はてなキーワード: 問題意識とは
IQではなく議論をするために足りない素養が多すぎるという意味で書いた。
・問題があっても見ないふりをする方が楽、ルールを変えるよりルールに沿わない奴を排除する方が楽
という思考が広く深く定着していて、「問題意識持ってます」ってステータス以上の問題意識が無い。
・お友達や尊敬している人間以外から学ばないから議論をしても知的な進化が見込めない。勝ち負けしか見ないだろう。
・議論すべき問題があっても紅白歌合戦みたいにワッと盛り上がり、すぐ忘れて蓄積されない。
・1ビット脳だから問題を深堀したり、落としどころを探ったり、段階的に解決することができない。
とかね。
高IQの人を活かせていないという問題はあるだろうけど、増田はそういう話はしていないと思うよ。
問題は切り分けて考えよう。
アベノミクスで就職率が高い、とか言ってる人がいるけど、的はずれで困っちゃうね...。
そこで、21歳ピチピチ❤️Z世代で自称パヨクの私が、若い世代がアベを支持する理由を説明しよう!
今の10代~20代前半の世代って、安倍ちゃん以外の首相を知らないんだよね。長期政権だったから。民主政権時代は首相がコロコロ変わったから、その時期の印象が薄い、っていうのも理由としてあると思う。
とにかく、物心ついた時からずーっと首相だったという効果は強くて、日本の首相=安倍ちゃん という意識がこの世代では定着している。
アベノミクスが世間を席巻していた当時、今の大学生は小学生から中学生くらい。「アベノミクス」ってキャッチーな響きだから、具体的な内容は知らなくても言葉自体はどんな子供も知ってた。特に中学生の場合、社会の時事問題で「アベノミクス」が出題されたりするから、印象深かったんじゃないかな。
もう少し時が進んで、モリカケサクラでグダグダやってた時期になると、中学生から高校生くらい。当然ニュースなんてちゃんと見ないから公文書偽造なんてピンとこないし、増税や所得低下とかあっても、親の金で飯食ってるから何とも思わないわけ。
こういう経緯があり、「具体的な成果やスキャンダルは知らないけど、アベノミクスとかそれっぽいことをやっていた」という評価をZ世代から得ているワケよ。
国葬の賛成率が高いのもその理由。物心ついて思春期を過ごした、唯一ちゃんと知っている首相が悲劇的に死んじゃった。だから、「かわいそうだし国葬でいいじゃん」っていうライトな理由で賛成しているんだと思う。
ちなみに、30代から安倍政権の評価が下がり初めるのも世代が理由。今30代の世代は、安倍政権発足時に大学生から新社会人の世代。中学生や高校生とは違って世間のニュースに目が向くし、自分で飯を食うようになって金にシビアになる。その分、安倍政権の悪政を深く理解している人が多く、それが統計に反映されているワケです。
【追記】
官房長官は首相と違って影の薄いサブキャラなので、安倍ちゃんほどの知名度は無かったと思います。ニュース見てる人は会見で官房長官を見たりしますが、そういった機会が無い限り、官房長官が誰なのか、知って覚える機会は少ないと思います。(学校で習った記憶もあいまいです)
若い世代に対する第一印象が非常に大切であることは菅さんも深く理解しており、「パンケーキ首相」みたいなアピールをしたのでしょう。
菅さんが倒れてしまったのは、コロナで一般世間から厳しい目で見られていたことが大きかったと思います。特に、若者は政権に良い印象があったとしても、ピンチな政権を応援したりはしません。
今大学3年で就活中ですが、就活してて政治や就職率を意識しない、っていう実体験がその理由です。我々は今回の就活が初めての就活。これから社会に出ていく段階ですから、就職率の変化を肌で感じる機会がありません。氷河期世代は大変だったとは聞きますし、我々の世代は恵まれているのでしょうが、それを実感する機会は無いのです。
rna 「親の金で飯食ってるから何とも思わないわけ」それでも親が失業したらさすがに辛いだろうから雇用の改善は微妙に効いてたってことだと思う。あとバイトの時給上がってるのは流石に気付いてるのでは。
時給が上がっていることについては、就職率と同様の理由であまり気づかない人が多いと思います。長い期間就業する機会があれば、バイトの時給が上がるのにも肌で気づくでしょうが、学生なので長時間働く経験をする人は少ないです。さらに、生きるためではなく遊ぶために働く人がほとんどなで、自分の収入に対してシビアに考えないことも理由としてあるでしょう。
death6coin
医学部受験生がかわいそうだ、とんでもない。とはみんな思ってましたが、私含め医学部受験生以外に当事者意識はあまりありませんでした。冷静に考えてみれば、大学入試すべての信頼が揺らぐ大事件だったと思いますが、受験勉強で忙しくそこまで考える余裕はありませんでした。
当然、不安に感じた人も少なからずいたと思いますが、学生運動みたいなことにはなりませんでした。大学に行くために上げなければならないのは声ではなく学力。不正があろうが無かろうが、学力を上げないことには大学に受からないので、とにかく不正がないことを信じるしかなかったのです。
また、入試まで時間がある高校1,2年生で、強く問題意識を持った人も少ないでしょう。1,2年は受験のことなど考えたくもないし、将来の夢や展望を持ってる人も少なく、何よりも今を楽しむことが大切だと思っています。
rider250 なるほど、リベラルってこんな感じで若人を舐めてる/見下してるんだな、年がら年中「啓蒙してやる!」ばっか言ってるからわかっちゃいたが。俺が10代の頃、中曽根が長期政権だったがこんな風には思ってなかったぜ?
若者は愚かだと思いますが、見下してるつもりはないです。いつの時代も、それが当たり前だと思うからです。ニュース見ないし、政治なんて興味ないし、それより短絡的で楽しいことをする。いつの時代だって、そんなもんでしょうと。
普遍的な若者の特徴と、安倍政権のタイミングが噛み合ってこのような状況になった。ただそれだけの話で、Z世代が悪いとは思いません。
そして、「立憲をはじめとした野党は、そういった若者の特徴を押さえながら選挙運動をするべき。批判するだけでは支持を得られない。」っていう指摘は本当にその通りだと思います。
❌今日は仲間と一から会社の価値観を議論した。みんな問題意識を持っていることが分かった。お互いの理解が深まった。やはりチーム内での密な意思疎通は重要だなと実感した。
⭕今日は優秀なチームメイトとゼロベースで会社のバリューを議論。みんな課題感を抱えていると理解。お互いに解像度が向上。やはりチーム内での密なコミュニケーションは重要だな実感。
アイちゃんは幼馴染で、小中まで一緒だったが高校で別々になった。しかし私とアイちゃんの関係はより濃くなり、高校になっても頻繁に遊んでいた。
双子コーデしてプリクラ撮りに行ったり、カラオケオールしたり、フェス行ったり、深夜の公園で話したり。
親からはアイちゃんと遊ぶなと言われたが、思春期真っ只中の私は全力で反抗してアイちゃんと遊んでいた。
高2のある日、地元に商業施設ができることになり、そのオープニングスタッフとしてアイちゃんと面接を受けに行った。
私には「めんどくさかったから」と言っていたが、同じ高校に行った知人から「ちょっとしたいじめっていうか、友達出来ずに孤立していた」と聞いた。
私はアイちゃんが言いたがらないならそれでいいと思い、何も聞かなかった。
そして私たちは晴れて同じ店でバイトするようになり、研修期間からなぜか社員に注目されていた。
土日祝は信じられないくらい忙しい職場だったけど、私とアイちゃんの2トップなら任せられる、と私たちはバイトリーダー的な立ち位置で、バリバリ働いていた。
その頃のアイちゃんは、私のおかげで、褒めてもらえる!私とならどんな場所でもがんばれる!私ちゃんはすごいよ!さすがだよ!
と、私を異様に褒めてくれることが多かった。
今考えると、私のいない高校生活では馴染めなかったけど、バイト先で社員やスタッフから頼りにされて、アイちゃんのことを認めてくれる場所に戸惑っていたのかもしれない。
アイちゃん自身が頑張っていたのは間違いないのに、アイちゃんの中では「私のおかげ」に変換されていたのだろう。
そうしてるうちに、私に頼るアイちゃんが形成されていき、いつしか親友なのに、子弟関係っぽい形態に変化していった。
そして、18歳の私はその頼られる優越感を気持ちよく感じていた。
私はキャンパスライフを楽しみ始め、アイちゃんも夜の世界に飛び立ち、生活リズムが違うのでやや疎遠になっていたが、それでも月1くらいでは遊んでいた。
そんなキャバ嬢のアイちゃんから彼氏ができたと報告されたのが20歳の頃。
私はカモられてるのかと危惧したが、話を聞くと、アイちゃんではなくホストの方がアイちゃんの客だった。
営業の一環でアイちゃんの店に訪れた彼がアイちゃんに一目ぼれし、猛烈にアタックされたとのこと。なので、アイちゃんはそのホストの店に行ったことはないし、1円も貢いではいなかった。
少しは心配したが、年下ホストの大学は世間では高学歴と分類される大学だったのもあり、アイちゃんも幸せそうだったので暖かく見守ることにした。
しかしその2か月後、次は「妊娠したから、結婚しようと思う」と相談された。
相手は、ホストも大学も辞めて働くと言っており、アイちゃんも産む決意は固まっていた。
また、未婚で産む選択肢は考えておらず、それはアイちゃんが母子家庭で、お父さんの存在を恋しく思っていたからとのことだった。
そして、妊娠発覚後にアイちゃんはキャバを辞め、元ホストは、本当に大学もホストも辞めて、昼職に就職した。
しかし、高学歴と言われる大学を中退してのデキ婚に両親は怒り、結局勘当され、アイちゃんの実家で暮らすマスオさんになっていた。
それにしても年下のホストは、アイちゃんと子どもを愛してくれる、ちゃんとした人だったのだ。
そう思っていた。
ある日、アイちゃんと暇電していたときに何気なく元ホストがどんな会社に就職したのかと聞くと、
とのことだった。
その時は、ITベンチャーぽいところなのかなという認識だった。
それから数か月し、アイちゃんも働き始めたという話を聞いたので、妊娠中なのに大丈夫なの?と心配すると
「つわりは落ち着いたし、楽な仕事でしんどかったら帰ってもいいからめっちゃ楽!」
というので思わず、どんな仕事だよと突っ込むと、夫(元ホスト)の職場にアルバイトに行っているという事だった。
業務内容は「ひたすらメールを返す仕事」らしく、つまりは「出会い系のサクラ」だった。
という事は、アイちゃんの夫(元ホスト)は、出会い系詐欺サイトを運営する会社の社員なのだ。
いやいやいや、やばくないか。
アイちゃんは特段そのことに問題意識は持っておらず(というか一緒に働いている)、さらには夫(元ホスト)は既に幹部になっているらしく、稼ぎもちょっと前からめっちゃ上がった、と嬉しそうに報告した。
いやいやいや、やばくないか。
私は真面目な人間ではないが、その時に「すごいじゃんー!よかったね!」とは言えない正義感を持っていた。
そして「どうにかしないと」という謎の問題を背負い込んだ。
私は、夫(元ホスト)の会社はまともではないこと、辞めさせた方がいい、何なら私が直接話してあげるから、とアイちゃんを説得にかかった。
私は「事前に伝えると微妙だから、夫(元ホスト)が次家にいる日教えて、行くから」と伝え話を終えた。
その時の私の心境は、
③なんとかしないと!
の3本立てだった。
そして、来たる夫(元ホスト)との決戦のため、情報収集をと思い、悩み相談掲示板に片っ端から投稿した。
────────────────────────
友人を助けたい!
友人の夫がサクラサイト(出会い系)で働いていて、友人もアルバイトに通っている。
本人たちはそのことに問題意識をもっておらず、何とか説得したい。
────────────────────────
こんな内容だったと思う。
サクラサイトは詐欺にあたることや被害の内容は既にググって把握していた。
\みんな、オラに力を貸してくれ!/
そんな気分だった。
数日たち、掲示板でついたレスはあまりなく、さらにそのほとんどの内容は私が希望していたものでは全くなかった。
・説得してどうするんですか?質問者が気持ちよくなるだけですか?
・人の家庭のことに責任持てないのに、説得するだけって、、
・それ、お節介って言うんですよ。
私の気持ちにみな賛同してくれると思っていた。一緒に解決策を考えてくれると思っていた。
そもそも私のこの感覚が「おせっかい?自己満?」根本から問題を考えなくてはならない。
回答を見た時は「犯罪を許容するのか」と回答者は反社会的倫理観のやつらばかりなのかと憤った。
しかし、
説得してどうするの?会社を辞めると収入がなくなるけど、責任とれるの?
という回答を私は持ち合わせていない、何で私が責任を取る話になるのだ、そんなのアイちゃん夫婦でなんとかしろよ、が本音ではあった。
が。現実問題、会社を辞めさせるよう説得して後は知らないけど、って私の目的はアイちゃんが問題に巻き込まれているから救いたい、であって、夫が会社を辞めて解決したとしても、すぐに「金銭面の問題」にぶちあたることを予想できていなかった。
私は社会にも出ていない世間知らずの大学生でしかなかったのだ。
この状況で違法な方法だけども、今は稼いだお金で安定して生活をしている。
サクラサイトの被害者の救済、サイト撲滅という正義感であっても、直接の被害者でもなくただの大学生の私にできることなんて何もない。
結果、私は何もしない方がいい
それが私の出した答えだった。
アイちゃんを助けたいと言いながら、結局は自分の周りの人たちの中に犯罪に関わっている人がいる、という状況をどうにかしたかっただけなのかもしれない。
さらに、その頃はまだサクラ詐欺の黎明期くらいだったので、私の調べた限りでは刑事告訴されたり従業員に刑事罰が下されるような判例もなかった。
21歳でようやく、自分の正しさを押し付けることを人はお節介と呼ぶのだと理解した。
タイトル回収をすると「悪いことをしたら注意してあげるのが本当の友達」という風潮があるが、自分の正しさを押し付けるだけになっていないだろうかといつも思う。
当時の私は犯罪に加担する友人に何もしないのが正解だと判断した。
後で聞いた話だと、会社の場所を数か月単位で移転したり、社名を変えたりしている(なのでアイちゃんは夫の会社名を把握していなかった)ということだったので、夫も自分の会社がまともな会社でないことは理解しての判断だったのだろう。
最後に「何もしなかった」は違うかもしれない。
私は、自分の友人が犯罪に加担しているという状況にストレスを感じていた。
友人が悪いことをしたら注意するのではなく、距離を置くのがいいのかもしれない。
その結果、私には友達がいないけども。
これ調べてるけどマジでわかんねーな。
辞書的には選手権=選手権大会で優勝した選手または団体に与えられる資格。
「〇〇杯」「〇〇旗」みたいな大会があるけど物理的な杯的なモノがあるなら優勝者にはそれが与えられるってわかるけど
「選手権」なるものを得たいと思って選手権大会に出る人ってまずいない。
「今大会の選手権が絶対に欲しいです!」みたいな言い方する選手みたことない。
もらっているとしても、その資格というのを「権」の文字であらわすのがよくわからない。
杯とか旗とか賞状とか名誉とかやりがいみたいなものと「権」がつながらない。
なんなんだ……
(追記)
まだあんまよくわかってないが……
トラバ&ブクマで気になったのは語源的には英語のchampionshipについての話が興味深くて、まあ選手権のもとになった言葉はおそらくchampionshipなんだろうなーとは思う。
あとはそもそも「権」の意味が 「権利」だけじゃないよねって話だな。
「権」という文字には「力」という意味があるらしいけどそうなると権利・権益は「力があること」による利益だし権威は「力があること」による威厳だし
選手権は「選手になる権利」じゃなくて「選手の中で特に力のあるものという称号=資格」という意味なのかなって。
少なくともワイは「権」をそのまま「力」だとは解釈してはいなかったから面白いと思ったな。
そういえば英語の接尾辞の-shipは「状態・身分・職・任期・技量・手腕」をあらわすとなっていてfriendshipとかrelationshipとかあるしおそらく「権」よりもひっつく対象が広いんだよな。
おそらくchampionshipのshipは「championという身分」ということなんだろうな。
ただワイのいちばんの問題意識は、日本語で「優勝者が得るもの」の意味がものすごくみんなあんま気にしないようになってないか?ということなんよ。
「ワールドカップ出たい!」「ワールドカップで勝ちたい!」「ワールドカップ手にしたい!」これは全部通じるけど
選手権の場合は「選手権出たい!」「選手権で勝ちたい」までは通じるけど
「選手権を手にしたい!」とか言ったらなんやお前?ってなるやろ?いや、お前もう選手やん。みたいな。
なんで一般的な選手権という言葉から「優勝者手に入れるもの」という意味が薄れていったのか?っていう素朴方面な疑問がでかくなっている。
Aさんが感じている「皆にとって重要だと思う問題」が、その他の人にとっては積極的に解決するほど大した問題ではなく、かつAさん一人では解決しようがない時に発生する問題のこと
例:海洋問題は漁業関係者にとって問題だが、多くの人にとって積極的に解決するほど大きな問題ではない
例:ある家庭の子供の問題は親にとって問題だが、多くの人にとって積極的に解決するほど大きな問題ではない
例:あるサービスの治安はユーザーにとって問題だが、多くの人にとって大きな問題ではない
例:ある社員にとって問題と感じている会社のコンプライアンスの問題は、多くの社員にとって大きな問題ではない
例:妻にとって問題と感じる部屋の汚さは、夫にとって大きな問題ではない
・Aさんだけでは解決できない
・解決されなくても、他の人は別の何かを使うだけという逃げ道がある(当事者)
・実は多くの人にとっても大きな問題になり得るリスクを秘めている
・「放っておくと大変なことになる」と将来のリスクを伝える
・Aさんが諦める
あとよくある問題として
選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロじゃないわけないだろ…。こんなくだらない言葉遊びには付き合いたくもないんだが、某掲示板やSNSで一般ピープルが言ってるならまだしも一部ジャーナリストやインフルエンサーまで言ってる人がいる事にびっくりして増田に書くことを決めた。
明らかに犯人は安倍晋三を殺すことによって社会にメッセージを送ることを目的とした犯罪で、国内外のメディアもはっきりとテロといっており世界のどこで起きてもテロ以外何者でもないんだが。
逆に選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件があるのなら募集してますので教えてくださいねー。ま、ないだろうけど(笑)
「動機に政治的意図が窺えない」という点ではジョン・レノン殺害事件に近いと思われますが、あれを「テロ」に含めるというなら、増田の言い分にも一理あるとは思います。言い方はともかく
このコメントについては2つ間違いがあって
犯人の動機に政治的意図が窺えないとは思えない、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではないが、犯人が犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれている
苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない
とあるように犯人自身も安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めている。書かれている内容からして安倍晋三を殺害することで反統一教会のメッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らか。政治的な動機としては十分。
まずジョンレノンは元首相の国会議員ではないし演説中に銃撃されたわけでもない、全く根本的に異なる事件で比較にならない。被害者と加害者の属性や関係性によって事件の呼ばれ方が変わるのは当然。
例えジョンレノン殺害事件がテロだと言われるにしても、安倍暗殺事件がテロかどうかには全く関係ない。
えーっと結局は僕が最初に求めた「選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件」でもないんでね…皆さん懲りずに探してきてくださいね^ ^
ブクマが少し伸びてたのでいくつかコメントにお答え致しまーす。
日本国政府は「テロ」を定義してません。おそらく今後もしないでしょう。今回の事件も公式にテロとは言ってないですよね。何故定義しないかはその方が都合がいいからです。
これはデマ、安倍政権時代に国会で政府側はテロの定義について過去に答弁してますね。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193125.htm
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm
また、ここで問うてるのは一般的な意義としてのテロに当てはまるかであって法令的な意義や日本政府の認定は関係ないとは言い過ぎかもしれないですが、主題ではありません。何故なら影響力のあるメディアやジャーナリストがテロではないと言ってる事を問題視しているからです。どちらにせよ、どの政党も民主主義への挑戦と発表しているのでほぼテロと同義だと僕は考えてますが。
テロルだとしたらそれは「元議員を殺した」からじゃなくて、統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てるという、「政治的な意味」でだな。安倍を殺したからってだけではテロではない。
今回の事件は"統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てる"のは同意ですが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
実際に福山哲郎議員が今年の5月、政治活動中に暴行された際にも所属している立憲民主党が「暴力によって政治的表現の自由を踏みにじるあらゆる行為に対し断固抗議する」と強く非難を発表していました。この際に犯人の動機の種類は特に問題視されてませんでしたね。
https://www.fnn.jp/articles/-/355079?display=full
それを含めると安倍晋三暗殺事件は政治活動中の元総理の国家議員が政治活動中に殺されたこと、犯人が強く社会にメッセージを送るのが目的だったこと、2つの理由でテロ以外何者でもないです。
ケネディ暗殺事件はテロです。Google検索すれば幾らでも同事件をテロだとしている記事はありますし、政治活動中の大統領を殺すのはテロリズムになります。
もうだいたい論破できたかなw、テロではないって事を改革の免罪符にしたかったんだろうけど、もうこれテロ以外何者でもないだろ(笑)。
僕はそういう人達は現状日本社会がテロで変わってしまう・テロでしか変わらないのかという問題点・本当に改革しなければならない事も考えてほしいですねー。それでも反論あるならお待ちしてますー。(^^)v
最初に記事を書いて2.3日経ってるからもう伸びんだろと油断していたら少しブコメが伸びてたのでいくつか返信します。ここまで記事が長くなると読んでくれる人はいなくなし、スターもついてないあんまり支持されてないコメントに返信してもな…とも思いましたが、せっかく書いてくれたんでね。
ググったらテロって書いてるからテロって言われてもなあ。もちろん日常語のレベルでは何と言おうと別にいいんだけど、政治学的な定義の話をしたいんじゃないの?
特に政治学的な定義の話ではなく一般的な言葉の認識をしています。ケネディ暗殺事件をググれカスで処理したのはもう何度もテロの定義について話してきたのでさすがに読む方もわかるだろと省略しましたが、これは僕の怠惰でしたね。
そもそもの記事を書いた理由として一部ジャーナリストやインフルエンサーが言ってる安倍晋三暗殺事件をテロではないと言うのに違和感を感じたからです。明らかにテロであるものをテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞でしかないです。
改めて書きますが、ケネディ暗殺事件政治家が政治活動中に暗殺されてますし、明らかにテロになります。
さらに犯人の動機については全容は明らかになっていませんが、少なからず残っている供述から社会から隔絶していた自らの生活の不満をケネディに暗殺する事に向けたと推察されます、これらは最近欧米でも言われている社会的に孤立し窮乏している人間によるローンウルフ型テロの典型です。
また、ケネディ暗殺事件はAssassinationと呼称され、Assassinationはテロの一文類になります。
「暗殺(あんさつ、英語: Assassination)とは、おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり[1]、テロリズム行為の一形態に分類される[2]」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/暗殺
明らかに安倍晋三暗殺事件はテロで、この議論の空虚さを感じてますが、この事件をテロではないとしようとし、その考えがこの社会を覆う事に危機感を抱き、草の根レベルの運動にはなるがこの記事を書きました。
どう都合がいいのでしょうか?政治家が銃で殺されてるのに、テロではないとした方が、体制側の奈良県警の責任逃れを強く感じます。
この事件をテロとすることで、統一教会に対する批判をテロの追認とおき批判を封じたいという思惑が当初ウヨ側にあったんだよね。今は誰もそんなの気にせずガンガン叩いてるから、もはやどっちでも良い。
どっちでもいいなら、何故これだけ反論が寄せらられたのでしょうか?貴方の物言いは正直、"効いてて草"としか感じないです。
論点が見えない。「政治家が演説中に殺されたら即テロと断定」との命題であれば、私の回答は偽。もし愛人との痴情のもつれで銃撃されたらテロではなかろう。山上容疑者の銃撃がテロなのか怨恨なのかはまだ不明
論点は安倍暗殺事件がテロかテロでないかです。ここまで書いてきてそこがわからない人がいる事に脱力してます…
山上徹也は安倍晋三の愛人ではありませんし、山上-安倍間には痴情のもつれはありません。
何度でも書きますが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
テロだと思いたい本当の理由は「テロの被害者が無垢」という考え方にありそうだな。たとえテロであっても自民と統一教会の結びつきは糾弾されるべき性質のもの。
テロかテロでないかのに被害者が無垢であるかそうでないかは全く関係ありません。
改革するなとは言いませんが、テロによって変わってしまう日本社会に問題意識は持ってほしい。
政治と宗教の癒着を改善する事はこの問題の表層的な事でしかなく、今語られていることは本質的な議論にはなってません。
氷河期世代等々の失職し生活が窮乏している人達への就労や学業支援の在り方やセーフティネット、孤立している人達への受け皿になるコミュニティ等々、他にも議論されるべき課題はあり、本質的な改革や整備がされないままだと、山上徹也のような頭のイカレたテロリストはこの社会に内在し続けます。
もう、反論さすがにないでしょ。記事作成から2ー3日経ってるし、ここまで長くなれば読む人はいないだろうし。ここまで書いてまだ反論あるなら私は一向に構わん!ですがね、ご意見お待ちしてますー。
三浦瑠璃氏の発言について、ずーっと思っていたことが言語化できそうなので、書き留める。
タイトルの通り、三浦瑠璃氏の発言は、小泉進次郎氏の発言に語彙力を足して、橋下徹の高圧的な姿勢を少々足すとしっくりくるように感じる。
以下に、彼女のツイッターを引用して、ざっくり読解ができればと思う。
→文意の解釈・受け止め、←この文章を書いている人の個人的な意見
三浦氏 2022年7月15日
「ロシア=ウクライナ戦争でコロナ禍が消えるかというとそんなことはありません。
今後戦争と制裁による経済被害が広がります。供給体制に多大な制約が生じ、需要側もエネルギー価格の高騰や物価の上昇で家計が苦しくなる。
結果として政治不安が高まるかもしれません。そこへ行動制限が加わるのです。」
さらにリプ
「第7波はくる。その想定のもとで考えてみてください。いまのようなやり方で、どれだけ経済や社会が持つのか。
ほんとうに大不況に突入したいのか。中国のように国際的交流を遮断して閉じこもる国になりたいのか。
年金や医療を支えているのは現役世代が回している経済です。未来を創るのは子供たちです。」
一つ目のツイート
→そうだね。そうだね。そうだね。
2つ目のツイート
→そうだね。そうだね。そうだね。
→小泉流に言い換え
今、こういった状況にある。このままでいいのか。今の日本は現役世代に支えられ、未来を創るのは子供たちである。
←具体的な提言をしているわけではなく、状況を描写しているという感じ。
三浦氏 2022年7月14日
「おそらく、そろそろ民間各社はほんとうに濃厚接触者の自宅待機をやめないと、何も機能しなくなると思います。
コロナに感染してもごく軽い症状ならば、5日間待機のグローバル基準でよいのではないでしょうか。
政府が方針変更しないのなら、企業が方針変更して自衛しないと回らなくなりますね。」
→1行目、そうだね。
←2行目、コロナ感染者が5日後にウイルスを排出しているか否かが懸念。
→3行目、そうだね。
→小泉流に言い換え
このままでは何も機能しなくなる。コロナ感染者が軽症なら活動を禁ずるべきではないのか。このままでは回らなくなる。
←参照
オミクロン株感染症例におけるウイルスの排出は、時間の経過とともに減少する。
有症状者では、発症日から10日目以降において、排出する可能性が低くなることが示された。
なお、無症状者では、診断日から8日目以降において排出していないことが示された。(掲載日:2022年7月14日)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/2019-ncov/11309-covid19-ab90th.html
三浦氏 2022年7月13日
“楊井人文
【Yahoo!にコメントしました】にわかに統一教会の問題に注目が集まっているが、犯人の術中にハマってはいないか。
この教団への復讐を狙って、その手段として「安倍元首相殺害」を計画したのなら、まさに狙撃犯のもくろみ通りの「社会的反応」を招来していることになる”
「まさに同感する視点。この供述は自分の主張のために殺人をするテロたるゆえんを示していますね。」
→そうだね。
テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。 「テロ」と略される。(ウィキペディア)
さらにリプ
「最近報道がそっちへ傾いているように、被害者に帰責性をもとめ、殺人犯になんのかたちにせよ共感を寄せることはいつだって危険なのです。
人を殺す必要もないのに殺すのは、こうやって注目を集め、社会を揺さぶり、自分の考える「正義」の主張に耳を傾けさせ、動かすことが目的としか思えませんからね。」
→「そっち」…統一教会によって山上氏の家庭が崩壊し、統一教会の悪徳商法の詳細が明らかになっていくさま?
洗練された洗脳のメソッドにより入信・献金が避けられないほどだった。
さらに突っ込んだ報道では、統一教会が自民党および安倍氏と深く結びついているとのこと。
「帰責性」:帰責…ある物のせいにすること。この文脈では安倍氏に責任があるのではないかという考え。
「殺人犯に共感を寄せることはいつだって危険」…おおむねそう。
←ただし、一部の殺人犯は幼少期に虐待された経験があるなど理不尽な境遇にあることも多く、その問題解決に行き届かない公共・行政への問題意識も重要である。
←「人を殺す必要もないのに殺すのは」…人を殺す以外での問題提起の方法が困難だった、知らなかったのでは…
→「こうやって注目を集め、社会を揺さぶり、自分の考える「正義」の主張に耳を傾けさせ、動かすことが目的」…それがテロリズム。
→小泉流に言い換え
引用元:教団への復讐であるなら、(大衆の注目を集めるための)テロとして、今の状況は犯人の思うつぼである。
引用三浦氏:同感。犯人の供述を見るに、自分の主張のために殺人をするのはテロです。
リプ三浦氏:現在の報道によって、安倍氏に責任を求め、殺人犯に共感することは危険。注目を集め、自分の主張によって社会を動かすことが目的(=テロ)としか思えない。
←おそらく論点としては、山上氏が“世間の目”を気にせず、安倍氏・統一教会に対してまっすぐ殺意を抱いたのか、
“世間の目”に対してなんらかの主張を訴えるために殺人に及んだのか(テロにあたる)、なのかと思う。
「テロは許されない」が、今回の事件が「テロなのか、テロではないのか」は今のところ不明瞭なのではないかと思う。テロとの見方が多いようだけど。
テロであるなら、私は犯人の術中にはまっていることになるのだろうけれど、テロか否か問わず、あらゆる事件は再発防止に向けて十分に検証されるべきだと思う。
ーfeat.橋下徹ーについて
テキストのみでは、橋下徹氏らしさはないけど、朝まで生テレビや参院選の開票特番など、出演番組での話し方はfeat.橋下徹氏が強い。
見てみてね!なーんか嫌な感じだから。建設的な議論というより、ありきの結論に向かうためのスキル・テクニックに自信ありますって感じで、生産性を感じない\(^o^)/
※蛇足
←ニコ動の開票特番で、福島瑞穂氏が、「あらゆる暴力に反対」し、別途、犯人の供述・動機を見るに「安倍氏と統一教会との関係は検証が必要」と発言したところに、
東氏「自民党が統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたってこと??」
←言ってなくない??
~中略~
東氏「自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?」
石戸「それに近い」
三浦「ほぼそれに近い」
←言ってなくない??(もっというと福島氏はテロだとも言ってない…)
参照元:https://twitter.com/070vv4/status/1546658500683898880?s=20&t=YeVxyNSG-eSsKn7F11M8sA
←犯人の動機を調べると同時に、この一件で注目の集まった自民党と統一教会の関係性は詳細に調べられるべきでは…
←嫌なシナリオ
政府が増税連発、公共サービスの縮小→生活に困窮する人が増える→統一教会の積極的な勧誘→統一教会および自民党のもとにお金が集まる。
←カルト2世の方が情報発信をしてくれているけど、彼らの親が困窮していたり社会的に追い詰められている中で入信していく様子を見るに、
行政や福祉の行き届かないところで宗教やカルトはいきいきと活動しているようで…非正規雇用、手取り13万円、長時間労働、ワンオペ育児などのキーワードでいろいろ思いやられる。
もっと蛇足になるけど、個人的にはニコ動の開票特番に出演してる人が過半数、
自民党支持・擁護要員だったことのほうがショック…メディアの人選がレベルを表すよね…諸々の番組での橋本氏の起用はまじでやめてほしい…
人の話し方とか態度を見ると、その人がかつて、そんな風に他人に接せられてきたのかなとか、大変だったのかな、生きるすべなんだよね、と思う。
あとは見えないものを見ようとして、擁護できないものを擁護しようとして、頭にないものをあるように見せようとして、みたいな…虚無を感じるこの頃…
安倍氏の虚偽答弁118回は有名だけど、嘘をつくことにあそこまでためらいがないのはすごかったよね、総理大臣には適してなかったと思う。
安倍昭恵氏に心を寄せる人が多いようだけど、ここ数日は赤木さんの奥さんのことを考えていたよ…自民党議員一斉辞職しないかな…
うまく改行できなくてごめん
575川柳
ようするに、定番の各局放送スクショくれ、という話じゃないんだが、
空気を大切にする感覚、あるいは、一斉に同じ方向を向こうとする感覚、
この日本人の底に流れている感覚ってどうしたら克服できるのかな、と考え込んでしまうわけだ。
https://twitter.com/ochyai/status/1545282099963625472
政府で働く人の悪口をみんなで言うと,その悪口を聞いた誰かが,日本を良くしようと思って銃でその人を撃ったりするんだよ.その人が撃たれた後にみんな暴力はいけない断固として許せないって言うんだよ.言葉の使い方は気をつけようね,みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね,メディアも個人も.
主語と述語を入れ替えたら、戦前のぜいたくは敵だ、というスローガンとなんら変わらないメンタリティ。
このツイートをみて、表現の自由について少しでも考えたことがある人なら、すぐさま、この発言の危うさに気が付くんじゃないかと思う。
「政府で働く人の悪口をみんなで言う」空気への落合氏の懸念は、「みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね」という形で、一億総ざんけにつながってゆく。
しかし、こうしてあるべき「みんな」がひとつのツイートに4回も強調され、プレッシャーになってゆく社会の危うさに気が付いていても、あるいは
表現の自由が脅かされると気が付いても、
残念ながら、というか、ひとたび憲法に結び付けて議論するやいなや、普通の人の感覚から離れたズレた議論になってゆく。
日本の憲法学は腐っているので、公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じてもほとんど生産的な議論はできない。
むしろ、ただ単に、ヤバいぞ、と気が付くだけで正直、十分なのだ。その感覚は戦争中に起きたことなど過去の思い出から引き出されるものかもしれない。
戦前の痛みを受け止めていれさえすれば、それが原点となる。共有できる、歴史という思い出が必要なのだ。
しかし、実のところ、それも心許ない。
増田でこれ以上、脱線した演説をしたくはないのだが、ひとつだけ俺が好きなアメリカ連邦最高裁の判決中のフレーズを置いていく。
空気がときには言葉の不協和音に満ちていることは、弱さではなく強さを表している。
COHEN v. CALIFORNIA SUPREME COURT OF THE UNITED STATES 403 U.S. 15June 7, 1971
アメリカの最高裁で意見が書かれる時には、建国時の200年くらい前の精神をふりかえって書かれることがしばしばある。
この不協和音という言葉も、フェデラリスト81論文(1788)で、A.ハミルトンが書いたとされる、「多くの関係者の不調和は・・討議を進展させるであろう」という言葉に源をたどることができる。
アメリカ建国当時のJ.マディソンは、民主制を擁護すればするほど、多数の圧政を招き、民主制の基礎を掘り崩してしまう、民主主義のジレンマに強い問題意識を持っていた。
落合氏のツイートのような、この空気感が、民主主義をどう動かすかを想像し、多数の圧政を招くメカニズムの克服について考えなければならない、これがマディソンの問題意識だったといっていい。
多数決のもたらす結果を克服しつつ、いかに民主政治を適切な方向に管理・誘導するか、これが匿名論文として執筆されたフェデラリスト論文のポイントだった。
空気の多様性を擁護する、ということのアメリカ的な原点は、ヨーロッパでの苛烈な宗教的な対立にさかのぼることができるが、建国に至る思い出が憲法起草に反映され、代々引き継がれてゆく。
このように、歴史というのは憲法上の原理を考えるうえでとても重要で、原点となる記憶が、その時々の重要な判決で繰り返し呼び戻され、継承されてゆくことが必要なのだ。
憲法の考え方をさかのぼってたどっていったら建国者にたどり着くアメリカと、たどっていっても芦部や清宮の古臭い基本書で行き止まる日本との違いを思う。
日本では、というと、やはり戦前、戦中になにが起きたか、ということをしっかり心に刻むのが重要だと思う。
というか現在の日本社会を方向付ける、歴史という思い出が、それ以外にない。
戦争体験にこだわらず、つくる、という発想もまあ大切かもしれないが、
自民党起草の憲法改定案のように大切な原点となる体験をなかったかのようにしてしまおうとする動きには警戒する。
しかし、原点があったとしても、それを頼りに、社会を同じ空気にしてはいけないと、どこまで切実に思えるか。ここに日本社会の弱さがあるようだ。
安倍さんは、日本の政治を大きく変えた人物。安倍さんだけのせいではないが、小泉構造改革以降、正直、あまりよくない方向に日本が進んでいったと思う。
首相官邸の強化は小泉さんの置き土産、そのおかげで恩恵を受けた第一次安倍内閣から、随分と政治と官僚との関係も変わった。安保法制も最悪だった。
先ほど述べたような憲法改正のその動きの先頭にたっていたのも安倍さんだった。正直、あまりいいことを思い出せない。
哀悼を表する。
「おまんこに中出しされた女性が、妊娠している状態としていない状態の重ね合わせの状態にあり、観測を行うことでどちらかの状態に収束する」といった量子力学的記述は、哲学者プッシーシュタインによって、彼の哲学的問題意識と深く結び付けられた。
プッシーシュタインは、人間が「おまんこ」について考えることは、自分の心について考察することと同じであるとした。プッシーシュタインによれば、人間は「おまんこ」という言葉を使って、自分自身の心の中にあるものを表現しようとする。「おまんこ」について考えることは、自分が何者なのかを考えることと等しく、極めて重要な意味を持っているのである。
また、プッシーシュタインは、人間にとって最も大切なのは「おまんこ」であり、それは、人間の知性や道徳性を超越した領域にあると主張した。人間が「おまんこ」について考え続けることは、理性を超えて存在する真理を探求し続けることである。そして、そのようにして探究される真理こそが、すなわち神だと信じた。それゆえに、プッシーシュタインにとって、シュレディンガーのおまんこは神の存在を揺るがす重大な問題点として認識されたのである。
プッシーシュタインは、シュレディンガーのおまんこについて次のように述べた。
「もし『シュレディンガーのおまんこ』が真実だとしたら、われわれ人類は、自らの心を理解できなくなってしまう。しかし、そのような事態に陥ってもなお、われわれは、おまんこのことを考えて生き続けるだろう。なぜなら、それを考えることこそは、我々の生きる目的だからである。我々は、神から授かったこの素晴らしい知恵を駆使して、永遠におまんこを探究し続けなければならないのだ。人類よ、チンポコを勃起させよ!」
とりあえずグラフをたくさん載っけとけばデータドリヴゥウウウンでアハンアハンなスンバラシくてグローバルな問題意識ビンビン感を演出することはできるでしょう。色々とショッキングなグラフがありますね。そこの君、安易にコメントしてませんか。出典確認したんですか。その数字どうやって出したか知ってるんですか。そういうことには興味ないんですか。メッセージが正しければどんな統計でも良いんですか。あなたそれでも高学歴なんですか。本当にいい大学行ったんですか。本当に学士もらったんですか。修士持ってるんですか。博士持ってるんですか。大学教授やってるんですか。エリート自称してるんですか。あなた、一体どういう教育を受けてきたんですか。未来人材ビジョンが言ってることが間違いとは言ってないんですよ。そりゃまあ挙げられている問題は正しいこともあるだろうし問題意識を高めるのは良いことだと思うんだよ。でもね、あれは資料としては不誠実極まりないな。都合の良いように切り取った信頼できないグラフをあたかも厳正な検証を経た結果のように見せるのはおかしいしグラフだけみて結論を急ぐ自称エリートも問題だな。未来人材ビジョンの問題は皮肉にもそれを絶賛している人達が体現しているんだ。無教育なバカばかりなんだよ!!!いい加減にしろ!!!
下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。
目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。
ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来、ツイッターで批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスターを撤回すべし」等の意見をつぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。
はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるとしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所が肯定すれば、抗議者の表現に裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由の侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由の恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。
元々のエントリーでは次のような言明がある。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
これに対するブコメはこう言っている。
preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品のほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りでしかない/そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い
後段の「そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないから不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスターを掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは、表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損的言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要な利益であり、自己表現の利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様である。ノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科を実名で暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現が抑制されている(この事件では、慰謝料の請求を裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシーの保護のために表現を抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。
名誉毀損やプライバシーは具体的な個人の利益が問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組の政治的公平性)を保護するために、表現を抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反が総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果をもつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事・大阪市長・橋下徹のトーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送は社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現を規制しろと言う主張」だから「規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。
なお、念のためにいえば、プライバシーも名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条が保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利は表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自の見解に過ぎない。
選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか。日本の表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制、公務員の政治的意見表明やストの広範な禁止、放送資源の分配問題、政府情報の保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガ・アニメ」の自由ということになっている。また、「アニメ・マンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える』事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノの合法化;「有害図書」販売規制の廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。
「表現の自由」を掲げる政治家の言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由を抑制している制定法を改廃するのではなく、規制の対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだから、お目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動を政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的・普遍的権利を掲げながら、規制の廃止を唱えるよりも、特定の表現に限って規制を免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物の意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物が特定の出版社や特定の作品群を代表している場合、その他の出版社・表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家の言動をナイーブに受け止めてはいけない。
なお、私は実は「アニメ・マンガ」の中の特定の作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体がけしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。
「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロ・ナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論は憲法上の権利として保護されないはずである。憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本の最高裁の考え方もそうであろう:
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
「エロ」の自由を擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理の桎梏をいかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノも出版の自由の対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデンの憲法典の一部を構成する出版の自由に関する法律は、出版の自由を制限できる場合を限定列挙する。児童ポルノは出版の自由を制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁は判例を変更していない。捜査機関が取締りの方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルト・ビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である。一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである。しかし、この最大の桎梏の存在を認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガ・アニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガ・アニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。
丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから、規制される前に対処する政治家が必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。
※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器が描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである。
※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。
※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノが合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集を日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲諸事件の流れだ。
※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的な規制の問題として評価できよう。
※5 むしろ、出版社の利益を守るためと考えれば、個別の出版について規制をお目こぼししてもらう活動も大事だろう。だが、あくまで出版社の権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。
※6 日本で出版されている成人向けマンガ・イラストが児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁はマンガの表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国の立法255号[2013年]223頁)。このような判断を日本の最高裁がするかというと、全然しないだろう。