はてなキーワード: 発心とは
感想文のすすめ
感想を書くのが好きな人によるBL二次創作への感想文の書き方です
「私はこうしてる」という雑談です。親切なハウツーじゃないので役には立たない。
★基本
「〇〇(作中の内容)が△△でした(良かったです)」
「〇〇(作中の内容)が△△で(どうだった)□□でした(良かったです)」
まずはこれ!!!!
とりあえず、内容を一読して、一番印象に残った箇所、読みながら最もニヤニヤしてしまった場面についてコメントをする。
「桃太郎が生まれるシーンがパワフルでめちゃくちゃ笑いました!」
まあこんな感じかな
ここに軽い挨拶、その他全体への感想を添えれば体裁が整う。そうでなくても、「良かったです」だけでも伝えたら、救われる命は多い
④作者に対するファンレター
はっきり分けることは難しいし、一つだけってこともないかと思いますが、その作品のどの部分に良さを感じて筆を執ったのかということです
①「桃太郎が鬼退治に行くの、めちゃくちゃわかる」「仲間を連れてく発想はなかった」的なやつです。「犬がきびだんごを食べるシーンが愛らしく、悶えました」なんかも。
②「嵐の夜に、仲間と小舟で漕ぎ出していくシーン、手に汗握りました…!」「イケメンと動物とのふれあいシーン、眼福なりぃ!」とか?
③「人物描写がリアルで読み応えがありました」「ふたりのまったりとした空気感が好き」など。
ただ、3万字の小説に対して「雰囲気が好きです」と一言だけ言われたりすると、(も、もうちょっとなんか…あるやろ!?面白くなかった?ごめん…)となるので、全体への褒めってサブかも…。
④むしろこれを望んでる作家も居ると聞く。いつもtwitter見てます!頑張ってください!そういうやつ。
以上のポイントで、細部や全体を見て感じたこと、これは!!!と思った部分を書き起こします。
感想文を書くときは、頭の中の言葉を研ぎ澄ませて、読んで感じた感情にぴったりの単語を探しましょう。
私はこの作業が特に好きです。ぴったりの言葉が見つかったら気持ちよくない?
稀に、一言一句が、コマの全てがツボ、大好きという作品に出会うと思うのですが、その時はその旨も書きましょう。感想が長くなりすぎて気持ち悪くなるので。
とりあえず心のままに書きなぐったら、まあそれだけで十分すごいんですが、書き足したり直したりします。
ま、百歩譲って作者が喜ぶかは適度なところで置いてもいいです。感想を読んだ作者がどう思うかまでは予想しきれないからです。でも書いた人の品性が疑われそうな禁句は除いたほうがいいです。
禁句の例
「続きが読みたいです!」の一言のみ。
わかる〜!!!続きもっと読みたい、永遠に読んでたいくらい最高だったってこと〜!!!!!私もよくなる〜!!!!
でもとりあえず、「すっげ〜よかった!」を先に書いてあげてください。プロならまだしも、シロートが生活仕事の合間を縫って書いてるので、すぐにケツを叩かれると泣きたい気分にもなろうものです。
続きがある旨書いてあったら、最後に添えてもいいかも。でも続きの催促はあくまでサブ。
必殺技のような気がしますが、マロなんかのメッセージ、つまり書き手の反応が見える場で言われると困る人が多いと思う。嬉しいけど、受け入れちゃうと調子に乗ってると思われちゃうかもしんないし…。
あと、これを言うなら、定期的にあなたが一番です!というアピールをしていく必要も出てくると思いませんか?大変ですよ…。
これは極端な例ですけど、例えば鬼退治を通してボス鬼に奴隷のようにこき使われていた部下鬼を開放した、というサブプロットをまるまる読み落とす(鬼は全員悪という思い込み等)みたいなミスはしないようにしたい……と思います………せめてキャプション等を読んで、書いた人の意図からずれないようにしたい…
これはマジで自戒…アホなのでやりかねないし、多分作家は指摘してくれない…
他を下げて自作を上げられると、どんな顔していいのかわからなくなると思う………
同人作品より公式とか、カプの比較のほうが多いかも。本気の愛があるゆえにやっちまいがち。けどこれもほんとあるあるで、界隈に不満が多いときにやっちまいそうになりますわね。今の界隈は大丈夫ですが、自戒です。
「上手いですね」
これは……………微妙〜…………
嬉しい人、いると思う。実力志向の人とか、絶対嬉しいと思う。上手く伝えられればとんでもねえ誉になる。
でも、上手いって言ってくるお前は誰やねん、何勝手に順列つけてくれとんねん、という反発心をもたれる可能性もある。私なら、口ではありがとうと言いつつ、(でも商業作家とか大手に比べればゴミじゃん?)と思うと思う。言われたことないけど。
作家が欲しがってるかどうかわからない時は「うまい」より「好き」としておくほうが平和。リスクヘッジです。
作者が喜ぶか
喜ばせるというよりは、不快にさせないと言った方が正しいかも。
キャプションと本人のプロフを読み、可能であれば作品投下後のツイートも見る。
ただこればっかりは相性もあるので、完璧は不可能だと思う。でも、相手の気持ちを想像して嫌な気持ちにさせないよう推敲する作業には意味があると思います。
・嘘は絶対に書かない
話を盛るのはいい。でも、好きじゃないものを好きとは書かない。おあいそはバレます。印象悪いし、悲しませることになる。
作品をじっくり読んでいると、作者がこだわって書いたであろう部分が見つかることがあります。そこは言及する。
特に刺さっていないシーンでも、「臨場感がすごかった」「圧倒された」など、「好き」ではなくとも関心した旨書く。言葉か見つからないときは書かない。
把握するのが難しければ仕方ないけど、わかるなら、作家の解釈と違うことを感じたら書かないほうが無難。怒らせたり、最悪筆を折られたりすると申し訳が立たない。
知人ならともかく、知らない人にはあまり極端なことや過剰なことは書かない。
最後に
読者も色々だが、作家も色々。
こちらがどれだけ心を尽くして感想を書いても、相性が悪かったり、こちらの気付かぬ手落ちがあって相手を不快にさせることはある。
感想そのものがいらない人、特定の褒め言葉で怒り出す人、何を言っても過剰に謙遜する人、そもそも何も聞いていない人、私に褒められても塩対応するくせに、絵馬にほめられると急にはわわし始める人……。
ま、…………そっか〜〜〜〜!!!!!!!!!とお相手はミュートなりブロックなりしてブラウザは閉じ、お気に入りのお茶でも飲んで、今日は寝て全部忘れましょう。二度と送らなければOK〜!!インターネットで他人に期待するのが間違い。
中途採用した50代半ばのおばちゃんがまじで気の利かない人なんだけど、治るのかな?
まあ彼女が俺のこと嫌いだから嫌がらせで気を利かせないってのも半分あるんだろうけど、
彼女と仲良くやってるおじさんにも、俺から見てると気が利いた行動取れてないんだよね。
相手の一歩先の行動を想像したら普通はあれも用意してあげるよね、みたいな場面でなにも用意しない。
「マニュアルにこれをやれと書かれていたのでやりました。おわり。」みたいな仕事態度で一貫している。
放置していても治らないのは当然だろうが、「もうちょっと気を利かせようよ」って言っても反発心を招くばかりで治らないだろうな。
その都度その都度、業務命令としてガチガチに細かい命令出していくしかないのかね…
ミスを指摘すると「あーそうでしたね。知ってました知ってました。」とか平気で返してくるし、
俺が「この報告書『保険』って単語だけじゃどの保険かわからないから補足説明入れてね」って言ったら
翌日以降の別の会話で「(俺)さんが言ってる○○ってなんのことですか?補足してもらえますか?」とか、わかってるくせに報復攻撃として言ってくる。
ヴィーガン批判とフェミニズム叩きを同列に並べる人がフェミニストの中にも少なくないのが残念だ
ヴィーガンって単に嫌われているだけであって別に「いじめ」られてなんかいないでしょ
しかも女性が性別を理由に男よりも下に置かれているのとは逆で、ヴィーガンというのは金銭的に十分な余裕のあるセレブじゃなきゃ出来ない訳で
人々がヴィーガンに対して抱く反発心は「いじめ」という弱者への見下しとは真逆の、特権性を持つ強者に対する嫉妬やルサンチマンだと思う
まあ「ヴィーガンいじめ」を過剰に問題視する人達の中ではヴィーガンが性別と同じような先天的な属性になってるらしいんだけど
私はヴィーガンって後天的に自ら選び取った嗜好であるという点では「オタク」と並べるべきだと思うし
最近、生理用ショーツが炎上しているらしい。調べたら本当だった。
私は女で、確かに不快だなと感じたので、なぜ不快なのかを考えてみた。
すでに言われている的外れな部分(衛生面や管理コストなど)や、男性だけで作る必然性の薄さも確かにある。
でも、もっと根本的な不快感や反発心の根源にあるものってあれだなあと思った。
これまで、煙草やら車やら、いわゆる男の趣味とされてきたものを好きだと女が言ったときに、「彼氏の影響」「男に教えてもらった」そう断定されることが多く、女が自主的にそれらを好きになることは間違いである、というような排他的な空気があった。
そこへきて、生理という女体にしかおこらない現象に対して土足で踏み込んできたことに不快感を感じているのだ。
これまで人の趣味にケチをつけてそれは男のもの、とやっていたくせに、女体にしかない現象に対して手を出すのは、ちょっと話が違くないかい?と思っているのだ。
IOCはバッハ会長の発言を見る限り、IOC側から中止とは言わないだろう。
IOCとの契約内容がひどいから日本から中止と言い出せば損害賠償しないといけないとか、今まで菅総理自身が絶対やると言ってたのでどうしようもなくなってると思うんだが。
でもこれ、IOCを悪者にして自分の支持率を上げるチャンスじゃない?
コロナで開催できないから中止する、でもIOCに損害賠償は払わないし徹底的に戦う!と宣言しちゃえばいいんだよ。
典型的なポピュリズムだけど、誰かを悪者にするのは王道だし日本人には外人への反発心もあるから、こういうやり方は受けると思う。
異様にきつい反発心を持つ性格は、自分自身の自立しきれていない子供の内心が外部へ向かって反発している様子を現している。彼は他人から自分の領域と切り離して自分を保とうとするが、肝心の自分とやらが脆弱なので内心はいつまでも不安定なままでいる。故にこの内心子供はバランスを保つために自他に設けられた境界に対して更に上下を設け、見下したり劣等感を感じたりする。こうして外部と比べる相対的な自己しか見ない自分が形成される。
一度こうなると外面的な自分を強化するために様々な鎧を纏うことになる。金が一番で持たないものを馬鹿にする、美貌を自慢して男を振った数を自慢する、学歴自慢、その他たくさんの自慢。こうして肥大化して膨れ上がった鎧は自他ともに立派に見えるため、内心の子供はますますやせ細って心細くなり、その弱さのカバーのためにさらなる鎧を必要とする。鎧は重たいので自重に耐えきれなくなり、ある人は病み、ある人は本心がわからないお化けのような人間に成ってゆく。自分が子供であることが理解できない人間は尊大さそのものが自己であると錯覚させて平安を保つので、その余波を受ける周囲は彼が設けた上下にはまり込んで嫌な思いをする。相手は落ち込み、苦しみ、怒る。こうなると誰も救われない。
彼は正しい指摘を受け入れられないし、自己認識が尊大側によってずれ込んでいるため、正しい指摘を持てずに本当の自分を主張して一向に自らを省みない。顧みないというより顧みたくないし、塞げるならば耳をふさぎたいとすら考えている。一秒でも真実の自分を見てしまえば、いたたまれず叫び声すら上げてしまいかねないからだ。そうなることがわかっているから、真実を追求された尊大は焦る。尊大なる自分は、こちらが自分なのだ、破られてはならぬ自分なのだと考えて焦る。そして一方ではこんな自分を壊してほしいと懇願すらしている。
しかしこのような頑強な城壁や鎧を持つ人物を壊してしまうことは難しい。何故なら彼はほんとうになにかの分野で実力の鎧をまとっているし、それを指摘したところで彼の自尊心は一向に崩れない。尊大は増すばかりである。彼に救いはないが、救いはないという言すら彼は嫉妬として一笑に付してしまうだろう。
このような錯覚自己を強化する心理を持つがゆえに、多くの大人は子供であると言いかえることが出来る。少なくとも日本人の8割は子供だ。
会社員なんかより専業主婦のほうが大変です〜!専業主婦は年収800万相当〜!みたいなツイートがよくバズる。専業主婦になった友達に、ワンオペ育児の大変さを愚痴られる。
女ながら、そういうものを見聞きすると反発心が湧いた。「専業主婦が大変」ならまだしも、会社員とその大変さを比べる必要ある?年収800万稼ぐ会社員がどれほどいると思ってる?夫が不満なら別れて働けば?
同じ女性の訴えに対してどうしてこんなに苛つくんだろうとずっと不思議だったけど、今更気が付いた。専業主婦の母のせいだ。
母は私たち子どものことはそれなりに愛情を持って接してくれていたとは思うが、なにせヒステリックで謝れない性格だった。そしてほとんど毎日、父を殴ったり父にものを投げつけたりする女性だった。流血沙汰になったのも一度や二度ではない。母は私たち子どものことも殴ったが、父に比べればまだ頻度は低かった。
なお、殴られている父にも大変な否がある。営業に乗せられて勝手に大きな買い物をしたり胡散臭い契約をしてくるし、はっきり言って普段の言動は気配りゼロどころかマイナスのような人間だ。たぶん昔も今も家族のこともそんなに大事に思っていない。それでも働くだけ働いて、それなりの金は稼いでくる。
好きなだけ趣味の習い事をして、好きなだけゴロゴロテレビを見ながら部屋は散らかりっぱなし、そして家族に暴力を振るうような専業主婦が最も身近にいたので、私は専業主婦が嫌いだったのだ。専業主婦の愚痴を見るたび、夫に不満があるなら別れて働け、と考えてしまうが、これは小学校高学年くらいの頃からずっと母に対して思っていたことだ。
それに気付いたら、いきなり専業主婦の愚痴を見聞きしてもあまり苛々しなくなった。うちがこうだったように、いろんな家のそれぞれの事情があって、皆いろいろ大変なんだろうとある程度許容できるようになってきたと思う。そのかわり、余計に両親のことは嫌いになってしまったが……
これは余談だけど小学校低学年〜中学年くらいまで、先生の言うことを聞かない男子は殴ったり蹴ったりしてもいいと思っていた。実際蹴ってた。申し訳ない。途中で周囲を見てよくないことだと気付いたが、これも母の影響だったのかも。
この歳になってなんでも親のせいにはしたくないけど、実際親のせいであることはあるような。
日常で対面で為される会話って7割が気持ちの交流だからなー。言葉尻は3割。
結局こういう奴はただひねくれてるんだよ。
相手の気持ちをわかろうとしたくない、気遣いたくない、合わせたくない。
円滑で互いに心地の良いコミュニケーションの仕方がわからないんだと思う。
そいつ自身が本当にひねくれてるというより、そういうひねくれたやり方しか学べなかったんだろうな。
元ネタの娘ちゃんと母親の話については、むしろ気持ちをしっかり読んだ上で言語化に難儀してるのでまた違った話だとは思うけどね。
励ましの言葉や労いの言葉に対して、超上っ面だけを切り取って、「疲れてねえし!」とか「もう頑張ってるんだよ!」とか思うのは根本的に他人が嫌いで他人の幸せを喜べなくて交流したくないって気持ちがあってそこから発する反発心だな。
(追記)
もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。
コメント自体を引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。
・君は全くヴィーガンじゃないよね
そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。
私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者の範疇の大体から外れるものだと思っています。
タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。
ただ私は畜産のサステナビリティを重視しており、この観点から言えば
肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、
私は生活スタイルや経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています。
ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という
未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体が危険ということです。
顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています。
あと何故か「匿名の栄養士を批判している」ならば「顕名のヴィーガンのインフルエンサーを支持している」というロジックが
成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、
元記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。
「3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」
と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。
ここで言いたかったのは
「そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人の自由である」
ということです。
つまり(そもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)
仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由で
健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです
(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。
(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。
ただ、ヴィーガンを検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、
3の論点は、ヴィーガンの検討において重要な判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)
(追記終わり)
はてなブックマークのトップを見たら、ヴィーガン関連の記事がトップに上がっていた。
https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/
この記事はヴィーガン的な価値観とそうでない価値観を検討して、
こう要約すればありがちな記事で、探せば類似の記事も容易に見つけられるだろう。
ただこの記事の特色としては畜産の現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、
労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。
しかし私はこの記事はヴィーガンを検討するという意味では良いものではないと考える。
こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、
何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。
具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。
2.畜産は環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ、食糧問題)
で、ヴィーガンを検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。
(注:ヴィーガンを批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が
未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観をアップデートした方がいい。)
1の論点であれば、例えば
このときにヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、
ある程度動物に苦痛や犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。
結局、自らがそのように苦悩したことが贖罪にでもなるかのように、
「アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」
と言うべきではないか。
(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由を説明できるべきだと考えているわけではない。
あくまでもヴィーガンを検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)
アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、
筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ
(害獣や害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、
これは欺瞞ではないだろうか。
2の論点であれば、
・地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化や温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか
(注:農耕地の大部分は家畜の飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。
3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。
「論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」
という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、
これをヴィーガンの価値観の判断に用いるのは知的でないと思う。
・元記事のブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。
・名前も伏せてある一人の栄養士の意見を信じるのは普通に危険では。
・畜産のサステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど
とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。
・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊はヴィーガン基準で作っている。
メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、
肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。
・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまりに不可能に見えて、
しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。
私も最初はヴィーガンは何となく意識高くてキモいと思っていたが、
試しにやってみるとそんなに大袈裟なものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。
・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、
菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。
・インド料理は野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ。
私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。
どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン、
サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンとブロッコリーのサラダとミラノ風ドリア、
たまにワインのつまみに買うチーズと鶏肉系のテイクアウトぐらい。
というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。
でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者を自称もしていない。
・半年以上、ヴィーガンスタイルの食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、
特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、
生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価にたんぱく質を摂るため。
ワインのつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を
見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。
・ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。
食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。
ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。