はてなキーワード: 道徳感情とは
歳を重ねるに連れ、生きることの無意味さを切実に感じる今日この頃。
日本の昔を描いた物語と同じように、仕事や家族を捨て出家することを夢見る。
外部から隔離されたコミュニティで、外部にとって何の役にも立たない「修行」をして、死ぬまでの暇つぶしを行う。
もちろん、そんな生活は私にとって無意味だが、まあ、生きることが無意味なのは、この現実生活においても同じなのだ。
だから、心を千々にみだす世の中の雑事から身を離せる分だけ、出家後の生活は現実生活より快適であろう。
そして、その隔離されたコミュニティが自分の死ぬまでのサポート媒体になってくれるのは魅力的だ。
まあ、十分な治療も好ましい話し相手も期待できないだろうが、別にそんなものは、この現実生活における自由くらい求めていない。
しかしながら、少なくとも現代においては、宗教なんて信頼できない。
ただ、出家だけは素晴らしいシステムだ。だから、国が出家先に代わる施設を造ってほしいと思うのだ。
そのためには、出家と同様に自分の資産を全て売り払って、その資金とする覚悟がある。
自由だってなくたっていい。修行的な意義のわからない雑用にも身を投じてもいい。その対価も求めない。
ただ、その施設に死ぬまで住まわせてくれ。そのコミュニティに帰属させてくれ。
心理的カウンセリングが役に立たないほど、この世の中の雑事に疲れたんだ。だから、何の意味も無い別世界にもう一度帰属し直したい。
こう書いていると、出家後の生活と自由の無さは刑務所なんかと同じような気もする。
いくらこの世が退屈で苦痛であったとしても、それを犯罪という形で、この世に仕返しするのは全く違う。
乱文失礼。
Web エンジニア、男性、30代です。元記事は削除されてしまいましたが、似たような経験があって共感するところがあったので、ちょっと書かせてください。
あなたの奥さんは優秀な人で、きっと思いやりもあって正義感も強い人だと思います。そういうところにあなたが魅力を感じていて、今の関係を壊したくないと感じていることも伝わってきます。だからこそ叱られたら素直に反省しようとしているわけで。
でも、やっぱり、トラバやブコメで指摘されているとおり、モラハラを奥さんから受けているのではないかと思います。私は専門家ではありませんが、モラハラで悩んできた当事者だったので、共感するところがあります。
あなたがモラハラを受けていることをなんとかして認めさせたいわけではありませんが、あなたが受けている暴力はどういうものかというと、
能力の不足を「思いやりの欠如」として責められている
というものです。
確かに奥さんの言う通り、もしも思いやりがあったらこういう行動をするはずだ、というのは正しい面もあるでしょう。少なくとも論理的には。でも、論理と倫理の組み合わせは強力で、人の心をズタズタにします。「あなたは思いやりがない」という奥さんの言葉には、論理で補強された説得力があるので、反論の余地がないからなおさら傷つきます。
あなたは、奥さんの言う「思いやり」ができていなくて、罪悪感と無力感を感じて、悩んでいる。でも私はあなたが思いやりのある人間だと思います。だって、奥さんの「思いやりがない」という非難に反応して、罪悪感を感じたり、もっと努力しようと思っているわけですから。
奥さんの要求するような種類の「思いやり」はないのかもしれませんが、別の形で、人間に備わっている自然な感情の「思いやり」があなたにはあります。もしもそうでなければ、「あなたは思いやりのない人間だ」と言われて傷ついたりしないでしょう。
そして、一般論ですが、モラハラの加害者は、被害者の道徳感情につけ込みます。思いやりを持ちたいとかそういう気持ちにつけ込んで、被害者を操作しようとします。あなたの奥さんは意図的にそうしているわけではないでしょう。加害者は意識的に、悪意をもってそうするわけではないのです。むしろ正反対で、自分が正しい思いやりのある人間だと信じ切っているからこそ、知らないうちに加害者になってしまっている。
あなたは思いやりがないのではない。思いやりはあります。ただ奥さんと比べて要領が悪かったり、奥さんの気が付くことに気が付かなかったり、それだけだと思います。
奥さんには気づいていないあなたなりの思いやりがあります。奥さんに見えていてあなたには見えていないものがあるのだから、当然ですが、あなたには見えていて奥さんに見えていないものもあります。ただ、あなたは今奥さんに責められているので、あなたなりの思いやりとか、あなたにしか見えていないものとか、そういう本来のあなたの良さが抑圧されているように見えます。
鬱の症状があるとも書いておられましたね。それはあなたに「思いやり」がないからではありません。もっと努力すればなんとかなるものではありません。あなたが鬱なのは、暴力を受けているからです。
「思いやりがない」と言われるのが暴力なのだろうかと疑うかもしれません。自分は実際に思いやりがないのだから、当然の事実を指摘されているだけではないか。反省しろと家を追い出されても、何時間も説教されても、それは自分に思いやりがないから、努力が足りないから、妻が自分のためを思ってやってくれているんじゃないか。感謝こそすれ、暴力なんて大げさなものではない、と考えるかもしれません。私も、そう思っていました。
これがやっぱり、モラハラ被害の難しいところです。被害者は、自分は責められるに値する人間だと思いこんでいる。そういう仕打ちを受けて当然のことを自分はしているんだと思いこんでいる。どうしてかというと、罪悪感を抱えているからです。
もう一度言いますが、あなたが受けているのは精神的な暴力です。実際に奥さんの言葉に傷ついて、鬱の症状まで出ているのですから。
ここまで書いておいてナンですが、だから今すぐモラハラ妻から逃げてほしいとか、そういうことは思いません。私自身も、パートナーからモラハラを受けて悩んでいたとき、それがモラハラだと認めるまでに非常に時間がかかったし、認めてから行動を起こすまでも時間がかかりました。
似たような体験をした者として、勢いに任せて書かせてもらいました。まずはモラハラについていろいろ検索して調べたりしたらいいんじゃないかな。あと早めに実生活で第三者に介入してもらうのはおすすめです。
外国人が日本社会の民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人の右派の満足した社会意識"を、市民社会に合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派系SNSに "我々は、道徳的な社会観の象徴である安倍政権、現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者や高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。
ヒステリックな道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会を形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念が日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。
第二次世界大戦敗戦後のアメリカの保護国化のもと日本は先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化を体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情はほとんど全員に共有され、社会の物語とされている:日本社会の栄光は、自由な価値観とは反する道徳思想に妨害された。
日本に蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動や不倫なんかがそう)。特定の日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要な問題を無視するための、便利な弁解を提供している。
道徳感情はまた、教育や文化の問題を凌駕している。1990年代~2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。
未成年あるいは高齢化する貧困や公共インフラの破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府の懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。
アメリカの保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システムの見直しと検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情は独自の生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬のブーメランが日本社会を傷つけている。
http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7385048.html
「宗教信じてる?」 「いいえ」 「じゃあ持ってるお守りハサミで切って」 「できない」 「は?」
最近、上の対談がすごく話題になって、件の大学教授が叩かれているが、俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。
この記事で大学教授を叩いてるやつは大体以下のどれかに分類されるが、3以外全て批判として的外れだ。
1. 日本は八百万の神っていうアニミズムの信仰があるのをこの教授は理解していないよね?
2. 宗教と信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教と信仰は両立可能。
3. 「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね?
これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?
4. そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授はキチガイ。脅迫罪。お守りの金払え。
つーかそもそも、この教授は自分の母親の遺影を無宗教なら壊せと言われたら壊すの?
5. なにこいつドヤッってんの?ムカツク。
1.日本は八百万の神っていうアニミズムの信仰があるのをこの教授は理解していないよね?
→理解しています。
この教授は「神を信じている?」ではなく「宗教を信じている?」と学生に質問している。
その「宗教」のなかには当然、日本の伝統的なアニミズム信仰が含まれている。
この学生とのやり取りの本質は、自分が宗教的であることに無自覚な学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにある以上、
その教授に対して、「日本の八百万の考え方を理解していない」などと叩くのは明らかにおかしい。
2.宗教と信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教と信仰は両立可能。
→これは一見まともに見えるが、宗教学における「宗教の定義」を理解できていない。
一般人は、キリスト教のように「神」を信仰していないと宗教じゃないと思ってるやつが多いがそれは間違いだ。
宗教といえば神、みたいな浅はかな発想がこうした勘違いを生み出す。
宗教学では、アニミズムは原始宗教に分類されるように、アニミズムも立派な「宗教」の一つだ。
だから、アニミズムは宗教じゃないとか言ってるやつは大間違い。
繰り返すが、宗教といえば神みたいな馬鹿な発想は無知を晒すだけだから、さっさと捨てたほうがいい。
3.「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね?
これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?
これは上の2よりも「宗教とは何か」という「宗教の定義」の問題に密接に関わってくる。
結論を言えば半分間違いで半分正解だ。
宗教の定義は細かな部分で未だに議論が続いているが、近代宗教学の親とも言われるオットーは『聖なるもの』のなかで宗教の本質をヌミノーゼという言葉で表現している。
オットーによればヌミノーゼとは「それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間の信条を捉え、動かすようなもの」だ。
これだけだと、何のことか分かりにくいという奴も多いと思うが、次の例を読めば大体理解してもらえると思う。
荘厳な儀式を見て、いつもと違う気分になった。
森の中を一人で歩いていたらなんだか不安になってきた。森の中に視線を感じる。
これって宗教でもなんでもなくて、ただの「感情」じゃね?って思うやつがいるかもしれないが、それは半分正解で半分間違い。
結局宗教体験も人の経験である以上、感情的なものと切り離すことはできないし、そういうただの感情がアニミズム信仰の「原型」だというのが、現在の宗教学とか文化人類学での基本的見解。(以下追記)
儀式、葬式、森といった対象がいかにして(宗教的)感情を喚起するのかは専門的な議論になるため省略(11/1追記)
4.そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授はキチガイ。脅迫罪。お守りの金払え。
つーかそもそも、この教授は自分の母親の遺影を無宗教なら壊せと言われたら壊すの?
このやり取り自体を教授は「いやがらせの質問」と言っているが、別に本気で学生にお守りを切ることを強要しているわけではない、
教授は別に学生がハサミでお守りを切ることを目的にしているわけでもないし、それを望んでいるわけでもない。
むしろ、この教授はこの学生にハサミでお守りを切ってほしくない とさえ思っている。
なぜか。それはこの教授の目的は、自分が宗教的であることに無自覚な学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにあるからだ。
もし学生が、本当にハサミでお守りを切ったら、教授の目論見はあえなく失敗に終わる。
もしこの教授が、嫌がって泣き叫ぶ学生に対して、お守りをハサミで切ることを怒鳴り散らして強要していたとかなら分からんでもないが、
本人が「いやがらせ」と自覚してやっている行為を「脅迫」というのは言い過ぎ。
5.なにこいつドヤッってんの?ムカツク。
(以下11/2追記)