はてなキーワード: 伝統とは
ユニクロ? 家電? ツタヤ? … 田舎に一体何を求めてるんだ。東京みたいに暮らしたいなら東京にいろや。
1年でだめになる流行の服なんてそもそも着ないし、流行の家電もTVもビデオも不要だ。伝統の暮らしはエコライフだし、四季折々の自然の変化は無限だ。そういう生活を送るのに、どれほどの金が必要なんだ? コンビニ?居酒屋? その発想がもうダメだわ。人から与えられるばかりの刺激とゴミに埋もれて、本当に価値のあるものが何かも見えてない。
人から与えられ、消費することが人生だと思っている。それは奴隷の思想だよ。
おまえに言うことがある。まずその首枷を外して物を見ろ。それができないなら一生都会で奴隷暮らしだ。
そして、それでいいなら、もうそれでいいじゃねえか。一生そうして暮らしてるがいいさ。
これは『なんで同性婚が必要なのかわからない http://anond.hatelabo.jp/20161015122530 』で
なんかうまく伝わってないなーって感じの点について説明したものです。
上のエントリは異性婚をコピー&カスタマイズして同性婚制度を作ると
本当に同性愛者やその他のマイノリティに優しい制度になるのか疑問だったので書きました。
そういう意味で「なんで同性婚が必要なのかわからない」というタイトルにして意見を求めたわけです。
自分の立場は同性婚がないのは不公平だから改善されるべきで同性婚が必要なのも分かるけど
公正性から同性婚を肯定するならその他の関係性の人達(師弟関係とか親友関係)にも
ソースは忘れたけど、同性愛者の方が家族じゃないからどんなに好きでも看取るときに一緒に居られない
っていう文章を読んで何とかすべきだろと強く思ったんだけど、同時に結婚していなくても
看取られる人が認めたなら誰だろうと邪魔されずに看取ることが出来るべきだろうと思いました。
そんで、同性愛者の方が実現したいことの中には結婚制度に頼らなくても実現できることや、
結婚制度以外で実現した方が多くの人が幸福になることが含まれているんじゃないかと思うようになりました。
そんなわけで夫婦というロール(役割)に含まれる各種の権限と責任を適切に分割して
夫婦以外でも権限と責任を割り当てられるようになればみんなハッピーじゃね?というアイディアが生まれた訳です。
ただし割り当てられる権限がどんなに自由になっても結婚制度が形がい化されてもどんなに人と人との関係が多様化しても
一般的な異性婚の夫婦や同性婚の夫婦というロールあるいは概念は立法府でも民間でも想定され続けると思います。
そういうロールを想定した方が人間の頭は考えやすいからです。それは差別につながりやすいという面もありますが。
さらに言えば今まで異性婚の夫婦を想定して社会を作ってきたから互換性の上パスポートなどに異性婚・同性婚が残ると思います。
さて、夫婦というロールに最後まで残る権限とは何かを考えたところ
「意識不明や急を要するけど連絡取れないなどで当人に関する事を決められないときに最初に話が回ってきて裁定できる権限」
が残ると思います。これを結ぶ契約をして周囲に宣言すれば夫婦と見なしていいと思います。
現在の結婚制度では特別な取り決めがないときは伴侶(0親等)、親・子供(1親等)と
親族関係で自動的に順位が降られる権限のようです(多分この権限は扶養義務とかと連動していると予想)。
そういう極めて強大な権限を取得しなきゃ看取ることが出来ないっていうのは私はどう考えたっておかしいと思うのです。
①権限はできるだけ多くの人が取得可能であるべきだから、排他的でない資源に関する権限は特に制限を受けない。
②排他的な資源に関する権限や公的優遇措置は義務を果たす者・果たすと期待出来る者のみ。
という感じでいいのではないでしょうか?
上で述べた『最初に話が回ってきて裁定できる権』はやはり扶養の義務とかと切り離せないように思えます。
また、少子化対策や子育て優遇の制度は子供のいない異性夫婦や同性夫婦に権利なしですが、
子供を育てている、子供を育てる可能性が高い夫婦なら異性夫婦・同性夫婦に関係なく受けられるべきでしょう。
そして法的分野だけでなく民間分野での改革も必要になるでしょう。
病院で看取りをする際、病室に5名までしか入れないなら5名しか看取りに同席することが出来ません。
現状では特に取り決めのない場合、伴侶(0親等)、親・子供(1親等)といった親族関係で順位づけてる感じでしょうか?
ただ、患者の事前の希望が分かっていればそれに従うべきです。こういうシーンで使われる認証制度が必要です。
認証内容の選定は国会で話し合うよりフットワークの軽い民間で決めた方が利便性が高いと思います。
通常の結婚はゴットと来賓の前で誓いを立てると夫婦になれますが、
極道はゴッドファザーと来賓の前での前で誓いの杯を交わすことで親子や兄弟になれます。
法制度にとらわれないからこそニーズを満たす風習を作れたんだと思います。
故に伝統を重視する視点からの同性婚拒否の保守派にも言いたいです。
追記:続きを書きました
http://anond.hatelabo.jp/20161019183635
そもそも、憲法21条にいう表現の自由は、伝統的には国家対私人(法人も含む)の関係で観念されてきたものである。
例えば、検閲は国家による個人の表現の自由に対する制約(侵害)である。
また、現在の日本において、名誉毀損が犯罪とされているのは、名誉を毀損する表現を行う自由に対する制約である。
もっとも、私人間であっても、表現の自由の制約が観念できないわけではない。
いわゆる私人間効力という議論であるが、それも限られた場合での用法である。
少なくとも、他者からの批判を怖れて言論・表現活動に消極的になることをさして、表現の自由に対する制約が生じているとは、当然にはいえないはずである。
言うなれば、単に自由に表現ができにくくなっている、というだけである。
企業が広報活動の一環として掲出したキャラクターに対し、批判がある程度の数集まったからこれを修正する、というのは、当然には表現の自由の問題ではない。
ごく少数のクレーマーが電凸してきて業務に支障をきたすので修正を余儀なくされたというのであれば別論だが、そうでないのであれば、単に企業が広報の効果を見誤っていたので修正したというだけにすぎない。
また、特定の意見に対して批判が殺到するからといってその意見が言いにくくなる、というのも、それだけであれば表現の自由の問題ではない。
いや、作曲家すごーくたくさんいて、宗教曲も世俗曲もどんどん新曲作られてたよ。
1人で何百曲も書く作曲家だっていたし、有名無名合わせて一時代に何百人と作曲家はいたから、新しい音楽はいくらでも溢れていた。
昔から伝わる民謡だとか、伝統的なグレゴリオ聖歌ばかりを延々歌ってたわけじゃなくて、その時代の作曲家がその時代に作った音楽が普通に歌われていたんだよ。
当時の音楽はパトロンが大枚はたいて作曲家に書かせるものだったから、そりゃあ確かに"ヒット曲"なんて概念は存在しなかったね。
日本国内で前から問題視されてても華麗にスルーの癖に欧米の白人達に抗議された途端即規制。
婦人参政権とか男女雇用機会均等法とかも外圧なかったら絶対やってないだろ。この国の指導者はどんだけ白人コンプなんだろうか。明治以来の伝統?
死刑とかも将来そうなるんだろうな。死刑廃止でも別にかまわんが外国に言われたから急いでやるような無様なことはしないでほしいもんだ。
電通の過労死事件で長時間労働は問題だ、という意識が高まり、労働生産性についての議論がWebで行われている。だけど、どうも「労働生産性」という言葉を素朴に受け取りすぎてて、議論が迷走してる(というか入口にたどり着いてない)ことも多いようなので、いくつかの点をメモするよ。
辞書的に言うと「就業者一人当たりが働いて生み出す付加価値の割合」がその意味となる。どうやって労働生産性を算出するの? について、すごいざっくり計算方法をまとめると「その会社の粗利益/就業者の人数」したものだ。細かく言えば粗利の定義が同行とか、長時間働いた人と短時間の人がまざったらどうすんだとかあるんだけど、それは詳しい人に任せるとして、要するに「一人あたりにあげた利益だ」って思っておけば、とりあえずはOK。
しかし、その理解(つまり、一人あたりにあげた利益)を表面的な理解しかしていないと、「日本の労働生産性が低い」と言われたときに「日本人は無能なのだなあ」と思ってしまう。事実、マスコミやWebではそういう論調の人も少なくない。それは事実なのだろうか?
ある村に農民がいたとして、彼は大根を一人で作っている。一人で作っているので、この場合粗利=労働生産性だ。ある年度、彼は非常にまめに働き、好天にお恵まれて、大根が2倍とれた。(市価を考えなかったとして)つまりは2倍の利益になった。労働生産性も2倍だ!! 労働は美しい、勤勉と努力が生産性を上げる――これはそういう話として理解できるし、原始農業で考えた場合にはさほど間違ってもいない。
しかし、現代的には間違いだ。農業増田があるときから2倍の生産性を手に入れたとするならば、それはトラクターか何かを買ったからだろう。
この話をすると不機嫌になる人がいる(とくに左翼の人はすごく不機嫌になる)けれど、それでも正面から言うならば「日本の労働生産性のほとんどは、人間が稼いでるわけではない。機械が稼いでいる」のだ。
たとえばトヨタの工場で車がバンバン完成しているとき、その利益の大部分は機械が稼いでいる。「いいや、人間が操作しないと機械は動かないだろう」とかいうコメントがつくかもしれないけれど、そういう話ではない。「機械ゼロで同じ利益を上げようと思ったら、人間を何人増やせばいいのか?」「そしてその増えた人数で割り算したら一人当たりの利益(=労働生産性)はどうなるのか?」という問題なのだ。
そんなわけで、ある労働生産性のうち、その手柄としては「個人の努力(労働)」よりも「機械(設備)の割合が大きい」というのは説明できたと思う。では「個人の労働能力」と「設備の力」だけで労働生産性の功績評定は終わりかというと、そうでもない。そのほかにも「組織のノウハウやブランド」「ビジネススキーム」などがある。
例えばバッグを作ってる会社が二つあり、「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力」と「ビジネススキーム」がほとんど同じなのに片方だけが大きな利益を上げている場合、そこにある差はブランドだと理解できるだろう。
「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力(資本力でもいい)」と「組織の知名度(ブランド)」が大体互角な2つの企業があり、片方が新事業に切り込めて片方がそうでないのは「ビジネススキーム」の構築で差がついたからだ。
何が言いたいかというと、「労働生産性」といったときじつは労働者の能力に由来する部分は少ないということだ。「労働者一人当たりの利益」だなんて、労働者が主役のイメージがあるので誤解しがちだが、労働生産性という概念において、その主役は労働者ではない。その何割がどんな要素に由来するか? を考えれば「個人の労働能力や労働時間」なんてものは、実はたいした影響力がないのだ。
だからこそ資本主義において資本家は尊重されている。つまり、利益の手柄のうちかなり大きな部分が設備投資から得られたのだから、利益のうち大部分を得てもよいはずだ、という理論だ。
電通の2014年度の利益は1323億円で社員数7261人だそうだから(ざっと調べただけなので間違いあったら指摘お願いします)、労働生産性は1822万円であって、日本人の労働生産性の平均700万程度と比べて低いわけではない。そこまで業種別に詳しく調べたわけじゃないけれど、これはかなり高いんじゃないかな
この高い労働生産性(というか、ぶっちゃけ利益)はどこからもたらされているかというと、社員のモーレツな頑張りからではなくて、業界の寡占(ノウハウやブランドの一種といえるのか。あんまり言いたくないけれど)とみなすのが自然だ。
つまり「労働生産性が低いから長時間労働をしなければならない」というのは全くの虚偽で、そんなに長時間働かなくても電通は利益をおそらく落とさない。
というと、これは企業内文化の問題や、報酬体系(基本給を抑えて残業代で生活費を支給している)や、マネジメント能力の問題がある。
特にマネジメントの問題は大きい。日本の会社組織は伝統的に人員管理業務を非常に低く評価してて、昇進して中間管理職になった場合、部下の管理を行う業務は増えるが、現場の(つまり自分自身の)仕事は減らない。「人員を管理して適切にマネジメントをする業務は片手間でできるものだ」と考えられている。
中間管理職視点で見た場合、マネジメントを省力化するためには「人を増やさない」「教育をしない」「マネジメントを部下に丸投げする(仕事が終わるまで無償労働をさせて帳尻を合わせることをを要求する)」などといった手法が伝統的にとられる。
これは何も中間管理職に悪意があるからそうというわけではなくて、人員管理業務のための十分な時間や教育やリソースを上が用意してくれないので、中間管理職本人だっていいとは思ってないけれど、そうせざるを得ないという形が多いはずだ。今回の電通過労死事件は新人だったけれど、「中間管理職になれば自殺が減る」というデータはない。というかいっぱい死んでる。
電通に関して言えば先にあげたように利益は出ている。残業代だってごまかしはあるだろうが、出ているし、出せないってことはない。つまり、本当にこなせないほど業務があるなら人は増やせるし、そういう風に解決すべきだ。しかし、そういう問題ではない。企業文化の問題で人を増やす発想がない、増やした以上に無償労働を増やしてしまう、管理リソースがない。だから長時間労働が発生している。
残酷に言ってしまえば「長時間労働が常識なので長時間労働をしている。意味や効果はない」。
というわけで「労働生産性が低いから(つまり、労働者の能力に問題があるから)長時間労働をしなければならないのだ」ってのは嘘だ。
むしろ逆で「なんらかの不思議なチカラ()の結果、労働者が長時間労働をしてるので、結果として数字の労働生産性が低く見える」が正解だ。
不思議なチカラについてはいろいろある。ただの慣習とか、上層部の精神主義とか。ただし「お金がないから人が雇えない」というのは、少なくとも100人以上の企業の場合眉唾だ(非常に少人数の企業の場合はありえる)。
なんにせよ、労働生産性を労働者の問題として引き受けるのは間違いだ。それは主に経営者の経営能力とか資本家の投資の問題でだ。また、長時間労働は企業文化やマネジメントの問題、新人とるのが面倒くさいとか教育するの面倒くさいというのが問題の中心だ。こっちは生産性とはあんまり関係ない。
もちろん日本の場合、起業することとか管理職になることに対して、全体的な忌避感があって、その結果有能な経営者や管理職が増えないというのは、可能性として高い。日本の労働生産性が低いのは、経営者や管理職になって合理的な経営をするインセンティブが低く、そういう人材がいないことが一番の原因かもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20160921231051
↑のを読んで懐かしいことを思い出した
自分の所属していたバカな部活は3年の先輩一人に千羽渡すのが伝統とかほざいて、
一人あたり数百羽折っていた(目標のようなものを書くとかはなかったけど)
大抵は家族やクラスメイトに手伝ってもらっていて、購買のパンでクラスメイトを雇っている人もいた
面白いもんで自分が渡す側の時は自分は貰わなくていいとか言ってるのに、
自分が貰える学年になると欲しがりだすんだよね
どうしてそういうことを言うんだ、とか同じ学年の奴に言われてね
設定上は内緒で作ってることになってるから、それを予め予測して断るのは空気読めてない、
ってことだったらしいけど、空気読んで断われよね、っていうね
自分が苦しんだ分、お前らも苦しめ、みたいな発想なのか、
どちらもなのかは分からないけど、
把握してない顧問もどうかと思ったしね
国語という科目がよくわかってない。
「国語」の授業は単純に「日本語」の授業だけではないことは明らかだし、「国学」とも違う。
内田樹のいう国語力とは、ethicsなのか、japaneseなのか、rhetoricなのか。
明治時代に国語という科目を作ったとき、なにを目的にどういう設計をして作ったカリキュラムなのか気になる。
推論だけど、自由七学芸のうちの修辞学、論理学、文法を輸入して、まとめて1つの科目にしたんじゃないなかと思う。
修辞学のうち、弁論術が大きく省かれて、文章においての修辞だけに特化したのは、それまでの儒学教育からの流れか。
(ネタバレ注意!!)
昨日、君の名は。を見てきた。
顔を見だけですぐにどこの誰だか分かってしまうとか、地元議員と建設業者の関係とか、まさにTHE田舎って雰囲気で。
気軽に、田舎暮らししてみたいとか、Iターンとか言っている人には、よく見て欲しいものである。
単なる青春ラブストーリかと思っていたが、少なくとも自分にとってはそうではなかった。
時に自然の力は、抗いようもない、途方もない力で人間の暮らしに迫ってくる。
2011年の東日本大震災ではその強靱さを改めて見せつけられた。
たいていの自然災害は、非常に長い周期で繰り返し発生している。
でも、人は忘れることが得意な生き物で、次に繰り返される頃には前回の記憶がほとんど無くなっている。
親から子へと、子から孫へと伝わる中で実体験が薄れ、どんどん遠い体験となってしまう。
そして、ふとした拍子に、何かのきっかけで消えて、途絶える。
映画のおばあちゃんは、忘れられた物語の未だ忘れられていない部分の語り部に思えた。
遙か昔の何か大切な事を伝えようとするけど、それが完全に伝わることはなく、祭や神社といった伝統としてかろうじてその痕跡だけが残っていく。
物語の組紐は、人と人との繋がり、時間を超えて伝えてきた物であり、まさにこの物語そのものだろう。
私の地元は東南海地震が発生するとものの数分で津波にのまれる。
幼い私には、それはとても遠い体験で、まるで実感がなく今となってはほんの一部しか覚えていない。
町の中には、津波の到達地点を示す物も残されていたが、時と共になくなりつつある。
代わりに、いたるところに海抜の表示は増えているが、それは実体験ではなくデータでしかない。
誰かが受け継いで、伝えていかないといけないけど、それが本当の意味で伝わることは難しい。
もう一つ、この話ではタイムスリップと入れ替わりで災害の日時が伝えられ、町の人が救われる。
瀧くんのようなヒーローが早く現れてくれたらと願うばかりである。
ただ願うばかりでは他力本願なので、自分もできることはやっていかないととも思う次第だ。
研究者の端くれとしては、役に立つ技術の一つでも残せれば主人公(ヒーロー)になれるのだろう。
さあ、はじめよう。地震予知。(違)
大学 ( 医大 ) の部活をやめた.理由は,モラハラ人間 ( 後輩 ) からのモラハラにもうつきあいたくなくなったから. 6 年になってからやめたのは珍しい例のはず.
いまとなっては金を詰まれても一緒にいたくないモラハラ人間と 4 年間一緒に過ごして,見えたことがある.
1. 人にわざわざ嫌な思いをさせる人間,人に嫌な思いをさせて自分の意見を通す人間 ( つまりモラハラ人間 ) が入ってくると,部の秩序なんてものは 2 年で滅びる.うちみたいな数十年の伝統のある部でも,モラハラで簡単に壊せる.
2. 相手によってわかりやすく態度を使いわけていても,気づかれない.件のモラハラ人間は部活ではモラハラしまくって,クラスでは良い顔をしていた.同クラスの連中はみな騙されていた.
3. 一事に秀でれば,他がポンコツでも,モラハラしまくっても,生き残れる.件のモラハラ人間は女子マネージャーにとにかく甘い顔をしていた.それでマネージャーをまとめることができていたため,競技や他の業務でのポンコツぶりにはまわりも目をつぶらざるを得なかったし,モラハラしまくっていても追い出せなかった.
全体は納得&同感なんだが
シュマリ読め。ゴールデンカムイ読め。和人とアイヌのケンカは朝廷の蝦夷征伐以来、我が国の伝統である(という歴史を知っていれば、普通死ねとか言わないと思う)
いや、言うだろ
暇だったのでやった。今は反省している
zinjoutarou やたらと、#豊洲移転 に論を進める #やまもといちろう 氏。以前は女性のヒステリー発言もあったね。もしかして、本業と言われる投資にも関わっている?
言われるまでもなく本業は投資と自称してるし、余計なリスク取るまでもないぐらい大金持ってるのも昔から公言してるけど知らないか。それぐらい有名になったってことか
shufuo すげーポジショントーク。身内が絡んでるんだろうね。
enemyoffreedom この件では徹頭徹尾ポジショントークなので「いったい誰に言わされているんだ、どういう筋のしがらみなんだ…」と気になって文章が頭に入ってこない
最初から「築地市場は早々に移転するべき」ってタイトルで自分のポジション示して論を展開してるのに、「ポジショントーク」とかっていって批判した気になってるのすっごく頭悪くない?
TakamoriTarou ここからわかるのは技術会議を役人が見事に騙していたという話だけでは? 資料読み込んでるなら分かると思うけど、報告書は明らかに全面盛り土の前提になってるよね。こんな強弁何の役に立つと思ってるの隊長?
ここからわかるのは、専門家会議が思いつかなかったよりよい方法が小会議である技術者会議の途中で見出されて採用されたことしかわからないけど。役人騙したとかどこから読み取れた?「保身は大事ですよね。」の方がよっぽどまともな読み取り方に思えるが俺だけか?
誰が謝れって言ったんだよ?お前か?名誉毀損で訴えられたら謝るだろうよ
kkzzrr まぁこいつは元々自身の経営するi&p社の社員に業務中に2chで工作や情報操作させてる様なネット弁慶だしな。ここのはてブのコメントにもくっさい臭い社員コメントが増えてきててうける
懐かしいレスだな。感動した
馬鹿が出てきたら叩くのがこの人の芸風でしょう。そもそもタイトル読もう
masafiro1986 声を荒げるでもない小池さんをヒステリー呼ばわりするのに、石原慎太郎がブチ切れても、熱量があって芸達者、などと呼ぶのか。
何がおかしいの?確証もない適当なタレコミ鵜呑みにして都職員に確認することもなくと突然土曜日に記者会見開いて「全職員綱紀粛正」とか言い出したらヒステリーとしか言いようなくない?芸達者伝統芸はこの有様で何年も都知事やってたことへの皮肉でしょ。俺の解釈が間違ってる?
典型的な中身も見てないし理解もしてないし興味もないけど批判だけしたい時の常套句だな
Redcolor これは金をもらってか、何かが絡んで記事を書いていそうだね。
toshi20 この件に関しての隊長は「ちょっとあんた黙っててくんねえかな?」と言いたくなる攻撃性の高さ、バイアスの掛かり方で引きながら見ている。小池知事がヒステリーって決めつけた初手から攻め方が露骨だし。
取材先がみんなヒステリーって言ってた、そうだが。前は集団脳障害って書いて訂正求められてたな
www6 投資が絡んでるとかじゃなくて、単純に引っ込みがつかなくなってるだけだと思うの。キクマコとかも同じなんじゃないかなあ。リセットできるやさしい世界だったら良いのに。
お前のリテラシーが強烈に低いのはよくわかった
is11045 畑明郎は地下水汚染の専門家なんで文句があるなら一度ガチで議論してはどうか。海水がどうとか素人レベルの議論では太刀打ちできないと思うが。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
AKIT これで水からベンゼン出たらどうするんだろ、たいちょ。「技術会議」が都庁の言いなりの人たちを集めた会議だから「専門家会議」の提言をネグったと言われてるけど、そこはネグるの?
豊洲のベンゼン検出量、環境基準値もクリアしてるし晴海よりも低いんだけど知ってた?
そうとしか思えないけど、お前にはどう見えたの?
urashimasan 都合のいいとこだけ抜き出してもね。事務局側としてはあの案をコソッと出して技術会議に責任を押し付けたつもりなのだろうが、質疑応答ではあいまいな返答でごまかしている。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
ROYGB 提言では全面に盛り土することになってるのだから、それを変更するには明確な変えるという提案と承認がないとまずいような。勝手に変えた図面出して文句言われなかったからOKというのはインチキっぽい。
ysync とりあえず、議題として上がってきたわけでもなく、しれっと変更された図面を入れとくとかペテン以外の何物でもないと思うが。議論に集中せず資料だけずっと眺めてるタイプ(よく居る)なら気づくかもしれんけどなw
u_eichi なに言ってんだ。エクスキューズもなくペロッと出された会議の資料で問題と認識していないところがさらっと変更されてても、よほどじゃないと気づかないだろう。空洞化を会議内で共有されてなかったのが問題で。
tyatya_moon なぜここまでポジショントークなのか気になる。安全云々よりも技術会議などをスルーして決定していった事に対して、信頼が崩れているのに・・。
議題に上がってたのは共産党もわかってるんだけどな「わが党の調べでは、2008年11月の第6回技術会議で、5つの土壌汚染対策案の一つとして地下空間を利用する提案が初めて紹介されました。」
copyxxx いろいろ強引なのを見てると、実は豊洲移転に反対で、逆張りで無理な論理展開して意見を誘導しているように見えてきた
gaojin2180 問題は、安全性にあるのではなく、盛り土を計画していたにも関わらず、実際には報告せずに計画を変更して施工していた点にある。計画と異なる施工をしたが、結果的に安全だからそのまま計画を進める、とはならない。
前の記事読んだ?報告先である親会議はなくなってたんだよ。知ってた?当時の都知事も知ってたみたいだよ。
dissonance_83 ポジショントークは不要。どういう皮算用があるのか知らないが、フラットに事実を見て判断しているのでなく特定サイドに加担している。コンセンサスとっていないこと、手続きが適正に取られていないことを軽視し過ぎ
現都知事は理解しようとしたのでしょうか?手続きの話は移設後ではできないのですか?
ninosan 隊長擁護してるのは痴れ者か?やましいことがないならメディアを地下に入れても良いはずだし(都が断っている)、水の調査もさっさと公表できるだろ。なんで共産党の調査の方が先行してんだよ?
「さっさと公表できる」ってお前専門家か?ジャム瓶で適当に水掬ってpH試験紙で測っただけで「調査」だとか言いたいんじゃないだろうな。
kingate 奥さんもいてお子さんもいるのに、金の方が大事でしょう、というスタンス嫌いじゃないですよ、テメェの家族をウィッカーマンに放り込んで火かけるなら。市場経済に大地の恵みがありますように。
何言ってるかわからんけど、この騒動でクビ切られる都庁の偉い人の心配してるんだよな?
時事通信か共産党員がリトマス試験紙とpH試験紙の区別もつかないの揶揄してんだろ
nibo-c なんでこの人、今回こんなに必死なの?
築地のクッソ汚くてボロボロの市場で売られてる物食いたくないからじゃね(適当)
マジかすげーな
kenjou 読むに耐えないので飛ばし読みしましたが、この件についてこのひと必死すぎますね。こんなに各方面に無理筋のケンカを売りまくると後に響きそうですが。なりふりかまってられないほど追い込まれているのかな。
アホか
siomaruko まともな社会人の発想じゃないレベルまで偏ってきているかんじ。そんなゴミみたいな言い訳的擁護して恥ずかしくないのか。こんなに酷いと誰からいくら貰ってるんだろうと疑われても無理ない。
揮発したベンゼンが危ないって主張しているところにマスクも無しで視察しに行ったり、強アルカリ性の水を素手で救ったりしてる方がどうみでもまともな社会人じゃないと思いますけど
madaranokarasu スマホゲーの闇に斬り込んだときも、過去にもしもしゲー自分で作ってたことにはだんまりでしたね
クッソつまらない駄ゲー自慢してたのは知ってるけど、ガチャゲーも作ってたの?
s025236 “(3)はそもそも盛り土が耐震性その他建屋の強度に関係するわけもないので、ここは除外で問題なかろ”←盛り土だからというより空間になってるので耐荷重下がって問題になってますよね
nao_cw2 この人は別に専門家でもなんでもないんで軽く言ってますが、地下水流入はまずいんです。アルカリ反応もコンクリがアルカリだからって茶化さないのが専門家です。工法変更してるんだから結果オーライじゃないですね。
KAZ99K 本日の誤認誘導ポイント|一般論としてですが→不確実なこと言うな|概ね4つの論点があります→勝手に並列すな|必死に追及しようとしているのは(2)→論点ズラすな|さすがにそこに広報ミスはない→都合のいい解釈すな字数
字数が足りない時はこうやって増田に書けばよくない?もう書いてるかもしれないけど
euda pH のくだりが絶望的。pH 12-13 とかは固化する前の“セメント”ね(アイドルがやけどしたやつ)。pH 10 って下水に流せない。海水がアルカリそうですか。みんな定量性にかけるのだけど、高等教育受けてない?
「コンクリートは、セメントの水和によって水酸化カルシウム(Ca(OH)2)が生成され、pHが12~13の強アルカリ性を示します。」「海水中のpHは一般的に弱アルカリ性を示し、表面海水中での約8.1」ありがとう勉強になったよ
おかしなこと書いてたら基地外の社会復帰活動の一環だと思ってスルーしてくれ
正直ちょっとソース調べるだけで疲れたし、まともに記事に仕上げた上で毎日のようにツイッターでこんなことやってるの凄いと思った(小並感)
現役アイヌって変な言葉!言ってもクオーター。親世代では結構差別があったみたい。関東在住の自分には差別とかピンとこない。むしろ、なんとなく特別な存在的なものとして、自身にアイヌの血が流れていることを受け入れて育った。
貧しいシサムの家に生まれたばあちゃんは捨てられ、コタンの有力者のもとで育つ。そしたらそこの家の若者と駆け落ちしちゃった、みたいなドラマチックな展開があるんだけど、先祖のロマンス話は置いといて、そんな感じで自分のルーツにはそういう家があったこと、文化があったことを認識している。そんな立場から何点か
別に。
脅威とは感じない。ただ不愉快。韓国の人たちが同じようなこと言ったり旗燃やしたりしてたのと同じくらい不愉快。
全部の意見は追えてないと思うけど、時々話題になってるのは見た。
肯定する部分もあるし、できない部分もあるし。色々だなぁと思いながら見ている。
アイヌに対して沢山の人が意見を述べることは少ないし、そもそも国内では多民族性に対する議論が発生すること自体がマレなので、いいことだと思っている。そう、アイヌのアイデンティティはいままでほとんどのひとが「まるで存在しない」かのように扱ってきた、そのこと自体がひどい差別だと個人的に思っている。
これはマジでやめて欲しい
どちらかというと、イチカイシャジンとして。
こんなもん会社に届いたらクソめんどくせーわ。会社の文化によるだろうけど、カイシャインなんてみんながクリエイターとして誇りもってないと思う。そういう立場のひとらは「なんで民族性扱っちゃったんだろ、次回作ではやめよーぜ」的な圧力を生む。
個人的には偏見まるだしでも、ファンタジー全開でもいいからアイヌを扱うことはやめて欲しくない。
シュマリ読め。ゴールデンカムイ読め。和人とアイヌのケンカは朝廷の蝦夷征伐以来、我が国の伝統である(という歴史を知っていれば、普通死ねとか言わないと思う)
どうしてアニメの浮世絵とかがだいたいクズかの理由を述べていく。
いくつかパターンはあるけれど、一番多いパターンは、単純に見れたものじゃないというレベルのものだ。
そんなものが売れるのは
っていう前書きがあるからだ。
手で作ったからといって、伝統技術で作ったからといって、機械が印刷したほうが綺麗なら、そんなものに価値はない。
おそらく、ここ数十年まではカラー印刷技術の中で最強の座を誇ってたと思う。
2枚の版木、赤、青で摺るとする。
1枚目で摺る。
1枚目の赤の版木が当たる部分、当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、つまり2色の世界。
2枚目の青の版木が当たる部分、一枚目の版木も二枚目の版木も当たった部分は赤と青が重なり紫に、二枚目の版木だけ当たった部分は青に、一枚目の版木だけ当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、4色の世界。
3枚の版を使えば、8色、4枚の版を使えば16色、理屈の上では指数関数的に色数が増える。
雑誌なんかで、表紙のすぐ下や、誌面の中頃に、一枚だけカラーページでグラビアやイラストのカラーページがあったりするのはわかるだろうか?
昭和の初期までは、あれを木版でやっていた。
しかも、浮世絵の時代と遜色ないどころか、それ以上に15度20度と摺って色を重ねて印刷していた。板を彫って。ばれんで摺って。
中でも、最もキチガイじみた雑誌はというと、毎号50度摺以上の手間暇をかけて、日本画の複製を誌面に挟んでいたある美術雑誌だ。
号によっては100度近い摺りを重ねたらしい。
色数の問題だけではない。
ほとんどの印刷技術は、オフセット印刷もシルクスクリーンもレーザープリントもインクジェットプリントも、色の濃淡を色の粒の"密度"で表現している。
木版で使うグラデーションをつける技法は、粒ではなく無段階のグラデーションをつけることが可能である。
人間が視認できる限界を超えたRetina Displayがでるまでは、真のグラデーションは木版の中にしかなかった。
そして発色である。
浮世絵の技術で摺られた絵は、直後に触っても、手に絵の具は移らない。表面には絵の具は残ってない。
紙の繊維の奥から、輝くのだ。
いつものように、能書きが長くなったが、
っていうことを強く打ち出した売り方だと、極端な話、出来のいい悪いに関係なく売れる。
普通の印刷よりも汚くても、「それが木版の味です」として売れる。
たぶん、下絵もどんな絵なら工数をケチっても綺麗に仕上がるかなんてことも考えていないし、職方に高いレベルは要求しないし、職方もそれを見抜いてそれなりの手間しかかけない。
企画元「安く版権が手に入ったから、斜陽産業の職人を安く買いたたいて作らせて、オタクに高く売ろう」
職人「どうせわかりゃしないから、材料と手間をケチろう。どうせ工賃も半額に値切ってくるんだろう」
っていう思惑が誰でもわかる。
みれたもんじゃない0点の浮世絵、これがアニメの浮世絵の約8割。
実は、丁寧過ぎるのも嫌いなので、それについてもややこしいんだが、それについてはまた後日。
案内してもらった親しい友達に、
お寿司屋さん連れてってもらったのよ。
まあ、私はせっかくだから
ご飯の上に鶏肉が乗ったやつとか!
でも、ここはその人に乗っかってみたの。
チャッチャチャッチャラチャッチャチャチャラチャラ
まーもるもせめるもくろがねのーぉ~!
じゃんじゃんバリバリ的な
軍艦巻きよ!
彩りはイマイチだけど、
成立しないでもないわ。
でも美味しいの!
自分では、それ頼もうとは思わないけどね。
まあ、冗談よ!JYODAN!
井戸田さんばりに「あまーーーい」って言うわ、ってくらいの甘さ。
現地の人から見たら、
なんだ、このパスタ!って思われるかも知れないし、
パンツェッタ・ジローラモさんも
空腹は最高のスパイスよ!
きっと、たぶん。
おにぎりにしたわ。
もう朝はそれでいいの。
久しぶりにピンクグレープフルーツウォーラーにしました。
蜜柑買って皮剥くのめんどくさかったけど
作り出したら
楽しくなっちゃうわね。
朝の目覚めって感じ!
ちゃんと捨てなきゃ~
すいすいすいようび
今日も頑張りましょう!
グーグルのような外資系かつ革新的な企業に勤めている場合はそうでもないかもしれないが、自由裁量性のない伝統的な日本企業や中小企業に勤めている者にはたまらない言葉であろう。
フリーランスプログラマーなら、会社勤めでは得られないような自由な発想や生活ができる。
変に意見を言ったりして仕様を変更することになっても、追加でお金がもらえるわけではないので、自分の仕事を増やすだけになってしまう。
“できて当たり前”の世界ゆえ、増えた仕事に対しては地位も給料も上がらない。
減給などの罰が待っている。
苦手な分野や嫌いな内容はやる必要はない。
内容についてはプログラマが間に入ってお客に提案することもできる。
時間管理は縛りが少なく、締め切りと打ち合わせの時間さえ守れば自由に活動することもできる。
能力がついていかなかったり、体調を崩したり、人付き合いがうまくないとすぐに切られてしまう。。。
一度フリーランスになっても結局はまた会社勤めに戻ってしまう者が多い。
最初の仕事は「新人だから未知数だけど、わざわざ会社辞めたくらいだからやる気があるだろう。単価も安く済むし。」ということで結構楽に始められる。
だが、2回目からはそれまでの実績で仕事を頼まれるようになるため、実績が大したことないと声は掛からない。
会社だと数人で分担してやれることを一人で全部やらないといけないので実績を作るのが大変である。
もちろん、かなりの能力がある人にとっては魅力的な世界であろう。
能力判定を見間違えなければの話だが。