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2021-03-01

追記あり似非ヴィーガン殴り書き

追記

もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。

コメント自体引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。

・君は全くヴィーガンじゃないよね

そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。

私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者範疇の大体から外れるものだと思っています

タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。

ただ私は畜産サステナビリティを重視しており、この観点から言えば

肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、

私は生活スタイル経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています

栄養士疑うのおかし

まず私の言いたいのはこの栄養士自体が疑わしいというよりは

ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という

未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体危険ということです。

匿名顕名かはそこまで問題にしてはいませんが、

顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています

あと何故か「匿名栄養士批判している」ならば「顕名ヴィーガンインフルエンサーを支持している」というロジック

成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、

記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。

健康価値観問題

本文中の論点「3.肉食より菜食の方が健康である」に対して

「3の論点個人価値観依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」

と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。

ここで言いたかったのは

そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人自由である

ということです。

まりそもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)

仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由

健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです

(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。

(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。

ただ、ヴィーガン検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、

3の論点は、ヴィーガン検討において重要判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)

追記終わり)

はてなブックマークトップを見たら、ヴィーガン関連の記事トップに上がっていた。

https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/

この記事ヴィーガン的な価値観とそうでない価値観検討して、

最終的にヴィーガンにならないことを選んだという記事だった。

こう要約すればありがちな記事で、探せば類似記事も容易に見つけられるだろう。

ただこの記事の特色としては畜産現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、

労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。

その点ではい記事だと思う。

しかし私はこの記事ヴィーガン検討するという意味では良いものではないと考える。

というのは、ヴィーガン論争に典型的論点を十分に検討せず、

こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、

何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。

具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。

1.肉食・畜産残酷であるアニマルウェルフェア)

2.畜産環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ食糧問題

3.肉食より菜食の方が健康である

で、ヴィーガン検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。

(注:ヴィーガン批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が

未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観アップデートした方がいい。)

1の論点であれば、例えば

人間必須でない都合で動物生命を奪っていいのか

動物苦痛に満ちた生を送らせていいのか

等が問題になり、これらに対する回答が必要になる。

このときヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、

ある程度動物苦痛犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。

しかしこの記事では筆者が牛の可愛らしさや知能の高さを知り、

機械的屠殺を見て、その残酷さに震えるも、

結局、自らがそのように苦悩したこと贖罪にでもなるかのように、

アニマルウェルフェアの立場への結論を言明しない。

アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」

と言うべきではないか

(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由説明できるべきだと考えているわけではない。

あくまでもヴィーガン検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)

アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、

筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ

害獣害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、

明らかに前者を殺す理由家畜を殺す理由は異なるはずであり、

ここで必要なのは何故後者が仕方ないのかだ)。

これは欺瞞ではないだろうか。

2の論点であれば、

飢餓問題解決を優先すべきでないか

地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか

(注:農耕地の大部分は家畜飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。

排せつ物の処理と飼料栽培に大量の水を必要とする。)

等が問題になるはずで、これも記事内で触れておきながら、

結局、何故飢餓問題気候変動を重視しないのかは説明しない。

3の論点個人価値観依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。

というわけでこの記事ヴィーガン自体検討としては

論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」

という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、

これをヴィーガン価値観判断に用いるのは知的でないと思う。

補遺

・元記事ブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。

名前も伏せてある一人の栄養士意見を信じるのは普通に危険では。

畜産サステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど

とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。

別にこれを見ても洗脳されるわけではない。

・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊ヴィーガン基準で作っている。

メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、

野菜料理レパートリーが増えたこと、

肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。

・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまり不可能に見えて、

アレルギー的な反発心を抱いている人もいるかもしれない。

しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。

私も最初ヴィーガン何となく意識高くてキモいと思っていたが、

試しにやってみるとそんなに大袈裟ものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。

・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、

菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。

インド料理野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ

私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。

・私は肉と乳製品可能な限り抑えつつも摂っている。

どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン

サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンブロッコリーサラダミラノ風ドリア

たまにワインつまみに買うチーズ鶏肉系のテイクアウトぐらい。

というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。

でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者自称もしていない。

半年以上、ヴィーガンスタイル食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、

特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、

生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価たんぱく質を摂るため。

ワインつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を

見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。

ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。

食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。

ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。

2021-02-14

バ先店長適当にやるなら小学生でもできるよ?」

これやめろください(´;ω;`)

少し前に「叱る時の『前にも言ったけど』は要らない」的なツイートがバズっていたがこれも完全に同種で、仕事モチベを削ぎつつ反発心を煽るHP削り+状態異常魔法の2段口撃なんだよ、つよすぎる。しかも防ぎようがなくて詰み!

店長

増田君これミスってたよ(事実)←ごめんなさい

前も言ったよね?(事実)←すみませんでした(バズったツイートはココが要らないって言ってたけど、夫婦じゃなくて雇用関係なら何度も同じミスすなっていうのは正しいと思う)

適当にやるなら小学生でもできるよ?←申し訳…ない気持ちはあるが反論余地があるのでモヤる

反論余地っていうのはソレの再現性の無さというか、「でも小学生は雇えませんが???」的な揚げ足取りなので言うだけムダ。

でも前2つの事実を挙げられた時点では100%俺に非があったのに、最後の余計な一文のせいで指摘した側も間違っているのではないかと考えてしまうから反省気持ちも濁る。

些細な注意をされただけだし今後もここで働くし、プライド的にも「注意したら拗ねるバイト」とは思われたくない(そもそも俺のミスが原因だし)。だから最後の余計ですよね」とは口が裂けても言えずにとりあえず頭を下げる。

ただ確実に余計な一言なのだ、「小学生でもできるよ」は!法律バイト小学生は雇えませんって決まってんだよ!!!

格付けチェックなら真っ先に赤ペンバツされるべきだし梅澤の俳句なら秒速でシュレッターにかけられるし、そもそもこの一言がある時点で「才能アリ」には入れない。

『良い注意の基本』

1.人格否定しない

の次に加えられるべき事項。マジで

2.余計な一言は付け加えず事実だけ指摘しろ

↑↑↑本当にあったことなら指摘された側も素直に受け取らざるを得ない。だって本当のことだし。ここで落ち込んだり拗ねたりするのは個人性格次第だがとにかく反省はするし回復も早い。しかし苛立ちの余剰分をぶつける私情の籠ったトドメの一撃、テメーはダメだ。

金渡してるのにミスられたらムカつくだろうし、前にも教えたことなら呆れるけどさ。

でも今回の事は、俺にとっては前に教えられたAを使った応用問題Bだったんだよ。間違えたのは店長にも客にも申し訳ないし、「小学生に〜」のダメージを負った分記憶にはバッチリ残ったから次に同じ作業をする時は殊更注意する。でもさ…

こうやってダラダラと引きずっている自分性格が一番問題なのかもしれない。正直要らんこと言う店長より自分自身の方が何倍も嫌いだ。

小学生の頃から先生に叱られてもケロッとしている奴の気が知れなかった。アイツは精神が安定していて大人なんだなと感心して、いつかは自分もそうなると思っていたけど、全然変わってないわ。まあ成長するにつれて叱られた途端に泣き出すことも無くなったしモヤったままでも謝罪はできるようになったな。

不本意な事があった時になる早で自分の機嫌をとる方法があったら教えてください。紙に書き出すとか泣くとか食べるとか、保健の教科書に書いてありそうなやつは一通り試したので、それ以外で何あれば。

2020-12-20

やるきコンプレックス

落ち込んだので吐き出す。

幼少期、スポーツ系の習い事をしていた。指導役が肉親だったこともあり、脂の乗っていた時期には、練習が朝の五時まで続くことも稀ではなかった。

そんな日々が数週間も続けば嫌にもなる。

しかし、その「やらされていた」時間のお陰で(当時の精神状態幸福度はさておきとして)当時はそこそこの成績を維持していた。

結局は怪我を切っ掛けに界隈から離れたのだが。

時が経ち、今、私は別の趣味を得た。

少しでも上手くなりたいと思った私は、技術書を読み、習慣的に練習を続けている。甲斐あって、以前の自分と比べれば巧くなってもいる。6年も続ければ当然の話だとも言える。

しかし不満がある。それは、自分他者嫉妬を抱けないという点だ。

ーーー

不満に至るまでの流れを思い出す。

練習法を探す私は、さまざまな媒体に触れた。本、Webサイト動画SNS有償授業…ほんの少し探しただけでも、モチベーションの維持の重要さに触れている記事は多い。

未熟さを笑われたことへの反発、同世代ライバルへの負けん気嫉妬…それらの感情は、素直に認められるのであれば、たしか努力に対する強い原動力になるだろう。

私自身、覚えがある。

かつて習い事を「やらされていた」私は、隙さえあれば体を休めることや他の遊びをすることに執心していた。しかし、本当にその競技で人よりも巧くなりたいと思っていた友人は、常に積極的努力を怠らなかった。鬼気迫るやる気を抱いていた。私が限界を感じた時間をゆうにこなし、同じ時間練習でも密度に差が出来た。

当時は「こんなこと、よく好きでできるな…」止まりで、彼よりも巧くなりたい、彼に負けない結果を出したいとは一切思わなかった。当然だ。好きでやっていた事ではないのだから

押し付けられた内容量が規定値に達したので、最低限たどり着いた。かつて私の技量はそんなものしかなかった。

しかし今は違う。

今の自分は好きなことをやりたくてやっている。他の事が充分できる時間もあって、そのジャンル固執しなければいけない理由もない。

だのに、だ。自分は、明らかに自分よりも優れた者相手に、全く嫉妬や反発心と言ったものを抱くことができない。

素晴らしいな、これは良いものだな、これは見たことのない表現だな、これはどのような意図で行われているのだろう…色々思うところはあるが、そのどれもがせいぜい感動や興味、憧れ止まりであるのだ。

ーーー

勿論、負の感情抜きでも練習は出来る。惰性にならないように心がけながら、自分なりに努力を続けている。

それでも、折に触れ彼のガッツを思い出す。

今になってあれに憧れる。あの熱量自分にも欲しい。

というか、逆に、どうして自分はあれを抱くことができないのだろうと思う。

思いつつもわかっている。負の感情情熱と言うものは、抱きたくて抱くようなものではない。

あれは、抱いてしまたから抱くしかない類いの感情なのだろう。

まり、今の趣味を、自分自身が好きでありたいと思っているほどには好きではない……それだけの話なのかもしれない…

まぁ、だとしても、この趣味が今一番楽しい趣味であることには変わりないので、マイペースに進めていくだけの話なのだが。

色々と吐き出してるうちに、気持ちも落ち着いてきた。

日が昇ってきた。朝食を作ろう。

2020-12-06

いじめ差別の違い

ナイキCM論争で不満なのは、「差別」に比べて「いじめ」に言及するものが少ないこと。賞賛派も批判派も、あれを差別問題をめぐるCMとして扱っている。

差別とは一生涯続くいじめである」という人もいるが、個人経験としてはまったく納得できない。いじめは確かに幸運であれば学校を変わればなくなることもあるが、実際には学校を変わっても、社会人になってもいじめられ続ける人が大半であり、そうではなくても一生にわたって後遺症が残る。

ナイキCMのような、差別を乗り越えて強くなったという物語は今でも無数にある。しかし、いじめを乗り越えて強くなったという話は、大昔の野蛮で牧歌的時代いじめならともかく、現代では寡聞にして知らない。いじめ問題専門家には周知だが、いじめを乗り越えるためには逃避以外の手段不可能である

差別はどんなにひどいものであっても、それが世の中にある偏見のせいであであることは明白である。だから差別体験は反発心アイデンティティになることも多い。しかいじめは、そもそもなぜ自分いじめられているか理由がわかっている人はいない。自分理解はるかに超えた理不尽理由攻撃されているので、反発心アイデンティティは芽生えるどころか、日々削り取られて無気力になっていくだけである

差別体験について外に向けて語る人は、少ないにしてもそれなりにいる。被差別集団どうしなら共感で話が盛り上がる。しかし、いじめ体験を語る人はめったにいない。いじめ被害者どうしが集まっても、いじめ体験を語り合うことは絶対にあり得ない。

そもそもスポーツ系の部活動はいじめの巣窟である少年野球天才選手や、甲子園スター選手が、いじめに耐えかねて退部し、プロ野球への夢を絶たれることになったという事例は枚挙にいとまがないが、外国人であることを理由にした差別でそうなったという事例については(表に出ないだけかもしれないが)聞かない。在日系のスター選手は多数いる。

いじめ問題に比べて差別問題は大したとこがない、と言いたいわけでは全くない。ただ、あのCMの中にある様々な要素の中から差別」だけが切り取られ、過剰にクローズアップされるのは、毎日今日はいじめに遭いませんように」と祈りながら学校に登校していた10代を過ごし、そのまま社会落ちこぼれになってしまった自分には、どうしても違和感距離感を覚えてしまうのである

2020-12-01

anond:20201201061833

古い話だと欧米女性を表す色は聖母マリアマリアブルーだった。昔の肖像画なんか思い浮かべてほしいんだけど、男は鮮やかな赤、女はシックな青や緑。

日本では明るい色を着てたんだけどね。国語の便覧の平安時代着物の項目を思い出してほしい。

産業革命以降に染料も発達し庶民の手の届く値段になった。そこで貴族への反発心から男は逆の青を着るようになった。

女性ピンク戦後流行ったもので、一時的流行としてアイゼンハワー時代ファーストレディが着ていたのがヒットした。ローマの休日でも使われた。

女性の赤が定着したのは1964東京五輪グラフィックデザイナートイレ性別分けに使ったから。

ってチコちゃんが言ってたわ

2020-11-23

anond:20201123222639

変更をお願いする立場なのにレッテル貼りバカにしてばかりだと反発心出てくるでしょうに

2020-11-08

anond:20201108085526

12〜15くらいの少女銀魂好きになるのって「女らしくしなさい」っていう環境圧力に対する反発心から下ネタ全然イケる俺(一人称)」とか「口汚くツッコミちゃう俺(一人称)」っていうカッコ良さに酔心しちゃうからっていう面が多々あったと思うんだけど、同じような需要で金カムが新たな器になってるのかも

2020-10-25

家計簿はつけとけマジで

お金いか節約すべきかという話になると、よく出るのが「家計簿つけましょう」という話だ。

まあはてなーはそこ「あったりまえでしょ」という人と「むりっす」という人に極端に分かれそうだけども、「家計簿」というとつきものなのが「挫折」。

何故挫折するかとなると「手間に見合うと感じられない」ということだと思う。

「感じられない」というのがポイントで、「思わない」ではない。

さらに「長く続けないと効果がないと感じる」のもあるだろう。

要するにわかっちゃいるけど実感として手間と利益バランスしてないということなんだろう。

なので、重要なのは2方向から攻めることで「利益想像する」と「手間を減らす」とについて話すことだと思う。


まず利益について

これは感情的利益が明確にある。

「心穏やかになる」のと「エキサイティングチャレンジができる」だ。

家計簿というと出費を節約する為にやるものだと思ってないだろうか。

コツコツやった挙句、出費を我慢する為に乾いた雑巾を絞るような思いをする羽目になると。

節約について話し始めたのに、前提を否定するようだが、これはNOだ。

正確にいうと節約もできるが、それ以外にたくさんの可能性が開けるし、不意にガツーンとくる大きなストレスが減る。


過去現在支出をつかむということは、「減らすべきところを見つける」より「あとどれだけ使えるか正確に捉える」のと「未来に起きそうなことを予測する」効果が大きい。

先月の給料からいくら残ったのか正確に分かれば、来月、再来月の給料からいくら使う余裕が生じそうかわかる。

今今持ってる金からいくら使えるか、だけでなく、いくら使ったら何ヶ月で取り返せるかがざっくりとわかる。

まあ自営業だと給与所得みたく安定しないだろうけど、自営業で帳簿つけてないとそもそもそれ長続きしないだろう、そこら辺は給与所得者より神経質なはずだ。

まあ即ち家計簿つけてれば「まとまった金を使う時に過度に不安にならない」ということだ。

不安にならない」だぞ、はてなーにとってこんな魅力的な言葉あるか!?


それなら貯金通帳だけみてりゃ十分と思うかもしれないけど、それだけだとやや粗い。

出ていく金には毎月ほとんど動かない「固定費」と月によって支出に幅が出る「変動費」と時々発生する「臨時出費」がある。

これらがどういう配分かわかっていないと「生じそうな余裕」が見えてこない。

臨時出費」があったせいである時点の支出が膨れ上がり、将来においてもそれが発生するとぼんやり感じられて、余剰の予測が過度に少なく感じることはある。

うなっちゃうとそれは無駄我慢無駄ストレスだ。


もちろん「減らすべきところを見つける」こともできるけど、これは3ヶ月に一回か半年に一回やればいいと思う。

「減らすべきだなー、無駄だなー」と心理的に思ってることも、半年単位で見ても実は大した金額使ってなく、それより納得しているつもりで規模のでかい金食い虫が見つかるかもしれない。

そういうのは半年に一度整理すればその金額もっと有効に使える。

それで年末までにいくらまでリスクを引き受けられるかを掴んだら、そのお金でなにかにチャレンジするなりすればいい。

それはもうささやか小市民的ではあるけど、コントロールされたリスクだ。


繰り返すけど、家計簿は「もっと我慢する為につける」ものではなく、「もっと心穏やかに生きる為」と「もっと大胆にリスクを取る為」につけるものだ。

お金使ってもいいのかな、取り返せるような気がする、でも失うのが怖いな」という煩悶を「まあこれで失敗してもクッションできる金だってわかってるし」という心理で乗り越えられる。


ちなみに自分計算した挙句問題ないと判断した金額オンライン英会話ロボット掃除機洗濯機に使った。

英会話はまだまだだけど、ロボット掃除機洗濯機に関してはもう、すぐにメリットを感じている。

洗濯機は今まで徒歩5分にコインランドリーがあったのと、かつて洗濯機も置けないような狭さの部屋に住んでいた頃の生活記憶で慣れきっていて、引っ越し全然スペースができた後も金額の大きさに二の足踏んでたんだけど、コロナで在宅になったので、設置の時間も、その後の日々の洗濯いくらでも時間作れると思ってやっと買った。

結果、別にコインランドリーでも生活はできたけど、大幅に時間節約できてる。

ロボット掃除機についてははてなでは語り尽くされてると思うけど、時間節約できるのはもちろんのこと「ほぼ毎日掃除やってもらえる」日々は想像を超えた快適さだ。

ここら辺の「時間節約できたり手間を忘れられる物や事」を手に入れられればもっといろいろ考えられて、プラスのサイクルに突入していくんだよね。

やる前って「失う金」のことばっかり想像できるけど、「やった後の利益」はなかなか想像しづらい。

ホリエモンとか秋元康みたく「やれ、とにかくやれ」というのは彼らの他の発言キャラクターもあってなかなか反発心もわく話だが、ぼんやり見える将来の利益にむかって踏み切るのは大事で、それには度胸か工夫が必要になる。

それが人間だ。


閑話休題

挫折したらかけた労力の意味ないと思うかもしれないが、最低1ヶ月あれば、たとえ不測の事態で次の月に挫折しても、お金が入る→出るのサイクルが1個成り立つので、ざっくり予測はたつ。

まあもちろん続ければ続けるほど予測精度は上がるけど。

最低1ヶ月は必要

でも1ヶ月ならもつでしょ。

あと、早くからやってればいいのに今やっても遅きに失している、と感じてしまうかもしれないけど、この言葉を送ろう「すべての人類例外なく今後の人生において、今が一番若い



こうなってくると重要なのが「手間を減らす」だ。

これは「アプリを使う」と「3分以内にできることは即座にやる」「3日に一回は記録する」ということが重要だと思う。


アプリを使う」に関しては、自分はこれらのアプリから選んでやっている。

https://my-best.com/2204

買ったものはなならずレシートをもらうようにして、3日に一回はこれでパシャっとやる。

何らかの理由レシートが保存できないキャッシュレス決済は、「その場で記録する」か「まとめて明細がやってきた時に記録する」というふうにしている。


「その場で記録する」ケースが発生するのがスマホだけ持って出かけた時のバーコード決済などで、まあレシート持って帰ればいい話だけど、手ぶらで通したい場合に「3分以内にできることは即座にやる」対応をしている。

「まとめて明細がやってきた時に記録する」はカード決済などで、これは多少面倒だけど、ここに至るまでに他の手間を削減して余裕を作っておくことが大事だ。

なので、日々のレシートは「3日に一回は記録する」という態度がいいと思う。

1週間溜めても無理ではない。

実際じぶんはやってたし。

でも1週間分となるとレシート撮影し続けるだけで30分から45分くらいかかる。

そこは3日に一回の10分なら軽くできるし、毎日3分以内は考えなくても終わる。

こまめにやれば「あー、これから30分、レシート撮り続けるのかー」という重さがない。


ここら辺のそれでも若干のこる小さいめんどくささは「配偶者がやってくれる」「外注できるサービスを知っている」という人にとってはまあどうでもいい話だろう。

配偶者には表現できる限り最大限の感謝を示して、サービスに関しては教えてあげて、世の無駄な苦労をしてる人を減らして欲しい。

こんなことをするよりその時間で大きく稼ぎたいと思う人、家計簿つけてるとその大きく稼ぐためのチャレンジいくら投資できるか明確になるぞ。



ことほど左様に家計簿には利点が多い。

面倒くさいと思う人も、こころ穏やかに、そしてエキサイティングに過ごすため、家計簿をつけることを勧めちゃうぞ。

2020-10-02

法律理由にどんな不便も甘受させられる側から見て

ルールを変えられる奴は強いなと思う一方で、

彼らの都合でルールを変えられてしまうことにいささかの反発心も湧くはずで、

2020-08-24

anond:20200824100551

プロジェクトXノベライズ本を選んだ時があってその時はいたく担任に感心されたな。

てかさ、俺の増田自意識過剰すぎて本選びすら優柔不断だったって話なんだよ。ちぐはぐなトラバもやもやすんなあ。

結局のところプロジェクトXの時もしんどかったよ。

しかも褒められてその場ではちょっといい気にはなったけど、結局その本を選んだ経緯とあらすじと当時の情勢の説明原稿用紙が埋まってるような代物で情けない気持ちも強かった。今でも思い出しただけで恥ずかしい。

経験に照らし合わせると俺はどの年でもどんな本選ぼうが苦悶していた。

繊細さを踏みつけにされながら自意識を癌細胞のように肥大させてた俺の様な児童がいたとして

それこそ「自分ならどうするか」「この本の人たちのように行動できると思えない」「本の人たちは困難に立ち向かって社会を変えられて本当にすごい」「自分もこうありたい」って理想的なことを簡単に書ける

というようなテンプレ優等生解答を書き綴ることは受け入れられないし

「それが『面白かった』『つまらなかった』レベル感想より深みのあるものなのか?そんな虚無の塊みたいな人間を俺は演じないといけないの?」みたいな反発心を抱くんじゃねえの?実際俺はそうだった。

これは今でもそう感じてしまことなんだけど、藤井聡太だとかの神童みたいな扱いされてる未成年が公の場で話してるの見て「若いのにしっかりしてんね」みたいな反応する奴に凄くイラッとするんだよ。これぐらいの月並み挨拶スピーチできる子どもいくらでもいるからって言い返したくなる。

だって「がきなんて未熟だから思想とか人格なんてろくにあるわけないでしょ」って普段軽んじてるから若い割になかなかやるじゃない」っていう上から目線な褒め方になるわけじゃん。

フラット視線から見て純粋に素晴らしいと感じたから褒めてるってわけじゃないんだから投げかけられた方は面白くない。更に言えば、褒めた(つもり)の方は受け手人格が酷く幼稚で単純な物だと考えてるからそれで喜ばない方がおかしいぐらいに思ってるし、自覚していても子どもが見抜いてくることはないと思っている。

こういった感じの大人に誰が見てるわけでもないのに愛想よく振る舞う秀才が、子どもの頃の俺には滑稽に見えた。優等生的な回答で卒なくこなすことが二流でかっこ悪いものに感じたんだ。

テレビとかネット見たら10代で自分スタイル確立しているように見える人がいくらでも見つかるわけじゃんか。だって子どもがそんなん見て憧れないわけないじゃん。

で、俺の時代10代作家を持て囃すブームがあって綿谷りさとか羽田圭介乙一なんかに衝撃受けてたからなおさら読書感想文気合入れたんだよ。今の子にもこういう文章がかけたらいいのになって憧れの対象はいると思うけど違うかな?

とどのつまり作文とか読書感想文書けない子ってイノセント故に志が高すぎるのかもな。

俺はもう中2くらいから開き直ってこういう類の課題は「高校もろくに通ってないおバカアイドルブログ」とか「小学3年生が祖父母に宛てた手紙」みたいな想定でわざと雑に書くようにしてた。

当然そんな風にやさぐれるのはよくないからこれからの子たちには上手いこと身の丈にあった憧れを見つけてほしいもんだ。

親御さんはまず「どういう読書感想文を書きたいのか」っつう目標設定をお子さんとヒアリングを重ねてしっかり決めるべき。

2020-07-27

思春期あたりに脳内で膨らむ全能感や周囲に対する漠然とした反発心、それらを飾り付けるための稚拙道徳感情なんかがまるで宿便のようにいつまでもまり続けて思考を蝕み自我を腐らせ人格陶冶の芽を潰したとしても、そんな些事を歯牙にもかけることなく月日は流れ、摂理に縛られた肉体は容赦なく老けていく。

2020-07-25

インセルフィールドワーク

インセルことinvoluntary celibates(「不本意禁欲主義者」と訳されることが多いようだが、「不本意独身者」あたりで良いのではないだろうか)を自称する人々の集うフォーラムを覗く。

彼らの多くは「自分は(容姿の)遺伝子ガチャに負けた以上もう諦めるしかない」「女は『大事なのは中身』とか言ってくるけど全員本当は見た目にしか興味がない」と考えている様子で、「もっと体を鍛えれば」とか「もっと清潔にすれば」とか「彼女ができないのはあなた女性を見下してるからだよ」とか「自分からアタックしないと」とか、そういうのはもう言われ飽きたと主張する。

そして彼らのうち何割かはフェミニズムを嫌い、ことに恋愛市場において女性は完全に男性より優遇されていると言う。彼らは見た目のレベル10段階で評価することを好み、容姿10中9〜7の男性(chadなどと呼ばれる)を全ての女性が求めている不均衡の状態なのだと信じている。つまり本来であれば自分と「容姿の」レベル釣り合っている女性ですらこのchadたちと付き合うことを望む、だから自分にチャンスが回ってこない、これは間違っている、と言うことになるらしい。

自分は彼らに同意しないが、何故自分と接点のない、世界のどこかで孤独に生きている人間が「この世の中は見た目が全て」と言ったときに、強い反発心を覚えどうにか説得しなくてはと思う人がいるんだろうか。

自分例外ではない。フォーラム投稿される「女は全部同じ、自分みたいな人間と顔のいい頭空っぽDV野郎だったら後者の方を絶対に選ぶ」みたいな言論を見ると、いや少し待ってくれ、冷静に考えてくれと言いたくなってしまう。自分にも相手にも何の得もないのに。

増田を見ていると、KKOを全てに持ち込んでくる人の存在など、近しいものがあるのかもしれないと思った。

2020-06-24

痴漢被害について攻撃的な発言をする女性

1.

本来憎むべき相手がいるとすれば

それはその人に直接危害を加えた特定痴漢に他ならない。

しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。

 

2.

その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。

結果「男」がどうこうというような主語デカ発言になっていく。

 

3.

しか主語デカ発言お気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。

 

4.

それは不毛精神構造の発露に他ならないから。

そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。

 

5.

私自身も自覚体験がある。

新卒で入った会社職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明いじめを受け、

高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」という一般論ネットに何度も書くようになった。

しかし当たり前だが、その後同じ属性でまともな人にも会った。

私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、

社長コネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから

高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係人達八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。

主語デカ発言精神構造というのはこれだ。

 

6.

小島慶子さんにしても、

大元は何かまっとうに憎むべき相手理由体験)があったのだと信じる。

けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしま自分精神構造とを検討して戒めることがなかったために、

八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。

 

7.

社会思想はこのような主語デカ発言精神構造と相性がいい。

自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから

そして同じ精神構造の同じ性格人間が同じ理由ですでに集まっている。

 

8.

そうして、仲間と一緒に主語デカくしながら特定属性範囲攻撃をし始めることになる。

もちろん無関係な人を大量に巻き込む八つ当たりだ。

八つ当たりからこそ溜飲が下がる。

自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。

 

9.

このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。

個々の体験を共有するために乱暴抽象化を行い、主語デカ属性への攻撃合意する。

何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たり快楽自体を追い求めている。

 

10.

一般を凄く憎んでる男の集団が家父長制とか保守とか言われて

一般を凄く憎んでる女の集団フェミニズムとかリベラルとか言われていても

でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしま性格」という同じタイプの人の集団で、

これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。

  

11.

twitterはてなブックマークidを追ってみても

こういう主語デカ八つ当たり好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。

野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど

それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、

今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。

 

12.

これはその人達性格問題であって、本来社会思想問題ではない。

からこのエントリウヨクサヨクがという批判ではない。

どのような思想であっても、主語デカ八つ当たり快楽を求める性格の人が入り込む。

これ自体社会問題でも思想問題でもなく、個人性格問題なので、

そう言う性格の人が自分自分精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。

 

13.

本来社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、

人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる

右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、

左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、

一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。

 

14.

痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。

せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。

このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまりたことがない。

現実での対処法はみんなわかってるしほぼ合意を見ている。

 

15.

話が荒れるのはいつも気持ちベースの話であって、

しか気持ちについては個々人が自分解決していくしかないものだ。

自分の無念とか、それを他人八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、

そういう部分を社会思想すり替えるのは何も解決しない。

自分自身一時的スカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、

そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。

 

16.

男であれ女であれ右翼であれ左翼であれ

攻撃を楽しむ性格人間になってはいけない。

自分のそういう性格思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。

それは自分の心のハンドル自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしま行為に他ならない。

追記

pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。

「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」

なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・

私は社会思想自体否定していないということも繰り返し断っていると思います

負の連鎖を生みださない為の働きかけは出来ると思う

社会思想風に八つ当たりを楽しむ人たちのアクション

負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし

当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい

という話をしました。

 

kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜男性」が「痴漢クソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識分析すべきでは?何故黙ってられない?

個別の事例次第ですが

痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います

ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプゼロにならないことは確かです。

 

dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね

個人的には、ネット情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています

twitterはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます

あいアクション社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、

なのに社会思想看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。

実際には誰かに対する攻撃感情を楽しんでるだけでも。

 

追記

skgctom 何で「私は職場高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?

えーと

からまさにそれについての話だったんですが

「私は職場高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」

ならば自分情動客観的に観察出来ているんです。

 

「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」

という事実自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。

そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。

   

自分の心が無関係高齢独身女性嫌悪感を持つの自分心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ

とわかっているんです。

 

一方、自分の心を客観視して戒めない人間は、

高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。

「実際結婚もしてない人ってみんな最後ヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい迷惑だよねー」とか。

 

自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たり肯定するために、

主語デカ攻撃言説を始めるわけです。

 

というかskgctomさん

高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場害悪」が

不適切八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?

 

 

追記

grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。

あなた日本人に対する差別発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ

風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています

  

あなた実体験上の恨みがどんなものであったとしても

日本人全体を憎悪して差別呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、

そこは真摯客観視が必要だと思います

  

そのうえで…

1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替え意図であれば感心できません。

2.仮にあなたと同レベル差別発言あなたの”敵”がやっているとしても、それはあなた正当化しません。

(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)

 

建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います

 

 

追記4

differential どう対策しても痴漢ゼロにできるとは思わないが、過去現在喫煙飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス

ちょっと意味がわかりません。

痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。

また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます

私は喫煙者の健康被害観点から煙草社会からなくなる方が良いと思っています

あなたのその「喫煙者が無条件に嫌われるべき」のような感情

問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。

 

既に明確に犯罪者である痴漢さら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も

あなたシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。

2020-06-19

anond:20200619115808

自分母親祖父のことを思い出した。

祖父はキレやす九州男児だったがインテリ子供に手をあげることはなかった(と思う)が、亭主関白で雷親父で、反発心の強い長女である母とはぶつかり続けていたらしく、母親はこんな家出て行ってやると思いながら育ったそうだ。

増田子供の頃は祖父もまだ元気で勝気で強引な母親と対等にやりあっていたが、祖父が年老いて多少気弱になったあたりから母親祖父パワーバランスは完全に逆転し、母親に厳しく叱責されても言い返せないようになっていた。

母は祖母には優しかったので、第三者の目から見て、因果応報というか、子どもに辛く当たるといずれやられるんだなあと思っていた。

なので元増田も心置きなく父親にやり返すといいと思います。いまならきっと鬱憤を晴らせるでしょう。

2020-06-18

夢の中の父

今朝夢を見た。父が訳のわからない理由でキレているのに私もキレて言い返す夢だった。言い返すとなぜか包丁を取り出して自殺しそうになったので難儀した。(夢だけど)

この間父が出てきた夢でも、父は怒っていて、それに私も強い言葉で言い返していた。こう言う夢を他にも見た気がする。

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子どもの頃の父はよく不機嫌になっていて、暴力とかはなかったが、母に怒鳴っていた時が多かった。(母は母で言い返していたけど)

から父のことは恐れていて、基本的に父の言うことには逆らわなかった。別に父が極端に高圧的であったとは思わないけど、父が家に帰ったらテレビは譲ったし、父がこうして欲しいと言ったことには従った。不機嫌にさせないように振る舞うのが普通だったんだと思う。

大学に入って、上京して一人暮らしを始めた。上京する前に、家族3人で東京引っ越したいと、定年退職した父が言って、引っ越す気のない母と揉めた。私は引っ越してもいいが同じ建物にいても干渉しないで欲しいと言った。1人で暮らす練習からと主張した。そして母にだけ、こんなつまらないことで揉めるなら地元大学に行くと言った。どこから泣いていたかは分からないが、とにかく泣いて訴えた。いつの間にか家族で引っ越す話は消えていた。

一人暮らし仕送りはたくさんもらえて、平穏大学生活を送った。父はたまに東京に来て食事に誘ってきた。断る勇気はないので行った。説教じみたことを言われるたびに反発心が沸き、家に帰っては号泣していた。

私は漠然大学院に行きたかった。文学研究がしたかった。けれども決して真面目な学生ではなかった。

いつ言われたのかは覚えていないが、どうしてもやりたいことでないのなら、特に文系で、大学院に行く意味はないと父に言われた。もしかしたら母に聞いたのかもしれない。前述の通り不真面目な学生だったから、そこで緩やかに反対する父を押し除けてまで大学院に行こうとする気持ちはなくなった。

いつか覚えていないが、夢を見た。父は機嫌が悪く怒鳴っていた。私がここで父が刃物を持ち出したら怖いなと考えると、父は包丁を振り回して私に向かってきた。目が覚めた。別にそう言う人ではないのに、と父に対する申し訳なさが勝った。

大学院に行かない私は適当就活をして、適当就職先を決めた。それはそれで大変だったが、両親とは関係ない。就職先が決まって、少しすっきりした。これでもう父の扶養下で暮らさなくてもいいのだと思った。少しずつ父との関係改善してきた。

なぜその話になったのか覚えていないが、年明けに父と2人でいたら、目的もなくただモラトリアム延長のために大学院に行くのは無駄から労働すべきと言う話になった。不真面目な学生であるところの私の周りには、同じく不真面目な学生が集い、社会に出たくないので、と言って大学院に行く人もいた。私もそうなりたかった。痛いところを突かれたのだと思う。とにかくなんとしてもその考え方を変えさせたくて、何かと言い返したが、多目的トイレトイレ以外で使ってもいいじゃんみたいな論理なので、譲歩はさせても変えることまではいかなかった。

悔しくて泣いていた。なんでもいいから父を怯ませたかった。だから、父が働いていたころよく不機嫌になっていたことと私が傷付いたことを持ち出して、労働は悪だと訴えた。父は私を傷つけていたことを謝罪した。正直自分が何を言ったかまり覚えていないが、こんなめちゃくちゃな状態で人に何かを言うのは、過去の父と同じだと思っていた。家に帰ってLINE謝罪した。

過去の不満をぶちまけてしまたことを後悔した。父は私のことを大事にしていたから、何も言わないという不信を見せることの方が、怒りをぶつけることよりずっと大事だと思っていた。それに一度言ってしまえば、同じことで何度も責め立てることはできない。だからこの話は切り札だった。一時の感情切り札を切ってしまたことを後悔した。

そのあと、このコロナ騒ぎで父も含め誰とも会わなくなった。4月から社会人となったが、リモートワークが続いて、けれども給与はもらえている。家賃も食費も全て自分が働いて得たお金になった。

------

毒親のもとに生まれ男性がそれなりの年になって、久々に老いた親を見たらその小ささに驚き、もう親を力でねじ伏せることができることに気づいた、というエッセイか何かを読んだことがある。

それと同じで、私が夢で言い返すのも、父親など恐るるに足らずと思えるようになったということなのだろうと思う。そうであるならあの日不満をぶつけたのは悪くない選択だったのかもしれない。怒りで言い返す関係は真っ当ではないかもしれないが、怯えて刺されるよりはずいぶん良くなったと、思っている。

2020-03-28

anond:20200328134218

これは一律だわ。

特定の誰かだけが貰えるって状況は確実に多くの人に不公平感を抱かせる。

格差是正こそが本当の平等なんじゃないかみたいな話は置いておいて、感覚的・感情的に)

そうした不公平感は次に反発心を生み、そうした感情を持った人々は社会から要請に対して非協力的になる。

そうすると、外出自粛みたいな国民善意と思いやりがあって初めて成立する感染対策に大きな悪影響が出る。

2020-03-10

「(自分の周りにいる)他人と異なった選択をしていない、(自分の周りの)常識を守っている」だけが自身を支えている状態だと、自立した意見に対して反発心を持つ。

2020-02-02

一路一帯構想なんて読むと、陸と海のシルクロード欧州アジアに作るなんて中国提唱しているとのことだ。

便利さ・インフラ整備を名目に、徐々に貧しい発展途上の周辺国への影響力を高めていく。

外堀を埋めていく感じだな。

さて、現在の新型のコロナウィルスによる肺炎中国当局への欧米の国から反発があるようだが、これは、一路一帯構想に対する反発心があることの証でもあるような気がする。

アジア一帯で大流行してしまったら、中国周辺国発展途上国からも、中国への反発はより強くなりそうな気がする。

2020-01-30

anond:20200130172125

おまえら女性記事書いたら間髪おかずにうんち漏らすの、恥ずかしくないのか。

自分の中に湧きあがった反発心を、いったん受け止める度量はないのか。

文書ける文章力があるのか・ないのかは殆ど才能だけどさ。

せめて「こういう文章は、こういう理由不快です」みたいに、カンタンでもいいか自分意見を表明してみようよ。

2020-01-26

anond:20200126212220

不快とは思わないな。

啓発ってのは、啓発が必要な人にも、もう必要ない人にも、すべての人に共通認識形成されている状態であるからこそ働いてくる類の広告だ。必要な人にだけ選択的に啓発を施しても、あまり効果は上がらないんだよ。

から「俺は映画泥棒なんて絶対しない」という人にも見てもらう必要はあるし、見せられていることでもって「お前も泥棒予備軍だ」と思われていることと同義ではない。だから不快に思う必要がない。

不快と思う人は、そもそも啓発という概念理解していないか自分場合によっては啓発が危惧する人物になりうるかもしれないという意識潜在的に抱えていながらそれを正当化したい(ゆえに反発心が生まれる)人のどちらかだ。

2019-12-27

トンカチがドライバーへと替わった時の釘の気持ち

僕たちの世代理不尽罵倒叱責への反発心叩き上げられてきてそれが行動原理と化してきたわけだけれど

Qiitaのような謙虚尊敬信頼が罷り通るようになったらそれはそれで僕たちには生き辛いね

2019-11-08

宇崎ちゃん問題フェミニズムとかそういうことじゃないんだよなあ

宇崎ちゃんポスターの件で、なんか自分たちの持っている差別感情無自覚な人たちが横っ面ひっぱたいて、一方的内心の自由人権侵害されたことにしたい男が一斉に反発して一切論点が噛み合わないまま無駄にぶん殴り合いをしているように見えるけど、ツイッターの向こう側にいるやつなんか性別もわからなければそもそも人間である保証すらないわけでそんな奴らの空中戦に惑わされるのもバカバカいから俺が「これってこういう問題なんだよね?」というのを頑張って書いてみたい。文章下手ですまん。

最初一言でいうと「表現の自由って誰かの人権侵害してまで守られるべきものなの?この問題って全ての人が今一度立ち止まって考えるべきものだよね?というのが論点では?」だ。

以下ダラダラ書いてるだけのチラシの裏。何でそう思ったのかの記録。

まず、議論フェミニズムから起こった。これは間違いがないと思う。

宇崎ちゃんポスターを見た外国人男性ツイートしたのが始まりだと思われるけど、彼もまたフェミニズム的な観点で物を言ったと思う。「性的にすぎるんじゃない?」と。

これに乗っかったのが国内フェミニスト陣営(またはそう演じて煽りたい人)。

環境セクハラだ!」

一方反発したのは誰かよくわからないけど雑にアンチフェミニストとしておこう。カウンターフェミニストではなく、アンチフェミニスト、要はフェミニスト的な文脈ものを語られることに反発心を持っている人(またはそう演じて煽りたい人)

「どこがセクハラだ!どこまで譲歩すりゃいいんだ!オタクばかり狙い撃ちにしている!表現の自由だ!」

ここから悲劇的なほどに議論明後日な方向に行く。いちいち発言の揚げ足を取って更に議論感情的な暴力応酬になっていく。「わかってほしい!」「人権侵害だ!」というのをずっと繰り返している感じ?

かに宇崎ちゃんポスターから始まったので、現時点ではフェミニストオタク(またはそういうのになんの問題も感じていない人)になっているんだけど、この議論提示していることはもっと奥深くて

表現の自由ってそもそも何?」

という話だと思う。

議論をおもいっっっっっきり単純にすると

「こういうの嫌だ、公共の場はらないでほしい」

vs

別に問題ないだろ、排除するほどのものじゃない」

だと思っている。

これってつまり、どちらも表現の自由内心の自由をぶつけ合っているとも言える。

なので、結論は「どっちの言い分が正しいか」ではなくて「本来あるべき落とし所ってどこよ」に行くべきものだけど、なんだか論破合戦になっているのであまりにも不毛

お互いが「アイツラの人権制限すべき!」ていっているに過ぎない。

まず、宇崎ちゃんポスターの件に戻ろう。

びっくりするくらいの巨乳女の子がなんか挑発的な表情で挑発的なことを言っている。

これがセクハラか、そうでないか、と言う話はとても微妙なんだけど、こういう極端なデフォルメ表現は極端な反応が帰ってくると思う。

セクハラ文脈として語られてはいからセクハラか否かが論点にされているんだけど、本当はこういう話なんじゃないか

1. このポスター献血ポスターにしたのは何でか?

赤十字社もそんなに深く考えているようには見えない。「単にこのキャラポスター作って貼っただけ」くらいなんじゃないだろうか。仮にこのキャラクターと献血が紐づくと言うなら「これこれこういう理由でこのキャラクターにしました」ということをスッキリ説明できると思う。特定の層がよく献血するから彼らに合わせたとかそういうのは理由ではない。だったらそういう層に響きつつ他の層にも啓蒙できるようなポスターを目指すべき。

2. ポスターデザイン理由はあるか?

始めて見た時「俺はお前の先輩じゃないしお前に注射が怖いかとか勘ぐられるいわれもないわ」と思った、要は軽くイラッとしたんだけど、多分このキャラクターはこういうキャラクターなんだろうなーくらいに思った。ただ、「何でこんなポスターなの?」とは漠然に思っていた。別に脈絡はないようなので、このキャラクターが好きな人に響くのがこういうデザインなんだろうとは思うけど、公の場で特定の層にだけ響くことばかり考えていて、そうじゃない響き方をする人たちを考慮していないんじゃないかと思った。だって赤十字社はこのポスターに対してなにか理由があってこうして言るというわけじゃなさそうだから

3. 広報目的で貼っているんだから「より多くの人に見せようとして貼っている」という点が普通に書店に並んだ漫画とは性質が違うんじゃないか

次にこれ、こういう漫画書店のどこかに置いてある分には別にどうでも良いと思う。こういうのは「好きな人が探しに来る」からだ。だけど広報としてポスターを貼る、ということは「これが好きだろうが何だろうができるだけ多くの人の目に触れるように貼る」ということが大事だ。なのでこのポスターは多くの人の目に着くところにはられている。じゃぁ「こういう漫画が嫌いな人、嫌悪感を抱く人もできるだけ多く見てほしい」と言う性質があるんじゃないだろうか。

4. 表現の自由内心の自由は誰かを無自覚に傷つけることが許される位に重要ものなのか?どこかでバランスを取る必要があるんじゃないか

さて、最後にこれだ。多分ここでものすごい摩擦が起きていると思っている。こういうキャラクターが好きだと言うのは内心の自由だし、嫌悪するのも内心の自由だ。こういうポスター行政によって検閲されて発禁になったり燃やされたりしないのは表現の自由だ。別に何を書いてもいいだろう。変な話もっと際どいポスターを書いたって「表現の自由からみたらOKだ。だけど、「表現をする場所」というのは考えなくてはならないと思う。

だれかが「表現をしている以上誰かを傷つけないことは不可能だ」といった。これは真理だ。だが、真理だからといって「表現の自由=誰かを傷つけて良い権利」にはならない。

多分フェミニスト陣営はこういうことを言っているんじゃないだろうか。言えてないけど。一方でポスター擁護側は表現の自由を盾にする以上は「俺達はお前らが嫌な気持ちになろうがどうでもいいしそんなことより俺達の宇崎ちゃん公共の場はられることが大事だ!」ということを言っているのと変わらないと思う。

まとめてみると、今回の宇崎ちゃんポスターについては「評価が大きく分かれそうな微妙デザインポスターをできるだけ多くの人の目に触れるように張り出した、大した考えもなく」と言うことに端を発している問題なのだと思う。

ここまで言うとなんかフェミニズム側の肩ばかり持っているような感じがするんだけど、今回の問題って、「ある特定属性集団差別的に利用する表現って自由範疇はいるの?」という問題なので、宇崎ちゃんに限らない。

例えばゆうなさんやトラブルセクハラ表現ルフィ孫悟空の何の考えもない言動行為についてもそうだし、一方で自分イケメンがどんどん何人も惚れていくけどどっちつかずな感じでズルズル行くナナやつくしもけっこうひどい。というか少女漫画恋愛者って自分にぞっこんなイケメンたちを良いように振り回してるよね?こういうのありなの?と言う疑問もある。

こうやって見てみると、俺達が触れてきた漫画というものは常にある属性が別の属性差別している表現ばかりだったことに気がつく。

「xxが差別だと言うならあれはどうだこれはどうだ」と一生懸命揚げ足取りをする人がいっぱい出てきていたり、なんかアカデミックな事言ってそれっぽく解説を試みる人もちょこちょこいる。だけど結局「表現の自由って実際なんなの?」と言う話なんだと思った。昔よくあった「ぶん殴るのはだめだけど言葉暴力OKなのか」と言う話とよく似ていると思う。

2019-10-08

「強い台風くるって散々言われてるのにイベント心配とかラグビー決勝の心配とかもうやめなよ日本

ひきこもれよ…そういうときに引きこもるクセつけよ…クソ会社に出勤しなくて済む流れにつなげよ…」

 

っていうのをTLで見て、週末1年ぶりのイベントでめちゃくちゃ気合いれていた私は

 

平日だったら仕事心配なんぞせずに速攻有給とって引きこもるわ。

くっっっそ楽しみにしてたものが潰れそうなのに

ギリギリまで開催を心配したり、急に台風進路変更してくれって願うことくらいは良くない!?!?

 

と、ものすごい反発心が生まれ脊髄反射ミュートしてしまった。

仕事なんてどうにでもなることと生きがいを一緒くたにしないで!?と思ったのだけど

いっしょなの…?

私が楽しみにしている事がなくなってしまうかもしれないことを心配するのは

クソ会社に出勤しないといけなくなることに繋がるの…??と自分のこと自体否定されたみたいに感じて泣けてきてしまった。

 

 

 

 

 

とここまで来て情緒不安定すぎるやろ!!!!!!!!!

って気付いたので、これも台風のせいってことにしといたろ!!!

うっせーーークソ会社に出勤するかどうかは自分判断しろばーーーか!!!!!!

早く台風消滅しろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2019-08-27

韓国に対して文句を言うフェミが居ないことになってる件

この度のナンパ暴行の件。

韓国人に反感を抱いた人は割とリアル世界にも沢山いるということが、日常生活を送っているだけでわかる。

仕事中に同僚女性とかが韓国に苦言を呈しているレベル

インターネッツでは「フェミはこの件はだんまり」とう言説が流行っていた。

どうやら、以前からネトウヨ気味だった人々の頭の中で

フェミ韓国好き(慰安婦擁護派?)っていう偏見そもそも大きすぎるらしい。

MeToo関係者沈黙」とかになってるの、完全にマッチポンプやんけと思う

と、普通にこの暴行韓国人に反発心を抱いたフェミ自分は思う。

別に普通に韓国文句言ってる人いるって。

逆にフェミニズム勉強してないので、きれいな反差別思想とか持っていないか

韓国等に反感を抱くんだろうか。

だとしたら、ツイフェミってバカにされてる人たちの方がちゃんとしたフェミニストなのでは??

でも歴史ある(?)フェミニストって、かなり過激なことしてたって聞いたぞ。

である左翼って過激な人多いしな

フランス国歌とか歌詞怖いし

ネトウヨ気味の人でも社会福祉系にはよく文句言ってるじゃん。ブラック企業とか嫌いな人多そうじゃん。

くら寿司炎上してたじゃん。

話戻るけど

デジタルネイティブかいわれて育ったアラサー女性

オタクとしてインターネッツをしてきて思春期まとめサイトとか見てきたのに

いきなり韓国好きになれるわけないだろう。

昔はオタク男性たちも仲間だと思ってたのだが、女叩きの記事の時だけ疎外感でなんだかんだ悲しかったんだよな

でもスイーツ(笑)って面白がって自分も言ってたわ。女性専用車の「私は別にどこでもいいです」の画像見てめっちゃ笑ってた。

大人になったからこれらがそういうオタクコミュニティにおける同調圧力だって気づいたので

今は、テレビドラマ観てタピオカ飲んだりして楽しんでいる。

でも別にオタクなのはずっと変わってないな。というかそれが仕事だ。今はオタク産業に身を置いている。

そういやジャパニーズオタク産業は、アジア人が多い。

同僚にガタイのいい男性韓国人(日本アニメ好き)が居る。

新大久保で「韓国人は帰れ!」などと言われるらしい。

「えっそんなこと言う人いるんですか?しか新大久保で??」と思わず聞き返したけど、

物腰柔らかな人だし、そこで別にけんかはしていないらしい。

でもこの人が「独島は我が領土」とか言い出したら私は内心キレるだろう。職場から言い返さないが。

もちろん職場から韓国人同僚もそういうことは言ってこない。

あと、更に話変わるけど

ここ数年女性アイドルにハマってるんですよ。

でさ、顔がいいっていう褒め方、結構してたんですけども

芸能人に言うのと同じように一般人女性に対して「綺麗」っていうこと失礼だなって気づいて最近脳がバグってるんですよ。

そんな感じで色々なきっかけで根幹の価値観が変わってしまうこと、よくあるんだなと思う。

あ、でも今思えば中学生の時に漫画嫌韓流とかを読んで「価値観変わったな」と思ったことあったな。

今思えばヤバく偏ってたなぁ。今も反対から見たら超偏って見えるのかな。

こうやってひとつずつ、自分がどう思うかっていうのを積み重ねていくしかないな

全然文章がまとまら

流されやす人間ってこんなもんだよな

2019-08-21

美輪明宏が大嫌い

から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。

同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。

オーラの泉

ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーター江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者芸能人の後ろに守護霊みえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観押し付けじゃないかと感じていた。

ヨイトマケの唄

別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報アクセスできないということでもある)「大学も出」ることな現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。

こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…

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