はてなキーワード: 遊戯とは
https://comic-days.com/episode/4856001361249018766
(*入れ込むってのは競馬用語でウマが畜生特有の脈絡のない興奮で空回りして自滅へ向かっちゃう状態のこと)
その上で、俺この主人公の黒い女の子みたいなのがすげー納得いかんのな。
この子とそれを取り巻くすべての状況が不条理かつ低能過ぎて呆れちゃうというか。
ここまでで何言いたいかピンと来たって人が居たら教えて欲しい。あんたは俺の仲間だ。
まずさあ、
大事件か?NO。
そもそも文化祭のクラスの出し物なんて初期状態では誰もコミットしてないわけじゃん。
頑張りましょうねなんて誰も思ってないし責任もない。
誰もそんなたまたま選ばれた人に期待してないし、と言うことはその人の責任もねーのよ。
やる気なく流したっていいし、凄いビジョンを持って取り組んだっていい。
LINEでボケーっと何の足場も提示せずにアイデア募集しました、そりゃなんもこんわ。
無能なのはいいけど感情的なのはやめて欲しい。意味わからんから。
「クラスの出し物が一定の成果を出せなければ全員死にます」なんていう
マガジンのクソ漫画みたいな状況にあるならまだわかるよキレるの。
みんな自分の命がかかってるのに人任せにするなよ!ってことだよね。
でもそうじゃないじゃん。
そのことで責めてくる奴もいない(もし責められたらLINE見せて「お前もなんもしてへんやろボケェ!」ってキレ返せばいい)。
どういう感情で「実行委員という役割」や「文化祭というイベント」に臨んでるわけ?
「有能な自分がやる以上は何らかの成果を必ず出すのだ」っていう自負があるならそれはいいと思うよ。
そういう自負で取り組んだのに上手く行きませんでした、自分の能力の低さに涙が出ました。
でもこの子ってなんか周りへの恨みみたいなものが見えるじゃん?
いやいやいや、別にクラスメートは文化祭のクラスの出し物にコミットするなんて約束してねえじゃん。
そんな意思表示は一度もしてないわけじゃん。
だから実行委員としてはやるもやらないも自分のコントロールで勝手にやってよって話じゃね?
みんなに合わせて適当に流すのはわかる。
我がこととして主体的に取り組んで失敗して涙もわかる。
でもこの子は変な風に当事者意識は強いのにイベントの行方についてはクラスメートに任せてるんだよね。
でもこういう奴マジでいたよな。
ありもしない責任を捏造して他人を糾弾したがる人間がウザくてたまらん。
実行委員にあるのは(人間にあるのは)自分がやると決めて主体的に取り組んだ時の成功や失敗だけだろ。
実行委員は流すことも出来るしすげー頑張ることも出来る。
だからこの子だけじゃなくて終盤の「いい子になった」描写らしいクラスメートも意味わからん。
黒い子が仮にあんま参加してなかったとして、たぬきちゃんに詫びを入れなきゃいけない理由なんかあるか?
「文化祭のクラスの出し物が成功したらクラスメート全員の口座に100万円ふりこまれます」みたいな
クラス全員、お前も利益を受け取るからにはちゃんと労力分担しろやって感情はわかる。
でもクラスの出し物なんてそうじゃないわけじゃん。
やった人間がまあなんか達成感とか良かったねっていう思い出とかの報酬を受け取るだけ。
どっちも自由であって、どっちかがどっかに怒るとか恨むとか詫びるとかマジで意味がわからん。
黒い子が反省すべき点があるとしたら
LINEで「アイデア募集ー!」ってのは到底コミットが集まるようなアプローチではねーよなとか
やりたそうなやつに目を付けて直で話しに行って折衝すべきだったなとか
全員無理矢理追い込むなら教師を動かして説教させてコミット圧を高める手もあったなとか
そういうことじゃねーの?
俺は学校の出し物のたびに思ってたわ。
ここには感情的にならんといけない要素なんかどこにもねーじゃんと。
楽しく自分の裁量でやったりやらなかったり成功したり挫折したりすりゃいいだけじゃんと。
例えば「私はここで結果出すと内申点よくなると睨んでて私の将来のために協力してほしいの!」ってキレるならそれはよくわかるわけ。
おもしれ―女だなってちょっと協力したくもなる。
でも実際はそんなおもしれ―女もいいなくて、ただぼんやりした他人任せの進捗と挫折があるだけで
なんでそこでいちいち感情を持ち込むの?
あの手の出し物で感情的になる女子を見てた時、或いは俺が直で吠えられた時、
「この低能な生物には何をどうしてあげたらいいのかなあ・・・」という感慨しか湧かなかった。
俺はいい奴だから現実的なアイデア出して付き添ったりしたことがある
最初「大喜利」とか言ってたからこいつらスゲーなどんなバカだよと。
世間にキャラを知られたプロの人気芸人がネタを仕込んで台本組んでようやく面白くなるものをお前等がやってどんな勝算が?
しかももちろんネタも出ないしろくに練習する予定もないうえにネタ候補ってのが内輪ネタばっかなの。
それを誰に見せる気なんですかウギャーと。お前等のことなんか何も知らない人達がくるんですよと。
なのに上手く行きそうにないことや狭い友達以外積極的でないことに感情的なの。
んでえーそれは難しいよーつって何で暴発するかわからん感情を刺激しないよーにやめさせて
元から高校生レベルじゃない芸を持ってるやつがいたのでそいつを頼ることにしてそいつ中心の指導で地獄大喜利改めお遊戯発表会くらいにはなって
高校生がみんなで努力した跡は見れるから結構評判が良くてみんな達成感出ましたねーみたいになった。
軌道に乗って以降のクラスには最後までこの漫画みたいな低能丸出しの感情が横溢してた。
いい人とか悪い人とかじゃなくてその低能さと混乱しきった感情を何とかしてくれってずっと思ってた。
最終的にその女子やそいつの友達から「増田くん有難う!」とか言われちゃったんだけど
この低能な生物達とは最後まで疎通が出来なかったなという挫折が俺の手にしたものだった。
俺にとっては自分のミッションとして頑張った結果の挫折っていう満足のいく成果だったからいいんだけど、
自分が一体何に対して感情的になってるのか、一度でいいからきちんと整理してみて欲しいんだけど
一生そういうこともせずにああいう感じに生きていくんだろうな。
世間での評判が高くても、実際やってみると面白くないシナリオばっかり
自分のシナリオのことや、出てくるNPCについてSNSでやたらと発信しているタイプの人が書いたシナリオが特に合わないと分かった
そんなに俺の考えた最強のストーリー上でNPCを活躍させたいなら、小説かノベルゲーにすりゃいいのに
CoC以外のシステムもやるけど、CoC界隈の秘匿性癖エモエモ系の空気に他システムも引っ張られてる気がする
あと、素人が考えたシナリオで、素人同士が演技してるのを見るのが辛くなってきた
TLで「自陣最高!!」「(シナリオ名)って良くって」みたいなの見ると、こちら側との温度差で風邪ひきそう
時々は心に残るセッションもあるけど、ハズレの方が圧倒的に多い
プロが作ったコンシューマーゲームで遊ぶ方が安定して楽しい
自分のペースでできるし、嫌になったらやめられるし
TRPGって、生きている人間と話したり交流したりするのが好きな人向けの遊戯なんだよなあ
みんな、ゲームの面白さや出来自体は二の次で、結局人と盛り上がりたいだけのような気がする
オタク同士で遊んでると、自分が人間との交流で心のスタミナを消費するタイプの、ガチのコミュ障なの忘れがちになってしまうの良くないな
『ユーザが所有する複数のキャラクタの中から』という部分を「フレンドから借りてくる」ってのがそもそも満たさないという意味(少なくとも自分の手持ちを配置する構成じゃないといけない)
それと、「特定のイベントを発生させる」という中に、(パラメータが変わるだけの)バフまでは含まれないんじゃないか、ということ。
【請求項1】
ユーザが所有する複数のキャラクタの中からユーザによって選択された少なくとも1つのキャラクタを、イベント発生用の第1キャラクタとして設定する設定手段と、
前記設定手段によって設定された前記第1キャラクタまたは複数の前記第1キャラクタの組み合わせに応じた特定のイベントをゲーム中に発生させるイベント管理手段と、を備えているゲーム管理装置。
また、「発明が解決する課題」には以下のように書かれています。
通常、ゲーム中に発生するイベントとしては、複数の様々なイベントが予め用意されている。しかしながら、ゲーム中に発生するイベントは固定化されているため、ユーザが何度もゲームを遊戯するうちに、同じイベントの発生が繰り替えされ、ゲームに飽きてしまうこともある。
本発明は、上記の事情に鑑みてなされたものであり、その目的は、ユーザが飽きずに繰り返し遊戯できる興趣性の高いゲームを提供することである。
なんか金儲け優先で厄介払いされてるように思ってるようだけど、単純にその子自身と他の子の安全や成長や幸福度を考えると受け入れ側としては誰でもそういう判断になるというだけのことだと思うよ。保育園が預かっているのがあなたのその子だけならなんとでもなるけど、他の子もたくさんいるのよ。
うちの子の行っていた保育園にも発達障害の子が1人いたけど、保育園はその子専用に1人保育士を付けてたよ。保育士2人で回すクラスだけど、1人追加して3人体制。
発達障害児が1人いると、じっとしていなければいけない場面で歩き回ったりするから他の子への躾の指導と矛盾したりして説明が難しくなったりする。いさかいや喧嘩が増える。力加減がおかしいから怪我も増える。集団行動が難しいから散歩が減らさないといけないかもしれない、運動会やお遊戯などに同じように参加できない。専門の保育園があるならそっち行った方が本人も周りの子も幸せなんじゃないかと思うのは普通だと思う。
ただそれでいいのかとも思うよ。周りの子にとっても小さな頃からそう言う子もいるんだと分かって成長した方が、均質な環境で育つよりもいいと思う。でもそれで怪我が増えたり泣くことが増えたりするのはどうかなってのもあるよ。いろいろあるのが人間関係だけど、理不尽な思いをすることはそれほど多くない方がいいと思う。
結局その子は年中までで、年長になる時に転園した。
ショッピングモールの女性用下着売り場を通り過ぎるたびに思うことがある。街ゆく女の子たちのスカートの中は、こんなにもエッチなパンティー姿なのだろうか? 生地が薄くて素肌が透けて見えそうではないか。こんなエッチな下着を上下揃えて着る必要があるのは、せいぜい風俗営業などでプロの女の子だけだろう。アマチュア(?)の女の子にエッチな下着を着用する必要はないはずだ。
一方、男の私は、黒系統の地味な色の厚手のボクサーブリーフを履くことが多い。しかし、男女それぞれの生殖器の機能を考えるならば、逆であるべきだ。すなわち、下腹部を冷やしてはならない女こそが、厚手のボクサーブリーフを履くべきなのだ。それも、生理やおりもので汚れが目立たないように、色は黒系統がいいだろう。それとは逆に、男こそが男性器(睾丸)の冷却のために、通気性の良い薄手のパンティーを履くべきだ。ただし、男が女性用パンティーを履くべきということではない。女の子が胸の形状に合わせてブラジャーを付けるように、男も男性器の形状に合わせたパンティーを履くべきだ。
かつての日本(昭和初期以前?)では女性はブラジャーを着用せず、和装に合うように胸を押さえつける下着を着用していた。胸の形を自然なままで維持することも、胸をセックスアピールに用いることも、していなかったのだ。しかし、ブラジャーの輸入によって、女性の胸の価値観が変化したことは語るまでもないだろう。それに対して、男性器を覆う衣服はどうだろうか? ふんどしはブリーフに代わり、袴はズボンに代わり、男性器は内側へ押し込んで隠すように変化している。女性の胸が形を維持し強調しアピールにも用いられてきたのとは逆の変化だ。これにより、陰茎の成長を妨げたり陰嚢の放熱を妨げて精子量が減少したりと、男性器に対するデメリットが大きくなったことは言うまでもないことだ。
紡績と縫製の技術が進歩してきたのだから、男性用下着もブラジャーのように進化するべきだったのだ。具体的には、男性器を収納するスペースを専用に確保すべきだ。この『はてな匿名ダイアリー』の場なら、『ちんカップ』・『玉カップ』という言葉を用いれば説明は容易だ。『玉袋ゆたか』のプロフィール欄にて、身長や体重などと共に併記されていた属性である。ブラジャーが胸囲(アンダーバスト)だけでなくカップ数で細かく分かれるように、男性用下着も『ちんカップ』・『玉カップ』で細かく分類されるべきだ。男性器の収納方法は、ビガーパンツのように、陰茎と陰嚢を分けて収納できるようにセパレート構造が望ましい。陰茎を覆う生地の先端部分に穴が空いており、そこから亀頭を露出できるので排尿も容易だ。
話が長くなってしまったが、端的に言えば、男の子は薄手の生地のパンティーを履き、その男性器部分は陰茎と陰嚢のそれぞれを独立に収納して、男性器の形状を押さえることなくできるだけそのままの形を維持すべきということだ。昔は伸縮性のある生地など存在しなかったが今は伸縮性のある化学繊維があるので、陰茎の勃起にも生地が伸縮して対処できることだろう。もちろん、通気性のためにズボンではなくスカートを履くべきだ。
私が理想とする世界では、男の子はスカートを履いているのだ。そして、スカートをめくると薄手の生地のパンティーが臀部をぴっちりと覆ってその形状をあらわにしているのだ。それだけでなく、陰嚢も陰茎もその形を崩すことなく、そのままの形で薄手の生地に覆われているのだ。外部に生殖器の形が表れない女性でも、薄手のパンティーとミニスカートを履けばエッチになるのは言うまでもないことだろう。生殖器の形が外部に表れる男の子がそんな恰好をしたら、女の子以上にエッチになってしまうのは想像に難くない。そうなれば、男女交際における性の役割は逆転することだろう。すなわち、男が誘惑する側の性で、女が誘惑される側の性だ。生理周期のある女性と違って男性は24時間365日発情期なので、女から男を誘うのが、合理的な男女交際や性交渉と言えよう。男性側の問題としては男性の性欲や精液貯蔵量だが、それは陰茎の勃起によって判明できるので、男性が薄手のパンティーを履いて勃起を鮮明にすることにメリットがある。具体的には、女の子が男の子のスカートをめくり、男の子が多少嫌がるそぶりをしていても、勃起をしていればOKということだ。逆に言えば、男の子が性交渉に肯定的な態度をとっていても、勃起していなければNGということでもある。そんな世界においては男の子が異性(女の子)に対して自身の性的価値をどのように認識するのだろうかと、思考実験を試みた。思考実験に用いたシミュレーション内容は、上述した架空の世界での男子中学生同士の会話である。以下に内容を述べる。
男子A(以下、A)「おい、お前。なんでスカートを短くしてるんだよ? 女に媚び売ってんのか?」
男子B(以下、B)「ち…違うよ。最近玉カップが蒸れるから通気性のためだよ」
A「それに体育の着替えの時に見たけど、エロいパンティーも履いてるよな?」
B「履きたくて履いてるわけじゃないのに。ジュニア用のショーツを履きたいけど、サイズが合わないから無いの」
B「そんなわけないよ! いつも女の方から一方的にスカートめくりされて、困ってるのに…」
B「勃起してない! ちんカップも大きいから勃起してると勘違いされるの!」
B「好きで、デカちんやってるわけないのに。サイズの合うショーツはなかなか売ってないし、日中うっかり勃起したら目立つし、いいことなんてないよ」
A「やっぱり勃起してんじゃねーかよ!」
B「そっ…それは生理現象だから仕方ないでしょ! でも、クラスの女子相手に勃起するわけないでしょ。クラスの女子なんてまだ幼稚だし。女子から下半身をじろじろと見つめられるたびに、キモさでちんぽが縮こまるよ」
うむ、なんというエッチな世界だ。このまま男子Aと男子Bの組んず解れつのミニスカ・キャットファイトを書いてみたい欲求もあるが、本題とは外れるのでこの辺にしておこう。ちなみにシミュレーションの対象に男子中学生を選んだのは性的成長を強調するためであり、私の趣味とはあまり関係がない。なんなら、ビール腹のおじさん同士の方が『はてな匿名ダイアリー』の場においては受けが良さそうなので、興味のある人は人物設定など属性を変えてシミュレーションすべきだろう。
しかしながら、現実の世界は、なぜ私が理想とした世界とは異なるのだろうか。具体的にいうなれば、なぜ男の子は機能性も装飾性も低い下着を今もなお履き続けているのだろうか。おそらくだが、男の子が女の子以上にエッチな文明は過去にあったかもしれないが、現在は滅びてしまったのだろう。
文明はなぜ滅びるのか。文明の黎明期においては自然環境の影響が大きかっただろう。自然災害や悪天候がそのまま食糧生産に直結するからだ。では、食糧供給が安定した状況では、文明や国家はどのようにして滅びるのだろうか。戦争や革命による文明や国家の打破が考えられるが、その根底にあるのは資源・経済・科学技術・文化など様々な要素から成る組織力の優劣である。中国(チャイナ)地方は、広大で肥沃な土地がもたらす豊富な資源によって、王朝を何度も変えながらも長年にわたって皇帝が国家を支配していた。しかし、アヘンによって王朝は途絶えてしまった。また、中国由来の娯楽に麻雀があるが、麻雀は『亡国の遊戯』と呼ばれていた。麻雀があまりにも面白くて国民がみな麻雀に熱中してしまい、国力を衰えさせてしまうからだという。中国において麻雀の発祥時期が定かでないのは、麻雀の勃興と権力者による歴史からの抹消を繰り返してきたからだろう。
エッチな男の子も、アヘンや麻雀に匹敵するほどの亡国的な魅力を秘めているのだろう。考えてみてほしい。性欲の絶頂期にある男子中学生が煽情的なミニスカートを履き、その内では男性器の形をそのままに模した薄手のパンティー姿でいるのだ。陰嚢の圧迫や勃起の阻害も無く性的成長した男子中学生を前にして、国家は健全なままでいられるとはとても思えない。経済・科学技術・文化のハッテン発展は妨げられてしまうので、国力が衰えるのは間違いないだろう。男の子のエッチさを抑制して、代わりに国家を発展させたのが人類の英知だったのだ。生地の薄いパンティーをあえて女の子に履かせているのは、文明の存続のために仕方がないことなのだ。
1000円が1万円になっても、次は1万円を10万円にしたいと思うだけで、もうここで終わり、というゴールがない。
逆に1万円が1000円になっても、次やれば取り返せるかもしれないから、負けても終われないし、ひどい時は使ってはいけないお金まで使ってしまう。
ガチャはどうかと言えば、もちろん全キャラ集めて最大まで強化するまで止まれないガチャ中毒も中にはいるだろう。
しかしほとんどの人はイベントごとに好きなキャラ、強いキャラを一体手に入れられれば満足だろう。
適正な金額かまでは知らんがある程度のゲームは大抵天井もあるから、それには非現実的な金額はかからない。
例え全キャラカンスト目指す中毒者であってもいつかは終わりが来る。
また、ガチャに勝ったからといってお金が戻ってくるわけではない以上、ないお金を使う心理的抵抗はギャンブルのそれより多少は高い。
ギャンブルは「勝てば取り返せる」という誘惑があるが、ガチャは勝っても1円も返ってこない。
「勝てる可能性があるだけギャンブルのほうが有意義だ」とのたまう人間がいるが、むしろその可能性こそがギャンブルが人を破滅させる要因になっている。
ゴールが無いわけでは無いが、現実的にはゴールできる可能性は極めて低い。
乱暴に言ってしまえば、彼や彼女が自分とだけプライベートに付き合ってくれることだろう。
しかしホストやキャバ嬢は仕事でやってるし、金で自分を買うような人間、あるいは養分としか思ってないような人間を本気で好きになるようなケースは早々ないだろう。
あったとしてもホストやキャバクラに狂って破滅するような人間はまず対象外だろう。
だからホスト狂いやキャバ狂いはほとんど0%の可能性のためにお金を注ぎ込むことになる。
そもそもガチャなどというと最近生まれたモノのように感じるが、言ってしまえばくじ引きやスクラッチ、カードゲームのパック、ガシャポンなど、類似の遊戯はいくらでもある。
もちろん、それらとガチャとでは注ぎ込む金額、スマホによる課金のしやすさなど無視できない違いもあるが。
また、本来言うまでもない事な気もするが、たかがデータにお金を、という人もたまにいるのだが、
買い切りのゲームだろうがクリエイターの書いた漫画だろうがパソコン上のコンテンツは全部データだ。
現実の絵画もただの絵の具のパターンだし、彫像はただの石だし、人間はただのタンパク質の塊だし、思考は電気信号の集まりだし、地球はただの岩石である。
データであることが何かの否定材料になることはありえず、それでもそのように主張するなら、その人は自分をただの肉塊であると宣言するのと大差がない。
最後に、ガチャになんの咎も無いかというと、別にそんなことはないだろう。
上に書いたように、くじ引きだのガシャポンだのと違って金額や中毒性は問題になりやすいのは否定できない。
ギャンブルそのものではなくともギャンブルに共通する要素はある。
共通点があればそれは同じものであるというのは乱暴すぎるというだけで。
あとはガチャの責任と言っていいのか微妙だが、買い切りのコンテンツの開発をそっちのけて課金させるためのノウハウばかり生産者に注力されるのも困る。
じゃあ何が言いたいのかというと、ガチャはクソだということを主張するためにギャンブルだの水商売だのを適当にイコールで結ぶのは問題の所在を曖昧にしてしまうからやめろ。
あとあれもこれも全部一緒くたにするの、頭の固いお年寄りみたいだよ。
みると通信:愚行権について考えよう【第2回】 | 北九州成年後見センター「みると」
http://www.chiba-shakyo.jp/sc/shiryo-sitsu/
Aさん(男性・50代)は、アルコール依存症があり生活保護を受けて生活していました。
しかし、父親の死亡で不動産と死亡保険金を相続しました。Aさん自身では手続きができないため、市長申し立てで保佐人が選任されました。
その後も、Aさんはお酒をやめることができません。Aさんは、肝機能低下と精神症状があります。精神科病院へ受診をしていますが、アルコール依存症の治療は適切に行えていません。
また、Aさんはパチンコでの散財が激しく、お酒とパチンコで1ヵ月分の生活費をすぐに使ってしまいます。
保佐人は、「Aさんの財産が維持できなくなる」という思いから、アルコールとギャンブルについてAさんと話し合いをし、何度もやめる約束をしました。
しかし、約束を守ることができずに経過しています。Aさんには相談できる親族はいません。
「本人の断酒の気持ちが表出しないとアルコール依存症の治療は進まない」「やめようと思ってもAさん自身ではコントロール出来ない状態である」との説明を受けました。
また、日頃から関わってくれている民生委員にも状況を尋ねました。
「お酒を飲み、近隣住民と時々トラブルになることがある」とのことです。
これらのアドバイスや情報を基に、「アルコールをやめてほしい」という関わりから「健康と生活面が心配だからアルコールのことを一緒に考えていこう」という関わりへスタンスを切り替えました。
Aさん自身からこのことを主治医、民生委員にも伝え、見守りを継続してもらうことにしました。
一方で、主治医には地域での様子について報告をし、病気による判断能力の低下について(後見類型への変更や入院治療を視野に入れた)観察をしていただくようにお願いをしました。
次に、「財産」について今後の見通しをAさんと話し合いました。
「ギャンブルをしないように」という内容ではなく、Aさんの気持ちを配慮し、「適度な楽しみ方」について一緒に検討をしました。
具体的には、2週間で遊戯できる金額を決め、予定どおり進まなくなった場合は連絡してもらうルールとしました。
すぐに出来なくても大丈夫であることを告げ、継続して考えていくことにしました。
パチンコ屋、競馬場、その他様々にギャンブルはあるが、あれらは結局のところ客同士でのお金の取り合いに過ぎない。
客同士で直接お金のやり取りをするのはあまりにも生々しいから、胴元が客からお金を預かり、手数料をさっ引いて「勝った」とされる客に支払う。そういう仕組みだ。
実感は湧かないかも知れないが、賭場にいる人間たちはお互いの金を食い合いしているのだ。
それを地獄と呼ばずして何というのか。
ほとんどの賭場はここが地獄であるということを気づかせないようにしている。
そもそも胴元が間に入るという仕組みが地獄を隠蔽して、ここは遊戯場だなどと言って実際のところを誤魔化している。
この仕組みを最初に思いついた人間が誰なのか、もはや伝わっていないが、きっとそいつは死んだ後も地獄で胴元をやっていそうな気がする。
さて、この仕組みを考えればギャンブルなんて馬鹿馬鹿し過ぎて遊ぶ気にもなれないはずだ。
でも、それでも賭場に並ぶ人間がいるのだから、みんな意外とこの事実に気がつかないのだろう。
医学部に入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。
僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部に一般枠で合格した。ちなみに僕の家系に医者はおらず、両親は地元の会社員である。
入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分の人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーションで開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIXや鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。
しかし入学後の部活の新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓はセレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。
とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。
そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年からは解剖学、生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元の公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトでお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味らしかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。
つい最近、W君とCBTに向けてiPadでQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部を受験したのかと問い詰めた。W君は、一言「だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。
「親ガチャ」というセンシティブなワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側の人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。
為せば成る、努力は実を結ぶ、と言った陳腐なスローガンを掲げてきた地元の高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。
息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。
そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日も勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。