はてなキーワード: 発心とは
昔から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。
同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者の右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田は20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。
ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーターの江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法や麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者の芸能人の後ろに守護霊がみえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子の番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観の押し付けじゃないかと感じていた。
別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報にアクセスできないということでもある)「大学も出」ることなど現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。
こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…
やっぱ、明治~昭和前期の日本の内陸部でも、横浜や神戸(最新の舶来文化が入ってくる商業地)への「格好つけやがって」「ハイカラ気取りめ」という反発心があったんでしょうかねえ
まあでも、現在の上海の若いIT業界関係者とか「今や俺らの方が香港より進んでるもんね」とか本気で思ってるんじゃない
内心では裕福で自由な香港に嫉妬してると認めてしまったら、自分の方が惨めになる
本当に現代の中国人が裕福(だけでなく)プラス自由に憧れてるなら、香港をすっ飛ばしてさっさとアメリカや日本に行く
中国本土にとどまってる連中は、今や充分中国本土も裕福だし(日本で、ばくぜーんと自民党政権を支持している層と同じように)政府に逆らいさえしなければ充分自由じゃんと思ってるんじゃないか
正直何回めだと思うくらい繰り返されている話題なので蒸し返すのもアレなんだけど。
痴漢は本当に痴漢滅びろと思う。妻も何度か路上で痴漢にあって警察にもお世話になり、それ以来は妻の帰宅時、自宅から最寄駅感は私が車で迎えに行っているし、痴漢被害者は本当に大変な思いをしていると思う(ちなみに自分自身は高校生の時に痴女被害(というのが正しいのか?)に遭っている)。
しかし、なぜ痴漢という犯罪においては当事者ではない男性たちまで、男性というだけで痴漢撲滅に協力しろと要求されがちなのか?痴漢撲滅に非協力的な人間は痴漢予備軍とまで言われかねない。
割合として男性の加害者が多いだけで、男性全体に責任があるように言われがちだ。
痴漢が男性代表だと思われたくないのなら、男性自身が痴漢を否定しろ、とも。
自分は痴漢と全く関係ないのになぜ男性全体が説教を受けなければいけないんだ?
しかも説教では済まず、男性は協力して痴漢から女性を守らなければならない?
痴漢をしていない男性は、“まだ痴漢ではない男性”ではなく、被害女性とも同じ非痴漢、非犯罪者なのに?
そんなところから放っておいてくれという思いが強くなり、痴漢対策に対しての反発心が生まれる。
多くの男性は痴漢なんぞしないし、されることも無い。だから、男性の場合当事者となることを想像した時思い浮かぶのは痴漢冤罪くらい。安全ピンと言われれば自分が痴漢に間違われて刺される事しか思い浮かばない。痴漢冤罪に巻き込まれる心配だけが残る。
そして女性専用車両が出来たとなれば、痴漢なんて考えもしないのに男性というだけでなぜ不当に追い出されたという思いが生まれる。
ATMコーナーで、見知らぬ人間が詐欺に遭いそうなところを助けなかったからと言って詐欺の片棒を担いだと言われるか?
路上で暴行を受けている人間がいるのに第三者として介入して暴行を止めることをしなければ暴行に加担したも同然か?
買い物をするときは普段から周りをよく見て万引きしてる人間がいないかどうか、気を配るべきか?それをせずにその店が被害を受けたら、その店を普段から利用していた客にも責任の一端があるのか?
たしかに、男性をはじめとした非当事者が理解を深め、率先して動くことは痴漢対策に有効ではあると思う。そのような行動が取れる人々は素直に尊敬する。
その一方で、痴漢撲滅に興味が無い男性はたくさんいるし、中には痴漢問題なんてどうでもいいと考えている女性もいるだろう。
だから痴漢問題に対して何も考えてないくせに、痴漢冤罪だけを恐れている男性を見ても「へー そうなんだ」くらいに思ってほしい。
それは他の多くの事件と同じように、現時点では当事者ではなく、巻き込まれたくないし、第三者として介入する気も無いだけなのだ。
遺伝的に知能が高かったりすると中卒人生に向いていないのかもしれない。
ヤンキーで進学する気がない
などを筆頭に、親が宗教にハマッっていたり人格障害で荒れていたりすると小学校すらちゃんと通えていなかったりもする。
成人してある程度自由を得ることで、やっと人並みの努力ができる状況になる人もいる。そんな人はとりあえず根性がある。
根っから性格が破綻していなければ、常識がなくても世間に揉まれて最低限身につくし、コミュニケーションだって人並みに取れるようになる。
そこまで行って軌道修正できた後におかしな方向に進む人もいる。バランス感覚を身に付けることが出来なかったタイプ。
経験と知識が著しくアンバランスなのが自然体で、それを自覚する機会と縁の薄い生き方をしている。
学歴コンプを原動力とした知識欲なのか、あれこれインプットしては物事を拡大解釈する。その先には自己完結。
そして、それを仮説にとどめるブレーキが緩い。
学歴コンプがなければ、知識を糧にしようと背伸びして人と摩擦を起こしたとしても、「頭がおかしい」のような事を言われるだけだと見えない評価の予想ができるけど
学歴コンプが強いことで「中卒であることを馬鹿にされている」と受け止める部分があり、反発心と妄執で更に知識を求める。
知識欲が自己啓発やスピリチュアル、心理学に向かうと手が付けられなくなったりする。
「それらは多くの人が年頃に一度は興味を持ったりするもの」という観点が無いのか、救いを求めて手を出しているからか特別視していたりする。当人は特別視はしていないつもりで。
そういったものの危険な面を表面的に理解しつつも、経験が伴っていないため安全装置的なカンが鈍く深みにはまる。
学歴コンプを跳ね除けるべく努力した先が、頭でっかちの理想家。
ボキャブラリや見聞きしただけの観点ばかり増えてしまい、いわゆる『自分の考え』はほぼ空論
社会や他人の問題に対して、知的な振る舞いで問題視することが趣味になり、そうして自身の負い目を間接的に慰める。
「言う側」に立つことで精神の安定を保っているのかもしれない、エゴが肥大することを代償にして。
不都合な実態を他人の目から隠しても、自身はそれと常に付き合っている。
そうして、言行不一致による矛盾が増えては誤魔化すことを繰り返し、普通なら感じる限界の先に行くと巧妙な開き直りを思いついてしまう。
それは麻薬中毒者が幻覚の規則性を見抜いた錯覚のようなものだけど、乏しい経験に加わる「発見という経験」は正解に感じやすい。
そんな狂った感性を生産的な方法で昇華する手段、職業的なモノサシでも持っていないと、次のステージに進んだことにも気づけない。
良かれと積み重たものは、妄執に振り回されて行った一夜漬け的な努力の塊で、そこから生み出されるエピソードが
尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況[1]。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる[1]。
見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない[1]。
見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位[8]。
得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます[1]。
牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要[1]。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる[1]。
騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない[1]。
忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる[1]。
人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる[1]。忘れるということもなくなる世界[1]。
返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る[1]。
入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益[1]。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある[1]。
今回の件ってフェミとオタクの対立構造っぽく扱われてるけど違うよね。
フェミじゃなくてミサンドリーであるっていうのもあるけど、それでもなくて。
私の立場から言えば中立というか、どっちにも所属してない感じ。
今回の件で、オーディエンスって言葉を使っていた人がいたけど、それが一番近い気がする。
そして、今回の件ってフェミでもオタクでもなくこの立場の人が一番多いんじゃないだろうか。
私は今回の件でフェミニズムそのものを叩く気には一切なれない。同情すらする。
一部の人たちがその立場を名乗り、ひどく暴力的なことを繰り返している。ヒステリックに被害者になり、ただただ口喧嘩に勝ちプライドを保つためのことを繰り返している。
勝ちたいというより、おそらくそれしかやり方を知らないのだろう。
フェミズムへの反発心など一切ないが、そのやり方の醜さに辟易している。
オタク側にもひどい人はもちろんいる。
公共性の話になった時にはそれが際立つ。公共性のあるべき姿を話し合おうとしている人ですら規制する人とバッシングする。
だが、喧嘩両成敗というにはフェミ側として暴走している人がひどすぎる。
オタク側はオタクが責められているという被害者意識も獲得したく、それを否定する気はないがそれは一旦置いといてくれないかと思う。
話が進まない原因はここにもある。
東日本大震災直後の2011年3月に開催された春の選抜高校野球の第一試合の東北高校(宮城)VS大垣日大(岐阜)を思い出した。
震災直後の東北復興を背負った東北高校であったが、結果は7-0でボロ負けして終わった。
当時は「夢も希望もないのか」と大垣日大は叩かれていたが、私元増田は逆に試合結果について大笑いしていた。
大震災の後の試合ということもあり、世間の雰囲気・空気としては「何としても東北高校に勝ってもらって、被災地を元気にしてほしい」というものであった。
試合前の大垣日大高校には、試合にわざと負けろという電話がかかってきたとのこと。
監督や先生たちは生徒達に世間の空気をわからせないようにするものであるが、多感な高校生たちはやはり雰囲気・空気を感じ取ってしまうもの。
その雰囲気・空気に反発した大垣日大の選手たちは、日本中が注目している中で東北高校を完膚なきまで叩きのめしてやろうという気持ちになったのだろう。
終盤の6点差で盗塁するとか、明らかに世間に対する反発心の現れだったよね。
そのことを踏まえて、昨日の甲子園決勝の大阪桐蔭-金足農高の13-2の試合のことを考えてみたい。
決勝試合前から、新聞やテレビなどのメディアは金足農高一色であった。
「東北史上初の優勝なるか」「優勝旗が白河の関を越えるか」「全員地元の金足農高と、全国から有力選手を集めてきた大阪桐蔭」・・・。
大阪桐蔭の選手達からすれば、自分たちこそ優勝候補で注目されて当然だと思っていたのに、ポッと出の金足農高ばかり注目されている。
当然面白くないよね。
大阪人から見れば、東北の秋田なんて東京の植民地みたいな場所だから、怒りも数段上がることになる。
大阪人は東京自体には反発はしないが、東京の威を借る東北や甲信越の腰巾着に対しては本気で怒っているフシがある。
僕はミリオンライブが嫌いだ。
「またライバーかデレPのミリオン叩きか」と思われるかもしれない。
アイマスが世に出て、もう13年になる。
一大ムーブメントを巻き起こす。
9月18日、東京ゲームショウの場で発表された「アイドルマスター2」
男性ユニット「Jupiter」の存在が発表され、アイマス界隈は激しく荒れた。
詳細は割愛するが、この時点で
アイマスの次なる展開が動いていた。
言うまでもなく、アイドルマスターといえば
アニメ版以降、公式はA1-Pictures(以下、アニメ版)の
ほぼ使用されなくなっていくのだ。
(決定的となるのは、2012年に発売された「シャイニーフェスタ」であり
イラストとなった)
こうして、アイマスは少しずつ形を変えながら
新たな展開を進めてゆく。
だがそれは、僅かではあるが、確実に
長い長い前置きで申し訳ない。
「アイドルマスター・シンデレラガールズ(以下、デレ)」である。
当時、怪盗ロワイヤルなど携帯電話(まだ、ガラケーの時代である)を
所謂エリアゲームでしかなく、莫大な利益を上げる事はできない。
求められているのは、当時の携帯ゲーの主流であった
「ガチャゲー」であった。
そこに「アイマス」が参入する事は、
この体裁をとる事で
デレの開発運営を任されたのは、当時
サイゲームスだった。
(開発時期的には、神撃が表に出た時には
既にシンデレラも動いていたと思われるが省略)
リリースされるという事は、当然ながら
反応は予想していたであろう。
そしてその外部の仕事を任された一人は、
同氏は、デレのキャラクターデザインを任される事になった。
話を戻そう。
もっとも大きく示されたのは、デレに与えられた
タイトルだった。
「Project Im@s 2nd Vision」というロゴが与えられていた。
後のシャイニーフェスタだけでなく
だが、「シンデレラガールズ」には、この
ことを示す事実だった。
極端な言い方になるが、判り易い言い方をすると
実の娘ではなく、サイゲームスという下賎との間に
汚れた現場で働かされることになったのだ。
いや、汚れた場所で働くために生み出された娘、
という表現の方が正しいだろう。
765のキャラクターたちは、客寄せとして
貸し出されただけである。
風俗店でいえば、在籍していないのに表に貼られている
実際に相手するのは、150人近い
予想できなかった展開を迎える。
人気を博する事になってしまったのだ。
大流行をもたらした。
Twitterで、ガチャの引き自慢が始まるのもこの頃からである。
Pたちは神引きや爆死を披露し合い
その知名度を高めていった。
こうして2012年、デレの人気は爆発的に拡がり
それは、苦界に落とされた妾の娘が、
それも当然であり、デレがいかに人気を得ようとも
判らないが、少なくともバンナム的には
あまり美味しくない話であった。
その莫大なガチャの売上の一部を掠め取られ、
運営全体もバンナム側では100%コントロールする事ができなかった。
「アイドルマスター」の本家シリーズである事を強く印象付ける為
キャラデザは全てA1-Picturesの「アニメ版」に統一された。
何よりもデレとの決定的な違いは、ミリには
デレを快く思っていない者が少なくない時代であった。
ファンに許されていたのだが、
リリースされる事に反感を覚える者もいた。
だがそれでもまだこの頃には、765を至上とする
生み出された娘であり、765とは関係のない
存在として扱おうとしていた。
バックダンサーとして登場する」という事が明かされており、
だがまだこの頃には、その程度の扱いなら…と
旧来の765ファンたちも楽観的に捉えていた。
――だが公開日を迎え、彼ら旧来の765ファンは強い衝撃を受けた。
劇場本編をご覧になられた方なら判るだろうが、
程度のものではなかった。
バトンタッチを匂わせる内容でもあり
メッセージでもあった。
その性急な世代交代に納得できない者も多かった。
移行するのではと噂されたが、結局実際には
反発も当然であり、素直に受け入れられる者は少なかった。
その結果、ミリはどうなったのか。
デレのファン層を奪う事もできず
だがアイマス運営は、どうしても彼女たちを人気コンテンツとして成功させたかった。
「ミリオンライブ・シアターデイズ(ミリシタ)」をリリースする。
上質なグラフィックを最大の売りにしていた。
だが本質はそこではない。
拒絶する心理の方が大きかったのだ。
大きなセールスを上げる事も無く沈んでいく。
思惑は外されてしまうのだった。
運営の都合で生みだされた
コンテンツをつくりだす為に
バンナムさん、良かったね。
完全な後出しじゃんけん。
一通り騒動が沈静化したみたいなので初めて歌詞を見たが、軍歌かといわれると違うという結論に自分はなった。
なぜなら、軍歌によくある「愛国心」と「自己犠牲」のうち「愛国心」しか歌ってないから。
「典型的な排外思想の国粋主義者がよく使う文言が使われているから」だろう。
この歌で多分狙って使われているその手の言葉に、多分狙った通りに反応してしまったんだろう。
これを軍歌だというのは流石に行きすぎだと思う。
大ヒットを飛ばしたアーティストでもこんなコスい興味乞食しなきゃ今時音楽業界ではやっていけないのか、という意味で残念だった。
そこまで音楽業界が追い詰められているという現状がただただ残念だった。
ただ国を愛することを今歌いたいなら、ああいう言葉にはならない。
ギリギリを攻めた言葉をわざわざ選んで書かれた歌だと自分には思えた。
当人たちの主義思想はよく知らないけど、ほかの歌もちょっとは聞いたことあるだけの自分には
HINOMARUの歌詞がRADWIMPSの作詞担当の人から自然と出てきたようには思えなかった。
それが何らかの問題への反発心から来たものなのか、もともとの思想をずっと隠してきたのかも分からないが
この一件だけで彼らを嫌ったりはしない。
ただ、何がきっかけでこの歌を生み出したのかは後ででもいいので明らかになるといいなと思う。
「単に国を愛する思いを歌にしただけだ」と言い張るのなら、それでもいいけど。
昔、自分が学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラスの教室に集いました。
当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベルを教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。
私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。
自分は積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。
オタク的CDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDをからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。
その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に反発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分の無意識な価値観を揺さぶられたような経験でした。
彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。
それは本質的には数学検定に必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだけなのだと。(数学検定が外の人から評価されやすい資格かはともかく)
その後、電車男が書籍として販売され、秋葉原がにわかにテレビで特集が組まれ、ニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。
いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。
今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います。
私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレで情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます。
必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきます。アニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます。
なぜなら、オタクは流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。
いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲームは覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます。覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープなファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。
だったら、アニメやスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます。
同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしまう同人作家を「いなご」と言いディスる。
おかしなものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。
今でも真実か冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタクを象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまうコンテンツ」だと認識されているのです。
もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。
「オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります。
私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種にしか見えない。
そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。
ブコメ欄は「おとなの塚本幼稚園」という言葉に賛同する意見が多かったが、彼らが言う「気持ち悪さ」というものがさっぱりわからない。
政治家の演説に支持者が集まること、彼らが日本国旗を持っていること。
私が思うに、「安倍首相」という存在に対する反発心が「侮蔑」という域まで達してしまった人々が、その感情を共有したいと思った時に出てきた言葉がアレなのだろう。
あの言葉はなんらかの論理をもって成立したわけではなく、あの状況(写真)からラテラルシンキング的に連想したのが「塚本幼稚園」だった、ということなのではないか。
企業R&D部門のマネージャーをしている。研究開発では女性社員は少ないため、男ばかりの部署が殆どだ。そんな中、自分の部署に初の女性社員Aが配属された。Aは仕事ができ、他の男性社員と比較しても優秀な新入社員だった。
しかし1年が経過したある日、彼女が職場の人間関係について訴えてきた。
BはAの人格を否定したり、女性差別的な内容を職場で話すようになっていた。AはBの問題について、当初は管理職に相談してきた。しかし、今まで女性社員を受け入れた経験がなかったために、前例がなくどのような処置をすべきかわからなかった。
自分から見ればBは単に典型的な理系拗らせで、女性に対するコンプレックスが爆発しただけのように感じられた。
Bは過去にも他部署の女性社員にしつこくアプローチを繰返して拒絶された経験から、女性に対して強い反発心を持っていたと語った。アニメの女性は可愛いが、現実の女性は反論をするので生意気だと。
Bは長いこと研究成果が出ておらず、勤務中に女性社員に嫌がらせしていることに正直呆れはしたが、口頭での侮辱行為に対してはそこまで重い処分を行うことはできない。
(追記: 一応Bには,事情聴取というか事実確認の面談は行った。Bは行為を認めたがハラスメントの意図はなかったと話し、女性慣れしていないので自分の発言でAがそこまで傷つくとはわからなかったと説明していた。)
Aには相手にしなければいいのではないかと伝えた。今の仕事が続けたいなら我慢してもらうしかない、どうしても耐えられないなら君の異動を検討してもいいとも譲歩した。
それから半年ほど経過し、Aは退職願を提出してきた。Bのハラスメントによる精神的苦痛が大きいこと、被害者側の異動が納得できないこと、マネジメント側の対応に失望したことを彼女は淡々と語った。他社から引き合いがあり、新しい環境で気持ちを入れ替えて頑張りたいとも話していた。
こうなると自分としては困る。貴重な女性社員をハラスメントで失ったとなると、管理側の評価に影響する。あの手この手で彼女を引き止めたが、彼女の意思は固く、結局そのまま転職していってしまった。
会社に再発防止策を提出しなければいけなくなったが、どうしたものか困り果てている。
【追記】
言い訳に聞こえるかもしれないが、実際こうしたケースでいざ当事者となると、加害者の処分は難しい。これは男性社員同士のトラブルでも同じことで、被害を訴える社員側が異動になることはよくある。
今回のケースについては、被害者女性から辞めるほど思い詰めてるなんて報告は受けていなかった(数回相談に応じた後は音沙汰がなかったので、解決したのかと思っていた)。せめて退職を悩んでいるうちにもう一度相談してもらえれば、何か別の対応が考えられたんじゃないかと思っている。
今私にとれる行動として、文章の表現を修正しました。内容は変えていません。
https://anond.hatelabo.jp/20171002002200
の続き
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることです。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきています。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透しています。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方です。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ませんが、
何の根拠もない妄想よりは幾分かは良い、というところで、私の思う経緯を書きます。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
また、何度でも書きますが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい発信すべきです。
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いありません。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実です。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずです。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずです。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなく、です。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだったと思います。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきでした(未だに何もありませんが。。。)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではありません。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているんです。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるんでしょうか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っていますか?平均年収を知っていますか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っていますか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりでしたよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものです。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきです。
そうすれば悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、理想の世の中に一歩近づくのではないでしょうか?
それから、吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
あれだけKADOKAWAに石を投げておいて「狼狽してバタついてる」って、どうなんでしょうか。
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いています。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
でも、その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるとは思いませんか?
頂いたようなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなのだと思います。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味していると思います。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
少なくとも、こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょうか?
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろ、というのは、
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度は申し訳ありませんでした。
けど、この件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、今回の炎上の難しい部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探っていたと思います。
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
けれど、どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言っています。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
「切り倒した」のは、本当にKADOKAWAなんでしょうか?
KADOKAWAは、たつき人気で盛り上がってきたコンテンツであることが、本当に分からない程度の会社なんでしょうか?
そもそも製作委員会からのリリースには、「ヤオヨロズから辞退の申し出があった」としか書かれていません。
それに対して、KADOKAWAはどう返したんでしょうか?まだ、情報が不足してはいないでしょうか?
私は現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように思えます。
未だになんの声明も出さない部分まで含めて、ちょっとどうなのかなと思っています。
たつき氏が悪いと言っていません。手綱をしっかりとる責任を果たさなかったヤオヨロズが悪いと言っています。
なぜなら、KADOKAWAとたつきが直接交渉してるとは考えられないからです。その理由は(2)にも書きましたが、
たつき氏には制作作業に集中してもらって、ヤオヨロズの窓口が(製作委員会窓口としての)KADOKAWAと交渉していたはずだからです。
たつき氏からの暴露ツイートが発信されないようコントロールするところまで含めてKADOKAWAの責任だったというのは、
少し無理筋すぎはしないでしょうか。
→https://anond.hatelabo.jp/20171002015348
https://anond.hatelabo.jp/20170930045332
の続きです。
まず前提として説明しておきたいのが、コンテンツ制作を生業にするこの業界には、
「クリエイターを、『大人の喧嘩』に巻き込まない」という不文律が共有されていることだ。
これは、クリエイターを制作作業に集中させる環境を整えるのが会社の役目であって、
権利トラブルを始めとする「大人の喧嘩」に巻き込んで余計な負担をかけるべきではない、という考え方からきている。
まともなエンタメ企業ほど、この前提が社員にしっかり浸透している。
※そういう意味では、KADOKAWAのアニメ事業局・ライツ事業局は、まだまともな方だ。
以上を踏まえて、これは私が外部の人間である以上、妄想の域をまったく出ないが、
知識がない人の妄想よりは幾分マシ、というところで私の思う経緯を書く。
①KADOKAWA、2期制作にあたり、12.1話のようなことを節々でやらないよう、ヤオヨロズに念押し。
②ヤオヨロズ、「2期制作は請けるが、たつきが一番功労者でエラいんだから、たつきの好きにさせろ」と返答。
③KADOKAWA、たつきへのリスペクトはあるが、幹事会社として、その要求は飲めないことを通達。モメ始める。
④ヤオヨロズ、モメた末、「そんな条件を出してくるならオリる」脅しのカードを切る。
【たつきはここまで、以上のようなやりとりがあったことを一切関知しておらず、制作作業に集中していた】
⑤ヤオヨロズ、たつきに「KADOKAWA意向で制作ハズされちゃったんですよね」と報告。
(10/01ブコメ指摘有:KADOKAWAはヤオヨロズとの窓口ではあっても、幹事会社ではないそうです。申し訳ありませんでした)
何度でも書くが、ヤオヨロズは「近々公式コメント出すから大人しくしててね」くらい言えないものなのか?
たしかに、たつき氏はけもフレを盛り上げた一番の功労者であることは間違いない。
しかしながら、仮にも「商業アニメの製作」に関わる人間として、
他者の権利を侵害しないよう、正当な手順を踏まなければならなかったのも事実だ。
百歩譲って、たつき氏は「ものづくり以外のことは専門外」な職人だったにせよ、
ヤオヨロズの渉外役は、たつきが暴走しないよう適宜コントロールする役割の立ち位置を、
会社としては、とらなければならなかったはずだ。
「事実上の権利者」としての立場の強さを使って、自分たちもリスクをとる形で、
KADOKAWAと、製作委員会と交渉をして、もっと他の道を探ることだってできたはずだ。
今回のように、ファン巻き込んで、KADOKAWA炎上させるようなやり方ではなくね。
あと責任を持って、早く何らかのプレスリリース出してください。
あなたたちは、たつきのツイートを見て「なんで?」と困惑するに留まるべきだった。
同時に、ヤオヨロズからの情報発信を待つべきである。(未だに何も無いのは本当にクソ)
知識も情報も十分でない内から、KADOKAWAを叩くべきではない。
本当に想像がつかないほど多くの企業と人間が熱意を持って関わって、チェックされて、
「確認結果OK」のお墨付きを受けて、ようやく世に出てきているのだ。
そもそも、「カネ」や「利権」体質だとKADOKAWAを批判するあなたたちは、そこで働く人間に会ったことがあるのか?
彼らの作品づくりにかける思いを知っているのか?平均年収を知っているのか?
年間にいくつの作品を世に出して、新人作家をデビューさせ、喜ぶファンを生んでいるのか知っているか?
私が出会ってきたKADOKAWAの人間は、本当にクリエイターのことを尊敬していたし、大事にしていたし、
ファンに作品を楽しんでもらうために、毎晩遅くまで、身を粉にして働いている人たちばかりだったよ。
そもそも出版業を始めとしたコンテンツビジネスは、利権があって初めて成り立つものだ。
「カネ」や「利権」、こうした概念を重視したビジネスを批判するなら、
KADOKAWA以外の作品も含め、マンガもアニメも映画も、見ることを一切やめるべきだ。
そうすればあなたたちにとっての悪の根源たるエンタメ企業は続々潰れるだろうから、
理想の世の中に近づくだろう。
吉崎先生が原因うんぬんかんぬんのニュース記事はプレスリリースでもなんでもないので、
情報が揃うまでは気をつけたほうがいいですよ。
狼狽してバタついてるってw あれだけKADOKAWAに石投げといて「狼狽してバタついてる」?w
記事にも書きましたけど、確かに、「なんで?」で止まるなら私はあるべき姿だと思いますよ。
そうじゃなくて、こういう基本的な知識を持ってたら、脊髄反射でKADOKAWAを叩くような行動はとらないでしょ?
だから「ちょっと落ち着くべきだな」と思うオタクを増やすために、私はこの記事を書いたんです。
何度も私は書いてますよ。「ヤオヨロズ社からのリリースを待ちたい」って。
けど現状、製作委員会からのコメントしか出てない以上、その事実をもとに妄想するしかないわけです。
その妄想だって、知識のあるなしで結論も、その行動も、随分変わってくるのはわかりますよね?
君みたいなコメントに一番星が集まるところが、まさしく今回の騒動の難しさなんでしょうけどね。
私が書いた記事が長文すぎて、読まれなさすぎ分かりにくすぎたのが原因ならすみません。
権利でビジネスやること自体の否定に繋がるので。商業アニメ映画マンガなどなどの全否定を意味してますね。
製作委員会(権利者たち)が要求したのは「発信情報の事前確認」です。
また、ヤオヨロズがたつきに「言いにくかった」要素の方が大きいと思えるから、
「クリエイターに逐一情報共有しながら進める」といった解決策の方が現実的になってきますけど、
こうして考えた場合にも、「KADOKAWAを一方的に叩く」という行動にはつながらないと思います。
意味がわからなくてすみません。制作費半分、売上5倍の話が、権利の話にどう関係してくるんでしょう。
安い値段で請けて納品してやったんだから、好き勝手やらせろって?w 自分で言ってて無茶だと思いませんか?
それがまかり通ったら、全ての商売が成り立たないと思うんですけど。
あくまでヤオヨロズからのリリースがあるまでは妄想ですけど、12.1話自体を問題にしているのではなく、
「自分に権利があるモノに関する情報発信を、自分の手綱のとれない誰かに委託するのが怖い」感覚、わかりませんか?
たしかに12.1話は、現状見えている情報からは、成功した企画になったと言っていいでしょうが、
「同じようなことが今後もあるのは嫌」というのをヤオヨロズへの窓口としてのKADOKAWAに強く言った可能性は高いし、
ヤオヨロズは、最初は全然自由だったし、ここまでけもフレを育てたのはたつきだという意識があるからこそ、
同じくヤオヨロズが何か言うべきというのは私も完全同意ですね。
文章力がなく長くなってしまってすみません。ありがとうございます。
ヤオヨロズがクソというか、前提のこういう基本的な知識があれば、
「KADOKAWAは必ずしも悪くない」結論にたどりつくはず、という趣旨です。
ただ、ヤオヨロズを制御するのは製作委員会側じゃなく、ヤオヨロズという会社自体の問題だし、
たつきを制御すべきなのはヤオヨロズという会社だったはずと思いますよ。
鋭い指摘ですね。
ただ、少なくとも現状出てる情報からは「KADOKAWA側のまともな判断力が失われていた」と判断できる記述はないですね。
私の態度はかなり悪いと思います。けもフレ問題でKADOKAWA叩いてるオタク大嫌いだし死ねばいいと思ってますからね。
けどこの件に関するKADOKAWA側の態度の、どこが問題だったんでしょうか?
それを具体的に言えないのが、オタクのだめな部分だと思いますよ。
そりゃ反発は予想していたでしょう。だから、たつき続投の方向性で調整方法を探ってたと思いますよ?
まずファンはそこで一歩踏み込みすぎてますよね。「KADOKAWAが一方的に降板させた」って。
ヤオヨロズ側にとってみれば、自分らが権利を持っていないのは当然歯がゆいし、
「功労者であるたつきに好きなようにやらせてあげたい」という気持ち、たつきへの敬意もあるから、
「制作おりますよ??」という脅しは、彼らにとって交渉カードなわけですよ。
どういう意図であの情報がたつきから発信されたのかを知るすべが現状ないから、
私は再三「ヤオヨロズからのリリースを待ちたい」と書いてるし、
「KADOKAWAが必ずしも一方的に悪い話ではない」と言ってるんですが。
でもヤオヨロズからのリリースがあるまでは何とも言えない部分はあるけど、
私の感覚からすれば、たつき氏は本当に降板が寝耳に水だっただろうし、悪くないと思いますよ。
現状出ている情報からは、悪いのはヤオヨロズであるように見える、という話です。
電通問題含め、働き方に関する問題は、あまりにも門外漢なので触れません。
原作者の吉崎先生が自由に作っていいと言えば何やってもいいわけじゃないですよ。なぜなら作品を一人で作っている「同人」じゃないから。
「商業アニメ」だから、色んな会社が、分割された権利をたくさん持っているんです。製作委員会も「自由に作って良い」と言えば問題ないと思いますよ。
「事前通知が嫌な声明を鵜呑みにしていいのか」という指摘ですが、仰る通り、ヤオヨロズからのプレスリリースを待った方がいいのは確かです。
けど今出ている公式コメントは製作委員会のものだけですし、少なくとも、「KADOKAWAを一方的に叩く」風潮に一石を投じたい私の立場としては、
情報として十分なわけです。未だに「近々コメント出すから、誰かに迷惑かけないでね」すら言わないヤオヨロズを信頼できないというのもありますけどね。
それから、(2)の方にも書きましたけど、この業界には「クリエイターが一番エラい」とする文化があって、たとえ相手がお金をもらう立場だったとしても、
無理なことはやらせられない、けど権利など大人の事情が絡むときにはその無理を、神経使いながら通さなければいけない、というような考え方が浸透してます。
もちろん、何度も何度も書いてますが、ヤオヨロズからのプレスリリースを待ちたい一方で、業界文化的に考えれば、
ヤオヨロズは、「たつきの自由にやらせようとした」はずです。「たつきさん、思うようにやってください!」くらい言ってそうなのは想像つくわけです。
けど(製作委員会を代表しての)KADOKAWAから、「事前に内容をこちらで確認してからの情報発信にしてください」と言われ、
「最初は全然管理してこなかったくせに、お金になり始めたからって今さら管理しようとしてくるなよ」という反発心はあっただろうし、
何より「たつきが一番エラくて功労者なんだから、たつきの好きなようにさせろよ」と思ったとしても自然だと思います。
そういういざこざが(たつきの知らないところで)続いていて、こじれる所までこじれた結果、たつきの「突然ですが」ってツイートなのではと言ってるわけです。
真木よう子本人が個人的にやりたい事であると同時に事務所の指図が入ってるんじゃないかと、私は勘違いして反発心もってた。
本人には大した考えがなくとも、事務所やひょっとすると芸能界そのものが、新たなる商売の場としてコミケに目をつけたのかと。
それで続々と芸能人参戦が続くうちにあちこちの事務所から運営に圧力がかけられて、コミケの開催主旨が変わってしまい、今まで参加していた人達が参加しづらくなるんじゃないかと危惧した。
ま、芸能人参戦云々関係なく、今でさえコミケの新規参入障壁は昔より上がってるんじゃないかって気がするけれども。おもに二次創作界隈で。プロやセミプロがいすぎて、好きな気持ちに実力のついて行かない人達の肩身が狭い。
真木のFacebookの本人コメントによれば、事務所は関係無いどころか事務所や芸能界のシステムそのものに反発してのコミケ参戦のつもりらしい。
真木が表現したいことそのものはある意味とても同人っぽいし、資金の集め方自体は別に問題だと私は思わない。
ただ、税務署から何か突っ込まれないのかな?とか、Facebookのあれは正面切って事務所や芸能界そのものに喧嘩を売っている様に見えるんだが、コミケに何も影響無かったとしても真木本人のこれからは大丈夫なんだろうか?と不思議に思うし、あまりにも無謀なのでやはり仕込みなのでは?という疑いも持たないでもない。
真木よう子本人が個人的にやりたい事であると同時に事務所の指図が入ってるんじゃないかと、私は勘違いして反発心もってた。
本人には大した考えがなくとも、事務所やひょっとすると芸能界そのものが、新たなる商売の場としてコミケに目をつけたのかと。
それで続々と芸能人参戦が続くうちにあちこちの事務所から運営に圧力がかけられて、コミケの開催主旨が変わってしまい、今まで参加していた人達が参加しづらくなるんじゃないかと危惧した。
ま、芸能人参戦云々関係なく、今でさえコミケの新規参入障壁は昔より上がってるんじゃないかって気がするけれども。おもに二次創作界隈で。プロやセミプロがいすぎて、好きな気持ちに実力のついて行かない人達の肩身が狭い。
真木のFacebookの本人コメントによれば、事務所は関係無いどころか事務所や芸能界のシステムそのものに反発してのコミケ参戦のつもりらしい。
真木が表現したいことそのものはある意味とても同人っぽいし、資金の集め方自体は別に問題だと私は思わない。
ただ、税務署から何か突っ込まれないのかな?とか、Facebookのあれは正面切って事務所や芸能界そのものに喧嘩を売っている様に見えるんだが、コミケに何も影響無かったとしても真木本人のこれからは大丈夫なんだろうか?と不思議に思うし、あまりにも無謀なのでやはり仕込みなのでは?という疑いも持たないでもない。