私は父を許したい。
父は酒は全く飲めず、ギャンブルはしない。たばこは吸うが家の中では吸わず、どれだけ寒く暑くても必ず庭で吸っていた。地方公務員で残業はなく、決まって18:30に家に帰ってきた。
母は専業主婦で、子供二人は私立短大と私立大学を奨学金無しで出してくれた。
これだけ書くと素晴らしい父親だと思う。
実際に嫌いではないのだ。父親の吸っているタバコと同じ香りがすると懐かしいなぁとさえ思う。
父に暴力を振るわれたことはない。だからDVを受けてきた人からしたら「なんだそんなことか」になるのかもしれない。
だから大したことない。もっとつらい思いした人はごまんといる。と思うのだけど、それでも時々父に対し黒い感情が沸き上がり、「許していいの?忘れてしまうの?」と諭す自分もいるのだ。
まず、父は外面がいい。
人前ではキレない。人前では怒鳴らない。人前では嫌味を言わない。
でも帰ってきては毎日母に一方的にキレた。すべて些細なことだった。なんでこんなこともできないんだ、とキレた。
ご飯だよ、と呼んでご飯、箸、お茶が揃ってないとまだ出来とらんがや、と怒った。だから何よりも先に父のものを準備した。
あまりに喧嘩が多いので、まだ一人部屋が無かったころの心の休まる場所はトイレだった。トイレで壁の傷を眺めながら息をひそめた。
まだ父母姉私で川の字で寝ていた頃、先に布団に入っていた姉と私に向かって「こんなことなら〇〇(当時すごく流行っていたゲーム)はお前たちに買ってくるんじゃなかった。〇〇ちゃん(隣の家の幼馴染)にあげてしまおうか。」と言い、まだ寝付いていないのに気が付いているのかいないのか知っていたのか分からないが、いかに私たちが劣り〇〇ちゃんが優れているかを永遠と語った。豆電球が黄色く父親は黒かった。
「お前はお母さんや〇〇(姉)に比べて△△だな」とよく言われた。きっと同じ感じで姉も言われていた。
母とお風呂に入っていたらキレた父がスリッパを投げ込んできた。
また違う日は、キレた父が母の髪を掴んで浴槽に顔を沈めた。
父の部屋のカーテンをきれいにひいておかないと文句を言った。父の帰宅までにカーテンをひいておかないのは論外で、外に光が漏れてるだとか、ドレープが均等じゃないと怒った。
父は「誰のおかげで飯が食えて学校に行けてると思ってるんだ」「そんなに嫌だったら出てっていいぞ、(母方の)おばあちゃん家行くか。おばあちゃん家(隣の市)から学校通うんだぞ」と、子供には何も言い返せない言葉が口癖だった。
私はそんな父の血を受け継いだのか、キレてる父を見て育ったのか、短期でキレやすい性格に育った。
反抗期は長く、中学生から成人し、就職で家を出る大学卒業の時まで続いた。
一番ひどいときにはテンプレのように家出セットを作り心の支えとしていた。
「気に入らないなら出てけ」と言われ「こんな家出てってやる」と家出セットを取りに行こうとしたら胸倉をつかまれて「そういうことじゃないだろ!」と怒られた。
まだ自分で生きていく力が無かったころ、トイレの中で、キレる父の声を聴きながら強く「こんな家出てってやる」と何度も強く思った。
就職活動を始めた頃には父もだいぶ丸くなり、私の反抗期も終息に向かっていたため、本当に家を出ていいのか迷ったこともあったが、幼少期の刷り込みは大きく影響し、私は家から通えない場所へ就職した。
あの家から出たかった、その地が好きだった、という理由だけで就職を決めたので、時々これで良かったのかと悩んだりもした。
しかし、一人暮らしを始めてみると驚くほどに気性が穏やかになった。人にイラつくことが少なくなり、気分屋が落ち着き、キレることがなくなった。
年に数回帰るときはイライラしなくなった。父とにこやかに会話をし、時には二人っきりで短時間の外出もした。
でも時々、私と姉が寝ている部屋を開け、黄色い明りで少し明るい部屋と、入口に立っている真っ黒な父、そこから長々と発せられる嫌味。母の髪を掴み湯舟に沈める父を、フラッシュバックのように思い出してしまう。
ある時姉に上記の私たちの幼少期の父の言動の話をしたところ、「全然覚えていない」「よくそんなこと覚えているね」と言われた。私よりいくつか上で、私より記憶のハッキリ残る年齢だった姉が何も覚えていないという。
私が昔のことをいつまでも引きずりすぎているだけなのだろうか。
老いて丸くなった父を見て許そうと思う自分もいれば、でもこの人は私に嫌味をさんざん向けてきた人だから。という自分もいる。
私は父を許したい。
【追記】
だらしない乳だな
女性に年齢のことでどうこういうのはアンチエイジングのAd以外は禁忌やぞ
どうみても一番の被害者は母親だろ。姉はなぜかそこまで下げられて罵られても忘れているということなので、母と話し合ってはどうか?
父がまだ丸くなる前に姉と母に離婚を打診したこともあるんですが、本心は分かりませんが「離婚も労力使うしねぇ」でした。母にいまだに幼少期の頃のことを覚えているほど精神的負...
実際のところ離婚は親とか友人とか精神的にでも金銭的にでも実務的にでも何かしら親身に応援してくれる人が身近にいないと難しいよ。専業主婦で子供がいたらなおさら。
許すのは基本的に不合理な行為だ。父親との関係を続けていきたいなら許して、今まで与えられてきたモラハラという負債を自分の意思でリセットすればいい。 でも許そうが許すまい...
悪くないと言ってくれてありがとう、泣きそうです。 一番衝撃だった母の顔を湯船に顔を沈めた時もお風呂場にスリッパが投げ込まれた時も3人で入浴していたので、姉も目撃者なはずな...
同じ体験をしているはずのお姉さんと気持ちや記憶が共有できないのはしんどいだろうと想像する。 出来事への対処の仕方であるとか、影響の出方とかは人それぞれだからそこは仕方が...
もし違ってたらごめんなんだけど、もしかして「許したい」んじゃなくて「フラッシュバックの辛さをなんとかしたい」のでは。 「フラッシュバックしてくるの鬱陶しいな。フラッシュ...
>>「フラッシュバックしてくるの鬱陶しいな。フラッシュバックするのは私が父親を許してないからかも。じゃあ父親を許そう」 これが当たっています。これから先の父には嫌いと...
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お母さまは私と似たような感情を持って育ったんですね。不思議と父にやり返す気持ちはないのです。丸くなってちいさくなって、いつの間にこんなに老いたのか、やり返したら崩れる...
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ありがとうございます。許し方(フラッシュバックのなくし方)が分からない。という感じです。
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