やっとバビロン見終わった。
終わり数話で「またあくびが出る展開に…」と思ったが、ラストに向けての演出だった。
あくびが出るまま軟着陸したらどうしようかと思ったわ。
しかし緩急があり過ぎるので見ている者がついていけない。というかつまらなくて途中で離脱しそうになる。
この話の中の合衆国大統領ほど悩むまでもなく(普通に生きていれば考えるまでもなく)社会的に「善」と言えば「持続可能であること」に他ならない
(個人のそれは議論しても仕方ない。100人居れば100人分の善悪がある)
それをここまでグダグダと…。
「自殺法」なんてゲスな名称を使っている時点で、見ている者に嫌悪感をわざと与えている辺りも。
そして「これを見て嫌悪感を感じるなら、そういうことだ(お前は「自殺は忌むべきもの」と考えているんだ)」と思わせるのも。
見ている者に対し考えさせる風を装って、その実全く考えさせる余地を与えない。
それと気付かない内に導かれるなら作り手の手腕は素晴らしいと言えるんだけど。
予定調和を逆手に取ってる積りなのかもしれないけど、こちらとしてはただ胸糞を煽り続けられただけって感じだ。
フィクションの中での「死」や「自死」については、否定ばかりが先行するなんてこと無い。
見ている者はそこに哀しさや虚しさ、又はその反対といった感情を惹起されるので、「死」や「自死」が軽んじられたりはしない。
しかしこの作品の中ではそれらが「駄目、絶対」「忌避されるもの」として全面に押し出されて、
「よく考えろ。本当に自殺は悪なのか」と物語の中で語っていながら、見ている者には全く考えさせない。
主人公が最後に取った行動についての衝撃も「あーあ」という気持ちに塗り潰される。
結局心のどこかで「フィクションの中では悪は滅びる」という予定調和を期待している部分があるので
それを裏切られて胸糞ってのもあるだろう。
ずっと胸糞。それが狙いなのか。
余韻のあるモヤモヤじゃなくて、最初から最後までモヤモヤしっぱなしで終わってしまう。
完全悪はあるんだよ。そして人間はそれに負けるんだよ。そう言いたいのかもしれないが。
女も齋もバックボーンが殆ど語られないせいか。それぞれエピソードがあっても、全くピンとこない。
女の叔父の精神科医が言う「悪い子」というのが端的に表してるんだろうけど。
悪い子というよりも「悪魔」と言うべきなんだろう。
話の救いとしては、ラスト、バス停でのシーンで主人公の息子と女が会うところ。
これから女がこの子を殺すのか、それとも女の様な怪物に仕立て上げるのか…
物語として「今後」を想起させる部分が、せめてもの面白さを与えたことだ。
原作はどんななのかな?と思うが、到底読む気にはならん。
バビロンってホモビデオじゃなかったっけ