はてなキーワード: セラピーとは
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
専門家でも何でもないからわかった風なことを言うべきではないとは思うんだけど、でも。
それに対して傷ついた、傷ついていると言葉にし文字に起こすのは大変だったと思う。
でも今それをして、もしかしたらだけど無意識に自分を客観視しているのかな、なんて素人分析しちゃった。
アダルトチルドレン関連のサイトや書籍って沢山あるし、きっとしんどいかもしれないけれど、
でも少し心の余裕が持てそうなときに眺めてみたらどうだろう。
読んでいるだけで胸が痛んだんだから、元増田氏の心の傷は想像もできないくらいだと思う。
もし可能ならカウンセリングやセラピーなど受けて、心の平安を取り戻せたらと祈ります。
他のコメントにもあるように認知行動療法やジャーナリング、ナラティブセラピー等々色々あるし
自助グループ的なものを探したり、(自分だけじゃないんだ!仲間がいる!って、実感できて個人的にはとても癒された)そんな方法もあるだろうし。
まずはアダルトチルドレンを検索してみることを勧めさせてほしい。
既知だったら本当ごめんなさい。
とにもかくにも今まで31年間も頑張ってきたことに胸を張ってください。
ゆっくりせめて心だけでも休めてね。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
本質的な解決方法じゃないかもしれないけど、わざと外部の偉い人を教室に入れて噛ませる、という方法はとれたかもね。
https://blog.goo.ne.jp/tabby222/e/33e44e1270dba9c258684d0f80af3e6d
他害をほっとくことは、そのまま将来お子さんの支援をしてくれるスタッフにブラックな職場を提供することになるんだけど、「治すなんて差別!」の人たちはきっと労働者としての支援者を応援する気持ちなんてないのね。
でも現場は悲惨らしい。今のところ強度行動障害への対処法は三つ。構造化、薬、そして絶対受容。
このうち薬はあまり多いと本人の健康問題につながるし、絶対受容はきついらしい。本人にとって。そして何より職員にとって。職員が病んでいくらしい。
そうだろうね。構造化+脳みそラクラクセラピー(場合によっては適量の薬。ま、愛甲さんはもちろん、薬なしで治したんだけどね)がいいと思うなあ。
建前としては絶対受容だけど、あるときある特別支援社会(要するに入所施設ね)で医者を噛んじゃった利用者がいたらしい。そうしたら即薬漬け+拘束。
なるほど。
↑は入所施設の話だけど、噛みつきに対策してもらえるかどうかは人間関係の上下構造が影響する。
クラスの中で、他の生徒や担任の立場では異議申し立てできない。
妻の知り合いの知り合いがオーラリーディングにハマっていて困っているという相談がきた。面白そうなので夫婦で受けてみたが、結局占いと同じなんだな。あと統計。
具体的なこと言わないし、ある程度話を引き出して「○○でしょ?」と見えているかのように話すだけ。
初回だから1000円でいいと言われた。
これにどっぷりハマるのもホストにはまるのもアイドルにはまるのも根本は変わらないねと妻と話した。
新興宗教みたいに異常な金銭を払ったりしない限り、様子見でいいのでは?と友人には伝えた。
聞く限り、妻の友人の友人(以下A子)は仕事で心が弱った時にオーラリーディング屋に行っているだけで、数ヶ月に一度セラピー的に受けているみたいなのでとりあえず大丈夫と話していたらその場にA子が来て波動水?をすすめてきた。
波動調整という単語で妻は耐えきれずマスクごしに大爆笑して眼鏡が一気に曇り、それを見て私も笑ってしまい、A子は怒ってしまった。
謝罪してあなたが何を信じるのかは自由だが、友人に心配をかけるような金額をその波動水にかけるのは考えた方が良いのでは?と声をかけたが、目はギラギラしたままだった。
結局無責任なことしか我ら夫婦は言わなかったわけだけど、人生初のスピリチュアルな人との接触は中々ショッキングでユーモラスだった。
【レシピ以外のパクリ列挙】改訂版(自己表現の基盤バックボーンが『パクリ』で大口叩くなど窃盗詐欺的要素があるのでアウト)
「シイマイ」「浮雲スープ」「飲むピザ」「エアーズロックカレー」「肉のドレッシング」「猛暑めし」「麻薬○○」「合法○○」「無期懲役○○」「虚無○○」「秒殺○○」「キュア○○」「倍ボール」「アル中マシン(マシーン)」「酒飲み専用ポテサラ」「超速ハイボール」「黄金色の麦茶(アルコール)」「極悪おつまみ」「無双おつまみ」「スマニラ」「次世代の肉じゃが」「汗かいたナス」「酒場探求記」「味変四天王」「エンドレストマト」「無心きゅうり」「無限ビール案件」「神のコク」
「いい出汁。夢気分」「釜ごと抱えて」「デブブレイカー」「本気の弱火」「ニラ玉屋」「必殺ズボラ飯」「ニンニクセラピー」「美味しさの最短距離」「おいでよ酒クズの森」「軽率に試してほしい」「茶色いのは正義」「ホップステップ飲酒」
「ギャンギャン混ぜる」「ギョンギョン進む」「ボコボコ飲む」「ご飯が飲める」「飲酒はスポーツ」「春、真っ逆さま」「夏モッコリ」「もっ盛り」「リュウジ研究家のリョウリです」
「リューピー○○分クッキング」「ニンのニク」「玉のネギ」「乱の切り」「うんとでいの差」「オイのスターソース」「60のcc」「ギューのニュー」「片の栗粉」「セーラーアルコール」「月に代わって(変わって)がぶ(ガブ)飲みよ」
「もってつけ」「酒見酒」「ニンニクの貴公子」「茄子の錬金術師」「春巻きの鉄人」「ウマミスト」「アウトローホテルマン」「料理界の黒船」「料理界のドラえもん」「キュアハイボール」「キュアジャンキー」「パリパリのパリス・ヒルトン」「ホクホク北斗晶」
「妖怪まな板舐め」「旨味の爆弾」「肉汁の爆弾」「禁断を超えた(越えた)禁断」「音量を0にして見てください」「味の素先輩」「炊飯器先生」「レンジ先生」「ハイボール先生」「酒粕先生」
「ニンニクはすべてを解決する」「マヨネーズはすべてを解決する」「ニンニクは香水」「ゴボウはハーブ」「私立アル中学園」「背徳感がつまみ」「誰も不幸にならない偽善」「香り イズ ビューティフル」
「キョン回」「ポインチュ」「ギッサリ」「さっこさこ」「さっくほく」「スパニカル」「ヘルティ」「へるぴー」「久しばり」「酔っさらい」「ベーケン」「ケチャッポ」「チャーパン」「ドレッティング」「セブンイレバン」「ブラックペッピー」「あただきやす」「ばんじゃい編」「汁汁満ちる」「どうも生ゴミです」「どうも穀潰しです」「どうも、この世の終わりです」
「自信ありまし」「1.8倍美味しく」「想像の50000倍」「質問が2億回」「100億兆(点)あげたい」
「どちゃどちゃうまい」「マジョマジョ美味い」「もっこもこ(もこもこ)ウマい(美味い)」「ゴリラ美味い」「冗談みたいに美味い」「燃え尽きるほど旨い」「もちょもちょうまい」「ズンドコ飲めます」「美味しさでぶん殴ってくる」「脳を揺さぶる旨さ(美味しさ)」「肉の時代は終わった」「もう二度とやる」「旨味がビッグバン」「水を得た魚ならぬ酒を得た○○」
「柴犬色」「チャウチャウ色」「ゴールデンレトリバー色」「全人類に作って欲しい」「生きてるだけで褒められてえ」「落ち葉にかけてもウマい」
「いちご味といちごくらい違う」(「イチゴとイチゴ味くらい違う」)「あんぱんと牛乳くらい合う」(「牛乳とあんぱんくらい合います」)「ジェネリックもこみち」「ジェネリック川越」「ケン・コウコツ」「バツなし子なし甲斐性なし」「お試しくたまさい」
https://togetter.com/li/1778707
またこういう形で話題になってるけど、とりあえずこの人は「カウンセリングとか受けてなんとか治った」人なので、まずその前提は共有しておいた方がいいかなと。
http://inoo.cocolog-nifty.com/news/2016/07/post-e09a.html
ある時、部屋の片づけをめぐって(部屋の片づけ問題がいつも揉め事の原因になっていた)旦那さんと揉めた田房さんは怒りの勢いのあまり警察を呼び「旦那が暴力を振るいました」と訴えようとするも途中で冷静になり、警察を呼んだことを激しく後悔し(警察は話だけ聞いて帰った)、それをきっかけに「もうキレないようにしたい」といろんな本を読み、多くのカウンセラーやセラピストに会いに行きます。
まあ、Twitterとかでも今の様子見てると「不安定だなー」と思うことは割とあるので、「治った」というよりも「寛解した」という感じだろうけど。
株式投資についての本を読むと、資産を増やすという意味での正解は出ているようだ。
インデックスファンドを積み立てて放置するのが良いらしい。それはわかったし実践しているが、どうしても面白くない。
個別株を買うときは、自分が今から就職するならどの会社かという観点で選ぶと面白い。
日常的に気になる会社を検索して、とりあえずIRレポートや第三者の分析などを読んでストックしておく。
事業や製品もいろいろ覗いてみて「この製品は面白そう。むしろ自分も参加したい」と強く思えたらそこの株を買ってもよい。
そういう観点でみると、株式を買っても良いかなと思える会社というのは実は結構少ない。
本当は学生時代の就職活動にこういう分析をするべきだったんだろうな。
twitterとかで「あなたはHSPとかアダルトチルドレンで、こういう辛い過去があって、あなたがうまく行かないのはそれが原因。だからあなたは何も悪くないんですよ」とか発信してるアカウントがあって、身内がガッツリ信仰している。
言うなれば「あなたは悪くない、親や社会が悪い教」っていうの?それで救われるならいっか。とも思ったけど、親や社会(社会人である友人含む)を必要以上に憎んで、距離を置いて孤立を深めているので良くないよなあという感じ。
twitterでHSPの人は〜と、根拠もないのに断定口調で発信してる人はカウンセラーのようだが、資格などは明記されていない。まあ資格持ちだったらそんな断定するようなことは言えないだろうけど。別にカウンセラーになるのに資格はいらないので違法などではないが、カウンセリングという医療っぽい行為を隠れ蓑に新興宗教が発展してて非常に興味深い
旧劇エヴァ(EoE)に感動しQからの流れがめっちゃ好きなので、皮肉ではなく本気で称賛として書いてる。
何百億というお金が動くプロジェクトで、誰の顔色を伺うことなく、シン・エヴァをやり切った60歳という事実が最高にクールである。
「さすが庵野!」
「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」 としか言う他ない。
庵野監督のようなビックプロジェクトに関わる事はないにせよ、一応若者の区分の自分も頑張りたい尖りたいと純粋に思った。
ただ感動した事実は事実として、シン・エヴァのストーリーについては星0(ゼロ)だったのでその点を書き連ねていく。
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1)
庵野監督のアバター "シンジくん" は 声優:緒方恵美 (14歳) から 俳優:神木隆之介(スーツ) に変身、
安野モヨコ氏 (庵野監督の妻) のアバター "マリ" と お手て繋いで駆け出し、
2)
真希波・マリ・イラストリアス = 安野モヨコ氏 (庵野監督の妻) でしかなかった。
エヴァンゲリオンイマジナリー、ゴルゴダオブジェクト など急に設定を生やしたり、
無かったことにされていた 渚カヲル司令 をサルベージしたり (なお、予告にいたキカイダーエヴァみたいなヤツのことは忘れろ)
カヲルと加持と冬月とゲンドウ で 『ジェバンニが一晩でやってくれました』をしたり、
ソードマスターヤマト 並みの怒涛の畳み掛けを 新劇 を終わらせるためにかましたのに、
マリ が何者なのかについて "だけ" 、最後まで触れなかった。
その影響で、マリが(当然シンジも) なぜ エヴァに乗れる・操れるのか、劇中で言及されること無く終わったし、
外そうとしたらカヲルくんみたいに頭ボーンして死ぬ "DSSチョーカー" をラストシーンでひょいと外せる謎能力についても触れなかった。
おそらくは、
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の投影キャラ。だからシンジ(庵野監督)の心の枷を外せた。
そしてメアリー・スーでもあるマリついてのすべてを劇中で言及不要とした。』
3)
マリのことは触れなくてもストーリーの他の部分も漏れなく酷い。
絶対庵野監督自身のことを重ねてるな、つかこれ旧劇で見たけど?と思ったけどそれだけなら初見向けとして許容出来た。
しかし、突如悟りを開いた シンジ様 が登場人物達のグループカウンセリングを始めるのである。
シンジ「どんなに探してもユイはいねえよ現実を受け入れて責任を果たしていけ」
シンジ「お前は俺のことを幸せにしたいんじゃなくてそうやって自分が幸せになりたいだけだろ」
シンジ「昔はお前のこと好きだったけどいい加減自分の人生を生きたら?」
オーケー、悟りを開き覚醒したシンジ様がグループセラピーを始めるのはヨシとしよう。大切なのはシンジが悟りを開き覚醒した過程だ。
・・・でもな?
シンジが覚醒した理由について劇中で言及されないのである!!!!
本当に、本当にありがとうございました。
他は、なんちゃってジブリでナディアの島編のような冗長さがある村での描写とか、
エヴァ無し・ほぼ丸腰でハイカイ(首無しエヴァもどき)がいる世界でシンジ・レイ・アスカ無事(危機に陥る描写無し)だったとか、
まだまだ見どころ()はあるが記述がいる?
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絵作りが素晴らしければただそれだけで名作になることもある。
シン・エヴァのストーリーは酷かったけど映像はかっこよかった。
平均して評価は星3です。
旧劇エヴァ(EoE)に感動しQからの流れがめっちゃ好きなので、皮肉ではなく本気で称賛として書いてる。
前回の増田(anond:20210308160516)にも書いたが、
何百億というお金が動くプロジェクトで、誰の顔色を伺うことなく、シン・エヴァをやり切った60歳という事実が最高にクールである。
・あなたは、60歳になった時に自分の一存でプロジェクトのすべてを仕切れるような影響力を持っていそうか?
・ あなたは、60歳になった時に己の感性のみを信じて突き進む事はできそうか?
しかも何百億というお金が動くプロジェクトの矢面に立つ総監督(脚本兼任)という立場で
「さすが庵野!」
「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」 としか言う他ない。
庵野監督のようなビックプロジェクトに関わる事はないにせよ、一応若者の区分の自分も頑張りたい尖りたいと純粋に思った。
ただ感動した事実は事実として、ストーリーについて忖度なしに言えばタイトルの通りゴミだったので以下に感想(お気持ち長文)を書き連ねていく。
(注意:シン・エヴァの造形や絵作りや音楽については専門のお兄様たちの批評・感想をあたってください。この増田では映画を構成する様々な要素のひとつ "ストーリー" についてしか触れません。)
ファンのためにファン向けた作品を作ることのいったい何が悪いか?と思うかもしれない。
なので先にシン・エヴァの結末を書く。
庵野監督のアバター "シンジくん" は 声優:緒方恵美 (14歳) から 俳優:神木隆之介(スーツ) に変身、
安野モヨコ氏 (庵野監督の妻) のアバター "マリ" と お手て繋いで駆け出し、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 して終劇。
ーーー・・・普通にバッカじゃねぇの?😒である。 シン・エヴァじゃなくて庵野監督のエッセイでやれ。
大マジである。
エヴァンゲリオンイマジナリー、ゴルゴダオブジェクト など急に設定を生やしたり、
無かったことにされていた 渚カヲル司令 をサルベージしたり (なお、予告にいたキカイダーエヴァみたいなヤツのことは忘れろ)
カヲルと加持と冬月とゲンドウ で "ジェバンニが一晩でやってくれました" をしたり、
ソードマスターヤマト 並みの怒涛の畳み掛けを 新劇 を終わらせるためにかましたのに、
マリ が何者なのかについて "だけ" 、最後まで触れなかった。
その影響で、マリが(当然シンジも) なぜ エヴァに乗れる・操れるのか、劇中で言及されること無く終わった。
もちろん、劇中の情報からなぜマリがエヴァに乗れる・操縦出来るかについて、推測・想像・妄想は出来る。
劇中でネブカドネザルの鍵を自らに付与したゲンドウがエヴァを操縦していたように、おそらく後天的に仕組まれたのだろう。
けれど、カットはもちろんセリフで匂わせすらなく、まったく劇中で語られていない以上、推測・想像・妄想でしかないので、
忖度なしに言えば "どうかしている" としか言いようがない。
なんでも説明してしまうのはつまらない? 想像・妄想の余地がある方が面白い? よろしい、では、
シン・エヴァ:|| (本作) になるまでシンジが名前すら知らなかった "マリ"、しかも、シンジにとっては、"パラシュートの人" でしかない "マリ"と、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 したのは 何故なのか?
意外で驚いたぁ〜?(笑) だけがしたいのであれば、前前前生するのは、北上ミドリ や トウジの妹(鈴原サクラ) でも よかったはずだ。
なんなら、シンジはマリよりも彼女たちのことについての方が名前も人となりも知っているまである。
"シンジは急速にマリが好きになったのだ!人を好きになるのに、恋に落ちるのに、理由も時間も要らない!" で押し通すにしても、
"マリは最初からシンジに対して一定以上の執着を持っていた" についてはどう説明するのか?
それも "どこにいても必ず迎えに行くから。待ってなよワンコくん" と口にしたり、"命をかけて裏宇宙に行く" ほどの執着だ。
ヒロイン(マリ)が抱いている、まどマギのほむらレベルのマリ執着を 言及しないで オッケー👌とかあり得る??? あり得るとしたら何故?
そもそも"執着以前にマリが何者であるかも明らかではない"が、そんなことって通常のストーリーで許容されるもの???
しかも、外そうとしたらカヲルくんみたいに頭ボーンして死ぬ "DSSチョーカー" をラストシーンでひょいと外せる謎能力を持った超超超超超超超超重要人物だぞ???
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の投影キャラ。だからシンジ(庵野監督)の心の枷を外せた。
そしてメアリー・スーでもあるマリついてのすべてを劇中で言及不要とした。"
い、いや、エヴァ漫画版ではマリについての描写があったから(震え) にしたって、
漫画版の設定を引き継いでいるなら 同性愛者設定 はどこへいった?だし、
実年齢だって、『破』の時点で33歳、『Q』の時点で47歳くらいだということになる。
まどマギのほむらレベルの執着をみせているのに、この実年齢でマリがシンジを親族の家に預けたままにしていたのは何故?
忙しい云々ならマリより年若いミサトがシンジを預かっているので別に不可能ということもないだろう。
そして "DSSチョーカー" を外せる理由やそもそも何者なのかについて触れない理由は???
なんにせよ、とても褒められた出来のシナリオでは無い。
せやね、誰よりも劇中でセリフが長そうなゲンドウの自分語りとか。
「Beautiful World」はゲンドウの歌だったんだな、ユイに出会って世界が変わった云々は絶対庵野監督自身のことを重ねてるな、つかこれ旧劇で見たけど?と思ったけど。
旧劇でそれ見たよ?の展開だけなら褒められないが初見向けとして許容出来た。
しかし、突如悟りを開いた シンジ様 が登場人物達のカウンセリングを始めるのである。
709 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2021/03/08(月) 21:33:24.38ID:???
シンジ「どんなに探してもユイはいねえよ現実を受け入れて責任を果たしていけ」
シンジ「お前は俺のことを幸せにしたいんじゃなくてそうやって自分が幸せになりたいだけだろ」
シンジ「昔はお前のこと好きだったけどいい加減自分の人生を生きたら?」
オーケー、悟りを開き覚醒したシンジ様がグループセラピーを始めるのはヨシとしよう。
・・・でもな?
シンジが覚醒した理由について劇中で言及されないのである!!!!
本当に、本当にありがとうございました。
精一杯、善意的な解釈をすれば シンジは "生命の書" にカヲル同様に名前を連ねているからループを繰り返している。
村とポカ波の一連の出来事でシンジは違う世界線の経験の活かせる状態に覚醒した・・・みたいな???
(これも劇中で言及されない以上、推測・想像・妄想でしかない)
他は、なんちゃってジブリでナディアの島編のような冗長さがある村での描写とか、
エヴァ無し・ほぼ丸腰でハイカイ(首無しエヴァもどき)がいる世界でシンジ・レイ・アスカ無事(危機に陥る描写無し)だったとか、
Exactly(そのとおりでございます)
映画・アニメは総合芸術だ。ストーリーは総合芸術を構成する要素のひとつにしか過ぎない。
絵作りが素晴らしければただそれだけで名作になることもある。
造形・絵作り・音楽について長文を書き連ねたい情熱も専門性も持ち合わせていないので省略するが、
パリ以外でも大好きな絵作りのシーンがいくつかある。
(ヴンダーの戦艦アクションや映画館向きじゃないぐるんぐるするアングル好き)
この増田はあくまで"ストーリー"だけを切り取ったとき、出来は酷かったという個人的な感想(お気持ち)で、
シン・エヴァが駄作だと評しているわけではないので誤解なきよう。
狂気を魅せたという意味ではなくて圧倒的に低レベルなシナリオ完成度的な意味で
摩砂雪とか貞本がいなくなったばかりではなく、
『男の戦い』や『最後のシ者』など旧作で重要な話は 薩川昭夫 脚本、SF要素は磯だがそれらもいなくなった
▼供養の設定資料
もう20年以上前の某アニメで作った脚本回の設定。地下施設の詳細が決まってなかったのでセントラルドグマとか名称や細部を私が設定していった。他にも中盤は私が作ったセリフや展開が結構使用されているが結局全部ノーギャラ。
https://twitter.com/isomitsuo/status/823830687400636416?s=21
Aパート→絵コンテなし、さらに作られては壊されめちゃくちゃに
Cパート→時間とスタッフ足りなかったからブラッシュアップしきれなかった
Dパート→とりあえず締め切りに間に合うように作った
理解ある彼くんなワイはオタクへの反撃(Qの恨み)とモヨコとの私小説が書ければあとはどうでもいいだったんだなってすぐさま読み取ったけど
自分自身を映画に重ねるキョロ充の非オタな豚どもは感動したり勝手に意味を読み取ってたな
正解はパンフレットに書かれてたスタッフから『意味不明』『謎』『もっと客観性を持って作品作りを』ってメッセージ
NHKのドキュメンタリーでも、スタッフに意味不明って言われたし、絶対に破れない締切のせいでああなった様子が映し出されてた
あとドキュメンタリーで映像面ではグルグルアングルに並々ならぬこだわりがあるってやってたね
なにしてるかわからないって評判が多かったけど、ワイは初めからグルグルアングルは面白いって評してたぞ
(現実に帰れっていうテーマは)あったと思うよ、庵野くんEOEの頃からずっと的外れだけど
押井のビューティフルドリーマーで見たけど?だったけど
EOEの狂気が凄まじいのと作品としての完成度が高いから許された
(もちろん激怒したやつもいる)
そもそも虚構の世界に逃げているとされる人たちのオタ活の中心はとっくにエヴァなんかじゃないぞ
炎上商法狙ってるにしたってクソ寒すぎ
シンを観て隙あらば氷河期世代をしているのは商業ライター・個人ともに闇が深すぎるのでノーコメント
メンヘラ女(アスカ)の相手は理解ある彼氏くんなぬいぐるみペニス以外には出来ないは正しいが
"常識的な嘘"を書けば、アスカとケンスケを受け入れる人は多かったと思うんだよな
メンヘラはこうだについても嘘がつきたくなかったし
アスカ厨ムカつくについても嘘がつきたくなかったし
エヴァもうやりたくないんだよなぁと俺が思うエヴァからの解放にも嘘がつきたくなかった
何よりも嘘つかないでも商売としてやっているけるレベルで信者を集めていることに確信的だからな
276 公共放送名無しさん 2021/03/22(月) 20:37:24.34 ID:cd47Rl9
ぼく「じゃあもういいや」
ぼく「しょーがねーなぁ」
ぼく「お前なんなん?」
今
庵野くんに少しは反省して欲しかったので大ヒットしないで欲しかったな
庵野くんは何しても許されることに自覚的だからエヴァやりたくねーアピールしてエヴァ串刺しにして
>なんらかの作品を見て、起こってることしか感じられないのは可哀想だと思う。
ワイ的にはこっちのが理解し難い
キョロ充「成長 (ちらっ)」
キョロ充「救い(ちらっ)」
ワイ「キミらのいう "希望" 、"成長"、"救い"、"大人" 、"人生"、"人間" 、"対話" とは? シン・エヴァのどの辺りから感じたの?」
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ(キョロ充逃げる)
あんだけ尺取るなら真面目にやろうよって思った
庵野くんはメカアクションや組織で大事を成すカタルシスをケレン味たっぷりにやる作家で
エヴァが庵野くん物語ということも承知しているし庵野くんがエヴァやりたくないことも承知している
けれどそれでもなぁなぁにできないレベルのクソゴミシナリオだったと思うよ
EOEの時に庵野くんを支えた人がいなくなったからでは?と言われても致し方ないレベル
久しぶりに、伊藤計劃「ハーモニー」読んだんだけど、少し気がついたことがあるので、
間違っているかもしれないけど、書いてみる。
「ハーモニー」のETMLが文法的におかしいのは、生府の検閲から逃れるため。
「ソースを見る」の状態で未来の人類が読んでいる状況を「ハーモニー」は表している。
それで、実は「ハーモニー」はミァハがトァンをかばうために書いた物語だった。
色んな所で言われてるけど、この小説のファイル形式であるETMLは、文法的におかしい。
例えば、箇条書きでタグで両方から囲まなきゃいけない(HTMLなら<li>~</li>)のに、<i:~>と、タグの中に箇条書きの要素を書いたり、
皮肉っぽくQ&Aをしているところでも、<q:~><a:~>と書いていたりする。
それはもう、至る所で間違えている。
伊藤計劃がXMLとかHTMLの文法に詳しくないってことはないと思う。たぶん、わざと間違えた。
じゃあなぜ間違えたのか?
もし、こういう文法間違いがあると、どうなるか。
もしHTMLなら、表示ソフト(ブラウザ、たとえばGoogle Chrome)であいまいに解釈してくれたりするけど、
本来なら「文法がおかしいので表示できません」とか、真っ白いページになるべき。
だから、ETMLの文法がおかしい「ハーモニー」も、ETML用表示ソフトでは何も表示されないことになる。
そうなったら、普通の人は見るのを止めるよね。でも、何人かに一人は、Google Chromeの機能にあるような「ソースを見る」に似た行動をとる。
そうなると、タグがあって読みにくいけど、きちんと文章が表示されることになる。
その何人かに一人に読んでもらいたいために、文法として間違えたETMLで「ハーモニー」を書いた。
そういう、何人かに一人が読んでいる状況を表すために、伊藤計劃はETMLのタグ付きで「ハーモニー」を書いたんだと思う。
そりゃあ、もちろん、ハーモニクス後の世界で、なぜハーモニクスが起こったのかを記録として残すため、だと思う。
もし、ETMLが正しい「ハーモニー」を書いたら、生府の検閲に引っかかって、消されるかもしれない。
だから、ETML表示ソフトウェアに入力しても、何も表示されないようにした。
何人かに一人に気づいてもらえばそれでいいと思って、書いたんだろう。
でね、「ハーモニー」で文法的におかしい部分を読んでいたら、冒頭部分にこんな文章があるのに気づいた。
いまから語るのは、
<declaration:calculation>
<pls:敗残者の物語>
<pls:脱走者の物語>
</declaration>
ETMLのタグの意味はわからないから推測だけど、「declaration:calculation」で数式を宣言してると思う。
で、「pls」は加算記号+で、「eql」は等号記号=だと思う。
となると、「ハーモニー」を語っているのは、「わたし=敗残者+脱走者」ってことになる。
真っ先に出てくるのはトァンだよな。本人がそう気取ってるし。
社会に馴染めなくて、負けるように、逃げるように辺境の戦地に行って、
でもさ、社会的にはトァンは官僚で、しかも本人が言っているように、高級官僚でありエリートだよな。
社会的には敗残者でも脱走者でもない。
じゃあ他に誰がいる?
一人いる。<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の争いから敗れ、
チェチェンに逃亡した者が。
そう、ミァハ。
この物語は、ミァハが書いている。
死んだはずのミァハが書いている。
すごく謎に思える。
でも、こう考えたらどうだろう?
ミァハは、トァンをかばいたくて、トァンを主人公に物語を書いた。
実は、チェチェンで意識が芽生えたのがトァンで、ヌァザの実の娘がミァハだとしたら。
トァンが、長老たちにハーモニクスをさせたいがために、全世界同時自殺を実行したとしたら。
最大限つじつまが合うように「ハーモニー」を書いたとしたら。
そう思って読むと、つじつまが合わないところがある。
「ハーモニー」は、全部で5日間の物語だよね。トァンがセラピーを受けるまでの猶予期間である5日間の物語。
そのうち、日本で2日、バクダッドで飛行機移動込みで2日、チェチェンで飛行機もろもろ移動込みで1日。これで5日間。
なのにさ、バクダッドからチェチェンに出発する前に日本に立ち寄ってミァハの名刺を取りに戻った、と書かれてる。
バクダッドと日本を往復するだけでもう1日かかるよね。これでは5日間を越えてセラピーを受けることになっちゃう。
時間的に間に合わない。
となると、トァンは5日間の内に実家に行ったことになる。トァンが誰かの家に行ったのは、ミァハの実家だけだよね。
日本やバクダッドのホテルに名刺があるわけないし、飛行機の中にもあるわけないよね。
つまり、ミァハの実家によった時に、トァンは名刺を手に入れたんだよ。
ミァハの実家なのに、トァンは名刺を手に入れることができた。何故か?
「ミァハの実家が、トァンの実家でもあった」とすると、説明がつく。
ミァハとトァンが義理の姉妹だと考えると、整合性が取れることが多い。
例えば、ミァハが13年前になぜ栄養を取らないようにする錠剤を作れたか、について。
錠剤を作るための技術に近かったのは、むしろトァンじゃん。何しろ父ヌァザがWatchMeを作ったんだし。
その気になれば知識はいくらでも入ったはず。でも錠剤を作ったのは、普通の家庭で養女になっていたミァハ。
ミァハがヌァザの養女になっていたら、納得できる。いくらでも知識を得られるし、錠剤も作れる。
もう一つ、なぜ本というデッドメディアを普通の家庭のミァハが持っていたかについて。
普通の家庭では存在も知らないはず。でも、ヌァザの養女であれば、冴紀ケイタでもわかるように、
本を持っていても不思議ではないし、それだけのお小遣いを持っていても不思議ではない。
そもそも名刺の知識もヌァザから得られる。ヌァザがそういう人々とも交流があっただろうし。
そして、ミァハとトァンが義理の姉妹なら、最初の段階で「もしかしたら必要になるかも」と考えて、
あと一つだけ、なぜトァンではなく、キアンを自殺させたのかについても説明がつく。
どちらを殺すか選択するとき、義理とはいえ姉妹であったトァンではなく、キアンを選択した。
もちろん、後から呼び出すことや、行動力の差で選んだという可能性はあるけど、
一番の理由になるでしょ。
最後に、なんで姉妹であることを隠して、別人であるかのように書かれたのかについて。
これだけの殺人事件の内、もしミァハとトァンが義理の姉妹で、かつトァンをかばうために
ミァハが書いているのだとしたら、まずは全世界同時自殺を自分のせいにする。
問題は、残り2件。義理の姉妹のままだと、ミァハが自分の父親を殺害するのは
書いていて受け入れられたとしても、トァンが義理とはいえ姉妹を殺害することになる。
トァンにとって、あまり聞こえは良くない。
そうすると、トァンは、自分の目的を達成するために全世界同時自殺を実行し、
それに紛れて、こともあろうにかつての友人を自殺させ、
DummyMeを入れているから。WatchMeからハーモニクスの命令を実行したように見せかけることができる。
その上で、ETMLのシステムができたときに、「ハーモニー」を書いたんじゃないかな。
自分の思いを達成するためとはいえ、偽の歴史を後世に残すことになるので、