過度の擁護や批判への排除は作品をつまらなくさせるだけなのでやめてほしい。
あなたたちは作品を守っているんじゃなくて自己満足に浸っている癌細胞だ。
シリーズ物って最初や次回作あたりが人気あるから続くわけじゃん。
でも名前は同じでも当然作り手やスタッフは変わるしプロデューサーも交代する可能性があるじゃん。
そうすると同じシリーズでもナンバリングによって良い点・悪い点って出てくるじゃん。
普通、シリーズの持ち味や面白さを殺すようなことは批判されるのが自然じゃん、名前が同じなんだから続ける意味があるんだし。
もちろん、仕組みを一新してでも実現したい面白さがあるならそれは受け入れられるということもあるから
必ずしも変えることが悪いとは言わない、けど変える以上はより面白くする責任がある。
良い点を殺してまで手に入れたい面白さがあるかどうかっていうのは作り手がシリーズの良い点を熟知している=シリーズのファンでもあることが望ましいと思う。
自分の好きな物を殺してまで導入したい要素があるならその時点では確信があるわけだ。
でなければ、さして興味の無いシリーズの伝統をゴミ箱に捨てて自分好みの物を座らせる行為になってしまう。
一方で、いくらシリーズものだからといって前のナンバリングと同じことをしていても新鮮さもないので旧作を消費すればいいだけになってしまう。
シリーズ物というのは守るべき伝統をその時代そのタイミングにあった取捨選択を繰り返して変革と伝統を内在させたコンテンツだと言える。
現在ある伝統にしても過去の技術や文化をそっくりそのまま実現させているものは少なく、大半が代用品や新技術を使って欠点や問題を克服させた新技術だ。
伝統あるうなぎの焼き方ひとつにしても日々、変化していってる。
そう、伝統とは「変えないために変り続けること」だ。
何を変えたくないのかを切り詰めたところに伝統があるから美しいのだ。
シリーズ物はその美しさをスケールダウンさせたものだと思っていい。
つまり次回作の製作者はシリーズ物の伝統を理解していなければそもそも作れないのだ。
その理解度に関してはアプローチの仕方や挑戦的な失敗とはまた別に、批判に晒されるべきものであり、