はてなキーワード: 月並みとは
任天堂の岩田聡氏が亡くなったことを聞き、とある男性のことを思い出した。
初めて出会ったのは、とある武道のクラブで小学校低学年の頃だ。
明るく朗らかで、でも平凡な子供だった気がする。
顔を合わせるのは週に一度だけ。
私は、そのクラブをやめたり、もう一度再開したりを繰り返し、彼もまたそんな感じで、終わったらササッと帰っていたので、それほど多くの言葉は交わしてなかったと思う。
同じ中学になって知ったことだけど、彼は学校の勉強が出来るほうだった。
小学校が別であったため、小学校当時の彼の学校での様子はわからないけれど、親経由でオール5をとったという話は聞いたことがある。
私もまた、そういう小学生によくいる、プチ秀才だったので、ふーんという感想しかなかった。
中学での彼も、明るく裏表のなく、私は彼をとても好いていた。
成績は当初、私のほうがよかった。
月並みのように思えた。
普段も、すこし昔の出来事を綺麗さっぱり忘れるし、文系科目は苦手で、記憶力がいいとはとても思えなかった。
でも、時々、ものすごく難しい数学の問題(私にはそう思えた)を解いたりして、普通とは違うかのように思える一面はあった。
学年が進んでも、彼は明るく裏表のないナイスガイだった。
でも、私だけは彼の異常性を感じていた。
人間関係における策略性のなさというべき、人に自分をよく見せようとか、他人を嫉妬するとか、そういう感情の欠如のような感じ。
決して冷たい人間ではない。
むしろ、手品とか、芸のような、みんなを笑わせようという行動はよくしていたけれど、本当にみんなを楽しませようとしか考えてない感じがあった。
クラス会などで、話し合っても答えが出そうもないような時はフラリと帰ってしまう、そういうところがあった。
ある日の授業、どういうわけか、自習になり、コンピュータ室でワープロソフトをいじらされた。
内容は覚えていない。流行ってる歌の歌詞を入力しなさいと言われてたと思う。
当時ベーマガ愛読していた私は退屈していて、その当時覚えたてのアルゴリズムを自分なりに改造して、真っ黒い画面に英単語や記号を並べていた。
幾何学模様が順に描かれていき、消えていく、そんな単純なもの。
その時となりの席だった彼に、なにをしてるのかと聞かれて、ほとんどそのまま答えた。
「ここが変数の宣言で~」「ここからここまでを何回もループさせて~」
映像として動かしたわけではなくて、当時の中学生からみたら、英語のような文字の羅列があるだけに思う、真っ黒な画面で、私はそんな解説をした。
「へー、イコールの記号は数学で使うイコール(右と左が同じ)と意味が違うんだねぇ。」
というようなことを彼が言っていたのを憶えてる。
今でも私だけが知ってる彼の秘密。彼自身も忘れてる彼の秘密だ。
同じ高校に進学して、数学や物理のテストで、彼の才は目立つようになった。
平均点30点代の試験で、1人だけ90点をとってしまったことが彼の名を校内に知らしめた。
でも、私がみる限り、彼は数学にも物理にも興味はなかったようにみえた。
彼の回答は、数学的ではないところがあった。
前提の元に解かれていて、その解が一般解である確認や他に解が存在しないかの確認がされてなかったりする。
目の前の問題を解決することに、答えに辿りくことに興味があるだけで、普遍法則には興味がないのだと思う。
そのことに気がついた時、彼の人の良さの答えがわかった。
目の前の障害をクリアすることにしか興味が無いから、他人を蹴落とそうとか、他人に嫉妬するという感情がないのだ。
問題を解決するためのアイディアを提案しあう話し合いでは強くても、参加者が気持よく賛成できる落とし所を考えるような話し合いでは帰ってしまうのだ。
彼が私に、彼の彼女に「「わかっちゃいるけどやめられない」と言われ、「それわかってないんじゃん」と笑ったら、怒られた」
と愚痴をこぼしたことがある。
私は彼のことが大好きだけど、私が女だったら絶対にこの男とゲットしたいと思うけど、世の中の女の受けは最悪だろうな、と思った。
彼が結婚披露宴に呼ばれたとき、思わず私は彼の結婚相手の女性に
「彼の良さがわかる女性がいて、本当に嬉しい。」
後に彼に、「嫁が私にかけられた言葉をとても喜んでいた」と教えてくれた。
彼自身は、その言葉がなぜ彼女を感動させたかわからず不思議そうに報告してくれた。
私の友人の話はここまで。
リーダーシップとはなんなのかを考える。
リーダーがバラバラの方向を向いた各メンバーの進行方向を、みんなの意思を、前に向ける仕事であるならば、私の大好きな彼は絶対に向かないと思う。
各セクションのメンツや気持ちを考慮して、気持よく「イエス」といえるような空気作り、そんなことは彼に出来ない。
もう中年に足を踏み入れつつある今でも、そんなことが世の中で行われていることすら気付いてない。
みんなの気持ちを調整して、みんなが気持よくイエスといえるような会議の進行は、会社の運営は出来ない。
理詰めで、冷徹に人を切るようなこともしない。
問題の本質を見抜き、凡人が、「これしかない、これが最良」と思える答えのその向こうにある、本当の答えに最速でたどり着く。
各セクションの内情など、わからなくても仕事を割り振りできる。
インプットに対するアウトプットさえわかっていれば、自分が知らない分野のスペシャリストだろうと、外部の組織だろうと、使いこなすことができたのだと思う。
生い立ちや家庭環境、今の仕事環境等々を書かなきゃいけないのかもしれないけど省略したい。環境要因で当てはまるものは無数にあるけど賢明な増田読者は月並みな心当たりのことを察してくれると思うから。あるいは、素人が新書で読みかじった心理学の知識なんて披露するものでもないと思うからだ。
恋愛すると、というか交際すると基本的に疲弊する。並みの疲れではない。仕事の繁忙期以上の疲労が数日置きに到来する。嫌われることの恐怖感が大きすぎて尽くしまくる。相手の一挙一動に意味を見出そうとする。根拠なく浮気を疑うが、根拠がないため1人で悶々とするしかない。SNSの発言を見て、内容の如何に関わらずその後少なくとも半日は落ち込む。たぶん僕の知らない環境に相手が存在していることが嫌でたまらないのだと思う。仕事以外の大半の思考はパートナーについてのことで支配され、ひどいときは仕事にも影響が出る。つまるところめちゃくちゃ依存してしまう。
ド短期を除けばこれまで2人、女性と真剣にお付き合いした。どちらも2年以上3年未満。
1人目はお互いが似た恋愛スタイルだったので、完全に共依存?状態になった。もっと連絡くれとか、寂しいとかお互い言い合って喧嘩ばかりして仲直りにセックスした。先に潰れたのは僕で、口論のストレスが依存状態の快楽を上回って徐々に距離を置いた。就職という転機もあり、このままでは自分の人生立ち行かねえという思考も生まれたため関係を解消した。別れるときも依存状態の只中にあった彼女には申し訳ないことをしたと思うが、私も限界だったので痛み分けみたいなものだとも思っている。
2人目は現在進行形だ。私のことを男性として見ることか出来ないらしい。というか、僕に対して基本的に関心がない。セックスもしないし、スキンシップも能動的にはしてこない。なので恋愛依存の僕はよく拗ねる。
ではなぜ彼女はこんな面倒臭い僕とまだ付き合ってくれているのか?何度か聞いては見たがいまいち要領を得ていない。ただ、相手は別れたくないと言う。別段僕が貢いでいたり何かしてあげているわけではない(結婚向きの安パイというのはあるかも)ので情の類いなのかもしれない。たしかに話は合う。趣味もかなり合う。趣味活動に限らず、ファッションや食べ物その他諸々、物の見方や価値観もかなり近い。話していて飽きない。こういう人は得難いと僕も思う。でも、別に友人でもいいと思う。
あるいは甘える対象なのかもしれない。付き合う前は見せなかった不機嫌や無気力を今はガンガンぶつけてくる。こうなると尽くしたがりの僕はたまらなくなって、その後三日間は思考能力が奪われる。
こういう説明が出来るようになったのも最近だし、自分のメンタルが常人より弱いことに気づいたのも最近のことだ。結局相手を替えても自分が変化しない限り同じことが続くのだと思っている。そして全くゴールは見えない。
http://anond.hatelabo.jp/20150805180031
前編では『アナと雪の女王』をサンプルに、ボールが大きくなっていく現象を学びました。
そうして肥大化が進み、反応の多様性が出尽くしたことを『上限』と教授は言います。
後編では、『反復と反発』のことも詳しく教えていただきましょう。
「では、何度もお願いして恐縮ですが、この肥大化したボールを更に投げ続けてください」
ええっ、またですか!?……えいっ!
(レリゴー♪) (やめろー♪) (レリゴー♪) (やめろー♪)
(鼓膜にこびりつく~♪)
「そう、ボールは『反復』することで更に大きくなります。しかし、それと同時に『反発』も大きくなってくるんです」
(評価されすぎ) (いうほど面白くない) (ピクサーのスネかじりが上手いですね、ネズミだけに)
ふぅむ、なるほど……教授、分かりました!
つまり『反復』に対しての『反発』が大きくなりすぎる境界を、『上限』として定義なされたわけですね。
「そうです。なぜ『反発』が大きくなるかは、見てのとおり。ボールが質量に対して大きくなりすぎている。つまり『上限』を超えているからです」
大きいと、その分色々な場所で目につきやすく、ぶつかりやすくなりますからね。
「ああ、失礼。『がっ!こうぐらし』ですね」
それで、この『上限』とは正確にはどう定めているのでしょうか。
「ですね。月並みな言葉で申し訳ありませんが、現状では『人による』とさせていただきます」
ちなみに、駄作の場合はどのようになるのでしょう。
「ほぼ同じですね。通常に『クソ』とか『最低』とか。反発が起きる場合は『いうほど駄作じゃない』とか『過小評価しすぎ』とか」
なるほど……そろそろ終わりの時間がきてまいりました。
「はい。『現象に善悪はありません。ただ、善悪を求める人間がいるだけです』」
それでは今週はここまで、次回またお会いしましょう。
さよならーっ!
「私の著書『ダウナーな自分語りはなぜウケるのか?』買ってください~。読まなくてもいいですから~」
全てが最高♪ 全てが素敵♪
翼広げて♪ 明日へ飛び立とう♪
それらを1年分プレゼント
ハガキに住所、年齢、番組の感想を明記し、ご覧のあて先までお送りください。
注:この番組はフィクションです。実際の物理現象、物理学に沿った化学考証はしておりません。
犯人の思い通りとかいう発想は思い込み、ノイローゼじゃないかと気軽な第三者は思う
一応、自分も警察沙汰に巻き込まれて、多少のトラウマ引きずってはいるけど、そう客観的に思う
トラウマは逃げても無くならない 向き合う事で早く立ち直れる人の方が多いと思う
逆に陥る人も居るけれど、増田は違うと思う
変えたいと思う気持ちが本物ならば、変えた方が自分の為になることなのだと思う
まずは色々出来ない事に挑戦していく、それを増やして自信をつける、その繰り返ししかないと思う
何年もかかるし、たまに元に戻る事もあるけれど、一歩一歩やるしかない
犯罪被害者の会とか、精神科で同類の集まりあるみたいだけれど、自分は引きずりそうで行かなかった
一応は乗り越えてきた人間がここにいる、頑張れ
取るに足らない雑談だ。
「色々あるけど……安く買い叩く対象が人間。つまり搾取で経営を成り立たせていることかな」
「模範解答。で、そんなもので成り立たせているもんは失敗すべきっちゅう話やな」
僕の丼にも乗せようとしてくれたが、手を振って「いや、いい」という意思を示した。
「更に歪なんは、経営としては失敗やのに、事業としては失敗してへんのよ」
「何でやと思う?」
「何で?……まあ、経営の正しさが、事業の成否とは関係ないってこと?」
「もうちょい狙い撃ちした答えでもええんやけど。まあ、そういうこっちゃ。やったら、事業の成否を何より優先するっちゅうやり方は、企業としては正義なわけや」
「それは……どうなんだろう?」
「やから、歪やっちゅうとんねん。経営として歪やのに、歪やない経営を重んじた企業より上になるという事実が」
「まあ、僕もそう思うけど。事業的に成功している以上、経営に成功していると言うしかない」
僕は手元にあったポットを掴むと、空になった友人の湯飲みへとお茶を注ぎながらそれを聞いた。
「そうや。つまり経営として歪やのに、事実上は認められとんねん」
「認められているって……だったらこんな風に『ブラックやブラックや』と騒がれてないだろ」
友達は沈黙すると、牛飯をかきこむ。僕も牛丼に手をつけ始め、友達が次を答えるのを待つ。
僕自身に答えを言わせたいのだ。
「あっ……分かった」
友達は、租借していた牛飯をゴクリと飲み込むと、箸で丼をチンと鳴らした。
僕はその答えをまだ言葉にしていなかったが、友達は答え合わせをするまでもなく、理解して話を進めた。
「ま、アレやな。まとめとしましては、ブラック企業が歪なんは、人間そのものが歪やからっちゅうことで」
「その無理やりな纏め方やめい」
牛丼を食べ終えて店を後にする。すっかり真夜中になっていた。
友達は「甘いものが欲しい」とコンビニに寄ることを提案し、僕もそれに追従する。
友達がスイーツを選ぶのを待ちながら、僕は雑誌コーナーで立ち読みをしていた。
ふと、そんなことを考えている間に、友達の買い物は終わっていたようだ。
「え、何が?」
「古今東西、社会的弱者の搾取で成り立ってきた歴史があるわけやん。ええか悪いかでいえば、間違いなく悪いけど。日本かて、他国から搾取してたし、してるやん。その恩恵を享受しておいて、何で今さら糾弾するんやろ」
僕が答えようとすると、それを静止するため、袋を持っていない方の手を僕の前に突き出した。
「……あ~、言わんでいい。それ、たぶん言葉にすると結構キツいやつやわ。直視したない」
その後、ふと上を向きながらつぶやく。
「コンビニみたいに便利なものの弊害が取り沙汰される反面、人を殺す車は今でも道路を走って、人を依存させるスマホが普及して。みんな、どう自分の中で必要なものとそうじゃないものの線引きしてるんやろなあ」
「ノーベルはニトロの運搬とか、ダイナマイトが戦争で使われてたくさんの人を死なせてしまった。でも、それはニトロやダイナマイトが悪いわけでも、ノーベルが悪いわけでもない。まあ、彼に責任がないとは言うつもりはないけれど、要は『人による』、『ケースバイケース』ということ」
「便利な言葉やな~。今どき学生でも使うの躊躇うで。そんな月並みなん」
「いいんだって、月並みで。間違ってはいないんだ。便利なのがあれば、使ってしまうのは人間の性だろう」
僕の笑みに友達も追随し、酒も入っていないのに高いテンションで天に両手を突き出し、変なポーズで声を張り上げる。
「せやな。ワシらみたいな一般ピーポーはそれでええんや。何もかんも企業が悪い! 政治が悪いんや! 敵は企業と政治や!」
「ははは、当面はな。つうか、真夜中やから静かにせい」
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。
いつの日だろう、ある休日の昼下がり、1匹の野良猫がうちの庭にやってきた。
頭から尻尾の先まで真っ黒で、おちんちんをぷらぷらさせる野良猫。しかし、やせ細った身体でトテトテと這いよるその骨川筋右衛門は、明らかに衰弱していた。
いろいろ考えた結果、田舎ゆえ周辺に住宅が少ない、そして何より自分がネコ好きということで彼を放っておくことができず、かつお節ご飯と水を与えた。そのガッツキようは今でも覚えている。さながら、ホットドッグを爆食いする小林尊のようであった。
腹をすかしてはフニャアフニャアと鳴き、エサを催促した。食べると満足するのか、うちの庭のど真ん中でドテンと横たわり、お日様の下、完全無防備状態で爆睡する(つついても起きない)。日が傾きはじめる頃、ふと見るとどこかに消えた。しかし次の日には、同じようにフニャアフニャアとやってくる。こちらもいつしか、スーパーで一番安く売られる缶詰を買うようになり、また首輪も買った。同時に、「クロ」といかにもな名前をつけた。
クロは日に日に肥えていった。ぷよぷよした姿は、もう完全にデブ。肥満が問題なのは重々承知だが、「まあ野良猫だし…しかもカワイイし…」という素人考えでエサを与え続けた。また、大きめの木箱に毛布を敷いて寝床をつくってやると、夜はそこで寝るようになった。
いつ頃からか、自分が仕事から帰ってくるとクロが出迎えはじめた。車からおりると、そのでぶでぶした巨体を左右にゴロンゴロンさせながら、お腹をみせつけてくる。ハイハイわかったわかった、と十二分になでたあと家に入ろうとすると、入れさせんとばかりに頭をすり寄せてくる。その一連の姿がなんとも愛らしく、どれだけ仕事で疲れていても、自然と笑みがこぼれた。
クロはよく周囲を冒険をしていた。時に他の猫と喧嘩したのだろう、右頬の肉がえぐれるなど、大怪我を負って帰ってくることもあった。ジュクジュクした傷から出る膿をガーゼで拭いてやり、「負けんなよ、俺も負けねえから」と1人意味不明なことを語りかけては、フニャ、とクロは鳴いた。クロが生活の一部、いや、人生の一部になっていた。そうして数ヶ月がたっていった。
もういっそのこと飼い猫にしようか、と考えていたちょうど5日前、クロがふと姿を見せなくなった。いつもは「クローーッ!」と手をパンパン叩くとドテドテ走り寄ってきたのだが、その気配が全くない。まあ野良猫だし帰ってくるだろう、と自分に言い聞かせながら、当然のことだが我が子を思うように心配で心配でもう仕方なかった。
そして昨日。ちょうど仕事に行く前、家の裏の日陰に横たわるクロを発見した。すぐさまかけ寄ると、フゥフゥフゥと呼吸が荒く、目も半分しか開けていない。ヨダレもたらしている。ずっと横たわっていたためか、体は多くのアリにたかられていた。ふと怒りを感じた自分は、無造作に払い落としたアリを踏みつけて殺し、クロの体をふきながら口元に水をやった。すると最初は横たわった状態でペロペロと水をなめていたクロは、ヨロヨロと自分で立ち上がり、自力で水を飲んだ。大丈夫か?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。これから俺は仕事だけどどこにも行くな?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。そこはかとなく、クロは笑っていたような気がした。
クロを一心に思いながら仕事を終わらせ即帰宅すると、クロはどこにもいなかった。
そして今日の早朝、近所のジイさんがやって来て「おめえんとこのネコだっぺ、オレんちの前で死んでんどや」と教えてくれた。確認するまでもなく、クロだった。
ジイさん曰く、近頃近所では一斉に除草剤をまいているようで、その草でも喰ったせいじゃないか、とのことだった。いずれにせよ、クロは死んだ。
月並みだが、心にポッカリと穴があいてしまった。もう仕事から帰ってきてもゴロンゴロンする姿はない。恥ずかしながら心内を語れる唯一の存在も消えた。
クロの亡骸は火葬してもらい、今はこの眼の前に骨としてある。
言葉では如何様にも語れるし、また避けられないことは自明の理である。しかし、やはり”愛する”存在の”死”は、わかっていても耐えられないよなあ、と。
凄くうれしい。
独りよがりの一人騙りになるだろうが、記念パピコしておく。
小学校で隣の学区だったので、そのまま連絡は途絶えた。
小学校高学年で、仲良いクラスの女子がいたが、彼女がスポーツできる男子を好きなことを聞いて、
なんだかさみしかったのを覚えている。
中学二年のとき、バレー部で隣の席だった女子のことを好きになった。
高校のとき、中学3年の同級生だった子と別々の高校だったが行きが同じなので、途中まで一緒にいってた。
告りに行ったら、向こうから伝えたいということがあると言われて、25歳の彼氏が出来たと聞いた。
大学入ってからも、二人ほどいいなと思ったことがあるが、いずれも良い関わりにはならなかった。
一人は告ったら既に彼氏がいて、一人は言う前になんかフラれた。
その後、就職もしたが、すぐに辞めてバイトなどをしてたり大学院を出たり入ったりしてたら30歳になっていた。
彼女の両親には、いたく気に入られていたけれど、彼女が振り向いてくれることなく、
もう、これが最後だったんだろうなと思って、キモオタ・ブサメン・底辺だし、
恋愛も結婚も縁がなかったのだ、とあきらめた。なんか納得もした。
そして、数年が過ぎた。
僕の仕事ぶりを楽しみながら評価してくれており「わたし、俺さんのファンなんです!」と言ってくれた。
アニメが好きという趣味も同じだった。職場関連で出会ったとはいえ、彼女の住むところは関東以北だ。
大人だから、笑って有難うで済ませるところだったのかもしれない。
でも、わざわざクロネコで送ってきてくれたので、
僕の側の職場で試験があったので、それが終わったら、お付き合いを申し込もうと思った。
どうせ今までフラれて来た身だ。いい友人になれるかもしれない人を失うのは残念だが、
でも、忘れていた可能性に少し賭けてみようと思った。
ちなみに彼女は宮廷院卒で誰もが世話に知っている大手企業関連に勤めている。
一方、僕も一応、宮廷で院卒であるが、駄目人間のせいでド底辺ワープアだ。
年収にすると三倍か四倍くらいは違うかもしれない。
何もかも釣り合わない。無謀だとも思った。
そしたら返信があり「友人から彼女へ昇格ということで」と来た。
嘘みたいだった。
一昨年も去年も、良いことがあった直後に、けっこう大変な目にあった。
例えば、去年は行ってみたかった旅行先に行って、大満足していたら事故った。
今回、こんなに良いことがあったなら死ぬんじゃないかと思って、ちょっとびびっている。
そもそも、スーツと家着用の穴空いた服と近所に買い物にいくためのジャージしか持っていない。
見た目も悪いので、服を選んで買うということをあまりしたことがなかった。
洒落た格好はできないが、せめて、通報されない格好にはなったと思った。
緊張したけど、一緒に歩くのが楽しかった。
誰かと二人でどこかへ行くというのが、こんなに楽しいものだなんて思わなかった。
なんだ、この小さくて可愛い生き物、やべえって思った。
予想していない状況に緊張して、ちょっとパニックになったが、嬉しかった。
帰り際、改札で、手を振って別れようとしたら、思わず手を握ってしまった。
自分の理性を越えて体が動いて驚いた。
何もかもが初めての経験で、いい年齢こいたオッサンが気持ち悪いとは思うが、ドキドキした。
「帰り際、あれはキスするところでしょ、でも、まだそういう感じでもないのかなって思ったからハグした」と言われた。
チューするだなんて発想すらなかった。
自分から手を握っていいものか悩んで、結果、できなかった程度だ。
GWには彼女の住む街へ行くことにした。飛行機と宿を押さえたら、嬉しくなった。
いつか捨てられるかもしれない。不良債権みたいな男だし。
便乗して書いた割にブクマが伸びて恐縮している。インスピレーションを与えてくれた元増田に感謝するとともに、率直な感想を書いてくれたお前らにも感謝したい。元増田のような文才は俺にはないが、その分ミュージシャンから見た、あまり大げさな飾り言葉のない本音を伝えたつもりだ。
「月並みなリストだ、つまらん」という意見もあるだろう。しかしそれだけ定番化したものの完成度の高さというのはバカにできないし、それどころか極めて貴重なものであり、これを無邪気に聞き始めることのメリットのほうが海のものとも山のものとも分からないレア盤を首を傾げながら聞くことよりもずっと価値があると俺は考える。もっと重要なこととして、演奏者から見ても、これらの定番の超一流アーティストたちというのは、他のアーティストよりも表現手法の確立やそれに向けた努力という面で比較にならないほど飛び抜けている。ジャズファンで良くある「そのアーティストなら俺はもう知ってる。もっとレアなのを持ってこい」ていう傲慢な態度にはいつもイライラさせられる。
しかし「こういう説教じみたウンチクがジャズのハードルを上げてる」という意見には正直ハッとした。自分としては演奏者の立場に立って正直に書いたつもりだったからだ。評論家気取りの的外れで抽象的なジャズ批評には俺自身が辟易しているのだが、いざ自分が書いてみるとそういうものと同じカテゴリーで見られるらしいというのは良い発見だった。そのようなハードルを下げるために面白おかしく相手を煙に巻いてわかった気にさせたり、別に分からなくっても大した問題じゃないという態度をとるのは自分にはできない選択だ。きちんと聞けばジャズはとても分かりやすい音楽だからだ。
さて、「アーティスト10人なんて多すぎる、CD3枚にしてくれよ!」という意見はごもっとも。3枚厳選する時間が今ないので、ざっと探してみた感じでこれならとりあえず間違いないんじゃないのかと思うのがあったので紹介しておく。
http://www.amazon.co.jp/Best-Blue-Note-Various-Artists/dp/B004IZBJ3K
これが本当に3,471円なのならお買い得だ。とりあえずこれで100曲繰り返し聞いてみて気持ちよいなと感じる瞬間がたくさんあるならジャズはお前の音楽だ。
追記:前の記事で入れたYouTubeリンクは実は一つ一つかなり厳選した。「あ、とりあえずこのアーティストの動画あるみたいだから貼っとこ」というものではなく、動画の最初のほうでサウンドの特徴が出てるものを選んだり、今すぐ流してBGMにできる名盤を選んだりしている。同業者が見たら「ははあ、なるほどね」と意図を分かってくれるようなものが多いと思う。よかったらそちらも是非活用して欲しい。
元々は化学科の大学を卒業して、ゴム部品製造をしている会社で図面を書いていた。
ある時、設計から管理に移動して、CADのアドインを自前で作るようになり、プログラミングっておもしろいじゃん!と思い
転職を考えるようになったが、そんなアクティブに転職をすすめるようなことはしなかった。
結婚し、子供が生まれ、家を買い、まぁこのまま製造業していくんだろうなと思っていた矢先、会社の経営が傾き希望退職者の募集が始まった。
会社からは残ってほしいと言われたが、千載一遇のチャンスだと思い、割増退職金と無償の就職支援会社斡旋をもって会社を辞めた。
これが2013年の5月(32歳)。
就職支援を得ていくつかのIT企業を紹介され、業界未経験であるにも関わらず前職とほぼ同じ給料で雇ってくれた会社が今の会社で
入社したのが2013年の7月。
この会社は、大手SIerの2次請を主な生業としており、細々と自社パッケージを取り扱う感じの従業員100名前後の会社。
まず驚いたのは、求人票に「残業手当あり」と書いてあったので当然残業代全額支給だと思っていたが
内定書には「裁量労働制適用」とありみなし残業代が毎月10時間分つくだけだということ。
「これがIT業界というやつなのですね!」と、前職の製造業では考えられない条件を簡単に受け入れられたのは今でも不思議。
入社してからおおよそ1年半、携わったのは1人から3人程度の小プロジェクトのみで、官公庁向けシステムの改造がほとんど。
しかも、言語はすべてVB系(6.0、.NEt、VBA)、データベースはアクセスとスーパーマイナーなみたこともないもののみ。
それでも、知らないことを初めてやるのは新鮮で楽しかったし、勉強にもなったが、最近なんか違う、このままじゃだめかも、って不安になってきた。
このまま、VBで小さいシステムの改造だけやってて、将来大丈夫?
最近SIerの未来は暗いっていう記事たくさんみるけど、今の会社はクラウドとかの今風の技術はまったくやらないし、大丈夫かなって感じてきた。
つい最近、掲示板に「SVNってすごくいいツールがあるから、みんなVSSから乗り換えてみない?」って書いてあって、とても不安になった。
二番に、ちゃんとソースレビューとかしてもらって、もっと色々学びたいって思ってること。
「自分で勉強しろ!!」って思うかもしれないが、社内にソースの内容について語れる人がほとんどいないし、既存ソースはとても古臭く
オブジェクト指向すらあやしいものばっかりで、とりあえず動けばいいやって感じが読んでて伝わってくるし、プロジェクトでも実際にそう言われてる。
残業代でないって普通だと思ってたけど、出るとこも普通にあるんですね。
昨年末、別プロジェクトで納期3カ月おくれてるとこにヘルプで行った人達は、平日は毎日泊まり込みで休日出勤も当然して
総労働時間は私の倍はいってるはずなのに、たぶん給料は私と同じくらいしかもらえない。
自分のことじゃないけど、これはやってられないなと思った。
てなことで会社を変えたいなって思ってるんですが、私の経歴で他に雇ってくれる会社ありますかね?
もうシステム開発とかVBとかじゃなくて、パイソンとかルビーとかでWebとかやりたいなぁ。
無理かなぁ。
元阪大生です。似たような状況で、志望校を阪大から京大に変えるよう強く勧められたことがありました。
当時の私は、浪人する可能性を排除したいという、ただ一点の理由で阪大の受験を決めました。いま振り返ってみれば、学力の面では、京大を受験したほうが私にとって適切であったのではないかと思います。こういうことを確信したのは、大学院に進学し、学会などで他大学の方々と交流を持つようになった後ですから、ぼんやりとしていた高校生の私が気付くはずもありません。
ただ、ひとつ迷わず言えることは、私の阪大での学生生活は大変幸せなものであったということです。あのとき異なる選択をしていたら、その後どのような人生を歩んでいたのだろうかと夢想することもありますが、しかし実際の半生よりも良い結果を想像することはなかなか難しいものです。思い出とは得てして美化されるものですから、それを割り引く必要があるのかもしれません。
さて、自画自賛をするようで大層憚られますが、私が学業優秀であったことは大学時代の知人すべての共通認識であったと思います。これは、私が人間として優れていたということでは決してなく、私にとって、自身の情熱を注ぐ先が学問というものであったというだけのことです。そのような人間が大学生活を送るにあたって、良かった点と悪かった点を思い返してみようと思います。
卒業のために課されている学業に関して、何の苦労もありませんでした。講義で説明される内容は非常に冗長に感じられましたし、試験の準備もそれほど時間を要さず済みました。おかげで日頃から時間に余裕ができ、興味のある事柄を独学したり、サークル活動に没頭することができました。また、成績優秀者は経済的にいくらか優遇されますので、労せず「優」が取れるというのは悪い話ではありません。余談ですが、特別な理由がない限り、何かしらの部活動やサークル活動に参加されることをお勧めします。この年頃に築いた友人関係は、後々、自身の人生にとってかけがえのないものに成長して行きます。私は内気で恥ずかしがり屋な人間でしたが、少しの勇気の積み重ねの結果、とても気のいい友人たちと出会うことができました。私の中で当時の学生生活が美化されているのも、彼らとの関わりによるところが大きいです。
学問について、共に語り合う仲間を見つけることは困難でした。講義の内容について友人たちに講釈を垂れる機会は幾度と無くありましたが、自分と同じレベルの基礎学力を身につけ、学問に情熱を持っている人というのはほとんど見かけませんでした。そのような状況下で、天狗にもならず、怠惰にも流されないというのは、未熟な私には中々困難なことであったように思われます。ただ幸運にも、4年目に研究室へ配属された際、良き師である教授と出会うことができました。彼は一流の研究者であり、私は研究指導を受けるたび、自身との圧倒的なレベルの差に愕然とするとともに、大いに啓蒙されました。良き師に加え、良き好敵手に出会いたかったという欲張りな思いが、大学受験の際に下した決断を後悔の方向へ引っぱる唯一の要因であると感じます。
若い方は、大学を卒業した後の就職について心配をお持ちでしょうが、阪大ならば、大学のネームバリューという意味では何ら心配無用です。その一方で、東大や京大というのは非常にレベルの高い学生が集まる魅力的な場ですので、直近の経済的な事情が許せば、浪人のリスクを負うのも悪い選択肢ではありません。大学へ入った後は、1浪や2浪程度、(本人を除いて) 気に掛ける人はおりませんから。それよりも、自身の内面を磨き、生涯の付き合いとなる人々と出会う場として、適切だと思う大学を選ばれるのが理想です。そのため、月並みな言葉ですが、ご自身が将来的に何者に成りたいのかということを、よくよく自問されることをお勧めします。
以上、拙い私見で恐縮ですが、ご参考になりましたら幸いです。
平日仕事終わりの劇場だったからか、男性客が数人。おそらく皆、主演の早見あかり(元ももいろクローバー)目当てで来た客だろうと思う。
大多数の事情しらない方に簡単に説明すると、早見あかりとは、今をときめくアイドル「ももいろクローバーZ」の元メンバーである。彼女が「女優になりたい」と言って脱退した後、「ももいろクローバー」は「ももいろクローバーZ」に改名し、あっという間にブレイクした。
その、早見あかりの、女優としての初主演映画が、この「百瀬、こっちを向いて。」である。バラエティで番宣はしているものの、TVCMもない、露出もそれほど多くはないこの映画を観るために劇場にやってきた片手で数えられそうなぐらいの男性客が、すべて彼女のファンであることは疑いようがない。
私もそうだ。というか、私こそがそうだ。
「早見あかりがかわいく映っているシーンが1つでもあれば、すべてを許そう」
これぐらいの、かなり後ろ向きな姿勢で、お布施のような1,800円と2時間弱を投じた。
結果。
私は、この低予算の「アイドル映画」に、まんまと心を揺さぶられてしまった。
恥を忍んで告白するが、少しだけ泣きもした。
主演の早見あかりのファンであるということを差し引いて観ても、見どころのある映画だったと思う。
私は、映画館には月に2~3回足を運ぶ程度の「普通の人よりは少し観ている」レベルの映画ファンだ。今年観た映画の中では、「ダラス・バイヤーズクラブ」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「アクト・オブ・キリング」の3本が良かった。この3本は、誰にでも「一見の価値あり」と勧められる、いわゆる「名作」だったと思う。なんだか上から目線で話しているような気分になってむず痒いが、他に言いようがないから許してほしい。
上から目線ついでに、さらに不遜な言い回しを続けさせてもらうならば。
今回観た「百瀬、こっちを向いて。」は、正直に申し上げて、今、例にあげた3本の映画のような「名作」ではなかった。
「そんなことは観る前からわかっている」
と言われるかもしれない。
「そもそも、アカデミー賞にノミネートされるような映画と比べること自体、間違っているじゃないか」
とも。
確かにそうかもしれない。
私の目で見てもわかる、演者の若さゆえの演技の拙さ。不必要に思えるカメラのブレ。
また、簡単にあらすじを説明すると、「恋人はおろか、同性の友人すら少ない引っ込み思案の男子高校生が、ひょんなことから、百瀬という同級生と、恋人のふりをすることになる」というところだろうか。
ネタバレなるかもしれないが、この後の話の展開は、あらすじを読んだときに「きっとこんな話になるんじゃないか」という予想を超えることはない。名作と呼ばれる低予算映画やインディー映画にあるような、驚くような展開も見られない。
大好きだ、と言ってもいいと思う。
作中。主人公は、早見あかり演じる百瀬陽の、物憂げな、どこか捨て鉢のような横顔を眺めながら、恋人のふりを続けるうち、少しずつ、彼女のことが本当に好きになってしまう。
私は、その姿を見ながら、どこか懐かしい気持ちになっていた。月並みな言い回しを重ねるならば、
「浸っていた」
と言い換えてもいいかもしれない。
ここで述べておきたいのが、私が「懐かしい気持ちになった」というのは、主人公が「いつの間にか百瀬を好きになってしまった」という主人公の心の動きについてではないということだ。
確かに、若い時分は、青年期や壮年期にくらべ、幾分恋に落ちやすい傾向にはあると思う。人は突然恋に落ちる。それも、深い穴の中に落ち込んだ後、見上げるような形で、いかに自分が深みにはまっているのかということに気付く。
しかし、それはいくつ年を重ねたところで同じことだ。異論はあると思うが、私は「いくつになろうとも、いつの間にか人を好きになってしまう」ものだと思っている。例え恋人や家族がいたとしても。まあ、これは余談だが。なんにせよ、この点に関して「懐かしい気持ちになった」わけでは、決してない。
私が「懐かしい気持ちになった」のは、主人公が「ただただ横顔を眺め続けることしかできない」ところについてだ。
年を重ねれば、女性を1対1のデートに誘うことも、「かわいいね」とお世辞を言うことにも慣れる。けれど、最初は誰だってそうではなかった。
好きな女性の顔をまっすぐ見ることができない。話しかけることができない。手を握るなんて、もってのほか。ただただ横顔を眺めている時間だけが過ぎていく。そして、彼女は私のほうを向いているときでも、どこか遠くの、誰かのことを考えている。
「百瀬、こっちを向いて。」は、恋する女性の、美しい横顔を眺め続ける映画だ。
横顔を眺めながら、彼女の気持ちを推し量る。
もちろん答えなんて出ない。
それでも、その横顔の美しさに惹きつけられて、目を離すことができなくなる。
この主人公はまるで僕だ。
つないだ手を握り返すこともできない。涙を流す女性の肩を抱きしめることも、追いかけることもできない。憎むべき相手に殴り掛かることもできない。引っ込み思案の少年。
そんな少年が、なけなしの勇気を振り絞って、自分の思いを伝える瞬間が美しい。
もっとも、現実の私には、そんな瞬間はついぞ訪れたことはないけれど。
いや? あったか?
あったかもしれない。
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最後にいくつか。またも不遜な言い回しになるがご容赦願いたい。
「物語に驚くような展開は見られない」と書いたが、抑制のきいた台詞回しや、いくつかの場面における演出については、思わずニヤリとさせられた。また、原作にないいくつかの要素やディテール、終盤の展開については、どれも物語をプラスの方向に向かわせる気の利いたものだったと思う。
そして、何よりも早見あかりについて。
「彼女の表情、わけてもその横顔の美しさが無ければ、凡百の青春映画にしかならなかったのではないか?」とすら思わされるほど、彼女の魅力こそがこの映画の推進力・吸引力にだったと思う。私は映画を観ている2時間弱で、完全に魂を持っていかれ、引ったくりにあったような心境で劇場を後にした。
文中、やや蔑称のような形で括弧つきの「アイドル映画」という表現を使ったが、これは、「登場人物の美しさこそが物語の屋台骨であって、これが欠けると作品自体が成立しない」という広義の意味合いを色濃く含むことを強調しておきたい。
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最初に表示される早見あかりの横顔を美しいと思ったなら、この映画には劇場で観るだけの価値がある。
「早見さん目当てで見始めたが、途中からすっかり百瀬のファンになっていた。」というのは、画家の山口晃のコメント。早見あかりが、現代日本において5指に入るであろう美術家が「今、一番美しいと思う女性」と評する女優であるということを末尾に指摘しておきたい。
非常にマイナーなゲームで知る人ぞ知る「ウミガメのスープ」というゲームがあるのだが、はてなerの人達なら知っている人も少なくないだろう。
このゲームは水平思考を鍛えるゲームとして一時期ネットのライフハック()クラスタの話題を総ナメにしたけど、今となってはもう過去のゲーム。
未だに出遅れた一部の人間がプレイしているものの、古参はすっかり居なくなってしまったのが実情だ。
ウミガメのスープに着想を得たと思われ、おそらくウミガメのスープの128倍は有名なゲームakinatorも今ではすっかり名前を聞かない。
ウミガメのスープの人気が失われた原因の一つにそもそもキャッチフレーズでもある水平思考を鍛えるという文言に胡散臭さが漂っていたことは否めない。
水平思考は論理的思考(垂直思考)の対義語で、ロジカルシンキングだけではカバーできない思考領域を補完するものとして現れた、ということになっている。
水平思考ではアイデアを大量に広く考えることを求められる。これはロジカルシンキングの前工程にくる「仮説立案」のステップを鍛えているという位置づけである。
なるほどいくら論理思考によって仮説を論理的に検証できても、そもそも独創的な仮説、固定観念に囚われない仮説を考える能力がなければ駄目というのはその通りである。
そういう意味では水平思考が一部で話題を集めたのは良い傾向だったのだが、いかんせん水平思考を鍛えるゲームの質が悪すぎた。
繰り返すがウミガメのスープというゲームなのだが、これはやったことのある人なら分かるだろうが発想力がそれほど鍛えられない。そして時間がとんでもなくかかる。
さらに出てくる問題のパターンが決まっており経験者なら8割以上の問題に既視感を抱くことだろう。問題のパターンが決まっているため解き方もほぼ決まってくる。
こんな具合であるから、「これでは水平思考が鍛えられないわな。流行らないでくれよ。」と私は世間で話題になりかける頃に思ったものだ。まぁ流行りはしなかったが。
それでもゲームとしては面白いから一昨年までは時には徹夜までしながら連日熱心にやり込んでいたものである。
それが昨年になって完全に下火となって、私は相手が居なくなったこともありすっかりやる気を失い全くやらなくなってしまった次第である。
ウミガメのスープが水平思考ゲーとしてはクソゲーなのは分かったが、じゃあどんなゲームなら水平思考が鍛えられるって言うんだい?と思った人は多いだろう。
あいにくゲームではないが、例えばこんな習慣を身に付けたほうがウミガメのスープなんてやるよりもよほどマシである。
人間は意識せずとも心の中に思考が浮かんでくることがある。これを心理学では自動思考と呼ぶが、自動思考は明確に意識されないことが非常に多い。
自動思考は意識せずに発生するわけだが、発生した自動思考を意識することは可能なのであって、意識することで発想力の幅が広がるのである。
例えば、みんなに嫌われている人がいるとして、その人に対してなんとなく「意外といい人だな」とチラッと思っても、理性が「いやそんなはずはない」と打ち消して忘却の彼方に追いやってしまう。
しかし、後にその人と仲良くなってそこで初めて、以前にいい人だという印象をチラッと持ったことがあるのを思い出す。そういった経験があるはずだ。
そういうなんとなく思った自動思考をなるべく捕まえて明確に意識してみよう。さらにここが大事なのだがそれを5秒で言葉にしてみよう。
なぜ5秒かというと時間が経過すると自動思考を忘れてしまいやすいだけでなく、印象が理性によって塗り替えられてしまうからだ。
塗り替えられて改ざんされた自動思考はもはや原型をとどめておらず、常識や先入観にまみれたつまらないものになっているだろう。
だからなるべく速く言語化して元の感覚が色あせても思い出せるフックを作っておくわけだな。
フックとしての役目を果たすためにはなるべく独特な表現を使うのがいい。「意外といい人」では月並みすぎる。
「ライオンのようないい人」はどうだろう?ライオンのように乱暴そうに見えて、実は気がやさしい、という意味である。
ああああああああああああああああああああ
自由気ままだった4年間が終わり刑期40年の社畜としての人生が始まる。(3年以内で仮釈放され非人になる人も多いらしいがそれはそれで)
思えば大学生活ほんとなんもしてこなかったな
バイトもサークルもせず友達も誰一人つくらずずっと家にいた。大学とスーパーと家を往復するだけ。暇だから1,2年で単位ほぼ取ってしまって3,4年はほとんど家にいた。
2chしてアニメ見てゲームして漫画見たり、アプリ作ったり、スポーツ中継みたり、ネット小説書いたり、お絵かきしたり、料理したり。
大学の勉強は最低限の講義とテスト前日の1,2hの勉強しかしなかった。
他人からは糞みたいな時間の使い方だが自分的には最高に幸せな時間の使い方だった。暇だと思った瞬間はなかった。
唯一苦労したのは就職活動だった。正直に私はほぼ家に引きこもっていました。と言って採用するところがあるはずがない。自然に嘘が言えるようになるまでは苦労した。結局入ったのは2chの某業界の偏差値ランキングでは下の方でボロクソ言われてた企業だから結果うまく言ったとはいえないかもしれないが。でも希望の職種につけて、着きたくないと思ってた職種は回避できたのはよかった。
書いてて思ったのは2,3ヶ月の就職活動がこの文の中で大きな割合を占めてる時点で私の大学生活がいかに薄っぺらかったのかを表している気がする。この文を見た10年後の自分は果たして何を思うのか。やはり月並みに後悔するのだろうか。
精神的にいろいろきつかったようだった。
眠れない日や、精神的に不安定な日もあり、心療内科にかかったりしてみたが、「死にたい」という気持ちにはついに抗えず、死を選んでしまった。
調子の良い日に見せる笑顔が好きで、調子の悪い日を支えることができた。
少しでも調子の良い日が続くようにと、期待し、医者にかかり、薬を服用していたのだけどダメだった。
夫としてどうすればよかったのか今でも悩む。
俺は余計なことをしたのでは。
すべて仮定、ifの話で答えが出ない。しかし最愛の妻を失ったからこそ、その責めは自分に向ける他なかった。
正直これからどうすればいいんだろう。
もう妻の笑顔に会えない。
話をすることができない。
妻を失った月並みな感想だけれど、本当に愛していたからこそ月並みでベタで平凡な思いしか出てこない。
nao0990
設定が十分に練られていないから、一浪で大学入学して大学二年生修了後さらに二年休学の時点で22歳、なんていう基礎的な矛盾が起きるのだ。
普通に凡ミスでした、すみません。その時点で23歳ですね。他にもおかしい点があるかもしれませんが、記憶違いや身バレを恐れての改変が混ざったためと思って下さい。
nekora
一応事実として書いているので、言語だけで見るとショボい経歴ですがそのまま書いています。VB6 については弁護出来ないレベルの古さなので、格好悪いと言われるとその通りですが、それも含めて仕事をしようと思えればできる、と捉えて頂ければ幸いです。もちろん、古い言語の悪い部分に甘んじて低い技術レベルのままで仕事をしてもよいと言っているわけではありません。
htnmiki
語りたい病ですね
augsUK
今が勝ち組なのかよくわからんとか設定が杜撰だとかいろいろあるけど、想定Q&A作ってまで語りたいんだなあということはわかった。もう少し勝ち組設定の方が良かったと思う。
語り寄りになってしまってすいません。事実ベースで書くことにこだわり過ぎました。
大学中退やその他のハンデがあったとしても、場所/労働条件(給与、福利厚生)/企業のブランドなどへのこだわりを必要以上に持たずに捨てて視野を広げ、自分が必要とされるであろう企業に絞ってエントリーすれば数十社もエントリーしなくても内定はもらえます。なので頑張りどころを間違えずに頑張ってほしいです。
以下はこの一言に対する補足説明となる、背景や就職活動の指針についてです。
Twitter / s_suneco: これリクナビのトップだけど、これ私がおかしいというよりは周り ...
https://twitter.com/s_suneco/status/448665586222899201
高校に上がったくらいから就職ということを少しずつ意識するようになり、上記のような何十件もエントリーしなければならない熾烈な就職活動があるという話を聞いて、まだぺーぺーの学生でありながらもそんなのはおかしいと思っていた。学歴は確かに一定の修学を積んだという証明になるかもしれないけれど、企業はそれだけではなく採用希望者の人となりもきちんと見て、共に働くものとして十分な経験、知識、学習意欲などを持ち合わせているものをきちんと採用してくれればいいのにと思っていた。(働いてから採用する側になって、その難しさもまた分かったのだけれど。)
自分の能力は客観的に見て高いのか低いのかは分からないけれども、少なくとも学歴に関しては大学中退という傷物でありピカピカの新卒に比べると人材としての価値は低かったと考えている。そんな自分の足跡をここに記して、一般的な人材像とされている新卒でなくとも、その他諸々の身分であったとしても、落ち着いて丁寧に就職活動をし、こうして就職が出来ているということを知って就職活動の励みとしてもらえればと思う。
結局の所、労働者として働きたい僕らはお金が欲しいというのが企業と同様に前提条件なのであって、そこから
という流れが導き出せると考えています。
自分が学生であった当時もそうですが、そういった流れがあるとこまでは分かっても各点の具体的なイメージは出来ず、企業がどうやって稼いでいるか、従業員はどういった業務を行って給与を得ているかなどを適宜調べたり、諸先輩方に会う時などに質問するなどして一つ一つを自分なりに具体的にしていきました。そうして自分なりの芯となる考えを持っておく事で、無鉄砲に企業に当たるのではなく少しずつ焦点を絞りながら就職活動をし、数社のエントリーのみで内定を頂く事ができたのではないかなと考えています。
うまくまとめられたかは分かりませんが、ここに記した自分の経歴や考え方を見て何かしら参考にしてもらえれば幸いです。
経歴にも書いていますが自分の場合は理系→プログラミングという分野で活動していますので、別の分野(業界、業種、業態)では参考にならないということもあるかもしれません(分野によっては数十社へのエントリーを行った方が確率が上がる、など)。逆に言えば、踏み込む分野によって適切な就職活動の方法というのはあると思うので、それぞれの分野の現職やその周辺の方々の情報をうまく集めて、適切な方法で活動していってもらえれば自分が望む方向に近い所へ向かって行けるのではないでしょうか。
就職活動中の皆さんが無理をせずに向かいたい方向へ努力して向かい、その努力が報われる事を祈りつつ。
出会ったのは2年半前
付き合ったのは2年前
たった四ヶ月で別れた
長期休みにお互いの家に泊り合って20日間同棲のようなことした
遠距離でもないが、すぐに会いにいける距離でもない
一緒にいるのはすごく幸せだが、自分の時間が取れなくて不満に思うこともあった
泊りあった20日間の後は、自分の時間が欲しくて、少しだけ彼女と通話する時間が減った
付き合い始める前から、毎日最低3時間、長いときは6時間は通話していたが、
それから一ヶ月も経たずに振られた
振られる前の一週間くらい彼女から通話で「好き」と言われなくなった
以前は私が「好きだよ」と言うと「私も好き」と返してくれた
それが振られる直前は「好きだよ」と言っても「ありがとう」と返ってくるようになった
私はこれがすごく気に食わなかった
それをやめてくれ、と彼女にLINEを送ると、「他の男を好きになった」と別れを切り出された
最初はなぜか冷静に「やっぱりな」と思った
そのときは頭が真っ白になってどう返していいかわからず、簡素の受け答えになってしまった
振られて30分くらい放心状態が続くと、頭も状況を理解したらしく
涙が流れてきた
そのときは大学の講義中だったが、どうしても涙を抑えることはできなかった
このまま終わるだけは嫌だった
その足ですぐに彼女の家に向かった
向かっている最中に「今向かっているから会って話そう」と送った
「来るなストーカー」という返ってきた文字を見て戦慄した
『振られる直前まで彼氏という立場だったのに、自分は彼女にとってもうストーカーでしかないのか』
「とりあえず行くからどうしても嫌なら警察でも呼んで」と返した
もうやけくそだ
彼女の家に着くと、父親が出た
「あれ?今日来るなんて聞いてないよ、どうしたの?」と不思議そうだ
まだ別れたことを親には言っていないみたいだ
事情を説明して、とにかく話がしたいと訴えた
つい最近まで朝も昼も夜も一緒で、「好き」と言い合っていた相手に会えない
距離にして10mもないところにいるのに会えない
私は父親の前でみっともなく泣いてしまった
どうしようもないので、その日は会えないまま帰った
まさか振られるなんて思っていなかった
それだけが頭の中をぐるぐる回っている
自己嫌悪でどうにかなりそうだった
朝起きると「昨日は会えなくてごめんね」とLINEが入っていた
通話する内容も、お互いの対応も付き合っているときと何も変わらないのに
ただ"関係"が以前とは違う
始めての彼女であるし、こんなに自分のことを想ってくれる人はいなかった
別れた後でも、連絡できなくなるのが怖かった
振られてから二週間ほど経ったある日
彼女が「新しく好きになった人」に振られたらしい
私は「また付きあおう」と猛烈にアピールした
彼女はそれに了承し、また付き合うことになった
私はもう二度と失敗を起こさないことを胸に誓った
その表情は暗かった
「好きだよ」と言っても、「私も好き」とは返ってこなかった
以前と全然様子が違った
彼女は口では言わなかったが、自分のことを好きではないことがひしひしと伝わってきた
自分がクリスマスの話をすると、彼女は「クリスマスは会えない」と言い出した
理由を聞くと、クリスマスは新しく好きになった人と会う約束をした、とのこと
やっぱり、私のことを好きだった彼女はもういなかった
このときは聞かなかったが、なぜ好きでもないのにまた付き合うと言い出したのかと疑問に思った
しかし、それでもそのときの私は彼女といられればそれでよかった
彼女のことが本当に好きだった
その夜は彼女と久しぶりのセックスをしたが、本当に味気のないものだった
お互い名前を呼び合い、「好き」と言い合い、お互いを感じ合った
自分は付き合っている頃と同じ、いや一度振られてからそれ以上に愛情を注いでいるのに
それでも
それでも私は彼女が好きだった
次の日、彼女が帰る前に自分の家で、新しく好きになった人と電話をしていても
それでも私は彼女が好きだった
彼女が私のことを好きでなくても、彼女は私と付き合うと言ったのだから
私達はカップルだ
そう信じ込んでいた
この文章を読んだら、誰だって「そんなのカップルではない」と思うだろう
それから毎週末に「会おう」と持ちかけたが、何かと理由をつけて会ってくれることはなかった
そしてそんな関係が長く続くはずがなく、一ヶ月と経たずに振られた
「今度、新しく好きになった人の家に泊まりにいくんだ」
あ、ついに来たかと思った
彼女は新しく好きになった人に振られた後も連絡は取って猛アタックしていた
その話を何度も楽しそうに自分に語っていた
まったくすごい女だ
この時点では、新しく好きになった人と彼女は付き合っていなかったが
会うなら付き合うのは確定のようなものだ
そして最後に「そういうことだから、やっぱり付き合うっていうのは撤回ね」と
ついでのように書いてあった
ここで彼女と会ったときに攫うか殺してしまえば、新しく好きになった人に会わせなくて済むな
そんなことを少しでも考えるほど、ショックだった
それでも言われるがままに駅の案内をした
彼女が案内を終えて去る私に言った
「私ではなく、もっと良い人見つけなよ」
これ以上にない皮肉だった
私は酒は飲まないが、この日は酒を飲んだ
何も美味しく感じなかった
自分と付き合い始めた当初の彼女のツイッターを見ているようだった
彼女とは一週間に2,3回通話した
やはり付き合うことになったということを聞いた
「増田ならそんなことで怒らないのに、新しい彼はすぐ怒る」「束縛が厳しい」
他にも不満だらけだったような気がする
日に日に愚痴が増えていき、「増田と別れなければよかった」なんて言い出す始末
「束縛されて我慢している分、付き合っていないと悔しい」とわけのわからないことを言われた
このとき以外にも「悔しい」とよく言っていた
悔しい思いまでして付き合うことあるのだろうか、と毎回思った
しばらくして、新しい彼が彼女に内緒で他の女とデートしようとしたことが発覚した
それでも、結局付き合い続けることにしたらしい
彼女と新しい彼のことは何かあるたびに通話で聞いていた
束縛が厳しい、新しい彼の浮気
その度に新しい彼は逆ギレし、彼女はうんざりしているようだった
それでも付き合い続けていた
毎回同じパターンだった
その頃には彼女との連絡も少なくなってきた
2ヶ月くらい連絡しなくなった
新しい彼の家に泊まりに行く帰りに東京に寄るので、そのついでだそうだ
それからずっと連絡を取らなかった
半年が経った
やっと「自分を好きではない人を好きでも仕方ない」と思えるようになった
さすがに彼女も彼に呆れたらしく、今度は別れるつもりらしい
と言っても、過去に何度も「別れる」と言って続いてきたので
内心信じていなかった
しかし、今回は本当に別れたいらしい
彼に別れを切り出してもしつこく連絡がくる、鬱陶しいから助けてくれ
と私にSOSを出してきた
ここ数日ずっと彼女の話を聞いたり、慰めたりしていたので
「また付きあおう」と切りだすと、その場では断られたものの
私は楽しみで仕方がなかった
私が迂闊に別れさせた彼の話題を出してしまったのが理由だった
そう彼女は語ったが、それが本当の理由ではないのは明白だった
ここでようやく
ようやく自分は彼氏でもなんでもなく、ただの暇つぶしのためだけの「キープ」なんだなと悟った
私がまともな人間ならここで話が終わるのだが
もちろん本当に何かほしいわけではなく、新しい彼に振られたから私に連絡をよこしたのだった
付き合っている四ヶ月のうちに自分は誕生日を迎え、彼女が誕生日を迎える前に別れた
キープってわかっていて、同じ想いをするのをわかっていたのに
どうかしていると思う、病気か何かだと思う
それでも彼女に会って晩飯を奢った
彼女に会うと、仕草や言葉のひとつひとつが愛おしく思ってしまう
本当に馬鹿だと思う
利用されているのもわかる
そんな自分が嫌になる
今となってはこれっぽっちも「好き」と思われていない相手を好きになってしまう自分が
本当に嫌いだ
この文章を書いている今は、彼女は新しい彼と絶賛交際中だ
そんな自分が本当に嫌だ
どうしても、付き合っていた頃を思い出して好きになってしまう
もう「好き」というより、「執着」に近いかもしれない
こんな女を好きになっても良いことないのはわかっている
自分のことを好きな彼女がまた戻ってくるのでは、と思わずにはいられない
しかしそんなことはあり得ないし、あったとしても彼女とその女性を比較して
それでもこんな自分をどうにかしたくて、ここに投稿しようと決意した