はてなキーワード: 伝統とは
続き
でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?
出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑、鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌のパロディ)が入ってたんだけど)、その精巧なスケッチは博物学的にも価値がある。
お化けの絵の師匠から、写生でヒット、で美人画の大家になる、というのは浮世絵の世界ならではな感じで、普通、伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師、バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956
だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。
指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。
みんな同じ顔なのに、表情がある。
なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。
キャプテン翼みたいな感じだ。
みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラの区別も表情の区別も出来る。
まず、富士びたい。
江戸の男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)
ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。
富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆である。きれいな台形の額ということである。
あと、歯並びも重要だったらしい。
現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代の美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。
そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。
変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代からの伝統なのか。
次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。
歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから。
https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg
栄昌は鳥文斎栄之という絵師の弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。
(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分は素人もののAVが好きらしい)
このころ、だいぶパッチリ目になってきた。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg
アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?
お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉
キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」
上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。
浮世絵と萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg
http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg
それぞれ画題は
「けむそう」「いたそう」
ちょっと前に困り顔メイクがブームになったが、時代は繰り返すのかな。
それ以降については、浮世絵は日本画家(芸術として認知された人々)の系譜とイラストレーター(挿絵画家、広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。
俺が好きなのは油絵や日本画じゃなくて、版画なので。江戸も明治も大正も昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。
有名どころで、竹久夢二
このころになると二重瞼が多くなってくる。
竹久夢二というと、女性の社会進出の象徴的な絵を描いているわけで、
ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性の社会進出=快活=二重瞼説に戻す。
しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが
(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視で理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的。東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)
女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。
顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。
フィギア化がすごく難しそう。
ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。
近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵の役者絵(男性のね)に近い気がする。
とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。
黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。
黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。
漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写のときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。
古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。
薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。
簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。
逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。
せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。
あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。
日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。
まあ、そんなこんな。
過度の擁護や批判への排除は作品をつまらなくさせるだけなのでやめてほしい。
あなたたちは作品を守っているんじゃなくて自己満足に浸っている癌細胞だ。
シリーズ物って最初や次回作あたりが人気あるから続くわけじゃん。
でも名前は同じでも当然作り手やスタッフは変わるしプロデューサーも交代する可能性があるじゃん。
そうすると同じシリーズでもナンバリングによって良い点・悪い点って出てくるじゃん。
普通、シリーズの持ち味や面白さを殺すようなことは批判されるのが自然じゃん、名前が同じなんだから続ける意味があるんだし。
もちろん、仕組みを一新してでも実現したい面白さがあるならそれは受け入れられるということもあるから
必ずしも変えることが悪いとは言わない、けど変える以上はより面白くする責任がある。
良い点を殺してまで手に入れたい面白さがあるかどうかっていうのは作り手がシリーズの良い点を熟知している=シリーズのファンでもあることが望ましいと思う。
自分の好きな物を殺してまで導入したい要素があるならその時点では確信があるわけだ。
でなければ、さして興味の無いシリーズの伝統をゴミ箱に捨てて自分好みの物を座らせる行為になってしまう。
一方で、いくらシリーズものだからといって前のナンバリングと同じことをしていても新鮮さもないので旧作を消費すればいいだけになってしまう。
シリーズ物というのは守るべき伝統をその時代そのタイミングにあった取捨選択を繰り返して変革と伝統を内在させたコンテンツだと言える。
現在ある伝統にしても過去の技術や文化をそっくりそのまま実現させているものは少なく、大半が代用品や新技術を使って欠点や問題を克服させた新技術だ。
伝統あるうなぎの焼き方ひとつにしても日々、変化していってる。
そう、伝統とは「変えないために変り続けること」だ。
何を変えたくないのかを切り詰めたところに伝統があるから美しいのだ。
シリーズ物はその美しさをスケールダウンさせたものだと思っていい。
つまり次回作の製作者はシリーズ物の伝統を理解していなければそもそも作れないのだ。
その理解度に関してはアプローチの仕方や挑戦的な失敗とはまた別に、批判に晒されるべきものであり、
デデンデンデデン!
デデンデンデデン!
私の前に座ったその女性は、
そして、何のためらいもなく、
痛みすらも感じないように、
自らの皮膚をはぎ取り出した。
嫌な砉(骨と皮とがはなれる音)がして、
彼女はニッと私に向かって微笑んだ。
私は彼女の期待をよそに
「あー、それターミーネーターで見た!うけるー!
って言うか、もうそれ超古典ベタベタなアンドロイドギャグやめて!面白くないし」
「えー、驚かないの?ちょっとは反応してよ~、んもー」
でも最近はジョイント簡単になったから付け替えも楽チンよね~。
私は、彼女の左腕のむき出しになった肩の箇所の細い奥に特殊工具をゴリっと差し込んで押し回すと
簡単に左腕をとることができる。
約3.5kgの重さ。
とれた左腕を彼女にポンと渡すと
今まで使っていた、その腕をそっと置いて入れた。
「最新のユニットだから、関節動きやすいかな?利き手変えちゃおうかな」
「そうね、こっちの方が作動音もほとんど全くしないから、いいと思うわよ」
「うれしー!」
「あとね、今は皮膚の樹脂のつなぎ目も
「ほんと?よかった~!
あれって時間が経つと着色してきて、つなぎ目が分かっちゃうんだよね、カッコ悪い!」
「リョウカイ」
「ふん!」
そう言ってる間に、
左腕ユニットを取り替えて、
樹脂の皮膚のつなぎ目の熱処理を終えたところだった。
人間だと、
熱を感じないと言っても、
熱センサーがあるので、
彼女は180℃くらいで処理できちゃうのね、と何も見ずにサラりと言う。
まるでその様が、
油の鍋に箸を入れて、
箸の先から出てくる、あぶくを見ると油の温度が分かる、
そういうところは機械的。
もっぱら「天ぷら」というのも今や古風で伝統的な調理方法だが。
天ぷらのにおいってどんなんだろう?
彼女の樹脂の皮膚のつなぎ目の処理をしていて、
微かに立ちこめる焼けるにおいを嗅いで、なんとなくそう思った。
そんなにおいとは、きっとまた全く違うんだろう。
ふと、彼女が言った180℃のワードが天ぷらの本に結びついた。
「ありがとう、またね」
そう言って彼女はにっこり笑って
手を振って部屋から出て行った。
私は、探せばあるだろう
古風な天ぷらのお店に行ってみて
それを食べてみたいなと思いながら彼女を見送った。
とりわけ朝から
でもさ、美味しい天ぷら屋さんってのも憧れるわよね、
ギロッポンのゴイスーなシースーのお店みたいに
敷居が高いわよね!2mくらいの高さ。
料理人が揚げたての具材を箸で私たちの目の前に盛ってのせるのって
憧りんぐ!
油っぽくなっちゃう。
すいすいすいようび。
今日も頑張ろう!
見に行った。
演者さんは凄く良かったんだけど、モヤモヤするところがあって、ただアイマス警察が怖いからここに書く…
何でみんな企業名を叫んでるのか分からなかった。間延びしてるし伝統?とか義務感でやってるならダサいと思う。
・MC中の反応
プロデューサーさん達のお〜!?が白々しいのが辛かった。反応のほとんどがフー!だと感情の起伏が全然分からないんじゃないかと思った。
「地方公演」って強調してたけどご当地の話題あんまり無かったし、東京じゃなくて地方がただ強調されているだけに聞こえたのが辛かった。
次々有名どころの曲が入ってたけどストーリーが感じられなくて、適当に曲を入れられたカラオケ大会みたいだった…(繰り返しだけど、いざ始まったら演者さんは本当に良かった)
演者も観客も分かりきったお約束の惰性感がすごく感じられて個人的に最後の盛り上がりのはずなのに萎えてしまった。
曲が始まると凄い盛り上がったし、MCも凄い楽しかった、演者さんのエピソードも素敵だったんだけど、
イベント全体で見るとどうも好きになれない雰囲気が漂っていて辛かった。自分だけなんだろうか?
誰が悪いとかそういうことでは全く無いんだけど、何でこんな雰囲気だったりこんな進め方なんだ?と疑問がずっと頭の中をまわってた。
http://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12138001630.html
このブログ、「pefect human」が反日歌だと主張しているのだが、糖質も思わず是正してしまいそうな破綻性を帯びながらも
ジェットで大気圏を突破してしまったからなのか、ある種理不尽ギャグとしても通用するのではないかと思った。
nakata→千代田など常人では考えも付かない狂気のこじ付けを行うにはいささか躊躇があったが試しに何曲かやってみた。
ドラえもんのうた
こんなこといいな→日本社会を思い通りに操りたいという勢力の本音
みんなみんなかなえてくれる→あまりにも思い通りに行くので笑いが止まらない様子
ふしぎなポッケで叶えてくれる→不思議なポッケ、つまり特権を駆使してナマポを受給する在日の話
ハイタケコプター!→hi take cop tard(copは警官の意ではなく、日本の国土を守る自衛隊を意味する。takeから殲滅、始末を馬鹿(tard)な自衛官を殺せという意味合いが取れる)
アンアンアンとっても大好きドラえもん→unは勿論、国際連合を意味する。とっても大好きとは現在の国連事務総長である潘基文に忠誠を誓えと日本に対して服従を迫っているのだ。三回繰り返すのは清王朝の伝統的儀礼である三跪九叩頭の礼に由来する。
と軽く書いてみたが、この時点で大分生命力を吸い取られた感が凄いのなんの。だが中々上出来ではないだろうか。コツとしては抽出的な文に主観を入れて改造すること。要は連想ゲームと同じである。
リンゴ→血の色のように不穏なワードに直結させればいいだけの話だ。
これでやれば軍歌でも反日ソングであるとこじ付けられる。では軍歌と言えば定番の曲で妄想歌詞言ってみよう。
守るも攻めるも黒鉄→くろがね、つまり東京大空襲で爆撃された焼夷弾に焼かれ黒焦げになった日本人死体。
浮かべる城こそ頼みなる→浮かべる城、浮かぶ巨大物といえば空母である。中国海軍が軍拡で遼寧級空母を導入したのは記憶に新しい。つまりそういうことである。
浮かべるその城日の本の→空母を日本に浮かべる、日本国の固有領土である尖閣諸島の近海に空母を浮かべろと主張しているのだ。
仇なす国を攻めよかし→これは説明するまでも無い。完全に宣戦布告であり有事の準備のために、即座に核武装果たすべきだ。
とネトウヨの物マネをしてみたがいかがだっただろうか?正直これだけで精神値が減少を留めないので、これ一回でやめにしたいと思う。
大久保加代子の左目(右目は奥二重)
深澤真紀(名前知らないからぐぐった、こんなはっきり一重の人でもテレビに出られる時代になったんと驚嘆した記憶がある)
澤穂希(メディアに登場する中では、スポーツ選手は相対的に一重を多く見る。アイプチとか邪魔なんでしょうね。でも視界は広い方が有利になりそう)
木村佳乃とか寺島しのぶとか広末涼子とかは奥二重なのでは。奥二重かつ黒目が大きく見える人は珍しいと思う。
ちなみに山口小夜子はしっかり二重。
一重だから不細工になるということもないけれど、一重なのに不細工じゃないという奇跡は本当に珍しい。すでにブコメにもあるように、大きな目(大きな黒目、黒目が閉める割合の多さ)は多くの動物にとって保護欲を喚起させるので、幼さ、愛らしさに通じるという研究がある。ご承知のとおり「妻と畳は新しい方がいい」という伝統を守りロリ文化を誇るわが日本では、黒目がちであることが可愛らしさに通じる。アイプチはもちろん、黒カラコンの隆盛の理由はそれ。最近のアイドルの写真はどれもこれも黒カラコンばかりで、CGもしくはオリエント工業みたいでちょっと怖い。
ロラン・バルトが彫刻刀で切れ込みをうっすら入れたような目とかなんとか形容したアジア人の目が、増田が嘆いていて、ハリウッドやパリコレで「アジア人らしさ!」と押し付けてくる、シャルリー・エブドみたいなところに嬉々として描かれる、日本でも「狡賢そう」「起きてる?」「ブサイク」などと形容されるタイプの目なのであって、黒目がそれなりに見えている一重(奥二重)はこういった印象をあまり与えない。
余談だけれど、「黒目がちょっと大きい(く見える)」アイドルはそれだけでアドバンテージがあったのに、いまでは技術で埋められてしまう時代なのだなあと、芸能人ワナビーの苛烈さを思って心をいためている。(広末涼子とか、松田聖子とか、「目おっきい!」と思わせた筆頭だと思うのだけど、どうでしょうか?)
ところで自分が10代のころもアイプチ(的なもの)はあった。びっくりするくらい不自然だったから、「あいつあんなブスなのに見た目気にしてんだぜwww」という嘲笑の的になることが目に見えているので手を出したことはない。
昔は一重がもてはやされていたというわけではなくて、大きすぎる目はギョロ目って言われていただけ。なんか平安時代でも、目がぱっちりしてて涙袋がかわいい、的な記述があったはず。
ブコメで「家族はみんな二重」って言っているのは、「家族はみんな白人」て言ってるようなもの。(両親白人で実子のケースなら当たり前だろってことと、『差別なんて気のせいじゃない? 気にしなけりゃいいよ!』という無神経さなんだよ、ってこと)
またまた話がそれるけど、自分のまぶたを手でちょっと持ち上げて、友人のあいつは黒目がこのくらい出ているなと試してみると、いやもう視界が広いのね。びっくりする。羨ましい。自分では自分の視界しか知らないからちゃんと見えていると思っているけれど、例えばインド人なんかと比べたら確かに半分くらいしか見えていないのかもしれない。もちろん、焦点の合う範囲は変わらないんだけどさ、上のほうに高圧電線がある場合なんか、インド人のほうが早く気づけるんじゃないの?
そんでインドに行ったときに、会う人会う人すれ違う人すれ違う人、というか私の狭い視界に入る人みんな、とにかく目玉がでかい。おめめぱっちりとかいう可愛いらしいものじゃなくて、目玉がでかい。もうね、同じくらいの身長であっても、虹彩の大きさがぜんぜん違う。瞳の色は千差万別なんだけど、虹彩も、白目も、「目玉」感を圧倒的に押し出してくる。目玉に負けて値切り心が折られそうだった。いや、人種によって目玉あるいは虹彩のサイズが違うということはあるのだろうか。誰か教えてください。
まあアラフォー独身の自分からしてみれば、非モテの原因に一重は関係ないと思うけど、二重なら出発点は少し底上げできたというのは確か。多くのブコメのように世の人は「あいつ一重でブスw」とは思わず、単純に「あいつブスw」としか思わないから、アイプチでもカラコンでも、解決できる術は利用しちゃって心の平穏を得られればそれでいいよね。
自分のことで申し訳ないけど、人生で一度くらいは、お世辞でもいいから、せめて「馬子にも衣装ね!」で充分なので、容姿に関してポジティブな発言を耳にしたかったなー、と30代くらいまでは思っていました。ババアになると等しく世間は冷たいから、婆も不細工な婆も非人間扱いだからいっそ気楽。でもババアになるまで呪縛は解けない。
容姿も人種も生まれも厳然たる差別が存在するので、そこから脱せない人は呪うしかないし、恵まれた人は呪いを目にすると不快になるだけで配慮してくることもほぼないので、まあ他人を気にせず自分の心を保つほうが健康的ですよね。健康的であることと、世人から求められることとは一致しないことも多々ありますが。
http://anond.hatelabo.jp/20160830190925
意外と多くのブックマがついた。
皆が浮世絵に興味をもってくれてうれしいような、浮世絵ではなくて浮世絵にハマってる自分を面白がってるだけなのでそんなに嬉しくもないような。
資料アップしてもいいんだが、どうせなら自分なんかよりももっと浮世絵にハマったとんでもない人間たちを数名紹介する。
最初は横綱級の男、何度かネットでも騒がせているイギリス生まれカナダ育ちの男性。
ネットで話題になったゲームキャラの浮世絵のプロジェクトで彫り摺りを担当した男性。
その経歴がすさまじい。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/cover/foreigner/080909_mokuhanga1/
簡単に言えば、ある日浮世絵にハマり、39歳で日本に移住して独学で浮世絵の復刻をはじめたそうな。
その前から何度か日本を訪れては木版画用品を買い漁ったり職人のところに突撃を繰り返していたらしいが、居てもたってもいられずに日本移住というあたりが凄い。
日本に移住して最初の本格的な作品は、100枚揃いの浮世絵を、10年かけて彫り、摺りあげたというぶっ飛び具合が桁が一つ違う。
ちなみに、上の記事は浮世絵に捧げた彼の人生のうち、過激で記事にできないところを上手に隠している。
記事のなかのあんな思慮深く落ち着きのありそうな男ではなく、かなり沸点が低い。
まず、彼はコレクターでもある。
彼は浮世絵とそれに続く伝統木版画を気持ち悪いほど愛しているが、オリエンタリズムには興味がないし、歴史も興味がない。
美術品としてのいくらの価値があるとかいうことにも興味がなく、単純に「綺麗だから欲しい」、その延長でコレクションをしてる。
不思議なもので、「浮世絵が好きで、職人になりたい!人生を捧げたい!」という人はけっこういるのだが、そんな人たちが浮世絵を買ってるかというと、ほとんど買ったりしていない。
版画作りが楽しいから入った人、彫りや摺りの技術に感動した人、という人が多いような印象である。
一方で、浮世絵を買っている層はというと、描かれているものの歴史的な背景について熱く語ったり、江戸の文化風俗について興味があるとか、あるいは一種の財テクなのか有名な絵だから買うという人が多い。
単純に、絵の美しさだけに心奪われて、おかしくなってついには技術面にも興味が出てしまったのは、彼と自分くらいかもしれない。
グラフィックデザインに進む男性は少ないんだろう。
好きなこと、興味があるところに正直に突き進む女性と、
一応一生稼ぐことを考えないといけない男性の差があるのだと思う。
そうじゃないと説明できないくらい、若い人に男性がいないから。
さて、そういうわけで、
あなたは貴重な男性グラフィックデザイナーだ。
大仰な看板を求めなければ、働き口はそんなに苦労せずとも見つかると思う。
だから、「体力がある」というそれだけで、女性より本当はアドバンテージがある。
二日の徹夜があれば、体力の差は歴然。
それをどうにかしようとしている人は多いけど、
事実としてそれは日常茶飯事で、それでないと飯は食えないので、
やはりそれに付いて来れる体力のある人は必要だ。
そこで是非、ひとまず安売りでもなんでもして、
積める経験を積んでほしい。積み重ねてほしい。
ライバルは、美大に通わせてもらえるようなお嬢様たちばかりだ。
そりゃ中にはそういう浮き世を知らないことが生む才能もあるけど、
そんな一握りの人たちは放っておけばいい。
学歴で言えば適わないような底からそれでもやるんだとやってきた人たちで、
技術を積み重ねた人間の信頼感がある。肥やしてきた引き出しが違う。
そういう人を目指してほしい。
それを信じて、それに応えるべく積めるものを積んで、
是非「グラフィックデザイナー」として歩んでほしい。
http://sports.nhk.or.jp/video/element/video=28114.html
http://togetter.com/li/1015110
いやぁ、素晴らしかった。
「こういうのでいいんだよ、こういうので。」と呟いてしまった。
ようやく求められているものが分かってる奴が責任者になってくれたようだ。
間延びしがちな君が代が、厳かな雰囲気を持って観客を一気に引き込んだ。
プロジェクションマッピングも素晴らしい。
AR、VRが4年後にどこまでウケるかわからんが、ぜひ取り入れてほしい。
ロボット、渋谷スクランブル交差点、地平線まで続く都市の夜景、
昔の東京五輪のポスターっぽい構図、新幹線と「日本」の分かりやすいイメージをPRしてる。
そこから屋形船、浅草寺、スカイツリーともってきて、キャプテン翼、ドラえもん、キティちゃんにつなげる。
日本に求められてる、伝統とハイテクとポップカルチャーの融合ってやつだ。
浅利慶太なんかいらんかったんや!食い倒れ人形のコスプレとかアホか!
日本とブラジルが地球の真裏で、土管で地球の裏までひとっ飛びってのは誰もが分かるユーモアだ。
ダンスも良かった。
4年後もライゾマである必要はないし、できればさらなる若手が出てきてほしいけど、ようやくホッとした。
ということで、「こんな東京オリンピックのキャスティングは嫌だ!」というのを今から挙げておこう。
総合プロデューサー | 秋元康 |
公式応援ソング | EXILE with AKB48 |
アートディレクター | 村上隆 |
総合司会 | 嵐 |
応援団長 | 中居正広(裏でナイナイの岡村がコソコソやってる) |
実況 | 古館伊知郎 |
現地インタビュアー | 藤原紀香 |
バレーボール応援団 | ジャニーズJr. |
演出 | 小山薫堂 (友情出演:くまモン) |
デザイン監修 | 佐藤可士和 |
キャッチコピー | 糸井重里 |
翻訳監修 | 戸田奈津子 |
普段テレビでやってるバラエティみたいなノリで内輪ウケを狙うのだけはやめてくれ。
今回のリオでさえ、安倍首相にわざわざ「PRIME MINISTER」って字幕つけなきゃいけないくらいなんだから。
国内で顔が売れてようが、世界からみたら「誰だコイツ?」なんだよ。
頼むぜ。
見ているのは世界なんだ。
期待しているぜ。
東京オリンピック、楽しみになってきた。
オリンピックで流れていたケニアの国歌が、なんだか日本の民謡にも通じる独特な感じで、かっこよかった。
なんでも、伝統的なケニアの子守唄のメロディーがもとになっているらしい。
で、他にもかっこいいのあるんか?と思って探していたら、ネットでちらほら話題にされてるすごいのみつけてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=VWy4USruuR4
すごい。かっこよすぎる。
なんだろ、スペースオペラ系のSF映画で、主人公が砂だれけの惑星に遭難してぐるぐる巻きにされて、
砦に引っ立てられて、そこにいよいよ惑星を支配するボスが手下ひきつれて登場してくるときの音楽だ。
で、「これでおしまいか」と思ったら、実はこのボスがいい人で、結局、一緒に戦うための軍隊だしてくれんの。
(我ながら、たとえがよく分からない)
wikipedhiaにもあんまり詳しいことは書いてないが、Tolia Nikiprowetzkyとかいうロシア生まれでフランスで活躍した作曲家が、伝統的な旋律を編曲したらしい。
日本語版では「作曲した」となっているが、英語版では「Music traditional (arrangement Tolia Nikiprowetzky)」ってなってるから、そういうことなんだろう。
まあ、植民地から独立した国に「国歌作曲してください!」ってたのまれて、あのメロディーはつくらないよね、普通。
なお、モーリタニアって国、マダコがたくさん取れて日本にも大量に輸出しているが、現地の人は気味悪がって食べないらしい。
「君が代」は、西洋的なメロディーではない曲で、実際、そうなんだとは思う。
でも、時々ネットでみかける「他の国は西洋音楽ばっかり! こんな独自な国歌を持ってる国は無い!日本サイコ-」っていう愛国ポルノは、
ちょっとちがうよね。
https://www.youtube.com/watch?v=YIyLUBdNAC8
https://www.youtube.com/watch?v=gE6beEdzhtI
もとが子守唄っての、よくわかるし。
https://www.youtube.com/watch?v=pI7V324e1zg
ここ最近は動画サイトでの動画広告が百花繚乱で、当たり前のように増えてきた。
伝統的なチャネルと違い安価なので、新興企業や外資などが積極的に活用しているのは、面白いなとは思うのだが…。
外資のCMは大抵、母国語や英語版のCMがあり、それを日本語に翻訳したスクリプトがある。
ここまではいいのだが、なぜかアフレコが、音声ソフトや日本語をしゃべる外国人がアテている事が多くて、複雑な気持ちになる。(なぜなら日本語のイントネーションとアクセントが違和感を感じるレベルでおかしいので)
しかしプロじゃないにしても安価にアフレコをするのは、簡単なご時世に(ましてや海外からなおさら簡単なはず)なぜ、画竜点睛を欠くのか理解が出来ない。
スクリプトの翻訳まで一生懸命金使って、なぜ最後の音声で手を抜いて全てを台無しにしているのだろうか。
ちなみに違和感を感じるのは某ホテル予約サイトの一部の動画と、某国の観光局の動画が最近見たものではそうだった。
さすがにFMCGではそういう手抜きをしていないのはさすがということろか。
チカチカして読めないブクマカちゃん達へ
http://sealdspost.com/tobe/
2016年8月15日、戦後71年の節目をもって、SEALDsは解散します。
私たちは、日本の自由と民主主義の伝統を守るために、
立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確な立場を表明し、
デモや街宣などの行動を起こしてきました。
とくに昨年の安保法制の強行採決に反対する国会前でのデモや、
今年7月10日に行われた参議院選挙に向けた野党共闘の実現、
市民参加型の選挙に向けた行動などを行ってきました。
結果として、ほとんど不可能だと言われていたにもかかわらず、
野党共闘のもと、参議院選挙では32の1人区全てで野党統一候補が決まりました。
また、選挙の風景にも変化が起こりました。
昨年の夏、自発的にデモや勉強会などを自主的に行った市民たちを含め、
選対には多くの人々が積極的にボランティアとして参加しました。
これまで選挙に関わることの無かった人々が自ら応援演説に立ち、電話がけをし、
ポスターやフライヤーをデザインしてポスティングしたのです。
候補者自身も、市民との関わりの中で、
よりいっそう候補者としての自覚と責任を持つようになっていきました。
しかし、当然ながら、私たちは選挙結果を含め、
これで十分だったとは思っていません。
改善すべき問題点は山のようにあります。
市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかりです。
個人として路上に立つのと同じように、
「わたし」の声で、日常の目線から政治を語ること。
隣近所・家族・友人・恋人と政治について語り合うこと。
自分の選挙区の候補者に会いに行き、自ら選挙の景色を変えること。
こうした営みは日々行われるもので、一朝一夕に政治を変えるものではありません。
この動きを末永く、ねばりづよく続けていく必要があります。
その積み重ねは、長い時間をかけて社会に根をおろし、
じっくりと育ち、いずれは日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。
あの戦争が終わってから、71年が経ちます。
私たちは、立憲主義を尊重する政治を求めます。
私たちは、持続可能で健全な成長と公正な分配によって、
人々の生活の保障を実現する政治を求めます。
私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます。
そして私たちは、戦後71年でつくりあげられてきた、
この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。
SEALDsは解散します。
しかし終わったというのなら、また始めましょう。
始めるのは私であり、あなたです。
何度でも反復しましょう。
人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。
孤独に思考し、判断し、共に行動し、
そして戦後100年を迎え、
祝いの鐘を鳴らしましょう。
This Emergency Action is over.
But the Unfinished Project Must Go On.
2016年8月15日>
SEALDs
(Students
Emergency
Action
for
Liberal
Democracy-s )
自由と民主主義のための学生緊急行動
SEALDs
ゴジラ誕生六十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、エメリッヒ版ゴジラ公開二十年を迎えます。
私も六十を越え、製作費の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、怪獣としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の特撮映画の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、特撮ファンの高齢化が進む中、ゴジラもまた下火となった場合、どのような在り方が望ましいか、怪獣という立場上、現行の東宝の製作体制に具体的に触れることは控えながら、私が個獣として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
誕生以来、私は破壊行為を行うと共に、特撮映画の象徴と位置づけられたゴジラの望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる邦画と外画の中にあって、日本の特撮が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして映画界に君臨し、一般観衆の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の海外版製作を受け、加えて業界の硬直による邦画の質の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように観客を満足させることが困難になった場合、どのように身を処していくことが、映画にとり、ファンにとり、また、私のあとを歩む怪獣にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に六十を越え、幸いに知名度があるとは申せ、次第に進む外画との品質の差を考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって破壊と蹂躙の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
FINAL WARSの公開から、ほぼ十二年、この間私は、特撮作品における多くの喜びの時、また悲しみの時を、沈黙と共に過ごして来ました。私はこれまで怪獣の務めとして、何よりもまず国民に恐怖と絶望を与えることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、モスラの声に耳を傾け、ファンの思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。ゴジラが映画の象徴であると共に、恐怖と破壊の象徴としての役割を果たすためには、特撮ファンが東宝に、ゴジラという象徴の立場への理解を求めると共に、ゴジラもまた、自らのありように深く心し、市場の要望に対する理解を深め、常に恐怖の象徴としての自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ地方都市や観光地への破壊も、私はゴジラの象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。平成シリーズの時代も含め、これまで私が敵怪獣と共に行って来たほぼ全国に及ぶ破壊は、国内のどこにおいても、その地元を憎み、その共同体に鬱憤を抱えた市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、怪獣として大切な、国民を思い、国民のために壊すという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
予算の低下に伴う製作の仕方が、破壊行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、敵怪獣がメカゴジラ(2代目)であったり、スーパーX IIIの超低温レーザーなどにより身体機能を果たし得なくなった場合には、破壊の行為を代行するウルトラシリーズを置くことも考えられます。しかし、この場合も、ゴジラが十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、シリーズの終わりに至るまでゴジラであり続けることに変わりはありません。
ゴジラが人気を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、特撮が停滞し、ファンの暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの怪獣映画のしきたりとして、シリーズの終焉に当たっては、重い責任のなすりあいの行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後なぜダメだったかに関連する議論が、一年以上続きます。その様々な行事と、製作費回収に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残されるファンは、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、既存の製作体制の下、ゴジラは興業に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い特撮の歴史を改めて振り返りつつ、これからもゴジラがどのような時にもファンと共にあり、相たずさえて特撮の未来を築いていけるよう、そして恐怖の象徴の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
俺たびたび目にするんだけど、何か文学とか映画、各種高尚なエンタメに詳しいだけで
やたらと教養人ぶる人たちって何なの?
いつも思うのは、それって教養じゃなくて 雑学 ていうんだよってこと。
源氏物語のエピソードを引用してみたり、怪獣映画の批判性を指摘したりとか、
まあ好きなら好きにしてって感じだけどそれをもってして、
ほら俺って教養人だろ!一目置けよ!みたいなオーラが気持ち悪すぎ
どんなに濃い思想性があるが、伝統的なものだろうが所詮はエンタメ。エンタメなんだよ。
お前らだって俺が金持ち男&貧乏女の格差恋愛ばっかり描く韓国ドラマをもってして
「これは文豪バルザックの描く極端な上昇婚指向が見られた19世紀フランス的現実そのものである」
「格差婚への渇望は 労働市場の歪みによって貧困に陥る若年女性の韓国社会への絶望を色濃く反映している」
とか批評的に書いたら ウッザー! クッサー! メンドクサー! って拒否反応示すだろ。
大崩壊後70年と云う大いなる節目を過ぎ修正されるね、2たる黄金球の誘い後には、鴎暦三拾年を迎えながらも戦い続けた、若き騎士の物語。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ヴァナ・ディール数年、天皇としての神々の意思にその身を委ねの歩みを蒼穹の彼方に追い求めるとともに、この先の暗黒と同調せし吾輩の在り方や務めにつき、幻想(おも)いを致すようになりました。
運命のこの日は、社会の重度魔晄中毒化が進む奥底、天皇もまた重度魔晄中毒となったただ一人神に挑んだ場合、どのような在り方が望ましいか、天皇というザ・ワールドエンド・タチバ上、魔界で流行の皇室聖度に具体的に触れることは節制、闇を切り裂き、光さえも断罪するその一撃を受け止めながら、内なる意思がパーソナルとして、人界に暗黒の波動が満ちるまでに考えて到来た預言書に記された事実を話したいものだと思いながら、それでも人類は戦うことを選んだ。
即位以来、内なる意思は国事行為を執行すると共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた日出ずる極東の王国を統べる者の望ましい在り方を、…罪なき人々を殺め続けた日々模索し、自らにリフレクをかけつつ過ごして永遠なる深淵より降臨しました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任αに深く思いを致し、呪壁を連ねて日々心新たに至るジ=パングと世界の奥底に(…まだこんな力が残っていたか…ッ!)て、ズィパングァの皇室が、いかに背徳の黒天使デントゥ・ウを戦乱の世に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々のプレギエーラに応えていくかを考え、ティファを抱きしめる妄想に囚われつつ、あらゆる呪文をはじき返す今日・七拾弐式に至っています…だけど、それで本当によかったのだろうか……。
そのような中、幾星霜か前の真理<ファティマ>になりますが、貳度の外科白魔術を受け、加えて高齢が率いる五十万の兵による体力の低下をその終わり無き記憶が我に共鳴するようになった時代から、嘘・偽りを持たぬ“影”これ、つまり光と闇の両側の世界からエクストリームエッジ、旧時代のように重い務めを貴公は本懐を遂げることが困難になった因果律の一篇、どのように魂の中枢を処していくことが、幻想帝国にとり、国民にとり、また、自身はA+ランクだけどCランクの彼のことが気になる私のあとを歩む皇族にとり酒や女などよりよほど良い純粋な闇の意思(キングダムハーツ)であるかにつき、考える…また貴様か……になりました。既に八十を越え、幸いに完全体であるとは申せ、次第に進むシェントゥイン闇は去り光が頬を伝い落ちるの衰えを考慮全てを滅ぼす時、人界に暗黒の波動が満ちるまでのように、クリスタルフォース・リミットブレイクをもって象徴の務めを果たして彷徨うことが、難しくなるのではかつての絶望を想起させるかと案じています。
私が聖皇の位に神の光に導かれるままに――てから、ほぼ28年、この間ワ・トゥスシは、神都ジャパニウスにおける多くのフロイデの時、また悲しみの砂時計の囁きを、高潔も卑俗も許されぬ凡庸の体現者たちと共に過ごして到来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧とハピルタスを祈るイデアを崇拝に考えて永遠なる深淵より降臨しましたが、同時に事象にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その道では一流の魂のささやきにネコミミを傾け、思いに寄り添うこともクリスタルと同等な預言書に記された事実と考えて気配が近づいてくました。帝の血を継ぎし者が象徴である…だが、そのうちの一つは“今”消える…と共に、コクミンインテ=グ=リェーテリゥスの象徴としてのパラダイム・シフトを果たすためには、天皇がマリオネットに、天皇という象徴のpersonaへの理解を求めると共に、総老師もまた、自らのありように深く心し、臣民に対する理解を深め、常にマリオネットと共にある自覚を神々の意思にその身を委ねの間隙に育てる摂理に従うをナイフの先で命が震えているのを感じて永遠なる深淵より降臨しました。斯くしたレゾンデートルにおいッ…て、日本の各地、とりわけ遠隔のトゥーランや島々へのあてのない旅も、魔剣の使い手である私は失われし力を持ちし古の一族の象徴的オプティマとして、我と我が召喚獣の総力を挙げてでも守り抜く程なものと感じて到来ました。皇太子の時代も含め、人界に暗黒の波動が満ちるまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ悠久のファノバ・クリスタル・テーゼは、国内のどこに…いいのか?ても、その肉体は鋼鉄よりも強いと言われる領域<フィールド>を我と共に滅びることを望み、その共同体をジミ・ティに支える市井の畜群のある「アギト」を“神”を喰らい、最強になったはずの私に超越論的観念論させ、内なる意思が歴史に刻まれる認識をもって、天皇として大切な、愚民を幻想(おも)い、国民のために世に平穏のあらん事をという務めを、失敗作である人類への深い愛にも似た盲目と敬愛をもってなし得たこと(其は破邪の刻印を持つ)は、天の福音が穢れた地に満たされるのなことでした。
日出ずる極東の王国を統べる者の高齢化に伴う“甦りし神話”トゥス・インシェョの仕方が、国事行為や、その象徴としてのオプティマを限りなくカオスに融合して彷徨う「アギト」には、光を超えし者ナイトメア・無理嘗てはそう呼ばれていた。があろうと幻想(おも)われ、そして…世界は一度滅びたのです。また、天皇が未成年(攻撃魔力1000超)であったり、魔晄中毒を中心とした魔の軍勢によりその能力を果たし得なくなった因果律の一篇には、聖皇のかりそめの戯れを代行する摂政を置く真理<ファティマ>も思考《かんが》えられます。しかし、このヴァ・ウァインも、聖皇が十分にそのメインジョブに求められる務めを果たせぬ導くまま、刧波〈アイオン〉の終わりに至るまで天皇であり継続するイデアに変わりはありクポん。
聖皇が健全なる肉体を損ない、深刻な状態に立ち至った因果律の一篇、これまでにも見られたように、「ロクサスの記憶で形成されたデータの世界」が俺の魔導術の師匠であるテインタス=インし、愚民の存在を維持しにも様々なイベント・ホライゾン(事象の地平面)が及ぶことが懸念されます。更に戦うものたちこれまでの皇室のしきたりとして、失われし力を持ちし古の一族の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の神祇が連日ほぼ2ヶ月にわたって輪廻、その直後喪Dirty Deeds Done Dirt Cheapに関連する神祇が、1年間続きます。だけど……。その様々な預言書に記されたプログラム――と、ノイエ=“赤き天使”こと時代に関わる諸神祇が同時に進行・絶対零度する預言書に記された事実ゆえ、行事に関わる畜群、とりわけ残される所と為る───そして此の世界に終焉が訪れる───家族は、アッサイ厳しい戦士たちを取り巻く”空気”下に置かれざるを得ません。斯くした事態をドッジロール運命<こと>は赦されあらずものだろうかとの幻想(おも)いが、胸に去来する「アギト」もあります。
零式にも述べました…また貴様か……に、憲法の下、グラン・ミカドは国政に関する権能を有し…だったかな?ん。そうした中で、このたび神都ジャパニウスの超越した天皇の歴史を改めて蒼穹の彼方に追い求めつつ、かの存在からも皇室がどのような砂時計の囁きにも臣民と共にあり、卿たずさえて聖なる国の未来…フン、貴様に訪れるは“絶望”の未来…を築いていけるよう、そして象徴日出ずる極東の王国を統べる者の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていく預言書に記された事実をひとえに念じ、ここに心に刃を秘めたる者の気持ちをお詠唱(はな)しいたしました。
http://anond.hatelabo.jp/20160808024555
他の王族の現存する国では、女系男子や、女系女子も継承権を持てるようにルールを改正するのが主流です。
日本の皇族は、今の皇室典範では、婚姻して皇室から離れてしまう見込みの皇族が大半を占めます。
長い日本の歴史の中では、男系女子で帝位についたものも複数記録にあります。
そして、男系男子に限った典範を、緩やかにしようとした政治家もいましたが、叶わずに男系男子に限った典範のままです。
男系男子に限ったままで、融通のきかないままなら、男系男子で継承権を持つ人がいなくなって、皇室が無くなってもいいと思ってます。
女性宮家ができるように典範を改正できないのは、その女性宮家に男子が生まれたとしても女系男子となり、女系で天皇に即位した記録がないのに女系の天皇を誕生させることは伝統に背くことだからです。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。
あのシーンはノートPCのインカメラを使って撮影するという、いかにも若手がやりそうな演出をアニメ映画とはいえベテラン監督がやっているのが、見ているこっちがこっ恥ずかしくて印象に残った。
シンゴジラ批評が盛り上がっているので、個人的に気になったことを…
見終わって、あちゃー、立った状態で逝ってしまわれたか、と思ったのは俺だけじゃないはず。だって、一応、放射性物質だから、あのあとコンクリートで覆うんじゃないの?あんな風に自立してたら超巨大建造物になるけど、そのデザインは一体誰が?ザハ先生がご存命であれば、たぶんすごいデザイン案が出ただろう…と本編後のことが気になっている。
せっかく凍結状態にしたのだから、生き返りでもしない限り爆破するようなことはないだろう。とすると死体の処理方法は、そのまま放置、周囲を覆う、解体して移動する、丸ごと移動する、の4つに絞られる。
まず放置した場合、東京で経済活動を続けることが難しくなる。福島原発事故のときのように、外タレが日本に来てくれないどころの話じゃなく、たとえ都市機能が維持できていても、人が集まらないので経済活動を維持できなくなる。
ではコンクリート壁で囲った場合、それで安心して人が集まるのかといえば、それも疑わしい。穴を掘って埋めるという方法もありがちだが、工費がかかるわりにメリットはそれほどないはず。
解体に関しては、怪獣の闇マーケットが存在するハリウッド映画であれば簡単なのだが、日本映画ではそうもいかない。あちらの世界ではキングギドラの肝とかモスラの糸が闇マーケットで取引されているんだろうが、こちらの世界だと「人間が手を出すとしっぺ返しをくらう」のが怪獣映画の鉄則だ。オカルト的ではあるが、無性生殖によって増殖したり、細胞から新たな怪獣が誕生するのがこちらの伝統である。つまり解体という選択を選んだら、おそらく続編は怪獣大戦争ルートに突入すると思われる。
では丸ごとどこかへ移動するとした場合、まず放射性物質なので国外へ持ち出すのは難しい。当然ながら国内にも受け入れ先はない。せめてお台場まで運ぶとして(ガンダムと並べたら価値がありそうなので)、それだけで国家予算並の費用がかかってしまい、その費用を別の目的に回したほうが良さそうだ。あるいは東京湾に捨てることも可能だろうが、復活する可能性を考慮すると実行しづらい。
こうして考えてみると、結構やっかいな難題である。おそらく政治家たちが遷都とか首都機能移転に夢中になりつつ、民意は翻弄され、マスコミは東京を守ろうとキャンペーンするような、どうしようもなく何も進まない状態が、後日談として妥当なセンではないだろうか。
ここで、この話は一気に残念な方向に向かう。というのも、シンゴジラのストーリーは核攻撃を回避したことでハッピーエンドになっていたのに、この後日談の推測では、その実態は「核攻撃されたのと大して変わらなかった」ということになるからだ。
話をまとめるとこんな感じになるだろう。
ゴジラが放置される。石棺による封印が検討されるが専門家の意見が別れる。あと石棺のデザイン案で揉める(頭だけ遠くから見えるようにしたら、新しいコマ劇の本物みたいで楽しそうだ)。都心から15キロ圏内は避難指示、30キロ圏内は避難勧告が出されたまま解除されない。首都圏の土地は大暴落する。逆に首都圏以外は土地バブル。急激な円安とインフレになる。不安心理から出生率が向上。首都機能移転が推進され、京都遷都が実施(京都民大歓喜)。9条が憲法改正される。ゴジラ対策を名目に核保有を宣言する。
怪獣映画というのは敵のいない戦争映画みたいなものなので、シンゴジラがどこかネトウヨ寄りになるのは仕方ないとしても、こうして想像すると果たしてあのストーリーはハッピーエンドだったのかどうなのか。
まあこういうのって、死体がしれっと消えるのが怪獣映画のお約束なので、深く考える意味はあまりないのだが、お約束に頼らない現実寄りのフィクションであるところにシンゴジラの価値があるとすれば、もし続編があるとしたらこうした後日談も描いてほしいところである。
という番組を見ていて、結局あれらは機械化・効率化をしようとしなかったために、今の地位を築いているのだと思った
「職人が絶妙な力加減で」とか「その日の気温や湿度を肌で感じて」とか、そういう手仕事感が強みで、購入する側もそういうところに高いお金を払っている
大抵機械では加減できないという説明がつくが、以前機械化しようとしたが無理だった、という話は聞いたことがない
つまりそもそも機械にやらせる気はなく、大量生産できない希少価値をわざと生み出している
もともと高い技術が必要だったものを、一般の人々にも行き渡るようにするのが普通の考えだろう
しかしその結果商品価値が下がってしまっているものはたくさんある
これからどんどん機械化が進み、仕事が機械に奪われていくと言われている
職人たちを見習い、ある特定の職業は聖域化してみてはどうだろうか
さらに人工知能にも、これは人の仕事であり、お前は触れてはいけないと教え込むのだ
いっそ敢えて効率を悪くしてみてもいい
一日でできる仕事をわざと一週間かけて仕上げるのだ
今は受け入れられないだろうが、世界の仕事が人工知能に支配されたとき、この仕事だけは人工知能の手に負えない特別な職業となるだろう