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2017-01-19

放送大学

放送大学計算論('16)、コンピューティング('15)が興味深く、受けてみたいと思うのだが。

放送ラジオからradikoで聞けるし、テキストamazonで売ってる。

しかし、修士課程の内容ということで腰が引ける。

うーむ。

2016-12-08

退職エントリ博士進学を考えるあなたに送る、進路に関するあれこれ

博士をとってから大学博士研究員として1年ほど働いたが、先日、民間企業から内定をいただいて大学を去ることになった。転職活動をする中で思ったことを書き残しておきたい。自分と同じ程度に何も考えず、ちゃらんぽらん博士課程に進もうとしている人の参考になればよいと思う。

1.スペック

男29 バイオ系 医学研究科所属(non-MD) 特筆すべき業績は無い

いわゆるピペド的な分野だけど、医学系に所属していたことが就職プラスとなった模様。

2.ポスドクを辞める理由

一般的基準で言ってブラック職場だったから。

1日6時間勤務で時給1670円。つまり日給1万円。額面20万程度なので、手取りは16~17万ほど。残業手当休日出勤手当についての規定はいろいろ事細かに書いてあるが、残業休日出勤存在しないことになっている。生物相手仕事なので6時間の中で全ての仕事を収めることが不可能である場合によっては夜中に始めなければいけない実験もある。また、生物には曜日関係ない。大学院生の頃、研究室に行かない日は年10日ほどだった。卒業前、ポスドクになってもそのペースで仕事ができると思っていたのだが、お金をもらう身分になるとそれができなくなった。給料が発生しないのに研究室に行くことが馬鹿らしくなってしまった。こういうことを言うと、休みがほしいと言ってるようでは研究者に向かない、と言われたりするのだが、そういう問題ではないだろう。だって、こちらは契約書を交わして雇用されている身分なのである。そういう意味では民間企業で働く人と同じだ。上の言い分がまかり通るなら、サービス残業ができないような会社員だって、その会社仕事に向いてないと言ってよいことになるのではないか。少なくともこれまではてブ等で言われてきた基準から考えれば、即退職すべき職場と言えるはずだ。

これはうちの大学だけの問題ではなく、どこの大学でも聞いてみると似たような人が居る。教授たちはポスドク生活について特になんとも思っていないし、月20万も出してやれば逃げていかないと思っているらしい。「サイエンスサティスファイ」していれば飲まず食わずでやっていけると思っているのだろう。

それでも、百歩譲って、自分の好きな研究をしているなら、お金をもらわずに働いてもまだ納得がいく。しかし、雑務に追われて研究ができない大学教員同様、ポスドクも上でオーバーフローした雑用をこなしているだけで時間が過ぎていく。毎週末出張に行かされたり、インターン学部学生の面倒を見たり、他大学学生スタッフ技術指導をしたり、シンポジウム運営を手伝ったり、種々の書類を書かされたり、というのが日々の業務である。それでいて、世間からは、研究者なんて劇団員とか芸人とかそういう類なのだから待遇が悪くても仕方が無いだろう、お金がもらえるだけいいでは無いか、というようなことを言われるので腹が立つ。

3.ポスドクから転職活動

活動期間はトータル4ヶ月。ただそのうち一ヶ月半ほど忙しすぎて何も動けない期間があった。覚えている限り、13社応募した。うち、3社は転職エージェント音信不通になった。2社は転職エージェントから応募を断られた。残りのうち、4社は書類で落ちて、4社で面接に呼ばれた。最終的に2社から内定をもらった。

専門知識が活かせそうな職であれば、研究職、非研究職に関わらず応募した。そのため、最初は何がやりたいのかもはっきり固まっておらず、書類審査に通りにくかった。後半は、希望業界職種が絞れてきたことと、求人から書類審査に通りそうなものがある程度わかるようになってきたので、思ってたよりもあっさり終わった。

巷では博士まで行くと就職が無い、特にバイオ系は終わっているというような話が多かったので、活動を始める前は心配していたが、別にそんなことはなかった。ただ、研究職に絞っていたらそう早く決まらなかったかもしれない。自分実験技術ニッチ職人芸で、企業研究で活かせるかというと微妙だったし、業績も研究職を目指すには寂しいので書類選考がかなり厳しかった。それに、やっぱり分子生物学を直接活かせる分野はまだそんなに無いというのも思った。

博士課程で身につけるべき専門性スキルは、研究以外にも活かせる道があると思うので、研究以外のことにも興味を持てる人だったら、博士まで出たからといって特に就職で不利になることはないと思う(能力的に博士として平凡な人でも)。

4.博士進学すべきか

私は博士進学したことを全く後悔していない。ポスドク期間は精神的につらかったが、大学院生の間は、研究を通じてエキサイティング経験ができたと思う。

博士を取るのは、学士修士に比べたらかなり大変ではあるが、その分、達成感がある。私は基礎研究分野なので、その視点に絞って言うが、博士というのは世界で初めて誰も到達してない場所まで登り、そこから新たな景色を見せることができた人に与えられる称号だと思っている。博士課程で行う研究なんて、そうたいしたものではないけれども、でもどんな小さなことであれ、世界で一番になる経験というのはなかなかできるもんじゃない。だから、もし学部修士課程研究面白いと感じているなら、その先の山まで登ってみることは悪い経験にはならないと思う。

もちろん、リスクデメリットはいろいろあるし、向いている向いていないもあるけど、条件が合えばリスクは限りなく小さくできる。博士課程に進学しようと思ったらお金必要であるが、親から全く援助が受けられなくても、プラス収支で博士課程を卒業することは不可能ではない。最近貧困の原因になっているとも言われている学生支援機構奨学金だが、大学院で借りた奨学金3分の1の確率で半額または全額が免除されることはあまり知られていないのではないか免除されなかったら大きな借金を背負うことになるのでハイリスクな賭けではあるが、単純なギャンブルではないので勝率を上げることはできる。免除される枠は大学ごとに割り当てられているので、学内相対評価で勝てれば良い。背伸びして良い大学院に入ると大変かもしれないが、小さな大学アクティティの高いラボに入れれば免除される可能性はかなり高くなる。私もこのパターンで、日本全体では平凡な大学院生だったと思うが、所属大学では上位に入れた。それから最近お金を出してでも学生を囲いたい大学院もあるから、この辺をうまく使えればお金がなくても進学は可能である卒業後の就職のことに関しては上に書いたとおりである。実感として、そんなに不利だとは思わなかった。研究を続けるか別の道を歩むかの決断はあるかもしれないが、仕事を見つけること自体は難しいことではない。

優秀な人が将来の懸念から博士過程を避けるようになっているという話をよく聞く。それがどの程度本当なのか私はよく知らないが、本当だとすれば残念なことである。真に優秀な人はおそらく研究者として残っていけるだろうし、別の道を探すことだって難しくはないだろう。重要なのは進学前の情報収集だ。良い指導者(色々な意味で)に出会うことは極めて重要である

5.学術界に言いたいこと

それはそうと、博士課程を卒業した後、ポスドク待遇は酷い。なんなら、学生のころよりも生活が苦しくなったりする。私の待遇でも、社会保険厚生年金に入れるだけ全体としてはマシだと言われるようなレベルである

博士まで取った人なら、仕事くらい自分で見つけてこられるだろう。だから別に今いるポスドクをみんな救済しろと言いたいわけではない。ただ、せめてルールくらい守れと言いたいだけだ。大学予算枠の規定で仕方がないのか知らないが、秘書実験補助員と同じ枠でポスドク雇用し、ポスドクにだけ特別暗黙のルール適用することはいい加減やめた方がいい(秘書実験補助員は定時で帰るし、定時で帰れるように配慮される)。本来研究者時間給で雇うのが間違いなのだが、全員を正規雇用できないというのもわかる。だから正規雇用されなくてもいいから、パートタイムで雇うならその規定をきっちりと適用してほしい。そんな中途半端研究者は要らないと思うなら雇わなければいい。自分だってボスからポスドクとして残ってほしいと言われたから残ったのである必要だと思うなら、必要性に応じてお金を出せばいいし、出せないなら逃げられても文句は言わないでほしい。

6.まとめ

大学院は超エキサイティングだったが、ポスドク待遇が酷いため研究をやめることにした。

博士進学および研究人生を賭けた博打であり、勝つためには運が多大に必要であるしかし、単に運だけで決まるわけではない。そこそこ得たいものを得て降りることは可能である研究過程を楽しく思えてかつ優秀な人には博士進学を勧める。

2016-11-11

プロパーになりたい……。

自分(パートナー企業勤務)より低スキル仕事をしているプロパー社員の方が、年収 倍くらいあって辛い…。

スペック

30代前半、都内にてIT系企業勤務。男。独身

地方国立大の人文系修士課程修了。

研究職や学芸員公務員を目指すも、どこも倍率数百倍で落ち続けて、そうこうする内に新卒権利喪失

ニートハロワ通い。

趣味自宅サーバ運営等していてITスキルあったので、仕方なくシステム系への就職を決意。

しかしこちらも100社以上お祈りされる始末。

結局、なんとか中小独立系SIerに拾われる。

職場

常駐型派遣

「 自社(パートナー) → プロパーユーザー企業 」という構造

自社 : ろくな技術は無いので、単価の安さが売りの常駐型派遣が主力。

      基本は高卒や専門卒で、管理職のみ大卒

      自分の様な中途採用は、経歴様々。

プロパー大手SIerの子会社

        以前は高卒ばかりだったが、近年は専門卒や高専を採る方向。

        ユーザー企業システム業務を一括で請け負って、プロパーパートナー社員で人を集める。

現場(ユーザー企業) : 東証一部上場企業

業務

当初は十把一絡げの人材として、マニュアルに従った定例作業機械的に行う運用業務従事 (曰く「運用オペレータ」)。

勤務開始から数年経った今では、現場でそこそこ働きを認められて運用管理の側へ昇格。

ユーザー企業運用部署担当者様と同等の業務を行う。

結果として、配下プロパー企業社員複数人いる「逆転」の状態

■悩み

現場では順当に立場こそ上がっているものの、自社の給与面では就職してから昇給はほぼ無し。

一方でプロパー社員高卒でも三十路前で年収500万はいく水準。

今の自身収入でも、一人で「生きていく」だけなら何とかなるが、結婚含め新たな「家族」の構築は望めそうにないです。

病気等で休職しようものなら、その時点でアウト。

転職活動しようにも、就職浪人時代体験結構トラウマ

未来が見えない……。

2016-11-08

40歳大学准教授

40歳になったのを記念に、「不惑からはほど遠いが、自分語りする。

幼稚園前後から自分記憶ははじまっている。

自分のことがよく分かっていなかった。

自分のことをバカだと思っていた。

あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。

毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。

自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。

恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。

しょっちゅう小便をもらしていた。

身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。

自分のことをロボットだと思い込んでいた。

幼稚園から小学校の低学年まで、泣いて帰らない日はなかった。

特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。

いつも親は、泣いている自分明日はいいことがあると言い聞かせていた。

あくる日になったらなったで明日はいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。

やはり自分バカなのだと思った。

自分のことを指さして笑う同級生教師を見て、確信は深まるばかりだった。

人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。

小学校3年生の時、親友が一人できた。

転校生だった。

家族以外の誰かと、はじめて意志疎通できたような気がした。

性格が明るくなった。

中学生になり、強制的に体育系の部活に入部させられた。

同じ目標を共有できるスポーツが、さら性格を明るくした。

高校生になるともう一人の親友ができた。

また性格が明るくなった。

やはり転校生だった。

もし親友に恵まれなかったら、自分人生はまったく違っていたと断言できる。

いっちょまえに、幼稚園小学生と恋はしていた。

やさしい女の子が好きだった。

自分を受け入れてくれるかもしれない可能性を思うことが、すなわち恋だった。

高校3年生になった時に女の子がどうでもよくなった。

そのかわり勉強に恋した。

度を過ぎて打ちこめば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえると思った。

だとすれば勉強することが、あるがままの自分でいることにつながる道だと思いこんでいた。

寝ている時と食事している時、風呂に入っている時以外のすべての時間勉強に費やした。

母はついに気が狂ったと思ったらしかった。

成績が偏差値40台から70台まであがった。

それなりの大学合格して、田舎から上京した。

大学生になって間もなく、猛烈に女の人を好きになった。

間もなく、男二人女一人のよくある三角関係にはまりこんだ。

自分が好きになったそのひとは、友人のひとりと出会ってすぐに付きあっていた。

今でも理由が分からないのだが、なぜか二人から付きあっていることを隠されていた。

そうとは知らずに告白しつづけ、ふられつづけた。

大学3年生の時、友人にふられたそのひとが自殺未遂を起こした。

血で染まった畳を清掃したあと、睡眠薬で眠りこんでいる女性の様子を見に隣室に入った。

枕元に置かれた手帳が目に入り、いけないと思いつつも手帳を開いた。

手帳に友人の写真が収められていた。

ようやく、最初からめがなかったことを悟った。

その年の夏休み、どうしようもなくなって東京九州間を自転車縦走した。

当時大阪にいた親友のひとりに電話し、大阪で合流して3週間かけて九州実家に帰った。1500キロの道のりだった。

もうひとりの親友は、大工として上京していたが、たてつづけに失踪した母親と兄を追いかけるように行方知れずになっていた。

余談だが、この親友とはそれから10年してようやく再会した。

そうこうするうち、大学留年していた。

勉強することの意味が分からなくなっていた。

なんとか大学卒業してそこそこの会社入社企画仕事にたずさわった。

特許をいくつか取るほどにはがんばった。

が、結局丸3年勤めたところで退職した。

仕事意味が分からなくなっていた。

働くことの意味も分からないのに5年、10年先が見通せる会社生活がうとましくなった。

会社退職後、大学院に入りなおして修士課程博士過程と6年間を大学院生として過ごした。

結局また勉強に頼った。

大学院で恩師に出会い、人生が変わった。

家財を売り払ったお金学費にあてていたが、実家が困窮してこちから仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。

それで大学時代からフリー仕事をした。

この間に、嫁さんになる人があらわれた。

自分人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。

博士号を取得する前後からいくつかの大学非常勤講師を勤めた。

博士号取得後、1年をへだてて結婚した。

結婚した翌年に母が死んだ。

明日はいいことがあるといいつづけてくれた母だった。

通夜の日に、大学採用面接があった。

誰になんと言われようが面接を受けようと思った。

面接から帰った夜、こっそり棺桶の隣で寝た。

母の前では子供になれるのだと自覚した。

翌年、専任講師として採用され、ようやく生活が安定した。

大学院に入学してから10年が経過していた。

それから3年で、准教授になった。

自分大学教員にふさわしいかどうか考えると、向いていないと思えることのほうが多い。

からこそすくなくとも教室の中だけでも、学生に対してだけでも、真人間として振るまいたいと思う。

自分にはそれくらいしかできないし、きっとそれで充分だ。

2016-09-14

ニートだけどシン・ゴジラ登場人物学歴とか考えた

矢口蘭堂早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(現役)。在学中に一年オックスフォード大学交換留学卒業後は発足したての国際協力銀行に入行。日本企業が関与する途上国インフラ整備プロジェクト等に携わる。退職政治家に。

赤坂秀樹:父は財閥商社マン麻布中学校高等学校卒業東京大学法学部第3類(政治コース卒業一浪。現役時は慶大法に合格していた)。BCG入社。在職中にノースウェスタン大学ケロッグスクールMBAを取得。退職政治家に。

カヨコ・アン・パタースンハーバード大学飛び級卒業。専攻は比較政治学

志村祐介実家京都の旧家。洛南高校卒業京都大学法学部卒業(現役)。

大河内清次:秋田高校卒業東北大学法学部卒業

・東竜太中央大学法学部卒業

・花森麗子:上智大学外国語学部ロシア語学科卒業卒論テーマロシア対日政策卒業後、大手保守系新聞社就職女性としては異例の出世をする。在職中に執筆した国防論に関する本がスマッシュヒットTV等にコメンテーターとして呼ばれる機会が多くなり、保守系論客として名を上げる。保守第一党の誘いを受け、政治家に。

尾頭ヒロミ桜蔭中学校高等学校卒業京都大学大学院理学研究科修士課程修了(生物学専攻)。

・財前正夫:防衛大学校卒業

里見祐介:名古屋大学文学部卒業一浪)。

泉修一早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。在学中には早稲田大学雄弁会会長を務めた。卒業丸紅入社めっちゃ稼ぐ。退職政治家に。

・森文哉:東京大学大学院薬学研究科修士課程修了。

・間邦夫:大阪大学理学部卒業一浪)。アマースト大学卒業チューリッヒ工科大学にて博士号取得(生物学)。博士課程在学中から欧州分子生物学研究所研究員として勤め、博士取得後も継続するが、人間関係が原因で退職日本帰国するも、日本での人脈づくりを全くしてなかったプラス学説異端っぷりでアカポスを得ることは出来ず。長い間ポスドク非常勤講師として糊口を凌ぐ日々が続く。50前にしてようやく城北大学ポストを得るも、准教授より上には登れないでいる。

ベテラン官邸職員高卒。既婚。

ゴジラ学校には行ってない。

2016-07-24

博士後期に行かない理由

「『博士課程行くの?』と聞かれたと仮定して、絶対行かないよって決めてる人はその理由を一旦紙に書けるだけ書いてみる。そして最後質問を『なんで修士課程行くの?』に変えて、紙をじっと見る」という遊びは危険なので、該当する人はくれぐれも院試勉強中などにやらないように

というつぶやきがあったのでやる.

行かない理由結論としては研究するモチベーションインセンティブもないことである.

依然として僕の価値観としては, 修士に行って博士に行かないことは妥当だと思えた.

博士後期に行かない理由

- 本当に研究したいことなどない (解決したい問題はあるが, それは小学生宇宙飛行士に憧れるのに似ている)

- このネタ論文をかけるかどうかしか考えていないことに嫌気がさす

- 独立した研究者としてやっていけるとは思えない

- 常に研究のことが頭から離れない3年間(B4, M1, 2)につかれた

- さらに3年間は長すぎる

- 労働環境が劣悪

- 十分な業績をあげようと思ったら, 労働時間青天井

- とても月20万(DC1, 2, etc.)だけでやろうとは思わない

- 日本大学機関は衰退していくであろうという僕の想像 (大学教員という職業狭き門であるし, そもそも魅力的ではない)

- 遥かに労働環境のよい企業内定をもらった

修士課程に行った理由

- 就活アピールできるものは「勉強頑張りました」しかなかった

- 業績を稼いでそれをアピールしようと思った

私の大学時代はとても胸をはってよかったと言えるものではない.

- 1 on 1で飲みに行く友人は片手で数えられる

- 彼女などいなかった

- バイトなどはしていない

- 平日は大学と家の往復

- 土日は引きこもる

- 就活アピールできるもの研究しかない

業績は修士としては十分すぎるほど稼いだ.課程博士審査基準をすでに満たしている.

業績だけみると, 僕の分野の修士では日本においてはトップレベルだと思っている.

しかしその業績は僕ひとりで稼いだものではなく, 指導教員の皆様のおかげである.テーマを自ら考えたものでもない.

(さらに言えば, 僕の研究業界へのインパクトもない)

独立した研究者としてやっていけるとはまったく思えない.

研究することのモチベーションは「就活アピールするものがなくてマズイという焦燥感しかなかった.

2016-07-18

10年間の小説家の夢捨てた。そもそもアスペルガー小説読めない

10年、無駄にしたかな。

10年をさくっと語ってみる。

小説家ワナビ人生のはじまり高校生だった。あるラノベを読んで、衝撃を受けた。それで、自分も書こうと思った。

書けると思ったんだ。

でも、高校生ときに書けたのは、1年半くらいで、結局2作。しか短編

頭のなかにはいろいろあるのに……と思ってた。

そのときに知るべきだったのだろう、「書ける奴はこの時点で長編書けてる」ってことに。

小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力した。

でも、もっとすらすら読めるのはエッセイとか漫画だった。

というか哲学とか歴史書のほうがよく読めた。

大学に入る。文学部だ。

小説家になるためには文学部しかない!という目論見だ。

夢だ、夢をかなえるんだ!

いろいろあったけど、略。

小説のことだけ書くと、大学で書いた小説、計4作。しか短編

しろ詩のほうがよく書けた。バリバリ書けた。

でも長編一作も書けない。

小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力しまくった。なにしろ文学部だ。

でも、もっとすらすら読めるのは、文学理論とか、作家エッセイとか、創作理論とかだった。

ぶっちゃけ小説が、あまり読めないんだ。

ところで、話は前後するけど、高校生ときから、どうも自分には精神病のケがあったらしい。

このころは、強迫性障害になってた。

簡単にいえば、水道蛇口がいつまでたっても確認しまうとか、ガスの元栓が以下略とか、家の鍵が以下略とか、物を落としたんじゃないか、と思って地面をガン見したりとか……。

大学時代、これは加速していった。

バイトほとんど出来ない。できても叱られるばかり。

から

から小説家になって、見返したかった。いろんなものを。バカにしたあいつらを。

小説なら、こんな屈託が書けると思った。

自分を救ってくれる、と思った。


で、話は元にもどる。いや、実際は繋がってるのだけど。

大学院にいった。

文学部だ。

小説家になるために、知識をたくわえるのだ……というのは、半分嘘。

社会が怖かった。

小説家になってないままだったら、自分社会に出られない、と思い込んでた。

精神病は、小説家になれば治るんだ、と思って、薬物療法をしていた。

体重は、20kg上がっては、20kg下がる、みたいなことになってた。

このころには、もう統合失調症になってた。そんな人間が、大学院での修士課程勉強についていけるはずがない。退学した。

学生課で、「これからどーすんの?」と聞かれた。

しょうがなしに「小説家になって……」と答えた。あの時の学生課の人間の「ハハッ……」なせせら笑いを忘れることは出来ないが、今はしょうがいか、とも思える。

いろいろあって、働くことになった。食っていけない。でも、ほぼニートのような状態だ。

というかニートなのだろう。時間はあった。金はなかったが、時間はあった。

この間。精神病悪化した。

精神病院にも入った。

そして数年。

ちょっとよくなった。

長編を5作くらい、書けた。それくらいには、回復した。でも、投稿しても一時落ち。それ以上いったことはない。

小説は相変わらず読めない。

そればかりか、薬物療法甲斐あって、どんどん思考力が落ちていってる。

比喩を思いつくスピードが遅い。文章を連綿と書けない。何より、深く思考し、キャラを作ったり、物語を作ることが出来ない。

最近になってようやく気がついた。

自分は、小説を書けもしないし、読めもしないのだ、と;

自分は「小説家になる!」の夢しかない、真性ワナビなのだと。夢に酔っていただけかと。

そもそも、おかしかったんだ。

なんで小説をこれほど読めないのかというのが。「人間心理を描く文章」「情景を頭のなかで構築する文章」を読むとなると、やたらと疲れる。疲れまくる。

現実での人付き合いは、他人の顔色をみて、電気反射・脊髄反射で、どうにかしのぐような状態

そして自分が書く小説は、不快現実人間からの逃避ということで、やたらと調和的な平和な、何も起こらないような世界物語

キャラに怖い、つらい思いをさせるのがイヤだ!!!!! 作者たる自分がいやだ!

その精神構造を、医者一言で言い当てた。アスペルガー障害

というわけで、捨てた。小説家になる夢を。

これからどうしよう。

2016-06-19

研究頑張っても就活では評価されませんでした.

研究頑張ったけど,就活では評価されませんでした.

修士課程2年.学部4年から研究生活が始まり,曲がりなりにも研究一筋で頑張ってきました.

様々な国内会議に始まり,国際会議にも数件参加し,修士一年では雑誌論文にも挑戦しました.

運よく,論文が採択されたことから,私は一つ誇りに思えることができました.

これらの経験学生生活で頑張ったこととして就活アピールしようと望んだものの,

反応は芳しくありませんでした.

研究内容に関心を持ってもらえないばかりか,雑誌論文とは何かも知らないのです.

幸い,研究内容に関心を持ってもらえた会社に拾われた形で就活をおえましたが,

かのような反応は私の大学院生活を無下にするようでいて,ショックでした.

就活において,院生とは研究成果が評価されるのではないのだと.

ましてや,研究内容ですら評価対象ではなく,結局はどのような専門性があるとか,つぶしの効くスキルを持っているかが問われるのです.

就活において,院生研究を頑張る意義はないのだと思いました.

研究を頑張らなくても,人間力とかで何とかなることを周りの人の状況を見てわかりました.

せめて,院生での就活研究成果を評価してほしいものです.

そうであれば,大学院での研究活動は活発になりますし,学術産業界に大きな影響が出るはずです.

大学院ですら,珍しくなくなってきた今だからこそ,

大学院らしい生活をすることに意義を持たせてほしいです.

2016-06-04

奨学金問題って一番悪いのは政府じゃないでしょ

アホな大学生にいっぱい入ってもらって借金して学費払わせてるのって大学自身だったり高校教師だったりでしょ

んでアホな大学生をろくに教育もせずに卒業させて学士資格を与えて案の定碌でもないとこにしか就職できなくなって詰んでる

それだけならまだしもアホな大学生就職できないからってとりあえず院にすすませたりする もちろん奨学金は更に上乗せだ

東大大学院すら学歴ロンダうんぬん言われるが、マーチとか日東駒専とかの大学院なんてそりゃもう学生の質はすごいぞ

超頭悪くてろくに勉強する習慣もなく、更に大して就活もやりたくなかった連中をガバガバ院試修士課程にすすませている

ぶっちゃけ日本大学経営の悪辣さってそんじょそこらブラック企業の比じゃないよ

2016-05-23

別に見返りを求めてたわけではないけど、いいかげん見返りも欲しいよ問題

から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。

私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブイメージすらどうでもよかった。

でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せものになるかを考えては実行していた。それがあまり唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。

その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれ学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品ひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福ものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。

そんな折に別の女性出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。

色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程もっといけるなら海外大学院にすら行きたいと思っていた。しか研究テーマに行き詰まり指導教官相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。

就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろ仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉ひとつもなかった。

繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わず相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。

あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。

2016-05-07

大学時代の友人とびっくりするくらい話が合わない

3月大学院修士課程)を修了して、4月から働き始めたんだけど、一足先に社会に出ていた学部時代の友人と話が合わなくなってきた。

大学東海地方大学院北陸地方の別の大学の院に行って、就職でまた東海地方に戻ってきた。

友人たちは就職東海地方のままだったので、私が就職して以来、よく連絡をくれるようになった。飲みに行ったりもする。

そこでの話題が、旅行の話、仕事愚痴上司がムカつくとか、お局がどうとか、そういう話)、彼氏愚痴、さっさと結婚して寿退社したーいっていう話。

みんなが働いてお金稼いで旅行とか行ってる間、のんびり学生やってたから、まあ、旅行だなんだの話は聞き役に徹しているけど、みんなあんなに就活頑張ってたのになんで2,3年で辞めたいって口を揃えて言うんだろう。

今やっている仕事に憧れて、大学学部も選んで大学院まで行った自分にはどうしても理解が出来ないでいる。

今の私にはさほど結婚願望も無いし、もし万が一縁があって結婚することになっても仕事は続けたいし、そうじゃなかったとしてもこの収入なら自分の食い扶持は稼げるし、その上で貯金も出来ると思う。仕事はつらいけどずっと夢見てた職種から楽しいし、ようやく経済的に自立出来たからやりたいこともたくさんある。

だけどその分、久しぶりにあった友人たちとの間に大きな隔たりが出来たようで悲しいし、それ故に誘ってもらっても気が重くなってしま自分がすごく嫌だ。

それとも、私も彼女たちと同じくらい働いてみたら、いつか「仕事辞めたいなー」ってお酒呑みながら言う日が来るのかな。

2016-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20160207203750

研究者を志さずに諦めた、俺と諦めなかった人の10年後の現在

俺、私立文系私立文系大学院歴史専攻)

10年前、無目的大学生だった自分歴史研究出会った。それが滅茶苦茶面白くて、そのまま大学院でも研究したい旨、教授相談したところ、「絶対研究者を志すな、ネットでもいろいろ話題となっているかもしれないけれど、研究を続けても正規研究者になれないぞ、親が大金持ちじゃないかぎり耐えきれなくなって発狂するぞ、ただし、大学院を去って就職するなら、修士課程の2年間だけは就職する前提で面倒を見るよ」、と言われた。

実際、歴史研究とは全然関係ない色々な教授を紹介してもらったし、それが今の仕事ダイレクトにつながっている。

で、教授のすすめに従い大学院1年目から就活をして東証一部上場企業普通に就職した。

一方、苦しそうにそのまま大学院研究を続けた人達がいた。

当時、自分には選択肢は無かった。これ以上奨学金を借りることも非現実的だと感じた。

今にして思うと、厳しい現実に向き合っていると自称している人達は、なれもしない研究者に憧れていただけだった。

そしてそれから10年が経過。現在の状況が分っている人はほとんどいない。

多分実家に帰って鳴かず飛ばずだと思う。Facebookすらやっていない。

就職した人が1人いることは確認できて、一昨年くらいにメールした。

俺の今は、新卒で入った会社から1回転職して手取りが倍になった。学生時代から恋人結婚し、子供も2人いて、もうすぐ郊外に家を買う。

年下ばっかりの新入社員研修から始まってパワハラ上司とか犯罪寸前の関係部門とかアホアホクライアントとか発狂しそうなことがいっぱいあったけど、なんとかした。

これらはあくまで俺が大学大学院所属した私立文系大学大学院のみの状況。国立理系だったらまた別の結果になるんだと思う。

教授の話では、大学院に残った人は誰一人研究者として一本立ちできずにその後非常に厳しい結果になるということだったが、現実はその通りだった。

現在、俺と残った人ではどっちが上か。

確認できない人たちとは比較すら出来ない。

俺は楽しいこと、やりたいことだけを存分にやらせてもらった。

修士課程はたった2年間だけど、不思議ハンターみたいな歴史的発見もできたと(俺と指導教授けが興奮するような超マニアック発見。「これを論文にするときは一応お前への謝辞をくっつけとくよ」と教授が言ってた)。

やりきった。

10年前の俺に言いたい。

人生、手元のカードで戦うしか無いんだから言い訳だけはするなよ。」

「“@@だからできない。@@なのでしたくない。”とか、言い訳だけはするなよ。」

「ただ、できない。やらない。したくない。で十分だ」

「一度でも言い訳をすると、それがお前の魂の奥底にへばりついて、絶対に離れなくなるぞ。それをお前は知っているよな。」

「歯を食いしばっていこう」

2015-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20151220113416

あー、俺もこれ嫌い。

大学院修士課程修了して女子短大客員教授

NPO法人仕事とか「1億総活躍国民会議」に参加したりしてる

菊池桃子さんの話題

ラ・ムーのことを持ち出す奴とか大嫌い。

2015-12-16

http://togetter.com/li/911151










この記事を見て自分よりクズ世界があるのだと安心した。

おー、良く見ればほとんど同じ年じゃねーか。

俺はね、気づけば大学卒業修士課程卒業博士課程突入という愚策学位もとれっかわかんねーし、マジで鬱な気持ちっつーか。

金を借りたら返済しないといけないって気づかないあたりが、奨学金(笑)を借りて博士課程にいったアタイそっくりでありんす。

2015-12-04

中退へのメンタル閾値が低い高校中退者による博士課程一問一答っぽい

この記事博士課程 Advent Calendar 2015 - Adventarの5日目のエントリです。前回はid:kybernetesさんのこの世界への関心を諦めない人に博士課程はオススメ - 表道具でした。

(今年は無事に退学せず済みそうなので、退学 Advent Calendar 2015 - Adventarじゃなくてこちらに参加します。)

http://anond.hatelabo.jp/20141201200815]から大幅にテンプレート拝借

某国立大物理D1場合

Q1. 博士課程ってなんですか

A1. 大学院入試面接で「進学するつもりはある?」って聞かれるあれ

たいていの理系人生において、ここに進むか否かで修士課程終了後の幸せ曲線が大幅に変わるともっぱらのうわさ。(私はまだ実感してないんですが、この手の話聞くたびおっかない)

Q2. なんで博士課程に進学するんですか

A2. 高校中退したあと某高専に潜り込んでたんですが、「高専新卒」という最強就職カードをかなぐり捨てて大学編入しちゃったので毒食わば皿まで、ではないですがやるとこまでやったろう!というのがひとつ

高専時代に言われた「好きなことを仕事にすると長続きしないよ」とかいもっともらしいアドバイスを真に受けて転科する!って編入した先があろうことか原子力系で、在学中の3/11以降いろいろ考え修士課程でまたしても転科したので、たった2年じゃやるとこまでやれん!というのがふたつ。すごくいきあたりばったりですが特に2つ目はこればっかりはしょうがない。

Q3. 普段どんな生活してんのさ

A3. 後述のRAが勤怠とられるので、普通に9時5時で他の職員さんと同じような勤務体系です。

理論系だし実験と比べて体力的に楽かなーと思いきや、週末もけっきょく自宅で作業してしまうので気分的には週休ゼロ日っぽい

研究で頭ハチハチしてると朝の民放テレビとかマジで情報洪水、うるさすぎてたまんないのでNHK教育はなかっぱとか見て心を浄化してから出勤してます

あとは平日休日わずメンタルのために趣味ゲームしたりピアノ弾いたり、こういうのがすごく大事な時間です。

Q4. 在学時の金銭問題に関して一言

A4. 某国研のRA学費とか税金年金もろもろ賄ってるのと、実家暮らしで家にお金入れてるわけでもないので(お父さんお母さんごめんなさい!)あんまり気にしたことはないです。

一人暮らししたら学費免除通りやすくなるのかな…在学中に結婚したら学費全額免除もらえたとか、配偶者に養ってもらいながら(3号被保険者として)生活してたとか、聞くけどどこでみなさん恋人とか見つけてくるんですかね???

Q5. 学振について

A5. 私は修士課程から新しい分野に来ていまだに業績ほとんどないから全然無理無理、って思って出してないんだけど、情報系とかみたいに早くからぽんぽん査読つき学会だの論文だの出せる分野だと申請書も見栄えするんだろうなぁ、って勝手に思ってます物理の人もそんなみんな修士課程からポンポンPhysics Review うんちゃらみたいなのにポンポン載せてるんですかね…

Q6. インターンについて

A6. 来年に行く予定があるんだけど、大陸ヨーロッパなので日常生活英語通じるのか?っていうのと最近テロちょっと心配

他の人とか分野の事情まったく知らないんだけど、大学とか受け入れ先から予算が出るなら是非とも行っておいたほうがいいのでは。

Q7. 楽しいこと3つ

A7.

(1) 高専卒で就職した同期とかの話聞くと、「仕事の内容はいいんだけど人間関係が辛い」(脳筋DQN体育会系みたいなのが多い、の意)というのを割りと聞くので、そういうのが理学系だとないなーっていうのが人間関係に恵まれてていいなって思います高専特に機械科とかほんと脳筋DQNのすくつだったしね。

(2) RAも実際のところ普通ホワイトカラーと違ってあんまり時間には厳しく言われないので、朝が弱いマンにとっては大変助かる。

(3) 本人はいつも自分には研究向いてない…辞めたい…って思ってるのに、親しい人とか親戚がすごく買いかぶってくれてるとこ。自己肯定感が全力で慰撫されますね。

Q8. つらいこと3つ

A8.

(1) 当たり前ですが自分の頭で考えて自分なりの意見を主張していかなきゃならないこと

いまだに自分意見をいうのが怖い、いつもいつもフルボッコにされるんだろうなーって怯えながら進捗報告する日々。

(2) 将来への見通しが無い

(3) どうせいずれ死んでしまうのにこんな研究やってて何の意味があるんだ…

Q9. 現時点で後悔していること

A9.

(1) 高専から大学に編入するときに専攻を変えてしまったこと

高専から大学編入して学振DC1通ってる人とかけっこういるじゃないですか、彼らは高専時代からずっと自分の専門分野に一途だったんでしょう。

まさに「転がる石に苔つかず」で、転がってばかりだと成すものも成せなくなるんだなあ。

(2) 将来への展望ゼロ

安定は、希望です | 参院選に挑む | 公明党みたいな人は博士課程に進学しちゃダメゼッタイ

(3) 人間関係を軽視しすぎたこと

いろんな人の話し聞いてると、高校学部時代の人脈があとあと強い意味を帯びてくる、みたいなのあるじゃないですか。

高専で人脈とかまぁ無理にしても、学部時代に引きこもったりしなければ、留年したりしなければよかったな。

Q10. 博士課程に向いている人

A10.

(1) 「正しさ」をめぐって駆動される権力力学無頓着な人

 これだけで政治哲学上のひとつトピックになりそうだし私が簡単にどうこう言えるものではないけど、教員側でもそういうのに無頓着な人がいますしね。本人の名誉のため名前は伏せます

教員:「何か発言しろ

学生:「いえ、特にありません」

教員:「何でも良い、言え!」

学生:「・・・では、~だと思います。」

教員:「ふざけるな、大間違いだ!謝罪しろ!」

学生:「間違っていました申し訳ございません。」

なんていう地獄絵図はまったく想定していませんでした。

みたいなブログも見つけまして、大変脱力してます。一歩大学の外に出れば↑みたいなのがむしろ普通なのにね。そういう環境適応してきた学生だけ一方的に責めるのはどうなの?

(2) 命令指揮系統崩壊している末期戦みたいな前線でも気にせず自分勝手に動ける・動きたい人

A8(1)と関係しますが、上から命令が降ってくるわけじゃないので、【北朝鮮】最高司令官同志、命令だけ下してくれ! - YouTubeみたいなのは決定的にダメですね。

(かの国における首領・党・人民三位一体による有機的政治生命体、っていうのはたぶん研究職と相性悪いと思う。)

(3) 聞き分けのいい素直なお利口坊や/お嬢ちゃんじゃなかった人

 高専の同期のDQNが「ああぁぁん?てンめぇナマいってんじゃねえよぶっ殺すゾ!!おおおぉぉぉん??(どうでもいいけどなんでこういう威嚇する声ってだいたいプロソディーが短調ぎみなんだろう?)」って言っててもあんなん慣れりゃ自分に直接は害が振らないから別にいいけど、自分の今後に生殺与奪を握ってる偉い人相手には「相手の意のままに動かなきゃ、自分から敢えてケンカ売るようなマネは…」というのが適応戦略としては普通なので。そういうまともな感覚が無い人のほうが博士課程向いてるんじゃない?

後半が「博士課程もう辞めたいこんなん嫌や!!」って思いながら書き溜めたやつで、前半がちょっと最近持ち直してきたときかいたやつなのでニュアンスが違います

なにか質問あれば追記しま

2015-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20151114183243

コメントありがとう

後輩といっても、すでに卒業した後輩なんだ。

から卒業単位のかかったものではないし、修士課程では別の大学院へ出て

卒業してる。就職もしてるはず。そしてOBとして作成してる。

説明不足でごめん。

2015-09-13

なぜ日本国内物理学論文数は減少しているのか

http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/66fda06802e29f013e26f5d41f769b01

実験物理学を専攻している修士課程学生の目から見て、考えたことを書いてみる。

日本国内における物質科学物理学系の論文数が、先進諸国の傾向に反し減少傾向にある要因として、

冒頭に引用したブログの著者は、「大学研究従事者数および研究時間海外諸国に比べて少なく、かつ減少していること」と、

財務的には大学への基盤的な公的研究資金の減少の影響が大きいこと」の二点を挙げている。

これは確かにその通りだが、特に物質科学工学分野が苦境に立たされている理由は他にもある。

端的に言うとそれは、物理学系の研究室において、実験技術に特化し、もっぱら実験作業とその指導をおこなうテクニシャンが、

多くの場合不在だからである修士課程学生は、試料作製・測定系の立ち上げ・および測定と解析・

ディスカッション学会会議での発表・論文執筆を一通り経験するのが望ましいとされている。

研究において、そうしたすべてはどれひとつとして欠かすことができない大切なものであるし、なにより修士課程目的は、

(少なくとも日本においては)研究成果を一つでも多く挙げることよりも、広汎な技術を身につけることにあるのだから

それ自体に目くじらを立てる必要はない。問題は、しばしば博士課程の学生教員でさえ、オールラウンダーとして、

ひとつ研究におけるすべてのフェーズ担当することが求められるために、研究活動における分業体制がいっさい確立していないことにある。

旧帝大などの研究大学でさえ例外ではない。ひょっとしたら、これを美徳だと考えている研究室もあるかもしれない。

これは、学部生と修士課程学生に対する教育指導に歩調を合わせて研究遂行していく、国内大学の慣習とも深く関わっていると考えられる。

このことは決して悪いことではないのだが、研究成果を挙げる上では恐ろしく効率が悪い。

効率を上げて研究のサイクルを早く回すために、テクニシャン重要役回りを果たすはずなのだが、

実際は、上級大学院生助教が片手間にその仕事中途半端に請け負う羽目に陥っている。

2015-05-28

借金修士課程

奨学金の5万円が入ってた

修士2年間で120万円の借金を背負うわけだが

これは将来ペイするのだろうか

家族恋人と離れて借金してまで20代の2年間を学問に捧げて

それにしてももっと家賃安いところにしておけばよかったかなー

借金してるって実感が湧いてきている

2015-01-07

ブラック研究室

修士課程1年です。

朝の8時半から夜の8時半まで

准教授助教授などの上司が帰らないと帰れない研究室しんどいです。

帰ってじっくり一人で論文読みたいんです。

実験は5時までで終えてます

それからはまとめや次の日の準備して6時には終了し、菓子パン買ってきて8時に変えれるまで一時的な飢えをしのぎ、PCの前で論文見たり勉強してますオープンラボで人通りが激しくて集中できない・・・

後ろでは助教授がぺちゃぺちゃ喋っててうるさくて困ってます

みなさん、何時に帰ってますか?

実質8時半になるまで帰れない身です。

つらくて4にたい

何も言わずにきょうは泣きながら無言で7時に退出してきちゃった

どうしたらいいんだろうかわからない

2014-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20141202022525

今,修士課程2年です

うちの大学では,学部3年から研究課題に取り組んでいます

学部3年〜修士1年までは自分で決めた研究課題をやっていましたが,(リサーチ不足もあり)既存研究がみつかり,

研究課題修士2年から新たなものに変えた現状です

なので研究無駄になるのは今回で2回目

さすがに堪えます

研究は試してきたアプローチ有効検証という方向でまとめていく方向になりそうですが,

検証したアプローチの数も少ないし(引きこもっていたことで,だいぶ作業が遅れた)

どうなるかわかりません.

なんとか体を引きずるように大学には来てますが,

気分は最悪です.

何とか卒業したいものです

2014-12-01

博士課程一問一答

以下、国立情報D2場合博士課程生活について。

Q1. 博士課程ってなんですか

A1. 博士後期課程の略。学部4年、修士課程2年過ごしたあとに、さらに(通常)3年間大学に在籍して研究を行う。

Q2. なんで博士課程に進学するんですか

A2. 基本的には研究がしたいから

私の場合M1の初めはD進も考慮しつつ、夏頃には就職する気マンマンだったが、12月下旬にふとD進しようと思い立ったのでD進した。

Q3. 普段どんな生活してんのさ

A3. 朝7時前後起床、眠かったら二度寝。早ければ9時ごろ大学に行き、勉強 or 研究 or 事務作業。

混むのが嫌なので11時半すぎに昼食(半分くらいはぼっち飯)、18時〜19時ころ大学を出る、という生活の繰り返し。

気が向かなかったら平日休んだり、気が向いたら休日大学に行ったりとフレキシブル生活がおくれる!

かまって相手があまりいないので、研究に集中できる!!

多くは一人飯なので、好きな時間に好きなものを食べられる!!!

Q4. 在学時の金銭問題に関して一言

A4. 学費はだいたい国立場合年60万円くらいかかります

学振という制度を使うと、額面月20万円がお給料として貰える+最大年100万円研究費が貰える。

基本的には博士課程学生年収240万円が上限なのだが、お給料貰えるインターンシップに参加すると学振給料を止めてインターンシップから給料を貰うことができるので、さらなる高みを目指すことが可能。

学振を取れなかった場合でも、先生によっては毎月RA代(学振と同額支給する先生も!)を出してくれるので、そういう先生を選ぶことで金銭問題はあまり問題とならない。

Q5. 学振について

A5. 日本学術振興会特別研究員DC1とDC2の二つがある。

DC1修士2年生の時に申請して、通れば博士1年から三年間上記の給料+研究費が貰える制度

DC2は博士1年 or 2年の時に申請して、通れば博士1年から二年間上記の給料+研究費が貰える制度

給料がもらえるのはありがたいし、何より先生から自立できるのが一番大きい。先生に気を使わずに色々買えるし色々旅できる。

おおまかに言って、研究計画、業績、研究者としての資質の三軸で評価されるらしい。

私の場合は、DC1落ち、博士二年からDC2採用

しばしば、DC1は業績あれば通ると言われるがそれはおそらく嘘で、一つでも大きく欠けてしまうと通らないっぽい(有利なのは確かだが)。

また、研究計画は盛ればいい、というのもおそらく嘘で、所定の年数で博士課程学生が一人でできそうな研究計画(×(1+ε))くらいでいいっぽい。

Q6. インターンについて

A6. 博士課程では数ヶ月研究関係インターンシップに参加する人がぼちぼちいます特にD2夏休みくらいがベストシーズンのようです。

どのようにインターンを探すのかについて、3通りくらいある。

1つめは、メンターになって欲しい研究者に直接コンタクトを取る方法。やったことないけど、効果は一応あるっぽい?

2つめは、会社研究所インターン募集サイトから自分で申し込む方法。このパスはあまり有効でなかったりするらしいので、中に知り合い/メンターになってほしい研究者がいればその人に頼む方が確実だとかそうでないとか。

3つめは、先生経由で紹介してもらう方法。誰かいい人いませんかメールが他の研究者採用人間からくることがあるらしいので、それに紹介してもらう。

インターンで何をやるのかは場合によって大きく異なるらしいので、打ち合わせが必須特に研究をやりにいったのに論文にできない/ならないような仕事をやって帰ってくるとか、準備不足で行って時間が足りずに終了となる場合もあると思うので、打ち合わせは念入りにしておくと後々楽だと思います

また海外インターン、準備とか後片付けとかとても面倒くさいのですが、年取ると多分もっとめんどくさくなるので、博士課程にいるうちに一発覚悟をキメてやってみると後々の就職活動の幅が広がっていいのかなと思いました。もう少し歳を取ってから海外生活となると多分キツイ

Q7. 楽しいこと3つ

A7.

(1) 平日の昼間に遊ぶことができる

(2) かなり多くの時間をやりたいことに費やせる

(3) 学会で色々なところに行ける

Q8. つらいこと3つ

A8.

(1) 論文通らない

(2) 難しい研究理解できない

(3) 論文書き上げるのしんどい

(4) 学部修士卒業した人たちと違う世界にいる気がする(みんな働いてて偉い!)

(5) 「今何やってるの〜?」「学生」の気まずい瞬間

Q9. 現時点で後悔していること

A9.

海外大学/院を受けなかったこと

研究業界で名の知れた研究室や、研究業界の主導権を握っているような研究室の人と仲良くなるのは大事なような気がしますが、やっぱり学生の頃からそういう環境に身をおいてみたかった。

D1の頃に長期インターンに参加しなかったこと

D2の頃に三ヶ月の海外インターンに参加してとても楽しかったので、D1の時も参加できたらよかったなぁと。一つ応募していたのは落ちてしまったのですが、複数応募しておけばと思います

・じっくり勉強をすること

業績を稼ぐのに焦っていて、じっくり勉強する時間が少なかったような気がします。じっくり考えましょう。

Q10. 博士課程に向いている人

A10.

自発的に動ける、かつ、困ったら人に助けを求められる人。

なんか書いてほしいことあったらコメントにお願いします。もう一回くらいアドベントカレンダーで書くかも。

2014-09-28

なぜ私の自尊心は低いのかということ

注意

 長いです。そして大部分が「自分語り」です。そんなの読みたくないよ、と言う人はブラウザのバックボタンを押してください。

 で、なぜ自分語りをするのかというと、結論部分の教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたい事につなげる為なので、時間がない人はその部分だけ読んでもらっても構いません。

 それでは、物好きな人はどうぞ……

自分語り

 20代も後半になってくると、「結婚しないの?」とよく聞かれるようになった。「相手がいない」、「仕事が忙しくて相手を探す余裕がない」と言うと、たまに「いい人紹介しようか?」と言われることがある。

 しかし、私にとって友人や知り合いや同僚から相手を紹介されるというのは、最も避けたい出会い方だ。「自分のようなつまらない人間を紹介することで、相手の評価を下げたくない」「紹介してもらったところで、うまくいくはずがない」と考えてしまう。

 「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のことを自尊感情と言うが、私はこの感情が非常に低く、一日一回は「死にたい」「この世から消えてなくなりたい」と考えている(これでも回数は減った方。昔は一日十回は死にたいと思っていた)し、友人と遊んだり飲んだりしていても「自分なんかのために時間を使ってもらって申し訳ない」と考えてしまう。自分と実際にあったことがある人の中には「自分の話ばっかりするから自尊感情高いんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、それも自尊感情の低さの裏返しだと思う。自尊感情が無いからこそ、他人から褒められたり、認められることを期待して自分の話を頻繁にしてしまうのだろう。私が「知り合いからの異性の紹介」を避けているのも、この自尊感情の低さからきているのだろう。

 それでは何故私の自尊感情は低くなってしまったのか。色々な原因が考えられるが、一番大きいのは、私が「普通の人が出来ることを、出来なかったから」だと思う。

 まず、私は小学生時代、「普通の子供と同じように授業を受けることが出来なかった」。静かに、教室椅子に座って授業を受けることができない。授業中に教室を抜け出し、先生を慌てさせる。教室にいても、授業い集中できず、本を読んだり他の子供にちょっかいを出す。

 そんな子供だったせいか、小学生の一時期、いじめられていた。いじめは「異質な存在」が標的にされやすいことから考えると、自分いじめ対象になったのも自然なことで、意味もなく殴られたり、筆箱を窓から投げ捨てられたりしていた。そこまで酷いいじめではなかったので、不登校になるほどではなかったが、自分は人と交流することに臆病になってしまっていた。

 未だによく覚えているのが、隣に住む一学年下の友人の家のチャイムを押すのに一時間以上ためらった挙句、押せずに自分の家に帰ってしまったこと。小学生の時点で、私は友人の家に遊びに行っても、「そろそろ帰らないと鬱陶しいと思われるのでは」と考えてしまう、人間関係形成することに臆病な人間となっていた。

 小学生低学年の時のこの問題行動は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)によるものであり、診断後、月に数回、大学研究室に通うことになった。そこに行くと宝探しゲームパズルなどをさせてもらえるので、私は「遊びに連れて行ってもらっている」という感覚だったのだが、今では「あれは行動療法の一環だったのだ」と理解できる。

 大学での療法の結果、私のADHDの症状は目立たなくなっていったが、中学校入学後、私に新たな「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」が出来てしまった。

 それは、「普通の人と同じように起きていること」。

 授業参観テスト学校行事、時と場合を選ばず、どんな時でも居眠りをしてしまう。その眠気は尋常ではなく、拳で太腿を殴りつけても、ペンで血が滲むほど掌を突き刺しても、消えることは無く、結局は寝てしまう。なんとか地元公立高校には入れたものの、いくつかの授業にはついていくことが難しくなってしまった。そして三年生の時は難関大学を目指していたのにも関わらず、文系の一番下のクラスへ。一部の教科の成績と授業態度(よく居眠りをする)を考えれば当然のことではあったが、授業のレベル大学受験レベルではなかったのは困りものだった。居眠りをしているのに教師のところに「わからないところを教えてください」と行くことなんて出来ないし、独学もなかなか難しい。そんな時に自分を救ってくれたのが予備校の配信授業。自分が通っていた塾では予備校衛星配信する授業をビデオに録画したもので受講することができた。ビデオなら途中で居眠りをしてしまっても居眠りをする前の段階まで巻き戻せばいい。そうして90分の講義を毎回120分以上かけて受講し、なんとか受験対応できる学力をつけていった。

 結果として、第一志望の大学合格することはできなかったものの、国立大学に進学することが出来た。自分の居眠りは怠けからきていると思っていたので、大学に入れば、環境が変われば少しは改善するとおもっていた。……だが、そんなことはなかった。

 自分が受けたいと思い、はりきって教室の一番前の席に座った講義で寝てしまった時の絶望感。サークルミーティングで居眠りをしてしまった自分への冷たい視線を感じた時のこの世から消えてしまいたい気持ち。大学に入れば何かが変わると期待していただけに絶望感は大きかった。ずたずたになっていく自尊心

 自尊感情が低い故に人間関係を構築するのに臆病なのは相変わらずで、自分から食事や飲みに誘うことな殆ど出来ず、昼食も一人で食べてばかり。

 大学院に進学してからも居眠りは止まらず、二年次に受けた公務員試験も当然のことながら不合格に。修士課程だったので二年で修了できたのだが、自分では働きながら試験勉強はできない、とわかっていたので、親に頼み込んで一年留年することにしてもらった。

 留年時は相も変わらず寝てはおきてを繰り返しての勉強生活。一日十時間勉強しても、実質的に集中して勉強できているのは六~七時間なのだから効率は非常に悪かった。

 二回目の受験でなんとか公務員試験合格し、就職。このときはまだ自分の居眠りは自分の怠けからきていると思っていたため、さすがに就職すれば意識が変わって居眠りも無くなるだろうと思っていた。しか就職してからも止まらない居眠り。会議で、行事で、起きていようとしても寝てしまう。当然のことながら、同じ居眠りでも学生と勤め人ではその捉えられ方は大きく異なる。面と向かって厳しく注意されることも増えたし、必要以上の会話をしてくれない同僚も増えていった。完全に自信を無くし、せっかく合格できたのに、退職しないといけないかな、と思い詰めていた時に、上司睡眠障害外来受診を勧めてくれた。

 休みを取って「睡眠ポリグラフ検査」というものを受けた。体中に脳波、体の動き、血中酸素濃度、呼吸などを計測するセンサーを付け、一晩眠り、起床後は二時間ごとに横になって検査を行った。

 検査の結果、入眠直後にレム睡眠期があること(普通の人は入眠直後はノンレム睡眠らしい)、前日に十分睡眠をとっていたのも関わらず、横になると数分で入眠ししまうこと、夢見や脳波などから、「ナルコレプシー」と診断された。ナルコレプシーとは非常に強い眠気の発作を起こす脳疾患睡眠障害)の一つで、私の居眠り癖は自分の怠けからではなく、睡眠障害からきていたものだったのだ。

 睡眠障害というと、「眠れない」障害ばかりが注目されがちだが、実際には「眠りすぎてしまう」「眠気が強すぎる」睡眠障害というのも数多くあるらしい。しかし、後者はあまり知られていない為、私のようにそれに気づかずに、発症後も長く苦しむ人が多いそうだ。

 根本的な治療法はないが、薬物により日中の眠気が抑えられるということで、「モディオダール」という薬を処方された。早速薬を飲んでみると、劇的に症状は改善された。仕事効率も良くなり、「普通の人はこんなに起きていられるのか」と驚いたと同時に本当に悔しくなった。もう少し早くこの障害のことがわかっていれば、これまで人間関係学業でここまで苦しむことは無かったのに、と。

 私はこのように二つの他人から理解されにくい障害をかかえて生きてきたのだが、それによる自尊感情の低さは、原因が分かった今もなかなか解消できそうにない。三つ子の魂百までではないが、一度形成された人間性というのは、なかなか変わらないものなのだ

伝えたいこと

 自分の体験を通して、教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたいことは、「自分の教え子や子供に、何か気になるところがあったら、ためらわずに専門機関検査を受けさせてほしい」、そして「もし自分の教え子や子供が何らかの障害をかかえていたら、その子に合った教育、療法を受けさせてほしい」ということだ。

 自分の教え子や子供がそんな障害を抱えているとは思いたくない気持ちはよくわかる。しかし、障害を持つ子は検査を受けて診断を貰えなければ、自分にあった治療教育を受けることもできずに成長することになってしまう。

 さらに、「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」があるということは、自尊心を大きく傷つけてしまう。自分がそうであったように。

 一般の人が想像する以上に、発達障害や、睡眠障害を抱えている人間は多い。「他人事」だと思わずに、教育に関わる人たちや、「親」、これから「親」になる人たちには、発達障害睡眠障害について学んでほしい。

2014-08-03

俺がこの先生きのこるには

エンジニア流動性が高まっている.

この8月だけでも数件の「転職しました」系のエントリはてブを賑わしている.

SIerから抜け出したいというエントリ過去何件もあり, 直近では抜け出したあと1年後の報告がとても興味深かった.

http://b.hatena.ne.jp/entry/arvelt.hatenablog.com/entry/2014/08/01/121813



俺は今年30歳になる.

大学院修士課程を修了し, 地元SIer入社した.

入社後は首都圏受託開発を5年ほどやって, この春から客先常駐で働いている.

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/701166

このあたりの話も経験したし, 「バージョン管理がー」とか「アイイーロクガー」みたいな話も経験した.

そうして20代も終わりに近づき「今後自分がどうやって生きていいか」を最近悩んでいる.

俺は, いわゆるはてブに出てくる「SIer仕事がつらくて, もっと技術をやりたくて, 家でコードを書いて...」というタイプとは違う.

技術を追いかけるのは好きだが, 休日コードはそれほど書かない. また, 自分コードを読んだり書いたりする能力に劣っていることも自覚している.

そんな自分が, 他の人みたいに技術を追いかけてWeb系に転職できるとも思わないし, 万が一できても上手くいくとは思えない.

また, 「自分はこれがやりたい, だから進路をこう進めたい」という意思がないことが一番の問題である.

技術が好きでそれをやりたいのであれば, 休日自己研鑽して身につけてそれを使える場所に飛び立つことも不可能ではない.

だが, そもそも自分には「これがやりたい」ということがないのだ.

技術は好きで, 書いたコードが思った通りに動くのは楽しい.

でも, 「本当に技術職として, 日々技術を身につけていきたいか」と言われたら, そうでもない.

休日は遊びに行ったり, ゲームしたりして過ごすほうが楽しい.

そもそも, これまで自分はなんとなくで流されながら生きてきて,

みんなが進学するから進学して, 就職したくないから大学院までいって,

なんとなくで地元SIer就職して, 与えられた仕事をこなしてきた.

もちろん, 惰性で仕事をこなしてきたわけではなく, 現場改善して仕事はしてきたつもりだが,

主体的に「これがやりたい」と思ってやってきたこと, というのがあまりなかった.

そんな俺だが, さすがにそろそろSIer環境にも閉塞感を感じていてこのままではいいのかと思うことも多い.

ただ, そんななかで自分が何をできるかと言われたらそれもわからないし, 何かを変えられるほど社内で偉いわけでもない.

今後, 俺はこの先どうすれバインダー...

2014-07-04

日本音響研究所がやっぱり怪しい件

先日ちょっと話題になっていた、日本音響研究所が怪しい件。

NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。

自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。

元所長の怪しさ

ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。

そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴ノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。

まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。

Master jal に「元日本音研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学ディプロマミル学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。

この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウント編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。

Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦2013年9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。

さらWeb検索してみると、2000 年代2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学ディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性マイナスである。なお、Wikipedia編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。

ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である鈴木隆雄氏の WikipediaWebサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去分析したという事件事故リストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。

なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構所長を務めた人物なので、混同に注意。

昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。

――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipediaこの版この版を見ると、結局正式証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。

現在日本音響研究所の怪しさ

不思議なのが、現在日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年こういう怪情報が出ているが、真偽は不明。

ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学名前がばっちりと載っている。

日本大学 文理学部 応用物理学卒業

Adam Smith University 理学研究科 修士課程

Adam Smith University 理学研究科 博士課程

Adam Smith University 心理学研究科 博士課程

スタッフ吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。

武蔵工業大学 人間工学部 人間工学卒業

武蔵工業大学 人間工学部 人間工学修士課程

Adam Smith University 工学研究科 博士課程

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