2020-06-18

夢の中の父

今朝夢を見た。父が訳のわからない理由でキレているのに私もキレて言い返す夢だった。言い返すとなぜか包丁を取り出して自殺しそうになったので難儀した。(夢だけど)

この間父が出てきた夢でも、父は怒っていて、それに私も強い言葉で言い返していた。こう言う夢を他にも見た気がする。

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子どもの頃の父はよく不機嫌になっていて、暴力とかはなかったが、母に怒鳴っていた時が多かった。(母は母で言い返していたけど)

から父のことは恐れていて、基本的に父の言うことには逆らわなかった。別に父が極端に高圧的であったとは思わないけど、父が家に帰ったらテレビは譲ったし、父がこうして欲しいと言ったことには従った。不機嫌にさせないように振る舞うのが普通だったんだと思う。

大学に入って、上京して一人暮らしを始めた。上京する前に、家族3人で東京引っ越したいと、定年退職した父が言って、引っ越す気のない母と揉めた。私は引っ越してもいいが同じ建物にいても干渉しないで欲しいと言った。1人で暮らす練習からと主張した。そして母にだけ、こんなつまらないことで揉めるなら地元大学に行くと言った。どこから泣いていたかは分からないが、とにかく泣いて訴えた。いつの間にか家族で引っ越す話は消えていた。

一人暮らし仕送りはたくさんもらえて、平穏大学生活を送った。父はたまに東京に来て食事に誘ってきた。断る勇気はないので行った。説教じみたことを言われるたびに反発心が沸き、家に帰っては号泣していた。

私は漠然大学院に行きたかった。文学研究がしたかった。けれども決して真面目な学生ではなかった。

いつ言われたのかは覚えていないが、どうしてもやりたいことでないのなら、特に文系で、大学院に行く意味はないと父に言われた。もしかしたら母に聞いたのかもしれない。前述の通り不真面目な学生だったから、そこで緩やかに反対する父を押し除けてまで大学院に行こうとする気持ちはなくなった。

いつか覚えていないが、夢を見た。父は機嫌が悪く怒鳴っていた。私がここで父が刃物を持ち出したら怖いなと考えると、父は包丁を振り回して私に向かってきた。目が覚めた。別にそう言う人ではないのに、と父に対する申し訳なさが勝った。

大学院に行かない私は適当就活をして、適当就職先を決めた。それはそれで大変だったが、両親とは関係ない。就職先が決まって、少しすっきりした。これでもう父の扶養下で暮らさなくてもいいのだと思った。少しずつ父との関係改善してきた。

なぜその話になったのか覚えていないが、年明けに父と2人でいたら、目的もなくただモラトリアム延長のために大学院に行くのは無駄から労働すべきと言う話になった。不真面目な学生であるところの私の周りには、同じく不真面目な学生が集い、社会に出たくないので、と言って大学院に行く人もいた。私もそうなりたかった。痛いところを突かれたのだと思う。とにかくなんとしてもその考え方を変えさせたくて、何かと言い返したが、多目的トイレトイレ以外で使ってもいいじゃんみたいな論理なので、譲歩はさせても変えることまではいかなかった。

悔しくて泣いていた。なんでもいいから父を怯ませたかった。だから、父が働いていたころよく不機嫌になっていたことと私が傷付いたことを持ち出して、労働は悪だと訴えた。父は私を傷つけていたことを謝罪した。正直自分が何を言ったかまり覚えていないが、こんなめちゃくちゃな状態で人に何かを言うのは、過去の父と同じだと思っていた。家に帰ってLINE謝罪した。

過去の不満をぶちまけてしまたことを後悔した。父は私のことを大事にしていたから、何も言わないという不信を見せることの方が、怒りをぶつけることよりずっと大事だと思っていた。それに一度言ってしまえば、同じことで何度も責め立てることはできない。だからこの話は切り札だった。一時の感情切り札を切ってしまたことを後悔した。

そのあと、このコロナ騒ぎで父も含め誰とも会わなくなった。4月から社会人となったが、リモートワークが続いて、けれども給与はもらえている。家賃も食費も全て自分が働いて得たお金になった。

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毒親のもとに生まれ男性がそれなりの年になって、久々に老いた親を見たらその小ささに驚き、もう親を力でねじ伏せることができることに気づいた、というエッセイか何かを読んだことがある。

それと同じで、私が夢で言い返すのも、父親など恐るるに足らずと思えるようになったということなのだろうと思う。そうであるならあの日不満をぶつけたのは悪くない選択だったのかもしれない。怒りで言い返す関係は真っ当ではないかもしれないが、怯えて刺されるよりはずいぶん良くなったと、思っている。

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