はてなキーワード: 修士課程とは
NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。
自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。
ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトへリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。
そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴とノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。
まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。
Master jal に「元日本音響研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者の記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマ・ミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学がディプロマミル(学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。
この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウントも編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトのアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。
Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦は2013年の9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。
さらに Web を検索してみると、2000 年代の2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的に糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線の行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学はディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペをマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性はマイナスである。なお、Wikipedia の編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。
ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である。鈴木隆雄氏の Wikipedia や Webサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去に分析したという事件・事故のリストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前が記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。
なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家で鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構 )所長を務めた人物なので、混同に注意。
昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件・事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。
――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipedia のこの版やこの版を見ると、結局正式な証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。
不思議なのが、現在の日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年にこういう怪情報が出ているが、真偽は不明。
ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学の名前がばっちりと載っている。
Adam Smith University 理学研究科 修士課程
スタッフの吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学の名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。
「採用の決め手となる何かが足りない。やりたいという熱意が見えてこない。たとえ、貴方が熱意を持っていたとしても、この面接で感じとることができない。後日、もう一度面接をしましょう。そのときまでに、もっと業界研究をして、弊社に入りたいということをアピールできるようにしておいてください。」
一次面接の壁を突破し、なんとか辿り着いた二次面接。そこで、社長さんに言われたセリフがこれだった。
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僕の今の状況を説明しよう。
24歳で大学院の修士課程を卒業。学生時代、十数社の企業や団体の採用試験を受けたが、どこも通らず。しかし、不採用だった1社から、契約職員のお誘いが来て、1年間の契約で働くことになった。しかし、契約更新はしてもらえず1年で退職。そして、25歳。就職先が見つからずに、ニートになってしまった。(厳密には、求職活動中の人はニートとは呼ばないらしいが、読者の方にとってはこの表現の方がわかりやすいと思うので、こう表現する。)
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学生(大学院生)の頃は、受ける企業を少数に絞って、就職活動をすることにしてた。手当たり次第に受けるよりも、少ない企業に絞って企業のことを深く研究したほうが、企業側には熱意が伝わるだろうと思ったからだ。さらに、この戦略をとる理由としてもう1つ挙げられるのが、僕はあくまで学生なので、卒業研究に専念したいという思いがあったということだ。僕はもともと、勉強や研究が好きで、就活なんていう雑用は早く終わらせたかった。
企業もなるべく、研究だとか開発というような色合いの強そうなところを選んで受けた。それなりに、入りたいという意志があった。
しかし、結果はどこも1次面接で不採用。筆記試験はほとんどの企業で通るのに、面接になると落ちる。
その結果、「こんなに入りたいという意志があるのに、落とすなんてひどい」という負の感情と「どうせ、僕はどこを受けてもダメなんだ」というモチベーションの低下が生まれた。それでも、周囲の人の支えにより、少しずつ企業や公共団体の試験を受けて行った。そして、2月。ようやく就職が決まった。1年の契約職員だけど。
そして、僕は1年間そこの会社で働いた。しかし、やっても失敗ばかり。イメージしていた仕事とは全然違う。職場の人との意見は合わない。円満な人間関係を作るために、もしくは職務を遂行するために、素の自分を殺し、つねに偽りの自分を演じなければならなかった。「言いたいことが言えない」という状態がずっと続いた。(1つだけ補足すると、いわゆるブラック企業ではない。福利厚生はちゃんとしているし、法律はちゃんと守ってるし、離職率も低い)
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僕は、再び、就職活動をすることになった。僕は今までの失敗の原因を「自分の性格と企業の求める人材像の不一致」と考えた。だから、自己分析を入念に行った。自分の心と向き合う作業。自分の今までの経験を踏まえて、自分の性格を見つけ、ノートに書き出してみる。例えば、僕は学生時代によく先生に質問することが多かったことや、研究をして新しいことを発見するのが好きなことから「好奇心が旺盛な性格」であることに気づいた。
問題は、ここからである。自分の「好奇心が旺盛な性格」にピッタリ合う職場はどこにあるのかということである。この問題には、「手当たり次第受けてみる」という作戦を取ることにした。幸い、ニートの僕には時間があった。企業を手当たり次第受けることに何の時間的制約も受けなかった。さらに、この作戦にはもう1つ利点があった。それは、心理的な安定が得られる点である。志望企業が2社ある内の1社から不採用通知がくるのと、志望企業が20社あるうちの1社から不採用通知が来るのでは心理的な負担が違う。20社のうち1社落ちても、たかが1社落ちただけで、まだ19社残ってると自分の心に言い聞かせることができる。また、学生時代に感じた「あれだけ熱心に調べたのに」という怒りも感じない。不採用通知が心のなかで穏便に処理されるのだ。
こんな流れができているもんだから、テスト(面接)の段階では、既に次に受ける企業のことを考えているという始末。
僕は、就職活動が順調に進んでいる。そう思い込んでいた。しかし、状況は何一つ進んでいなかったのだ。僕は、就職活動というイベントを行っただけで、「就職先を決める」という本質を見失っていた。
そして、「手当たり次第受けてみる」作戦の決定的な問題点が浮き彫りになった。それは、熱意の不足、もしくはやる気のなさである。僕の就活のスタンスは「僕はこんな性格の人間です。採用するかしないかは、御社が決めてください。」という形であった。「どうしても御社でなければダメなんだ。」「御社で働きたいんだ」という熱意が欠けていた。それが、不採用の原因となってきたのだ。
考えてみれば、僕には、「どうしてもやりたいこと」や「どうしても欲しいもの」がなかった。企業に落ちても「別にいいや」、雇用契約が更新されなくても「まあいいや」、恋人に別れようと言われても「しょうがないや」。いつしか、僕は、何かを追い続けるということをしなくなった。
小保方さんはコネ採用だった、は本当か? に関する参考資料(一部重複)
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(4/4ページ) - MSN産経west
笹井氏「2012年12月中旬、小保方さんの研究リーダー採用の審査は、他の研究リーダーの選考と同様に人事委員会において、本人の研究プロジェクトの計画と現在の研究のプレゼンテーションをお聞きし、さらに、委員が詳細な議論を行い、研究の独創性、挑戦性、研究の準備状況を中心に評価しました。これまでの小保方さんの指導者からの評価も参考にしました。通常の手続きと同様で一切偏りがなかったと考えています。私を始め多くの人事委員は、本人と会い、話をしたのは採用面接が初めてです」
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(2/4ページ) - MSN産経west
「具体的な参加時期は、2012年12月中旬の小保方ユニットリーダー選考面接のときに始まりました。この採用を決定した際に、それまでに小保方さんと、若山さんがまとめられた論文原稿について、研究の内容や発見の重要さに比して、論文原稿の文章の完成度が十分ではなく、単にデータの追加をしても採択されるのは難しいだろうという意見が、人事委員会でも出されました。そのため、竹市(雅俊)センター長が、この論文原稿についてネイチャー誌への投稿経験などが多い私が、若山さんと小保方さんの論文作成に協力するよう依頼を受けました。このSTAP現象という新しい原理はそのとき初めて聞きましたが、国際誌に発表するだけの科学的価値の大変高いものと認識し、私は協力を受けることにしました」
「具体的には2012年12月下旬より、論文原稿の書き直しの協力を開始し、約2カ月半後の3月に、小保方さんがユニットリーダーになりましたが、直後の3月10日に、ネイチャーに投稿しました。そのときまで書き上げの支援の協力を続けました。その間、若山さんは、山梨大への移転のため、忙殺されていました。そこで、若山さんの分も含めて積極的に協力しました。また投稿前の2月前後には、STAP現象の試験管内の評価に関する実験技術の指導も行いました。さらに論文の改訂作業、リバイスといいますが、2013年4月上旬から小保方ユニットリーダーを中心に行われましたが、追加実験や技術指導も参加しました」
1. How did the STAP stem cell collaboration begin between the Vacanti lab and your group? What made you decide to team up with them? Can you please tell us more about the beginnings of this research?
Teru: Dr. Kojima (Vacanti’s lab) contacted me by e-mail to help with chimera experiments. At that time, the project looks very much impossible. That’s why I accepted. I like such impossible experiments.
First time, Dr. Obokata brought strange cells, and there was no chimera after blastocyst injection. However, nearly 2 year later, Dr. Obokata found a very good method to generate STAP cell. Then, we could obtain good chimera.
http://connects.catalyst.harvard.edu/Profiles/display/Person/65733/Network/ResearchAreas]
神戸新聞NEXT|社会|小保方さん、理研入り転機は震災 STAP細胞作製
小保方(おぼかた)晴子さん(30)は2011年3月、不安を募らせていた。研究員として米ハーバード大に戻る予定が、東日本大震災の影響で米国での就労ビザがいつ手に入るか分からない。頼ったのは現在の所属先で、神戸市中央区にある再生医療の拠点、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターだった。
なお、研究のチェック機能が果たされなかったことについては、小保方氏が他 の機関で行った研究を若山研において客員研究員の身分で継続し、その後、自ら がリーダーを勤める研究室において発展させたという研究環境の変遷や、成果と りまとめに近づいた段階に入って笹井氏と丹羽氏というそれぞれ若山氏とは独立 した立場のシニア研究者がデータの補強や論文作成のために協力することになっ たなどの事情もあるのではないかとうかがえる面がある。
(中略)
Team Leader
(省略)
Research Scientist
(省略)
Visiting Scientist
(中略) Haruko OBOKATA (後略)
Visiting Scientist = 客員研究員
若手PIの積極採用
次世代の指導的研究者の育成に貢献するため、チームリーダー等の採用においては、広く国内外へ向けた公募を行い、積
Scientists at early to middle stages of their careers will be considered. The most important evaluation criteria in this recruitment are the novelty and creativity of the research plan; those seeking to undertake new research challenges are welcomed, irrespective of their scientific background or stage of career development.
【Application and required documents】
[Application Documents]
1) Curriculum vitae, including a brief summary of research experience
2) Proposal for a five-year research project
3) Name and contact information of three references
Please write all documents in English.
[Deadline]
Review of applications will begin December 1, 2012 and continue on a rolling basis until the positions are filled.
Handling of Personal Data: All private data sent to RIKEN in application for employment is handled in strict confidentiality, and such data is not utilized for any other purpose or disclosed to any third party.
【Selection process】
Screening of application documents, presentation seminar; interviews, etc
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/life/1396778578/111
111 :名無しゲノムのクローンさん:2014/04/20(日) 03:36:53.36
ソース要
2002年04月 早稲田大学理工学部応用化学科入学、AO入試
http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/2007message.html
2007年 再生医療に転向、女子医大の研修生で大和・岡野指導
2008年04月 学振研究員DC1獲得。3年間「月20万円奨励金+年60万円研究費」
https://kaken.nii.ac.jp/d/p/08J05089.ja.html
2011年03月 ハーバードメディカルスクールVacanti lab研究員
http://connects.catalyst.harvard.edu/Profiles/display/Person/65733/Network/ResearchAreas
2011年03月 小島からの連絡でハーバードと共同研究で理研CDB入り。若山ラボ「ゲノム・リプログラミング研究」所属
http://www.ipscell.com/2014/02/interview-with-dr-teru-wakayama-on-stap-stem-cells/
2005年(東京湾の微生物等を研究 ) のソースだけ見つけられなかった。
笹井副センター長
STAP細胞・私の見方:まだ20点、本質的な研究を 笹井芳樹、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長
小保方さんの採用を審査する人事委員会は12年冬。プレゼン(研究計画の発表)から気合や真剣さが伝わり、質疑応答でも議論が深まっていく印象があった。この人なら積み上げ型の研究をきちっとやっていける、挑戦させたいと感じた。
http://science.slashdot.jp/story/14/04/16/0742236/STAP細胞問題、笹井CDB副センター長が会見
Q. どれだけの分量の書き直しをさせた?
A. natureから返されて半年ぐらいした後で、小保方氏が直したものを見て指導した。論旨がジャンプしている箇所があったので、どういうロジックで書くべきか彼女と議論しながら指導した。
Q. 小保方さんの資質
A. ゆたかな発想力がある。そして実験を進める集中力がある。ただ、同時にトレーニングが足りなかったものがある。未熟という言葉はあまり使いたくはないが、科学者として早くに身につけるべきものが足りなかった。両極端の能力があった。シニアとして自戒するのは、彼女が強いところを出すのは伸ばせたと思うが、弱いところを強化してあげることができなかった。背伸びだけでなく足下をしっかりとさせることができなかったのは自分として足りなかった。
Q. 笹井先生が囲い込んだという話があるが?
A. 所内での発表が2月だったが、ちょうどその時に不正の話になった。それまで彼女が所内で話す機会はなかった。笹井研ではプレゼン機会はあって、議論はしている。バカルディ先生の同意なしで情報を広めることが難しいことがあった。私達の判断で自由に情報を発信することは難しい状況。
Q. 人事について
竹市センター長
Q 小保方さんは未熟と言うが、そういう人がなぜユニットリーダーになったのか。
竹市 私たちの研究室のヘッドとなる人は公募だ。書類審査と、どんな研究をし、今後何をしようとしているかのプレゼンで決める。STAPにインパクトを感じて採用したが、過去の調査が不十分だったことを非常に強く反省している。
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早稲田大学のコピペ文化が話題になっているので、早稲田の理工ではコピペに対してどのような教育がなされているのかの現状を書きたい。ちなみに、私は早稲田大学の理工を5年ほど前に卒業し、某国立大学の大学院に進学し、いまはふつうの社畜である。
今になってはとても反省しているが、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではなかったと思う。もちろん全ての学生がそうというわけではないが。
早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まり、レポートの量も増え、求められるものも増える。レポートはダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である。規則は厳しい。
そこで、そのとてつもない量のレポートを量産するため、学生たちは必死にコピペを行う。先輩たちから大量に受け継がれてきた「過去レポ」をもらい、それを切り貼りして組み合わせるのである。切り貼りする手間がないときは、一字一句同じレポートが作られる。写経である。
教授陣はコピペを容認している。学生がコピペを多用するのを知っていているため、私のいたときはレポートはすべて手書きでないと認められなかった。つまり、こういうことだ。どうせ殆どの学生はコピペをするのだから、それをパソコン上でやっては何も身につかないので、せめて手書きで丸写しをさせて覚えさせよう、と。実際に何人かの先生たちはそれを公に口にしていた。写経ならまだ意味があると。こうなると、どうやって大量の過去レポを得るかが重要である。実験の成績は、コミュニケーション能力を測っているともいえる。つまり、どれだけ過去レポを集める能力があるか、だ。
国立大学にいってびっくりしたのだが、国立大学の理系と早稲田のような私立大学の理系では学ぶ環境が全く違う。私の進学した大学院では、教授ひとりにつき1学年あたり学生は3人までしか認められていなかった。しかも、研究室には実験を手伝ってくれる技術の人がだいたい雇われている。
一方早稲田の理系は、お金がないからなのか学生と先生の比率がおかしい。研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。典型的な年では1学年7〜8人くらいだろうか。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は20〜30人いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。先ほどの1年生や2年生のレポートも、教授が見るには多すぎるので、ほとんどは修士課程の学生が採点を行う。そのため、かつて自分たちが行ってきたコピペを批判するケースはない。コピペでも必ずレポートは通過する。
1年生,2年生,3年生と学年が上がるにつれてひたすらコピペを繰り返してきた学生は、卒業論文でもコピペを行って卒業する。もちろん自分で書く人もいるが(私の研究テーマは研究室ではじめての分野だったため、卒論をコピペするにもその対象がなかった)、ほとんどの人は先輩の修論や卒論をコピペする。研究をやったといっても、学部の研究レベルといえば、次のようなものだ。「すでに過去の研究によって、日本ではトンコツラーメンが作られている。そこにはよく高菜が入れられている。ただし、そこにほうれん草を入れた人はいない。そこで私はほうれん草をいれた」というようなレベルだ。少なくとも、高菜までの話はすべてコピペだ。
そうやってコピペされてできあがった卒論や修論は、教授にはほぼ見てもらえない。できあがった卒論や修論を一番読むのは、それをコピペする次の学生である。そして、一番の問題は、こうやって育っていった学生には、次のように思う人が出てくる可能性があることだ。「レポートとは、コピペをすることであり、それは普通の方法である」と。学生にとって論文を書くこととコピペは表裏一体なのだ。博士課程にいったからといって、それがいきなり変わるかというと難しいと思う。もちろん変わらなければならないが。
早稲田の理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。もちろん附属から来た学生がみんなひどいわけではないが、スクリーニングされていないので下限がない。私が在籍していた研究室には、三角関数のsinを理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。
このように、早稲田の理系はコピペで成り立っているといっても過言ではないケースがある。そのため、今回話題になっていることも、早稲田出身から言わせれば、なんら違和感はないのではないだろうか。私もコピペで突破してきたので、何も批判できない。
STAP細胞の騒動を見ていて、自分の大学時代を色々と思い出して死にたくなったからここに吐き出す。
個人的なろくでもない思い出話なので、騒動の新たな情報を得たいとか、アホな人間の話にイライラする人はそっ閉じしてください。
私は小保方さんとほぼ同世代で、あの頃はバイオ系学科が雨後のタケノコのようにポコポコ新設されていて、私もそのひとつに入学した。私の入った大学では1・2年が基礎課程で、それが終わると研究室に配属される。大学院に進学しなければ、3・4年の2年間、研究に取り組むことになる。
配属された研究室の指導教官は合理的な人だった。入室後の面談でまず、進学と就職のどちらを希望するのかを聞かれた。公務員志望だと答えると曰く、2年じゃ大した研究はできない、まして就活が忙しい時期はほとんど学校に来られないだろう、だから、あなたにはまぁ厳しくしないよ、とおっしゃる。事実、2年間で叱られた記憶はほとんどない(何度か呆れた顔はされた)。一方で、進学する同級生は、かなり厳しくしごかれていたように思う。
「どうせ2年でいなくなる学生」の扱いに困ったのは教官だけではなかった。研究室に教員は1人しかおらず(もちろん研究員もテクニシャンもいない)、学生の指導は上級生が行った。私を指導してくれた先輩は、とりあえず実験をさせておこうと思ったようだ。私は、毎日言われるがままにPCRしまくり、ゲルを作りまくり、電気泳動しまくっていた。特技はチップ詰めだった。
研究とはなんぞや、実験の意義とはなんぞや、データとは、統計とはなんぞや。アホで怠惰で意欲のない私は、そういったことに自ら興味を持つことはなかった。したがって、「質問には答えるけど、聞かれなければ教えない」というスタンスだった指導教官や先輩との相性はすこぶる悪かった。疑問も持たずにひたすらPCRをしまくり、気がつけば4年生になった。
4年生になると、教官にはっきりと「公務員試験が終わるまで、週1回の論文ゼミ以外は来なくていい」と言われた。どこまでもアホな私は、その言葉を額面どおりに受け取って、本当に週1回しか研究室に行かなくなった(就職希望の同級生でも、もう少しは行っていたように思う)。夏も終わり頃、公務員試験に全て落ちた私は研究室に戻った。その頃には、私は立派なお荷物学生となっていた。
復帰後は進学希望の同級生の下に付くことになった。相も変わらず実験の意義を理解していない私は、リクルートスーツに白衣を羽織り、ひたすら培地を作り、細胞の世話をし、あとPCRをした。
指導教官は就職希望の学生に対し、最終的に学科の卒業研究発表会だけ出ればよく、卒論を書かなくてよいと言っていた(カリキュラム上、提出は必須でなかったらしい)。が、4年生の初冬、全員提出するよう方針転換された。まあ当然だろう。私は大慌てで論文を書いた、というよりも、でっちあげた。先輩の修論をコピペし、よく撮れた泳動画像を使い、細胞の蛍光画像からは都合のいい部分を切り抜いた。私は、論文の書き方どころか、データの取扱いすら学んでいなかった。
こんな私でも卒業が認められ、なんとか就職も決まった。もちろん研究職ではない。その後いろいろあって、今は大学で学んだこととは一切関係のない職場に勤めている。
今でも、科学の話は好きだ。科学に関する本やテレビ番組は好んで見るし、科学館のようなところも行く。自分で言うのもなんだけど、これでも学業の成績は良い方だったのだ。要は、教科書的な「おべんきょう」は好きでも、自分で何かに疑問を持ち、それを追求することの適性はまったくなかったのだろう。
小保方さんの華々しい(今となっては物悲しい)会見の後、にわかに「リケジョ」という言葉がクローズアップされた。文系出身の同僚に「増田さんもリケジョだよね!」と笑顔で言われると、違うんだ、やめてくれ、と居たたまれない気持ちになった。私はただ理系学部を卒業しただけで、科学の作法も何も身に付けていない、ただのアホな女だ。
今回の騒動は残念だけど、これで「リケジョ」という言葉が巷で取り沙汰されなくなると思うと、少しだけホッとしている。
(念のため、この話は私というアホな女の一例であり、立派な女子学生・女性研究者は大勢おられます。どうか「これだから女は」と一般化しないでくださいね。)
(追記)
筆記は通ったんです(言い訳)
(追記2)
rosaline やりたい事もないのに何故その学部を選んだのか、なんてツッコんじゃいけないのかな(後略)
高校の生物IIで教わった内容をもっと知りたい、勉強したいと思ったのでバイオ系を選びました。
今から思うと、専門の教科書に基づく授業を受けて、どんどん新しい知識を吸収できた基礎課程が一番楽しかったです。
「やりたい事」が「研究」ではなかったということなんでしょうね。
今でも生物系の話は興味あります、ニュースになれば色々調べながら見てますよー。
(追記3)
話題になっている↓この記事に共感できる箇所があったので追記します。
研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は30人強いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。
早大ではない某私大でしたが、この人数比はおおよそ似たようなものでした。全体にもうちょい少なめ。旧帝大出身の人から、研究室あたりの学生数が2~3人/年だったと聞いて驚いたのを覚えています(向こうも驚いていた)。
今となっては、そりゃ圧倒的にリソースが足りないんだから、先生だって進学/就職でスクリーニングするわな…としか思えません(ちなみに、進学はさらに内部進学/外部進学でスクリーニングされます。これも仕方ない)。
ブクマたくさんありがとうございます。同意くださる方がいらして少しホッとしました。
同時に、じゃあ私たち(と言ってしまいます)のような「理系のテーマの『お勉強』がしたい」高校生は、どんな大学の、どんな学部を目指せばいいんでしょうね? 放送大学ぐらいしか思いつきません。
新卒で入社したベンチャー企業を4年で退職し、キャリアップにつなげ今の会社で好きなことを仕事にしている。
リア充アピールしまくっていたら、なぜ新卒でベンチャー企業に入社しそれが今やってることに反映されるのかを聞かれるようになった。
時期的にもちょうど良い時期なので、その辺のことを書いてみる。
僕はキャリア形成の途中だからえらそうなことは書けないので時系列で書いてみる。
当時僕は修士課程で、研究室のメンバーはバケモノだらけで「研究」という仕事に自信喪失していた。
当時、僕はリーマンショック一期生で、外資系企業は入社したくてもそもそも募集していなかったりした。
そんな中で僕はベンチャー企業ばかり受けていた。
「企業という組織で働く意味を考えろ。スケールメリットを得るために企業に入社するんだ。
大企業に入ってからベンチャーへは転職できるけど、逆はない。」
と、言い。この2つの理由から僕の就活スタイルを否定していた。
僕はそのとき、良くも悪くも自信過剰でどこへ行ってもうまくやれると思っていた。
だから、大企業メーカーやインフラみたいなところへ行くのは同期に任せて、僕は唯一無二の経験が得られるような選択をしたかった。
起業するとかも選択肢としてはあってうまくやれる自信もあったが、それは当時は現実的じゃなく準備不足だった。
だから、先生からの助言は無視してベンチャー企業へ新卒として入社することにした。
その部署に配属された経緯は説明されなかったが、たぶん僕の学歴が高かったおかげだと思う。
この部署ではいろいろなことをやらしてもらい、いろいろな困難がありたくさん悩めた。
上司や先輩もほどよい距離から見守ってもらい、成長できたと思う。
移動先はあまり目立たない部署とは言え、社内でも比較的中心的な部署だった。
しかし、新しい仕事は割り振られず、チームで問題が発生しても議論に入れてもらえずチームの仕事をすることができなかった。
このときこのままではキャリア形成が止まると焦り転職を考え始めた。実際に転職する2年前のことだ。
このときから僕がもし今転職したらどういう履歴書になるか、それはどれくらいの価値なのか、を意識し始めた。
余談だが、「転職したいわー。やめたいわー。」と言ってるやつに限って会社辞めないし転職活動もしない。
部署は変わらなかったが、社内でも困難な仕事をふられるようになった。
このとき、今の経験は履歴書に書いても評価されると考えていた。
実際、転職時に役に立った。
ハードスキルもそこそこに、リーダー経験もついたため履歴書にハクがついた。
このとき、わずかにいる社内評価が低い同僚にいらいらし始めた。
彼らはチームプレーが苦手で、個人プレーとしての評価も低かった。
きっと彼らは望んで企業という組織に参加したのではなく、消極的な理由でここにいるんだろうと思った。
研究室の先生の助言を思い出し、あんな当たり前のことを知らずに生きている人間がいることに驚いた。
急に今の仕事がつまらないものにみえ、今まで楽しかったことも楽しめなくなった。
部署異動を願っても、本当に自分がやりたい仕事はこの会社にはないように思えた。
そう思ってくると、手が動かなくなって目の前の仕事のパフォーマンスも下がり、このままでは社内ニートにまた戻るのではないかと思った。
急いで転職エージェントと手当たり次第面談し、ソーシャル求人で手当たり次第会社訪問した。
このときは新卒時と違って、自分が何が得意で何がしたいかわかっていたし、その根拠となる経験も示すことができ楽に就職活動ができた。
転職に際し、いくつかのキャリア形成に関する本を読んで悩み、家族とも相談し、結局大手の会社に行くことにした。
研究室の先生が言ってたベンチャーから大企業へいけないはうそだった。
なんで今の会社に入ったかは、自分の今後のキャリア形成を考えた上での判断だ。
だけど、ここではこのことについて触れない。
現在は、自分の100%を僕がやりたかったことに集中できていて、仕事も楽しい。
こう言うと業種・職種を180度変えたように聞こえるかもしれないけど、ほとんど変わってない。
だけど楽しい。
転職後、転職後の会社で新卒で入ってきた同僚と僕を比較すると、
ハードスキルは負けているところはあるが、ソフトスキルで十分勝っている自信はある。
ハードスキルも一部の能力では十分勝っていると思う。
転職して間もないので自信を持って言うことはできないが、ベンチャー企業へ行った経験はよい経験だった。
なにが有益な情報か分からないので、こんな小学生みたいな作文を書いてしまった。ごめん。
僕が思うのは、新卒の就活時にハードスキルがなさ過ぎることに対して必要以上に卑屈になる必要はないと思う。
もちろん、学会で賞とったとか有名OSSのコントリビュータでcommit数何件とか、そういうハードスキルの証明になるようなことはアピールすべきだと思う。
けど、それがないからって卑屈になる必要はなく、自分のソフトスキルをアピールできれば良いと思う。
生活費はすべて奨学金(学生支援機構の一種と二種併用)。修了後に専門を活かして仕事しようとするなら必然的に自営業みたいになる。というか食っていける業界じゃない。
これって、融資をうけて開業するくらいの危ないことやってるんじゃないかと思う。
とはいえ院試をうけたときはそれなりに勝算があると思ってたはずなのでその根拠を思い出して書いてみたらアホみたいな根拠しかなかったのでここに晒します。
○体力はある
○子どもを持たない覚悟がある(どうやったって出産のため数ヶ月は仕事できない期間ができてしまうので)
○同じ専攻を出た先輩でなんやかんや一学年一人くらいはいまのところ業界にとどまって生きてるひとがいる。(非常勤講師とかしながらの極貧生活)
○一般に生き残りが厳しいと思われている業界だが(だから)、じつは生き残ろうとしてる母数が少ない。自分は一般職につく能力が欠如してるため業界にしがみつくモチベーションが高い
○教授に可愛がられてる
>なんで大学院に進学したの?
何で入ったのかと言われると、もう学部で就活する気がなかったから、としか言いようがありません。
いま振り返ると、モラトリアムの延長程度と思っていたんです。やる気のある修士の方に顔向け出来ません。
関係ある仕事したいけど、、あなたのまわりでみんながみんなそんなうまくいっていますか?
>少なくとも、学部までは見聞深めるために色々見て回るやって回るのが当たり前とさえ思うけど、
>大学院に入る以上はある程度その専門を将来に活かす事あ目的であるべきだと思う。
>研究だってただじゃないし、それにどんだけ税金かかってるか。
>研究室によっちゃ博士に残らないのが当たり前な所があるみたいだけど、
>正直、就活やら授業やら、さらには修士論文を書くための時間を考えたら実質半年くらいしかまともに研究できないのに、
>修士卒のが圧倒的に待遇が良い、っていう就職先のためのロンダだってはっきり言うなら分かるけど(肯定は絶対しないけど)
>こういう、最初から就職するつもりだけどまじめに研究室に行きたい、って人の意味がよくわからない。
>最初から就活するつもりなら大学院なんて行ったって研究なんて出来るもんじゃないよ。
>だから、最初から開き直ってる回りの馬鹿と比べて、どっちか、と言っても正直どっちもどっち。
こんな言い方したくないんですけれど、あなたは優秀なんだと思います。
修士の学生はあなたのように思えるほどみんながみんな優秀ではないと思うのですよ、、こんな言い方でごめんなさいね。
どっぷり研究しても成果が残せないかもしれないというプレッシャーや、開き直って就活しても失敗するリスクに負けて…
なんで大学院に進学したの?
少なくとも、学部までは見聞深めるために色々見て回るやって回るのが当たり前とさえ思うけど、
大学院に入る以上はある程度その専門を将来に活かす事あ目的であるべきだと思う。
研究室によっちゃ博士に残らないのが当たり前な所があるみたいだけど、
正直、就活やら授業やら、さらには修士論文を書くための時間を考えたら実質半年くらいしかまともに研究できないのに、
修士卒のが圧倒的に待遇が良い、っていう就職先のためのロンダだってはっきり言うなら分かるけど(肯定は絶対しないけど)
こういう、最初から就職するつもりだけどまじめに研究室に行きたい、って人の意味がよくわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20130220004202
の続き
ここはぼくが今までの経験から進路について思うことをQ&A方式で書いておくね。
もちろんぼくの個人的な意見だから絶対に正しいとは言い切れないけど、結構参考になると思うよ。
少なくとも、単に合格実績を上げたいだけの予備校や進学校の進路指導よりは何倍もいいと自負しているよ(笑)。
A.バイオ系は広い。
対象は野山に出て動物植物を追いかける研究もあれば、研究室で毎日細菌相手に実験ってのもある。
一方、応用研究とは、「基礎研究で得られたものを利用して人類に利益をもたらすための研究」のこと。
応用研究をメインにしているのは、医療系(医学部・保健学部・薬学部・歯学部)・農学系・工学のバイオ系。
基礎研究をやっているのは主に理学部だけど、理学部だけってわけじゃなくて、応用系の学部でもそれに近い研究室はある。
だから基礎は応用系の学部・学科に行っても学ぶことは可能だよ。
また、よく基礎研究を高校の勉強で言うところの「基本」と勘違いしている人がいるけど全然違う!
高校の教科書に出てくる練習問題の基本問題ってのは単に簡単な問題ってこと。
一方、基礎研究とは応用研究に比べて簡単ってわけじゃなくて応用性を持たないってこと。
応用性がある方がおもしろいと思うか、ない方がおもしろいと思うかは人それぞれだからそのあたりは
きちっと考えた方がいいよ。
文句を言ってもそれはきちんと選ばなかった自分が悪いわけだからね。
あと思うのは、最近では「環境」って名の付く学部や学科が結構あるけど、ぼくはそこには行かない方がいいと思う。
18歳人口が減っているのに、大学で学部・学科が増えているのは単純に収入源を確保したいだけなんだ。
だからそういう新設学部に行ってもきちんとしたことを体系立てて勉強するのは難しいし、就職でも企業は判断が
きちんと環境について学びたいなら、工学部や農学部のような100年以上の学問体系を持った学部に入ってそこで
きっちりと勉強すべきだよ。
そしてそういったことができる企業や官庁に入って仕事として環境をよくする方向を目指すべきだと思うよ。
A.医学部以外は基本的には大学4年生になると研究室に配属になってそこで卒業研究をやるよね。
たいていの場合は学生は一人では何もできないから先輩から教わりながら研究をやる。
就職活動時期は3年生の後半~4年生の前半だよ。
高校生の中には「そこそこ以上の大学なら、理系の就職は推薦制度があって特に就職活動をしなくてもあっさりと
有名企業に決まってしまう」と思っている人がいると思うけど、それは主に工学部の電気電子機械系で
バイオ系は基本的に推薦制度がないから自分で探さないといけないんだ。
しかも大卒(学部卒)の場合はバイオの企業の理系職(研究開発職)に就くのはまず無理だから、文系的な職種や
公務員・教員に行く人だけが大学院に進学せずに就職活動をしているね。
一方、バイオの企業の理系職(研究開発職)や国公立の研究所の研究者を目指す人は大学院に進学する。
このときの就職希望者は大学院の最初の2年だけ大学院に行って(修士課程という)、就職していくのが一般的。
このときの就職活動時期は修士1年の10月~修士2年の夏くらいまで。
じゃあ、肝心の就職実績はどうかと言えば、これがかなり厳しい・・・。
バイオ系の企業って主に製薬系と食品系に別れるけど理系職の採用なんて1社あたりせいぜい
15人程度しかないんだ・・。
そのたった15人の採用枠を巡って数千人が応募するわけだからかなりの激戦だよね。
せっかく高校時代に夢を持ってバイオ系に進学したのに6年も経ってから希望が叶わなかったなんてそれはないよね・・。
ほんと厳しい・・・。
じゃあ、希望の就職ができなかった人はどうするかってことなんだけど、人それぞれだよね。
希望じゃない職種で就職する人や無職になる人、仕方なく博士課程まで進学する人。
バイオ系の学部・学科のHPで就職先をきちんと書いていないHPが多いのはこういう理由なんだろうね・・・(汗)。
3年で卒業(修了)できる場合はかなりのやり手であって、+1~2年くらいは修了は遅れることは
当たり前だと思った方がいい。博士課程はきちんとした研究成果を上げないと修了できない制度だから、
博士に上がる前に自分の力量をきちんとわきまえておかないと何年経っても修了できなくて
ドロップアウトってことはよくあるんだ・・・(汗)。で、めでたく修了できても就職先はないことが多い。
研究所に就職できたとしても、ふつうポスドクって身分になるんだけど、そのポスドクになるのはかなり難関で、
なれたとしてもポスドクは2~3年の任期制だからその間にきちんとした研究実績を上げられないと
あっさりクビになってしまうんだ。もちろんそこでクビになったら別の就職先なんて見つけられるわけない!
だって30歳近くになって会社勤めしたことない人を雇いたいって思う会社なんてあるわけないでしょ・・・。
基本的に研究者の世界は芸能界やスポーツ選手の世界だと思った方がいい。
ほんの一握りのできる人だけがのし上がっていけて、他の能力のない人は消されていくんだ・・・。
A.バイオ系の場合、大学院入試(院試)は大学入試と比べるとものすごく簡単。
そのまま同じ研究室で上に上がるだけなら、院試前に1~2ヶ月勉強すればあっさりと受かってしまうものだよ。
同じ研究室にそのまま上がっても入学後の1日の生活は基本的には変わらないよ。
だから、同じ研究室に大学生と大学院生という身分の違う学生が2種類いることになるんだ。
おもしろいでしょ?
別な大学院に行きたい場合は、行きたい研究室の先生と事前にメールとかで連絡を取ってその研究室に挨拶に行こうね。
院試も外部受験だと内部で受けるよりハンディはあるけど、研究室訪問をしたときに何とか院試の情報を先輩から
聞き出して(先生からは聞かない方がいい)、有利に受験を進められるようにしようね。
注意しないといけないのは、大学院には2種類あって『研究大学院』と『専門職大学院』があるんだけど、
バイオ系の学生が行く大学院はふつう研究大学院。研究大学院は「単に研究をのみするところ」なんだ。
一方、専門職大学院とは、最近注目されている法科大学院や会計学大学院のように「特定の専門職に就くために
法科大学院は司法を目指す人を養成するところだし、会計学大学院は会計士を目指す人のために大学院だよね。
よくある勘違いは、研究大学院なのに専門職大学院のような期待をして進学することがあるんだけど、
これは大きな間違いだよね、研究大学院ではいろいろなことは学べないよ!普通は特に資格も取れないよ。
A.悲しいけど、ただの「使いっパシリ」としか思っていない先生が多い。
大学の先生ってのは自分の研究室の研究業績が上がることで、自分の名声もあがるシステムになっているから、
できるだけ多くの学生を研究室に所属させて、その学生にいろいろ研究させたいと思っているんだ。
研究室の基本的な生活って、毎日に朝9~10時くらいから夜11~12時まで実験ってことが多いから、
人を雇おうとしても激務すぎて労働者は寄りつかないし、先生も給料を払わなければならいから、
タダで使える学生に研究をさせて研究室の名声を上げようと考えている先生が多いよ。
先生も安定している職業じゃないから、いい研究成果を出せないとクビになってしまうこともあるからね。
もちろんすべての先生がそういうわけじゃないから、どの先生につくかはきちんと噂などをゲットして考えた方がいいよ。
A.こういう質問が出るのは将来のことをあまり考えていないからだよね。
そういう場合はまず自分がどういうことをしたいのか、あるいはどういうことをしたくないのかを
きちんと考えるようにすることが先決だよ。もちろん、一人で机に向かって考えるだけじゃ答えは出ないから、
いろいろな人と話したり、バイトをして職業について考えてみたり、ネットでいろいろな噂を見て判断してみるのがいいよね。
それでも決められない場合、あるいは同じくらい魅力があると思える場合は、ぼくだったら次のようにするよ。
まず、医療の研究がしたいなら、医療系の学部(医学部・保健学部・歯学部・薬学部)に進む。
どれも難関だけどね。
それ以外のバイオ系の学部では人を対象にした研究は基本的にはできないから、入学後
フラストレーションがたまるだけだよ。もちろん医療系の学部と言ってもいろいろあるし、学部や大学に
よってもやっていることが全然違うから自分のやってみたいことができるような大学・学部を選んでね。
そのための情報集めは怠らないように!!
医療の研究に直接興味がないなくて、バイオ系と電気電子機械系を天秤にかけるなら、
やはり日本は電子立国だからこれらの学科だったら就職に困ることはまずないからね。
学生1人に対して求人企業が10~50社くらいあるから引く手あまただし、この系統だったら
確かに最近は推薦制度でも絶対に採用されるわけではなくなりつつあるけど、それでも普通に就職するよりも
ついでに書くと、機械メーカーへは機械系よりも電気系の方が入りやすいし、
一番悲惨だと思うのは、基礎研究に興味がないのに理学部に進んでしまう人・・・。
別に生物学科に限らず理学部は基礎研究しかしないから、「人の役に立ってこそ研究」と考えている人は
理学部には絶対に行ってはいけない!間違って入ってしまった人は再度大学受験をやり直して応用系の学部に行くか、
大学院で応用に移ろうとする人がいるけど、院試の科目が違いすぎてなかなか受からないし、受かっても
就職では企業は学部時代にどんな勉強をしていたかを大事にするから、かなり不利になってしまうよ。
ぼくの個人的見解としては、基礎研究に興味があっても、学部はとりあえず応用系に進んで、
きちっと技術や資格や免許を取得したうえで、同じ学部にある基礎の研究室に行くか、理学系に進学するのが
いいだろうね。
基礎しかやらない理学部に入ってしまうと技能とか資格・免許は取れないものだから(教員免許以外)、
以上
まず、修士課程に進んで、研究ばりばり頑張りたいっていう人こそ、院の推薦はとるべきではないと思う。
うちの大学に限ったことなのかもしれないけれど、推薦はかなり早い段階(5月とか6月)に決まってしまって、
そのうえ誓約書も書かされるから、基本的に変更がきかない。
でもその時期って自分にその分野が合っているのかとか、研究室の雰囲気と合うのかとかよくわかんない
時期だから、もし合ってなかったとすると、10月とか11月くらいにすごくやるせない気持ちになると思う。
なので、ある程度の期間研究室に在席して雰囲気とか確かめてから行き先を決定できる一般の院試を
受けたほうが良いとおもいます。
希望だった研究室に配属が決定して、4月の段階では、この研究室で院に行こうって思ってました
幸運にも推薦で院試をほぼパスできるような成績だったので推薦をとって、そうそうに進学を決定しちゃいました
でもこれが良くなかった。推薦を取ったのは完全に失敗だった。
卒論提出も目前というこの時期に、推薦を取ったのにも関わらず、進学してこの研究室にいたいと一切思えない。
実験でとったデータを解析するためのプログラムを書いていた時期はすごく楽しくて、そこと院試を受けた時期が
でも、プログラムが大体完成して、実験を繰り返すような時期になったら全くと言っていいほど楽しくなくなった。
今いる研究室の分野はサイエンスなんだけれど、なんというか、自分の作ったものに対する実験 ができないのが
辛い。辛いというか、そこに楽しみを見いだせない。
自分が作ったものがうまく動かないとか、良い結果が出ないとかで成果が全然出てこないのは凹まないし逆に
頑張りたいって思えるのに、「新しい事実を明らかにするための」データ解析は全然楽しくない。
このままの状態で頑張ろうとしたら、確実に修士でドロップアウトするとおもう.
http://d.hatena.ne.jp/next49/20100207/p2 で書かれているような感じで研究技術の習得を目的に通って博士課程で
(受け入れて頂けるのなら)研究室を変えるのか, それとも推薦とったし、人としてどうかと思う、とか言われたり
指導教員の専攻内での立場がものすごく怪しくなるだろうけど、進学を蹴って院浪みたいなことをするのか。
でも院浪みたいなことして、興味が持てるところへ行きたいと相談するだけで指導教員の先生は気分が悪くなるだろうし、
それでそのまま2年頑張ることにしても研究室内での立場がかなり悪くなるだろうから、指導教員にこの相談を
するのはかなりの賭けになりそうで怖い。
このまま進学したらだけれど、こんなモチベーションの低いM1一人だけが先輩になる一つ下の学生さんたちには
ものすごい申し訳ない気持ちになる。
全然まとまってなくてごめんなさい。
叫ばせてください。
「研究者」として生きていくのは、いい。自分の好きなことだからがんばれるし、ほぼ実力主義の世界だから男女差別もあまり感じることはない。いわゆるガラスの天井の問題も研究の世界では少なくなってきていると思う。でもそれは常に競争の中を生き残っていかなければならないということでもある。
ここで研究者の人生についてもう一度考えてみたい。高校卒業後、大学進学、研究室に入って学部卒。ここで22歳としよう。まだぺーぺーだ。修士課程の二年間で研究者としての資質を見極められ、認められた場合は博士課程へ。ここで24歳。そしてそれから短くて3年間、文系だと大体5~6年かけて博士号取得。ここには3年で博士号をとれる理系はポスドクで留学、文系は留学してから博士号、という違いがありそうだけれど、いずれにせよ博士号取得&留学で通算5~6年かかるという計算だ。つまりなんとかして研究者の「免許」をとったところで、だいたい三十路前後。
三十路にさしかかった研究者の卵はこれから数年間で、バイトなりポスドクなりしながら、研究の業績を積み、非常勤講師をしながら教育の実績を上げ、一年に一回あればラッキーなアカデミックポストの募集に応募を続けることになる。もちろんその募集には他の優秀な研究者たちが100人単位で応募してくるし選考の条件もさまざまなので、最終的には実力だけじゃなくて運だ。2、3年でアカデミックポストにつけた人は超ラッキー。5,6年以内に常勤の職を見つけられればいいな~というところ。そうすうると30代半ばになる。100人単位の応募者蹴落としてやっと大学の講師になれました。大学側も教員のポスト減らされて困っている時に待望の若手の登場です。雑用、教育、研究に八面六臂の活躍を期待されるわけね。
そうやって仕事がんばって数年がすぎたときふと気づけば、出産のリミットを超えてしまっている。
ものすごく頑張ればこの人生の中でも出産ってできると思う。でも、周りを見てると同年代か少し上で結婚・出産に至っている人は、博士課程かポスドクの時点でキャリアから降りてる。もっと上の世代になると「結婚すべし」「出産すべし」っていう価値観というか社会的プレッシャーがあったから、女性研究者でも子供をもっている人は多い。でもね、話を聞くと壮絶なのね。「女」ということで表立って差別はしないかわりに「母親」ということで差別する。出産したことそのものを隠し通した人もいたとか。
そうやって上の世代ががんばってきたから、我々の世代が男女間のギャップを感じないで研究に打ち込めるっていうのはわかっている。だから研究を口実に結婚出産をしないということに申し訳ない気持ちにもなる。ただ一方で言えることは、上の世代は今よりずっと就職しやすかったということだ。昔は博士号もとらないでよかったし、キャリアが若干出産で遅れても、十分アカデミックポストを見つけることができた。あるいは定職についてもまだ若かったから、仕事が落ち着いてから出産することも可能だった。でも今はそうじゃない。博士号とって研究業績の本数(質じゃなくて)を積み上げないと、スタートラインにすら立てない。言ってみれば「研究者の修業期間」が昔と比べ物にならないくらい長くなっている。それを普通にこなしているだけで、出産リミットはオーバーだ。
博士課程からポスドクにかけてはいろいろな意味で不安定だ。金銭的な面でもそうだし、明日どこで何をしているかもわからない。ポストがあればどこにでもいく、というスタンスでないと就職は難しい。僻地の、小さな大学の任期付講師の職にすら、応募者が殺到する時代だ。「定職ありません」「どこに住むことになるか分かりません」「いつ就職できるかもわかりません」この状態で結婚できるだろうか。いや、できまい。結婚どころか恋人をつくるのも難しい。ただでさえ高学歴(学校歴のほう)で敬遠されるのに。
それでも男性はいいなと思う。30歳代なかばから40歳代にかけてアカポスについたころに結婚して子供持っていいパパになれる。産休とる必要ないしね。出産の予定があるとか、小さな子供がいるということが採用の妨げになることもないし。
でも女性は? まず20歳代後半から30歳代前半にかけての「産みどき」にワープア状態になる。このときに結婚していまどきめずらしい専業主婦しながら研究続ける、といっても実際この激しい競争のなかでそういう人はふるい落とされて消えていく。じゃあアカデミックポストについたときに出産できるかっていったら、それも普通の心臓のひとには難しい。上にも書いたみたいに、待望の若手として研究室の期待と雑務を一身に背負っているのに、就職して1-2年で「じゃあ、産休、育休とりますんでよろしく♪」と言えるだろうか。(言える人もいるらしいよ。そしてそのせいで、その後のアカポス募集のときに女性応募者が敬遠されることに… 大学講師の採用面接で「出産の予定は?」と聞くとかアカハラも甚だしいんだけど、それだけ大学側も厳しい状況にあるということのあらわれでもある)
まとめ
1.「私、研究するから職に就くまで養ってね♡収入ないけど忙しいから、家事育児協力してね。遠距離別居婚になるかもだけど我慢してね」と夫に言える
2.アカポスについた時点ですぐに仕事投げ出して産休とって出産できる
このどちらかができるくらい心臓に毛が生えてないと、女性研究者が結婚というか出産するのは難しい。
なんとか出産に辿りつけたとしてもただでさえ忙しい仕事こなしながら子育てしていくのは難しそうだな~と思う。子供は大好きだし本当に欲しかったけど、自分はたぶん無理だ。それは研究がそれだけ大事だ、ということなので単に自分のわがままなんだと思う。私は研究を犠牲にしてまで子供を持つことはできないということだ。研究者仲間の男性がその両方をやすやすと手に入れていくのをみると、少し悔しいというか悲しい気持ちになるけど。
出産、育児して社会に貢献できなくてごめんなさい。そのかわり一生研究がんばります、教育もがんばります。そういう形で社会に貢献していこうと思うので、子供産めなくても許してください。一応の「研究者」になるまでにどれだけの支援を大学や国や諸々の機関から受けてきたかということを考えると、自分が研究を捨てて家庭を持つということはモラルとして許されない気もするのです……
以上、女性高学歴ワープアの苦悩をお伝えしました。そんなこと言ってないでとっとと論文書けよ、明日の飯もおぼつかないぞ、という悪魔だか天使だかの声が聞こえてきたのでここで筆を置かせていただきます。
ふと思いついたのでメモ書き (c.f. http://anond.hatelabo.jp/20120519214834 )