はてなキーワード: 遊戯とは
元々はストリートチンピラたちの路上遊戯だったのが五輪種目にまでなってるけど、大衆化するまではスラングのすくつだっただろうに。
ウィンタースポーツのXスポーツは金も罹るし、そんなことはなかったんだろうが、バンコールとかスケボーとかの界隈の言葉遣いがどう浄化されていったのかは気になるぜ。
ネットを見ていると、
言っちゃいけないことを言ったんだから当たり前
という人と
という人がいる。
個人的に感じたのは、
言っちゃいけない事を言ったのだから当たり前だなと思う。
今回の件、問題は2つ。
本人は身内ノリでやったとは言ったけど、言い訳にしかならない。
結局の所、自分がどういう場で発言しているか分かっていないという常識の無さが結末を生んだ。
そして、もう一つは自身の後ろにスポンサーがいるのにも関わらず軽率な行動を起こした。
自分の行動で援助者が消えるというのが理解できていないのは、社会人として何を学んでいるんだと。
ゲームをやるだけでは何も学べない。
対戦ゲームで相手と競う前に、オーソドックスなRPGでも良いしアドベンチャーゲームでもやった方が良かった。
要は子供のお遊戯レベルで見られがちなのだ。あくまで『がち』だが。
それだけに踏み込んじゃまずいだろっていう内容を『配信』でやらかすのは愚かな行為にしかならない。
まあ、それが今回の件の結末みたいなものだけど。
(注)
こち亀の本田はバイクに乗ると人格が変わるが二重人格なので適合しない。
ピッコロは神と融合して人格に影響を受けているが、神の人格がもうひとりの人格として表出しないので適合しない。
進藤ヒカルは藤原佐為と人格が交換されることがないので適合しない。
(議論あり)
遊戯と闇遊戯が存在を互いに自覚しあったのはモンスターワールド編。
決闘者の王国編以降、遊戯は闇遊戯のことを「もう一人のボク」、闇遊戯も遊戯のことを「相棒」と呼ぶようになる。
翔は「ミコシサマ」というお守りを手放している時に優が危機に陥ると現れる。
どのような過程で優の人格となったかは一切不明だが、ファンの間では優の死んでしまった方の双子の兄(弟)という説がささやかれている (これは才堂家の習わしについて女子の双子と表記されているだけなので、優自身が男女の双子で生まれていた可能性もある為) 。
優は学校で翔の人格が表れ、同級生への傷害事件を起こし転校を余儀なくされる。
おじの鷹野の家へ向かうため弁天町に着いたところからゲーム本編は始まる。
テンジンとみずきは愛し合っていたが、地獄を裏切った代償としてジュリによって殺害されテンジンの体の中に封印されてしまう。
それからはテンジンとみずきは二心一体となり、「マンダラの笛」によって人格は交換することができるが、片方が表に出ている間はもう片方が体内に封印されてしまうため、愛し合いながらも二人は永遠に会うことが叶わなくなった。
極度な体罰は駄目なのは間違いないけど、拳骨一つすら許さない親ってのは、ちょっと異常だと思ったほうが良いと思うんだけどね。
それを言い聞かせればわかるとか、体罰では何も学ばないとか言っている親がいるわけだけど、そういう親に教えてもらいたいんだけどさ、言葉で身体的な痛みはわかるの?
分かるのならどのくらいの痛みなの?その痛みを経験させてくれない?
それを痛みは恐怖しか与えないとか、偽善ぶいたこと言ってどうするの。
恐怖は与えていいんだよ。だけど、何度も言うけど過剰な体罰は駄目。恐怖の度は超えちゃいけない。
これ、公園の遊戯にも言えるんだけど、遊戯が危ないとか言っている親もおかしいでしょ。
そもそも遊戯で怪我をするなんてのは、子供ならありがちだし、怪我は『痛い思いをしないために注意する』ための学習だよ。
そうやって子供は自分を守る術を覚えるのに、親がその機会を奪ってどうするの。
同時に周りの住民が騒音だなんだと学習する機会を奪ってどうするんだと。
痛みというのは、子供が学習するための一つの勉強方法なんだよ。
痛みを覚えないから人を傷つけることを躊躇わない。そういう子供を作り出してるのは、体罰を極度に反対する親と言葉で優しく言えば理解できるなんて言ってるどこかの教育評論家だよね。
んで、出来上がった子供は叩かれたら即通報して親すら警察に投げるような子供なわけだよね。
もしくは働きもせずに楽して生きようとするニートだったり、そんなん作り出してどうするのかなって話。
ま、これは極論的な例だけどね。
何度も言うけど、『過剰な体罰は許されない』
いい加減、気づいてほしいんだよね。