いつの日だろう、ある休日の昼下がり、1匹の野良猫がうちの庭にやってきた。
頭から尻尾の先まで真っ黒で、おちんちんをぷらぷらさせる野良猫。しかし、やせ細った身体でトテトテと這いよるその骨川筋右衛門は、明らかに衰弱していた。
いろいろ考えた結果、田舎ゆえ周辺に住宅が少ない、そして何より自分がネコ好きということで彼を放っておくことができず、かつお節ご飯と水を与えた。そのガッツキようは今でも覚えている。さながら、ホットドッグを爆食いする小林尊のようであった。
腹をすかしてはフニャアフニャアと鳴き、エサを催促した。食べると満足するのか、うちの庭のど真ん中でドテンと横たわり、お日様の下、完全無防備状態で爆睡する(つついても起きない)。日が傾きはじめる頃、ふと見るとどこかに消えた。しかし次の日には、同じようにフニャアフニャアとやってくる。こちらもいつしか、スーパーで一番安く売られる缶詰を買うようになり、また首輪も買った。同時に、「クロ」といかにもな名前をつけた。
クロは日に日に肥えていった。ぷよぷよした姿は、もう完全にデブ。肥満が問題なのは重々承知だが、「まあ野良猫だし…しかもカワイイし…」という素人考えでエサを与え続けた。また、大きめの木箱に毛布を敷いて寝床をつくってやると、夜はそこで寝るようになった。
いつ頃からか、自分が仕事から帰ってくるとクロが出迎えはじめた。車からおりると、そのでぶでぶした巨体を左右にゴロンゴロンさせながら、お腹をみせつけてくる。ハイハイわかったわかった、と十二分になでたあと家に入ろうとすると、入れさせんとばかりに頭をすり寄せてくる。その一連の姿がなんとも愛らしく、どれだけ仕事で疲れていても、自然と笑みがこぼれた。
クロはよく周囲を冒険をしていた。時に他の猫と喧嘩したのだろう、右頬の肉がえぐれるなど、大怪我を負って帰ってくることもあった。ジュクジュクした傷から出る膿をガーゼで拭いてやり、「負けんなよ、俺も負けねえから」と1人意味不明なことを語りかけては、フニャ、とクロは鳴いた。クロが生活の一部、いや、人生の一部になっていた。そうして数ヶ月がたっていった。
もういっそのこと飼い猫にしようか、と考えていたちょうど5日前、クロがふと姿を見せなくなった。いつもは「クローーッ!」と手をパンパン叩くとドテドテ走り寄ってきたのだが、その気配が全くない。まあ野良猫だし帰ってくるだろう、と自分に言い聞かせながら、当然のことだが我が子を思うように心配で心配でもう仕方なかった。
そして昨日。ちょうど仕事に行く前、家の裏の日陰に横たわるクロを発見した。すぐさまかけ寄ると、フゥフゥフゥと呼吸が荒く、目も半分しか開けていない。ヨダレもたらしている。ずっと横たわっていたためか、体は多くのアリにたかられていた。ふと怒りを感じた自分は、無造作に払い落としたアリを踏みつけて殺し、クロの体をふきながら口元に水をやった。すると最初は横たわった状態でペロペロと水をなめていたクロは、ヨロヨロと自分で立ち上がり、自力で水を飲んだ。大丈夫か?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。これから俺は仕事だけどどこにも行くな?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。そこはかとなく、クロは笑っていたような気がした。
クロを一心に思いながら仕事を終わらせ即帰宅すると、クロはどこにもいなかった。
そして今日の早朝、近所のジイさんがやって来て「おめえんとこのネコだっぺ、オレんちの前で死んでんどや」と教えてくれた。確認するまでもなく、クロだった。
ジイさん曰く、近頃近所では一斉に除草剤をまいているようで、その草でも喰ったせいじゃないか、とのことだった。いずれにせよ、クロは死んだ。
月並みだが、心にポッカリと穴があいてしまった。もう仕事から帰ってきてもゴロンゴロンする姿はない。恥ずかしながら心内を語れる唯一の存在も消えた。
クロの亡骸は火葬してもらい、今はこの眼の前に骨としてある。
言葉では如何様にも語れるし、また避けられないことは自明の理である。しかし、やはり”愛する”存在の”死”は、わかっていても耐えられないよなあ、と。