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2022-10-09

人魚姫』は何の物語か?

もちろん、海の妖怪人間王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊人間騎士との恋愛物語を描いた先行作品存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。

フーケの作品ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公人魚姫人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである

この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写元ネタと考えられているものの一つに、アイルランド海浜に近い場所存在する某村に関する民間伝承がある。

周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである

この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーン歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてからセイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。

日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。

ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間人面タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたもの付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れ現場発見されたことも有るようである

してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である

さて、アイルランドの某村に関する民間伝承比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代南町奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。

「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら

根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称であるしかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。

岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?

菅原道真家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏菅原氏との関わりが存在するということである

この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈採掘にも関連・発展したことであろう。

鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土採掘金属採掘精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパ河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである

山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパ親分であったであろう土師氏菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか

ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しか角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属精錬象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属職能に携わる部民」であろうと考えられる。

脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏菅原氏という職能集団的氏族カッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである

本筋に戻ると、アイルランド海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。

上で粘土採掘金属採掘精錬を行う職能集団カッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部から理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカ伝統的な音楽歌唱職能グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せ気持ちにしたり、戦の前に闘争心鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬差別心理アンビバレントに同居している。

日本人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。

西洋人日本渡来するようになると、剥製ミイラ製造技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパ人魚ミイラ製造されたことは、現在日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚形態傾向が、人面タイプや四脚タイプから現代人にも親しみのある上半身人間下半身タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触果たしていた中国を通じて、もっと早い時代ミイラ製造技術日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚イメージも一緒に、早期から日本流入したという可能性は無いのだろうか。大陸西洋から人魚伝承流入によって、前触れ予言というイメージ形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。

まだまだ考察すべきことは多く残る。

人頭獣身の妖怪しかも不吉の前兆予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実世界と、非日常・非現実世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れ予言なのであろう。

また古来、予言神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠出産可能であることから男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実日常世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたかであるセイレーン人魚に限らず妖怪怪物たち(例えば、エデンの園アダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教キリスト教仏教などが地位確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬差別というアンビバレント感情が反映された名残であろう。

最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクト悲劇物語とは言えるのかもしれない。

乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。

2022-10-04

並びたくない

バス停で、5人くらいが待っていた。男の子を連れたお母さんや、ご老人や、仕事帰りのおじさん。このご時世なので、みんなずいぶん距離をとって、ガードレール沿いにだいぶスカスカした行列を作っていた。

普通に考えれば、同じくバス待ちのお客さんとしてやってきたわ自分はその行列最後に並ぶべきなんだけど、どうしてもその列の一員になりたくなくて、わたしは一歩離れたお店の軒下でその行列を眺めていた。

眺めながら待っているうちにもバス待ち客は続々とやってきて結局行列10人を超えたと思う。

バスがやってきて、並んだお客さんがぞろぞろと乗り込んで、あとふたり、くらいになってやっとわたしは列の最後に並んでバスに乗った。

到着順なら6番目だったのが11番目になろうと、そのせいでバスの中で座席にあぶれても、そんなことよりあの『並んだお客さんのうちのひとり』になるのが、どうしても気持ち悪くていやなのだ。並んだお客さんの一人になって、わたしの後ろにしらないお客さんが5人もぞろぞろ並んで、並んでみんなでバスを待って、それがものすごく気持ち悪くて嫌なのだ

なんでわたしはこんなに集団の一員になるのが嫌なんだろうなあ。

わたし以外はみんなちゃんと並んでいたので、少なくとも(並びたくないなあ)って思う派は10%以下なんだな。

みんな、なんで平気なんだろうな。

幼稚園の頃から、お遊戯でみんなでおんなじ動きをするのが気持ち悪くて仕方なかったし、学生時代は何十人もいる教室の全員が黒板に向かって座っているのが気持ち悪くて仕方がなかったから、せめて集団が視界に入らないように、いつも最前列に座っていた。

自分が少数派……というかもはや異端であることは知識として理解しているんだけど、たまに実例を目の当たりにすると、なんでわたしだけこれがこんなに嫌なんだろうって不思議だ。

なお弁解しておくと、20時近くの閑散とした駅前バス乗り場だから並ばないで遠くで眺めてたのであって、自分も並ばなきゃ迷惑になるような時はちゃんと並びます

でも、並ばなくていいなら並びたくないし、混じりたくない。

気持ち悪いなあ。

まあ、人間行列気持ち悪がってるわたしが、一番気持ち悪いんだろうけどさ

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-24

麻雀廃人だった俺がポーカー(テキサスホールデム)を半年ガチってみた結果

麻雀面白さがよく分かった。

ポーカーダメなのではなく麻雀という遊戯面白さが異常なんだと思う。

2022-09-19

真崎杏子は何故幼馴染の武藤遊戯ではなく、アテムを好きになったのか

初代遊戯王読者なら真崎杏子遊戯アテム三角関係は皆様御存知だろう。

漏れなく真崎杏子14歳腐女子から嫌われている。理由は「アテム遊戯のどちらも好きだから」と言う理由だ。

しかし少し待ってほしい。確かに正しいのだが、前提が抜けている。

遊戯杏子は幼馴染」と言う事実だ。しかも、連載当初の遊戯は「友達が欲しい」「杏子はいいやつ」と言っており、完全に友達としてカウントされていない。

一方杏子遊戯を守り常に気にかけていた存在だ。絶対杏子は大切な友達から守っていただろう。完全に心の距離がある。

対してアテムはどうだろう?最初から守ってくれたし友達として接してくれた。どっちを好きになるかは明白だ。

しかし、アテムに釣られて遊戯杏子友達として接するようになったら…?

ここまで言えば二人を好きになり揺れ動く気持ちもわかるだろう。

まぁしか安心してほしい。アテムは復活しないし、そもそもアテム恋愛に関しては興味がない。生存ルートがあっても最終的には杏子遊戯の幼馴染組になると思う。

2022-09-03

anond:20220903143253

負けても本気じゃないと真面目に悔しくないぞ

本気じゃないのに負けて悔しいのはマイノリティーの自覚が欲しい

 

からこそ、下記があるんでしょ

2022-08-25

朝の情報番組snsアカウント見たら本放送の切り抜きなのか、アナウンサーと思しき中年男女が子供番組のようにぬいぐるみと児戯のようなダンスをしていた

昔は子供子供向け番組見てただろうに子供向け番組をなくした結果大人が見るニュース番組ぬいぐるみ子供のお遊戯をやるようになったのか

海外ニュース番組でこんなん見たことないよなと思って日本テレビ特殊さに感慨深かったんだが、要は日本テレビってのは大人から子供までみんなが同時に見るものであってみんなが見る以上下の方に合わせなければならず、結果子供のお遊戯アナウンサー中年男女が踊るというのが最適解になったのかもしれない

2022-08-10

宇宙戦艦ヤマト2202が、評判悪いけど観てみたらそんなに悪くなかった

ネタバレ満載だからこれから見る人は注意してね。

で、悪くなかった。

かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。

自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。

というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。

2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである

なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダル波動砲宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。

しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。

なんでお前らの反省地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。

波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?

ヤマトは大ガミラス相手に1艦で戦ってんだぞ。

沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたかOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKたかよ。沈むぞヤマト

まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、

ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手有効攻撃が無い)

2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、

本来これは逆であるはずだ。

波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球木端微塵になりかねない波動砲封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。

波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。

まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。

人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。

だいたい、あの姉妹イスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、

この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである

まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルガミラス二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、

そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。

旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである

イスカンダル自分犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサメッセージ他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったもの理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマト犠牲という図式に収まるわけなのだが、

リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである

というか、イスカンダルガミラス本来異星人であり、地球理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラス地球の戦いを、ガミラス恒久平和を目指してるとか、地球から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球価値観を設定をぶち込んできたのだ。

このガミラス地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。

旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないか大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。

あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔軍歌合唱しながら特攻である戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答であるスタッフバカめと言ってやれ。

あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。

一方、2202はまあ、確かに変な部分もあった。

テレサ位置けが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲かいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、

旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である

旧作で存在した「アンドロメダ征服した帝国首都星一破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。

時間断層かいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ

2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。

ガミラス戦争ガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラス地球側の戦力を読み切っていたからと、相手ヤマト1艦だけだったからであろう。

そもそも地球もガトランティスワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだどこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。

有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。

という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。

山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かにあの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマト諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ

そのせいで、ヤマト諸君感覚と、一般的地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。

そんなこんなで2202はわりと満足できる出来だった。スタッフお疲れ様でした。

2022-07-25

パチプロだけど税金払えって言われすぎて

税理士税務署相談してみたら

税理士は申告出来ないことはないと思うけど、する必要ないしそもそも正確な申告は無理と言われた

税務署ではパチンコパチスロ遊戯なのでお金稼ぎは出来ませんって言われた

お前らさ

金稼いでるやつらになんとかマウント取りたいが為にとりあえず税金税金って言ってるだろ

いい加減そういう妬みやめろよ

恥ずいぞ

2022-07-23

カソリック系の保育園に入ったところから信者生活スタートした

クリスマスにはお遊戯会キリスト誕生の劇をやるんだぜ

ちなみにワイは宿屋の役やった

産気づいたマリっさんにお泊めできませんなホホホって言う役

脇役オブ脇役

でもロバの役とかもいたからな

 

遊戯時間には賛美歌を歌う

漕げよマイケルとか子供が歌うにはヘヴィな歌だろうが

オルガンに合わせてガキどもが賛美歌を歌う

 

食事の前には主の祈り(マタイ福音書6章9~13節)か天使祝詞(アヴェ・マリア祈り)を唱える

保育園の連中は3歳でも両方のお祈りを全員暗唱できた

すごいぜ

今でもこの二つだけは完璧に復唱できる

ただし、翻訳によって細部の言い回しが違うので注意が必要

 

その後、カソリック系の教会根城にするカブスカウトボーイスカウトに入った

アウトドアが好きだったんだな

活動日が日曜日だったんだが、なんと活動前にミサ強制参加させられていた

教会本拠地にする交換条件みたいなもんだったんだろう

その後、うっかり洗礼を受けてしま

実家は曾祖父の代からバリバリ浄土真宗なのに

 

収穫祭の時期やクリスマスには無償ボランティアとして教会を訪れ

教会が預かっているガキどもを喜ばせている

ガキは無邪気でよい

コロナになってからは中止されていたが今年はあるかもしれない

 

お金関連に関してはミサ参加のお月謝(2000円くらい)があるのと

なんかの時(教会の修復工事とかミサの貸し出し聖書更新とか)には募金系のイベントはある

洗礼基本無料だった(慣習としてお礼金みたいなやつは5000円くらい払った。学生割引込)

 

まぁ、最終的には浄土真宗の墓に入るんだろうけどな

2022-07-07

遊戯王の思い出

初めて遊戯王を触ったのは小学生の頃だった。

その時は強いカードが何なのか分からないし、ルール全然知らなかった。

僕が持ってたカードといえば『バーバリアン1号』や『死の4つ星てんとう虫』みたいなノーマルカードばっかりで遊戯海馬が使ってた『ブラックマジシャン』や『青眼の白龍』は持っていなかった。それでも『人喰い虫』や『寄生虫パラサイト』みたいにキラキラ光ってるカードを当てた時は嬉しかった。

当時、自分からせがんたのかそれともお父さんが見つけてきてくれたのか忘れてしまったが、ストラクチャーデッキが2つ入った『EX-R』を買ってくれた。

そのデッキには『ブラックマジシャン』や『青眼の白龍』も入っていたのだが、僕が一番カッコいいと思ったのは『クロスソウル』だった。

どうしてかっていうと光り方が当時の自分が初めて見たシークレットレア仕様キラキラと光っていたこと、海馬がこのカードを使っていたことを覚えていたからだ。

でもデュエルする相手もいなかったし、当時の僕はルールも分からなかったからしばらくすると遊戯王以外のカードゲーム遊んだり、ゲームを遊んでいたのでしばらくは遊戯王から離れていた。

もう一度遊戯王カードで遊び始めたのは高校生の頃、友達みんなと夢中になって遊んだことを覚えている。きっかけは何だったのか全然覚えてない、でも周りの友達が一人、また一人と遊戯王にハマっていき、気づいたらクラス友達で固まって遊ぶようになってた。

学校帰りに少ないお小遣いで新しいパックを買ったり、週末は僕の家に集まって何時間デュエルして遊んだ。新しいパックに入ってる強いカード情報が出るとこのデッキは俺が組む!とかこのカード効果おかしいだろって教室で騒いでた。

本当に色んなことがあった。

スーパーで1台しかないデュエルターミナルに友達と一緒にしがみついてようやく目当てのカード氷結界の龍 トリシューラ』が当たった時は本当に嬉しかった。友達のスキド次元ボコボコに負けたり、テキスト勘違いして『パイナップル爆弾』を使うと全てのモンスター破壊されるデュエルを観戦して笑ったり、アニメで遊星がイリアステルと戦ってる時はバイクと合体してるってゲラゲラ笑ってた。遊戯王wiki自分カードを睨めっこしながらどんなデッキを作るか悩んだりした。カードショップストレージコーナーに何時間も張り付いて目当てのカードを探したり、流行ってたゲームスリーブデッキにつけて自慢したり、VJUMPの特典カード目当てに色んな本屋梯子したりした。思い返せばあの頃の遊戯王に関わる全てのことが僕の、僕たちの青春だった。

当時の友達とは全員ではないけれど今でも連絡を取っている。お互いに遊戯王は遊ぶことはほとんどなくなってしまったけど、あの頃の思い出をよく語りながら通話したり、気まぐれで買ったパックのカードを見せたりしている。通話で話すたび、何回同じ話をしてるんだろうって思うこともあるけれどそれだけ僕らにとって楽しかったんだと思う。いくつになっても楽しかった思い出は色褪せない、それが僕にとって遊戯王に関わる高校時代の思い出だった。

この文章をここまで読んでくれた人の中にはきっと遊戯王の思い出がある人がいると思う。それをTwitterでもLINEでもどこでもいいから書いて、昔の友達と話して『遊戯王』って楽しかったなって気持ちになってくれたら嬉しいです。

ありがとうございました、高橋先生

遊戯王上品に呼ぶと「お遊戯王

遊戯時間にキレッキレのダンス披露しちまう感じ。

当然アルゴリズムたいそうも朝飯前だがアルゴリズムたいそうは2人用なので、お遊戯王の相棒としてお遊戯将軍かお遊戯軍師かお遊戯宰相が求められる(王は2人も要らない)。

2022-07-06

anond:20220621024551

子供産むなんてまともな倫理観があったら無理だろ

子沢山の家を見てみろ親がDQNから

子育てなんかそういう人間がやればいいお遊戯だよ

2022-06-17

勝ち馬券の税金の話

お笑い芸人競馬課税に対して不服申立て記事があった

まず

競馬仕事ではない、収益が想定された労働ではない

繰り返す

競馬仕事ではない、収益が想定された労働ではない

 

頼むからこのフレーズをよく理解咀嚼してから以下を読め

博打倫理をどうこう説教するつもりはない

そんなことは個人勝手

 

で、競馬そもそも博打ではない。賭け事ではない

繰り返す

競馬博打ではない

 

勝馬投票券なの

どの馬が勝つか当てっこする遊び

遊び、お遊戯

遊園地でメリゴーランドに乗るには乗り物券を買わなきゃならない。

乗って楽しめばそれで終わり。

競馬も同じでそもそも賭け事ですらない、人気投票参加料

人気投票したら終わり、その時点で終わってるの、金をドブに捨てただけ

おみくじと同じ

無意味

自分の予想と一致したら楽しい

そんだけ

的中しても払い戻しなど受ける必要はない

金をドブに捨てたんだからそれで終わり

てっこ券を買っただけ、酔狂

賭け事はイクナイみたいな精神論倫理の話ではないよ

競馬に対する観念根本的に間違えてるって話

賭け事でも労働でもない、キチガイの金捨て

繰り返すが賭け事イクナイの倫理を説いているのではない

法律の筋立てがそうなってるってテクニカルな話です。

 

当たると払い戻しがあるので一見博打のように勘違いしてしまうが。

そもそも寺銭5割の遊びは博打として成立していない

 

クドいが繰り返すが賭け事の善悪を言うてるのではない、

競馬の不誠実を取り上げたいわけではない

競馬とはそもそもお金寄付する仕組みなのだ

 

参加者利益が出ることは想定されてない。

でも儲けている奴がいるじゃないか利益が出てる奴を知ってる。

誤差です、ノイズです。

例外を持ち出しても意味がない。

 

勝ち組に入れるように日々研究し」云々、関係ない、そういう話をしているのではない

 

子供遊園地乗り物に乗った

経費だ、控除しろ

 

おかしいだろ?

遊んで楽しんだ、それで終わり、基礎控除に含まれてる。

 

負け馬券を経費に入れろってのはそういう議論なの

自分勝手に金をドブに捨てて、税金で返せと言うてる

 

勝てずに延々と負けてるやつをどう税処理するんだ?

税務署に負け馬券持っていったら経費控除するんか?

誰も税金わずに済むぞ。

 

勝ったときだけ経費と認めるならそれこそ税の不公平が起きる。

 

で、最初に戻るが、

競馬収益期待できる労働位置づけてるから話がおかしくなってる。

から経費とか言い出す。

 

違う

ドブに捨てた、寄付しただけ

そんなアホなことハナからやらなきゃいいだけなんです。

 

記事中に(テレ朝

「例えば100万円使って、100万円当たったら、税金かかったらおかしいでしょ?」

こういうフレーズがある

彼も競馬労働勘違いしているのだろう。

別の言い方をすればこうなる

「例えば100万円を自らドブに捨てて、帰り道で100万円拾ったら、税金かかったらおかしいでしょ?」

 

いや、かかるでしょ。当たり前でしょ、なにもおかしくない

一時所得の税率で税金がかかる

 

競馬馬券を購入し、当たると払い戻しがあるので一連の行為に見えるが、

購入と払い戻しの間で一旦途切れている。

 

100万円手に入れるための経費の100万円と勘違いしてるが、

ちゃう、入と出は別個の事象なの。

 

だけど最高裁がぁ

事業としてやれば話は別

メリーゴーランドの回転機構活用して臼を取り付けて小麦の製粉をして販売して利益を得たとしよう。

メリーゴーランド動作させるにはのりもの券を買わなきゃならない

これは経費か

どう考えても経費です。

メリーランドに見えるが単なる巨大な石臼にすぎない。

ついでに子供も乗せられるが、本質は石臼

 

同じ舞台装置を使っても税法上の意味は変わる。

 

それでも税務署国税勝ち馬券の直接購入費用は経費として認めるようだが

俺に言わせればそれだけで大温情だ。

負け馬券も合算通算経費?

馬券購入は仕事じゃねぇんだから

 

なぁにが「競馬界の歴史を変えたい」だ

2022-05-11

さいきん

ツイッター表現規制反対派のアルファがツイフェミ垢作ってて、

ツイフェミ垢で作家さんを非難していたんだって

じゃ~その逆もあるかもね。

「ひょうげんのじゆう」はカシコのお遊戯場なんかね

くだらね

2022-05-05

ゴールデンカムイよんでて超ひさしぶりにソーラン節おもいだしたわ

日本人でこどものときソーラン節練習して運動会とかお遊戯回とかでお披露したことがないやつはいないいないばあっ!

2022-04-26

最近読んだBL以外の本。

 まずは『長野まゆみ偏愛耽美作品集』より『魔術師』と『昆虫図』を。

 実を言うとあまり得意ではない作家作品(いうて主に食わず嫌いなのだが)が多々収録されているので、買ったはいいが読む気にならず、遅々として読み進まない。長野まゆみ作品ファンなので、頑張って読むけど。買ったし!


魔術師』(谷崎潤一郎

あらすじ

 主人公の「私」は異国の町にいた頃のある夕べ、恋人から公園」に行ってみようと誘われた。その公園とは日本でいうところの浅草六区もっと酷くしたような場所だった。いい歳をした男女達の狂乱する怪しげな公園の最も奥まった所にある城が、恋人目的地。そこでは魔術師見世物をしており、どんな人でも一度観たら病みつきになってしまうのだという。「私」はついノリで城に入ってしまったが……。


増田感想

 中二病が二十歳を過ぎても治らなかった人の好きなやつ……THE大正ロマンって感じの。こういうのあまり詳しくないんだけど、航海技術の発展で新大陸への憧れが強まったりとか、産業革命から社会不安なんかがまざりあって世界的に流行ったのかな。

 まあこういうのに憧れたシーズンが私にもありましたね、という感じ。似たような路線だと、スティーヴン・ミルハウザーの『ナイフ投げ師』と『パラダイスパーク』も私は好き。

 「十二階」という建物に少し言及されているけど、これは「浅草凌雲閣」という建物のこと。明治時代には東京で一番高い建物だったよう。長野まゆみ先生インタビュー記事に、「十二階」という固有名詞は今となっては校正者にすら通じない、と書かれていた。

 選集に入れられた理由魔術師美少年からなのか。面白いオチだった。『春琴抄』ほどクレイジーではなかった。


昆虫図』(久生十蘭

あらすじ

 すごく短い話なので省略。タイトル通り虫がうじゃうじゃする話ということだけ。


増田感想

 えっ、これ「耽美」なの? ……グロいんだが。耽美とは美に耽ることなのであり、常人が忌み嫌うようなものにすら美を見出だす、通人遊戯なのだとすれば、まあ、耽美なのか? 『魔術師』に出てくる浅草六区だって悪所代名詞のように使われているみたいだし。

 気持ち悪いし、とりわけ過激というほどの話でもないのだが、サクサク読めてなんか心に嫌なものを残す。なるほど、「文体魔術師」か……。


長野まゆみ偏愛耽美作品』は今回はここまで。これでやっと半分読んだことになるのか。先はまだまだ長い。うへぇ

カステラカステラ!』(明坂英二 文 齋藤芽生 絵)

概要

 絵本たくさんのふしぎ傑作集』シリーズのうちの一冊。ポルトガルお菓子パン・デ・ロー日本に伝わり、カステラという名の伝統和菓子となるまで。


増田感想

 絵がなかなか渋くて好み。昔の日本の人々の顔が、そこらへんに普通にいそうなリアルさでいい。華美だったり汚らしかったりする着物を着て、髷を結っていても月代を剃っていても、現代日本人と地続きな存在っていうのがよく伝わる。

 そんなに珍しいことは書かれていなかったが、パン・デ・ローの作り方は伝わったのに、パン・デ・ローを焼くには欠かせないオーブンは伝来しなかったというのには、ちょっと驚き。和製フライパンのような鍋に蓋をし、蓋の上に墨を置いて上からから加熱してカステラを焼いていたというの、面白いなあ。何で誰もオーブンを作ろうとしなかったんだろう?


今日はここまで。

2022-04-20

anond:20220420074936

まず「女叩き」の空気コミュニティ(板・スレ)によって差異が大きく、男オタク全体で共有されていた文化ではないというのが大前提である

腐女子叩き」が特に強かったのは少年漫画系の板だが、

それは「決まった連載枠を巡ってサバイバルさせられる」ジャンプのアンケシステムが背景にあり、

そのなかでテニプリリボーンなどの腐女子人気の高い(男にとってはつまらない)漫画が枠を専有していたので、

ジャンプ腐女子に媚びてつまらなくなった」「こんな作品は打ち切って俺たち好みの漫画を載せろ」といった批判が渦巻いたことによる。

ただし、これについては「ジャンプには昔から腐女子がついていてそれがネット可視化されただけ(当時の2chにはその歴史を知らない厨房が多かった)」という指摘が正しいだろう。

ニコニコ動画腐女子叩きコメなどはこの流れを汲んでいると思われるが、

「一人でコメントを連投できる」+「画面がコメントで埋まると実際以上にインパクトがある」というニコニコ特性には注意が必要である

もっと広範な「女叩き」で有名なものとしては2007年頃に流行った「スイーツ(笑)」があるが、

これは「揶揄」にとどまるものであって、腐女子叩きほど切実な反感があったわけではない。

腐女子叩き」と「スイーツ叩き」を繋げて考えるべきではないし、

もちろん2010年代以降のオタ・フェミ対立の遠因とすべきでもないだろう。

はてなに絡めて言えば「無断リンク禁止問題」というものもあった。

リンクを張られるとGoogleに見つかる」からやめてほしいという腐女子

リンク自由に張るべきものだ」とするはてなーが対立した問題である

懐かしい思い出だが、まあ局地的な小競り合いと言うべきだろう。

無断リンクに限らず、こうした「男オタと女オタの小競り合い」は、確かにあちこちで起こっていたと思われる。

そして女オタのコミュニティひとつひとつが小さく閉鎖的であるが故に、男オタからすると「小競り合い程度の話」が、

女オタたちにとっては「我らの穏やかな村を守るために侵略者撃退した大戦争」と認識されている可能性もある。

ただし学級会などは昔から女オタのあいだで行われていた儀式だろう。

男オタから叩かれなくてもカップリングでひたすら内ゲバを繰り広げているのが女オタである

男オタと比べて女オタの「好きなものだけを読みたい」「不快ものは見たくない」という傾向は顕著である

「男オタに叩かれたから」というのはあくまで一因でしか無かったはずだ。

総じて、2000年代に「男オタによる女叩きが定着していた」とするのは極めて限定的な物の見方であるか、

あるいはガラの悪い2ch文化に触れて「私が女だから叩かれたのだ」と勘違いしただけのナイーブ認識である

現在の史上最悪レベルに深まったオタ・フェミ対立と比べれば、2000年代の「腐女子叩き」などお遊戯にすぎなかったと言える。

群盲象を撫でるような過大評価をすべきではない。

2022-04-19

実は現代は○○の歴史上かつてないほど覚えやす環境が揃っている

これに当てはまらないものって存在する?

過去囲碁界隈と比べてもしょうがないよ。現代の他の遊戯競技と比べて優位性があるかどうかを考えなきゃ。

将棋麻雀普通にエンタメとして消費されるのはルール簡単に見えるからじゃなくて、関連団体エンタメとして消費されるために努力しているからでしょうが

そもそも囲碁が難解に見えるのは囲碁界がそういうセルフイメージを作り上げてきたからなんじゃないの。

とはいえ色々おしえてくれてありがとうね。ぷよ碁ではじめて囲碁で何やってるかなんとなくわかったよ。

anond:20220418214932

2022-04-14

anond:20220414155811

ほんとお遊戯ってかんじ。びっくりしたわ。

これは本人達面白いネタ全然面白くなくするのがウリなのかとも思えてきた。

2022-03-30

anond:20220330130022

ブクマついてたし暇なので、コメント返ししますね()

今待ち時間たっぷりゲーム(P2E)やってて暇なので()

体験者が仲裁してくれるのありがたい。

褒められてますかね。必要悪みたいな感じでも嬉しいです。ほんと世の中って、はみ出し者に理解がないので両方の世界体験した身としては、面倒だけど説明責任あるとか感じちゃいますね。こういうところで損するタイプなんだろうとは思いますけど。

雇われるのに向いてない人って何の仕事なら向いてるし食べていけるんだろうな。

私自身でいえば、下働きよりかは、マネージャー系の仕事してた時のほうがやりがいありました。結局それにも理不尽なお客さんとか、使えない上司とか居て、勤務時間もそこまで自由にはならかったです(昼から出勤とかは平気でしたが)けど。あの時のクソ使えない上司が少しでも仕事出来るか、普通以下ぐらいの人格があれば、もう少しその仕事を続けられたかもしれませんね。

なので、自分自身プロジェクトを立ち上げて、(自分にとって)美味しい所だけ頑張って、他は人に投げるって方向で考えてます。それもお金ないとできないんですけどね。結局お金ないと、思うような仕事には就けない……

なんだかんだどこで折り合うかっていう問題なので、一概には言えないと思います。私にとっては苦痛ですが、単純作業で一度覚えたらおしまい仕事を延々するほうが楽って人もいますし。

VRでそういうの出現しつつあるけどフルダイブ型のVR環境で働けないかな。せめて通勤時間ゼロにしたい

何十年先か何百年先かわかりませんが、私もそういう時代がくるのでは? とは思ってます

ベーシックインカム的なのが導入されたら仕事としてすること減るので、ゲーム経験値上げとかマイクラの整地とかでも仕事になるような。そこすらAIに奪われたらどうしようもないですが。(”人間努力しないとどうしようもない”遊戯の分野ってのは頑張って死守して欲しいです。今でも楽しようと思えば幾らでもチートできますけど、そこを守り抜かないと、VRが主流になった世界人間努力意味がなくなっちゃう)

月に30時間???それはほぼニートではなく、ニートだ。

ニートは働きませんよ。これが不思議なことに、数か月働いてないのと、月に数時間でもノルマがあるのとでは全然違うんですよ。

実際のところ、私の場合は、繁忙期以外では月に1~2時間でもギリギリ大丈夫なんですが、月末までひっぱるとノルマ感が出てしまうし、家族感謝もしてるので、思ってるよりも多めに仕事っぽいことをしてます。多い時だと、週に4日*3hとか働いてますから。立派なパートタイマー

周囲の目の問題ってニートではなくニートを取り巻く非ニートの人が作り出してる問題から、それだけでも無くしていければ0コスト社会における幸せの総量は増えそう。

同じこと考えてました。不労所得ある系の人間なんで、世の中の不労所得で生きてる人に対しての目もなんだかなーって思ってます

単に羨ましいならよいのですが、ダメ人間って言ってくる人が多い多い。実際自分努力した結果でない不労所得なんてニートの親のすねかじりと一緒なんですから、まずは不労所得幸運で得てる人に対する当たりも変えてって欲しいです。

ニートって34歳までじゃなかったっけ?

すいません、アラフィフです。50-80問題みたいなのがうちのばあちゃん長生きしたら、50ー100問題になりそう。

環境などに恵まれて働く必要がない人はぜんぜんニートで良いと思うが、この人はがんばってニート状態キープしている感じがして実質働いている精神性になっているのではないか。おっしゃる通り向いていないのでは。

そうなんですよ! すっごく向いてない。だから小銭稼ぎはちょいちょいやるし、家族間の集まりにも顔を出す。

やりたくない仕事ノルマ納期が大嫌いなだけで、やりたくてノルマ納期もない作業なら結構出来るし、昔はスキルもありました。

でもねぇ。安定した給料とか世間体とか考えたら、結局やりたくないかノルマがあるか、納期があるか、勤務時間が決まってる仕事が多い。だから定職に就けない。

まあ、ほぼニート状態で安定させるっていうのが、ノルマ無し納期無し、決まった出社の縛りもない、やりたいわけではないけどそれほどやりたくないわけでもない仕事って感じで捉えてるのかも。実際、どっちにしろばあちゃんはくれるにしても、「(今月もそこそこ頑張ったでしょ)いつもどおりお小遣いちょうだい」のほうが、「(なんにも役に立ってないゴミですが)お小遣いください」より言いやすい。

結局、生きづらさって世間体の部分が大きいね

これもそう。世間一般っていう世間体もそうだけど、小遣いくれるばあちゃんの目も気になってしまう。そこを乗り越えたのが真なるニートさん達なんだろうなと。私はニートになるのが遅すぎたようです。

パチスロを覚えよう。番長0のゼロモードいから始めよう。

ニューパルにモーニング入ってた時代(4号機の終わりのほう)からスロッターですわwww

一時期スロットで食べてたような時期もありましたが、あれは仕事だと思います

2-3万がちょっと節約に感じるくらいのお小遣い(ただし人を雇えるほどではない)、、、ごくり。ばあちゃんが死んで遺産が転がり込んできてからが本番だな。

まあ、5000円って軽く吹っ飛ぶ金額なんで(キャバでもガルバでも呑み屋でも、ギャンブルでも、ギャンブルだともっとか)

それを週に1回分我慢するぐらいの節約法です。お小遣い自体初任給に毛がまあまあ生えた程度ですよ。と、遺産に関してはばあちゃんの次がちょくせつ自分ではないので、あんまり期待はしてません。親類多いし。

自分は親に養ってもらってるのに、子供家族のために働いてる人の可能性を欠片も思い浮かべないのこわい 「会社勤めで働くことに意味なんてない。せいぜい世間体のため。」

親がね~、毒親だったんですよ。両親とも。父親は存命で、今は仲良くしてますが、向こうも罪滅ぼし感感じてるし、こっちもまあ今が良ければ過去は蒸し返すまいという関係性で。養う養われるでも、感謝すべきか、どうかってそこの親子関係に色々依存すると思う。きつく言えば、こっちが、幼少期にどんな苦労をしたこと想像すらできないタイプの人なんでしょうけど、幸せだったんでしょうねと。

あと、家族のためにって我慢してリスクとらず、我慢して、会社のために理不尽のみ込んで我慢して、汗水たらすのが美徳って考える人が多いっぽいですけど、それって、仕事できない人が換金できるのが時間と体力と精神っていう状態なので、美徳にするのはどうかなーって思います。私は、今の世界はそうやって切り売りしなきゃお金にならない世界ですけど、未来全然違うと思います。今の状態が凄く悪いこととして教科書にのるべき。思考停止会社員やってる人はその人の可能性とか能力もそうだし、社会にとっては必要ない作業一杯あるしでまったくの機会損失だと思います

B型作業所に行けば月2万くらいの工賃が貰えて働いているふりもできるよ。

から毎日行くのは無理。

物欲あると無職でいるのきついんだよなあ。物欲無し職無しで平静でいられるのは別の評価軸で評価されるべきだとは思う。

うそう。一度でも労働の対価で物欲満たしたことがあると、働きたくなっちゃうでござるよ。真のニートさんはバイト経験すらないとかだとそうなるのもわかるっちゃわかる。おっしゃってられる、凪の人はほんとに仙人レベルなんだと思います

日本経済は急速に崩壊中なので20年後には日本円が紙屑になる。多くが失業者になるのでニート普通になるが、ゲームどころか食う物無くなるので多くが餓死するだろう。今のうちから準備しておこう

じゃがいも育てなきゃ

私みたいな、ガチに心身が弱い発達障害者って本当にどんな仕事なら可能なのだろう。内職や和裁とかをちびちびやるとかかなぁ…。月2万ほど稼いであとは障害年金障害年金が出なければ生活保護かなぁ

資格があるなら生活保護年金の合わせ技で良いと思いますよ。内職とかも普通に雇われでやるとノルマとか発生して心身に負担がかかるので、生活安定させてからオリジナルで何か作って売るとかがよいとか私なら思っちゃいます。同じ体質かどうかわかりませんが、多分人間にとってノルマとか締め切りって悪い要素でしかないです。私自身は親族が面倒見てくれるので、生活保護には至らないですし、そこまでの診断も受けてないので、とりあえずの公的な援助は受けずにいられてますが、そこを受けないのはもったいないです。多少でも稼げるようになったら、真面目に申告したら生活保護がその分減らされるらしいので、めっちゃモヤモヤしますが、それでも税金節約するのに役立ったとか、無申告でないないするかのメンタルあったら、生活保護的なので安定させてからちょっとずつやりたいことだけをやってく生活が良いと思います。私は、モヤモヤが勝ちそう。

自分の好きに働いて結果残せる様な所が無いなら働くのは向いてないとは言えるか。そもそも星の数ほどある職場に対して自分の適性確かめること自体大分きつい話ではあるが。

当時は若かったんで、好きに働くっていう概念がなかったです。仕事は上からまれたことをするものって思ってたので。

にしても、やりがいがあるないとかが選択できるほうがよいのはもちろんで、今ならクラファンとか集金方法は沢山あるので、裸一貫からでも……ってなるかっていうとそうでもない。

結局信用とか人脈が要る。

理想的世界を作るためには、まだ何十年かそれ以上かかるなーとは思います転職だって、気軽に出来るものではないですからねぇ……。

増田増田なりのポジショニング確立していった感あるな。共感

まさにそうで、よくニュースとかで見るニートさんが、若いうちから世界シャットアウトしたのとは違う経路をたどってしまったんですよね。私はそれで良かったと思ってますが。

からしたら、世間を知らずに若いうちから引きこもった人が、また世間との繋がりを作るきっかけがからない。そこが本ニート似非ニートの違いなのかな、と。

親が長生きしてくれたら本ニートでも何にも不都合ないっちゃないんですけどね。

何に共感してくださったかわかりませんが。

月に30時間て、要するに一日一時間家事するだけってことか。ニートというか家事手伝い? / 経済的に余裕があるならニートでいいよな。家族が死んだ後どうなるか、が問題にはなるだろうが。

家事ではなく、家業手伝いやっております毎日は無理なので、2~4時間をこっち都合で散らしてって感じですねー。

うち(というかこの増田)は、家族が死んでも大丈夫であります

ニートさんは50-80問題あるので、両親が早死にしてしまった場合は、年金受給までの問題が生じますよね。

そういう問題提起しても、多分世間的には、働こうと思えば働けるやつに税金を使うなて感じになってより一層揉めるのでしょう。

id:camellow

親族が十分な額を供給してくれる力のある人なんて少ないぞ。ましてやばあちゃん死んだらどうするんだ?世間体とかじゃなくてちゃんと稼がないと望む暮らしはできない。ニートだけに世間知らずだな。

まれてるのは理解してるって。よくある(?)ニートが使わない方面で毎月10~20万ぐらいは散財してるのも自覚してる。完全ニートだと、せいぜいネット回線あって、MMOの月額料金で済むのかもしれないけど。

そんで、世間知ってるニートからちゃんと将来設計もしてる。ばあちゃんが亡くなったら、ばあちゃんの現所得の半分くらいが入るようになるのですよ。だから日本経済がぐちゃぐちゃにならない限りは未来は安泰。どころか、自由に使えるお金が増える。

ちゃんと稼がないと……はまあ理解できるところはあるけど、稼ぐには不労所得も含むでよいですか? ばあちゃんがうちの一族不労所得が一番で、なんなら月に数十万とかちょろまかされてるレベルなので笑

あれ読んで世間知らずって言葉が出てくるのは意外でした。こういう人のニートからっていう決め付けが色んなところで障壁になったりしてるんだなーって思いました。

ニート元正社員が7割くらいだよ。最初からニートは少ない。それに仕事を探している人もニートとは呼ばない。/世間体のためだと言ってるが、ばあちゃん亡くなっならどうするつもりなんだ?その時その時で考えるの?

これは知りませんでした。ブラック企業でつぶれてニートってのが多いんでしょうか。

私は、仕事探しはしてませんが企業は考えたりもするのでニートではないんでしょうね。

ばあちゃん長生きして欲しいですが、亡くなったらばあちゃん資産相続できるので、問題はないです。

ばあちゃんがそこそこの不労所得あるのを明示できていなかったのはこちらの落ち度です。

id:klaps

他人事から好きにしたらいいけど、会社員として働くことに意味がないなんて、ちっちゃな経験値でよく見切ったようなこと言えるよなあ。何十年働いてても世の中知らなかった可能性ばかりで驚くほどだ。

会社員として働くこと」を、意図的しろ、思ってたことが漏れたにせよ、下方修正したことは認めます

ただ、凄く個人的意見ですけど、会社員の下っ端<会社員でプロジェクトを仕切る人<会社経営する人 みたいな序列は作ってます

かに、私は十年そこらしか働いてないですから

何十年も下っ端で自分能力に見合わない給料でこき使われる人とか、能力以上の給料もらってなんの感謝もしてない人とか、己の能力があれば、もっと稼げるのに固定給と多少のボーナスの追加で甘んじてる方の気持ちはわかりませんけど。

社会経験その他諸々あるので、30代前半ぐらいの経験値は得てますよ。

知らなかった可能性を換金出来てないだけで、あなたは十分に機会損失してますね。

普通はそこで事業立ち上げるとかになると思うんですけど。

私みたいな安定してるニートも、雇用されて固定給で使いつぶされてる会社員も、可能性を広げられてないということにおいては同じく社会にとって最適なポジションに居ないという事なんだと思います

もちろん、本来得られる額以上の給料もらってる人もいるか会社としては安定を供給する組織として、必要ものになってるんだろうと思いますけど。

私は、社畜ってのが凄く嫌いで、知る限りですが大体の人が安定に重きを置いてしまってる現状を憂いています

色んな可能性を知ってなお、会社で勤め上げるほうがプラスって計算できてるんなら何も問題はないのですが。

リスクを取らないっての重視しすぎてる。リスク他人に丸投げ。世の中がリスク取らない人だけになったら日本は終わります

とはいえ自分がなにもそのリスクを……(仮に成功したら凄く大儲けできるにしても)って守りの姿勢もわかります。実際、私も守ってるからニートやってるわけですし🍣

2022-03-18

[] 一時の娯楽に供する物

刑法185条、賭博罪の項で書かれている例外

日本において賭博は(競馬など一部を除き)法的に禁止されている。

ただし飲食物嗜好品、すぐさま消費する物を得るために遊戯を行う場合は、その限りではないらしい。

これを応用(?)して一大ビジネスに押しあげたものとして「三店方式」があるらしいのだが、この話やるなら別記事でやったほうがよさそうか。

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