった今、数日に渡る肛門の異物感から解放されとても晴れ晴れとした気持ちなのだが、汚い話を知り合いにするのは少々気が引けるのでこの場にこっそりと残しておこうと思う。
※ここから先は汚い表現が増えるため、食事中の方や下品な表現が苦手な方は読むのを控えて欲しい。
私は昔から胃腸が弱く腹を下しやすい為、普段は月の半分以上が軟便であり、二十数年の間便秘とは無縁の生活を送っていた。
きっかけは何なのか分からない。猛暑が続き水分不足になっていたのか、将又、二週間ほど前に患ったコロナウイルスの後遺症(味覚障害)が治ってきた反動でドカ食いをしてしまったのが悪かったのか。
前兆は八月十二日、金曜だった。
夕飯を食べ終え、いつものルーティンとしてトイレに向かった。冒頭にも記載したが私は軟便気味なので、トイレで排便する時は出たものがどのような形状をしているのか確認するようにしている。一般的なバナナのような形状の便であれば安心するし、固形を保っていない便のときは「お腹調子悪いんだね……可哀想に……」のような気持ちになる。健康的な形状の便がもりもり出るとなんだか嬉しい気持ちになり、便が流れていくのを名残惜しみながら見送るなどしていた。
そして、その日は珍しく硬い便、所謂「コロコロうんち」が出た。それを私は「あっ珍しいな、ナンカ小動物のウンコみたいでカワヨ」などと思い、それがこれから待ち受ける地獄の前兆とは気にも留めて無かったのだ。
翌日、八月十三日。一度も排便をしなかった。それを不思議に思うこともなく、Xデーは訪れた。
昨日、八月十四日、日曜、夜。便座に座り、尻に力を入れる。肛門から出ようとする便がいつもと違う異物感を持っていた。
いつもなら少し力を入れるだけで肛門からむにっと出てくる大便。例えるなら絞り袋から生クリームが出てくるような、そんな感覚なのだが、今日は違う。この肛門は大便ではなく石を出そうとしているのではないか、そうとしか思えない異物感。明らかに出口で巨大な固形物が詰まっている。
「大物だ!」
私はそう思い、ありったけの力をこめて息む。そしてこれが異常なのだと理解する。肛門の出口からほんの少し顔を出したきり、便は動かなくなったのだ。
どうする、ヤバくね? 一旦戻すか?
そんな慌てた気持ちで肛門に力を込めて、出口付近にいる大便を収納しようとした。しかし、便は全く動かなかったのだ。パニックになった私はトイレットペーパーを何重にも巻いた手でそっと肛門に触れてみた。すると、やはりほんの少し便が顔を出しており、肛門付近が盛り上がっているような、そこにデカい便がいる事を感じることができた。
これは、マジでヤバい。そう思った。このままでは出ない、どうしたらいいのだろう。焦燥感に駆られた私は便を軽く押してみた。思っていたより硬くはなかった。石のような硬さだと思っていた便は、土粘土程度の硬さだったのだ。
確かにこれは肛門のパワーではどうすることもできないかもしれない。だけどこの手なら……!
今一度トイレットペーパーで厳重に手を保護し、肛門の周りを優しくマッサージして便を出口に誘導するようにしてみる。試しに息んでみると、出口から少し便が出てきたではないか。
これだった、これが正解だった。解を得た私は時間をかけて粘土ウンコを肛門の出口に誘導し、ついに一本分を出し切ることに成功したのだった。
しかし、便はもう一本分あった。
私は絶望した。一本出し切った先に、無くならない便意ともう一つ確かにある異物感。そしてラスボスなるそいつは先程の便よりもはるかに硬度が違った。同じ方法で出すことができなかった。何より、私の肛門は限界だった。先程の戦いでの負傷が大きく少し力を入れるだけで激痛が走る。もう駄目だ。
いつの間にかかいていた脂汗を拭い、肛門をウォシュレットで洗浄した後、トイレットペーパーで汚れを拭き取り、異物感を抱えたままトイレを後にする。
まるで肛門にクソデカい栓をされているような、そんな感覚がずっとある。しかしもうこれは今の自分たちではどうすることもできなかった。これ以上は無理だ。だってここまで一時間以上経過していたのだから。
間もなく日付も変わる、そんな時間に私はネットを駆使して一つの可能性と出会う。
これを使えばワンチャンあるのではなかろうか、というかもうこいつで駄目だったら病院行くしかないだろうし、肛門に特大鉱石ウンコを抱えているという状況を医者に説明するのは流石に嫌だし、浣腸でなんとか出すしかなかった。
そんなこんなで本日、八月十五日。私は朝一番に薬局に向かい、浣腸を手に入れた。因みに肛門に感じる異物感が気になって一睡も出来ていない。
レッドブルと浣腸を共にレジに出された時、店員さんの顔が一瞬引き攣ったような気がしたけれど、自意識過剰なだけだと思いたい。正直かなり恥ずかしかったので何も思われてないと嬉しい。
尚、本来イチジク浣腸を購入する予定だったのだが、何故か二個入りのものが売り切れており、大量に入っているものしか置いてなかったため、他メーカーの浣腸を購入した。
期待を胸にトイレに駆け込み、パッケージを開けてみる。三十グラムの浣腸は想像よりも多く、「これ全部ケツに注ぐんか……?」と一瞬日和ってしまったが、それよりもこの肛門の異物感を何とかしないといけないという気持ちが大きかったので、気合で肛門にノズルを挿し、液体を注入した。しかし浣腸バージン故、上手く出来なかったか液体がダバダバ零れていく。しかし触れた感じノズルはしっかり奥まで入っているし、確かに液体が注入されている感じも肛門越しに感じる。これ以上零れたら駄目だと力をこめて全ての液体を注ぎ、浣腸を引き抜く。ノズルが便で汚れていて少しだけ引いた。
説明書には二分から五分待ってから出すものを出せと記載されていたので、液体を零さないよう力を込めながらしばらく待ってみる。すると、自分には馴染みのある下痢の時に感じる痛みが襲ってきた。メチャクチャヤバい下痢の時の痛みのそれだった。
出したい、今すぐ出したい。激痛便意に襲われながらも私はこれなら絶対出るだろうと期待に胸を膨らませた。
そしておおよそ四分が経過した。腹痛も限界を迎えつつあり、そろそろ良いだろうと力を込めた。
絶望と共に怒りが湧いてくる。結局出ないならこの腹痛は何だったのか、なんなら浣腸液を全部出し切ったっぽいのにまだ痛い。こんなに辛い思いをしたのに結局自力で出すか恥を捨てて病院に行くしかないのか。
沸々と湧いてくる怒りに任せて息んでみると、便がほんの少しだけ動くような感じがあった。このまま強行突破できるかもしれないと思った私は肛門が切れることを覚悟して息み続けた。ウミガメの出産もきっとこんな辛さなのだろう。
息み続けること数回、ついに鉱石のように硬い特大ウンコが肛門からするりと誕生し、私は肛門の激痛もお構いなしに立ち上がり、その姿を確認した。
きっとこれは今まで見たこともないくらい特大のウンコだろうと想像していたそれは、なんと複数の便が集まって一つの塊となっていた。ウンコ界のスイミー、或いはベーコンエピ。「そりゃ出口で詰まるわな」と納得と共にほんの少し感動すら与えてくれる特大ウンコ。肛門はこれだけ巨大なウンコも出せるのか……これは人間の神秘だった。
間違いなく人生で出した便の中で一番大きいビッグ・ベンが流されていく姿を見送り、トイレットペーパーで尻を拭いた。トイレットペーパーが赤く染まっていた。
特大の便を排便するための代償は大きかったのだ。
あれからもう一度トイレに行ったが、やはり肛門から出血しているらしく、後ほど切れ痔のケアについて調べてみるつもりだ。
最終的に便を出すことに成功したのは浣腸パワーなのか、それとも自力でなんとかしたのか分からないが、とにかく長い戦いに終止符を打つことができて一先ず安堵している。
ただこの激硬ウンコと便秘の原因がわからず仕舞なので、今後の排便で症状が再発しないか不安なところだ。
しばらくは水分を沢山取り、食物繊維とヨーグルトを摂取して様子を見ようと思うが、なにかおすすめの腸内ケア方法があれば教えてほしい。
サイバーエージェントが新卒初任給を42万円にすると発表した。
東大出ようがF欄出ようが一律初任給20万円の日本社会で素晴らしい取り組みだと思う。
叩かれた理由は以下。
まだパートナーや子供もいない働き盛りの若者が毎日17時に帰って、寝転んでネトフリ見る社会が本当に良い社会なのか??
若いうちは働けるだけ働いてスキルと急用を上げて、自分の市場価値を高める。
この考えが大卒エリート層から失われつつあるのは日本衰退の前兆に見える。
サイバー社の取り組みを見ると、社内表彰や子会社への役員出向、社内ビジコンなど、若者の承認欲求を満たす仕組みが整備されている。
これに加えて3年目くらいまでは大学同期に給与マウントが取れるという特典も加わった訳だ。
サイバーエージェントは本当に素晴らしいと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1906645
こうやって注目されると駅乃みちかみたいにフェミに燃やされそうで怖いな
さっそくコメントで「ケモナーの描く絵はペドっぽくて気持ち悪い」とか言われてるし
低頭身=ペド=悪
とフェミが連想ゲームを始めて規制し始めるいつもの流れの前兆じゃないのこれ
【追記】
いや、ねーよ!
何言ってんだお前…
「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
あー怖い怖い
これって誘導尋問じゃん
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
[B! AED] 駅の階段で倒れた女性が激しく痙攣し始めた!急いでAEDを取りに行くも使用には及ばず一件落着 しかしその後SNSで・・・
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1903361
dmttlili SNSで一々確認すんなって話ではないのか?創作じゃねぇのか?
dbfsi てんかんの女性本人のツイートも見つからずAED使用を訴えた女性も一人もいないままヒートアップして「女は悪魔だから助けるな!」と憤怒してる男はプーチンを笑えないな。女の命を軽視する悪質なデマなので通報するわ
Euterpe2 そもそも:実在するか分からんし おまけ:衆院選で成功したからか選挙前の最後の一押しに忙しいですねw
vanillayeti ふーん。てかまずこのてんかんの女性は実際に存在するの??
worris エゴサで出て来たというツイートはどこ? 駅名が分からなくても情報強者さんなら見つけられるでしょ。
hanaduj はいはい嘘松、そもそも倒れた人エゴサしてる方がキモいわ
kvx つい数日前も栃木の件があったのにさー。
triggerhappysundaymorning 本人かツイッターにそれをつぶやいて、AED持ってきた人が見つけてしまうのか。なかなかの偶然だな。
moxtaka まとめ読まずに嘘松判定する人がこれだけいるのが驚愕。/https://twitter.com/kobato_is_cute/status/1537861544457175041
もちろんこのツイートは先のTogetterまとめに含まれている。
つまりうっかりはてなーさんたちは、自分たちがブックマークしたページすら(おそらくいつもと同じように)確認していないということだ。
今回「嘘松」扱いされているimuno氏がメンションを飛ばしている相手のTwitter ID「akiru4」で検索すると、現在はTwitterアカウントは存在しないものの、過去に存在したTwitterアカウントの痕跡がTogetterや当時のフォロワーのツイートから確認できる。
to:akiru4 - Twitter検索 / Twitter
https://twitter.com/search?q=to%3Aakiru4&src=typed_query&f=live
"akiru4" site:togetter.com - Google 検索
https://www.google.com/search?q=%22akiru4%22+site%3Atogetter.com
こんなリプライとか。
FujiyamaさんはTwitterを使っています: 「@AkiRu4 てんかんの精査なーん?」 / Twitter https://twitter.com/chan8ji/status/453023546688557056
そしてWebの残骸からこういうのも発掘できた。このページはもうページが存在せずアクセスできなくなっていたが、Googleにキャッシュが残っていたのをarchive.todayに魚拓ロンダリングした上で引用している。
@AkiRu4
3ヶ月ぶりにてんかん発作。最寄駅ホームにて。いままでの中でかなり小規模な発作で自分としては全然大丈夫だったのに痙攣したから救急車呼ばれちったよー(´;Д;`)呼ばれたもんは仕方ないから大人しく救急車乗れ到着を待ちましたけども、自力で帰れるっつってんのに信用してもらえなかった。続
@AkiRu4
@AkiRu4 救急隊員の方も仕事しなきゃならんし責任があるのはわかるけども、そーゆーこっちゃなくて、今回の救急隊員の方はなんか過去にお世話になったどの救急隊員の方々よりも威圧的で「病院行くでしょ?」て強制的で。文章では書き表せられないけどとても嫌な感じでした。ムカムカ。続
@AkiRu4
@AkiRu4 だいたい救急隊員のくせに『てんかん』て言って話が通じなかったのも初めて。どんだけ有名な病気だと思ってんだ。一般人はともかく救急隊員が知らんってどーゆーこっちゃ。救急車はタダかもだけど、病院に行ったらお金がかかるんです!「強制はできないけど」とか言いつつ半強制的。続
@AkiRu4
@AkiRu4 「電車のホームで発作は線路に落ちたりするかもしれないし、危険なの、わかるかな?発作の前兆とかあるの?薬は飲んでる?」→薬はちゃんと飲んでます!前兆感じたから電車降りてすぐ線路から離れてホームの1番奥まで逃げてゆっくりしゃがみこんで、そこから痙攣発作開始しました!続
@AkiRu4
@AkiRu4 え、なんなの?電車乗るなってこと?気をつけようにも気をつけてたって発作くる時はきちゃうんだよ!だからせめてもの…で、ホーム奥に避難したんだよ!それでも攻めて攻めて攻めてきて…。こちとら酒も飲んでないし車の運転もしてないし!これ以上、なにを気をつけろって?続
@AkiRu4
@AkiRu4 家で起こす発作のほうがよっぽど重いわってくらい今回の発作は軽いんです!駅員さんが駆けつけた時点で痙攣は止まり始めてたし、意識落ちなかったし、すぐに状態起こせたし、呂律も回って状況説明できたし、、無理をしないために大人しくしてただけですぐに立てるくらいに!!続
@AkiRu4
@AkiRu4 ひどい発作の後は長時間の痙攣のせいで全身疲労しきって頭も痛く重くなってその場がたとえ外のアスファルトの上だろうとそのまま眠ってしまいたくなるけど、今日はむしろいま、目が覚めまくって冴えきってるくらい元気なのに!親が迎えに来るって言っても「病院に迎え?」って!続
@AkiRu4
@AkiRu4 どうしても病院に運びたくて仕方がないご様子でしたけど、わたしよりもっと困ってる人が救急車を必要としてるかもしれないじゃない!倒れたわたしが悪いですけども、病人の優先順位をきちんと見極められない救急隊員ってどうなの?歩ける人間をタンカーに乗せようとする救急隊員!続
@AkiRu4
@AkiRu4 やっぱりなによりも一番むしゃくしゃしてるのは、いろいろ言われた注意事項。まるで酔っ払いへの注意だった。てんかん発作だっつってんだろ!!!お薬手帳も見せた!薬の現物も!かかりつけの病院名も答えた!なのに信用性のなさ!!疑いの眼差し!!屈辱!!これ以上どうしろと!?
これをみてもてんかん持ちであるTwitterユーザーのakiru4氏が存在していたことは明らかである。
そしてなんといっても極め付きは、「akiru4」で検索すると、「てんかん持ち」を自ら明かしていて同一人物と思われるAmebaブログまで引っかかるのだ(個人情報が含まれている内容のためここではリンクしない)。
こんなに簡単にGoogleをポチポチするだけで疑問は解決するのに、はてなブックマーカーときたらそれすらせずに「嘘松!!!キャッキャキャ」とやっているのだ。
何も調べず、何も読まず、何も聞かない。気に入らない相手はきっと嘘吐きで、自分だけは虚実を判定できる賢人である。インターネットをやりすぎてそう思いこむようになったおっさんとおばさんの成れの果て。それがはてなブックマーカーである。
・被ってても許して
inflict 〔相手にとって嫌なこと・苦痛になることを〕与える、負わせる テロ行為などで使われる
sleuth 捜索する探索する
intrigue 興味を引き付ける 形容詞的に使うときは intrigued 興味を持つinterestがinterstingになるのと似てるけど違う
attrition 〔攻撃による〕消耗、疲弊 人員損耗 死亡などによる人員減
thrive がんばって目標を達成する、目標に向かって前進する
amassment 集結、集積、蓄積
fierce 〔戦いなどが〕猛烈な、激しい
go to hell in a handbasket あっという間に破滅・荒廃する
reconnaissance 偵察する
disputed 争点となっている、紛争中の、真贋問題となっている > フェイクnews関連に
quiescent 静止している、不活発な
shvantz
en masse 一挙に大挙して
implode explodeの反対
embargo 禁輸措置、禁輸、輸出入の禁止、通商禁止 元増田のリストにないか確認してしまった
oust 追放する、失脚させる プーチンが〇〇官をoustした
obnoxious 気に障る
tacit 暗黙の
curb 歩道の縁石 動詞では有害事象の増大・拡散などに歯止めをかける
need thoughts and prayers ご愁傷さま|転じて 木で鼻を括ったような投げやりなニュアンスも
boggle 唖然とする
barrage 集中砲火、一斉射撃、つるべ打ち
deadeye 射撃の名手
astern 〔船・航空機の〕後方へ / 後ろへ進む
purportedly うわさによれば| 真偽不明の情報が飛び交ってますね
grim ぞっとする
obliterate 跡形もなく全滅させる、完全に撃破する
accusation 告訴 ・・・普通の単語ですかそうですか
faction 派閥
point-blank range 銃口を真っすぐ向ければ標的に命中する(重力の影響などの補正が不要な)距離。転じて非常に近距離 自走砲などは山なり(放物線)で命中させるので、それとの対比
admonishment 警告
mutiny 上官に対する反乱/上官に対して反抗する
bemoan 嘆く
pontificate 尊大にふるまう
lucrative 儲かる
subjugate 隷属させる 古代ローマで征服した敵に無力であることを知らしめるために、槍門(yoke of spears)をくぐらせたことから。
remorseless 無慈悲な、無情な
ruthless 無慈悲な
wither 〔植物が〕しおれる、枯れる 〔感情などが〕弱まる、薄れる
ramification of the war 戦争により発生した/もたらされた問題
ramification 〔事態をさらに複雑にする〕予期しない影響
dodge 〔一撃を身をかわして〕素早くよける ドッジボールのドッジ
affluent 潤沢な
wherewithal 〔目的を達成するために〕必要な資源(財源・実物)
embolden つけあがらせる
tribunal 裁決機関
abstain 棄権する
conscript 徴集(された兵)
devote つぎ込む
condolence 哀悼の辞
utterly 非常に悪いことや非常に強い感情などを強調するために用いられる。
intimidate 脅しで強要する
disgrace 不名誉
stipulate 条項として約束する、取り決める (確かに保証する)
tenable 批判に耐えうる (科学理論で使いそうですね)
detainee detainされた人 抑留者
dismantle 取り壊す 解体する
tamp down 鎮圧する
bonkers 狂気の
chutzpah 厚かましさ、ずうずうしさ
bunkum ばかげた話、支離滅裂な話、でたらめ
yobbery チンピラっぽい行為 (Zラクガキしたり洗濯機を盗んだりとか…
knave 信用できない悪党
racketeering ゆすり、たかり