はてなキーワード: ラップトップとは
ふとネットでNumLockについて調べたら知恵袋にこんな質問があった。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041035360
ecozou2006というユーザーは
>世の中の人が、すべて、あなたと同じ使い方をしているとは限りませんので、必要なキーです。
>自分が使わないからと言って、「不要だ」と決めつけるのは、暴論。
ならば、
世の中の人が、すべて、あなたと同じ使い方をしているとは限りませんので、不要なキーです。
自分が使わないからと言って、「必要だ」と決めつけるのは、暴論。
と言わさせていただこう。
彼は自分の意見に絶対の自信を持っておられるようだ。しかし、彼の意見もまた暴論であるようにも思える。
どう考えても必要じゃないよね…(^^;)
万が一必要でもあの場所にキーがあることはいじめとしか思えない。
ところで、知恵袋って正直便利だけど、アレな側面もあるし、何より質問が終了したらもう何もできない仕様が意味不明。
意味不明な回答があると、質問が解決したことにされるのは謎だわ。
なんとかなんねぇかな。
追記:
誰がなんと言おうともNumLockはほんといらない子
しかもラップトップだからどうしようもないし…ラップトップは屑だね
ところでさぁ、DELLの激安パソコン君使ってんだけどさぁ…Enterキー細すぎ
狭いスペースに無理やりテンキーぶち込んでやるぜ~だからEntere君が激死してるんだよなぁ…
無能が開発してるし、NumLockが必要だなんていう屑人間がいるせいでみんなが迷惑してるんだよなぁ~
悔い改めて、どうぞ
個別具体の退職理由はいろいろあってそれらは後述しますが、退職を決めた基本的な理由は、個人的なキャリアパスの設計と会社の方針のミスマッチ、労働観のミスマッチ、技術投資の考え方のミスマッチの三点に集約できると思っています。
ソフトウェアエンジニア(を目指す人間)にとってソニーと言えば、"自由闊達な理想工場"、エンジニアが自由に活躍できる会社、日本のメーカーなのにソフトウェアもちゃんとつくれる会社、などのイメージがあるかと思います。私もそう思っていました。
実際会社は説明会などでそういった説明をしましたし、そういったイメージを前提に私はソニーを選び、「エンジニアとしてプロフェッショナルになる。品質が高く、お客の求める体験を作り出せる人間になる」というふわっとしたゴールを設定し、いわゆる"プログラマ 35 歳定年説"をガン無視した一生エンジニア型キャリアパスを描いていました。
しかし、会社の求める人材像、少なくとも自分が配属された事業部で求められる人材像、キャリアパスは、上記と全く異なるものでした。
昇進の段階としては、現場業務(エンジニア)は基本的に常にマネジメント業務(中間管理職)に対して格下に位置得付けられており、一部オーバーラップする部分があるものの、昇進する = エンジニアをやめてマネージャーになるという状態でした。退職の原因になった上司からも「君は優秀なんだから、プログラミングみたいな低俗なことは早く辞めて人を動かせるようになれ。私が引っぱりあげてやる」(意訳)といったようなことを言われ、自身の「エンジニアとして生きる」というキャリア設計との相違は明らかでした。
もちろん、組織としてスケールするために、エンジニアが経験を活かしてマネジメントに移行することは否定されることではありません。ですが端から、エンジニアリングをマネジメントになるための踏み台として"しょうがなくやるもの"として扱うことには強い違和感と嫌悪感がありました。
退職の際の送別会で、部署の中でもエンジニアとしてレベルが高いと感じていた40代の先輩が、「ソニーではエンジニアリングは評価されない。俺はその方向に進んだけれど、給料は最近下がる一方だよ。君はいい選択をした」と言っていたのが、未だに記憶に残っています。
私はいわゆるライトなオタクで、アニメやゲームが好きでコンテンツを消化する時間が無限に足りないと感じていたり、自分で何かを考えてものを作るという絶望的に時間を食う行為も好きだったりして、ともかく余暇の時間の確保が人生の重要課題です。
もうご推察されたことと思いますが、ソニーでの私の労働時間はそれなりに長かったです。企画・ビジネスユニット主導のスケジュールに開発部隊は圧殺されて、長時間労働が常態化していました。私も残業時間が 90 〜 100 時間程度の月が 3 ヶ月ほど続いたこともありました。部署の先輩には、残業時間の"平均"が100時間という方もいましたし、月の半ばで法規制が許す残業時間を"使い切ってしまう"ため月の中盤以降は"定時に帰ったことになっている"デバイス系の同期もいました。正直に告白すれば、私もチームリーダーに「打刻してから席に戻ってこい」と言われたことがあり、そのチームリーダーは次の日悔恨の表情で「昨日言ったことは忘れてくれ」と言っていましたが、数カ月後に突然辞めました。
前述の通り、趣味の時間が人生の意義になっていた私にとって、これは体力的だけでなく精神的にも非常にダメージの大きいものでした。上司からの「君のチームが他のチームに比べて残業時間が少ないので、(労使交渉で通常の上限の)60時間まで残業時間を埋めてほしい」という指示が決定打となり、退職を決意するに至りました。
昨今の、シャープ・東芝等のニュースで明らかになっているとおり、大企業だから安泰ということはもう過去の話です。そのため、自分の市場価値を高めておく必要があると私は強く感じています。
しかし、会社はエンジニアリング軽視であり、またその昇進先であるマネジメントについてもお世辞にもプロの仕事とは呼べないものであり(残業100時間を続けないといけないマネジメントとはなんでしょうか?)、ソニーで働き続けることは私の「労働市場で自分の市場価値を高める」という方針にとってリスクでしかありませんでした。
人事担当者に、現在のキャリアパスについて不安があるという相談をしたときにも「増田さんがソニーで(定年まで)働き続けることを考えると〜」のような発言をしており、会社がなくなる / 現状の待遇が維持されなくなるというリスクは全く考慮されておらず、いかにただただ嵐が過ぎるのを耐えるかという発想しかありませんでした。
エンジニアリングについても、昨今の汎用チップにスペック的に見劣りする高額のカスタムチップの開発、そのカスタムチップを使いこなすための C / アセンブラによる手動の最適化といった"職人芸"に対する信仰、大量のテスターを雇っての人力テストなど、エンジニアとしてのセンスとしてやや疑問符がつく、ともすればレガシーな開発手法がまかり通っていたりと、この技術・職場に適応したとして、その人物は一般的な問題に対応できるだろうか?その人物を市場は評価するだろうか?という疑問が拭えませんでした。
また、業務時間がまるで足りないからとコードレビューすらろくにできないので知見がたまらない、時間がないので勉強もできない(しない)、もちろん職場で最新の技術に対するディスカッションどころか雑談すら成り立たない、という状況で、私がこのような職場で業務に忙殺されている間にも、世界のエンジニアは勉強し技術力を高めているのかと思うと、相対的に自分の市場価値を毀損されていると感じ、焦燥感にはちきれんばかりの思いでした。
こういった不安・不満があり、また会社の期待にも応えることが難しいということで、先ごろ無事ソニーを退職し、新しい職場で働き始めています。新しい職場は上記の 3 要件についてよくマッチしていると感じており、心穏やかに働けています。幸い年収も多少増える結果となりました。
色々書きましたが、これらはソニーが悪い会社だと言う話ではなくミスマッチだと思っています。上記の内容はすべて私の価値観を元にした一面からの評価になっており、他方でここで挙げたような会社の考え方(マネジメント優先・仕事優先・安定優先)に同調・納得できる方もいると思います。残念ながら私とはミスマッチだったというまでです。
また、あくまでこれらはソニーという(さらに言えば自分の配属された事業部という)組織に対する評価であり、尊敬できる先輩・同期もたくさんいましたし、そういった方々と出会えた、幸いにして現在も仲良くしていただいているということは、本当にありがたいことです。
みんながしあわせになるといいな。
内定もらった時の風景は今でも覚えていて、友人と一緒に出かけていた先で内定通知の電話がかかってきて、本当に2人で喜んで、とても嬉しかったのを覚えている。どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ。
ものつくりの現場で、エンジニアリングをバカにされたのは悲しかったなぁ。私がいる間だけでも、ものが作れなくなっていってるのが感じられたのも悲しかった。
macでもwindowsでもいい、core i3以上、メモリが8G以上が乗った持ち運べる物。これは絶対に買うべき。atomやceleronが乗った廉価機は避ける。どうしてもお金が無いなら5年以内の中古でも良い。
これは講義資料などの閲覧用。なくても良いが、あると非常に便利。逆にプリンターは大抵の大学にあるのでいらない。情報系の教科書はweb上に無償で公開されている物が多いので、それらを活用して学ぶべし。MOOCを活用するのもよい。
どうせいつか覚えるので、早めに使えるようになっておいて損なし。
基本。
使えると色々自動化できて便利。個人的にはpython(3)がオススメ
必須では無いと思うが変換ツールと合わせて使うと便利。レポートにも使える。
どちらかお好みで。大抵のエディタ・IDEで使えるため汎用性がある。筆者はemacs派。
ひとりで手を動かして継続的に学べるのであればそれでいいが、そうで無い人間の方が多いのでは無いかと思う。筆者もそうだ。そういった人間は他者と共に学ぶのがよい。
大学に情報系や電気電子系のサークルがある場合はひととおりみておくといい。真面目に活動していて、ソフトウェアなりロボットなり成果物があるようなら入って良いと思われる。唯のオタクの溜まり場になっているようならまあ入らない方がいい。
サークル以外にも、都市部に住むのであれば技術を主体としたコミュニティが多くある。SNSや同期、先輩のツテを使って興味のあるものに参加してみるとよい。
プログラマーのバイトなども良い経験になる。しかしブラックな職場もあると聞くのでよく選ぶべし。
といっても、課外活動に惚けて大学の授業を疎かにするのは愚の骨頂。大学の授業で学ぶのは全ての基礎なので、これを知らずにどんな最新技術に触れようと意味が無い。
これは情報系学部で学ぶならやらない理由が無い。プログラミング力を鍛えるには最適である。
AIZU ONLINE JUDGEやAtCoderでゲーム感覚で楽しむとよい。
思いつきで書いたので書き漏らしはあると思う。あとよく言われる教授に質問に行ったりして活用しろ〜などは情報系でも同じ事が言えると思う。
情報系の学生として最もやってはいけないことは、読んだだけ、聞いただけで理解した気になってしまう事だと思う。授業で聞いた事全てとは言わないが、せっかく場所を問わず実験ができる学問なので、興味を持った内容だけでも良いのでコーディングして動かしてみて欲しい。
30台後半男。既婚。昔から性欲が強い方で特にモラルもないから普通に浮気や不倫はしてたんだけど、最近はもっぱらスマホでオカズを探してオナニーしてる。それで結構満たされるから浮気もしてない。色んな女の子とセックスしたいとは思うのだけど、アリバイ作ったり嘘ついたりするのは大変だし面倒くさい。夫婦生活はうまくいっているので、壊したくもないし。
昔は同棲してたり結婚してたりするとエロ本を隠すのも大変だったし、DVDを見るなんて難易度高すぎた。スマホ以前はお風呂に入るフリしてラップトップを持ち込んでダウンロード済みの動画でヌイたりしてた。今は来客があっても「ちょっとトイレ行ってくる」なんて言ってサクッとストリーミングでやっちゃえるので便利な時代になったなーと。
昨日、どっかのブコメでイモビライザーというワードが目に入って、
キンドルを取り寄せて夢中で目を追うと、昔と変わらない水前寺がいて
やっぱりぐうの音も出なかった。こんなの中三じゃねー。
グラウンドゼロでイリヤは原チャリを盗むことに一回失敗している。
つーか、今思い知った。後書きによる前夜祭だけどそんな伏線あったんだ。
うおおおおお、やべー、今更ながらまた一つ無駄知識が増えた。
もとい。
電撃hpをリアルタイムで読んでた時、クルマどころか原付免許も遠かった頃は
気付かなかったのだけど、
あり得ないとは言わないけどつけている台車は
モノ好きによるカスタムぐらいで数えるほどだったはず。
四輪の乗用車、しかも高級車しか普及してなかった、それを作者が出したのは、イリヤの世界は少し未来です、とすんごく回りくどい方法で示したかったのかな。なんて、思い至った。
何度も溺れ、迷子になりかけた。コワイ!
少し未来も当たり前のリアルタイムも、いい感じの過去に変わったけど
かつての中二は今も中二だった。この胸の高鳴りがそう、教えてくれた。
「私はブログを愛していました。毎日真剣にコミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックとソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクもサブカルも主義者もいたし、道化、変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化や変態です。
仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまずブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間。誹謗中傷と批判の区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。
ときには自分自身への囚われからも自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーからの批判になら、私は耳を傾けることができました。他者の批判は、自分自身の防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。
ときに讃えあい、ときに批判しあい、ときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日もブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログをクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。
あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川のほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」
Yes!
Yes!
Yes!
『賛成多数、汝を戦闘ブロガーと認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーションも許可しない。良いな?id:○○○○』
「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由なブロガーの!ブロガーの自由をお認めくださいませ!」
『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要な存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』
「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」
『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。
やれ!』
「や、やめ、ギョワーーーー」
焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印。
倒れ込み、牢に投げ込まれる男。
『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』
※この台本はフィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
http://pha.hateblo.jp/entry/2015/12/03/225533 を見てふと。
当方文筆業。外で書き物するときとか、家の中でもデスクトップじゃ作業する気になれないとき用に動作の軽いラップトップが欲しいと思っていた。
値段がお安くて動作も軽いという噂のChromebookを検討したんだけど、基本的にブラウザ上で完結させないといけないと聞いて二の足を踏んだ。
ちょうどその時、古いノートPCをChromebookとして復活させてくれるアプリ『CloudReady』という記事がはてブに上がってたので試してみる気になったんだけど「Chrome OS入れるぐらいならLinux入れるわハゲ」というコメントがあって、そっちの方がいいのかとやってみた。
当方が持ってた古いノートPCは、2007年ごろに買った糞Vista搭載のレッツノート(CF-Y5)。当時の型落ち機だったので、買った当初からVistaは若干重く、とにかく嫌な記憶しか残ってない。CPUは2コアの1.6GHz、メモリは512+1024MBぐらい。クリーンインストールもしたんだけどやっぱり重く、ブラウジングですらコマ落ちする有様。これにLinuxの軽量ディストリビューションをいくつか入れてみて、けっきょくLinuxBean+Firefoxの組み合わせに落ち着いた。
あれ……、これだけか。
など。Windowsのように使おうとすると確実にLinuxの洗礼に見舞われると思う。ただそれを乗り越えてでも使いたいほど軽くなったので、頑張ることができた(デメリットというより単にLinuxに慣れろって話かもしれない)。
まとめると、糞VistaノートにLinuxを入れて手に入れたものは、「軽快さ」であり、Chromebookじゃなくて良かったなと思えるのは「Windowsアプリが動く」ことだ。Linuxに慣れてないことによって面倒だと感じることはあるが、用途を決めればそれに合致する環境を手に入れるチャンスではあると思う。
このエントリが、Chromebookを検討しつつ糞Vistaノートを死蔵させてるひとに対し、ひとつの選択肢を提示できたなら嬉しく思う。
ジョブズより取り巻きが有能だったと思っている""無神論者""もいれば、中道右派のスタバドヤリング勢もいます。
安上がりだからApple製品を選んでいる、不敬虔なマカーもいますね。ええと、私です。
Macには保証書が付いていなくて、Appleが直接サポートします。だから新品なら、どこで買っても同じです。
値段は同程度のWindowsマシンとさして変わりません。むしろ安い場合さえあります。
同じ型使っているユーザーが多いので、たいていのトラブルは自己解決できます。
eBayとかでパーツ(ロット多いから安い)買って、ラップトップの修理もできないわけではありません。修理手順を紹介する動画が、YouTubeやiFixitにアップされています。
それに2年前後で買い替えた方がコスパいいので、3年も保証要りません。
ステッカーべたべた貼ったり、裸のままバックに放り込んで傷だらけにしなければ、2年後でも高く売れます。あと、化粧箱はとっておきましょう。
Windows, Android機に比べ、林檎の製品は値崩れしにくいのです。中古iPhoneの相場を見れば、お分かりになるかと思います。
MNPで安かったからなんとなくiPhone買った、みたいな層が林檎PCユーザーにもいるのです。
なので、スタバやマックでドヤっているマカーは必ずしも中道右派ではなく、税制と社会保障と経済政策にしか関心がない無党派層かもしれないのです。
職場で現在プチ流行中の言葉にITC(意識高いカフェ)というものがある。個人経営のカフェであり入口にはメニューの黒板。おちついたボサノバっぽいBGM。ラテは豆乳もあるよ(ソイラてっていうんだよ)。670円で高い。ランチは白いプレートに乗ったもので野菜とか魚が少しずつ乗ってるよ。スマホでソシャゲやってるお客さんはいなくて、たいていは主婦2人組(お金持ってるっぽくて観劇や展覧会の帰途多し)か、外回りのクリエイティブ系サラリーマン(プレゼン帰りで議論していることが多し)か、Macbook開いてる自由人っぽい人間(大きなヘッドフォンでセルフレーム眼鏡)だよ。黙って座ってるとこちらを笑い殺しにするようなステキカイワが聞こえてくるので、職場では伝説の息抜きスポットになってるよ。「俺はカラーパンフみてRGB値を当てられるんだ」みたいな自慢を三十分してるとか。
このITCは特定のカフェを指す隠語なんだけど、そのほかにSITC(少し意識高いカフェ)ってのもあって、これはチェーンなんだけどイシキタカイっぽいカフェのこと。おまえのことだCAFFÈ SOLARE。得意技はメニューにアボカドとかフランクに投入すること。アボカドって言っておけば許されるあの雰囲気はまさにSITC。こっちは子どもずれのママ友(三人もしくは四人組)多し。オープンテラス席で「幸せな母親」を社会に見せつけるプレイに余念がない。
なお別種の存在としてDMCC(泥水コーヒーカフェ)ってのもあってうっすい香りのしないコーヒー一杯を、部下のリストラ数の勘定をしてる企業戦士や銀行に頭を下げるマシーンと化した古参兵や競馬新聞を聖書のように携えた壮年の信徒が、ひとっこともしゃべらずに世界の悲嘆を共有する無言の空間で摂取してる。こっちはこっちでカウンター席でラップトップ(傷だらけの古いLenovo)を広げ、青年時代の罪の告白のようにコードを書いてる中年もいるよ。クリエイティブってなんなんだろうね。
## 概要
ビリギャルじゃないけど、慶應卒の、頭のなかお花畑なゆるふわOLの私がカフェでハイスペ男子をあさり、とうとう先日結婚までこぎつけるに至るまでに駆使したメソッドの紹介。一部フェイク含。酔っている勢いで書いているので誤字脱字していたらごめんなさい。
## はじめに
慶應卒と言っても、ピンきりであることは言うまでもないと思うけれど、私はその中間ぐらい。上を見れば本当に裕福な家庭で育ったお嬢様だとか、社長令嬢、はたまた、〜国の大使館の娘等、慶應にはそういう人たちがたくさんいる。私は特段裕福というわけではないが、ある程度余裕がある家庭で育ち、成り行きで慶應に進学した。私は、そこそこ勉強が出来る程度で、特に目立った特技もなく、本当に、「普通」な女性だと、自身ではそう思っている。見た目も普通。とは言え、女性なので、それなりに見た目には気を配っているけれど・・。ネイルや髪の毛、お肌の手入れ、「どこにいても他人に見られていることを必ず覚えておきなさい」という母の昔からの教えが刷り込まれている。父もマナーには厳しかった。内面的にも外面的にも。私は、ジャンル的には、いわゆる、男性が言う”清楚系”なのだと思う。黒髪ロング。もちろん処女ではないし、おおっぴらに言うものでもないが、自慰もするし、Sexも好きだ。そういう行為に目覚めたのは女子校時代だと思う。女性、大体そういうものなので、世の中の男性は幻想を抱きすぎだと、常日頃からひしひしと周りの男性の話を聞いていて、思う。
## きっかけ
そんな私が、大学を卒業してマーケ関係の仕事に就いた。狭い社会、噂も、裏話も、あっという間に広まり、飛び交う、とても居心地の悪い会社だ。同期や先輩は、良い大学を卒業した頭のキレるエリートなのは、間違いないのだが、どうしても、何かかけている人が多い印象。女性比率が圧倒的に少ない会社。男性が多い会社でありがちな、セクハラまがいのことも少々あるが、軽いセクハラ程度でメンタルをやられるほど私はヤワではなかったので、テキトウにあしらいつつ、ひたすら業務に集中していた。そういう生活を3年続けて、そろそろ大学の友達や高校の友達からの結婚の話がFacebookで伝わったり、結婚式に招待されることが多くなってきた。私は学生時、2年間お付き合いしていた、大学で知りあった男性がいたが、卒業と同時に彼が海外の大学院に行くことになり、お別れすることになって、それ以降、誰とも付き合わず社会人を続けていた。もちろん、その間に男性からアプローチされることはあったが、その時は仕事を優先したかったことと、それらの男性達があまり魅力に感じられなかった。もちろんお食事に誘われたら、特段「生理的に無理」等なければ、行きはしたが、もちろん私にはその気がないので、美味しくご飯を頂いて、男性のお話をきき、口説きをスルーする、そういうことはあった。とは言え、少しづつ危機感を抱き始めていたことは間違いない。しかしながら、社内でそういう相手は到底見つかりそうもない。私は、学生時代の友達をつてに、合コンを開催してもらうも、魅力的だと感じる男性には当たらない。そもそも合コン開催回数が少なかった。巷で「週5で合コン」「アフターファイブ」「20時から合コン」「仕事を早上がりして・・」「一人で仕事後バーに行ってみよう」等、女性向けの婚活情報誌やメディア、特定のツイッターアカウントが、そのようなことを煽ったりしているが、ある程度キャリアがある女性にはそれが不可能に近いなことは言うまでもないと思う。毎日終電後タクシー、平日に合コンする時間も、余裕もない、休日も仕事に追われることが多い。家では本当に寝ているだけ、たまった疲れをひたすら回復するために、外出する気力も出てこない。給料は多い、けれど、それは「命を削って得たお金」と揶揄できる。
## 受け身ではだめだ
「受け身では駄目だ」と、合コンに参加して、あまり自身の好みや理想にヒットする男性が現れず過ごした日々の中で、私は悟った。遅いね。とは言え、仕事後バーに行ったり、知り合いと交流する余裕が当時私にはなかったので、どうすれば私の好みの理想の男性と出会えるか、自身の生活習慣や生活拠点から考え直すことを始めた。まず、私は仕事上、夜に時間を作ることがほぼ不可能だった。そのため、私は朝をメインの活動時間にしようと考えた。当時、ちょうど、「朝活」「朝カフェ」等が巷で流行り始めた時期だった。では、安直に、そのクラスタでまず探してみようと私は考えた。ものごと、流行り始め、アーリー・アダプター、アンテナを張っている人はある程度、様々な意味合いで”平均以上”であることが多い、と何かの記事で読み、それを真に受けた。それでは、朝、そういう場で、理想の男性と出会える確率を上げるには、どうすればいいか、と考えた時に、まず自身の住んでいる場所がそれに適していないことに気がつく。私はすぐさま、都心、具体的に言えば恵比寿に引っ越しをした。地理的にある程度お金に余裕がある人が多い、民度が高そう、住みたい街のランキング上位、そういう理由で恵比寿を選んだ。のちに、それが大成功だったと気がつく。
## 行動開始
恵比寿に引っ越した私は、まず近場で開催されている不特定多数が参加する朝活の集まりや、朝から開いているカフェの情報を集めて、積極的に平日の朝にそれらに赴いた。当時は、それらが流行り始めたばかりだったので、来る人は、ある程度ステイタスがある人が多かったように思える。恵比寿にある外資の男性も多数いらっしゃった。朝カフェも、仕事前に新聞を読んだり、読書をしている、出社前の、”エリートそうな”会社員の方が多かった。私はそういう場で積極的に男性に話しかけてみた。朝活では、特段何もしなくても、そもそも交流目的のものや、読書会等だったので、自然と男性とお話することができた。一方で、朝カフェは少し難易度が高かった。何度か朝から営業をしているカフェを偵察し、店内の様子や、常連、その時間帯にいる店員、様々な要因を調査し、どこが適しているか、どういう交流の始まり方が適当か、を検討する必要があったからだ。恵比寿、代官山周辺は朝からオープンしているカフェが多い。そのため、人も散らばる。しかしながら、いわゆる「雑誌に掲載されるようなオシャレカフェ」には、そういったたぐいの男性は来ない。彼らはチェーンのカフェに多い。特定の場所で申し訳ないけれど、ガーデンプレイスのスターバックスとか、駅周辺のチェーン店のカフェに彼らは朝来ている。そのため、私はそちらを主な活動拠点として選定した。次に、どのようにしてカフェ内でそのような男性と交流するか、という一番の課題と向き合うことになる。カフェでいきなり話かけるほど、不自然なものはない、国内では。私はとりあえず日経新聞を持込み、ラップトップを開く。最近ではメジャーになったMacBookではなく、windowsマシンだけれど。以下、私が試みた話しかけるきっかけづくり一覧だ。
2. すみません、携帯がなくなってしまったのですが、一度私の電話を鳴らしていただけないでしょうか。
3. 忘れ物をわざとする
5. 読書している本について聞く
6. 出張できた風に装い、周辺のことを聞く
一番自然だったのは、1の「無線LANへのつなぎ方わかりますか?」だ。困った顔で、ゆるふわ風に聞くとより効果的だった。話始めた後は、あなたの会話力次第。そこには言及しないけれど、私はそこからうまく連絡先を聞き出し、そうやって出会った人と、お付き合いを開始し、つい先月、結婚をした。正直、女性に話しかけられて不快と思うような男性はほとんどいない(*あなたが普通以上の身なりの場合)。なんだかんだ、男性は紳士の方が多いので、親切にしてくださる。少なくとも、朝恵比寿のカフェに来ているようなサラリーマンは。
朝活の方は、コミュニティ的な要素が多く、そこでの恋愛への発展は、コミュニティ的に面倒になりそうだったので、私は自然と朝カフェでの活動にシフトしていた。結果的にはそれが正解だったらしい。 最近では、いわゆるマルチ勧誘がそういう場でされていることが多発しているらしいので、今やるのであれば、私はカフェを押す。
これは個人の好みによるので、正直書く必要がない気もするが、足切りの基準程度は参考になるかもしれないので書いておく。以下のポイントを抑えている人だと良い。
1. 短髪
2. スーツ
3. 社員証をかけている
5. PC開いている
6. 黒髪
7. 読書している
茶髪でMacbookを開いている人もいるが、彼らはワナビーである可能性が高い。 学生もいるのでしっかりみわけないといけない。社員証をつけていれば、ある程度保証があるが、逆に社員証を見せびらかすタイプの可能性もあるので注意。私は黒髪短髪のキレイ目の男性を足きり基準にして行動をつづけていった結果、私のタイプで、且つ趣味もあう、男性と出会えた。短髪、黒髪、私服だけどキレイ目、PCを開いてコード?を書いている、そういう人だった。もちろん「無線LANってどうつなぐのですか?」で会話をスタートした。IT系の会社に勤めている人で、物腰もものすごく柔らか、女性慣れしていなさそうな方で、とても好印象だった。
0. 駅近ドトール
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=946
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=1269
こっちはいったことないのだけれど、この戦法を伝えた友人が良い男性をここで多数見かけるとの情報を教えてくれたので記載。
## まとめ
夜繰り出す時間がない、バー等一人で行く勇気がない、出会いがない、仕事が忙しい、そんな女性に、朝型の出会いの戦略をお伝えしました。朝カフェ戦略、伝えた友人は、わりと楽しんで、しかも良い男性と出会えているようなので、ぜひ皆様もお試しください。最後あたり、のろけになってごめんなさい。IT系の彼なので、この記事みつかったらどうしよう。いいや。みつかっても。ちょっと話したし。あと、恵比寿の情報ばかりでごめんなさい。恵比寿が良い街なので。。
新宿・渋谷・池袋みたいなところでまたテロが起きたら被害を最小限にできるとは思えない。
そもそもこのあたりにいる人って救急車が通ってものんびり道路を渡っている連中ばっかりだよね。
ソースはhttps://www.youtube.com/watch?v=b99ZSGc5BEwとかwww.youtube.com/watch?v=tnqn9THUnNkね。
実際にテロが起きたらパニックになるから余計救急車や自衛隊や警察の到着が遅れることになる。
駅内や電車内でラップトップPCを持って配信しているアホをたまに見かけるけどこういうITがテロ行為に悪用される可能性もある。
駅内の人の近くにあるゴミ箱なんかは外側からは何が入っているのか見えないのも危険ではないのかな。
日本はイスラム過激派のテロリストの標的になってるんだからさ。
こんなんでオリンピックとか大変だよ。
いや、まだ何者でもないし、僕の名前なんて誰も知らないだろうというか個人的には一生裏方のエンジニアで十分と思っているのだけど(だから匿名)、ただ単にこのタイトルかっこいーなーと思っただけだ。あと匿名である以上、この内容を信じるも信じないも読者の自由だ。
サンフランシスコベイエリアに来て2年半。まだそれだけしか経ってないのか。ずいぶん長い時間が経っているような気がする。普段のこちらの会社は事業売却でレイオフしたり転職したりパフォーマンス不足でクビになったりしない限りは至って毎日同じような天気で同じような生活リズムで働き続けているものだが、その割にずいぶんといろんなことがあった気がする。約5年勤めた巨大SIerを退職する決意をしたのがちょうど3年ほど前。いま自分がこのエリアで働いているというのが少し驚きだ。
退職するまでは仕事は忙しいながらもそれなりに充実していた。プロジェクトが変わるごとにいろんな人と出会いながらいろんなシステムを作った。出版系、公共系、銀行系、社内システム、ユーテリティ系、プロジェクト規模も数十人から数百人まで。他の会社ではなかなか出来ない経験をしていたと思う。でも、どこか自分のやりたいことと違っていて、年次が上がるごとに焦りも増しつつあった。
研究室で研究のプロトタイプのアプリケーションを書きまくっていた時は本当に楽しかった。研究の理論を考えるよりも手を動かしてコードを書いて思い通りにアプリを動かす方が楽しかった。仕事をするならプログラムを書く仕事をしたいと漠然と思っていた。それでもSIerに新卒で入社してすぐに転職しなかったのは、いろんなステークホルダーと調整して仕様を決めていったり、クライアントから隠れた要求を引き出すような仕事も実際に始めてみると楽しかったからだった。今でも自分の仕事の進め方はSIerでの5年間がベースになっているのは間違いなく、そしてそれはシリコンバレーであっても今のところ大きな武器になっていると感じる。ちなみに、SIerに入社したのは他に内定が無かったからだ。。
当時は20台後半。プログラミングを仕事にするにしても長く続けるなら将来的にはベイエリアで働くのが良かろう。ただ、いきなり現地の会社にビザサポート付きで採用してもらうのはほぼ不可能なので、語学学校→コミュニティカレッジ→インターン→現地採用というフローが遠回りながらも最も現実的なようだ。いずれにせよ、準備だけはしておかなければなるまい、ということで週末はとにかく盲目的にプログラミングの勉強を続けた。WiMaxを契約して家の近所の図書館に閉館までこもりそこが閉まるとWiFiが使えるからふね屋に移動し、という具合にラップトップを持ち運んでうろうろしていた(自宅では集中力が続かないタイプ)。iOSを触ったり、気になったオライリーの本を読んだり、蟻本を読んだりとにかく闇雲に色んな技術に触れていたが、最もよく触れていたのはJavaScriptだった気がする。仕事では業務系Webアプリケーションが多かったので、Web関連だとJavaScriptが良かろう。また「なぜ関数プログラミングは重要か」という論文をJavaScriptで写経してみて楽しかったとかそういった理由だ。当時はまさかこれほどNode.jsが使われるようになるとは思ってもみなかったし、当時読んでいた本の著者と同じ会社で働くことになるとは夢にも思わなかった。
でも、結果的にその努力が自分の身を助けることになった。偶然、ベイエリアの会社で日本人エンジニアがH1Bサポート付きのエンジニアの募集をしていたのだった。その時点では自分なんかがいきなり飛び込める世界ではないと思っていて、最初は自分のコードに何かしらアドバイスをもらえればいいと思ってメールを送ったのを覚えている。そこからダメもとで受けてみたところ、コーディングインタビューの手応えがわりと良くてオファーをもらうことができた。
その会社ではちょうど2年働かせてもらった。自分のような特にオープンソース活動もしておらず英語も上手くない日本人にチャンスを与えて本当にたくさんの経験をさせてくれ、人生でかけがえのない時間を過ごさせてもらい本当に感謝している。今は転職してそこそこ名の知れた会社でコンシューマ向けのWebサイトをJavaScriptで開発している。
こういったケースはすごい稀でたまたまめちゃくちゃ運が良くて今の自分があるんだろうけど、でも万に一つのチャンスを逃さないように努力を続けることはたぶん大事で、おそらくそれが無ければ転職することも不可能だっただろう。週末にプログラミングの勉強をするという習慣は今も続いている(むしろ東京よりも娯楽も友達も少ないこちらでは週末は他にやることがない)。勉強したいことリストの増える速度が完全に消化速度を上回っているのだけれど、何も勉強したくなくなった時がプログラミングを仕事にするのをやめるときなんだろうなと最近は思っている。
娘に中学受験をさせようか、それとも地元の公立中学校へ行かせようか迷っている。
職員玄関で『不審者じゃありませんよ』プレートを渡されたのにも驚いたが、なによりも授業風景に腰を抜かした。
教科書を読めば分かるようなことを教員が白墨で板書し、生徒がそれを紙のノートにシャーペンで写している。
紙が手元になきゃ情報得られないじゃないか。ネットワークに繋がらない情報は情報価値ゼロだよ。
数式や漢字の書き取りなんかはペンタブレット使えばいいだけの話。
あと分からない言葉あってもググれないじゃないか。どうすんだよ。
ここまで書いた内容を妻に話したら「小学校も私立中学も同じよ」と返された。知らなかった。
もう学校に頼るのはやめよう。
公立にせよ私立にせよ、娘にはノートPCを学校へ持って行かせようと思う。
娘の通う小学校では『スマホ禁止』という意味不明な拘束、もとい校則があるらしい。
しかしPCは禁止されてない。うっっしゃぁぁぁあああ!!(価格.comで3万円ノートをポチる)
安いノートPCはバッテリー取り外し可のものが多いじゃないですか。
さらに生産ロットが多いから、別売りのバッテリーも安いじゃないですか。
スペアのバッテリー携帯すれば、駆動時間の問題はクリアできます。
問題は重量ですね。重い。
でも教科書・ノートを電子化すればプラマイゼロかマイナスですしおすし。
だいたい諭吉10人オーバーのPC落っこどしてぶっ壊れたら泣きます。娘が泣かなくても私が泣きます。
たまにニュースで『学校でプログラミングを教えよう』みたいな記事見る。
正直『はぁ?』という感じなので思うところを書いてみたい。
情報科出身の教員、今のテックにキャッチアップできている教員、どんだけいるの?
多少はいるかもしれない。
だけど全国規模で、義務教育レベルで教員の頭数揃えることなんてできるの?
SE, PGに文系出身者が多いことからも分かるけど、プログラミングに特殊な技能なんて要らない。
構文覚えれば誰でも書ける。
ソースコード100行必要なプログラムを50行で書くには才能が必要。
20-40人もいるクラスで教えるんでしょ? 尖った才能育成できる環境じゃないし、だいたいそういうヤツはもう自分でプログラミング勉強してるよ。
おとなしく着席して自分よりはるかにリテラシー低い教員の話聴くゲイツやジョブズやペイジなんて想像できる?
もしくは他の……全く思いつかないけど、なにがしかの能力を伸ばしたいの?
うん、いいよ別に。
例えば論理的思考なら、数学でも小論文でも物理でも現国でも哲学寄りの倫理でも教えられるじゃん。
わざわざ公費(おっしゃ!税金だぜ)でラップトップ買って、血税(役人ちょろいぜ!)で40人同時接続のトラフィック捌けるネットワーク環境作るの? 教育は『聖域』だからコスパ度外視なの?
教員よりプログラミングに習熟している学生なんて5万(もっと?)といる。
リクルートの人間が優秀な学生の特徴として『就活をしない』を挙げていたけど、マジでそうだよ。
出来るやつは学生の頃からウェブサービス立ち上げて社会人より稼いでいるし、一本釣りで就職したり起業したりしてる。
そもそも生き馬の目を抜くような、変化の激しい"イット"業界にお上が首突っ込んで成功するわけがない。やめとけ。
私が言いたいことはこんなところ。
昔、全国の小中学校に『コンピューター室』ができたのも、今タブレット端末無理やり導入してるのも、儲けたいヤツらが仕掛けたんだよね。プログラミングの授業うんぬんもたぶん同じ。
築数年のオフィスビルに入居しているのですが、なぜか非常階段の扉のドアノブが金属製で丸い。
そう、思い切り握らないと廻らないタイプのあれです。
球形であることによって誰が得するの?
*前提としてわが社ではエレベータの止まる階とそうではない階があり、この扉を使わないと移動できないフロアがあります。
*非常階段以外の扉はICカードで管理された扉やフラッパーゲートを採用しています。
1.両手がふさがっているときに扉を開けることができない
例えばラップトップPCとコーヒーカップを持っていたら開けるのは至難の業。コーヒーこぼれる。
2.ドアノブを握るのが気持ち悪い
何故か水滴がついている場合があってかなり不快。手を洗った後に拭かない不届き者が一定数いるらしい。
また外国人が多い職場なのですが、特定の国の人がトイレで手を洗わないところをたまにみかける。衛生的ではない上になんか腹立つ。
3.冬場の静電気が痛い
握らないと開かない方式なので、高確率で静電気を食らう。常に痛い。緊張の連続。
なんでL字型じゃだめなの?球形ドアノブ業者とオフィスビルの業者が結託してるの?
前々から気になっていたことなので書いてみました。教えてエロい人!
追記(2014/09/13 12:00):
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。