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はてなキーワード: 都市とは

2023-01-11

anond:20230111114248

人類が生まれたのは500万年

そんな人類が農耕をして文字を持って都市に住んで法を使って知的生活を行うようになったのはほんのここ一瞬

それまではずっと暴力的な男に性的魅力を感じやすい女のほうが有利(遺伝子を後世に残しやすかった)なのだから、ここから淘汰して変えていくには膨大な世代必要

2023-01-10

anond:20230107232634

全く東京じゃないんだけどアナってバンドの274便って曲が福岡空港から東京への最終便を歌ってて「天神の街」とか「都市高」ってフレーズが出てくる

俺は博多には行った事無いけど東京とはまた違った素敵な街なんだろうなって憧れるんだ

2023-01-09

首都圏に生まれたかったなぁ

まぁ肌汚いやつ多いか都市すぎても嫌だけど

2023-01-08

anond:20230108124341

果たして核戦争なんかで滅ぶかな

核ミサイルは主要な都市施設に向けられていて辺境カバーしていないでしょ

よしんばしていたとして、最後に生き残った陣営が同時に相手を標的にしたミサイルを発射でもしないと滅べない

諦めてゴミみたいな日常にもどれ

東日本ってさ西日本都市に比べると独立心ないよね

東日本ってみんな東京植民地って感じ

anond:20230107174546

✕再配分

○再分配

しかし、昔は自民党が再分配重視(ただし地方に金・インフラ施設費を引っ張る)で民主党はそれに抗う都市政党として人気、という位置付けだったはずなのに、小泉あるいは橋龍あたりからイメージが変わってもう中年世代でも増田みたいな印象何だな。

2023-01-07

蒼い土煙

時は13世紀、世界帝国モンゴルの小さな軍団が、

要塞堅固強兵で名だたる強大な都市国家に襲いかかります

都市の強みはなんと言っても地形を生かしつつ、

代々に渡り何重にも巡らした堀や城壁

かつてどのような侵略者も一度もこれを破ることは、

叶わなかった。

一族言い伝えには、

要塞を出て戦ってはならぬ、

ひたすら塀を厚く高く、堀を深く大きく、

いつか東方からやってくる蒼き狼も、

これを食い破ることはできない、、、。

400年に渡りコツコツと造営された城壁はもはや

絶峰のように積み上げられ、

日々更に積み上がっていった。

さてモンゴル軍、

反撃を受けると多くの戦死者を残して、

意外にもアッサリ

逃げ始めます

それに、先方に立った歩兵傭兵なのか、 。

ロクな装備ではありません。

騎兵と見ると馬は驢馬の様に小さく、兵士甲冑も貧弱です、

敵は弱し、逃がしてはならじと追うのですが、

の子軍団ども、延々と遁走を続けます

深追いはならじ、要塞都市に引き上げると、

意外にも又攻めてきますが、

又又貧弱な歩兵隊が大敗して騎兵が遁走を繰り返します。

3年にわたり

弱いのに、只々、数万の犠牲を払って

ハエのように襲いかかる軍団

いつからか、狼どころか負け犬ハイエナ軍団嘲笑する声も、、。

剛腕と武勇で知られた若き王はまさに人気絶頂

白兵戦では常勝、味方の損傷はほぼゼロに近い、

近隣の小さな村々で卑怯な略奪放火強姦を繰り返すモンゴル軍、

村長からも嘆願の声が、、、。

そんなある日、

城外に討って出ることに一番反対していた、

皇太后密偵の手にかかり場内の寝室で惨殺。

遂に決意した総大将隣国の協力も取り付け、

10万の連合軍で大追尾の命令を下しました。

それでも反対する幼馴染の大臣の家から

大量のモンゴル帝国金貨皇太后暗殺手紙が、

密告により発見

疑心暗鬼の中処刑は断行された。

今年の収穫や交易の時期も迫っています

それに実は、

三年間塩の流通路を絶たれ欠乏してきています

今度は徹底的に弔いの殲滅攘夷命令です。

軍団の指揮は大いに上がり、

女たちも勝利確信してお祝いの用意すら始めました。

蹴散らし蹴散らし徹底追尾すると、

さなモンゴル馬と軽装備騎兵

とんでもないスタミナで逃げ続けます、。

総力戦の興奮で見落としていたのですが、

各騎馬兵は数頭の引き馬まで引き連れて、

走りながら巧みに乗り換えています

時間でも12時間でも追っ手の息が切れるまで走る、

実は人馬一体の、内蔵を揺らさない見事な走法です。

遂に追っ手の馬脚が止まった瞬間から

遠巻きに囲み矢の嵐を降らせます

追うと下がり、又矢を浴びせます

各自数頭の引き馬には、

大量の矢が積まれていました。

どうも下手な矢で大軍団の戦士には殆ど当たらないし、

戦士の堅固な鎧や盾はドンドンはじき返します。

押し問答が続くのですが、

追っ手兵士の損傷は極、軽微です。

やはりハイエナども、今日は引き上げようと号令に合わせるように

馬が泡を吹いて倒れ始めました。

馬を狙った毒矢だったのです。

城塞の方を見やると、

夕闇に紛れて蒼い不気味な土煙が、、、。

おや、更に援軍が来たのかとみやると、、

モンゴル帝国の重装騎兵大軍団が地平線を埋め尽くしています

リーダー蒼き狼の地を轟かす咆哮に、

祖先皇太后親友言葉を思い出しました、、、、。

ムスリム商人偽装し、

潜入していたスパイ城塞都市リーダーの大追尾命令を、

本軍に通知していました。

軽騎兵奴隷を使って徹底的におびき寄せられ、

密偵情報戦に愚弄され、

背後から遊撃能力抜群の主力重装騎兵大軍団に囲まれ

草原の真っ只中で脚を失った、

甲冑兵団蒼き狼にすり潰されるように、

殲滅され、

それでも、投降するもの奴隷として生かされました。

つぎの、堅固な要塞都市の前で死ぬ為です。

王は祖先城壁の前で惨殺され、

城内の士気は多いに下がる中、

三年間をかけて開発された超大型の攻城機が投入されます

実は地下には城壁を避けるトンネル

完成間近です。

この400年の都が一人残らず見せしめ虐殺されたあと、

近隣では刃向かうものは無くなり、

奴隷たちは更に西方の強大な王国戦に投入された。

自分たちが侮った罪を贖うように。

〜〜〜

この創作たとえ話は20年前に、

デフレファイターとの同質競争まり

相手土俵や戦法での戦いは、

止めた方が良いのではないかと、

知人にした例えです。

「君のやっていることはこの若き王のように、

 実は凡庸ではないか、、と。」

自分らしい

戦い方はいくらでもあるのですから

参謀情報を集めて知恵を出しあい

勝てる作戦戦場を選び、

それに合った兵の訓練や装備を固めて、

時に備えるべきです。

必ず出自自然に合わせた自分らしい、

漸進的な努力を、

平時の今こそ、、と、、。

ある理由があって、

飛行機の中で思い出したので書き留めておきました。

テーマ性の深い、映画でも作ってみたいですね。

商売も常に原点の確認です、、

皆に好かれる面白いテーマがいいですね。

お話の筋を妄想するのと、ビジネスを組み立てるのは全くよく似てますね。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

都市vs地方みたいなインターネットで悪い意味で盛り上がりやすい雑バトルの文脈接続してしまった気がする

anond:20230106105018

若者の夢を受け止められる都市日本では東京以外にないのが問題

アメリカではニューヨーク以外にもカリフォルニアフロリダボストンシカゴテキサスワシントンDCなどなどそれぞれの夢を提供している

マンハッタンには学生ほとんどいないし、買い物客も観光客ばかり

どうしてもニューヨークじゃなきゃってのは、ミュージカル投資銀行くらい

難波サンバガンバ

思い浮かんだ都市があれば旅行に行くといいでしょう

2023-01-05

カッペ東京労働者階級に夢見すぎ 

東京きて日本にもエスタブリッシュメント存在しているんだなを実感したとかならまだわかるがな

エリートリーマンFIREがどうたらって言ってる横で

40億の家が売られてたりするし

松濤1(神泉駅) 40億円の一戸建て情報

■面積約235.75坪の広大な土地

京王新線神泉」駅徒歩5分

■閑静な住宅街に佇む令和3年新築未入居物件

間取り 5LDK+3S(納戸)

 

沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地

 

そもそもこういう桁違いなの抜きにしても永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし

 

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね

anond:20230105173930

anond:20230105164708

ちょっと内陸でもなんか近海からの魚来るよね。弘前青森も魚はよかった。

だいたい北前船で栄えた地方が多いから、海から内陸の都市までの物流はしっかりしてることが多い。

すごい山奥の豪雪地帯はしらんけど。

誰だか分からない増田年賀状ょ慈顔寝田住まい楢川か誰だ(回文

おはようございます

今日から通常業務だわー

もうお正月休み気分も家に帰るまでです!って多分始業式の校長先生挨拶でもありそうなレヴェルで

2日頑張ったらまたお休みという、

とりあえずは

この2日は気力で乗り越えるわ!

スプラトゥーン3のフェスも土日あるけど

あのSF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」みがあって

外の世界に気付いてしまった住人のような私的で、

まあ多分ホラ貝ある程度集めて称号が「えいえんの~」になるまでは遊ぶとは思うけど、

あとガチャギア10個セット詰め合わせは引き当てたいわっ!

って結局遊ぶんかーいってなるけど

これ逆にさー

10億年遊べてるゲームってのも凄くないどんな内容よ?って言わば思うけど

まあそれはさておき、

今日年末年始のどっとたまったお仕事こなしてパパッと片付けて終わりたいところね。

年始のご挨拶来て頂く会社もちらほら、

私はこちらの部屋の事務所で片隅で見付からないようにしているんだけど

挨拶面倒くさいからね。

だけどまあ私がいることを分かっている人は私の所にも丁寧にご挨拶してくれて恐縮だわ。

今日はまだ年始1発目なので

いつもより32本遅い電車に乗ってみたけど、

座れるかどうかの瀬戸際で車内混み合っていないレヴェルでこの時間帯でも優雅電車に乗れるのは多分今日までな気がするわ。

昨年の今頃何してたっけ?って

書いた増田を読み返してみるものの、

さっぱり内容が私自身でも分からないので今はもうほとんどあんまり滅多なことでは振り返り増田はしないことにしているわ。

じっくり本当は見返してみたい季節も訪れるんだけど、

たぶんそんなことやってる暇があるなら前進あるのみよ!

ってこと。

あー

うそ

年賀状いただいた分のお返事書いてしまったんだけどピョンピョンとウサギだけにって

多分今年の干支ウサギだって覚えているのも多分7日までだと思うので

それ以降はすっかりみんなウサギの事なんて忘れてしまうし。

でね、

いただいた年賀状お返事書く際に

この人なんのつながりでやり取りしている人だったんだっけ?って

もはや何の誰だかよく分からない人が結構いて、

ましてや会ったことない人たちとかのこう言う年賀状のやり取りはもう惰性中の惰性しかないダサさかも知れないわ。

これって意味あんのかしら?って思いつつ、

私は印刷した面だけで送るのは淋しいので気が効くように何か一筆書いているんだけど、

本当にこの人は何の人だっけ?と思いつつ

昨年の年賀状の返事的なことも書きつつ、

なんか変な1年に1回しかやり取りが進まない通信手段で連絡を取り合っているのよね。

変なのーって我ながら思いながら、

お返事書いていたわ。

まあ万能に使えるコロナ自愛下さい的なことを書いておけば100点的な内容よ。

私なんかこのふと気付いて、

これなんで続けているんだろうって現象名前を付けるなら

SF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」の

サーガみがあるわね!ってサーガみって名付けたいわ。

その現象に。

10億年たぶん年賀状やり取りしていてもこの人誰だっけ?って

ふと外界の世界のことに気付く住人の様に

ふと我に返ってこの人もうやり取りしなくても大丈夫なんじゃね?って思うのよね。

そんな多分、

私に送ってきてくれてる年賀状だんだん少なくなってきているこの時代背景の昨今

そうやってサーガみの年賀状に気付いた人多いと思うわ。

だって年賀状配達枚数だって年々少なくなってきているって言うじゃない。

年賀状配達ニュースの出陣式でロボット配達員が

ファミリーレストランの配膳ネコロボットと戦わせたらどっちが速いのかな?

スピード的な意味でって思うけど

多分ロボット大原則の1つである最高速度は決まっているって事項の項目があるから

同程度のスピード争いなのかも知れないわ。

あの遅さは。

映画の『ワイルド・スピード』でドミニクさんもレストランのシーンであまりの配膳ロボットスピードの遅さに激怒するレヴェルだと思うわ。

エコさがマックスかよ!ってね。

そんな中、

そう不思議に思う年賀状にお返事を書いて出して、

また来年その返事が来て

年に1回ずつしかやり取りできなくて全然話が進まないのが続くのよね。

まったく

サーガみがあるわ。

うふふ。


今日朝ご飯

景気付けに元気よく大好きなタマサンドしました。

あとホッツヒーコーね。

牛乳たっぷり入れて大好きなアニメの柄で飲むのは美味しいわっ!

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーに追いレモンポッカレモンを追加しつつ。

勢い余ってたくさん買ったものの、

さすがにこの寒さではがぶ飲み出来ないわね。

減らなくて悲しー時ーって叫びたいわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-01-04

2021年に読んだ本

1月12冊)

前半では美術知的にとらえようとした。後半は生物学テーマ

2月10冊)

脳科学生物学が中心。小説ゼロ

3月12冊)

SFと平安文学

4月12冊)

平安文学マイブームが続き、続いて神林長平ヴォネガットを読み始める。

5月17冊)

英国貴族執事メイドテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。

6月10冊)

空想法律読本シリーズ経済学、それと奇妙な味短編集。

7月(16冊)

シオドア・スタージョン一角獣・多角獣」

奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。

8月(7冊)

ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。

冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。

9月(9冊)

ひたすら中国古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。

中島敦全集手紙手帳メモ書きまで収録。

10月(10冊)

アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。

11月12冊)

歴史に関心が移る。アイヌ民族について知りたくなる。

12月(13冊)

アイヌ民族から琉球視点を移す。

漫画(19冊)

やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。

美術展など

コロナで回数は少なめ。

映画

プーと大人になった僕

パディントン

「イェスタディ

JUNK HEAD」★★

「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」★★★

雑感

生物学脳科学歴史SF海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。

一方で、日本古典文学にも少し手を出した。

また、「聊斎志異」「西遊記」「三国志演義」と長めの中国古典に取り組めたのは良かった。

2022年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2023-01-03

音だけを聴いて耳を澄ます増田スマスマスを耳定期を毛だと雄(回文

おはようございます

何となくもう平常営業よ。

夜は24時前には寝て朝は6時に起きる規則正しい生活で乱さないことが増田プロへの1歩への道よ!

そんなことで、

あんまりお正月年末年始テレビってほとんど全然観てないわ!

たまたまエヌエイチケーの紅白つけたら氷川きよしさんがドラゴンボール超主題歌歌っていてそこだけ見たわ。

紅白合戦とは?と問うぐらいそう思ったわ。

それだったら

テレ東のセットばっちり組んでコントのセットみたいな中で歌う演歌番組の方がよっぽど歌合戦感みがあって、

藤あや子さんが営んでいる小料理屋って設定でのカウンターの中で歌うその歌の後に、

にっかぽっかを着た、

あれがにっかぽっかなのかよく分からないそれなんてワークマン?って聞きたいぐらいだけど

多分港の漁師って設定だと思うの。

料理屋の女将演じる藤あや子さんが歌った後

その港の漁師の設定の吉幾三さんが

マイタケじゃない方雪国の好きよ~あなた~ってカウンターで歌うの渋すぎるわ。

沁みるー!

これが本当の日本の年越し歌謡ショーじゃないの?そう思うわ。

そんなわけで、

私はあんまりテレビも観ていないし何してるかってーと

そんなに実はスプラトゥーン3もSF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」みがあって

外の世界に気付いた人間になってしまたから、

とりあえず

ログインボーナス最近バイトはしていないけど

とにかくログインボーナスの7500ポイントと今は勝ったらホラ貝もらえてガチャ引けるから

実質1回以上のガチャとそのログインボーナス勝利7500ポイントしたらやめちゃってるぐらい。

と言うか、

持ちブキがセブンファイブオーライダーで熟練度5つ星達成した燃え尽き症候群はありそうでないけど、

次持ち替えたブキのジェットスターは立ち回り方が違って、

サブウエポンのキューバボム活用した立ち回りになるから

セブンファイブオーライダーではほぼあんまり活用しにくいラインマーカーとは違うから

サブ使いまくりまくりすてぃーなのよね。

そんでギアの振り方も考えないとセブンファイブオーライダーと一緒のコーデだと戦えないわ!

サブ強化とサブインク消費減とインク回復アップと

ジェットスターのコーディネートはこーでないと!ってぐらいな勢いでギア構成をブキの特性に考えて変更して戦わないと戦えないわ!

それに気付いちゃったし

そんでね、

サブ強化アップしたら何が違うんだろう?って比べてみたら、

キューバボムの飛距離が笑うほど全然距離飛ばせて笑うわ、

私の実感だとシューターで最長のインク距離セブンファイブオーライダーと同等ぐらいキューバボム投げられるから

これ戦線押し上げるのに結構効果的なのよね。

サブで撃ち壊せるサブは投げても壊されたり迎撃されたりすると意味ないので、

投げ込んでも相手に撃ち破壊されずに

時間が経過すると爆発するので、

相手が近寄れないのよね。

これ結構戦線押し上げたりするのに強力だわ。

シューターってインク消費減だけに気を付けたら良いと思っていた時代があったので、

目から鱗よ。

ぜんぜん立ち回りが違うわー。

実感。

本当に長距離キューバボム投げられるの楽しいわよ。

ドライバーで500ヤードぶっ飛ばす感じ!

結局スプラトゥーン3の話ししてんじゃん!って感じだけど、

以前みたいに12時間ぶっ通しとかってのはないわね。

あとちゃん銭湯通えているので、

しっかり温まれて、

やっぱり家風呂とは銭湯の湯のパワーが違うわね。

圧倒的な熱さと量!それに尽きるわー。

からここお正月今日も入れてばっちり銭湯でしっぽりよ。

あとお正月目標に掲げていた

好きなアニメの今やってるやつを音録音してスマホに入れていつでも大好きなのを聞けるようにする!ってやつ。

録音していたら再生しているタブレットの通知音がライン接続でも入ってきちゃって、

もーお母さん!今録音してるんだからご飯よーって声入っちゃったじゃない!って知らない昭和時代の録音環境のように

えー今通知音入っちゃった!って一から最初からやり直し!

通知をオフにすることを忘れないようにね。

そんで、

私が録音して山下達郎さんばりに言うとデジタルリマスターした音声ファイル

山下達郎さんのラジオで聴いた洋楽が良くって曲買ってみて聴いてみても

山下達郎さんがデジタルリマスターした音質の方が良くって、

原曲聴くとなんかのっぺりした感じがしてなんだこれ?ってなる現象とは違うけど、

その私が録音してデジタルリマスターしたアニメの音声ファイルスマホに入れてイヤホン聴くんだけどー

もう回りくどくて大変な作業だけど、

これが聴いてみるとアニメって目から入ってくる情報9割じゃない?

残りの1割がセリフや曲や効果音だとすると、

いか視覚感覚を持って行かれているかが分かるわ。

音だけをじっくり聞いていると、

私はそんなに声優さんアニメに詳しくなく流行なんかはほとんど知らない丸腰状態ドコモショップバックアップ無しで丸腰で行く母のような状態と全く一緒なんだけど

声優さん役を演じる技の凄さはもちろん、

もの凄くよく分かるのは、

シーンシーンで流れるバックのビージーエムよ。

あれ展開の尺ごとにピッタリと曲が時間あっていて、

そのアニメ流れる喜怒哀楽のシーン毎にある曲を適当に流していて尺が来たらフェードアウトしているかと思ったら、

やっぱり見所のシーンはバチコーン!って曲もシーンと同じ秒数で合致して尺とあってるのよね。

同じビージーエムの曲でも尺によって10秒や15秒の尺で直してるってこと?

あとそう考えてみたらアニメ制作ってもしかして

鬼のような秒単位で綿密に精巧に組み立てられて作られているものなの?って音だけ聞いているとそれすごく感じるのよね。

音だけ聴いてみると情報密度ケインばりに濃すぎるし高すぎて楽しすぎるわ。

これもしかしてテレビアニメを音に録音してそれだけを聴いて楽しんでいるってジャンルあんの?

ってそのぐらいチャクラが開眼した感じよ。

音だけ聴くアニメの楽しみ方って変態かしら?

そんなジャンルが無かったら新ジャンルよね。

昔は第三のビールが新しいものが出るたびに

新ジャンル新ジャンル!って言ってたぐらいでそれ以降一切聞かなくなったもんね。

再び新ジャンル開拓したって良いじゃないって感じよ。

もうさ、

画はばっちり脳内で完全補完できるから音さえあれば

いつでもどこでも観れてることと実質変わりないわよね。

2023年早々にして錚錚たるスゴい発見じゃない?

うふふ。


今日朝ご飯

サンドイッチ屋さんは今日まではお正月気分のお休みだと思うので、

駅中サンドイッチを買いました。

昨日と同じ案外美味しかったチキンブロッコリーサンドイッチよ。

駅の人たちは年始関係なく大変よね。

人も多いしさ。

私も家に居っぱなしだとネタがないので

出掛けてなにかネタが無いかなーってネタキャンペーン中なのよ。

街には出た方がいいわね。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーターしました、

思いのほか家にいてルービー呑みまくると思ったけど、

大人しいものよ。

ハイボール用にと準備していたけれども

一向に減らないので

そのままでレモン炭酸ウォーラーとして飲んじゃうわ。

じゃないと片付かないじゃない。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-01-01

anond:20230101141712

タイトルに「都市」が入るやつならクリフォード・シマックの『都市』のが面白いしなんなら現代キャラおもろラノベも顔負けな『小鬼の居留地』のが今ならもっとウケるやで!!とおもった80年代後半から翻訳SFファンであるワイであったという話

心あらば 君はうたへよ春のうた都市の水面の空の色にも

2023年明けましておめでとうの増田スマ脳とで明尾手島ケアンね3202(回文

どんどんひゅーひゅーぱふぱふ

わーい!

明けましておめでとうございます

そして

おはようございます

と言うかもう新年明けての午後中の午後よね。

新年早々、

私は午前零時の神社初詣ダッシュを決め込もうと思ったんだけど、

今年はさすがにちょっとコロナ明けてきたので緩んできているのかな?と

本当は初詣ダッシュより神社境内でやってる焚き火目当てなの。

だけど

今年もやってなくて意気消沈とか新年早々そんなションテンが下がることは言いたくないので、

一回りお散歩して帰ってきたわ。

年越しの蕎麦の食べるタイミングを逃したか

あれはいつ結局食べたら良いのかしら?と

年末に無理矢理美味しいお蕎麦もいただいた手前の一回りの深夜のお散歩ってわけよ。

そんで、

一眠りして朝起きて、

どちらかというと新年初詣より、

今年一番の初風呂

銭湯キメる方が重要かな!

近所の銭湯元旦から気合い入ってオープンしてっとこあるから

柚子湯よろしく

柚子どころか芋を洗うような感じだったので、

気持ちよく飛び込み前転で湯船に飛び込めなかったのは1人だったら出来たのにーと思いつつ

最近銭湯本当に行けてなかったって事もあって、

この期間はゆっくりお湯につかれるってもんじゃない。

銭湯の湯量と熱い温度の迫力は家のお風呂とは圧倒的違うわよね!

久しぶりだといいわね~。

やっぱり元旦初っぱなの初風呂目当ての人が多いので、

私はもう朝起きてまだ顔も最低限洗ったままで、

タオル1本持って行ってってそんなまぁ休みからいっかーって感じで気軽に銭湯キメてきて

パパッと上がってきて午前中はそんな仕上がりってところね。

新年うそ気持ちが良いじゃない~柚子湯の朝初風呂

比較時間あるかなーと思って気分のまま自由気ままに流れるまま、

今やってるアニメのグッズがたくさん置いてある

ノイタミナショップのある東京行ってみようかな?って思ったけど、

ほらー

ペット飼ってる人は急に旅に出掛けられないとかってあるじゃない!

私もそうなのよ。

おでん育ててっから時間家を空けられないわ!

それに気付いちゃったから、

どっか遠くへ出掛けることは諦めたけれども、

別にそれはそれで一旦はいいことにして、

久しぶりに銭湯に行った帰り

ひんやりとした年末の夜風に晒されながら思ったの

急にスプラトゥーン3熱がちょっと冷めたというか落ち着いたというか、

私がスプラトゥーン3ハマってる間に

いろいろと街の景色や世の中が変わってきている事に気付いたの。

まるで、

SF巨匠アーサー・C・クラークの読んだこともない『都市と星』を思い出して、

その中の住人は「サーガ」と呼ばれる仮想ゲームに興じ10億年もの間閉鎖空間で変化のない生活を送るの。

マトリックスとかでも

もしかしてこれは仮想空間の中で本当の世界があるんじゃないか?って『都市と星』もそうだけど

その外の世界に気付く人が出てくるのよ。

私もそれと一緒でスプラトゥーン3の外には現実があるんじゃないか?って

もう本当に10億年「サーガ」で遊んでる住人と一緒じゃん!って

そう思うとスプラトゥーン3ばっかりやってるのもって気が付いて世界に出てきて今事務所にいるわけなのよ。

なんか

SFみのある発見じゃない?

私このままだったらずっと10億年スプラトゥーン3やってるところだったわ!

もっと違うことにも時間費やした方がいいのかも知れないわってこと。

だけどおでんが育ってるので、

なかなか外にも長い時間お出掛けも出来ないところが

もう本当にスプラトゥーン3じゃなくておでん10億年煮込み続けて育てて、

しかしたら、

世界おでんの鍋の中じゃなくて

もっと違う外の世界があるのかも!って

実際リリーフランキーさんの絵本の『おでんくん』もそう言った鍋の外の外の世界に憧れる描写ってあるのよね。

そんでお客さんに選ばれてお皿に盛られて美味しく食べられてもまたすぐ戻ってくる設定みたいだけど。

なんか『おでんくん』にもSFみを感じてしまって、

そう言う外の世界に憧れる物語ってあるわよね。

私もスプラトゥーン3とおでんばかりに夢中になってなくて

他のことにも今年は目を向けて均等に色々なものゲッツ吸収できたらな!って

急に本当に冷静になったわ。

これもなんか久しく銭湯に行って

帰りの深夜の夜風に吹かれたことが原因なのよ。

なんだか不思議体験だわ。

まあスプラトゥーン3お正月結局やっけど!ヨビ祭中だしさー

以前みたいに1日の半分をそれに費やすのは、

まりにも『都市と星』の「サーガ」なのよ。

私はそんな真剣なことを

2023を模したパーティーサングラスを掛けながらこれを書いているところにもSFみがあると思うわ。

これ今年この瞬間しかもう売れないしあとの在庫どうなんのよ?って

まあそれを私が気にしていたら仕方ないので、

私はこれを書き終えるまで真顔で2023を模したパーティーサングラスを掛けながら新年を静かに迎えお祝いしたいところだわ。

うふふ。


今日朝ご飯とかはまだよー

お腹空いたわー

どうせスプラトゥーン3しながらルービーとおでんでってオチなので、

夜まで事務所の誰もいないところで雑用を済ませてさっさと帰るわ。

デトックスウォーター

昨日の晩お湯でちゃんと煮だして

水出しルイボスティーウォーラーじゃない煮出したルイボスティーウォーラー

煮出すとちゃんと濃いくて香りもよりいっそういいわ。

違いの分かるダバダーの曲って感じだわ。

少しの間はゆっくり時間優雅に過ごしたいわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

今年もどうぞよろしくお願いします!

2022-12-31

追記)今年一人暮らしを始めて手抜きしたこと

ずっと関東政令指定都市実家ぐらしで、就職を期に一人暮らし

実家から2.5時間くらいのコンビニすらない人口2万人未満の小さなアパート引っ越しました

私だけの城で私に最適化した生活習慣にしたので、記録しておこうと思う。


朝顔を洗わない

・化粧もしない。眉だけ書くときはある

朝ごはんは食べない。菓子パンウィダーを家から駅までの道で食べるときはある。

・寝間着のまま出勤(ギリギリ外に出れる格好で寝る、という意味でもある。職種工場のバックオフィスと考えていただければ良くて、出勤したら作業着に着替える。出勤は社バスで、電車には乗らない)

・出勤時の服装更衣室での時短を最優先にワンピース一択

靴下は全て同じ黒いやつ。なんならちょっとくらい左右違っても気にしない

これで起床後5〜15分で家を出られる。

・晩ごはんは週4で同じメニューうどん)。

陶器の皿は使わず百均で買ったプラスチックどんぶりか、汁物でないときは紙皿。

カット済み葉物野菜冷凍野菜を使う。根菜などを数日に分けて使おうとすると腐らすと分かったので。

飲み物基本的に水。紙パックのジュースを買うとゴミ捨てが面倒くさいと分かったので。たまにジュースコーヒースープを飲むときは紙コップ。

ドラム洗濯乾燥機を導入

風呂は2日に1回

風呂場に着替えを持ち込んで風呂場で着替える。洗面所寒いので。

水道代やガス代や電気代がもったいないなどを気にせずに、寒ければ暖房は一日中つけっぱなしだし、シャワー浴びる前にシャワーを1分くらい流しっぱなしにする。

電気をつけっぱなしで寝る。朝起きられないので。

トイレットペーパーは5倍巻きに。

まあこんなもんかな。



追記

意外と伸びていてビビった。年の瀬にこんな限界ズボラ女の生活を見せてしまってすみませんね。

うすうす感じていましたが、あらためて言語化してコメントをいただいて、やだ、私ってズボラすぎ…!と理解しました。


感想

・私は不潔耐性と貧相な食事耐性はあるのかな、と思っています。親には私がこんな生活をしているなんて申し訳なくて言えません。

ズボラを極めて浮いた時間で何をしているのかと言われると、寝るかぼーっとするかゲームするかくらいにしか当てていないですね…恥ずかしい…

・今は超絶ホワイト企業なので全然残業もなく、遅くたって19時すぎには家に帰れます

学生時代研究室拘束時間比較的長く(帰宅23:30-25:00)、一時期は3日に1回くらいしか家に帰らず、風呂も3日に1回、食事毎日レトルトカレー、みたいな生活を送っていて、その時期の名残もあります

卒業半年弱くらい、教授との関係悪化して心を病んでいて、身だしなみや健康に気を配れなかった名残でもあります入社後4~9月くらいまでは、毎日のように教授との日々を思い出しては泣いていました。辛うじて出勤していましたが、退勤後は毎日ベットパチンコのようにどうでもいいサイトを読みながらうずくまっていました。最近ようやっと元気になってきました。今日様々な方にツッコミをいただいたので、少しだけ丁寧な人間らしく生活習慣を改善しようかな、と思えました。皆様ありがとうございます

●清潔系

・目ヤニだけ洗ってとるときはあります。ついでに水洗いするときはあります。朝の洗顔の習慣は取り戻したいです。

・「日焼け止めだけはつけろ」との助言をいただいたので、サンカットなら頑張ればできそうなので時間があるときはやってもいいかなと思います。それか夜のうちに24 hいけるやつをつけておくかですね。そっちのほうができそうかな。

・汗臭いかな?というのは気になっています

風呂に入らなかった日はドライシャンプー(吹き付けてさっぱりするやつ)はしています

・「どうせ出勤の10分だけですぐに作業着に着替えるのに、その間ほぼ人とも会わないのに、なぜわざわざ別の服に着替えねばならない?」と思って寝間着と出勤着を一緒にしました。そのためたまに更衣室で人と隣になるとちょっと気まずいです。


食事

・昼食は社食(おいしくて栄養満点)です。昼食が毎日バラエティ豊かな美味しいメニューなので、夜はほぼ同じメニュー適当でいいかな、と思っているのもあります

うどんについては、節約したい訳ではなく、献立を考えたくないのと、私がとにかくうどんが大好きなので毎日のようにうどんです。めんつゆは3倍濃縮の2リットルを3か月で1本のペースで消費しています栄養は一応考えて、野菜と肉は適当に突っ込んでいます最近カット白菜です。ビタミン剤ビオフェルミンは一応毎日飲んでいます

うどんは太ります。意外と糖分多いですからね。学生時代比較して6キロくらいは太りましたね。痩せたいなと思いつつ、でもこの食生活が好きでやめられません。

・同じ部署の同期も食には手を抜いていて、毎日卵かけご飯(卵をかけた方が栄養を取っている気がするとのこと)と業務冷凍食品(唐揚げとかシュウマイとか)で、それかいっそ食べない、と言っていたので、食事に手を抜く人なんてこんなもんだよな、と思っています。同期からトマトはそのまま食べられて野菜取っている気になるからオススメ、と言われました。


●その他

食洗機は本当に欲しいのですが、スペースがないので買えません。食洗機を手に入れるまで陶器の皿は使わないと決めています。皿洗いの時に左手が重いのが嫌なんですよ。プラスチックの皿も本当は洗いたくないですね。

スイッチボットは買いました。これで電気を消して寝られますありがとうございます


・この規模の都市ワンルームは無いは本当にそうで、でもまあ探せばあるもその通りで、ワンルーム・1Kだと3軒とかしか選択肢が無い中選びました。しかも2DKと家賃が1万くらいしか変わらないんですよね。

コンビニが無い、は駅前や私の生活圏内には無いという意味で、国道沿いに出ればコンビニはあります。車持っていないので行かないけど。言い方が悪かったです、すみません来年度は車買いたいですね。

・こんなんじゃ他人と暮らせないよなぁは思っていますね。こんな感じで独居中年になりそうですね。

2022-12-30

anond:20221230144702

おまえ、ものすごくいいこと言うね。天才かよ。

 

都がColaboに期待したのはまさに小売のような機能。住所のない弱者を救うには都の窓口ではやりにくい。民間の有志が個人個人に向き合って救うような地道な活動必要なんだと思われていたんだ。Colaboはまさに都の事業を補完する存在だったんだよ。いや、補完できそうに見えた。できなかったんだけど。

 

実態はどうか。声がけ事業かいって声かけてない。食事支援かいって全く支援できてない。1食2600円ってどんな支援だよ。Colaboバス都市漂流する少女を救うといってたけど、Colaboバス神奈川県市街化調整区域に留め置かれたまま動く気配なし。シェルターを確保といいながら不当に高い不動産を買い漁ってる。救った弱者座り込み徴用される。

まり東京都支援した金はまったく弱者に行き渡ってない。どこかに詰まってるんだよ。いやどこかではなく「ナニカ」ですか。

 

こんなことをされるなら、東京都川崎市が直接弱者お金をばらまいたほうがいいだろ。

そのほうが公務員負担は少ないし、なにより、弱者がすくわれるんだよ。公費をニトゥを太らせるために使うべきではない。

過疎地域など見捨てろ」ってのは「人口やす気ない」って事だよな

一度切り捨てて廃墟と化したところを再開発するとなると莫大な金がかかるので金の無駄だ。

過疎地域の維持が金の無駄なら、過疎地域再開発も当然金の無駄だよな。

そういうところ突き詰めていくと、結局「人口やすなんて金の無駄」になっちゃうよなぁ。

それとも日本中東京の出来損ないみたいな、家賃10万弱だして8畳のワンルームしか借りれない都市を量産するんだろうか?

地方の中心都市に住んでる身としてはそうなっても困らんが、国全体が「貧すれば鈍する」って言葉体現してる感じあるな。

目先の事しか考えてなくて長期的に計画立てるヤツがいない。

まぁ、俺もその中の一人だけども。

2022-12-28

anond:20221227021526

マジレスすると、そもそも地方結婚適齢期女性がいないと言う問題がある。

就職口がないから最低でも近隣の地方中核都市に出て行っちゃうだよね。

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